超絶美少女は夢を見る   作:秋元琶耶

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可愛すぎて時空すら超越した美少女のタイムトラベルの話、死ぬまで元の時代に戻れないVer.の続き。
やりたい放題です。個人的にはハッピーエンドですよろしくお願いしますヒャッハー
書きたいこと増えちゃった……タノシイ


【もくじ】
1.『いや逆になんでもう怒ってないと思ったんです?』
2.『……やっぱり怒られると思います?』
3.『結果的に誰にも迷惑かけてないですよね?』
4.『お役に立てて、よかったです』
5.『キッチン爆発しなかった!』


未来の海賊女王の時間旅行・続き

1.『いや逆になんでもう怒ってないと思ったんです?』

 

 

エンがオーロ・ジャクソン号に迎えられてから数日。

持ち前の愛嬌と可愛らしさ、自分の意見ははっきりというが嫌みのない素直な性格のおかげで、エンはあっという間にロジャー海賊団に馴染んでいた。もともと海賊船に乗っていたということだったし、可愛らしい見た目の割りに潔癖すぎることもなく、むしろ時折誰よりも海賊らしい言動がみられるエンを嫌うものは誰もいなかった。

というわけで今日も今日とてちびっこ二人と戯れて非常に視界に優しいエンを見ながら、しかし船長ロジャーは不服そうに頬杖をついて唇を尖らせている。

 

「なーエン」

「なんですか。忙しいので後にしていただけます?」

「お前いっつも忙しいって云うじゃねぇか」

「察してください」

 

取り付く島もないとはまさにこのことだ。

ニコニコ笑顔をちびっこたちに向け、時折周囲の人とは朗らかに会話をしつつ、けれどロジャーに向ける声だけは氷のように冷たい。あまりのギャップに風邪をひきそうだ。

一緒に来る気はまったくなかったはずのエンをほとんど無理やり連れてきたのはロジャーだ。本意ではない形でいろいろとぶっちゃけさせてしまったし、最初の二・三日はエンに冷たくされても、彼なりにちょっとは反省していたので甘んじていた。

が、いつまで経ってもエンの態度は軟化しないのである。

まだ誰に対しても、であればわかるのだが、エンが冷たいのはロジャーに対してだけ。

これはロジャーも面白くない。

 

「おれの船なのによぅ」

「あなたが勝手に私を乗せたんです。嫌ならさっさと降ろしてください」

「ほら、それ」

 

痛烈なエンの嫌味はスルーして、ロジャーは別の理由で参ったようにエンを指さした。行儀が悪い、と指摘しようとしたエンだったが、初対面で自身も驚きのあまりロジャーとレイリーの二人を指さしたことを思い出したので今回は見逃すことにした。

そして、それ、に対する部分に首を傾げる。

 

「どれですか」

「お前まだおれのこと名前で呼ばねぇだろ」

「はぁ」

「はぁってなんだよ。それ、怒ってるときの癖なんだろ?」

 

じゃあもういいだろうが、と拗ねた子供のようにロジャーは不満げだ。

確かに、怒っている相手を名前で呼ばなくなるのはエンの癖のようなものだ。あまり意識したことがなかったが、思い返すとそうなっていたことを先日ロジャーに指摘されて初めて自覚した。

それは正しい。

なのに、なぜロジャーが不満そうなのかがエンにはわからない。

 

「あなたもしかして、もう私が怒ってないと思ってます?」

「え。だっておとなしく船に乗ってるじゃねぇか」

「それが怒ってないと思った理由なんですか?」

「違うのか?」

 

巨体の身で可愛らしくきょとんとされても困る。困るというか、呆れる。

あからさまにため息を吐いたエンは、ちびっ子二人を近くにいたギャバンに預けた。そろそろ昼寝の時間だ。いつもならばエンが寝かしつけるところだけれど、ここはしっかりロジャーと話す必要がある。心得たように二人を抱えたギャバンは、半笑いで船内に入っていった。同情されたような気がしたが、気のせいということにした。

確かにもう怪我してでも船から降りてやろうという考えはないけれど、それはいろんなものを諦めたからであって、決してロジャーへの怒りを消化したからではない。

 

「今私がこの場にいることと、あなたに対して怒っていないことは関係ありません」

「なんで」

「いや逆になんでもう怒ってないと思ったんです? あなた私を誘拐したんですからね。誘拐犯をあっさり許せるほど私の心は広くありませんよ」

「誘拐って人聞きの悪ィ」

「会話してるだけましだと思ってください」

 

すげなく云って、ギャバンと子守りを交代するためにエンは席を立った。

話は終わりだという合図のつもりだったが、なぜかロジャーも一緒に立ち上がる。

怪訝に思いつつも無視して歩き出せば、カルガモの親子のようにロジャーはエンの後ろとついてきた。純粋に身長差から考えて歩幅が全く違うのだから、普通に歩けばロジャーがエンの後ろを歩くことはないはずなので、わざと小さい歩幅でついてきているらしい。

意味が分からない。ご苦労なことである。

つっこむのも面倒くさいので、近くで新聞を読んでいたレイリーに声をかけてエンはロジャーの存在を無視して歩き出した。

そんな二人の背中を見送ったレイリーは、二人が進展するには時間がかかりそうだなぁ、とのんびり他人事のように考えて堪えていた笑いを噴き出した。

まったく、ロジャーも厄介な女を好きになってしまったものだ。

 

 

 

 

 

2.『……やっぱり怒られると思います?』

 

 

ちびっ子二人は部屋で健やかにお昼寝中の、とある昼下がりのこと。

日当たりのいい甲板のテーブルで読書をしていたエンの前に、ご機嫌な様子で酒を持ってきたロジャーが陣取った。グラスはエンの分もあるようで、氷も入っているのは誰からの気遣いだろう。いい酒らしく、受け取ったグラスからは深い樽のような香りがした。口を付けるとチョコレートのようなコクを感じさせる温かい味わいと、繊細でエレガントな余韻が鼻を抜けていく。

 

「わ、おいしい」

「だろ。おれのとっとき」

「すごーい、あからさまなごますり」

「せっかくエンのお怒りが静まったんだから、祝いだよ祝い」

 

そんなつまんないことで、とエンは思うが、ロジャーは嬉しそうにグラスを傾けている。ここで下手に水を差すのは野暮だろう。エンは肩を竦めて笑いながら、ロジャーとグラスを合わせた。

 

エンがオーロ・ジャクソン号に乗って、もうそろそろ次の島に着く、という程度には時間が経っていた。

自分の意志を無視して無理やり船に連れてきたロジャーに対し、しばらくエンはご立腹だった。彼が自分を想って行動してくれたのはわかるが、それにしたって強引すぎる。もう少し他に方法はあっただろう、と思いつつ、おそらく何度話し合いをしても自分が素直にロジャーの船に乗ることはなかっただろうと自分の性格の難儀さをに我ながら呆れたエンである。

なんだかんだで船に残ることは受け入れたけれど、ロジャーに対してだけ怒りの態度を軟化させなかったのはエンなりの意地だった。

 

赤髪海賊団の一員であることがエンにとっては自慢だった。

きっかけはひょんなことだったけれど、出会いからこれまで一緒に過ごした九年間はかけがえのない宝物だ。

本当に死ぬまで一緒にいられると思っていたから、こんな形で離ればなれるなるのはとても悲しくて、今でも胸が張り裂けそうになる。

二度と彼らの生きるあの時代に帰れないとわかった今、それでも泣いて暮さずに済んでいるのは、悔しいがロジャーのおかげだ。

あのまま別れて一人きりだったら、朝から晩までシャンクスたちを想って泣いて過ごし、そのうち干からびていたかもしれない。

しかしロジャーが無理やりにでもエンをオーロ・ジャクソン号に乗せて海に出たから、驚きと怒りのせいで静かに泣いている暇なんてなかった。

全部ぶちまけてもロジャーはエンを軽蔑したり見放したりせず、どちらかというと余計に気に入ってエンのことが好きだと恥ずかしげもなく云い放った。冗談にしては笑えないと思ったがどうも本気らしく、それについてもエンの驚きポイントだ。あの海賊王に恋愛的な意味で好かれるなんて、自分に自信のあるエンですら考えたことはなかったのだ。

 

とにかく、最近になって漸く気持ちの整理もついてきた。

元の時代の仲間たちのことを想うとまだ心は痛むけれど、それでも前向きに生きようと思えるくらいには回復できている。

それに伴い、しばらく続いていたロジャーへのツン期も終わらせることにしたのはつい先日のこと。いい加減ちゃんと名前で呼ばないと面倒なことになりそうだったし、タイミングがよかった。

というわけで船に乗ってから初めてロジャーを名前で呼んでみると、驚いたように目を見開いてから、パッと太陽のように輝かしい笑顔を浮かべたロジャーに耳と尻尾が生えてぶんぶん振り回しているように見えたのはエンだけではないはずだ。

エンがロジャーを名前で呼んだことでお許しが出たのだとわかったロジャーは、以降暇さえあればエンに構い倒した。それこそ、寝ているときと風呂の時間以外はべったりだ。

鬱陶しいとは間違いなく思うのだが、同時にこんな大物が嬉しそうに自分について回ってくるのがうっかり可愛く思えてしまい、何ともいえない気分になりつつ突っぱねられない理由を考えることはとっくの昔に放棄した。

 

この日もエンに朝からべったりだったのだが、エンはエンでちびっ子たちの世話があるのでいつまでもロジャーに構っていられない。よほど邪魔にならない限りはスルーしてちびっ子二人の世話を焼き、時々ロジャーの世話も焼き、昼を過ぎたあたりでちびっ子たちが眠気を訴えたので、部屋で寝かしつけてきた。

二人とも男の子らしくやんちゃではあるけれど、よくエンに懐いているしよく寝てよく食べてくれるので世話自体にそこまでの大変さはないのはありがたかった。今はかなり素直だけれどイヤイヤ期が来たらどうなるやら、と将来の二人の姿を知っているだけに今からちょっと遠い目になってしまっているのは内緒である。

とはいえやはり二人が起きている時間はまだ足元も覚束ないので危なっかしくて目を離すことが出来ず気を張っているし、どうしたってエンの自分の時間というのは確保しづらい。

なので、二人の昼寝中はエンにとって漸く自分の時間を確保できるタイミングだった。

今日は天気もいいし、甲板での読書は久しぶりにのんびりできて最高だ。ロジャーが来たのは予想通りとはいえ若干げんなりしつつ、賄賂の酒はおいしいので許そう。

意外なことにエンの読書中はロジャーも邪魔をしてこないし、しばらくはそのまま読書を続けていたのだが。

 

「ぃだッ」

「どうした?」

「うわぁ……。ページめくったら指切っちゃいました……」

 

はぁ、とエンはため息を吐いた。地味にドジっ子発動である。

決して不器用ではないはずなのだが、時折こういうことをしてしまうのはもはやそういう宿命なのかと思いへこむ。しかも、普通に怪我をするよりもこういう小さな怪我のほうが何故か痛いのだ。

エンの色白の綺麗な指にぱっくりと赤い線が引かれ、ぷつりと血が盛り上がる。痛い。

軽く洗ってから手当てをしに行かなければ、と考えていたエンだったが、不意に怪我をした方の手首を掴まれた。犯人は目の前にいたロジャーだ。怪我なんて珍しくないだろうに、まじまじと患部を見ている。

もしや、こんなことで怪我をする人間が珍しいのだろうか。どれだけ脆弱なのかと逆に興味を持たれているのかもしれない。そりゃあ、海賊王になるような男がこんなつまらない小さな怪我をすることはないだろうけれど。

 

あいにく自分はみんなと違って貧弱脆弱な激弱人間なんですよ、なんてことをエンが若干自虐気味に考えていると、ぐい、とロジャーはエンの手首を少し引っ張った。

何事かと思ったエンは、次の瞬間ギクリと身体を硬直させる。

ロジャーと目が合った。

その目の中に燻る熱を、見つけてしまった。

唖然としているエンの様子に気付いているはずのロジャーは、そのままエンの指に顔を近づけ何の躊躇もなく――口に、ぱくりと含んだ。

 

「――は」

 

何が起きたのかエンにはわからない。振り払うなんて考えは頭に浮かばなかった。

ただ、ロジャーに食べられた指が、途轍もなく熱い。

ポカンとしたまま動かないエンの様子に気付いているのかいないのか、ロジャーはやりたい放題だ。まるでアイスキャンディーでも食べるようにエンの指に舌を這わせ、舐る。

分厚いロジャーの舌が先ほどの傷跡をなぞったとき、さすがに少し痛みを覚えて反射で肩が跳ねた。

 

何。

何だ。

一体何が起きている。

 

指というのは人間の身体の中でも特に神経が集中している場所なのだと昔ホンゴウに聞いたことがあったが、そのときは、へぇ、だから細かい作業が出来るんだ、くらいに思っていた。

確かにそれはその通りで、だからこそ、何をされているのかも見えなくたってわかってしまうわけで。

 

ロジャーの行動の意味に遅ればせながら気付いてしまったエンは、途端に顔面に血液が集中したのを自覚した。ドッと鳴った心臓が口から飛び出すのではないかと思った。

同時に、背中に形容しがたいびりびりとした甘い痺れが走る。

 

だめだ。

これは、いけない。

だけど自覚したときにはもうまともに抵抗するような思考能力は残っておらず、掴まれたままの手を引くことも出来ない。

しかしどうやら漸く反応らしい反応をしたエンに満足したようで、ロジャーはパッと口を離した。そして。

 

「アルコール消毒」

 

そう云って、べ、と舌を出した。先ほどまで酒を飲んでいたのだし、なんとなく云いたいことはわかる。

わかるがしかし、そんなわけがない。

 

「――ち」

 

エンは勢いよく立ち上がる。

そうして、少し目を丸くしたロジャーに、一気にまくし立てた。椅子が大きな音を立てて倒れたことなんて、今のエンには些細なことだった。

 

「血は不衛生だってホンゴウが云ってました。感染症の危険だってあるし、本もいくら清潔にしてたとしても雑菌あるし。ロジャーさん、はやく口ゆすいで来てください。ほら、はやく」

 

口調はいつも通りだが少し声は上擦っていたし、強引にロジャーを立たせたエンは背中を押してロジャーを船内に向かわせた。

本来エンの力なんかでは1mmたりとも動かないはずだが、ロジャーはおとなしく押されるままに歩いて船内に消えて行った。彼なりに少しは反省していたのかもしれない。

その背中をしばらく呆然と見送ったエンは、ややあってパッと後ろを振り返る。

 

このとき実は、すぐ隣のテーブルにはレイリーとギャバンがいたのだ。エンが甲板に来る前からチェスをしていた二人は、エンとロジャーのやり取りも当然見ていた。別に見たいわけではなかったが、隣であんなことをされたら嫌でも目に入る。

エンは無表情でレイリーの隣の席に腰を下ろした。倒れた椅子は密かにギャバンが直してやっていたが、その元の自分の席ではない。おそらく、かなり動揺しているのだろう。

まぁロジャーも本気でエンを落とす気であんなことをしたのだろうし無理もない、と少しだけエンに同情しつつ、苦笑してレイリーはエン声をかけた。

 

「ホンゴウって?」

「船医で、私のお兄ちゃんみたいな人で」

 

そこまで云ってエンはハッとしたように怪我していないほうの手で口元を抑えた。しまった、と顔に書いてある。

 

「……私、今、名前出してました?」

「思いっきり」

 

ギャバンとレイリーの頷きに、エンはバチンと顔を叩いた。焦っていたとはいえ、うっかりしすぎている。出会うことはないだろうが、赤髪海賊団のほとんどのメンバーが今この時代も存在している。万が一のことを考えて下手に名前を出さないように気を付けていたのに。

いや、と逆に考える。

それだけ今のロジャーのとった行動がエンの精神的にとんでもないダメージを食らわせた、と云うことなのだ。それこそ、いつもだったら何かあれば真っ先に相談に行くホンゴウの名前を出してしまうくらいには。

再びこの世の終わりのような深いため息を吐き出すと、エンは額をテーブルにごちんとぶつけて呻くように云った。

 

「……ロジャーさん、本当に私のこと好きなんですね」

「おいおい、まだ疑ってたのか?」

「改めてそう思っただけで、疑ってたわけではないんですけど」

 

げんなりと顔を上げたエンは、少し考えるように目を閉じ。それからハッと何かを思いついたようにしてレイリーに向き直る。

 

「ねぇレイリーさん」

「嫌な予感がするが、一応聞こうか」

「次の島で、どうせ娼館に行くでしょう? そのときロジャーさんも連れて行ってあげてくださいよ」

「なんで」

「ほら、船っていう閉鎖空間で私みたいに可愛い子が近くにいるから性欲と愛情を取り違えてる可能性もあるし、ちゃんとロジャーさんに尽くしてくれる女の人を相手にしたら目が覚めるかもしれないじゃないですか」

 

いかにも名案と云わんばかりの発言だが、男二人はこのエンの心無さすぎる発言に引いた。自分たちだって割とデリカシーはないほうだと自負しているが、少なくとも今この場で一番デリカシーがないのは間違いなくエンだ。

 

「お前それ、絶対にロジャーには云うなよ」

「……やっぱり怒られると思います?」

「というか普通に傷つくだろ。好きな女に『他の女を抱いてこい』なんて云われたら」

「でもレイリーさんならたとえ恋人がいても普通にナンパするしお茶で終わらせるわけないですよね」

「お前はおれを何だと思ってんだと云いたいところだが、まぁその通りだな」

「エン、レイリーと船長を並べんなよ。少なくとも今のロジャー船長はエン以外の女にゃ興味ないぜ」

 

ずばりとレイリーを切り捨てる正論を云うギャバンに、がっくりとエンは項垂れた。

わかっている。

自他ともに認める女好きであるレイリーと、それなりに女遊びはしても決して軽薄なわけではないロジャーは全然違う。

一途、というべきかどうかも判断はつかないが、ギャバンの云う通り、エンを好きだと自覚したときからロジャーは一切の女遊びをしていない。島に降りたときに声をかけられても適当に話すだけで終わらせるし、飲み屋で隣に座った女と必要以上にべたべたしたりもしなかった。全く他の女をシャットアウトするわけではないが、健全な他人との距離に止めている、とでもいうべきだろう。

別にエンがそうして欲しいと云った覚えはない。むしろ自分など気にせずバンバン遊んできてほしい。

 

ロジャーのことは好きだけれど、それは尊敬とか敬愛とかの一種であり、かつてマルコに向けていた恋心とも、シャンクスに向けていた愛とも違う。

何より海賊王の隣に並ぶのに、自分は何もかもが足りていない。

そもそもこの時代に存在するはずのない自分が誰かと恋仲になるなんてありえない、とエンは心底そう思っている。

たとえ相手が誰であろうと、だ。

だから、ロジャーに好きになられても困る。嬉しい以上に返せる言葉がない。

 

何より、殊恋愛関連においてエンは自分の不器用さを自覚している。

簡単に云うと、シャンクスを愛している状態で他の誰かと恋愛なんて出来ないのだ。浮気や二股なんて考えたこともない。

性欲も強いほうではないから、誰でもいいから抱いてほしいなんてことも思わないし、どんな男前に誘われても靡かない自信がある。どれだけロジャーに口説かれようと、少なくとも現時点ではまだシャンクスのことが忘れられないエンは応えることは出来ない。

しかしそれはイコール"ロジャーを傷付けてもいい"わけではないから、やっぱりロジャーの好意はエンを困らせるだけだった。

 

「なぁ。エンはロジャー船長が好きじゃないのか?」

 

ギャバンの不思議そうな言葉に、エンは即答できなかった。

好きも嫌いも、云えなかった。

 

客観的に見て、ギャバンもレイリーも、二人の関係はとても良いものに思えている。

少しロジャーがエンに傾倒しすぎている感もあるけれど、それをエンがうまく距離感を取っていて常に丁度良い距離感を保てているのだ。

エンはロジャーほどの男に愛されていることを鼻にかけるわけでもないし、普段ははっきりと遠慮なくものを云うがロジャーを立てるべき場面では一歩引いてロジャーを立てている。

はっきり云って、エンのような女は希少だ。

普通はロジャーに好かれたら浮かれて自慢して、何故か自分まで立場があるように勘違いをしてレイリーたちを見下す態度を取る。あるいはすべてを手に入れた気になって逆ハーレムでも築いたと勘違いをする。

これは予想や想像ではなく経験である。もちろん、そんな頭の足りない女たちはすぐに切り捨てたが。

 

エンが泣きながら零した言葉から『お頭』とやらとエンが恋人同士であったことは想像に難くない。少なくとも、エンが『お頭』を愛しているのだという気持ちは痛いほどにあのとき伝わってきた。

レイリーたちには理由はわからないが、とにかく彼らの元には二度と帰れないのは可哀そうだと思う。

しかし、ならばそれこそ近くで自分を愛してくれる相手に手を伸ばせばいいのに、とも思うのだ。

ロジャーは懐に入れた相手にはどこまでも愛情深い。それは仲間であろうと、友人であろうと、恋人であろうと同じ事。せっかく愛されているのだから、おとなしく受け入れてしまえば楽なはずだ。

なし崩しにとはいえ船にまで乗ったのに、何を今さら足掻いているのか。

面白いからくっついてしまえ、という野次馬根性は置いといて、本当にロジャーとエンはうまくいくと思っているし、なんだかんだでお似合いだとレイリーもギャバンも思う。贔屓目を抜きにしてもロジャーはいい男で、エンはいい女だ。性格だってうまく嚙み合ってるように見える。

あとはエンが折れるだけで、なんならロジャーの気分はすでに恋人に近いだろう。おそらく早晩お手付きになると二人は予想している。むしろロジャーの性格を考えれば初日にお手付きになってもおかしくないはずなので、随分と我慢している方だと思う。

それだけエンを大切にしたいのだと思えば、なんと健気だろう。

 

しかしそんなことは知る由もないエンは、ゆっくりと目を閉じて歯を食いしばる。

ロジャーが自分を好きだという。

それは、正直、嬉しい。

嬉しいけれど。

 

「ロジャーさんには、いつか必ずあの人を幸せにしてくれる相手が現れます」

 

エンは知っている。

余命幾ばくもないはずの、海賊王という自分の影響力を理解しているはずのロジャーが、それでも子供を作ったことを。その子供を守るため、ガープと取引までしたことを。

生まれる子供をその腕に抱くこともなく、一度たりとも目にすることもなく、ロジャーは処刑された。

それでもその愛した〝誰か〟との子供を作りたかったはずなのだ。

ゴール・D・ロジャーという一人の人間を知った今だからこそ、彼が無意味にそんなことをするとは思えないから。

きっと、よほど愛した人だったのだ。

だからきっと、その人との間に生きた証を残したかったに違いない。

エンはそう思っている。

不可解そうに眉間にしわを寄せた二人に対し、けれど、と言葉を切って。

 

「それは、私じゃない」

 

どこか遠い目をしながら笑ったエンは、指の傷をそのままにしていたことを思い出し、医務室に向かった。小さい傷だと侮って細菌感染なんてしたら目も当てられない。

レイリーもギャバンもエンを引き留めなかった。

呆れたようにその背中を見送って、ゆっくりと顔を見合わせた。

 

「答えになってねぇんだよなぁ」

「それな」

 

 

 

 

 

3.『結果的に誰にも迷惑かけてないですよね?』

 

 

「エン、飯食ったら甲板来られるか?」

「あ、はい」

「ガキどもはスペンサーに預けて来いよ~」

 

鼻歌交じりのギャバンに頷きつつ、何事だろうと考える。しかもちびっ子たちは置いてこいだなんて。

基本的にエンとちびっ子二人の三人はセットだ。一番二人の世話を焼いているのがエンだし、そんなエンにちびっ子二人もかなりなついているから、自然と一緒にいることが多い。

とはいえ別に離れたら死ぬわけでもないので、二人のご飯が食べ終わり、自身も無理矢理スープでパンを流し込んだエンは云われた通りスペンサーに声をかける。すると、彼も心得たように笑顔でちびっ子二人を引き受けてくれた。どうやら最近お気に入りの絵本の読み聞かせをしてくれるようで、二人ともエンに置いて行かれることも気付かず絵本に夢中になった。

その様子を微笑ましくも寂しくも思いつつ、スペンサーもにう一度声をかけてエンは甲板に向かった。

 

そして正座させられた。

 

「何故」

「心当たりないか?」

「なんにもないです」

「ほほお」

 

笑顔のギャバンが怖い。後ろに控えているレイリーは口を挟まないと決めているようで、腕組みをして目を閉じたまま黙ってマストに背を預けて立っていた。いつもなら無条件で自分の味方になってくれるであろうロジャーはこの場にはおらず、エンには味方がいない。

が、本当に正座させられるようなことをしでかした記憶がまったくないのだ。昨日、風呂に入ろうとしたら気配を消したロジャーが後ろからついてきていて、服を脱ぐ直前に気付いてびっくりして平手打ちしてしまったことは正当防衛だと思っている。

本気で何もわからないという顔をしているエンに、ギャバンは張り付けたような笑顔を消して思いっきりため息を吐いた。

 

「じゃあ、こいつらの顔見ても何も思わねぇか?」

「へ?」

 

そう云ってぞろぞろと現れたのは、当然顔見知りのクルーたちだ。少数精鋭のロジャー海賊団なので、全員の顔を覚えているし仲も良い。

彼らはロジャーたちほどではないがよく話すクルーで、つい最近も。

そこまで考えて、あ、とエンは声を上げた。

 

「どうやら思い出してくれたみてぇで嬉しいよ」

 

再び張り付けた笑顔を浮かべたギャバンに、エンは冷や汗が止まらない。

黙っておいてくれと頼んだのに、自分ごときが隠し事なんてやはり海賊王の幹部相手には通用しないということだろうか。

 

実は彼らは、不寝番の交代をしてもらったクルーたちなのだ。

ロジャー海賊団においても、エンは不寝番の当番を割り当てられていない。一応自分も加えてくれるようにと頼んでみたものの、昼間はちびっ子二人の世話で忙しくしているエンを不寝番にするわけにはいかない、とあっさり却下されていた。

不服ではあるがロジャーをはじめレイリーやギャバンたち幹部組までその決定に賛成してしまった以上、新参者であるエンにそれ以上意見を云えるはずもなく、仕方なく他に昼間のうちに出来る仕事を増やしてなんとか釣り合いを取ろうと努力した。場所は変わっても社畜気質は変わらなかったらしい。

しかし、ここ最近、ちょっとした事情があって彼らに頼み込んで不寝番を代わってもらったのだ。

とはいえ最初から最後までではなく、ほとんどの船員が寝静まり、起きているのが不寝番だけになったタイミングで見張り台にのぼり、みんなが起きてくる直前までの数時間を交代してもらっていた。

本当は最初から最後まで交代してもらいたかったのだが、そうすると勝手に不寝番の当番を代わったことがバレてしまう。それはまずいと思っていたから、夜中の数時間だけどうしてもと頭を下げた。

当然彼らはエンが不寝番に入らない理由を知っていたから、夜はしっかり寝るべきだと断った。が、それでもエンは頑なで。結局根負けし、エンに見張りを任せて身体を休ませてもらうことにした。

本当は幹部の誰かに報告すべきだと思うのだが、それもエンが『ここだけの話』にしてしまった。

おそらく何かのはずみにそれがギャバンとレイリーにバレてしまったのだろう。

 

「で、でもでも、結果的に誰にも迷惑かけてないですよね?」

「そうだな。だが不寝番は船のルールだ。それをお前の勝手な判断で破ったのはいただけない」

 

お説ごもっともである。

ルールを破った、もとい彼らに破らせた自覚があるだけにエンはギャバンの正論に何も反論できず、グゥと悔し気に膝の上の拳を握り締めた。

 

「海賊船でのルールは絶対だ。おれの云ってることは間違ってるか?」

「い、いえ……」

「そうだな、間違ってないな。で、処分についてだ」

「処分!?」

 

あっさりと云い放たれた言葉に、エンは思わず大声を上げた。しかしギャバンは更にいたって真面目に続ける。

 

「当たり前だ。ルール破りして謝ったら終わりか? そんなに簡単なルールなら最初から作らねぇよ」

「…………ッ」

「でもエン、お前は説教だけで終わりだ。もう戻っていいぞ」

「え?」

「もともとお前は不寝番の当番に入ってねぇしな。もう二度とこんなことしなけりゃそれでいい」

「え……」

「そんじゃお前ら、覚悟はいいな」

 

ひらひらと手を振る仕草は、さっさとここから立ち去れ、ということだろう。その証拠に、すでにギャバンはエンは眼中にないように、エンと勝手に不寝番を交代したクルーたちに向かっていた。

処分。

覚悟。

心なし冷えた周囲の温度と、どこか諦めたようなクルーたちの青褪めた顔。

駄目だ、そんなの。

 

「ま、待ってください!!」

 

咄嗟に立ち上がろうとし、しかし貧弱極まりないエンの脚は正座をしていたことですっかり痺れており、不格好にその場にズベッと転んでしまった。情けない。が、そんな自分の体裁なんてどうでもいい。

痺れる脚を叱咤してなんとか立ち上がると、エンはギャバンとクルーたちの間に立って大きく手を広げる。もちろん、クルーたちをギャバンから守るように。

こんなことをしたところで、ちょっとギャバンが指を弾いただけで弱い自分は吹き飛ばされるなんてことはわかっている。

それでも、そうせずにはいられなかった。

だって彼らは何も悪くない。

自分が無理矢理頼んだから、仕方なくお願いを聞いてくれただけなのだ。

自分は説教だけで済まされるのに、その彼らは処分を受けるだなんて、そんなのはおかしい。

 

「私がお願いしたんです、不寝番を代わってださいって! みんな最初はルールだからって断ったのに、どうしてもって私が無理矢理交代してもらったんです! だからみんなは悪くない、悪いのは私だけです! 処分なら私が受けるべきです!!」

「はいそーですかってなると思うか?」

「なってください! 私のせいでみんなが処分を受けるなんてそんなの、」

「理不尽?」

「ッそうです……!」

 

丸いサングラスの奥のギャバンの目がスゥと鋭く細められる。

怖い。

簡単に自分を殺せる力を持っている相手に立ちはだかるのは心臓が縮まる思いだ。いくら普段は冗談ばかり云っている気のいい人でも、結局のところは海賊で、圧倒的な強者なのだ。

エンは自分が弱者である自覚がある。

だからこそ可愛らしい外見と愛嬌でうまく世の中を渡っている。媚びるつもりはないけれど、自分の可愛らしさが武器になることは十分理解していたから。

なるべく誰とも敵対しないのが一番で、これまでそうしてこられたのに、今回ばかりはどうにもならなさそうだ。

エンは心の中で自分の浅慮を呪った。

先手を打っておくべきだったのに、バレなければ大丈夫だと高をくくった自分が悪い。

けれど、出来れば昔からもっている不眠症のことはギャバンたちには知られたくなかった。ギャバンやレイリーが知れば、当然ロジャーも知ることになる。

長らく鳴りを潜めていたはずの不眠症の原因に心当たりがあるエンは、なるべく理由を話したくなかった。

 

「んじゃ話せ。なんで勝手に不寝番を代わった?」

 

それこそ、納得できる理由ならばギャバンたちに相談すればよかったのだ。

しかしエンはそうせず、更に後ろめたいからこそこそと隠れるようにして勝手に交代するなんて馬鹿な真似をした。

正直な話、別に勝手に当番を交代したこと事態はどうでもよかった。突発的な理由でやむなく交代することはあるし、それはクルー同士でうまく話し合っていてトラブルにならない程度なら好きにさせている。特に島に停泊しているときなんか、本来は船で不寝番の予定だがいい女をひっかけたので酒やら金やらを積んで他の仲間に代わってもらうことなんてしょっちゅうだ。

 

だが、今回は少し事情が違う。

一人のクルーからこのことを打ち明けられたとき、放っておくのはまずいと直感した。

わざと高圧的にエンを見るギャバンの視線をまともに見返すことが出来ず、エンは俯いた。そんなことをしても追及の手が止むことはないので、しばしの沈黙の後、諦めたようにエンが口を開く。

 

「……ちょっと最近、夜あんまり眠れなくて。どうせ起きてるなら少しでも役に立てないかなぁと思って」

「で、ここ十日毎日?」

「うっ……」

「一日二日ならまだ見逃してもよかった。でもな、十日も毎日不寝番なんて、罰ゲームでもやらねぇぞ」

 

そう、問題は日数だ。

なんとエンは十日間もの間、クルーと不寝番を交代していたのだ。

このことに気付いたのは、一番最初にエンと不寝番を交代したクルーだった。

不寝番は幹部以外のメンバーで回しているので、何日かに一度は順番が回ってくる。おそらく順当に当番をこなしていれば気付かなかったのだろうが、彼はたまたま十日後にも不寝番の予定が入っていた。以前怪我で不寝番を交代してもらったクルーが先日熱を出したので、そのときのお返しにと交代していたのだ。

だから、十日前と同じようにエンが不寝番を代わってくれないかと来たときに、おや、と思った。

たまたまなのかとも思ったのだが、少し気になって前日の不寝番にも話を聞いてみた。すると彼も実はエンに頼まれたと打ち明けて、まさかと思いさらにその前の日の当番に聞いても同じ答え。

ゾッとしながらここ最近の不寝番に声をかけると、エンは十日間連続で不寝番を買って出ていることがわかった。

こんなの異常だ、と思い、彼はすぐさまギャバンに報告に行った。勝手に不寝番をエンと交代したのを怒られるのは覚悟の上だった。

 

話を聞いたギャバンは怒るよりも先に呆れた。

それから事態の深刻さをみて、レイリーとロジャーにも相談した。今この場にロジャーがいないのは、ロジャーがいると無条件でエンを許してしまう可能性があり原因解明が出来ないかもしれないからで、レイリーは客観的に判断するために口を挟まないことになっている。

一方のエンはギャバンと視線を合わせないよう視線を彷徨わせ、どうやってこの場を切り抜けるか考えていた。

しかし、そんなエンの足掻きは気遣うようなギャバンの問いかけの前に呆気なく崩れ去った。

 

「エン、お前最近ずっと眠れてないんだな?」

 

ギャバンは怒っていない。代わりに、心配していた。

何か理由があるなら話してほしいし、改善できることがあるならすべきだと思う。

エンは出会った当初からすでに誰に対しても親しみやすく、初めて会ったとは思えないほどロジャー海賊団と打ち解けて馴染んでいた。

だからこそ、不眠症だなんて知って少しばかりショックだったというのもある。

すべてがそうだとは云わないが、不眠症の原因はほとんど精神的なものに起因する。

パッと見は楽しくやっているように見えるのに、実は不眠症になるほどのストレスを抱えていました、なんて。

 

「そ、その、でも、シャンクスとバギーを寝かしつけながら寝落ちしたりもしてるし、ちょっとお風呂でうとうとしたりもしてるので、全然寝てないわけじゃ」

「そりゃ寝てるんじゃなくて気絶してんだよ」

 

その通りである。また何も云えなくて、エンは目を泳がせながら押し黙った。

不寝番を交代する際、エンは彼らに不眠症気味であることは話していた。ただ眠れないから、だけでは理由として弱いと思っていたので、嘘ではないし、信憑性の高い理由は必要だった。

こんな嘘をついてまで眠れない理由をでっちあげる必要性は感じなかったから、彼らもすんなりそれを信じて、だからこそ不寝番を代わったわけだが、思った以上にまったく睡眠をとっていないエンにちょっと引いた。

しかし今思えば、深夜だろうが朝方だろうが、敵襲やら異常気象で船内が慌ただしくなるとき、エンが遅れてくることはなかった。

目覚めがいいとか気配に敏感なのかと思っていたけれど、そもそも眠っていないのであれば納得できる。

 

「たいていの生き物ってのは眠らないといけねんだ。なんでとかそういう疑問は置いといて、とにかくそういうふうに身体が出来てる。それはわかるな?」

「は、はい……」

「よろしい。で、だ。普通は三日も寝ないと精神にも異常が出るらしい。拷問の一種に眠らせないってものもあるくらい、生き物にとって睡眠は必要で重要なもんだ。そんでお前、ちょくちょく気絶してるとはいえ少なくともここ十日間夜はほとんど寝てねぇわけだが、ひょっとして自虐の趣味がおあり?」

「いやいやいやそんなわけ!!」

 

とんでもない疑惑をかかけられ慌てて否定するが、ギャバンの視線は懐疑的なままだった。

可愛いの秘訣は健康だと思っているので、エンだってたくさん眠れるものならぐっすりたっぷり眠りたい。これは本心だ。

けれどどうしても眠れないのだ。

ロジャーたちは優しいし、ちびっ子二人も可愛い。

今の時代だからこそ手に入れられる文献で研究も出来て、行ったことのない場所に行くのも楽しい。

境遇としては不遇かもしれないけれど、環境的にはかなり恵まれているといえるだろう。

 

だけど、それでも、夜になると不安でたまらなくなる。

自分がここにいるのは何かの間違いで、もしかしたら全部都合のいい夢で、目が覚めたら一人きりになっているのではないか。

そんなことはないとわかっているのに、不安はなくならず、眠るのが恐ろしくなる。

 

「……もともと、前から不眠症気味ではあったんです」

 

これはもう誤魔化せない。観念したエンは、肩を落としながらポツリポツリと言葉を零す。

数年前にちょっとしたいざこざがあり、そのときに大きなストレスを抱え込み、それが原因で不眠症を発症したこと。

当時は今ほど眠れなかったわけではなく、一応多少は眠れていたこと。

そうして最終的には、『お頭』と一緒に眠るようになって不眠症は改善したということ。

けれど、それ以来何かあると眠れなくなるというのはたびたびあって、実はロジャー海賊団にベビーシッターとして顔を出していたときにはすでに不眠症の兆候が出ていたこと。

ここまで眠れなくなったのは初めてのことで、おかげで最近はただでさえ小食なのにさらに食欲が落ちて毎度の食事が結構大変だったこと。

それでも不眠以外の不調はないので、顔色の悪さは化粧で誤魔化し、睡眠不足を悟られないよう注意しながら生活していたこと。

 

「お頭がいないから眠れないなんて、云えなくて」

 

迷惑かけてごめんなさい、と頭を下げたエンをこれ以上責めることなど誰も出来なかった。

不眠症を咎めるつもりはなかった。

どうにかできるならしてやりたかった。

が、残念ながらいくらロジャー海賊団であっても、『お頭』を用意してやることはできない。

話を聞けば解決策を考えられるかと思ったが、どうにもならないということだけがわかってしまった。

 

エンはこうなることがわかっていたからバレたくなかったのだ。

どうしようもないことをどうにかしようとするのは不毛だし、時間の無駄だ。自分一人の問題なのだから、自分が我慢すればいい話だと思う。

まぁ、それがうまくいかなかったからこれだけの大事になってしまったわけだけれど。

 

「あの、本当にすみませんでし――わっ!?」

 

今後はもっとうまくやらなければ、と反省していたエンは、不意に後ろに身体が引き寄せられた。

突然のことだったので逃げる間もなく、ぎゅうと抱き締められてちょっと足が浮いている。

 

「終わったかぁ?」

「な、何するんですか!?」

 

誰何するまでもないが、エンにこんなことをするのは一人しかいない。犯人はロジャーだった。一応反省して殊勝にしおらしくしていたというのに、驚いて大声をあげてしまった。背後からいきなり抱き着かれたら誰だってびっくりすると思う。

以前からそうなのだが、ロジャーはその巨体から想像もできないほど静かに気配を消すことがうまい。だから正面からはっきり視界に入っていないときに気配を消して近付かれると、エンにはまったく気付くことが出来ないのだ。

エンは驚きでばくばくいう心臓を押さえ、上から覗き込むようにエンを見下ろすロジャーはにんまりと笑った。

 

「ほんじゃ、罰されたいエンにぴったりの罰を云いわたーす!」

 

どこかで話を聞いていたのだろうか。というか別に罰を受けたいわけではない。彼らが罰せられるのに自分だけ免除されるのは理不尽だ、という話であるだけで。

しかしなんだか妙に楽しそうに胸を張ったロジャーに、一同は揃っていい予感はしなかった。むしろろくでもないことを云われそうで、エンは少し身構えた。

この場にはいなかったが、ギャバンやレイリーが知っていてロジャーが知らずにいるということはないと思っていたので、罰というからにはルールを破らせたことに対する罰なのだろう。

ロジャーが自分に甘いのはわかっているが、罰は罰だ。それなりに緊張して言葉を待つと。

 

「今からおれと一緒に昼寝しろ」

「――は!?」

 

は、の大合唱である。

特にエンの驚きは周囲の比ではない。

 

「ちょ、ロジャーさん何云って、」

「ほらエン、深呼吸。吸ってー吐いてー」

 

ところがエンの反論をロジャーはさくっと封じてしまう。

後ろから抱き締められるというのはほとんど拘束に近く、右腕はぐるりとエンの腹部に回して逃がさないように、もう片方の手で視界を隠すように目のあたりを覆ってしまった。

そもそもが華奢なエンだし、今は寝不足に加え食欲も減退していたせいで体力も極限だ。そんなエンが多少もがいたところでロジャーの拘束から抜け出せるわけもなく、しばらくジタバタして体力切れを起こした。

ぜーぜーと肩で息をするのは奇しくもロジャーの指示通りの深呼吸のようなもので、腹立たしいが少し気分が落ち着く。

 

「ほいもっかい、大きく吸ってー吐いてー」

 

ロジャーが離してくれる様子はない。

仕方なく、云われた通りにエンは深呼吸を繰り返す。

大きく吸って、吐いて。ゆっくりと息を整えるように。

 

すると、どうだろう。

ここ最近ではついぞ来ることのなかった眠気が、あっという間にエンを襲った。

背中から覆うように抱き締められた心地よい温もりと、大きな掌で目元を隠されて暗くなった今の状況と、ロジャーの優しい声。

身体がふわふわして、足元が揺らいだ気がした。

そうして気付けばエンの意識は、ふつりと途切れた。

 

「――……」

「……寝たな」

「すごいなロジャー。催眠術でも勉強したのか?」

「いんや? エンの朝飯にこそっと睡眠薬混ぜといた」

 

あんまし食わねぇから量調節すんのが大変だったぜ、とケロッと恐ろしいことを悪びれもなく云う男である。

実はその案もギャバンとレイリーが相談しているときに出たのだが、同意も得ずに薬を飲ませるのはさすがにどうかということになり断念したのに。

ほとんど気絶するように眠ってしまったエンを大事そうに抱き上げたロジャーは、そのままご機嫌そうに船内に入っていった。さっき自分で云っていた通り、エンと一緒に寝るのだろう。

確かにエンにとっては罰といえば罰である。ロジャーにはただのご褒美かもしれないが。

あの二人、あれでまだヤッてないらしい。

意味がわからない。

なんかもうわかりたくない気がしてきた。

遠い目で空を見上げたギャバンに、控えめな声がかけられる。

 

「あ、あの、ギャバンさん……」

「おれたちは……」

「あー」

 

忘れてた、とは云わずギャバンは疲れたように息を吐き、まだ若く純粋さを残す新入りクルーたちに一つお説教をしてやることにした。

所在なさげに立ち尽くす彼らに向き直ると、咳払いをしてからもっともらしく口を開く。

 

「お前らがエンに頼まれたら断れねぇってのはわかってる。だからこういうときは、こそっとおれたちに報告するもんなの。そんでエンには黙ってるってことにすんの。今後は……まぁ同じことはエンもしねぇと思うが、次があったら必ず報告しろよ」

「は、はいッ」

「申し訳ありませんでした!!」

「んじゃ解散」

「え!?」

「処分は!?」

「今回はエンに免じてなし。ただし次は容赦なく処分すっから、せいぜい気を付けるこった」

 

気軽な言葉の中にギャバンの本気を見、新入りたちは背筋を伸ばして大きな返事をし、慌ててそれぞれの仕事に戻っていった。やっぱり幹部は怖い。この幹部たちと対等に渡り合っているエンの底の知れなさに改めて感心しつつ、ロジャー海賊団の一員になれたことを心から誇りに思うのであった。

若き芽が散っていくのを見届けたギャバンとレイリーは、顔を見合わせてため息を吐いた。なんだか最近ため息が増えた気がするのは気のせいだろうか。

 

「ロジャー船長に好かれて苦労してるのはてっきりエンだけかと思ったが、どうもお互い様っぽいな、あの二人」

「どっちもめんどくせぇ」

「違いない」

 

腹心二人の胃が休まるときは、果たして来るのだろうか。

今回は薬のおかげで眠ることが出来たようだが、毎度薬に頼らせるのもよくないだろう。なんとかしてエンが眠れる手段を考えるべきだと思うが、ひとまず今目の前の『不寝番勝手に交代事件』は解決した祝いに、と二人はとっておきのワインを開けることにした。別に酒を飲むのに理由なんてあってもなくてもいいが、あったほうがなんとなく気分がいいのである。

 

数時間後。

久しぶりにぐっすりと熟睡し、気分よく目を覚ましたエンがロジャーと同衾していることに気付いて特大の悲鳴を上げるまで、オーロ・ジャクソン号はとても静かな航海を続けていた。

 

 

 

 

 

4.『お役に立てて、よかったです』

 

 

この時代にやってきてから、初めての感覚だった。

ざわり、と背中が泡立って、思わずそちらの方向に目をやる。

絵具をぶちまけたかのような青空には雲一つなく、太陽も燦々と輝いている。快晴そのものだ。

海も波がほとんどない、穏やかで美しいまま。

けれど。

ちびっ子二人は目の前の積み木に夢中だし、甲板には他にも人がいるから任せられるだろう。近くにいたクルーに二人のことを頼み、エンはレイリーを探した。

 

「あの、レイリーさん」

「お、エン。どうした? チビどもがしゃべったか?」

「それはそれで大ニュースですけど残念ながらまだです。そうじゃなくて、ちょっと相談というか、なんというか」

 

甲板、食堂、レイリーの自室とまわり、最終的にレイリーを見つけたのは測量室だった。

丁度航海士と何やら相談をしていたようで、海図を広げて話をしている。

失礼します、と丁寧に挨拶をしてから部屋に入り、エンはメモ書きがたくさんされている海図上のとある方向を指でなぞった。

 

「今私たちが向かってるのって、この方向ですよね?」

「ああ、そうだ」

「航路変更か、今日はこの辺りに留まるって可能ですか?」

「……何故だ?」

 

エンが無意味にこんなことを云うはずがないとはわかっていても、航路について口出しをするのは越権行為に近い。航海士は最良のルートを選んで常に航路をとっていて、残りの物資や次の補給にも関わる重要なことだ。素人がポッと出て口を出していいことではない。

十年近く海賊をしていたのならそれくらいエンもわかっているはずなのに、何を云うのか。

怪訝そうなレイリーと航海士の視線を受け、エンは重い口を開く。

 

「嫌な予感が、します」

「予感」

「う、その顔……何が云いたいのかわかる……」

 

自分が突拍子もないことを云っている自覚があるからこそ、エンははっきりと云えないことがもどかしい。

が、経験からわかるのだ。

この手の予感は、放っておくわけにはいかない。

 

「証拠も根拠もないので信じてくださいとしか云えないのが大変申し訳ないんですが……」

 

レイリーと航海士は改めて顔を見合わせ、笑って肩を竦めた。

正直云って今回の海は何度も通った勝手知ったる海域だ。前回の島で仕入れた物資も潤沢に残っているし、次の島も物資調達には困らない豊かな島だとわかっている。多少ゆったりと航海しても問題はなかった。

 

「まぁ、急ぐ旅路でもなし、ロジャーがいいんなら構わんよ」

「ロジャーさん」

「ん?」

「どうする?」

 

レイリーに話を振られ、不安そうに祈るように自分の両手を握り締めるエンに見つめられたロジャーは、ポリポリと頬を掻きながら首を傾げた。

 

「お前らが大丈夫って判断してるなら、別にいいぞ。てかエン、どうせ最終的におれに確認するんだから、最初からおれに云えばいいのによ」

「や、それじゃ公正さに欠けるかな、と……」

「いい心掛けだ」

 

ぐっとレイリーにサムズアップされ、自分の判断が間違いでなかったことにエンはホッとする。

何を隠そう今日も今日とてエンはロジャーからストーカーされていたのだ。朝起きた瞬間目の前にロジャーがいる事態には、遺憾ながら最近慣れてきてしまった。反射で平手打ちするのも手が痛くなるから困る。

まぁそれは置いといて、エンが甲板でこの"嫌な予感"を察知した時も当然ながらロジャーはすぐそばにいた。

それなのにその場で自分に進言せず、わざわざレイリーを探して歩きまわるのは面倒だし二度手間ではないのかとロジャーは思ったわけだが、何事にもけじめというものがある。そこをなぁなぁにするといざというときに困る可能性があるから、そのあたりはエンはしっかりと考えて行動ができるのだ。

とにかく、航路変更するにしろこの場で停泊するにしろ、いったん船は停めなければならない。その作業をクルーたちに指示出ししながら、海図を見つめながら難しい顔をしているエンにレイリーは訊いた。

 

「嫌な予感ってのは、具体的に?」

「ううん……ちょっと説明が難しいんですけど……」

 

エンにわかるのは"嫌な予感"がするということだけ。

小さく息を吐きながら肩を竦め、エンは云いにくそうに云った。

 

「このまま進んだら、誰か死ぬか大怪我をする気がして」

 

穏やかではない。

が、何度も云うがエンがこんな趣味の悪い冗談をいう性格ではないと彼らは知っている。

今は特に目的もないのんびりとした旅の途中だし、たまにはこういう休息も必要だろう、とこのとき彼らはエンの意見を受け入れてはみたものの、"嫌な予感"とやらは本気にしていなかった。心配性だなぁ、程度にしか考えていなかったのだ。

 

「海域的には特に何もないはずなんだがな。まぁ【偉大なる航路】の平穏なんざあってないようなものだが」

「んじゃよ、今日はこの辺に留まって、本来進むはずだった方向を観察してみっか」

「いいな、それ」

 

わっはっは、と朗らかにそんなことを云って笑っていた――数時間後。

 

「特大サイクロンだ!!」

「引き返すぞ、ここもあぶねぇ!!」

 

先ほどまで澄み渡る青空だったのが、突如として雷雲立ち込める嵐の様相を呈し、轟々と恐ろしい威力の風が吹き荒れた。

あっという間の悪天候に、【偉大なる航路】のとんちきな気象環境に慣れていたはずのロジャーたちもさすがに慌ててその場を離れるしかない。

サイクロンが発生したのは、まさに本来ロジャー海賊団が進むはずだった方向だった。

もしもあのままエンの意見を無視して進んでいたら、おそらくあの暴風雨のど真ん中にさらされることになり、大変なことになっていただろう。航路変更しても、もしかしたらサイクロンの範囲内だった可能性もある。停泊を選択して正解だった。

なんとか大した被害もなくサイクロンの範囲から離れ、一息ついたところでレイリーたちは改めてエンを測量室に呼び出した。

実は本気に捉えていなかったことを先に謝り、改めてエンに話を聞きたかった。

 

「エン、お前あれを予測してたのか?」

「違います違いますあんなのわかってたら全力で離れるように云ってますよ!!」

 

青い顔でぶんぶんと顔を横に振って否定するエンだが、一体何が違うのか。

嫌な予感というのはこのことではないのかというもっともな航海士の問いに、エンは再び申し訳なさそうな、いたたまれなさそうな顔でぼそぼそと答える。

 

「私にわかるのは、ちょっと先の、なんか嫌なことが起きる、みたいな本当に漠然としたことで……具体的なことはいつも何もわからないんです」

「じゃあ、こういうことがこれまでも何度かあったのか?」

「こっちに来てからは今日が初めてですけど、まぁ、昔からありましたね」

 

そこでエンは、過去の経験を一部抜粋して話した。

まだ地元の島にいたときに漁師を嵐から助けたことだとか、風土病が蔓延する島に上陸するのを引き留めて事なきを得たことだとか、恩人が毒グモに噛まれるのを未然に防いだことだとか。もちろんそのあと毒グモを素手で掴んだ自分が噛まれて倒れたことは云わなかった。

どれもこれも、エンが感じた"嫌な予感"を無視していたら大惨事になっていたことだった。

しかしエンは、感謝をされる半面で、悪いことしか予想できない自分の勘が好きにはなれなかった。どうせだったらいいことを予感したいのに、わかるのはいつも最悪なことばかり。

しかも、自分単体に降りかかる悪いことは何も察知できないのだから本当に嫌になる。もしエン自身に何か起こるとわかっていれば、あのとき誘拐されることもなかっただろう、と思ってしまうのだ。

 

嫌な予感がするのはいつも突然で、前触れは何もないし、根拠もない。

だけど、これまでエンの予感が外れたことはなかった。

当たらないでほしいと思いつつ、杞憂であれと願いなら、それでもエンは自分の勘を信じていた。

エンの話を静かに聞いていたレイリーは、ふむ、と考えるように顎に手を当て首を傾げる。

 

「見聞色のようなものか?」

「そうなのかな~と思って昔鍛えてみたこともありました。でも未来視にしてはお粗末だし、ぽんこつすぎると思いません? わかることがぼんやりしすぎてるんですよね」

 

赤髪海賊団に入ってすぐにヤソップに師事して見聞色を鍛えてみたものの、エンに出来たのは多少の気配を察することだけだった。ヤソップのように千里眼に近い能力を得ることも、誰かと感覚を共有することも、遠くの会話を聞き取ることもできない。

見聞色を鍛えても、エンの勘が鋭くなることもない代わりに、鈍くなることもなかった。

結果、ヤソップと出した結論は『エンの"嫌な予感"は覇気とは無関係』であること。

何もわからないが、ただこの勘は無視できない、というのがエンの答えだった。

 

「もしかしたら今後ときどきこういうことがあるかもしれないんですけど、もしよろしければちょっとお耳を傾けていただければ嬉しいな、と思ってます」

「わかった。無条件に、とはいかないかもしれんが、エンの話は参考にさせてもらう」

「ありがとうございます、よろしくお願いします」

「こっちこそ。今回は本当に助かった。もしあのまま進んでたら、あの規模のサイクロンだとさすがのおれたちも危なかったよ」

 

航海士の手放しの賛辞に、エンはへらりと笑顔を浮かべた。結局サイクロンの手の届く範囲に停泊していたから危ないところだったことには変わりないが、マストがちょっと損害を受けただけで人的被害が何もなかったのはラッキーだった。一応は役に立てたらしい、と少しだけエンは嬉しい。

 

「お役に立てて、よかったです」

 

照れくさそうに、本当に嬉しそうな穏やかな笑みを浮かべたエンに、思わず航海士の胸が高鳴った。

とんでもない言動と日頃のロジャーへの塩対応を見慣れていると忘れがちだが、エンは本当に可愛らしいのだ。そんなエンのこんな笑顔を見たら誰だってときめく。

が、次の瞬間ロジャーがこの場にいることに気付いた航海士は、ハッとしてごほんと咳払いで誤魔化した。

勘違いしないでほしいのだが、男というのは可愛い女には無条件でときめくものなのだ。エンのことは仲間として好きだが、それだけです。別に問い詰められたわけでもないのに航海士は心の中でそう云い訳した。

すると、開けっ放しにしていた測量室の扉に、ひょっこりとちびっ子二人が姿を現した。

 

「あ、うー」

「ううー」

「あれ、どうしたの二人とも。起きちゃったかな?」

 

二人の後ろにはスペンサーがついている。

サイクロンから離れる航路をとっていたときはエンが二人の傍についていたのだが、二人はぐーぐー健やかに眠っていた。まぁ昼寝中に敵襲があっても起きない図太い神経の持ち主なのでサイクロンごときでは起きないのだろうと思っていたが、今になって目を覚ましてしまったらしい。

おそらく、目を覚まして部屋を出て、いつもだったらドアを叩けばすぐにエンが出てくるのに、今日は誰も部屋から出てこなかったから不思議に思って船内を歩き回っていたのだろう。そうしてスペンサーがそんな二人を発見し、ここに連れてきた、と。

厨房に向かう途中だったというスペンサーから二人を引き受けると、ちびっ子たちはぎゅうぎゅうとエンの脚に抱き着いた。その可愛さ満点の動きにエンがハートを撃ち抜かれている様子はいつ見ても面白い。

 

「はぁ可愛い……。じゃあ、もう一回二人のこと寝かせてきますね。何もなければ、私もこのまま休ませてもらいます」

「ああ、よろしく。おやすみエン、シャンクス、バギー」

「おやすみなさい、レイリーさん、ロジャーさん」

「おう、おやすみ」

 

最後に航海士にも声をかけ、エンはちびっ子二人を連れて測量室を出て行った。

その後は真面目にサイクロンの終息を踏まえて最終的な航路の確認をして、ロジャーたちも解散する。

測量室の戸締りを航海士に頼み、それぞれの自室に足を向けながらロジャーは少し興奮気味にレイリーに云った。

 

「なぁ、あいつすごくねぇか?」

「すごい。【偉大なる航路】のサイクロンは兆候がないことで有名だ。うちの航海士もまったく気付いてなかったし、そもそも発生場所からここは距離があっただろう。というか、あいつ何時間前に気付いたんだよ」

 

エンがレイリーに話をしに行ったのは昼前のことで、今は夜だ。仮にサイクロンの兆候があったとして、そんなに前からわかるものではないだろう。

一体どういうことなのか。

しかし、こればっかりはいくら考えてもエン自身にもわからないことなのではっきりとした答えは出ないままだろう。

それにしても、単なる勘だと侮っていたらとんでもないことになるところだった。

これは後程改めて報酬を用意しなければ、としみじみ考えていたレイリーの隣で、なぜかロジャーは満面の笑顔を浮かべていた。はっきり云って気色悪い。

 

「何をへらへらしてる、ロジャー」

「いやぁ~」

 

怪訝そうなレイリーに指摘されても、ロジャーの緩んだ顔は収まらない。それどころか、いっそう締まりのない顔になって続けた。

 

「おれの惚れた女がすごくて感動してる」

「さっさと寝ろ、色ボケ船長」

 

思わずロジャーの尻に回し蹴りをお見舞いしてしまったことは、反射なので許されたい。

片想いのくせに一丁前に惚気なんて、最悪だ。

 

 

 

 

 

5.『キッチン爆発しなかった!』

 

 

「なぁロジャー」

「あん?」

「お前最近エンとどうなんだ」

 

甲板でダラダラと酒を飲んでいたロジャーは、新聞をめくりながら世間話のように問いかけてきたレイリーをジトっと見る。

 

「……なんかあったように見えたか?」

「いんや。何もなさそうだから訊いた」

 

半眼になってレイリーを睨みつけるロジャーは、拗ねた子供のようだった。威厳もへったくれもない。

レイリーはそういう反応が返ってくると予想していたので、意地悪に笑ってロジャーが持ってきた酒をかっさらった。

全然詳しくはないくせに、美味いものを見つけてくるのがうまいのだ、ロジャーは。思った通り、今回ロジャーが持ってきた酒もレイリーは知らないラベルだったが美味い。すっきりとした飲み口の後に香る深い味わいは、なんでもつまみになりそうだ。それこそ、ロジャーの恋愛奮闘記も。

慰める気のかけらもなさそうなレイリーに、ロジャーはがっくりと項垂れてテーブルに突っ伏した。

 

「ぜんっぜん落ちねぇ」

「やっぱり手強いのか、エンは」

「めちゃくちゃ手強いぜ。あと、なんか最近触らしてくれねぇ」

「そりゃお前、こないだのアレのせいだろ」

「……だってよぉ」

 

アレ、とは。

そう、読書中のエンが本で指を切り、その血をロジャーが舐めとったアレである。

ロジャーがエンを好きだということは公言しているのに、まったく自分のことを意識してくれないエンに痺れを切らしたロジャーがとった強硬手段だったのだが、果たして成功したと云えるのかは微妙なところだ。

少なくとも表面上は、今までと何も変わらない。

エンは遠慮なく文句を云うし、ロジャーの口説き文句に靡くこともないけれど、変わったところがあるとすれば、ロジャーがエンの手を握ろうとしたり頭を撫でようとすると身構えることだろうか。

逃げることはしないが、一瞬顔が強張るのをロジャーは見逃さない。嫌がっているのならば振り払うだろうから、おそらく、ほんの少しだけロジャーを意識し始めた合図だと思っている。ロジャーは前向きだった。

出来ればもっとはっきり照れるとかわかりやすい反応が欲しいところだが、まぁ最初に比べれば上々な反応だ、とロジャーは満足している。

随分と遠回りなアプローチだと半ば感心しながら、レイリーはグイっと酒を煽った。

 

「ま、気長に頑張れ」

「おれ相当頑張ってるぞ」

「確かに、我慢もしてるよな。おれはとっくに押し倒してるもんだと思ってたぜ」

「んなことしたら嫌われるだろ」

 

むすっと口をへの字にするロジャーの様子がまた面白くて、レイリーは声を上げて笑った。

実を云うと、未遂はあるが実行は出来なかった。

わざとではないのかもしれないが、エンは妙に隙が多いのだ。信頼されていると思えばポジティブだが、逆に云えば完全に男としては意識されていないということである。

触れられることには身構えるくせに、ただ近くにいるだけならば隙を見せるというのはひどくもどかしい。

力尽くでエンを抱いたところで心が手に入れられないままなのは意味がないから、その隙を好機と捉えて無理矢理行為に及ぶことはロジャーには出来なかった。

エンがそこまで計算して隙を見せているわけではないと思いたい。もし計算だとしたら恐ろしすぎる。

そんな話をしていた二人に、珍しく騒がしい足音が近付いてきた。

 

「――ロジャーさん!!」

 

気配で二人ともとっくに気付いていたが、足音の主はエンだった。

ただ、普段はちびっ子二人といてもそんなにやかましい足音は立てないでいるから、こんなに慌てたようなばたばたした足音を立てるなんて一体何があったのかと思う。

さっきまで若干下世話な話をしていたので、しかもエンが相手の話だったのでちょっとだけ後ろめたい気分のロジャーは、わざとらしくゴホンと咳払いをしながらパッと笑顔を浮かべた。ちなみにレイリーは咳をするふりをして下を見て笑っていた。

 

「お、おう。どうしたエン?」

「見てください!!」

 

そんな挙動不審な二人には気付かないエンは、興奮した様子でずずいと手をロジャーに差し出した。

エンの手にあったのは、ひとつのおにぎり。

はて。

くれるのだろうか。

エンはものすごい笑顔である。

 

「握り飯?」

「はい、私が作りました!!」

 

作ったらしい。

どうぞ、とついぞ見たこともないような満面の笑みで差し出され、思わずロジャーはそのおにぎりを受け取った。

何の変哲もないおにぎりである。

エンの手のサイズで握られた白い米と、海苔。さすがに具まではわからないけれど。

美味しそうな、ただのおにぎり。

しかしエンは達成感を感じさせる笑顔を浮かべ、鼻息荒く拳を握り締めて口を開いた。

 

「さっきね、シャンクスとバギーがお腹すいたっていうから一緒に厨房に行ったんです。そうしたら丁度軽食を作ってる途中で、たくさんご飯を炊いてて、少し分けてもらうことになったんです」

 

近頃、ちびっ子二人はかなり食欲旺盛だ。一般的な同年代と比べても食べるほうだと思う。ひょっとすると、調子が悪いときのエンよりも食べている可能性がある。

とはいえまだまだ胃袋は小さいので、一度にたくさんたべるというよりも、一日に何度か空腹を訴えてくる。よく食べるのと同じくらいによく動くしよく眠るから、そのうちあっという間に大きくなりそうだ。

今日もしっかり朝から食べていたはずだが、遊んでいるうちに空腹を覚えたのだろう。

それはロジャーたちもよくわかっていることだったので頷くと、エンは続けた。

 

「でもね、二人にどうしてもってお願いされちゃって、ひとつおにぎりを握ることになっちゃって、ああもう私終わったなって、ここでも『キッチンを爆発させた女』になるのかって諦めてたんですけど、考えてみたらもうご飯は炊かれてるんだし、私が何かを爆発させる要素はないんですよね。だから一大決心して試してみたら」

 

なんだ『キッチンを爆発させた女』って。そんな面白い話は知らない。

しかしここで訊いてもまともな答えは返ってこない気がしたので、二人は絶対後で問い詰めることを心に決めた。

そんな決意をされたことを知らないエンは、ここぞとばかりに力を込めて嬉しそうに云った。

 

「私にも作れたんですよ、おにぎり!!」

 

海賊王と冥王ともあろう男たちが、この勢いに圧倒されていた。

おにぎりが作れた。

それはわかった。

え、というかたったそれだけでこの喜びよう?

どういうことだ。

わけもわからずツッコミも入れられず、状況に置いてきぼりの二人をさらにエンは置いてきぼりにするように、嬉しさを噛みしめるように続ける。

 

「キッチン爆発しなかった! お鍋もひっくり返さなかったし、包丁で血塗れになることもなかった! 私、生まれて初めて、人が食べられるものを作れたんです!!」

 

もし今云ったすべてが過去本当にやらかしたことなのだとしたら、たかがおにぎり、されどおにぎりなのかもしれない。

ロジャー海賊団に同行するようになって以来、エンは徹底的に厨房を避けていた。それこそロジャーに何度手料理をとせがまれてもNOの一点張りだった。

赤髪海賊団時代にルウのおかげでなんとかお茶を入れられる程度までは成長できたものの、包丁を握ればいつの間にか血塗れになっているし、鍋はひっくり返すし、気を抜けばボヤ騒ぎを起こすことだけはどんなに努力しても変えられなかった。

実家にいたときも母親から料理に関しては早々に見放されていたし、この上物資も限られている海上で余計なトラブルは起こしたくない。なので悔しいがエンは料理について諦めていた。

可愛い上に頭が良くて愛嬌もあって心が広いエンの、運動音痴以外の唯一の欠点だ、と思うことで自分を慰めていた。

そんなエンが、言葉通り生まれて初めて人に提供できる食べ物を作れたのだ。これを快挙と呼ばずになんと呼ぼう。あるいは、奇跡と評するべきなのかもしれない。

とにかくエンは、この達成感を一番にロジャーに伝えたかった。

 

「だからこれ、ロジャーさんにあげますね!」

「お、おお、ありがとよ」

「えへへ、それじゃ厨房にもどります!」

 

どうやらおにぎりを作れた嬉しさのあまり何も云わずに厨房を飛び出してきてしまったらしく、遠くでちびっ子たちがまだ拙い言葉でエンを読んでいるのが聞こえた。

もう一つ出来たらレイリーさんにもあげますね、と嬉しそうに云われて悪い気はしないが、隣のロジャーからの嫉妬の視線が痛かった。お前はもう一個もらっただろう、と云いたい。心の狭いやつである。

慌ただしく船内に戻っていったエンの背中を見送ると、ロジャーは改めてまじまじとエンが置いて行ったおにぎりを見つめた。

本当に普通のおにぎりだ。

よくある三角形をしていて、出来立てらしくほかほかとまだ湯気が立っている。

ロジャーだって別に料理は得意ではないがやる気になれば出来るし、おにぎりくらいなら料理のうちには入らないと思っている。

けれど、エンにとっては超大作。

愛しさがこみ上げてきてたまらない。

 

「え、えー? あいつめちゃくちゃ可愛いな!」

「というか単なる料理嫌いなわけじゃなかったのか、エン」

 

てっきり本命以外には手料理なんて食べさせない、という面倒くさい女ムーブをしているのかと思っていたが、違ったらしい。

これまでエンには欠点らしい欠点が見あたらなかった。いつも笑顔で明るく、仕事を頼めば迅速丁寧にこなし、誰とでもすぐに打ち解ける。ストレスをため込みすぎる嫌いはあるが、それは欠点というよりは弱点に近い。もう少し周囲に頼れるようになってくれれば、とは思うけれど。

そんなエンの、予想外に垣間見えた欠点。

いや、しかし料理ができないくらいで欠点だなどと云えるだろうか。一人旅なら問題があるかもしれないけれど、ロジャー海賊団にはちゃんとコックがいるのだから、エンが料理をできなくたって誰も困らない。つまり欠点ではない。

むしろ、ほとんど完璧なエンの人間らしい部分が見えて魅力的にすら思えてきてしまい、恋は盲目状態のロジャーである。

 

料理ができないエンも可愛い。

おにぎりが作れただけであんなにも大喜びして報告に来てしまうエンも可愛い。

つまりエンが可愛い。

Q.E.D.

 

「え~おれこれ永久保存してぇよ」

「腐るぞ」

「うう、もったいねぇなぁ……エンの初めて」

「気持ち悪い云い方するな」

 

拗らせすぎていよいよヤバい発言をするようになったロジャーにレイリーは同情した。

強さも金も、欲しいものはたいてい手に入れていた男も、惚れた女の前では形無しだ。

 

数分後。

大事に大事におにぎりを食べ終えたロジャーと、その光景を肴に酒を飲んでいたレイリーたちが聞いたのは、聞き覚えのある男の野太い声が上げた甲高い悲鳴と、ドンガラガシャーン、と何かが転がり落ちる音。

何事かと顔を見合わせていると、先ほどとは打って変わって打ちひしがれた様子のエンが二人のもとにやってきて云ったのだ。

 

「……厨房出禁になりました」

 

この短時間にいったい何がった。

半泣きのエンには申し訳ないが、この日ロジャーとレイリーは腹が捩れるほど大爆笑した。

当然、エンはリスのようにほっぺを膨らませて激怒し、一週間ほど二人と口を利かずガン無視を続け、慌てた二人が最終的に正座で謝罪する光景が見られたという話は、ロジャー海賊団の語り草となった。

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