超絶美少女は夢を見る   作:秋元琶耶

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可愛すぎて時空すら超越した美少女のタイムトラベルの話、死ぬまで元の時代に戻れないVer.の導入。


未来の海賊女王の時間旅行・後編その二

結局、この一週間なんの進展もなかった。

びっくりするほど普通にベビーシッターして、ちょっと同情気味のロジャー海賊団のみなさんと仲良くなっただけ。いや、だけって云っても海賊王のクルーと仲良くなるってものすごいことだとは思うのだけど。

ただ、目下の目的であるはずの元の時代に帰る手がかりなんかはまったくわからないまま一週間が経過してしまったわけで。

 

ロジャーさんはもう少しここに留まってくれると云ってくれた。

でも私はそれをお断りした。

だって、これ以上この人の冒険を邪魔したくない。

ただでさえもう一週間も私に付き合って予定外の停泊をさせてしまったのだ。もう、これ以上は邪魔できない。

妙に渋るロジャーさんをレイリーさんと一緒に説得して、若きロジャー海賊団は明日の朝一番に出航することになった。なんというかわがままを云う子供を説得しているような気分で、あのとき私とレイリーさんの気持ちは確実に一つだったと思う。よっぽどシャンクスとバギーのほうがいい子だったよ。

夜には盛大に宴を開いてくれて、最後にみんなと楽しい時間を過ごせたのは本当にいい思い出になった。

 

そうして、見送りの朝。

目を覚ました私には、わかってしまった。

 

――私はもう、帰れない。

 

今までは漠然と帰れるのだろうと思っていた気持ちが、きれいさっぱり消えていた。

啓示があったわけでもないのに、だけど、かろうじて繋がっていた元の時代への糸のようなものが切れてしまった、そんな感覚。

ぽっかりと胸に穴が開いたような喪失感と、焦燥感。

手足の先が凍るように冷たく、ガタガタと身体が震えた。

 

何故。

どうして。

 

何の前触れもなく時空を超えるなんてとんでも現象に巻き込まれて、そのうえ帰れなくなるなんて、一体私が何をしたというのだろう。

私は結構堅実に生きていたと思う。

海賊とはいえあくどいことはしていないし、まぁそれなりにいいことだってしてきた。いいことをしようとしたと云うより、自分がやりたいようにした結果いいことだったって場合がほとんどだけど。

真面目に働いて、適度に遊んで、誰かに恨まれるようなことをしでかした覚えもない。

なのに、いきなり時空を超えさせられて、帰れなくなった。

 

――どうして。

 

思わず涙が零れそうになるのを、私は必死で堪えた。

だって数時間後にはロジャーさんたちの見送りがあるのだ。そのとき泣き腫らした目なんてしていたら、心配してくださいと云っているようなものである。

優しいあの人は、きっとそんな私を放っておいてはくれない。

だから駄目だ。

最後は笑顔で、気持ちよくお別れしたい。あの人たちが思い出してくれるなら、笑顔の可愛い私がいい。

泣くのも嘆くのも、そのあと。

大丈夫。

 

――大丈夫。

 

 

 

 

◇◆◇◆

 

 

 

 

別れの時間はあっと間にやってきた。

内心の動揺を笑顔の仮面の下にきれいに隠したエンは、ロジャー海賊団見送りのために港を訪れた。

朝のうちに宿はチェックアウトして、このまま内陸の他の街にむかうつもりだ。その荷物を見たロジャーが、まさか一緒に来る気になったのかと表情を明るくさせたが、エンは首を振って肩を竦める。

 

「な~エン、本当に一緒に来ねぇのか?」

「ロジャーさん、いい加減諦めてください」

「だってよぅ」

「エンを困らせるな、この馬鹿」

 

ゴヅン、と痛そうなゲンコがロジャーの頭に落ちる。お見事、と思わずエンが拍手しそうになったその相手はレイリーだ。

痛みで頭を押さえてそのまましゃがみ込んだロジャーを無視し、レイリーはエンに笑顔で手を差し出した。エンも自然と笑顔を浮かべてその手を取る。

 

「じゃあなエン。楽しかったぜ」

「はい、レイリーさん。私も楽しかったです。お世話になりました」

「世話になったのは主にうちのチビどものほうだ。本当に助かった」

 

まだエンとの別れのときだと気付かない幼い二人は、無邪気にエンの脚に絡みついている。エンの膝ほどの大きさの二人はあまりに愛らしいが、ここでお別れなのだ。

最後に二人をそれぞれ思いっきり抱きしめてやり、ギャバンやスペンサーたちとも最後に一言ずつ言葉を交わし、みんなが船に戻っていく。

エンがこの連絡橋を渡ることは、今後二度とありはしない。

すっかり全員が船上の人となり、連絡橋も引き上げられると、いよいよ出航である。

 

「みなさん、どうかお気を付けて!」

 

最高級の笑顔を浮かべ、エンは大きく手を振った。船尾に来たロジャーを含む何人かも、応えるように手を振る。おそらくそのタイミングでエンがいないことに気付いた赤ん坊二人の盛大な泣き声も聞こえて胸が締め付けられたが、こればっかりは仕方ない。

寂しいけれど、これで彼らとはお別れだ。

 

叶うはずのない出会いだった。

奇跡のような出会いだった。

過去に飛ばされるなんて理不尽極まりない状況にあっても、彼らに出会えたことだけは幸運だと思う。

今から数十年後の未来から来たエンは、これから先、彼らロジャー海賊団がなす偉業を知っている。文献で得た知識や噂のように語られる話ではあったけれど、おそらくそのほとんどが本当の出来事だったのだと、彼らと実際に接した今ならばエンにもわかる。

すごい人たちなのだ。

そんな彼らと一時でも共に過ごせたことは、忘れ難い経験になるだろう。

帰ることが叶わなくなった今、それだけがエンの心を支えるものになっていた。

少しずつ離れていく船を見つめながら、せめて彼らの姿が見えなくなるまでは笑顔でいようとエンは自分を奮い立たせた。

 

一方、航海士に指示を出し、レイリーとも最終確認をしたロジャーは、最後にもう一度だけ港を振り返った。

後ろ髪をひかれすぎている自覚はあるが、それでも最後にエンの姿を目に焼き付けておきたかったのだ。

エンがこの時代の人間でないことは、ロジャーだけが知っている。それでもなんとか連れていきたいと思っていたのだが、どうも見た目の可愛らしさとは裏腹にエンは意志が強く頑固だった。口もよく回るから云い包めることも難しそうだったし、エンなりに考えがあるのだろうと思い勧誘は断念した。ものすごく残念だが。

するとエンはまだ船を見て笑顔を浮かべていた。ずいぶん小さくなってしまったけれど、相変わらず可愛い笑顔だ。

 

――が。

 

ロジャーは、気付いてしまった。

そうして、息を飲み。

ギャバンと話していたレイリーに振り返りもせず云った。

 

「レイリー」

「なんだ?」

「エンを連れてくる。船は止めずにこのまま進め」

「は?」

 

レイリーが怪訝そうに眉を顰めるのも気にせず、なんとロジャーは動き出した船から港に向かって大きく飛んだ。レイリーが止める間もなかった。

普通なら到底届きっこない距離である。

しかし、幸か不幸か、ロジャーは普通ではない。

余裕でエンの立つ港に降り立つと、突然の出来事にあっけにとられて固まるエンを何も云わず了承も取らずに抱き上げた。

当然、エンは驚く。

反射でロジャーにしがみつきながらも、戸惑うように口を開いた。

 

「ろ、ロジャーさん、どうして」

「やっぱ駄目だ。連れてく」

「え?」

「舌噛むぞ。口閉じとけ」

 

云うや否や、ロジャーは再び跳躍してすでに出航していたオーロ・ジャクソン号に飛び乗った。

どこか開き直ったように晴れやかな表情のロジャー以外の全員が状況を把握できていない。もちろんエンもである。

丁寧に甲板に降ろされたが、あまりの衝撃に腰を抜かしたようでその場にへたり込んでしまっている。

無理もない、とロジャー無茶苦茶ぶりには慣れているはずのレイリーたちでさえ思う。

 

「どういうことだロジャー」

「だから、エンを連れてきた」

「同意は?」

「訊いてない」

「おい」

 

昨夜、再三のロジャーの勧誘にエンははっきりと一緒には行けないと断っていた。

気持ちは嬉しいがそれだけは駄目なのだと、少し寂しそうに笑っていたのをレイリーは覚えている。だから、同意を得ずにつれてきたのだとしれっとロジャーが云っても、だろうな、と思った。むしろあれだけ頑なだったエンを説得できたと云われたほうが正気を疑うかもしれない。

さらに、何が起きているのか理解できないように呆然と座り込むエンの姿を見れば、確かにその通りであったのだという確信を得る。きっと説明らしい説明などされずに強制的にここまで連れてこられたのだろう。

 

気の毒だと思う。

こんな男に気に入られてしまったばっかりに。まぁその厄介な男に一番最初に目をつけられた上に何十年も一緒にいる自分には云われたくないかもしれないが。

とはいえこのままエンを放置するわけにもいかないだろう。

損な仕事だと思いつつ、真っ青な顔をしているエンの隣にしゃがみ込んで声をかける。

 

「おーいエン、大丈夫か?」

「…………」

「すまんな、ロジャーのやつが。まぁこれも運命だってことで諦めてくれ」

 

まさか数十年前に自身がロジャーに云われた言葉を使うことになるとは思っていなかったが、しかしそういうことなのだ。

ロジャーという男に目を付けられた以上、逃げるすべはない。

しかも、おそらくだがロジャーのエンへの執着は並ではないのだろう。これは長年ロジャーという男の傍にいたレイリーの勘だが、外れていない確信があった。

そもそも、最初の出会いのときからそんな予感はしていたのだ。

普段は単に見た目が可愛いだけの女なんて見向きもしないくせに、エンのことはレイリーと一緒になって追いかけた。確かに船の名前も自分たちの名前もすべて知っていたエンのことを奇妙に思うのはわかるが、それだけではないのではないかとレイリーの勘が囁いていた。

 

しかも追い打ちをかけるように、海賊らしく男らしく、ロジャーだってそれなりに女遊びをする。どこの街でも滞在期間の半分ほどは女のところで過ごすなんて珍しくもないのだ。

それなのに、今回はエンにべったりだった。

何やらエンには隠し事があり、それをロジャーは聞いており、すべてをレイリーたちと共有しているわけでないのはわかっていたが、それにしてもあからさまだった。

あれでエンを気に入っていないなんて云ったらそれこそ冗談だろう。

 

諦めろ、というその言葉にピクリと反応したエンは、青い顔のままゆっくりとレイリーを見た。

さぞ落ち込んでいるのだろうと思ったのだけれど、おや、と思う。

動揺はしているかもしれないが、それ以外に燃え上がる感情がその目には宿っていた。

 

「……いやいや」

「エン?」

「いやいやいやいや何してくれてるんですか」

 

次の瞬間勢いよく立ち上がり、すぐそばですました顔をしていたロジャーにエンは食って掛かった。

 

「私云いましたよね。一緒には行けないって。あなた、納得してくれたんじゃなかったんですか?」

「納得は別にしてねぇよ」

「だとしてもどうしてこんな騙し討ちみたいに無理やり船に連れてきたんです? 動いてる船から降りるなんて芸当、私には出来ないのに」

「出来ねぇと思ったから船動かしてから連れてきたんだ」

「確信犯ってこと? 最悪……!!」

 

その姿はさながら大型肉食動物に果敢に立ち向かう小型草食動物のようだ。サイズ的に。

エンのように華奢で小さい可愛い女が、ロジャーのように筋骨隆々でたくましい男に勝てるはずもないのに、負けん気だけは強いらしい。

何を云ってもしれっと返すロジャーに頭を抱えて唸ったエンは、ややあって怒りに染め上がっていた表情を一切消しす。そして荷物を持って歩き出そうとした。その腕を掴んで止めたのはもちろんロジャーである。

 

「どこ行くんだ」

「降ります」

「お前さっき自分で云ったろ、動いてる船から自力じゃ降りられねぇって」

「怪我してでもなんでも降ります。一緒には行けないもの」

「なんで」

「なんでって、あなたが云うの!?」

 

勢いに任せてロジャーの手を振り払い、振り返ったエンはほとんど泣いていた。悲鳴のような声で叫び、ロジャーを睨みつける。

レイリーたちには意味の分からない言葉だが、ロジャーだけは正しくエンの言葉の意味を理解していた。

 

エンはこの時代の人間ではない。

本来ここにはいるはずのない異物。

そんな自分がロジャーたちと一緒にいるわけにはいかないと、そう云っているのだ。

ロジャーもエンの云いたいことはわかる。

けれど、そんなこと、どうでもいい。

 

「なぁエン。お前なんで泣いてたんだ」

「は!? 泣いてませんけど!?」

「おれたちと別れるのが寂しくて泣いてたってんなら、百歩譲ってわかる。だが本当に寂しくて泣いてたのか?」

 

そもそも泣いていない、という言葉は無視されたままだが、ここでそれを云ってもまた無視されるのだろう。舌打ちを堪えながらエンはロジャーから目を逸らす。

 

「関係、ないでしょう」

「ある」

「ありません」

「あるっつってんだろ」

「あるわけないでしょ!! 私がいつどこでなんで泣こうが、あなたには関係ありません!!」

「惚れた女が泣いてたら泣き止ませてぇと思うだろうが」

 

何云ってんだお前、と。

さもエンのほうが非常識であるかのようにあっさりと吐き出されたセリフに、その場にいた全員が固まった。石化の魔法でも食らったような気分である。

一番最初に我に返ったのはやはりレイリーで、うすうす気付いてはいたから、まさかここまでの強硬手段に出るほどだったということに驚いただけだった。ほかの仲間たちも似たり寄ったりの反応だ。

まさに欲しいものは力づくでも手に入れる、ロジャーらしく海賊らしい。

 

しかしエンはそうもいかない。

初耳である。

好かれているとは思っていたが、可愛くて珍しい生き物を愛でるような感覚の好かれ方だと思っていた。時空を超えても自分に対する好意にだけは鈍いのは変わらなかったらしい。

ギギギとぎこちなく首を傾げ、零す。

 

「誰が誰に惚れたって?」

「おれがお前に」

「御冗談を」

「なんで冗談だって思う」

「あなた、自分が誰だかわかってます?」

「あたぼうよ」

「だったら冗談以外の何物でもないでしょう」

 

呆れて零したため息を咎められる筋合いはないと思う。

彼はゴール・D・ロジャーだ。

近い将来海賊王になる人だ。

そんな人が本気で自分を好きになるなんてありえない。

確かにエンの可愛さは非常識すぎるほどだけれど、それは海賊王の心を掴むほどのことではないだろう。エンは本気でそう思っている。

ところがエンの態度にロジャーは眉を吊り上げた。

気に入った相手にはどこまでも懐深い男だけれど、今のエンの言葉だけは受け入れるわけにはいかない。

 

「おれのことをお前が勝手に決めるなよ」

 

一週間前、呆けたように自分の船を見上げていたエンを見て直感した。

この女は手放すべきではないと、本能的にそう思った。

だからエンがレイリーの手からしれっと逃げ出した後も追いかけたのだ。いつもだったら放っておくし、レイリーが気に入ったのであれば任せていたのに。

案の定、少し話しただけでロジャーはエンに夢中になった。

可愛い上に頭がよく、ころころ変わる表情が面白い。隠し事がうまいと思っているようだが、割と顔に出ているのは指摘したら怒るだろうか。

 

身の上にのっぴきならない事情があるのはわかっている。

それでも、傍にいてほしい。

けれどエンの気持ちを蔑ろにしたいわけではなかったから、渋々ながら昨夜は諦めるしかないのかと肩を落としたのに。

港に立ち、笑顔で船を見送っていたエンが、どうしてか――泣いているように見えて。

涙なんて流していなかったのに。

それでも、声を上げてエンが泣いているように見えて。

あとはもう、ほとんど考えなしに動いていた。

ただ、あのままエンを置いていけないと思った。一人にして置いたら、エンが壊れてしまうのではないかと思った。

好きな女が泣いていたら、抱き締めて慰めてやりたいと思うのは当たり前だから。

 

ロジャーが本気だと、その目を見てさすがのエンも理解した。何故なのかは理解できないが、彼が本気で自分に惚れたのだということだけはわかった。

たった一週間前に初めて出会っただけの自分を何故、と思うが、人を好きになるなんて案外深い理由はないのかもしれない。自分がシャンクスを好きだと思ったのと同じように。

けれど、それを理解した上で、この優しい手に甘えるわけにはいかないと思う。

一度大きく息を吸い、吐き出して。冷静にエンは口を開いた。

 

「なんで泣いてたか、訊きましたね」

「おう」

 

ようやく素直になる気になったのか、とロジャーは表情を明るくさせたが、残念ながら口にするのはその真逆である。

エンはそのロジャーの表情に少しだけ罪悪感を覚えつつ、云う。

 

「帰れなくなりました」

「何?」

「朝起きて、わかったんです。私もう、元の、お頭の船に、帰れない」

 

自分一人が過去に飛ばされ、わけもわからないままに帰れないということだけがわかってしまった。

この絶望感をどうすれば表現できるのか、エンにはまだわからない。

ただ途方もなく虚無感に襲われて、死にたくなるほど苦しいけれど、それでも死ぬわけにはいかないというある種の使命感だけが胸にある。

理由なんていくら考えてもわからない。

何故自分だったのかもわからない。

だけど、どんなに絶望感に苛まれようと、自分はこの取り残された時代で生きなければならないのだ。

 

きつく握りしめたエンの拳が震えている。

ロジャーを見上げる目に嘘はなさそうだった。

しかしなおさらロジャーはエンが一緒に来ないと云い張る意味が分からない。

この時代でエンが頼れる場所がないことはわかっているのに、目の前に差し伸べている自分の手があるのに、なぜ飛びついてこないのか。

それはきっと、頼りのないエンにとってはクモの糸にも等しい手であるはずなのに。

 

「じゃあお前、どうしようもねぇじゃねーか。なんでおれに頼らねぇんだよ」

「私が頼ったら、あなたは私を助けてしまうからですよ」

「は?」

「帰れなくなったって云ってあなたの前で泣いたら、あなたは私を助けようとしてくれる。傍に置いてくれようとする。気に入ったものを手放すのが嫌いな人なのは、もうわかっています」

 

淡々と話すエンの感情はいまいち伺えない。単に冷静なようにも見えるし、怒っているようにも見える。

自分の状況を正しく判断しているのであろうエンに、ロジャーはいっそう不可思議そうに首を傾げた。

 

「だったら、」

「――私にあなたの冒険の邪魔をしろっていうんですか!?」

 

ここでエンの堪えていたものが限界を超えた。

本当は最後まで静かに諭してわかってもらうつもりだったのに、ここまでロジャーが引き下がらないのは誤算だった。

少し強引だけれど、無神経ではない人だから。事情を知っているロジャーであれば、本当に一緒には行けないのだと、話せばわかってくれると思っていたのに。

ギリギリのところで抑え込んでいた感情が爆発し、叩きつけるような叫びに思わず息を飲んだロジャーに向かって、エンは続けた。

 

「これから先、誰も見たこともない海に行く人の!! 世界が揺らぐほどの偉業を成し遂げるあなたの、あなたたちの!! 大事な航海に、私がどうして!!!!」

 

そこまで云って、エンは両手で口を覆って俯いた。これ以上は云ってはいけないことまで叫んでしまいそうだった。

例えエンが生きていた時代とこの時代が繋がっていないとしても、来るかもしれない未来の可能性を口にするのはよくないことだと思う。それが良いことであろうと悪いことであろうと、ある意味では可能性を潰すことになるかもしれないからだ。いつものエンの勘とはわけが違う。

 

エンは、ロジャーたちの成し遂げることを知っている。

すごいことだ。

誰でもできることではない。

現に、エンの生きていた時代になっても彼らに続く記録を持つ海賊は一人もいないのだから。

その冒険は、彼らだけのものであるべきだ。

ぽっと出の異物が紛れ込んでいいはずがない。

 

いくらエンが困っていても、ロジャーの優しさに甘えるのは限度がある。

一週間も、自分に時間を使わせた。もうそれだけで十分なのだ。これ以上なんて望まない。短い間でも恵まれていた。

本当は、円満に別れたかったけれど。

どれだけ理解してほしいと願っても当のロジャーが理解した上でエンを求めている以上、最終手段に出るしかないとエンは腹を括った。

ゆるゆると顔を上げ、ロジャーを見据える。

 

「あなた、私のことが好きだって云いましたね」

「お、おう」

「私あなたに気に入られてることは知ってました。そういう意味だとは思わなかったけど」

 

エンは自分に向く好意に鈍感なわけではない。むしろ、普通の人よりも鋭いほうだ。

けれどそれはあくまで友愛であるとかそういう類の好意だけで、本気の恋愛対象としての好意にだけは呆れるほどに鈍い。

というよりも、なぜか最初から自分が誰かの本命になるなんて考えてもいないのだ。今や恋仲であるシャンクスにしても、本気で愛されていると気付くのにどれほどの時間がかかったことか。

自分が可愛くて愛嬌があって、ほとんど無条件に誰からも好かれるのは当たり前という恐ろしいほどの自己肯定感の塊のくせに、本命にはならないだろうという妙な線引きをする。

諦念のような、達観しているような、何とも云えない他人との境界線。

きっとそれをエンは自覚していない。

けれどだからこそ、自覚した好意にはいつでも真摯に向き合ってきた。

 

「あなたに迷惑かけたくなくて一人になってから思いっきり泣こうと思ってたのが一番だけど、もう一つあなたの前で泣けなかった理由があります」

 

本当は。

こんなこと、誰かに聞かせたくなかった。

しかしこうなった以上、包み隠さずロジャーに聞かせるほかない。それがどれだけ彼を傷つけようとも。

 

「あなたが私を勝手にここに連れてきたんですからね。私のせいじゃないですからね。あなたが悪いんだから、せいぜい私の泣き言をしっかり聞いてくださいよ」

 

念押すように云う完全に目が座っている。エンが可愛いのはパーツが整っていることもあるが、それよりも愛らしい表情が彼女を最高に可愛く見せる要因なのだと嫌というほどに思い知った瞬間だった。

ぎろりとロジャーを睨みつけたエンは、一つ大きく息を吸い。

両手で顔を覆って俯いて。

 

「――さみしい」

 

ぽつり、と。

零れた声は、信じられないほどか弱いものだった。

風が吹けば倒れるような、つついて倒れたら二度と起き上がらないのではないかと不安になるほど、か細く震えている。

先ほどまでの威勢の良さなど完全に消え去った。

ロジャーも、誰も彼も言葉を失っている。

 

「なんでもうお頭に会えないの。ずっと一緒だと思ってた。死ぬまで一緒にいられると思ってた。私お頭の傍で、お頭たちと一緒に、海で生きたかった」

 

最初は気軽な気持ちだった。最低な云い方をすれば、ただ島の外に出るために利用したと云ってもいい。

けれど気付けば赤髪海賊団はエンにとってかけがえのないものとなっており、誰も彼も大切で、殊更シャンクスの傍にいるのがたまらなく幸せで。

彼らと離れるなんて、ここ数年では考えたこともなかった。最初のころは何かあればすぐに船を降りればいいなんて考えていたのが嘘のように、赤髪海賊団で過ごすのが当たり前になっていた。

 

「お頭がいたから私海に出たのよ。海が綺麗で怖くて広いって、お頭が教えてくれたのよ。お頭がいなきゃ、意味ないよ」

 

エンが手を取ったのはシャンクスだ。

彼がいる海で生きるのが幸せだった。

彼の隣で生きるのがエンの人生だった。

それなのに、全部取り上げられた。

泣いても喚いても、もう二度と手の届かない場所に、彼はいる。

今この場にいるシャンクスは、エンが求めるシャンクスではないのだから。

 

「寂しい、苦しい、悲しい。どうして私なの」

 

吐き出される言葉に、もちろん返事は求めていない。仮に答えがあったなら、それこそなりふり構わず元の時代に戻せと叫んでいただろう。

ただ、吐き出したかった。

 

「お頭に会いたい。みんなに会いたい」

 

声に出さずにはいられなかった。

たとえどんなにむなしくなろうとも。

 

「さみしい……」

 

覆った手の隙間から涙が零れ落ちる。

ぽたりぽたりと、とめどなく。

泣いたところでどうしようもないことはわかっているのに、悲しくて寂しくて苦しくて。いっそ小さな子供のように大声で泣けたらよかった。そうしたらロジャーもさすがに呆れて放り出してくれるかもしれない。まぁ、そんなことはないのだろうけれど。

朝起きてからずっと我慢していたからか、なかなか涙は止まってくれない。やはり、自分でも思った以上にダメージになっていたのだろう。

帰れないということよりも、二度と彼らに会えないのだという実感がエンの心を抉っていた。

会いたい。

さみしい。

改めて自分は赤髪海賊団ありきなのだと思い知って、さらに涙が溢れてくる。

何でもないことで笑いあって、しょうもないことで喧嘩して、すぐにまた仲直りして。

そういう日常が、いかに幸せであったことか。

 

ベックマンの仕事は大丈夫だろうか。油断すると書類を積み上げる癖を直さないと、いつまで経っても執務室は片付かないままで、エンが掃除をしなければ床も見えないのに。

ホンゴウと医務室で過ごす時間が懐かしい。片付けをしたり、応急処置を習ったり、時にはシャンクスにも内緒の秘密の話をしたりする時間が好きだった。

ヤソップにもルウにも教えてもらいたいことはまだまだたくさんあったし、スネイクやライムジュースとゲームの決着もついていない。ガブに虫よけに良い薬草を教えると約束していたのに教えず仕舞いだし、ボンクとモンスターと一緒に作曲の途中だった。ロックスターの熱烈な赤髪海賊団語りもまだまだ聞き足りない。

 

なによりも、もう一度、シャンクスに抱きしめてもらいたい。

名前を呼んだら子供みたいに喜んで、手を伸ばしたら迷わず抱きしめてくれてキスをしてくれる。当たり前のように傍にいてくれる。愛していると云ってくれる。

世界で一番愛しい、シャンクス。

こんなことになるなら、いっそシャンクスを好きになんてなりたくなかった。

死んだわけでもないのに二度と会えないなんて、すぐそこにいるのに彼はエンの愛した人ではないのだ。こんなにつらいことはない。

 

会いたい。

さみしい。

彼らを思い出すたびに涙が溢れて止まらない。

このままではいずれ干からびてしまうのではないか、なんて他人事のように考えていると、小さくなって泣いていたエンに覆いかぶさるようにして抱き締められた。誰何するまでもなくこの場でこんなことをするのはロジャー一人だろう。

何してくれてるんだこの人、と撥ねつけないのは今のエンにそんな余裕がないからだ。ついでに、ロジャー海賊団の衆人環視だという羞恥心も今はない。

 

「何するんですか離してください」

「嫌だ」

「私も嫌です。お頭じゃない人に抱きしめられても意味がない」

「おれで我慢しろ」

「そういう問題じゃない。離して」

「全部おれのせいにしていいから、一人で泣こうとするな」

「帰れないのは別にあなたのせいじゃないでしょう。ここで泣くはめになったのはあなたのせいですけどね」

「つかお前ブチ切れると名前呼ばなくなるタイプか」

「冷静に分析するのやめてもらえます?」

「なぁエン、やっぱお前おれたちと一緒に来いよ」

「無理です」

「だって一人でどうすんだよ」

「どうにかします」

「ところでお前の『お頭』っておれよりいい男なのか?」

「いいとか悪いとかじゃなくて、私はあの人がいいんです」

「へ、へこむ」

「だから云ったんです。……私、あなたの好意には応えられないけど、別に傷つけたいわけじゃなかったのに」

 

ツンケンしていた話し方から不意にロジャーを気遣うような声になり、思わずロジャーは両肩を掴んで身体を離しまじまじとエンの顔を見た。

まだ涙は止まっていないが、思いを吐き出したおかげでさきほどよりは幾分マシになったらしく、すんと鼻を鳴らしながらも困ったような表情でエンはロジャーを見上げる。

そんなエンのことを、しみじみと可愛いとロジャーは思った。

女が泣いてる姿すら可愛いなんて思ったのは初めてだ。別に泣く女を面倒だと思ったことはないけれど、どうせなら女はにこにこしているに越したことはないと思っていたのに。

エンは何もかも予想外の感情を与えてくれる。これはロジャーにとって感動ものだった。

改めて好きだと思う。

 

エンはといえば、これだけ自分がロジャーではない誰かを好きなのだと云えばさすがに諦めてくれるだろうと思っていた。

二度と会えないとわかってから思い知ったが、やはり自分は思った以上にシャンクスを愛していたし、依存していたのだ。トラブルはたくさんあって喧嘩もするし、これから先も平穏な幸せなんてないかもしれないけれど、それでも死ぬまで傍で生きていこうと思っていた。

たった一週間でも会えないだけで寂しくて、それがこれから先もずっとなのだと考えただけでも涙が出てくる。

もしかしたら時間が解決してくれるかもしれないが、今はまだその時期ではない。

どれだけロジャーが自分のことを好きであっても、少なくとも今のエンにはシャンクス以外の誰かの手を取るつもりはないのだ。

ただ、だからといって気の迷いでもなんでも自分を好きになってくれたロジャーを傷つけたいとは思っていなかった。出来ればこんなふうに自分が誰かを想って泣くところなんて見せたくなかったのだ。だってそれこそロジャーにはどうしようもないことなのだから。

結果としてはロジャーを傷つけてしまったかもしれないけれど、これで自分のことを諦めて船から降ろしてくれるだろう。

そうして、じっと神妙な顔で自分を見ていたロジャーが、ゆっくりと何かを噛みしめるかのように頷いて。

 

「よしわかった」

「わかってくれて嬉しいです。じゃあ船を戻して私を降ろしてください」

「要は、おれがお前の『お頭』よりエンを惚れさせれば問題ねぇってことだよな!!」

 

――は?

 

さすがのロジャー海賊団の面々も、このロジャーの発言には二の句が継げなかった。

今のはおとなしく諦める場面ではないのだろうか。いやロジャーが聞き分けよくするなんて思ってもいなかったけれど、変な方向に前向きすぎる。

あっけにとられていたエンも、ハッとして首を振る。流されてはいけない。そういう問題じゃない。

 

「……いやそういうことでは」

「ってことでエンの部屋確保すっぞー。シャンクスとバギーの隣がいいか? あ、それともおれと一緒に」

「シャンクスとバギーの隣でお願いします」

「よしきた」

 

ニカッと太陽のような、しかししてやってりというような笑顔を浮かべたロジャーに、思わずエンは口を押えた。

やってしまった。今の云い方ではこの船に部屋を用意されることを許諾したのと同じことだ。

気分で突き進む猪突猛進なように見えて、意外とロジャーはしたたかだった。

わなわなと震えるエンの肩にポンと手を置いたロジャーは、上機嫌で何人かに部屋を整えるよう指示を出す。彼らも何の文句も云わず、むしろ嬉しそうに返事をしてロジャーと一緒にわいわいと船内に入っていった。

唖然としたまま甲板に取り残された、エン。同じく甲板に残った数人から向けられる、憐憫の視線。

エンの負けだった。

 

おかしい。

予定では今頃一人で思いっきり泣いて、すっきりしてから仕事を探しているはずだったのに、と頭を抱えるエンを面白そうに眺めていたレイリーは、まぁ気の毒だとは思うので慰め程度に背中を叩いてやる。

 

「災難だったな、エン」

「レイリーさん、なんで止めてくれなかったんですか……!」

「いや~、なんでだろうなぁ」

「どうしてこんなことに……」

 

本当にわけがわからない、と肩を落とすエンだが、何度も云うがこれはロジャーに気に入られた者の定めである。こうなることは、出会った瞬間から決まっていた。かつての自分がそうだったように。

ここまで強引だったのは自分の他にはエンが初めてだな、なんてちょっと微笑ましく思いながら、レイリーはにっこりと笑顔で云った。

 

「改めてエン、ようこそロジャー海賊団へ!」

 

なんだかんだ云っても、レイリーもエンが船に乗ることが嬉しいのである。

もちろん無理やりに近い形になってしまったのは多少罪悪感があるけれど、そんなことよりもこれから先の航海にエンが一緒だというだけでテンションが上がる。

出航直後でこんなことをしている場合でないことはわかっているが、それでも云わずにはいられない。

 

「野郎ども、エンの加入を祝して乾杯だーッ!!」

 

船内からロジャーの『おれ抜きでやるなよ馬鹿!!』という叫び声が聞こえたのはご愛敬である。

とにもかくにも、めでたくエンがロジャー海賊団の一員となってしまった、歴史的瞬間だった。

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