そうして、非常に穏やかな一週間が過ぎた。
ベビーシッターと云う名のメインはロジャーさんの話し相手と時々赤ん坊二人の遊び相手兼ちょっとしたお世話、時にはレイリーさんやギャバンさんと真面目な話をしたり他の方々の雑談に付き合ったり。要は単なるお客様だ。二人ともあんまり手がかからないしものすごく私に懐いてくれて、全然大変とかそういうことはなかったし。
一度ロジャーさんに手料理が食べたいと強請られたのだけど、私は海賊王のクルーたちに『キッチンを爆破した女』として覚えられたくないのでなんとかお茶を淹れるだけで我慢してもらった。自慢じゃないけどルウにもお茶を淹れられるようになっただけで褒められるくらい未だに私はキッチンと相性最悪なのだ。個人的にこの時代に来て一番の修羅場はここだった。
あとは赤ん坊たちが寝ている間はゆっくり借りた本を読ませてもらい、時々はロジャーさんに連れられて買い物に付き合ったり。なんだか妙に欲しいものはないかとか訊かれたけど、ないですよ。私昔から欲しいものは自分で買うタイプなので。このやり取り昔お頭ともしたなぁ、なんて思いながら答えると、ロジャーさんは拗ねたような面白くなさそうな顔になってしまった。私、さすがに海賊王に貢がせるほど恥知らずじゃないんですよね。
穏やかで楽しい、なんなら充実していたと云えるような日々を過ごしていた。
そう、悲しいほどに穏やか。
つまり。
「何もわからないまま、一週間……」
「やっぱうちに来るか?」
「い、いやぁ……」
あんまりにも何もなさすぎて、一瞬それもいいかも、なんて思ってしまった。危ない危ない。元の時代に帰れないって確定するまでは私は諦めませんよ。
とはいえ、この街にこれ以上いても何も収穫はなさそうだ。
そうなると、どうするか。
天才科学者であるドクター・ベガパンクならもしかしたら何か知っているかもしれないけれど、政府側であり居場所を秘匿されている彼を今の私が見つけて話を聞く、というのは現実的じゃない。
かといってそれ以外に頭のいい人なんて思い当たるはずもなく。
……いや、あった。
正確には個人ではなく、そこに住まう人。
私が小さい頃に悲劇が起きた、賢人の住まう島の人々。
もしも私が歴史学者なんてやってなければ、一生知ることのなかったであろう島。
「……ロジャーさん、レイリーさん。オハラって知ってます?」
「オハラ?」
「ああ、考古学の権威が集まってるっていう?」
レイリーさんの言葉に、頷く。
オハラ。【全知の樹】を有し、世界中の歴史的に重要な資料が集められた図書館があるという。それを目当てに世界中から多くの考古学者が集結し、日々研究がおこなわれている。
私の時代では世界政府の凄惨な犠牲になってしまった、尊ばれるべき知恵の坩堝。
彼らならば、この突拍子もない話を笑わずに聞いてくれるだろうし、打開策を考えてくれるかもしれない。歴史に関係ないから知らね、と云われたら泣こう。
だとしても、純粋に歴史学者として興味深い場所なのだ、オハラは。
「そうです。自分の……船に戻れないなら、ちょっとそこに行ってみたいんですよね」
「だがあそこは定期船もねぇような場所だぞ?」
「うわマジですか。ここから行くのはものすごく大変だったりします?」
「大変だな」
断言されて、頭を抱える。
まぁ島の存在意義的にそんなに気軽に行ける場所じゃないのはわかってたけど、移動手段がないとなると絶望的だ。ワノ国ほどでなくともほとんど鎖国状態の閉鎖的な島だというし、オハラに向かう船を探すのも苦労しそう。
最終手段はなるべく使いたくない。ていうか今この時代で使えるかもわからないし、あとでちょっと確認しなければ。念のためにね。
どうしたもんか、と考えていると、ロジャーさんが何故か目をキラキラと輝かせている。
い、嫌な予感。
「行きてぇなら送ってってやろうか?」
ほら。
私は思わずレイリーさんと顔を見合わせた。酷く疲れたようにゆっくりと首を横に振ったレイリーさんを見て、これがロジャーさんの唐突な思い付きであることを知る。
「いやいや駄目ですよ、私のせいで航路変更なんてさせられませんよ」
「でもエンは困ってるだろ」
「そうですけど、でもロジャーさんは困ってる人を助けるのが趣味なわけじゃないでしょう?」
「そりゃ、まぁ」
「じゃあ駄目です。あなたはあなたの海を進んでください」
「うぬぅ」
納得出来なさそうに口をへの字にしても駄目です。可愛いけど甘えられません。
「とにかく、今日で約束の一週間です。この後は私一人でなんとか頑張ってみますから、ロジャーさんはご自分の航海を楽しんでくださいね」
「なんだよエン~、寂しいこと云うなよぉ」
「ぎゃっ! ちょっとロジャーさんくっつかないで締まる内臓出る二つに折れる!!」
「……お前もうちっと可愛げのある声出せねぇのか」
「存在が可愛くて余りあるんだから十分でしょうが!!」
「おれ、お前のその可愛さに絶対的自信があるところ好きだ」
「そりゃ、どう、もっ」
「お前ら、本当に仲良いな」
呆れたようなレイリーさんに私は、『今の状況見てそれ云います!?』としか叫べなかった。
◇◆◇◆
最後の夜は賑やかに宴を開いてくれた。
レイリーさんと私が説得した末、明日の朝には出航することになった若きロジャー海賊団。私は明日の朝見送りに来ることになっている。ロジャーさんが熱烈に見送りをご所望してくれたからだ。そりゃもう駄々をこねる子供みたいに。あのときのレイリーさんの顔、育児に疲れたパパみたいでちょっと面白かったです。
この一週間、みんなは私にとても良くしてくれた。最初はちょっと怪しまれていた感があったけど、持ち前の愛嬌と可愛らしい笑顔を振りまいていたらいつの間にか絆されてくれた。
あとはロジャーさんが私を可愛がってくれたっていうのも大きいんだろう。暇さえあれば私に構い倒す様子を見てたら、私を警戒する意味なんてないって思ったんだと思う。
もしかしてロジャーさん、そこまで計算して私に構ってたのかな。だとしたらすごい。すごいけどどこで何をするにもくっついてくるのはちょっと勘弁してもらいたかったです。
とにかく、たった一週間、されど一週間。
シャンクスとバギーも随分私に懐いてくれたからお別れは寂しいけれど、いつまでも甘えているわけにはいかないのだ。私はなんとかして自分の時代に帰る方法を探さなければならなくて、それにロジャーさんたちを付き合わせるなんて出来ない。だってもう、すでに一週間もこの人たちの時間をもらってしまったのだから。
せめて最後くらいは楽しい思い出を作りたくて、私は宴を目いっぱい楽しんだ。
本来出会うはずのなかった人たちとの思い出は、優しく温かいもので締めくくりたい。
ずっとみんなで大笑いをしていて、これではいつまで経っても終わらないということで、名残惜しいけど私はお先に失礼することにした。このままいたら泣いちゃいそうだったし。明日の朝の見送りは、元気な笑顔でしたいから。
すると、ロジャーさんが宿まで送ってくれると申し出てくれた。
この街は比較的治安が良いし、宿も港から離れているとはいえそんなに遠くない。この時間ならまだ通りにも人がいるだろうから大丈夫です、と遠慮したのだけれど、レイリーさんを始めギャバンさんたちまで遠慮するなと云ってさっさと私たちを船から追い出した。酷い。
しかし、実はまだちょっと一人で出歩くのは嫌だったので、正直ありがたい。本当にいいんですか、と問えば、ロジャーさんは笑いながら私の背中を押して歩き始めてしまう。もう、強引なんだから。でもその強引さに今は救われてる。
「ロジャーさんに送らせるって、とんでもない贅沢をしてる気分です」
「わはは、ありがたがれありがたがれ! いいんだぞ~ありがたいついでにおれに惚れても」
「やだぁロジャーさんたらおもしろぉい」
ニコニコと返せば、面白くなさそうに下唇をむいっと出すロジャーさん。可愛い拗ね方しないでほしい。もうこの一週間で海賊王の解像度上がりまくりですよ。
「んで、帰る方法はまだわからなさそうなのか?」
「さっぱりです。でも、何の意味もなくこんなことになる気はしないんですよねぇ」
「つまり?」
「可能性その一、私がこの時代ですべきことをしていないから帰れない。可能性その二、そのすべきことが今じゃない、あるいはまだ条件を満たせる状況じゃない。可能性その三、一番怖い運命のいたずら」
指を一本ずつ立てながら云えば、ロジャーさんはふぅむと考えるように首を傾げた。
今私が挙げたのはパッと私が思いついた可能性であって、もしかしたら他に理由があるのかもしれない。
どっちみち、何もわからない現状は変わらない。
どうしたもんですかねぇ、と返事を期待しない問いかけをしてみると、ロジャーさんはポンと私の頭に手を置いた。
「もし本当に帰れないなら、遠慮するなよ。おれはお前が好きだから、助けてやりてぇ」
「……思った以上にお人好しですよね、ロジャーさん」
「おれぁ可愛い女には優しいんだ」
「ふふ、可愛くてよかった!」
茶化すように笑わなければ、うっかり泣いてしまうところだった。
多分、ロジャーさんはそんな私の心境を見抜いていたんだろう。優しく笑って、また頭を撫でてくれた。これは私にお頭という相手がいなければ惚れちゃうところだった。ロジャーさん、かっこよすぎる。
そうして何事もなかったようにおしゃべりをしながら歩き、あと少しで宿に着く、というタイミングだった。
ふと、声が聞こえたような気がして私は思わず足を止める。
するとどうやらロジャーさんも同じだったようで、二人で顔を見合わせた。
「……ねぇロジャーさん、今の聞こえましたか?」
「聞こえた」
少し考えて、頷き合い。私たちは声がした方向に足を向けた。
それは細い裏路地で、当然ながら灯りなど一つもない。この一週間何度も通った道なのに、今初めて気付いたような路地だ。本当にこんな路地今まであっただろうか。
一人だったら絶対近付かないような場所だけれど、今はロジャーさんがいる。おかげでちょっと気が大きくなっている私が迷わず先を進むと、すぐ後ろにロジャーさんがいてくれたから何も不安はなかった。
そうしてしばらく無言のまま歩く。
灯りもないし月明りもほとんど通らず、物音一つない場所に私たちの足音だけが聞こえた。
異様な場所だと思う。
けれど、何故か怖くはない。
すると、急に開けた場所に出た。四方を窓のない建物に囲まれた、ぽっかりと開いた大穴のような場所だった。
「……ここ、ですよね?」
「ああ、一本道だったしなぁ」
当たりを見渡しても当然ながら誰もいない。
けれど声はこちらから聞こえてきた。私だけだったら気のせいだと思うけれど、ロジャーさんも聞いているのだ。間違いはないはず。
警戒しつつも足を進めて、気付いた。
中央に、何かある。
「あれは……」
「これだな」
思わず足を止めてしまった私とは裏腹に、ロジャーさんは迷わずそこに向かって歩いていた。怖いもの知らずかよ。いやでもそうだよね、そういう人だよねロジャーさん。さっすが海賊王。
慌てて私もロジャーさんを追いかけて、手元を覗き込めば。
「……本?」
そこにあったのは、一冊の本だった。
本というか、紙の束というか。
装丁は本そのものだけど、表にも裏にも背表紙にも何も書いてない。本の題名はおろか、著者すらも。
真っ白なただの冊子のような本を、ロジャーさんはぱらぱらとめくった。すると中身も真っ白。最初から最後まで、まったくの無地。
なんだこれ。
逆さまにしてパタパタと振ってみても何も落ちてこないし、もしかしてただのスケッチブックだったのだろうか。でもこんな分厚いスケッチブックあるか? 5cmくらいあるよ。
というか、私たちは声の方向に歩いてきたはずなのに誰もいないじゃん。
ここに続く道は私たちが今通ってきた細い路地だけのようだし、周囲の壁も妙にツルピカで何かをひっかけられるようなものじゃない。
ってことはこの存在感が半端ない本が私たちを呼んでたってこと?
え、待って急にホラー展開なの聞いてない。
二人で首を捻りながら、今度は私が受け取ってもう一度ゆっくりページをめくってみた。
するとどうだろう。
丁度半分くらいのところに、さっきは気付かなかった文字を発見した。
「『ありのままの君には価値はなく、半分になって初めて意味がある。真ん中の君は星を見上げて何を思う?』」
「……どういう意味だ? つーかお前、この字が読めんのか?」
読み上げた私に、ロジャーさんは驚いたように云う。
え。
しまった、普通に読んじゃったけどこれ古代文字だった。
いやちょっと待ってちょっと待って、あれ?
「ロジャーさん、この字読めないんですか?」
「読めねぇよ。今までいくつかこの字が書かれた石を見つけたが、さっぱりだ」
念のため写しだけは取ったが、と肩を竦めたロジャーさんに、私は愕然とした。
私はてっきり、かのゴール・D・ロジャーもこの古代文字が読めるのだと思っていた。だからこそ【ロード
でも、この様子では本当にロジャーさんは古代文字が読めていない。
どういうことだ。
いや、それも気になるところではあるけれど、今はこの本だ。
それに、この言葉。
『ありのままの君には価値はなく、半分になって初めて意味がある。真ん中の君は星を見上げて何を思う?』
どういう意味だろう。暗号だろうか。
というかそもそも、古代文字で書かれている時点で暗号のようなものなのに、更に謎かけって。
ロジャーさんも言葉の意味がわからないようで、少しの間私たちは二人で首を傾げていた。
「ありのままの君って、誰のことでしょう」
「この字が読めるやつじゃないと意味ないよな。ってことはエンか?」
「心当たりがなさすぎます……私、そもそもこの時代の人間ですらないんですよ?」
「だよなぁ。しかも半分になって意味があるってのもわけがわからん」
「はい。人や生き物は半分にはできませんよね」
「おれァ出来るぞ」
「今怖い話してないんですよ」
「怖いか? ……じゃあ、物ってことか」
「でもこれって暗号ですよね。そんなに単純な話かなぁ」
「うーん」
「うーん……」
ロジャーさんと相談しつつ何度か頭の中で書かれていた言葉を復唱していた私は、急にハッと閃いた。
まさか、そういう意味?
だったら、二人でここで頭を悩ませていても意味はない。
「ロジャーさん、船に戻りましょう」
「は? 宿じゃなくていいのか? あ、おいエン!」
私は慌てるロジャーさんを置いて、本を手に取り元来た道を戻った。
すぐに追いついてきたロジャーさんは、訳が分からないという顔をしている。
私もわからないんですよ。
でも、やらなくちゃ。
さっきはのんびり歩いたもと来た道を今度はほとんど駆け足で戻り、オーロ・ジャクソン号の連絡橋を渡れば、レイリーさんたちはまだ飲んでいた。これはもしや朝まで飲むつもりなんだろうか。私が知る年齢より若いとはいえ若者とは云い難い人たちが多いのに、元気よね。さすが身体が資本の海賊業。
なんて感心している場合ではなく。
戻ってきた私に目を白黒させているレイリーさんの前に、私はさっき回収した本を置いた。
「レイリーさん。この本を真ん中で綺麗に真っ二つに切れますか?」
「エン? お前宿に戻ったんじゃ」
「あー、まぁちょっとな。それよりレイリー、頼むぜ」
「いや、こんなもん切るだけだったらロジャーでも出来るだろ」
何故私がわざわざ船に戻ってきたのか。
そりゃあ、ロジャーさんだって剣を持っているのは私だって知っている。幸いなことにこの一週間は平和そのものだったおかげでその腕前を目にすることはなかったけれど。
でも予想で申し訳ないけど、ロジャーさんの剣技はどちらかというと豪快なものなのだと思う。戦いになると繊細になるギャップ萌えな戦闘スタイルだったら重ねて申し訳ない。
とにかく、今私が必要なのは豪快さではなく、非常に繊細なもの。
「断面がズレたら意味がないんです」
「どういうことだ?」
「お願いしますレイリーさん、多分もう時間がない」
細かいことをすべて説明している暇はなかった。
何故か、今私はものすごく急がなければならないような気がしていた。
じりじりと、背後から何かが迫ってくるような、そんな感覚に襲われている。
もしかすると、と一つの予感があった。
タイミングがいいのか悪いのかまったくわからないけれど。
私の焦りが伝わったのかはわからないけれど、怪訝そうに私を見ていたレイリーさんは、ややあって一つ息をつき、剣を抜いてくれた。
そうして、再度丁度真ん中をお願いします、と念押して本から一歩距離を取る。
するとレイリーさんは、集中するように何度か呼吸をして、一閃。
速すぎて私の目にはどうなったかわからない。どうだ、と確認されたときにはすでにレイリーさんは剣を鞘に納めていた。
ハッとして確認すると、本は見事に真ん中で真っ二つ。一ミリたりともズレのない、素晴らしい仕上がりだ。
「――完璧です、ありがとうございます」
お礼を云ってから、私は本の真ん中、背表紙側ではなく小口側の断面を慎重にずらした。
すると、そこに浮き上がったのは。
「斜めにした断面に、これは……あの石に刻まれていたのと同じ字か」
感心したように呟いたロジャーさんに頷く。
どういう仕組みなのかとかは全然わからない。だってこの本、本当に真っ白なのだ。真ん中にあったあのメッセージ以外、どのページにも何も書いていない。凹凸もないし、ただまっさらな紙だったのに、こうして今は断面にメッセージが浮かび上がっている。当然のように古代文字。いやもう不思議が起きすぎて頭痛くなってきた。
が、頭痛に悩んでいる暇もない。
だって本当に、私には時間がないから。
気を取り直して私は古代文字が読めないロジャーさんたちのためにメッセージを読み上げた。
「『君に出来ることは多くある。だからこそ考えるべきだ。すべきことと、すべきでないことを』」
――考えたことはないか? なぜ君は何でもできるのか。
――だけどそれは唯一無二ではない。
――君はなんでもできるけれど、他の誰にもなれない。
――だけど誰にでもなれてしまう。
――君は君である以上に、けれど誰でもない。
――君は君であるために、常に選ばなければならない。
――例えば今、君がここにいるのはなぜなのか。
――君でなければならなかったのなら、その理由を。
「――……」
読み終えて、私は思わず自分の口を覆った。
「……エン?」
なんてことだろう。
偶然じゃなかった。事故じゃなかった。
私は、この時代に
「これが、私がこの時代に呼ばれた理由」
よろめいた私を支えるようにロジャーさんの手が肩に触れる。
優しい人。
一週間前までは手なんて届きようもないほどに遠い場所にいた、ロジャーさん。
今はこんなに近くにいるなんて、一体誰が予想できただろう。
「エン。大丈夫か?」
心配そうにかけられる声に、私は頷くことはできなかった。
大丈夫ではない。
読んだだけでは意味がない。
伝えなければ。
大きく息を吸い、震えそうになる身体を叱咤して。私は、この一週間私に差し伸べ続けてくれていたロジャーさんの手を両手で握った。
祈るように、願うように。
こんなたいそうな役目が何故私に与えられたのかはわからないけれど、逃げ出すなんてできない。
だって私は、海賊王ゴール・D・ロジャーがいる未来を生きていたいから。
「ロジャーさん。この先の冒険で、【
「何?」
「今のあなたにとっては意味の分からない代物かもしれないけれど、いつか必ずあなたの役に立ちます」
現状では有名な海賊の一人であるだけのロジャーさんは、今から十数年後には海賊王になる。
だけど、ただ単に冒険をしているだけでは駄目なのだ。
道しるべが、必要だった。
最低条件が【ロード
ただそれは、私ではない。
きっとこれから先の冒険の中で、ロジャーさんはそれらと出会う誰か。
私の役目は、この人にそれを知らせることだった。
だから、今この瞬間、私の役目は果たされた。
それはつまり、この時代に私が留まる理由がなくなったということで。
「え、エン、身体が……!?」
来るときは唐突だったのに、どうやら帰るときは多少の猶予が与えられるらしい。ありがたいようなありがためいわくなような。
足元から、私の身体は透明になっていく。意識ははっきりしているけれど、徐々に元の時代にひっぱられている感覚だ。どういう仕組みかとかもう考えるのはやめた。
けれど、この身体がすべて透明になったとき、私は元の時代に帰っているのだという確信があった。
戸惑うロジャーさんたちに、私はヘラリと笑って見せる。
「どうやら時間切れみたいです」
「な、い、今……!?」
そう、今。
驚きにざわつくロジャーさんたちに、私はゆっくりと頭を下げた。
消える前に、これだけは云いたかったから。
「ロジャーさん、レイリーさん、それにみなさん。あなたたちにお会いできて光栄でした」
出会うはずのない人たちだった。
本や人伝に聞くこの人たちはどこか現実離れしていて、実は物語の中の人物でした、なんて云われても納得できるほど多くの偉業を成し遂げた人たち。
だけど、物語なんかじゃない。
現実に、この人たちは生きていた。
それを知ることが出来た私は、とても幸運だった。
どれだけ感謝を伝えても伝えきれないほどに、私はこの人たちとの出会いに感謝をしている。
私の言葉に、本当にこれが最後だとわかったのだろう。ロジャーさんたちは言葉を詰まらせたように固まってしまっていた。まぁそりゃ、目の前で人が透明になったらびっくりするよね。トラウマにならなきゃいいんだけど。
気付くと、先に寝かしつけていたはずのシャンクスとバギーが甲板に上がってきていた。いつもと空気が違うことを察してか、不安そうに私を見上げている。
おいで、と笑いかけると、二人は嬉しそうに駆け寄ってきてくれたので、私は思いっきり二人を抱きしめてあげた。
優しい体温。
遠い未来で出会う二人。
「シャンクス、バギー。またね。……むこうで待ってる」
よくわかっていない様子できょとんとする二人に、私はもう一度笑いかけて頭を撫でてから立ち上がり、ロジャーさんたちに改めて云った。
「どうかお元気で。あなたの名前が世界に轟く日を、心待ちにしています」
「お、おい……」
「あなたを知ることが出来て、本当によかった」
私は、笑えていただろうか。
最後の最後、私の目に映っていたロジャーさんが、私を呼んで、私に手を伸ばしているのが見えた。
それがどうしようもなく嬉しくて、悲しくて、申し訳なくて――少しだけ、私は泣いてしまったのだと思う。
◇◆◇◆
「おーいエン、起きろ~」
眩しさを覚え、目を開ける。
頭が回らないけれど、どうやら誰かがカーテンを開けたらしい。
「お、起きた」
その声に、ハッとする。
飛び起きて声の方向を見れば、そこには。
「……お頭?」
「おう、おはよ。どうした、体調悪いか? エンがこんな時間まで寝てるの珍しいから、起こしに来たぞ」
赤髪、髭面、隻腕、白いシャツとわけわからん柄のパンツ。
私がよく知る、お頭だった。あのちっちゃくて可愛いシャンクスが成長するとこうなるってやっぱ頭痛いな、と思うのは現実逃避だろうか。いやこっちが現実なんですけど。
呆然としながらあたりを見渡せば、一週間前の記憶と同じくお頭の部屋でお頭のベッドに私は寝ていた。
そんな馬鹿な。
開けられたカーテンと窓からそよぐ風から、今が昼頃なのではないかと考える。
だめだ、頭が混乱している。
「今、お昼?」
「そ、昼。まぁお前はいっつも働きすぎだからたまにはのんびりもいいけど、いきなり昼まで起きてこないのはびっくりしたぜ」
それとも昨夜も無理させちったかな、なんて笑っているお頭の言葉なんてほとんど頭に入ってこない。
じゃあ、あの一週間は?
夢だった?
いや、いやいや、いやいやいや。
あんなに濃密な夢があってたまるか。
何より。
あの出会いを、夢だなんて、思いたくなかった。
お頭のこの反応からして、私は少し寝坊しただけらしい。
仮説だが、もしかすると現実と過去とで進む時間に誤差があったんじゃないだろうか。
そして私は、眠っている間本当に過去に飛んでいた。
普通に一週間生活してたけど、意識だけが飛ばされていたとかそんな感じかもしれない。だって最後身体透けたし。それにしては随分実体感あったなぁ。
まぁ一週間私がここから消えてたらお頭はもっと大騒ぎしているだろうから、多分この説が濃厚な気がする。【偉大なる航路】ならこれくらいのことがあっても不思議じゃない。いや嘘です不思議だけど気にしてたらキリがないので気にしないふりをします。
夢じゃない。
ロジャーさんやレイリーさん、在りし日のロジャー海賊団のみなさんとの出会いは、夢なんかでは。
私は確かに彼らと一週間を過ごしたし、話したこともやったことも全部覚えてる。想像上の海賊団と出会う夢を見るような痛い癖はないと信じたい。
ロジャーさんが思ったよりも子供っぽかったところとか、若いレイリーさんがめちゃくちゃかっこよかったこととか、ギャバンさんは噂よりずっと優しくて繊細だったこととか、何より、小さなお頭とバギーの可愛らしさは、本物だったはずだ。
ベッドの上で身体を起こしたまま固まっていた私を不思議に思ったお頭が、どうした、とベッドサイドに腰掛けて顔を覗き込んできた。
お頭。
お頭だ。
小さいシャンクスじゃなくて、私が一番好きな、お頭。
会いたかった。
たった一週間だけど、寂しかった。よく考えたら昔二週間もお頭から離れてたことあるけど、よく我慢できたな。今の私には多分無理だ。
ロジャーさんたちとの別れは悲しかったけれど、それ以上にやっとお頭に会えたことが嬉しくて、私はじわりと目に涙が集まってくるのを感じた。それを隠すように、手を伸ばしてぎゅうとお頭に抱き着く。
「ぅお!?」
「……お頭だぁ」
「な、なんだどうした? いやめちゃくちゃ嬉しいんだけども」
あの一週間、楽しかった。
みんな優しくて楽しくて、退屈なんてしてる暇もないほどだった。
だけどやっぱり、お頭に会えないのが寂しかったのも本当で。
抱き着くとびっくりして、だけどすぐに嬉しそうに私を抱き返してくれるお頭の腕の中が、今は泣きそうなほどに恋しかった。
「ちょっと今日はお頭と離れたくない」
「……それはお誘いデスカ?」
「違うけど」
私の記憶では一週間前、お頭の記憶では昨夜もたくさんしたのに、この人本当に元気だな。
期待するように目を輝かせたお頭にスパッと否定すると、しょんぼりと肩を落とす。一応云っとくけど、私が昼間からそんなお誘いするわけないでしょ。するなら夜にするよ。って何云わすんだ。
ごほん、と咳ばらいを一つしてから、少し身体を離し。
「……だめ?」
ねだるように上目遣いをすると、お頭は。
「……駄目なわけないだろ」
嬉しそうに笑い、私を抱き上げた。
多分お頭は誰かに云われて私を起こしに来たんだと思うけど、ごめんね、今日だけぐーたらを許してね。お頭の膝の上に横抱きにされながらぎゅっと抱き着き返し、私は彼らと過ごした時間を思い返す。
あんな濃密な時間が夢であるわけがない。
どうして時代を遡って、更に一週間が数時間の差になっているのかはわからないけれど、そんなのどうだっていい。
私は確かに、一週間の間ロジャーさんたちと過ごした。
それが、真実。
「ねぇ、お頭」
「うん?」
「お頭がロジャー海賊団にいたころの話、聞きたいな」
驚いたように目をぱちくりとさせたお頭は、けれど嬉しそうに懐かしそうに目を細めて、昔話をしてくれた。
私が知らない、私が去った後の彼らの話。
私が、大好きになった人たちの話。
(そういや、船長たちが変なこと云ってたんだよな)
(どんな?)
(なんか、おれとバギーが赤ん坊の頃一週間だけベビーシッターがいたらしいんだけどよ)
(へ、へぇ)(私のことかー!)
(その人がさぁ、信じらんねーくらいに可愛くて最高にいい女だったって。でも船長たち全員こっぴどく振られたって)
(な、何云ってんの!?)
(な。みんなタイプ違うけどかっこいい人たちばっかりだったんだから、全員が振られるなんてありえねぇよなぁ)
(そ、そうなんだぁ)(確かに急なお別れだったけどそれを振るって表現するの、性質悪い……!)
(まぁでも、その人がどんなにいい女でもおれにはエンがいるし!)
(……ありがと)
(ちょっと会ってみたい気もするけどな)
(会えたらいいねぇ)(今目の前にいるけどね)