前世の記憶を使って夏油傑を絶対に幸せにしようと思います!   作:秋元琶耶

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君がいた夏

夏油とちょっとした食い違いによる気まずい雰囲気になって数日後の週末。

私は実家に戻るべく荷造りをしていた。

このまま帰るのは逃げるみたいで嫌なんだけど、なんだかんだでタイミングが合わなくて一度もちゃんと夏油と話せていない。お互い忙しいし、数日顔を合わせないなんて今までもあったことなのに、こういう状況だと妙に気になるのは後ろめたいからだろうか。思わずため息が零れる。

すると、いつもの外出よりも大荷物を持っている私を見た美々子と奈々子が不安そうな目で私を見上げた。

 

「おねーちゃん、どこ行くの?」

「みみことななこも一緒に行く……」

 

置いて行かれると思ったのか、大きな目に涙を浮かべて見上げられてしまい、私のハートに9999のダメージ。うぐぅ。

思わず二人をまとめて抱き締めながら、しかし今回はまだ二人を連れていくことが出来ないのだ。

 

「ごめんね、二人とも。今回は一人で行かなくちゃいけないの。でも次は一緒に行こうね」

 

そう、今回の帰省は、何を隠そう二人を我が家に引き取る許可をもらいにいく帰省。

いきなり二人を連れて行って親の意見を聞かずに強行手段、というのはさすがに出来ない。

うちの親は子供好きだし、金銭的な援助は私も出来るし、二人ともしっかり者だし、多分大丈夫だと思うけれど、二人についての話し合いに行くのに二人を連れて行って目の前で話し合いはちょっと無理だ。

だから寂しそうな二人には申し訳ないけど今回はお留守番してもらって、次は一緒にうちに帰ろうねっ!

 

なんとか二人を宥めて部屋を出た私は、そそくさと玄関に向かう。

誰にも出くわさずに玄関までたどり着くと、硝子がいた。どうやら校舎に行っていた帰りらしく、休日だと云うのに制服姿だ。

私が今日帰省することは事前に伝えてあったから、軽く手を挙げて挨拶をする。一仕事終えてきたであろう硝子もだるそうに手を挙げて答えてくれたが、そういえば、と思い出したように云った。

 

「あんたら今度は何で揉めてんの」

 

夏油と、と首を傾げられ、私は荷物を下ろしながらがっくりと肩も落とした。

 

「……揉めてんのは確定デスカ」

「だって夏油が幸音に粘着しないなんておかしいじゃん」

「判断基準~!」

 

まぁ確かに、ここ数日夏油は私にくっついてきていない。

そもそも任務が立て込みすぎていてあんまり高専にいないのもあるけど、みみななの様子を見るために小まめには帰ってきているようなのだ。

けれど、私の前には現れない。

私たちをよく知る人たちには、それだけで何かあったと確信するには十分らしい。

仕方なく、先日私が夏油とちょっとだけ云い合いになって感情的になってしまったことを話すと、硝子は呆れたように云った。

 

「あーあ、幸音も馬鹿だねぇ。それ、夏油がいっちばん怒るやつじゃん」

 

ウッと思わず息が詰まる。

わかってる。

私を大事に思ってくれている夏油に対して、私は酷いことを云った。自覚はある。

でも、だけど。

 

「……でもさ、夏油は私に少し固執しすぎだよ」

「は?」

「そりゃ確かに、一回は夏油のこと助けたよ。でもそのあとは正直夏油に迷惑ばっかりかけて、いろいろやらかしてるじゃん、私」

 

自覚あったんだ、という硝子の呟きは無視して続ける。

 

「とにかく、帰ってきたらちゃんと話すよ。それでも夏油が頑ななら仕方ないけど」

 

どっちみち、この件に関してはどうせ分かり合えないと私は諦めていた。多分、夏油も同じだと思う。

分かり合えないことを理解したうえでどう折り合いをつけるかが問題で、お互い折れる気も考えを改める気もないというのなら仕方ないのだ。

そりゃ、本当は私だってうまく夏油とうまくやりたいよ。顔が死ぬほど好き以上に私は夏油のことを大事な友人だと思ってるし。例え夏油が私を友人とは思ってくれていなくとも、私は勝手にそう思ってる。

でも、私はどうしたって夏油に守られたくないし、逆に守りたい。

確かに私はへなちょこ4級術師の補助監督かもしれないけど、だからって守ってほしいなんて思えない。というか私の立場で誰かに守ってほしいなんて思ってたら職務放棄過ぎるでしょ。

 

「……幸音はさ、夏油を助けたいって云ってたよね。幸せになってほしいって」

 

どこか不機嫌そうな声の硝子に驚いて顔を上げると、声の通り不機嫌そうな顔をしている硝子。

いや、これは不機嫌というよりは。

 

「なのに、『許してもらえないなら仕方ない』ってのはズルいんじゃない? 夏油が今まで何のために」

「硝子」

 

名前を呼ぶ。

ジッと硝子の目を見つめる。

すると、硝子はまだ何かを云おうと口を開き、けれど悲しそうにその口を閉じてしまった。

そう、とても、悲しそうな顔で。

 

「ごめんね。ありがと」

 

硝子が私を心配して云ってくれているのはわかる。

それでも、すべての言葉を聞くわけにはいかなかった。

遮って、何も云えないようにして、卑怯な私は硝子を抱き締め、それから笑った。

 

「行ってきます」

 

 

 

 

◇◆◇◆

 

 

 

 

電車を乗り継いで地元に到着し、私はすぐに実家に向かった。

今日この時間に帰省することは連絡していたから、二人は家で待っていてくれるはず。

出掛けのことを思い出してしまいほんの少し重い足取りを叱咤して、実家の玄関の前に立ってから私は一度深呼吸する。

今日自分が何のためにここにきたのか、考えろ。美々子と奈々子をうちで引き取りたいって、二人を説得するためだ。出掛けにあったことは、関係ない。シャキッとしろ、私。

それに、先日連絡したとき母さんたちも私に話があるって云ってた。この電話じゃダメなのかって訊いたら、どうせ帰ってくるならそのとき直接話して驚かせたい、なんて子供みたいにはしゃいだ様子で云うものだから、ちょっと呆れたことを思い出した。私の母さんは年の割に結構お茶目なのだ。そういうところが好きなんだって父さんに惚気られたことまでついでに思い出した。仲良し夫婦で何よりです。

何度か深呼吸をしてやっと気持ちを切り替えることに成功すると、私はチャイムを鳴らしてから玄関のドアを開けた。鍵は開いていた。

 

「ただいまー」

 

声をかけて、靴を脱ぐ。

相変わらず掃除の行き届いている綺麗な玄関で、両親の靴がきちんと並んでいた。

しかしここで、ほんの少しの――違和感。

 

「父さん、母さん?」

 

いつもなら、ドアを開けた時点でどちらかが私を迎えてくれるのだ。

なのに、ただいまの声にも、二人を呼ぶ声にも、家の中からの反応は皆無。

 

「――……」

 

なんだか猛烈に嫌な予感がした。

早足にリビングに向かう。そこには誰もいない。キッチンも、バスルームも、二人の寝室も、物置にも、私の部屋にも、どこにも誰もいなかった。

でも、二人の靴は玄関に置いてあったはずだ。慌ててもう一度玄関に戻ろうと通り過ぎようとした途中、ハッと気付く。

リビング、キッチン。

リビングテーブルにある湯呑からは湯気が立ち、キッチンには調理中の食材が放置されていた。

愕然としながら、ふらふらと玄関に向かい靴箱を見る。そこにはすべての靴がきれいに並べられていた。近所に行くときに共用で使っているサンダルも、残っていた。

 

――二人は、一体どこへ?

 

全身から嫌な汗が噴き出した瞬間、鞄に入れていたケータイが鳴った。

なんだ、こんなタイミングに。

無視して二人を探してもよかったはずなのに、何故か私はこの連絡を無視してはいけないような気がして、震える手でケータイを取り出した。

ディスプレイに映るのは、小牧先輩の名前。

ホッとしてちょっと泣きそうになりながら、私は通話ボタンを押した。

 

「っ先輩、あのっ!」

『ゆっきねー!』

 

驚いて、思わず私は一度ケータイを耳から話してしまった。改めてディスプレイにある名前が先輩のものであることを確認し、首を傾げる。

 

「……え? 瑞樹?」

『サプラーイズ! どうどう、びっくりした!?』

 

そう、電話の向こうにいるのは先輩ではなく、高専に転校するまで毎日のように一緒に過ごしていた親友である瑞樹だったのだ。昨年、先輩に招待してもらって行った吹奏楽部の演奏会のときに久しぶりに再会して以来、たまに連絡を取り合っていた彼女。

引退したとはいえ先輩とは同じ吹奏楽部だったから、もちろん先輩と接点があるのは知っているし、二人とも部内では実力者だったし仲が良いのも知っていた。演奏については二人とも結構拘りがあるから、ついつい音楽論で白熱してしまった、なんて照れたように先輩が話しているのも覚えている。

 

「び、びっくりしたよ。何、今小牧先輩と一緒にいるの?」

『そーなの、幸音のこと驚かせたくってさぁ!』

 

瑞樹の声は相変わらず賑やかで元気いっぱいだ。いつもだったらその明るさに救われるところだけれど、今は状況が悪すぎる。

何せ両親が不審な失踪を遂げているのだ。いくら親友といえどこんなことは気軽に話せない。

 

「瑞樹。悪いんだけどちょっと今私忙しくてさ。また今度埋め合わせするから、一回先輩に代わってくれる?」

『え、うっそ。家から親がいなくなっただけっしょ?』

「いやそうなん――だけ、ど……」

 

肯定しようとして。

はた、と。

息を飲み、背筋がゾッと粟立ったのを自覚した。

 

「なんで知ってるの」

 

声が、震える。

私は、忙しいとしか云っていない。

両親がいなくなったことも、そもそも実家に帰ってきていることも、一言だって云っていない。

それなのに、瑞樹は、何のこともないように『両親がいなくなった』と云い当てた。

心臓がバクバクと大きく脈打ち、恐ろしいほどに耳鳴りがする。

 

どうして。

何故瑞樹が。

呆然と問いかけながら、けれど私の頭には一つの予想が浮かんでいた。

でも、私はそれを信じたくなくて。

否定してくれと、何の根拠もない当てずっぽうだったのだと、そう瑞樹が笑ってくれることを祈っていた。

けれど残念ながら、アハ、と笑った瑞樹は、あっさりと云った。

 

『だって幸音の両親さらったの、あたしだし』

「……それも、サプライズ?」

『うん。わかってんじゃん、さっすがあたしのマブダチ!』

 

内容は吐き気がするほど最悪なことなのに、瑞樹は心底楽しそうに云う。

いつもの瑞樹だ。

私の知っている瑞樹。

だとしたら、何故。

 

「瑞樹、悪ふざけがすぎるよ」

『やぁだ、ふざけてなんかないよ? だってあたし』

 

言葉を切った瑞樹が一拍置いて、続ける。

 

『本気で幸音のこと殺してやろうと思ってるから』

 

――その声は、あまりにも冷たくて。

 

『あたしのケータイからあんたに送る住所に今すぐ来てね。そうしないと、三人の死に目に会えないよ』

「なッ」

『質問は受け付けませーん、ついでに拒否権もありませーん。あ、いや別に拒否ってもいいけど、その時はここにいる三人とも即殺すからヨロシク! あとわかってると思うけど警察に電話しても無駄だし、十分以内に来なくても殺しちゃうよ。高専のイケメンたちに助け求めてる暇はないよね?』

 

それだけ一方的に云うと、瑞樹は通話を切ってしまった。慌てて掛けなおそうとした瞬間に届いた一件のメール。瑞樹からだった。

すぐに開けば、うちから歩いて十五分ほどの場所にある無人の神社の住所だけが書かれている。ここは正月や夏祭りのとき以外に訪れる人はほとんどいない場所で、このあたりに住んでいる子供たちにとっては秘密基地のように扱われている。

私も瑞樹も、よくここで暗くなるまで話し込んでは帰るのが遅くなって親に怒られた。今となってはそれもいい思い出だった。

そんな場所に、瑞樹は私を呼び出した。

しかもさっき十分以内に来いと云っていた。徒歩で十五分の場所だから、今からダッシュで向かってギリギリ間に合うかどうかだ。

昔の私だったら、確実に間に合っていなかっただろう。

しかし、高専での授業や甚爾さんに鍛えられている今の私ならば間に合う。

頭の中に浮かぶ疑問は尽きないが、まず今は神社に向かうのが先決だ。

私は咄嗟に硝子に『トラブル発生』とだけメールを送り、急いで神社に向かった。

 

幸い信号に引っかかることもなく、知り合いに出くわすようなアクシデントもなく、瑞樹の指定した時間以内に私は神社に到着した。ダッシュしたこと以外の理由で心臓が痛くて息が上がっているけれど、なんとか息を整えて瑞樹の姿を探す。

すると、探すまでもなく瑞樹は神社の賽銭箱の上に座っていた。

その足元には、両親と先輩が倒れている。

 

「……瑞樹」

「やっほー、元気そうじゃん幸音」

 

ひらひらと、手を振る瑞樹。私の大好きな友達。親友、だと思っていた。

三人に意識はないようで、拘束されている様子はないけれどピクリとも動かない。

ますます嫌な予感がして、私は鋭く瑞樹を睨みつけた。

 

「両親と先輩を返して」

「無理無理」

「どういうことなの?」

「どーもこーもないんだって」

 

笑う。

私の糾弾などこれっぽっちも気にしていないように、瑞樹は懐かしそうに目を細めながら、云った。

 

「あたしらって、全然正反対なのに中学の頃から仲良かったよね。あたし、最初はあんたみたいに地味で真面目だけが取り柄の女なんかぜってー仲良くなれないって思ってたのに、話してみたら印象と違ってさ。話は面白いし、話しやすいし、幸音の隣は居心地がよかった。楽しくて、いつの間にか大好きになってたよ」

 

出会いは中学一年の春。

たまたま同じタイミングで吹奏楽部に入部届を出しに行ったときに顔を合わせて、そこから気付けばいつでも一緒にいるようになって、つらいことも楽しいことも全部一緒だった。

部活でうまくいかないことがあっても瑞樹がいたから頑張れたし、瑞樹が友人関係のトラブルに遭ったときは一緒に考えて悩んで問題を解決した。

見た目が正反対だし性格だって似てはなかったけど、多分、だからこそ私たちはお互いのない部分を補うようにしてうまくいっていたのだと思う。

 

私は瑞樹の自由で元気で明るいところが好きだった。

ねぇ、大好きだったんだよ。

 

「私だって瑞樹のことは親友だって今でも思ってる。転校してからは前みたいには会えなくても、たまに連絡してお茶して、楽しかった」

「うん。あたしも、そうだった」

「ッならどうして!!」

 

こんなこと、したのか。

思わず叩きつけるように叫ぶと、瑞樹は目を閉じた。

 

「幸音、去年の今頃さ、うちの演奏会に来たでしょ?」

 

突然そんなことを云われ、一瞬呆気に取られてしまった。

確かに行った。

そのときに瑞樹とも久しぶりの再会をしたのだ。忘れるはずがない。

すると瑞樹は、続けて静かに云った。

 

「そんで、そのときあんたたちは一人の男を消した」

 

私は、息を飲んだ。

 

「共犯だった副館長は適当な罪をでっちあげて刑務所入り。でももう一人は、跡形もなく姿を消した」

 

キンと耳鳴りがする。

何故それを、瑞樹が知っているのか。

 

「殺したんでしょ?」

 

目を開けた瑞樹の顔は、表情がなかった。

黒い瞳は沼のようにどろどろとした感情を湛えている。

そこに浮かぶのは、怒りか、悲しみか、苦しみか――憎悪か。

 

「……瑞樹」

「あたしは普通の人間。あの人やあんたみたいに呪霊が視えたり、操れたりはしない。ただ知ってただけ。知ってて、受け入れただけ」

 

知っていた。

確かに非術師の中にはそういう人もいるだろう。呪術師になるほどでなくともいわゆる霊感があったり、妙に勘の鋭い人ならば呪霊の存在に気付いても不思議ではない。

瑞樹と一緒にいたころの私は前世の記憶がない、本当に普通の一般人だった。もちろん霊感もないし勘も鋭くなくて、呪霊なんてものの話をされたらきっと笑い飛ばしていただろう。

けれど瑞樹は、私とほとんど同じような非術師であったにもかかわらず、呪霊を、呪術を知り、受け入れていたという。

何故。

声に出来なかった私の疑問を、瑞樹は汲み取ってくれたらしい。穏やかに美しい笑顔を浮かべ、地獄のような事実を口にした。

 

「あたしはね、幸音。あんたが殺したあの人の、従妹なんだよ」

 

その言葉に、漸く今回の件に合点が行った。

あのとき夏油に暴言を吐いたあの呪詛師が、瑞樹の従兄だったのだ。

誓って情報が洩れるようなことはなかったはずだけれど、瑞樹の様子ではそれなりに頻繁にあの男と連絡を取り合っていたのだろう。その相手が音信不通になったら不審に思って調べるのは当然かもしれない。

もしかしたら、瑞樹は非術師であっても多少なりともあの男を手伝っていた可能性もある。考えてみれば夏油や硝子が待機していた控室にいた瑞樹が呪詛師と顔を合わせる暇はなかったはずで、しかしあの場に呪詛師がいたと知っていたということは、そういうことなのだ。

 

私が殺して山に埋めたのは、ただの呪詛師ではなかった。

私は、瑞樹の従兄を殺して埋めたのだ。

 

「私を、恨んでるの」

「うん。殺してやりたいくらいには」

「なら、いいよ。私を殺していい。瑞樹にはその権利がある。だから両親と先輩は解放して」

「……アハッ」

 

笑う。

嗤う。

乾いた息を吐き出して、瑞樹は口を開いた。

 

「あたしね、考えたの。どうやったら、あの人を殺された恨みを晴らせるかって」

 

瑞樹の笑顔は可愛い。

明るい彼女はいつでも笑顔で、気分が落ち込んでいても引っ張り上げてもらったことが何度もある。

それなのに、今はその笑顔があまりにも恐ろしい。

 

ねぇ、瑞樹。

どうしてこの状況であなたはそんな風に笑えるの。

 

「あたしの手で殺すだけじゃ足りないの。苦しんで辛い思いをして絶望してから死んでくれなきゃ足りないの。そのために、あたしは考えた」

 

そう云って瑞樹はポケットから何かを取り出した。

親指と人差し指につままれているのは、薬のように見える。ただし、嫌な呪力がひしひしと飛んでくる。あれが単なる薬ではないのは明白だった。

 

「これは、呪霊を閉じ込めた特別なカプセルなんだって。いざというときに使えって、お兄ちゃんにもらってたんだ。ねぇ、これをさ、人間が飲んだらどうなると思う?」

 

全身から血の気が引いた。

 

「……やめて」

「わかんないよね、やってみなきゃ」

 

いいや、わかる。わかるに決まっている。

誰が何のために作ったのか知らないが、呪霊操術使いでもないただの人間が呪霊なんて身体に入れたらどうなるかなんて、考えるまでもない。

良くて死ぬだけ。

最悪、魂と肉体が呪力に耐えられず呪霊に変貌する。

 

「あんたの両親と小牧先輩に飲ませてある。もうすぐカプセルが溶ける時間だよ」

 

その言葉に、頭が真っ白になった。

悲鳴も上げることが出来ない。

飲ませた?

呪霊入りのカプセルを、私の両親と、小牧先輩に?

なんてことを。

どうして。

 

瑞樹が私を殺したいのはわかった。

だったら殺せばいい。

元から私はこの世界のイレギュラーなのだから、途中退場したところで問題はない。

それに、理子ちゃん、黒井さん、甚爾さん、灰原くんが死ぬのを食い止め、美々子と奈々子も助け出せたのだ。今のところ夏油が離反する理由は概ね排除出来ている。このあたりで私がいなくなっても、きっとこの先夏油はうまくやれるだろう。

だから、私は死んでもいいのだ。

でも、でも、両親は、小牧先輩は関係ない。

なのに、どうして。

 

「死ぬのかな? 呪霊になるのかな? どっちにしろ、あんたには絶望的だよね」

「やめて、瑞樹」

「無理だよ。だって幸音はあの人を殺したじゃん」

 

私にとってあの男は、夏油を蔑んだクズ野郎でしかなかった。

何も知らないくせに夏油を蔑み馬鹿にしたあいつを殺そうと思ったのは当然だったし、実際殺した瞬間も特に感慨はなかった。ああ殺したな、死んだな、血が生暖かいな、くらいにしか思わなかった。だって私はあの男の命を人間だと思っていなくて、虫ケラほど上等なものとは思っていなかったから。たいていの場合、害虫を殺すときは無感情だと思う。

それでも、瑞樹にとってのあの男は、いい従兄だったのかもしれない。少なくとも、あの男を殺した私を、苦しめて殺してやろうと復讐を実行する程度には。

きっと準備は大変だっただろう。

ほとんど手がかりのない状態からすべてを調べ上げる労力は相当のものだったに違いない。呪詛師には伝手があったかもしれないが、あいつらはボランティアじゃない。それなりに対価を用意してやる必要があっただろう。金銭なのか他のものなのか見当はつかないが、簡単なものではない。

 

瑞樹は、私を苦しんで死なせたいと云っていた。

ああ、ならば、そう。

これは最良の手段だった。

私にとって両親と小牧先輩は、この世界に生きる上で重要な人たちだ。

前世で読んでいたこの漫画に関係のない登場人物。私がこの世界に存在できる意味をくれた人たち。

彼らが傷つけられたら私も苦しいし、悲しい。自分に何かされるよりも、ずっと。

瑞樹は私のことをよくわかっている。

 

――こんな状況で再確認したくなかったよ、親友。

 

「あたし、幸音が好きだよ。大好きだよ。ずっと仲良しの友達でいたかったよ。でも、殺したじゃん。あたしの大事な人、殺しちゃったじゃん。せめてあんたじゃなくて他の誰かがやったならよかったのに、あんたが殺しちゃったんじゃん。どーしたらいいのよあたし。あんたのこと大好きなのに、あんたのこと恨まなくちゃいけなくなっちゃったんだよ。なんでこんなことになったの? 意味わかんない。全然、何にもわかんないのに」

 

まるで駄々をこねる小さな子供のようにぶつぶつと呟いて。

それから、何かを振り切るように首を振り、顔を上げた瑞樹はカプセルを自分の口に放り込んだ。

止める暇は、なかった。

呆然と瑞樹を見つめると、やっぱり彼女は私が大好きな可愛らしい笑顔を浮かべている。

でも、その目には涙が、浮かんでいた。

 

「ごめんね幸音。大好き。でも、大っ嫌い」

 

云って、ガリ、とそのカプセルを噛み砕き、飲み込み。

 

次の瞬間、瑞樹は呪霊へと変貌した。

 

 

 

 

◇◆◇◆

 

 

 

 

 

 

 

 

 

幸せになりたかった。

 

夏油を幸せにしたいのと同じくらい、私も幸せになりたかった。

 

前世で叶わなかった結婚は夢だし、その相手が小牧先輩なら嬉しいなって思ってて。

 

どんなに仕事が大変でも、きっといつか全部が報われるんだって、そう信じて生きてきた。

 

 

――なのに、ねぇ、どうして。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

◇◆◇◆

 

 

 

 

私は瞬きを忘れたように、目の前で起きたすべてを見ていた。

呪霊入りのカプセルを噛み砕き飲み込んだ瑞樹には、呪力なんてほとんどなかった。だから呪霊を取り込んだ衝撃に生身の身体が耐えられるはずもなく、次の瞬間には魂ごと呪霊に取り込まれてしまった。

更にその呪霊が生まれたことに連鎖したのか、ちょうどそのタイミングだったのかはわからないけれど、倒れていた両親もほぼ同時に呪霊へ変貌した。母さんは背中から腫瘍がぼこぼこと発生したように肥大膨張し、あっという間に神社の鳥居ほどの大きさのミミズに似た呪霊に。父さんは逆に真空で圧縮されたかのようにぎゅうぎゅうと縮こまり、人の顔くらいの大きさの蜂に似た呪霊に、それぞれ姿を変えてしまった。

 

ああ、なんということだろう。

こうなってしまっては助からない。

例え硝子の反転術式でも、人間に戻すことは出来ないだろう。

だってこれは、完全に同じではないけれど、真人がやっていたこととほとんど同じ。魂の形が人間から呪霊へと変質してしまったのだ。

だから、速やかに祓うのが最善だ。

そんなこと、わかる、わかってる、だって私は補助監督で、術師だから。

 

でも――でも!!

 

あれは両親と、瑞樹なのに――……!

 

しかしぼんやりしている私を待ってくれるほど彼らは優しくはなく、母さんの尾の部分が私の頭上から振り下ろされる。掠っても軽傷では済まないような、叩き潰す気満々の攻撃だった。

絶望していた私はこのまま殺されてもいいかな、と思っていたはずなのに、頭の中の冷静な部分は生きることを叫んでいて、私の身体は反射的にその攻撃を避けていた。更に父さんによる追撃も回避。おそらく毒があるのであろう針を立て続けに放たれ、転がって二人から距離を取る。

更なる追撃を警戒したけれど、瑞樹はその場から動かず、攻撃する様子もない。攻撃的なのは両親だけだった。

どちらにしろ私は多対一にはまったく向いていないので厳しい状況であることには変わりない。

しかも両親は呪霊になっても良い組み合わせらしく、互いの短所を補い、長所を伸ばす絶妙なコンビネーションの攻撃を繰り出してきた。

 

呪具を持たない今の私は、ちょっと動ける一般人でしかない。私の術式では、呪霊を祓うことは出来ないのだ。

しかも、おそらくこの三人は低級ではない。瑞樹はじっとこちらを観察しているし、両親は連携を取り合っているから知能がある。つまり最低3級、もしかしたら準2級もありえる。もしそうなら、手持ちの式神でも相手にならない。

帳は、一瞬の隙をついてなんとか降ろすことが出来た。急いでいたので神社の敷地内から呪霊を出さない条件にしか出来なかったけれど、ないよりはマシだろう。それでも、私が死んだら同時に帳も上がってしまう。そうなれば近隣への被害も出るだろう。もし運よく近くを窓が通りかかってくれたら、不審に思って高専に連絡を取ってくれるかもしれない。

 

どうしたらいい。

攻撃を避けながら、私は必死に頭を働かせる。

呪霊に変貌してしまった人たちを元に戻すことは出来ないが、そもそも呪具なし手ぶらの私に彼らを祓うことは出来ず、逃げ続けてもいたずらに体力を削られていずれ私は殺される。

ちらり、と視線を彷徨わせれば、小牧先輩はまだ人間の姿を保ったまま倒れていた。

もしかしたら、小牧先輩だけはまだ間に合うかもしれない。きっと瑞樹は先に両親にカプセルを飲ませたのだ。だからカプセルが溶けるまでの時差が発生した。

ならば、急いで硝子に頼んで、溶ける前に胃からカプセルを取り出せれば。

そのためには小牧先輩をこの帳の外に出す必要がある。鍛えているとはいえ一般人の域を出ない私に、推定3級以上の呪霊の攻撃を避けながら人ひとりを抱えて走る芸当は出来ない。

 

どうする。

どうすれば。

多分、私はこのとき酷く混乱していたのだ。反射で攻撃を避けてはいても、この最悪としか呼べない状況をすべて把握して冷静に判断することが出来ていなかった。

だから、ジッと私の動向を観察していた瑞樹が――瑞樹だったものが、そっと私の背後に回っていたことに気付くことが出来ず。

 

「ッが、ァッ!!」

 

突然背後から受けた衝撃に耐えられず、吹っ飛んだ私は近くにあった鳥居にまともにぶつかった。肺から無理やりに空気が押し出され、吐き気とともに派手に咳込む。内臓が口から飛び出すところだった。

ハッとした時にはもう遅く、今度は鳥居ごと母さんの尾に払われ地面を転がる。全身がバラバラになるのではないかというほど痛かったけれど、転がったままでは母さんの攻撃の的になるだけだ。痛みを我慢して立ち上がろうとしたところで、足に鋭い痛みと痺れ。父さんの針が数本、私の太ももに突き刺さっていた。これではまともに走れない。

 

終わった、と思った。

直撃こそ免れていたものの、すでに数十分は防戦一方で体力は限界に近かった。

小牧先輩を連れて逃げる算段もついていないのに、追い打ちのように足の負傷。

せめてもの足掻きで背中を見せないよう振り返ると、三人はけたけたと楽しそうに笑っている。私から生まれた負の感情を食って喜んでいるのだ。

人の不幸を、人の痛みを、人の嘆きを楽しむような人たちではなかったのに。

呪霊に成った、それだけでこんなにも変わってしまうのだ。

悲しい。

同時に、申し訳なくて仕方がない。

私なんかと関わったがために、みんなこんな目にあったのだ。

 

私が両親の娘でなければ。

私が瑞樹に出会わなければ。

私が先輩を好きにならなければ。

 

――私が、前世を思い出さなければ。

 

私は彼らを愛しているけれど、そのせいでみんなこうなった。

私は、疫病神のようなものだったのだ。

イレギュラーのくせに幸せになりたいなんて思って、大事な人を救ってみせるなんて息巻いて、そのくせ身近な人たちを顧みなかったから、こうなった。

 

ごめんなさい。

この世の全てに謝りたい。

生まれてきて、出会って、幸せになろうとして、ごめんなさい。

 

もう逃げる気力もなくなって、私は三人を見たまま動くのをやめた。

せめて最後くらい、潔く死にたい。

死ぬ瞬間まで、私のせいで呪霊になってしまったみんなを目にしているのが、せめてもの報いだ。つらいけれど、私だけは彼らから目を背けてはいけないと思うから。

私の諦めを感じ取ったのか、三人は示し合わせたように口の部分を限界まで歪め、攻撃のための動作を取った。

そうして、一斉にその攻撃たちが私に向かい――……。

 

「――……」

 

予想した衝撃は、訪れなかった。

瞬きの間に、三人分の呪霊は姿を消していたのだ。

何故。

混乱する私の前に、一匹の犬のような黒い獣がいた。大型犬と呼ぶには大きすぎて、まるで狼のようだった。だけど現代日本に野生の狼はいない。よしんばいても、仮にも東京のど真ん中であるこんな場所に出没するわけがない。

 

では、これは?

 

心臓が嫌な音を立てて、粟立った背中が冷たい。

視線を犬から賽銭箱の前に向けると、そこにいるはずの小牧先輩の姿が、なくて。

恐る恐る、もう一度犬を見る。

犬が襲ってくる気配は未だない。

そして今更気付いたのは、犬の足元に、三人分の呪霊の残骸があったこと。

これがただの犬でないことはわかっている。呪霊だと、わかる。更に云えば、三人の呪霊よりも格上であろうことも、その呪力の大きさから判断できる。

つまり、三人の呪霊をこの呪霊が祓った――呪霊同士の共食いも祓われるのと同様に消失する――ということで。

 

消えた小牧先輩の代わりに現れた、この犬は。

 

「……小牧、先輩?」

 

そんなわけがないと云い聞かせながら、けれど頭のどこかでこの現実に納得している自分がいた。

犬は、その大きな口を何度か開き、そうして。

 

「ュね、ぢゃ」

 

引きつったような、絞められた喉から無理やりひねり出したような掠れた声だった。

この瞬間、私は、思い出した。

ずいぶん昔、私と先輩が付き合い始めたころ。

ドッグカフェにデートに行って、話したこと。

いつか将来、大きな黒い犬を飼いたいと、私は、先輩に、そんな他愛のない話を、したことを。

 

「ゴ、して」

 

色も指定なの、と先輩は笑って。

じゃあ、庭付きの大きな家を建てなくちゃね、なんて、笑って。

 

――ああ、これは、この姿は、私がいつか飼いたいと願った犬の姿、そのもので。

 

「無理ですよ、先輩」

 

手を伸ばし、触れる。

温度はない。

犬のような柔らかい感触ではなく、固いたわしのようにチクチクとして、指に刺さる。見た目とは裏腹に、呪霊らしく歪んでいるのだ。

先輩が逃げないのをいいことに、そのまま首に腕を回して抱き着いた。

 

ずっと昔の他愛ない会話の内容を、先輩が覚えていてくれたのが嬉しい。

それと同じくらい、変貌した姿がこうなるほど、私を想っていてくれたのが嬉しい。

やっぱり私は、この人のことが、とても好きだ。

 

「私にあなたは、殺せない」

 

呪霊は、人間に近い形をすればするほど知能が高いという傾向がある。特級に区分される呪霊のほとんどは人型であり、人間とコミュニケーションを取れることが多い。だからこそ厄介なのだ。一瞬でも話が通じるかもしれない、などと考えても所詮は呪霊。隙を突かれて上級術師でも時と場合によってはあっさりと殺される。

けれどそのほかにも、既存の動物に近いものも同様に知能が高い。おそらく、より人間の呪力を食らいやすいようにそうできているのだというのが研究者の見解らしい。

小牧先輩だったこの呪霊は、見た目は完全に犬だ。つまり知能が高く、不完全でも言葉を話す。

まだ、小牧先輩としての心が残っている証拠だろう。

だけど、何度も云うように――一度呪霊に変貌した魂を人間に戻すことは、出来ないから。

ゆっくりと身体を離し、そっと先輩の目を見つめる。

もう人の身ではない、だけど間違いなく優しい小牧先輩の目は、どこか悲しそうに揺れていた。

 

「だから一緒に、死にましょう。私はあなたを一人にしない。あなたと一緒なら、死んでもいいの」

 

さっき、小牧先輩はこう云ったのだ。

 

『幸音ちゃん』

『殺して』

 

無理だ。

私に先輩は殺せない。

例え先輩が、自我を完全に失くして私を傷付ける前に殺してほしいという意味でそう云ったのだとしても。

今、おそらく先輩は驚異的な精神力でわずかに自我を保っているだけに過ぎない。間もなくそのわずかな自我もすべて呪力に取り込まれ、完全に呪霊へと成るだろう。

私には力がなく、先輩を人間に戻すことも、殺してあげることも出来ない。

 

ならば、――いっそ先輩と一緒に死にたい。

 

私は、首元を差し出すように顎を上げる。

こうすれば、犬型の呪霊と成った先輩のその大きな口で食い千切りやすいだろう。

 

まさか前世より短い人生になるとは思わなかったけれど、私は十分生きた。

こんな結果になってしまったのだけは、みんなに申し訳ないと思う。

両親も、瑞樹も、先輩も、夏油も、五条も、硝子も、誰も彼も。

私は、きっと誰にとっても疫病神でしかなかったことだけが、本当に申し訳なくて、情けない。

でも、もう全部終わりだ。

 

ひと際大きく、とても悲しそうな声で鳴いた先輩は、もう自我を保てなくなっているのだろう。

私が先輩を殺せないのなら、せめて少しでも自我が残ったままで、と抗っているのが手に取るように分かった。優しい人なのだ、小牧先輩は。そういうところが大好きだった。

 

そうして、グァ、とその口を開けて。

 

一思いに――とは、ならなかった。

 

「――幸音!!!」

 

声が、聞こえた。

私は瞬きが出来なかった。

目の前にいた先輩は、地面から現れた別の呪霊に噛み潰されて消えた。

 

そうして、庇うように私を覗き込む、夏油が、そこにいて。

 

「大丈夫かい、幸音!?」

 

前にも似たようなことがあったな、とぼんやりと思った。

いつも私は、危ないところで誰かに助けられる。

どうしてだろう。

私じゃないのに。

助けてほしいのは、いつも、私以外の人なのに。

 

「……どう、して」

「硝子に連絡しただろう。ただ事じゃなさそうだから、急いで来たんだ」

 

私がここに来る前に硝子に送ったメールを、夏油も見たらしい。

最悪の事態を想定して応援を寄越してもらえたらラッキーだな、くらいに思っていたのだけれど、まさか夏油が来てくれるとは。

 

だけど遅かった。

何もかも、遅かったんだよ、夏油。

 

「何があったんだい?」

 

心配そうに私を見ていた夏油は、ぼろぼろの私の姿を痛ましそうに見ていた。

そうして、今にも私を噛み殺さんとしていた犬の呪霊の残骸を、憎々しげに睨みつける。手数を増やすために余程の小物でない限りは自分に呪霊を取り込むのに、珍しく夏油は迷わずこの呪霊を祓っていた。

 

夏油は怒っている。

だってきっと、夏油の目にはこの呪霊が私をこんな目に合わせたとしか映っていないのだ。

私を好きだなどととち狂ったことをのたまう夏油にとっては、私を傷付けた呪霊なんて取り込むに値しないのだろう。

周囲の惨状から、どれだけ私が大変な攻撃を受けていたかも想像できるだろうし、他にも転がっていた呪霊の残骸のこともゴミを見るような目をして一瞥していた。

 

私は思わず、口元を抑えた。

云えない。

夏油にだけは、この先一生、本当のことなんて。

 

「幸音?」

 

――今夏油が祓った呪霊が、小牧先輩だったなんて、そんなこと。

 

だって夏油は先輩を慕ってた。私が嫉妬するくらいには先輩も夏油のことを可愛がっていた。

その小牧先輩を、いくら呪霊に成ってしまったとはいえ、祓ってしまっただなんて。

 

私は、初めて夏油に出会ったとき、私が前世の記憶を取り戻したあのときのことを思い出した。

あのときも、夏油はこうして私を助けてくれたのだ。

帳が下ろされていたはずの夜の学校に入り込んだ私が、呪霊に殺されそうになって、夏油が助けてくれた。

あの日がすべての始まりだった。

 

「どうして」

「……幸音?」

 

溢れた涙が止まらない。

どうしてこんなことになってしまったのか。

 

呪霊になった、両親と瑞樹。

その三人を殺した、呪霊になった小牧先輩。

 

さらにその小牧先輩を祓った、夏油。

 

蹲ったまま声も出せずに泣き続ける私の背中を、夏油は戸惑ったように撫で続けてくれた。

ありがとう、と云いたいのにそれも云えないくらいに涙が止まらず、しゃっくりあげて言葉が出せない。

 

悲しい、辛い、苦しい。

叫びだしたいほどに胸が張り裂けそうなのに、これらすべてを言葉に出来るほど私の心は強く出来ていなかった。

 

 

 

 

 

 

 




先輩をここで殺すことは割と最初から決めていたので、正直先輩が大人気になってずっと私は震えてました。夏油よりも応援してくれてありがとう、でもその人死ぬんだよって申し訳なくなりながらいろいろ書いてました。すみません。

でもここで私の中ではようやく一区切りです。
他のものも書いているので、前よりはかなりゆっくりですがまた書き進めていくつもりなのでどうぞよしなに。
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