超絶美少女は夢を見る   作:秋元琶耶

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可愛すぎて時空すら超越した美少女のタイムトラベルの話、死ぬまで元の時代に戻れないVer.長くなったので途中またまで。本当に次で最後にします。
書いててずっと楽しかったです。やっぱこの人たち好きだわ……捏造願望もりもりですが気に入っていただけたら幸い。


【もくじ】
1.『プレイボーイがなんか云ってる』
2.『どうして、あなたなんだろう』
3.『だってずっと、私、比べてた』
4.『大丈夫』
5.『私を信じてくれますか?』


未来の海賊女王の時間旅行・旅の途中

1.『プレイボーイがなんか云ってる』

 

 

夏島が近いようで、ひどく蒸し暑い日が続いていた。

エンはあまり薄着はしない主義なのだが、暑い日に着こんでいると熱中症になる可能性がある。風通しのいい生地で作ったワンピースのおかげで幾分過ごしやすいし、こまめに水分補給をしたり日焼け止めを塗ったり日陰にいるようにはしていても、暑いものは暑い。虚弱体質ではないがとびきり頑丈というわけでもない自覚があるし、元気に遊ぶちびっ子たちは無自覚に身体に熱をため込みがちになって危険だから、エンはそのあたり慎重に気を使って生活していた。

が。

 

「エン」

「はい、なんですレイリーさん」

「暑くないのか?」

 

呆れたようにレイリーに云われて、心外だった。

暑いに決まっている。

何せ、ちびっ子二人に加えロジャーまでもがエンにくっついて昼寝中なのだ。

オンザ脚。

投げっぱなしにされたエンの脚で、右側にちびっ子二人が並んですやすやと寝息を立てており、左側ではごぉごぉといびきをかいたロジャーが眠っている。ちびっ子たちはよくこのいびきの隣で寝ていられるものだとちょっと感心するが、まぁ平素から敵襲だろうが嵐だろうが一度寝たら外的要因では目を覚まさないタイプなので、大丈夫なのかもしれない。

一応甲板の日陰にいるとはいえ、これだけ暑い日に三人もにくっつかれていたら普通は暑い。しかもちびっ子二人は子供体温な上、ロジャーも平熱高めだ。冬ならばともかく、夏はカイロを持たされているような気分になる。

げんなりしながらうちわを扇ぎ、エンは云う。

 

「暑いって云ったら、この人たちどかしてくれますか?」

「なんかすまんな」

「いいんですよ。飲み物ありがとうございます」

 

甲板の暑さに音を上げたギャバンが比較的涼しい食堂に避難してきたとき、レイリーは食堂で遅めの昼食を摂っていた。ちょうど昼食時に新しい新聞が届き、うっかり読みふけってしまったのだ。

すっかり新聞を読み終えて食堂に行ったころにはすでにほとんどのクルーが昼食を食べ終わっており、レイリーは片付けを終えたコックたちと一緒に賄いカレーを食べていた。このクソ暑い日でもカレーは熱々がうまいというのは世界のバグだと思う。

自身はすでに昼食の生姜焼きを食べたくせに人が食べているものはおいしそうに見えるもので、少しだけカレーを分けてもらいながら、ギャバンは甲板でのエンの状況を思い出してレイリーに話した。

このくそ暑いのに暑苦しい奴らにくっつかれてて笑える、と。

 

どういうことかと気になったレイリーが昼食後に甲板を訪れると、なるほど、ギャバンの云った通り暑苦しいことになっていた。

珍しく薄着で髪もアップにしているが、可哀想にくっつき虫三匹のせいでまったく涼しくなさそうだ。

もしやと思ってよく冷えた飲み物を用意してきたのは正解だったようだ。

コックが用意してくれたのは炭酸水にミントとライムを絞り入れ、ほんの少し塩を混ぜたもの。昔、暑い日に水ばかり飲んでいたクルーが熱中症をおこしてぶっ倒れて以来、この船では暑い日定番の飲み物になっていた。

あまり冷えすぎたものを飲み続けるのも問題だが、この暑さでは仕方ない。自分が用意していた飲み物はすっかり飲み終えてしまっていたエンは、このレイリーの気遣いをありがたく受け取った。ライムとミントは口の中をさっぱりしてくれて、少しの塩気が汗で出ていった身体のミネラルがじわじわと回復するようで心地いいし、純粋に美味しい。

ようやく人心地ついたエンの脚の上で、ちびっ子たちもロジャーも気持ちよさそうに眠っていた。

三人とも血は繋がっていないはずなのに、寝顔はなんだかそっくりだ。

思わず顔を綻ばせるエンに、レイリーは感心したように云う。

 

「なんだかんだ、エンはロジャーに優しいよな」

「……優しいっていうんですかね、これは」

「優しいだろ。嫌ならとっくに放り出してると思うぞ、お前の性格なら」

「……ついでですよ、ついで」

 

からかうような言葉に、エンは困ったように笑う。

そう、これはついでなのだ。

甲板でちびっ子二人と遊んでいたら、急に電池切れを起こしてお昼寝タイムになった。慌てて水分を取らせてから部屋に向かおうとしたらシャンクスが甲板の影で船をこぎ始めてしまい、同じくバギーもうつらうつらとして歩ける状態じゃなくなって。一応は日陰で、水分も摂ったし、気休めのうちわもあるから大丈夫かと思って邪魔にならない場所を失敬して二人を寝かせたところで、ロジャーがやってきた。

そうして、エンの脚を枕にしてすやすや眠る二人を微笑ましそうに眺めた後、しれっと自分もその反対側で寝始めた。

もちろんエンは『暑いからどいてください』と反論したのだが、『嫌だ絶対にどかない』と子供のようにだだを捏ねたロジャーに構うのが面倒になった、ただそれだけ。

あんまりうるさくしてもちびっ子たちに悪いし、諦めただけ。

優しさから受け入れたわけでは、ない。

なぜか言い訳のように自分にそう云い聞かせているエンの隣に腰を下ろしたレイリーは、どこか独り言のようにぽつりと零した。

 

「一途なのが悪いとは云わんけどな」

「…………」

「今傍にいてくれるやつを、もう少しくらい顧みてもいいと思うぞ、おれは」

 

ゆっくりと瞬きをしたエンは、レイリーを見、それからロジャーを見た。こっちの気など知る由もなく、ぐぅぐぅとのんきに眠っている。

 

レイリーの云いたいことは、エンにもわかる。

帰れないとわかっているのなら、もう『お頭』に会えないのなら、諦めも必要なのではないかと。そうして今間違いなく誰よりもエンを愛しているロジャーの手を取るのもひとつの手なのではないかと、そう云いたいのだ。

多分、それが最善なのだと思う。

もう二度と元の時代に帰れない以上、エンがシャンクスに会うことは叶わない。

振ったわけでも振られたわけでもないけれど、恋人同士という関係が破綻していることは確実だ。

この状態でなおもシャンクスを想い続けることがどれだけ不毛で、また難しいことなのか、エンにはよくわかる。

 

けれど。

だけど。

 

どうしても、足踏みしてしまう。躊躇ってしまう。

だってエンはシャンクスを嫌いになったわけではない。ただ会えないだけで気持ちが離れられるような簡単な愛し方はしていなかった。今は会えなくとも、もしもう一度シャンクスに会うことが出来るなら、間違いなく彼のもとに飛んでいく自信がある。たとえ、そのときロジャーが傍にいてくれたのだとしても。

そうする自分に予想がついているのに、ロジャーの手をとることなんてエンには出来ない。

何度も云うが、ロジャーの気持ちには応えられなくとも、ロジャーを傷付けたいわけではないから。

 

きっとロジャーの手を取ることは幸せなのだろう。

少なくとも、エースの母親となる誰かに出会うまでの間は、ロジャーは間違いなくエンを愛してくれるだろうから。

けれど、期間限定の、穴埋めのような関係は――果たして本当に幸せと呼べるのだろうか。

 

未来から来たエンだから、いつの日かロジャーが出会う存在を知っている。

ロジャーもレイリーも、何も知らないから今は『エンだけ』だと云う。

確かに今の彼らにとってはその言葉は真実なのかもしれない。

でもエンは知っているから、素直にその言葉を受け取ることが出来なかった。

嘘ではないけれど、この先の未来に自分がいるはずがないことだけは、知っているから。

彼らに悪気はない。

ロジャーはエンを弄ぶつもりはないし、レイリーも本心から二人の幸せを願っている。

 

――ああ、それでも。

 

先のことを『知っている』というのはいいことばかりじゃないな、と苦笑しつつ、エンは誤魔化すようにして笑った。

 

「プレイボーイがなんか云ってる」

「お望みならお前のことも口説こうか?」

「え、うそいいんですか? あとで試しにお願いします」

「おれが悪かった。お前だけは絶対に口説かん」

「ひどい」

 

なぜか残念そうなエンに、レイリーはとびっきり色っぽくウィンクをして。

 

「本気になったら困るだろう?」

 

きょとんとしたエンは、それから声を上げて大笑いした。

確かにそれは、困る。

 

 

 

 

 

2.『どうして、あなたなんだろう』

 

 

寝苦しさに目を覚ますと、まだ深夜だった。時間を確認しても、少しは眠れたようだけれど、ベッドに入ってから一時間も経っていない。

またか、と思いながら水を飲もうと水差しに手をやると空だった。ベッドに入る前に飲み干したのを忘れていた。仕方なし、食堂に水を飲みに行こうとストールを羽織ってエンは部屋を出た。食堂に向かう前に一度ちびっ子たちの様子を確認するが、相も変わらず健やかに眠っている。この様子では朝までぐっすりだろう。不眠プラス浅眠なエンから見ると羨ましいことである。

深夜の船内は静かで、時折どこかの部屋から笑い声が聞こえてくるだけだ。気候も安定しており、敵襲もない日は本当に平和だった。

誰にもすれ違うことなく食堂にたどり着き、ドアを開けると、無人だと思っていた食堂にはなんと先客がいた。

 

「お、エン。どうした?」

 

食堂にいたのはロジャーだった。もしや盗み食いでもしているのかと思ったが、きちんとテーブルに氷とグラスと皿に乗ったつまみが置かれているところから、コックか誰かが用意してくれたのだろうとホッとする。勝手に持ち出しているとしたら、わざわざグラスなんて用意しないはずだ。

 

「晩酌ですか?」

「おう、エンも一緒にどうだ」

 

ご機嫌そうにグラスを掲げられ、エンは少し考えた。

酒は嫌いでも好きでもない。宴があればもちろん飲むけれど、自分から飲みに出ることはなく、誘われたら断らない程度。以前はよく寝る前にシャンクスと二人で飲んでいたが、こちらに来てからはそういうこともない。

ただ、今はどうせ部屋に戻っても眠れない予感がする。

せっかくだし、ご相伴に預かることにした。

 

「じゃあ、頂きます」

「よっしゃ、こっち来い」

 

すんなりと提案を受け入れられたことに更に気を良くしたらしいロジャーは、嬉しそうに隣の席を叩いた。たかが一緒に飲むだけでその喜びよう、とちょっと呆れたが、好きな人と飲むのが嬉しいし楽しいという気持ちはエンも知っている。素直に喜ぶのは難しいけれど、今は罪悪感も優越感も見ないふりをすることにした。

大人しく隣に座ったエンに、ロジャーがグラスに大きな氷を一つ落とし、酒を注ぐ。

透明感のある黄金色は美しく、グラスや氷を伝う涙はさらりとしていた。ロジャーに急かされながら一口口に含むと、きめ細かい繊細な舌触りにまず驚かされる。そうして柑橘類のような爽やかな香りは非常に飲みやすく、次にナッツのような少しの香ばしさが鼻を通る。

 

「美味しいです。すごく飲みやすい」

「だろー。南の海の酒なんだけどよ、これがまた美味いんだよ」

 

どうやらこれはロジャーのお気に入りらしく、エンもお気に召したことが嬉しいらしい。自身でもぐいっと煽り、またグラスに追加する。

 

二人はしばらくの間、他愛のない話をした。

最近ちびっ子たちは少しずつ言葉を話すようになってきて、まだまだ喃語が多いけれど、ご飯を食べて『んまぁ』と云ったときは感動で泣いてしまった。もちろんエンが。そろそろ二人のことは自分が産んだような気がしてきている。完全に気のせいである。

どちらかというとバギーのほうが活発でたくさん話し、シャンクスはニコニコしながらバギーにくっついていることが多いが、子供の成長は早い。今は多少差があってもそのうち気にならなくなるだろうから、引き続き温かく二人を見守る方針だ。

それから、先日海軍に追われたときにエンがものすごい渋い顔をしていたことが疑問で今更ながらに理由を訊いてみると、以前にも少し云っていたが、どうやらエンは海軍にいい思い出がないとのこと。まぁ海賊をやっていて海軍に好意的なほうが少ないかもしれないのでその辺は不思議ではない。しかし、妙に嫌そうな顔をしていた気がしたのだ。ちなみにそのときロジャーたちを追い回していたのは、ゴッドバレー事件を機に『海軍の英雄』と呼ばれるようになったガープだった。

結局その件についてははぐらかされたが、ひとつ前の島でレイリーがナンパしていた女がものすごく美人で目の保養だった、という話で二人が意気投合したところで用意していた酒がなくなって、今は気休めの酔い覚ましに水を飲んでいる。

 

こんな風に穏やかにエンとロジャーが話をすることは、実は少ない。

昼間はちびっ子二人がエンにべったりだし、二人が昼寝中はこまごまとした仕事でレイリーやギャバンが一緒にいたり、夜もなんだかんだとどちらかが忙しくしていることが多いからだ。

そう考えると、エンとまともに二人きりで話したのは、初めて船に呼んで事情を聞いたあのとき以来かもしれない。随分一緒にいる気がするけれど、不思議な気分だ。

どうやらエンは酒に強く、これまで酔っぱらっているところをみたことはない。が、多少血行はよくなったようで、今は心なしか普段より頬の血色がいい気がする。少ないろうそくの明かりなのでそう見えるだけかもしれないけれど。

先日ちびっ子たちがお絵描きをして遊んでいるときに自分の似顔絵を描いてくれて嬉しかった、と本当に嬉しそうに話すエンをじっと見つめていたロジャーは、ふと気付いた。ろうそくの明かりのあたり方の問題かと思ったが、多分違う。

おもむろに手を伸ばし、エンの目の下に触れる。突然触れられて驚いたように目を見開いたエンは、ややあって気まずそうにロジャーから視線を逸らした。

やはり、目の下のクマは気のせいではなかった。

 

「また眠れないのか?」

 

心配そうなロジャーの問いに、エンはどう答えるのが正解なのか、考えた。

誤魔化そうとすれば、きっとロジャーは追及してはこないだろう。先日の『不寝番勝手に交代事件』と違って無理を続けたわけでもなく、一応寝る努力はしているのだ。それでもうまく眠れていないというだけで。

ただ。

 

「……はい、ちょっと」

 

溜め込むな、とロジャーたちは云った。

どうしようもないことはあるけれど、もしかしたら口にすることで気持ちが軽くなることはあるかもしれない。

不満でも、不安でも、ちょっとした嬉しいことでもなんでもいい。

どうにもならないことはどうにもならない。

それでも、共有することで好転することはきっとあるはずだ。

そう云う彼らの優しさに甘えることに遠慮を続けていたエンだったが、遠慮を続けてまた爆発したら迷惑をかける。

弱さを見せることは、まだ、怖いけれど。

ほんの少しずつでも、甘えるのは悪いことではないのだと、漸くわかってきたから。

 

そんなエンの歩み寄りを察したロジャーは嬉しかった。

きっと以前のままであれば、嘘くさくて薄っぺらいが可愛らしい笑顔を浮かべて『そんなことはないですよ』とでも云っていたはずだ。

絶対にエンは自分を嫌っていないという自負はあれど、何故か壁を築こうとするエンの徹底的な遠慮を寂しいと思っていたから、例え少しであろうとかなり大きな一歩に違いない。

もしかしたら酒の勢いで更に先に進めるのでは、などと下心を抑えきれなくなったロジャーは、所在なさげに握り締められていたエンの手に自分の手を重ね。

 

「ッうわ、手ぇ冷てぇな!?」

 

いい雰囲気に持っていくつもりで握ったエンの手が思った以上に冷たくて、思わずロジャーは声を上げた。すぐに夜中だったことを思い出して片手で口を覆ったが、出て行った声は帰ってこない。が、幸い誰かを起こしたり異常事態と判断されるようなことはなく、食堂を訪れるものはいなかった。

少しそのことにホッとしつつ、改めてエンの手の冷たさについて考える。

さっきまで氷入りのグラスを持っていたとはいえ、それだけではここまで冷えることはないだろう。

女は男よりも身体が冷えやすいのは知っていた。そう云って甘えてくる女は掃いて捨てるほどいて、気分が乗れば望みどおりに温めてやったことも一度や二度ではない。

ただ、そのときの比ではなくエンの手の冷たさは嫌だった。

こんなに冷たい手でいさせることが、たまらないほど嫌だった。

ロジャーは自分の体温が高めなことを知っているから、どうにかして自分のこの体温を分け与えてやれないだろうかと考える。気付けば両手でエンの手をまとめてぎゅうぎゅうと握り締めていた。

エンはエンで、自分が冷え性なのは前からのことなので、今更ロジャーがこんなふうに慌てることに少し面食らう。それから、慌てるロジャーが少し面白くて笑ってしまった。

そうして、アルコールも手伝ってじわじわと温まってきた手に、手だけではなく心も温まったような気がして口を開いた。

 

「……ふふ、あったかい」

 

ぽろりと零れたような、言葉。

ほぅと息を吐き、エンは顔を綻ばせる。

それはロジャーが今まで見たこともないほどに優しく穏やかで、嬉しそうで――満たされたような、そんな顔で。

ロジャーは、胸の奥がギュウと掴まれたような感覚に陥った。

決して顔だけでエンを好きになったわけではないが、この顔はまずい。こんなのを見て好きにならないほうがおかしい。

抱き締めたい、と思ったけれど、改めて目をやったエンの目がうつらうつらと瞬きをしていることに気が付いた。冷え切っていた手をロジャーに握られ、平熱高めのロジャーの熱で温まったことで一気に眠気に襲われたらしい。

なんというか、エンらしい。

ちょっとがっかりしたことは自分の胸の奥にしまい込み、ロジャーはエンの眠気を吹き飛ばさないよう優しく云った。

 

「……眠れそうなら寝ちまえよ。ちゃんと部屋まで運んでやるから」

「……ん……」

 

思い切って肩を抱き寄せると、エンの身体は簡単に傾いた。ロジャーの肩にこてんと頭を預け、小さな子供のように額を押し付ける。眠さゆえの無意識の行動だと云うのはわかっているが、普段絶対にこんな甘え方をしてこないので、ロジャーは感動していた。

可愛い。とにかく可愛い。

少しだけでも自分に気を許してくれているのが嬉しいし、眠たいエンは可愛くて、今日は一人晩酌をしていてよかった、とロジャーは心底自分の行動を褒めた。大勢でわいわいと飲むのも好きだが、限られた少人数で飲むのも一人飲みも全部楽しい。今日たまたま一人飲みの気分だったのは、きっとこのエンに出会うためだったに違いない。ロジャーはポジティブである。

これも日ごろの行いか、と感動していると、ぽつり、とエンが口を開いた。

 

「どうして、あなたなんだろう」

 

ギクリとしてロジャーは息を飲む。

ほとんど寝ぼけている様子のエンは、続けた。

 

「他の人なら……こんなに、苦しく……なかったのかもしれない、のに」

 

どういう意味なのか、問いただしたかった。

何の話なのか、訊きたかった。

 

――けれど同じくらい、答えを聞くのが恐ろしい。

 

「……寝ろ。何も考えなくていいから」

 

あまりにも優しいロジャーの声に、エンは抗うことなく目を閉じた。

すぐに眠りに落ちたエンは、久しぶりに夢を見た。

優しくて、幸せな、満たされた夢。

もちろん、目を覚ましたときには夢の内容なんて、覚えていなかった。

 

ロジャーはすっかり寝入ったエンを抱き上げ、部屋に運ぶ。片付けはしていないが、それは明日コックたちに自分が怒られればいいだけの話だ。

今はとにかく眠ったエンを誰にも見せたくなかった。

幸い誰かと出くわすことなくすんなりエンの部屋に到着し、スゥスゥと眠るエンの身体を静かにベッドに横たえる。

 

閉じられた目と長いまつげ、規則正しく上下する胸元と、わずかに開いた唇から聞こえる寝息。

まだ冷たいエンの手を優しく握ってやれば、反射なのか、縋るように握り返してくる。ほとんど力は入っていないのに、どうしてかロジャーはその手の力に抗えず、なかなか立ち上がることが出来ない。

無防備に眠るエンの傍にいるなんて、拷問に近いのに。

 

ロジャーが信用を裏切って無理矢理にエンを抱いたら、エンはどうするのだろうか。

泣くかもしれない。怒るかもしれない。呆れて何も云ってくれない可能性もある。

そんなことは、しないし、したくない。

けれど本当に時折、考えずにはいられない。

エンが好きだ。

エンが誰を好きでも、ロジャーの気持ちは変わらない。

エンには笑っていてほしくて、幸せでいてほしくて、自分の隣にいてほしい。

心が欲しい。

だけど心だけではなく、エンの何もかもが欲しい。

ロジャーが愛しているのと同じように愛してほしい。

海賊というのは欲張りな生き物で、最初はただ笑ってくれていたらよかっただけなのに、いつの間にかエンのすべてが欲しいと思うようになっていた。

今すぐには難しくとも、いつか、そのうち、ほんの少しでも自分の想いにエンが応えてくれたなら。

 

「……エン」

「――ん……」

 

溢れた愛しさを言葉に滲ませて名前を呼び、ガラス細工でも触るような慎重さで頬に触れると、エンはくすぐったそうに笑ったような気がした。

普段不眠症でほとんど眠れないエンは、たまにこうやって眠れたときはなかなか目覚めない。それをいいことにエンの柔らかい頬を堪能したロジャーは、自制心が効いているうちに大人しく部屋に戻ろうとした。

そうして名残惜しくもエンの頬から手を離したとき。

夢を見ているのだろうか。

音にならない言葉を発したエンの閉じた目から、つぅと涙が零れ落ちた。

 

――ああ、どうせなら。

 

自分の夢を見ていてくれたらいのに、と。

そう願い、そっと涙を拭いてやり、額にキスを落としてから、ロジャーは自分の部屋に戻った。

 

ロジャーも夢を見た。

遠くでエンが笑っている、そんな、夢。

 

 

 

 

 

3.『だってずっと、私、比べてた』

 

 

とある島で簡単な船の整備をしていたところ、ちょっとした問題が発生した。真水を作るポンプにわずかな亀裂が入っていることが判明したのだ。今は小さな亀裂だが、航海中に大きくなったら大問題である。

というわけで、ちょうどいいのでこの島でしばらく休暇を取ることになったロジャー海賊団。

幸い海賊にもここは友好的な町で、そこの一番大きな宿を貸し切ってしばらく滞在することになった。

 

「それじゃ、行ってきます」

「おお、行ってこい。こっちのことは気にするなよ」

「はい、よろしくお願いしますね、レイリーさん」

 

しかし、ここでエンは別行動をとることになった。

この島は比較的大規模で、島の東西南北に一つずつ大きな街がある。オーロ・ジャクソン号を整備していくれる造船所は東海岸にあり、ロジャーたちはそこの街の宿に滞在予定だ。

もちろん当初はエンも同じ宿に滞在する予定だったのだが、買い出し中に西の街にある大きな図書館について地元民から話を聞き、どうしてもそこを訪れたくなってしまったのである。例によって例のごとく、歴史的価値のある本の可能性を求めて、歴史学者としての血が騒ぐのだ。

船の修理は十日を予定しており、予定が伸びることはあっても短くなることはないということで、五日間ほど西の街に行かせてほしい、とエンはロジャーに頭を下げた。

東の街から西の街間の移動は乗り合いの馬車が出ているようで、北の街か南の街どちらかを経由するルートがあるらしい。島の真ん中は鉱山があり、今でも作業中で危険なので突っ切ることは出来ない。日帰りも一応は可能だが、滞在中に出来るだけ史料を手に入れたいので、どうせならじっくり西の街に腰を落ち着けたかった。

当然、基本的にエン全肯定なロジャーが珍しいエンのお願いに反対することはない。

いつもちびっ子たちにつきっきりで面倒を見てもらっているし、すき間でレイリーやギャバンの仕事を手伝っていることも知っている。それに見合った対価は渡しているつもりだが、たまにはゆっくり羽を伸ばすことも必要だろう。

そういうわけでロジャー海賊団に同行して初めての単独行動と相成ったわけだが。

 

「おいロジャー、いつまで不貞腐れてるんだ」

「別にぃ」

「まったく、ガキだな……」

 

エンが馬車に乗って行ったあと、わかりやすくぶすくれているロジャーにレイリーは苦笑するしかない。

やけにあっさりエンが西の街に行くのを許可したと思ったら、どうやらロジャーは最初からエンに同行するつもりだったらしいのだ。

船の修理中は出来ることなんてないし、物資調達なんかはすでに役割分担してある。ロジャーがすべきなのは最初の船の受け渡しと、最終的な確認作業だけで他はレイリーやギャバンたちに任せておけばいい。

なので正直暇を持て余していたわけだ。

そこにエンの単独行動の申し出。これは一緒に行けという運命の囁きに違いない。

そう思って当たり前のようにエンについて行こうとしたら。

 

『ロジャーさん、私、遊びに行くわけじゃないんですよ』

 

本気の無表情でそんなことを云われてしまい、さすがのロジャーもそれ以上何も云えなくなってしまった。

エンは自分の仕事が好きなので、そのあたり結構シビアなのである。

そんなわけでエンに置いて行かれたロジャーはわかりやすく不貞腐れているわけで。

面倒だがエンの気持ちも尊重してやりたいし、酒でも与えて置けば五日間くらいやり過ごせるだろう、とこのときレイリーは甘く考えていた。

 

一方、何の問題もなくスムーズに西の街に到着したエンは、早速宿に荷物を置き、図書館へ出かけた。

噂通り蔵書量はかなりのもので、見たこともないような本が数多く並んでいた。エンはホクホクしながら次々に本を手に取り、軽く流し読みしながら必要そうな部分を書き写していく。残念ながら一度読んですべてを覚えられるような特別な記憶力はないので、何度でも読み返せるように、購入できない本は書き写して持ち帰る必要があるのだ。

初日はあっという間に閉館時間になってしまい、二日目も丸一日図書館を堪能した帰り際には司書を捕まえて街中の本屋の場所も訊いた。図書館で気になった本の中で、そこで買えそうな本もリストアップする。ありがたいことにいくつかは現在でも購入可能だということで、翌日は本屋巡りをすることにした。古本屋もなかなか面白い品揃えで、仕事以外に趣味用の本もいくつか見繕えた。

久しぶりに一人行動なので実は少し不安もあったが、ここは治安もいいようで変に絡んでくる馬鹿もおらず、まぁそれなりにナンパはされたけれど問題なくあしらえた。

いつもはちびっ子二人とロジャーがエンの周りをうろちょろしていて静寂とはかけ離れた生活をしているから、図書館の心地よい静けさも、宿で一人きりなのもたまには悪くない。ちょっと寂しいのは認める。

しかしどうせ数日後にはまた東の街に戻って彼らと合流し、騒がしい日々が始まるのだ。たまの一人行動も楽しもう、とエンは思いっきり好きなだけ仕事に集中することにした。

 

この日は図書館以外にも街を回って、裁縫用の針や糸も新調した。

この時代に来てから趣味としての裁縫はしていなかったが、先日ロジャーの服のほつれたボタンをつけ直すために久しぶりに針を持った。やっぱり裁縫もいい気分転換になると改めて思ったし、そろそろちびっ子たちにも新しい服を作ってやりたい。色違い、お揃い。きっとすぐに大きくなるだろうから、少し余裕を持って布の遊びを作れば調節しながらしばらく着られるだろう。

明日は少し布も見てみようか、などと考えながら深夜の宿の部屋で荷物を片付けていたエンは、ふと顔を上げた。

 

「……?」

 

なんだろう。

誰かがドアの外にいる気がする。

足音はしなかったけれど、なんとなく。

しかし普通の人であれば気配を消すなんてしないし、一般人にそんな芸当は出来ないだろう。

気のせいだろうか。

あるいは、街でヤバイ輩に目をつけられたのだろうか、と不安に思ったが、はた、と首を傾げた。

 

「……あの、もしかして……ロジャーさん?」

 

そんなわけはない、と思いつつも恐る恐るドアの向こうに問いかける。

だってロジャーは今頃レイリーたちと一緒に東の街にいるはずだ。

けれど、返ってきた声は。

 

「おれ、だ」

「え……!」

 

誰何したのは自分なのに、本当にロジャーの声が返ってきたエンは驚いた。

そんな馬鹿な、と思いつつ慌ててドアを開ける。

 

「ほ、本当にロジャーさんだ……ど、どうしたんですか!?」

 

もしや自分が離れている間に何かトラブルでもあったのか、と一瞬最悪な想像をしたエンだったが、どうも違うようだ。そもそも、何かあったならもっと急いだ様子だとか、それなりに緊急性を感じさせる雰囲気があるはず。

けれど今目の前にいるロジャーはひどく静かで、ドアの前に立ち尽くしたまま動かない。

どうしたのかと再び問いかけようとしたとき、奥の階段から宿泊客が上がってくる声がした。別にやましいことはないけれど、なんとなくこのロジャーを人目に晒すのは気が引けた。

 

「ええと、とりあえず中にどうぞ」

 

一番奥の部屋を取っていてよかった、と思いながらエンはロジャーの手を取り部屋に迎え入れる。一瞬ロジャーが戸惑ったような気がしたが、すぐに部屋に足を踏み入れてくれた。

すぐにドアを閉めると、そのタイミングで宿泊客は階段を上り切って部屋に入ったようで、ドアが閉まる音がしてすぐに廊下から話し声は聞こえなくなった。おそらく階段のすぐ近くの部屋の宿泊客だったのだろう。

この宿はそれなりに値段が張ることもあり、割と防音がしっかりとしている。ドアをちゃんと閉めていればあまり廊下の声も聞こえないし、隣の部屋との間の壁も厚いのが自慢だと店主が笑っていた。

ちなみにこの宿はロジャーたちが貸し切っている東の街の宿屋の主人の紹介で、一階には用心棒がいるので女の一人宿泊でも安心だということでレイリーからここに泊まるようにと指示された。もっと手ごろな値段の宿を探すつもりだったエンだが、単独行動の条件にされてしまっては逆らえない。当然のように宿泊代金はロジャー海賊団の財布から支払われており、エンはひたすら恐縮していた。

そういう経緯もあり、ロジャーがこの宿を特定できたのはわかるのだが、こんな深夜近い夜中に訪れる理由にはなっていない。

 

「あっちで何かありましたか? 私、明後日にはそっちに合流しますよ?」

「…………。」

 

問いかけにロジャーは応えない。

いつも賑やかでおしゃべりなロジャーがこんなに静かなのは不安になり、もしやどこか調子が悪いのか、とエンは心配になった。

とにかく、何故東の街にいるはずのロジャーがこんなところにいるのかを訊かねばならない。

 

「あの、ロジャーさん? 本当に、どう――……」

 

どうしたんですか、という言葉は続けられなかった。

気付けばエンは腕を引かれ、きつく抱き締められて、驚いて言葉を飲み込んでしまう。

 

「朝起きて、エンがどこにもいなかった」

 

静かな部屋に響いたロジャーの声が、震えているような気がした。

咄嗟に何も返す言葉が浮かばず、エンは黙ってロジャーの言葉を聞いた。

 

「昼も、夜も。何してても、どこを見てもお前がいなくて」

 

胸にぽっかりと穴が開いたような喪失感に、絶望しそうになった。

たった数日、すぐ隣の街まで離れただけなのに。

寂しいなんて言葉では表せないほどに、エンがいないことに耐えられなかった。

 

「どこにも行くな。傍にいろ」

 

泣いているのだろうか。

そう錯覚するほど、ロジャーの声はあまりにも弱々しい。

 

「エン」

 

名前を、呼ばれて。

首の後ろを掬うように頭を支えられ、エンはロジャーを見上げる。

掠れた声。

熱を帯びた視線。

切ないほどの情欲に溢れたロジャーの身体。

 

「――エン」

 

目を逸らすことが出来なかった。

避けようと思えば、避けられたのに。

 

けれど、エンは――ロジャーの唇を、受け入れた。

 

 

 

 

◇◆◇◆

 

 

 

 

カーテンの隙間から零れた明かりの眩しさで、エンは目を覚ました。

なんだか頭がボーとするし身体も怠い。喉の渇きを覚え、ベッドから降りようとして――足に力が入らず転がり落ちた。

 

「……!?!?」

 

近年稀にみるドジっ子具合に自分でびっくりしつつ、したたかに床に打ち付けたお尻が痛い。というか、腰が痛い。なんで。

そこまで考えて、昨夜のことを思い出した。

深夜、ロジャーが訪ねてきたこと。

彼を部屋に招き入れたこと。

抱き締められて、零すように告げられた言葉たち。

それから、信じられないくらい優しいキスと。

 

――やってしまった。

 

すべてを鮮明に思い出し、エンは床の上で頭を抱えた。

まずい。

とんでもないことをしてしまった。

久しぶりだったし、かなり乱れてしまったような気がして死ぬほど恥ずかしい。

どんな顔をしてロジャーと顔を合わせればいいのかわからず、ひとまず頭を冷やしたい。頭から水でもかぶればマシになる気がしたのでバスルームに行きたいが、いっそ笑えるほどに足腰が立たなくて全然動ける気がしなかった。

これはもう這っていくしかないか、と考えていると。

 

「……エン」

「!!」

 

ベッドに背を向けて床に座り込んでいたエンの背中に、ロジャーの声がかかった。まぁベッドから落ちたときに結構な音がしたし、さすがにロジャーも目が覚めたのだろう。

目覚めのあいさつでもすべきなのかもしれないが、あいにく今のエンにはそんな余裕はない。

振り向くことも出来ず固まっていると、少し逡巡する気配があって、それから。

 

「すま」

「謝らないでください」

 

反射的に、エンはロジャーの言葉を遮った。

自分でもびっくりしたが、ロジャーはもっと驚いただろう。

でも、謝らせるわけにはいかないと思った。

相変わらず振り返ることは出来ず、シーツに丸まったままエンはまくし立てるように云った。

 

「ドアを開けたのは私だし、ロジャーさんを部屋に入れたのも私だし、黙って抱き締められたのも、拒絶しなかったのも、私。ロジャーさんは悪くないです」

「でも」

「私が本気で嫌がったら、あなたはやめてくれる人です。わかってるのにそうしなかった、私の選択です」

 

縋るような目と泣き出しそうな声に絆されたといえばそれまでだ。

久しぶりに数日一人きりで過ごして寂しさを覚え、人恋しかったのも嘘ではない。

それでも、拒絶することは出来たはずだ。

中途半端な気持ちで身体を許すことは出来ないと、そうエンは云えたはずだったし、少しでも拒否する気持ちを表に出していればロジャーは無理強いしない。

けれどエンはロジャーの唇を受け入れたし、ベッドに押し倒されてからも一度も拒絶しなかった。

ロジャーの愛撫に善がり、与えられた熱を享受した。

痛いことも酷いこともまったくなく、信じられないほど優しく触れられた。

だからロジャーが謝るようなことなどは、一つもない。

 

「それに」

 

言葉は少なかったけれど、とびきり優しい触れ方が、視線が、ロジャーのエンへの想いを語っていた。

単なる性欲の発散ではなく、本当にロジャーが自分を愛しているのだと、それがわからないほどエンは無知ではいられなかった。

それなのに。

それが、わかるのに。

 

「謝るなら、私のほうですよ」

 

何を、と零されたロジャーの問いに、エンは歯を食いしばった。

そうして、呻くように、答える。

 

「だってずっと、私、比べてた」

 

ロジャーに抱かれながら、シャンクスとは違うのだと考え続けていた。

キスの仕方、よく触れる場所、感じる表情や熱の籠った声でエンを呼ぶタイミング。

全然違う。

ロジャーの抱き方は、シャンクスと全然違った。

別人なんだから当たり前なのに、そんなことを考えたってどうしようもないのに、ロジャーに抱かれながらもどうしたってシャンクスのことを考えて比べてしまっていた自分を、エンは自覚していた。

今エンに触れているのはロジャーなのに、目の前のロジャーのことよりもシャンクスに思考を持っていくのはあまりにも不誠実だとわかっているのに。

 

「本当に……最低で、ごめんなさい」

 

今更自己嫌悪したところでもう遅い。

自分を愛していると云ってくれた相手を、かつて自分を愛してくれた相手と比べるなんて、最悪もいいところだ。

しかもそれを本人に云うのは、ただ糾弾されて罪悪感を減らしたいという心の防衛本能。どっちみち、ロジャーに一切の配慮がないことだけは変わらない。

行為中から目覚めて今現在まで、ずっとエンはロジャーに対して最低な態度をとっている。

これは、さすがのロジャーも愛想を尽かすことだろう。もしかしたら、この場で船を降りろと云われる可能性だってある。

もしかすると、そのほうがロジャーのためになるのかもしれない。好きになった女が実はこんなに最低だったなんて、きっとロジャーはがっかりしているだろう。

 

「代わりでいい」

「な……」

「今は『お頭』の代わりでもなんでもいい。ただ傍にいてくれりゃあ、それでいいんだ」

「……それってかなり私にとってロジャーさんが都合のいい男になるんですけど」

「上等。そのうち本命になってみせるぜ」

 

ここでこの日初めてエンはロジャーを見た。

軽蔑されてもおかしくないようなことをしたのに、ロジャーがエンを見る目はどこまで優しく、愛情に溢れている。

どうして、と思わずにはいられない。

そりゃあ、エンは自分が可愛いことを知っている。頭もいいし、愛嬌があってそれなりに何でもできて、出来ないことと云えば料理とちょっと運動神経が悪いくらいで、自分が万人に好かれる自覚は十分にある。

けれど、ロジャーは海賊王だ。

誰もなしえなかった偉業をなすような人が、何故ここまで自分を愛してくれるのかがわからない。愛玩動物のような愛され方だったらきっと素直に受け入れられたのに、これはそういう愛情じゃない。

 

嬉しい。

だけどこの時代の人間ではない自分が手に入れていい愛情ではない。

それでも嬉しいことは否定できなくて。

少なくとも、抱かれることに嫌悪感がないことは確かで。

たとえ誰かの代わりでも傍にいてほしいと云ってくれるロジャーの残酷なまでの優しさに――エンは、ついに降参した。

 

「……誰かさんのせいで立てないんです。バスルーム、連れて行ってくれますか?」

「お安い御用だ」

 

エンが伸ばした手を、ロジャーが恭しく取って抱き上げる。

そうして自然と、触れるだけのキスをした。

この時代に飛ばされて、このとき初めてエンは心が満たされた気持ちになった。

 

 

 

 

 

4.『大丈夫』

 

 

ここ数日、冬島の気候に入ったということで非常に寒い日が続いていた。

雪こそ降らないが空は常に曇天で、空気も刺すように冷たい。朝方なんかはかなり冷え込んで、前日の雨で濡れっぱなしになっていた甲板が凍っていた。ちびっ子二人はそれが面白いようで、耳や頬を真っ赤にしながらきゃっきゃとはしゃいでいる。

その光景をがっつり厚着をしたエンが見守っていた。

 

「若いねぇ……」

「お前も十分若いだろ」

「まぁ、確かにギャバンさんよりは若いですけども」

「この」

 

怒ったように眉を吊り上げるギャバンに頭を小突かれ、エンは大袈裟に痛がった。もちろんギャバンは怒っていないし、小突かれたエンも全然痛くない。完全にじゃれあいである。

 

近頃のエンは、クルーたちとこんな気軽なやり取りをするようになった。いつからとは云わないが、憑き物が落ちたようにすんなり現在の状況を受け入れたようだった。

以前からエンは誰に対してもフレンドリーだったけれど、ふとした瞬間に壁のような境界線を感じることがあった。

どれだけ仲良くなっても、自分とは違う、と線引きをされているようで少し寂しかったというのが実のところだ。

が、今のエンにはそれがない。

今更理由を根掘り葉掘りするつもりはないが、少なくとも今のエンのほうがギャバンは好きだ。

収まるところに収まってくれたのだろうと思うと、嬉しい反面少しだけ寂しい気もするのは気のせいだろうか。

 

とにかく、今まで以上に船は平和で穏やかだ。

ちょっと平和ボケしてしまいそうではあるけれど、こう寒くては敵襲も面倒だし、ちびっ子たちがはしゃいでいる姿を眺めている方が面白い。

寒い甲板で飲む温かいコーヒーで一服していたギャバンとエンだったが、しばらくするとレイリーがやってきた。

 

「エン、ロジャーを起こしてきてくれるか」

「ええ、なんで私が」

「お前が起こすと機嫌がいいから」

 

あっさり云われてエンは口をへの字にした。しかしレイリーははやくしろと云わんばかりに船内に続くドアを開けて待っている。仕方なし、エンは立ち上がった。

 

「起きたら測量室に来るように云ってくれ」

「しょうがない……じゃ、二人のことよろしくお願いしますね」

「おう、まかせとけ」

 

ベッドに引きずり込まれないように気を付けろよ、と笑って云うギャバンを冷たく睨み返し、エンは与えられた仕事を遂行すべく船内に足を向けた。

船長室には何度か訪れたことあるがあるので今更迷いはしない。ノックをして声をかけてみるが、返事がない。仕方なし、失礼します、と改めて声をかけてからドアを開けると、ロジャーはまだベッドの中にいるようだ。

 

「ロジャーさーん、起きてください。レイリーさんが呼んでますよ」

「んー……」

「ほら、もういい時間ですよ。朝ごはんも食べないうちにお昼ごはんの時間になっちゃいますよ」

 

すでに昼前だというのに締め切られたままのカーテンを開け、換気のために窓も開けながら声をかけるが、ロジャーが起き上がるような気配はない。いつもなら、エンが部屋をノックした時点で飛び起きて抱き着いてくるのに。

おや、と違和感を覚えたエンは、振り返ってロジャーを見る。ベッドから上半身を起こしたところだったロジャーは、眠たそうに何度か瞬きを繰り返す。

 

「……ロジャーさん?」

「……ん、おはようエン」

 

ロジャーの声が何だかぽやぽやしている。

こういう反応にエンは覚えがあった。ちびっ子たちが熱を出したとき、今のロジャーのようなふわふわした反応をするのだ。

身体は起こしてもベッドから出ようとしないロジャーの様子に少し焦燥感を覚え、慌ててエンはベッドに駆け寄った。

 

「もしかして、熱、あります?」

「んえ?」

「ちょっと失礼します」

 

返答を待たずに触れたロジャーの額は、いつもよりかなり熱い。確かにロジャーの平熱は高めだが、これは平熱の域を超えている。

 

「寝ててください。船医さんとレイリーさんを呼んできますから」

 

云うや否やエンはロジャーの部屋を飛び出し、近くにいたクルーにレイリーを呼んでくるよう頼み、自身は医務室にいる船医を呼びに行った。

尋常じゃなく慌てた様子のエンに驚きつつもおとなしく一緒にロジャーの部屋を訪れてくれた船医は、ロジャーの様子を見て納得がいった。遅れてやってきたレイリーも、最初は驚いていたが船医とロジャーを見て事情を察したらしい。

エンだけが何故二人がこんなにも冷静なのか理解できず、困ったように二人をきょろきょろと見ているしか出来なかった。

そうして診察を終えた船医は、あっさりと云う。

 

「ま、風邪だな」

「風邪?」

「こいつたまーに、ほんっとーにたまーに冬島に近付くと熱出すんだよな」

「そういやエンが来てからは初めてか。ま、寝てりゃ一晩で回復するから、心配すんな」

 

どうやらこれは彼らにしてみれば慣れたことのようだ。

実際、普段は頑丈を絵に描いたような男だが、ときおりこうして熱を出す。たいていの場合一晩休めばケロッと回復して、朝にはまたいつも通り元気いっぱいに元通りだ。

それがわかっているから船医もレイリーも軽く笑って仕事に戻ろうとしたのが、エンは顔色を真っ青にしたまま動かない。

 

「……エン?」

 

反応がない。

もしや心配が一周回って怒りに変換されたのだろうか。エンならありうる。

しかし、その心配は空振りに終わった。

 

「ほん、とうに……?」

「は?」

「本当に、大丈夫なんですか?」

 

エンは怒ってなどいなかった。

代わりに、信じられないくらいに顔色が悪い。

震える手を祈るように胸の前で握り締めるエンがロジャーを心配しているのはさすがにレイリーにも船医にもわかった。

けれど、ロジャーはただの風邪なのだ。

安心させるようにわざと明るくレイリーはエンの肩を叩いた。

 

「おいおい、エンのほうが病気みたいに顔色悪いぞ」

「本当に絶対、大丈夫なんですか?」

「だ、大丈夫だって」

「どうして大丈夫って云い切れるんですか? 検査は? 原因は? いつも大丈夫だからって今回も大丈夫だって云い切れる根拠は何ですか?」

「お、おいエン、」

「だって、ロジャーさんに何かあったら――……」

 

しかしそれは逆効果だったようだ。

真剣に心配をしているエンには二人がへらへらしているのが許せなかったらしく、怒鳴りはしないが静かに怒気を孕んだ声で二人を問い詰める。

ロジャーはただの風邪だ。それは間違いない。典型的な風邪の症状だし、これまで似たようなことは何度もあった。いつものことだからといって適当な診察をしたわけではなく、きちんと医学的に問題ないと船医が判断してそう云っている。

それなのに、このエンの心配のしようは、なんだか少し妙だった。

が、エンが真剣なのは見ればわかるので、船医は気を取り直してエンを安心させるように優しく云った。

 

「解熱剤を出して、今夜一晩様子を見る。もし何かあればすぐに対処できるようにする。それでいいか?」

 

薄っすらと涙すら浮かべていたエンは、その船医の言葉に漸く気持ちを落ち着けたらしい。

震えながら頷くと、すぐにベッドサイドにしゃがみ込んでロジャーの顔を覗き込んだ。熱のせいでかいた汗を甲斐甲斐しく濡れタオルで拭いてやり、落ちていた氷嚢を額に乗せる。

その様子を見たレイリーと船医は素早く目配せをし、頷いた。

 

「よかったら、エン。今日はロジャーについてやってくれるか?」

「は、はい……」

「頼むよ」

 

船医はエンに、ロジャーが目を覚ましたら飲ませる薬を渡し、いったんレイリーと共に船長室を出た。

二人ともしばらく無言のまま歩き、特に示し合わせたわけではないが医務室に向かう。念のため誰も近くにいないことを確認してからドアを閉め、向かい合って座った二人は難しい顔をして首を傾げた。

 

「どう思う?」

「エンか。様子がおかしかったな」

 

てっきり、いつもの風邪だと笑い飛ばしてやればエンも安心してくれると思ったのに、返ってきた反応は期待したものとは真逆だった。

 

「別にロジャーのやつ、病気持ちとかじゃないよな?」

「そのはずだ。少なくともおれが見た限りでは異常はないはずだぞ」

 

ロジャーたちに限らず、海で生活するものはたいてい定期的に身体のメンテナンスをしている。それは健康志向が高いとかそういう問題ではなく、陸での生活よりも圧倒的に海上のほうが身体が資本になるだからだ。海上で体調を崩して、船医と船の医療器具だけでどうにかならない問題が発生したら大問題になる。つまり、単純に海上で生きるには健康的である必要がある。

そのためロジャーたちも定期的に船医の健康診断を受けている。嫌がるものも一定いるが、引きずってでも受けさせている。ちなみにというか当然というか、ロジャーは嫌がるもの筆頭だ。が、船長という立場上逃げ回っているわけにもいかないので、嫌々ながらもちゃんと毎回健診を受けていて、今のところ何も問題なしと結果が出ている。

だからこそ、船医にはエンの様子がいっそう不可解に見えるのだ。

 

「エンは何を怖がってるんだ?」

 

二日酔いで死体のようになることはあるし、人間なのだから少しくらい体調を崩すことくらいあるだろう。船医にしてもレイリーにしても、普段は頑丈だがたまには体調を崩す。それは当たり前のことだ。

ロジャーだって規格外に丈夫ではあっても、やはり人間だ。

むしろ、普段は怪我もほとんどなくぴんぴんしているから、こういうときにこそ一応血の通った人間であることを実感するくらいなのに。

レイリーも船医も、わからない。

エンが一体何を恐れているのか、さっぱり、わからない。

 

一方、二人が去り、眠るロジャーと二人きりになった船長室。

エンは、涙が零れそうになるのを堪え、叫びだしたくなるのを必死に耐えていた。

 

「大丈夫」

 

その大丈夫は、一体誰に向けられたものだろう。

エンは眠るロジャーの手を握り締め、額を押し付けた。祈るように、願うように。

だってエンは知っている。

数年後、ロジャーが不治の病に倒れることを。

シャンクスに聞いた話では、ラフテルにたどり着く四年ほど前に不治の病を発症したという話だけれど、自分が過去に飛んでくるというイレギュラーが起きている時点で、未来に何らかの変化が起きても不思議ではないと思っている。つまり、ロジャーの病気が前倒しで発症する可能性もあると、懸念していた。

確証のない想像だから普段は未来への変化も特に注意はしていないが、明らかに不調なロジャーを見てエンは一気に不安になったのだ。

 

まさか。

もしや。

そんなまさか。

 

しかしエンの恐れとは裏腹に、船医もレイリーも『いつものことだから』と笑っている。

信じられなかった。

どうして笑っていられるのかわからなかった。

エンはこんなに不安で怖くてたまらないのに、どういう神経をしているのかと疑った。

でも、二人の反応が正しいこともわかる。

エンは船医の診断を疑っているわけでもないし、付き合いの長いレイリーがこんなにあっけらかんとしているのだから、本当に心配ないのだとは思う。

思うけれど、怖いのだ。

もしもこれがただの風邪ではなかったら。

不治の病の兆候だったら。

どうしたらいいか、わからない。

 

「大丈夫――……」

 

そう何度も自分に云い聞かせなければ、怖くて、どうしようもなかった。

だってもう、今のエンは、ロジャーを失うことに耐えられないから。

 

 

 

 

 

5.『私を信じてくれますか?』

 

 

まずったなぁ、とエンは思う。

こんなはずではなかったのに。

楽しくお買い物をして終わるはずだったのに。

 

――なんでこんなことに。

 

「お前も災難だな。ロジャーの野郎と関わり合いになったばっかりによぉ」

 

世が世なら、サスペンスな劇場の終盤で使われていそうな崖の上。

エンは男に後ろ手に拘束され、首元にナイフを突きつけられていた。

 

「あのぉ」

「っだよ!?」

「私をエサにしてもロジャーさんは釣れないと思うので、解放していただくというわけには……」

「できっか、ンなこと!! 黙ってろブス!!」

「んなっ」

 

云うの事欠いて、ブス。

エンは生まれて初めて云われた差別的発言にショックを受けた。

蝶よ花よと可愛がられ、三十代を目前にした現在まで可愛いという周囲の評価をほしいままにしてきたエンは、ブスだなんて初めて云われた。

エンは自分の顔が可愛いことを自覚している。いわゆる大人っぽい魅力は少ないかもしれないが、可愛らしさだけで云えば生まれてからこれまで絶対的な自信があった。

もちろん、人にはそれぞれ好みがあることは理解している。

きりっとした美人にしか興味がないという人もいるだろうし、年齢的にエンが対象でない人ももちろんいるだろう。女が恋愛対象でなかったり、そもそも人間にそういう感情を抱かないタイプの人だっているかもしれない。

そういう人たちにとってはエンはいくら可愛くても心動かされるほどのものではないとわかっている。

しかし、それでも『エンが可愛い』という事実は変わらない。

だというのに、可愛いはずのエンをブスと断じて吐き捨てたこの男は一体何だと云うのだろうか。目が腐っているのかもしれない。

はぁ、と思わずため息を吐き、今日は厄日だ、とエンは心底落ち込んだ。

 

この日、エンはちびっ子二人と町に降り立って買い物をしていた。

二人とも足がしっかりしてきたし、少しずつ外にも慣れて行こうというわけで、二人の服を買いに来たのだ。

カジノに行くとうきうきした様子で街に出かけて行ったレイリーを遠い目で見送ってから、エンはちびっ子二人を連れて子供服屋を目指した。この町は通りによって店のジャンルがきっちり分けられていて、子供服屋は目立つ場所に大きく建っている。その中でも二人に似合いそうで動きやすそうなタイプを置いている店を選んだ。

今ある服は、エンが直し直し着ているが、そろそろ丈がつんつるてんになりつつある。この時期の子供は本当にあっという間に大きくなるから、直すだけでは追いつかないのだ。

エンは自分の服にはほとんど興味がないが、ちびっ子たちの服となれば別である。店員のおすすめから流行の新作から、とにかく目について二人が似合いそうな服を片っ端から試着させていった。二人は何が何だかわかっていない様子ではあったが、エンが楽しそうなので自分たちも嬉しい。嫌がることもなく、エンの着せ替え人形になっていた。

きゃっきゃと楽しく試着を続け、服だけでなく靴や帽子なども山ほど購入すると、経費として渡されたお金はすっかり使い切った。やりすぎたかな、と少し反省したが、ちびっ子たちを着飾れるのであればこれくらい、と開き直ることにした。

 

そうして店員が荷物を包んでいる間、休憩に、と三人は支配人とやらに飲み物を勧められたのだ。

なんでも高額購入者に対するサービスらしく、奥にある個室に通されてにこにこと笑顔でそう云われ、そういうこともあるのか、とエンは一つも疑わなかった。ちびっ子たちも試着で疲れていたし、荷物持ちにギャバンが来てくれるまで、ということでありがたくよく冷えたジュースを飲んでからの記憶がない。

気付けば見知らぬ部屋に閉じ込められていて、ちびっ子二人も見当たらなかった。

やられた、と思っても後の祭りで、自己嫌悪で吐きそうになっているエンの前にこの男が現れた。この男には見覚えがあり、子供服屋で飲み物を勧めてきた支配人だったはずだ。

どうやら嵌められたらしい、とこのときエンは気付き、狙われていたことに全く気付けなかった自分に自己嫌悪で死にたくなった。

そしてこそこそと隠れるように街から移動させられ、この崖にやってきた。もちろんエンがロジャー海賊団の一員であることはわかっていたらしく、子供服屋にエンたちを迎えに来たギャバンに脅迫文を渡してやった、と男は自慢気に話していた。そんな自慢はつまらないが、男は心底楽しそうに笑っている。

 

戦闘に関して知識も勘もないエンでも、この男がさほど強くないのはわかった。

普段ロジャーやレイリーといった強者と常に一緒にいるからこそ、こういう悪どいことをするだけの小物というのはわかりやすい。本当の強者というのは、朗らかに見えても内に秘める圧倒的なオーラは抑えられないのだが、悪い顔をしていてもこの男にはオーラが全くないのだ。

だから、いくら手を縛られてナイフを突きつけられて危機的状況にあっても、エンはこんな男のことはこれっぽっちも怖くなかった。面倒くさいことをしてくれたな、と怒りすら覚える。

どんな脅迫文をしたためたのかは知らないが、おそらくエンをエサにロジャーを呼び出しているのは想像に難くない。

そんなことをしたら、冗談でもロジャーは来てしまうだろう。それくらいロジャーに愛されている自覚が今のエンにはある。

が、エンは守られるだけの弱いヒロインにはなれない性分なので、どうしても迷惑をかけたくない。できることなら自力で逃げて、どこか別の場所につかまっているのであろうちびっ子たちのことも救出したい。

お願いだから来ないでロジャーさん、というエンの祈りもむなしく、ほどなく林のほうから足音が聞こえてきて。

 

「おーいエン、来たぞ」

「来ちゃったぁ」

 

現れたのは、にこやかに手を上げて挨拶をしてきたロジャーだった。

まるで散歩の途中かのような気軽さに男はぽかんとし、ハッとした様子で頭を振ってから取り繕った強気の笑みを浮かべた。

 

「やっとお出ましか。待ちくたびれたぜ、ロジャー」

 

もっと緊迫した雰囲気を予想していた男だが、優位なのは自分だと信じている。

ニタリと悪そうな笑みを浮かべたが、当のロジャーはきょとんとしていた。そうして、眉間にしわを寄せて顎に手を当て、首を傾げる。

 

「……誰だお前?」

「はぁ!?」

 

耳元で大声を出されたエンは顔をしかめた。うるさい。唾が飛んで汚い。

しかし、因縁の相手に誰何された男は著しくプライドを刺激されたようで、怒鳴りつけるように大声を上げた。

 

「忘れたとは云わせねぇぞ!! おれの船を沈めた上に、おれたちのことはマリンフォードに放り投げて行きやがったくせに……!」

「あ、あー、あったなーそんなことも」

 

どこか懐かしむように思い出話でもするな朗らかさで手を叩いたロジャーを、エンはウワァと遠い目になって見つめた。あれは絶対に思い出していない顔だ。そろそろそういう顔がわかるようになってきた。ちょっとだけ男が気の毒に思える。

 

男は、そのあと自分がどれだけ大変だったかを語り始めた。

ロジャーに卑怯な手を使われて負けた(本人談)あとマリンフォードの海軍本部近くに放置され、すぐに海軍に発見されて捕まった。怪我のために逃げ出すことも出来なかったので、怪我が治るまでの間あえて海軍に捕まることにしたという。

おとなしく軍医の云う通り治療を受け、インペルダウン移送までの間に刑務作業を真面目に取り組んだ結果、監視付きながら軍の敷地外での作業を割り当てられることも増えた。

そうして怪我が治るや否や、監視を殺して脱獄し、散り散りになっていた仲間を再度集め、ロジャーが立ち寄りそうな島に目星をつけ、金をばら撒いて情報を集め、エンやちびっ子たちの存在を知ったそうだ。

ロジャーたちがこの島に来ることを予想して行動を監視、エンたちがロジャーたちと別行動をしたところで今回の誘拐を思い立ち即店を買収、行動に移し今に至る、とのこと。

 

まぁ、努力は認めよう。努力というか、執念というか。

とにかく、ロジャーに復讐したい一心でつらい刑務所生活も乗り切り、ここまでやってきたことはすごいと思う。内容は最低に輪をかけて最低だが。

自慢気にクソみたいな行動を話すな、と内心毒づくが、その最低な行動にまんまとはまって捕まったのはエンである。

悔しさと申し訳なさで胸を痛めつつ、エンは顔を上げた。

 

「ロジャーさん」

「待ってろエン、すぐ助けてやるからな」

「ここじゃない場所にシャンクスとバギーが捕まってます」

 

その言葉に、ロジャーはピクリと眉を持ち上げた。

確かに船を出たときはエンはちびっ子たちと一緒だったはずで、その二人はこの場にいない。

 

「私は大丈夫なので、二人のことを助けてあげてください」

 

エンがそう云うやいなや、首元のナイフがジクリと押し付けられて皮が切れた。ピリついた痛みがエンを襲うが、そんなものはどうでもいい。今エンが心配なのは、自分のことよりもちびっ子二人の安否だった。

 

「余計なことしゃべんな」

 

男はイラついたように吐き捨てたが、口を縛らなかったのはそちらの落ち度だ。人質である以上すぐに殺すことは出来ないだろうし、エンはせいぜい役立たずにならないようしゃべり散らかしてやるつもりだった。

ちびっ子たちのことは自分で云うつもりだったようで、エンに先にバラされたのが腹立たしかったらしく、男は忌々し気にエンを睨みつけるが、そんなものに怯むエンではない。

むしろ挑発的な笑みを浮かべ、云う。

 

「実力で敵わないから人質とって、万が一の保険に人質分散させて。そういうみみっちいところがロジャーさんに勝てない要因なんだってどうしてわかんないかな?」

「ッうるせぇ、黙ってろ!!」

「しかももしロジャーさんが手を出してきても先に私は殺せるような位置に置いとくって、ほーんとちっちゃい」

 

そこまで云うと、男は無言でナイフをエンの肩に突き刺した。

燃えるように熱く、次いで激しい痛みに襲われる。刃先を数センチ刺しただけだから死にはしないが、当然血は出る。さらに男はナイフをグリッとわざと痛みが出るように捩じりながら引き抜いたが、しかしエンは悲鳴は意地でも上げず、歯を食いしばって痛みに耐えた。

プライドだけは一丁前な男は、女に馬鹿にされたのが我慢ならなかったのだ。いくら可愛くとも、女は男に蹂躙される生き物だと思っているから、自分より下に見ている。そんなエンに図星を突かれたのは、男にとって屈辱以外の何物でもない。

 

「おい、ロジャー。お前が何かしたらすぐにこの女は崖からダイブすることになるぞ。そうなったら、可愛い顔が台無しなくらいぐちゃぐちゃになって死ぬだろうな」

 

ここまできて、初めてロジャーの顔が厳しいものになった。

エンを目の前で傷つけられたのだから当然だ。

いくらロジャーといえど、あの距離でナイフを突き立てられていては無傷でエンを救出するのは難しい。脅迫文にあった通りロジャーは手ぶらで一人でここにきているから、仲間に隙をついてもらうことも出来ない。

どうやって助けたものか、と考えているうちに、エンが刺された。

最悪だ。

自分を殴りつけてやりたいところだが、自己嫌悪よりも先にエンを助けるべきだとロジャーもわかっている。

すると、痛みに顔を歪めるエンは、それでも何故か――そっと微笑んで云った。

 

「大丈夫ですよ、ロジャーさん。前に云ったでしょう? 私はあなたの足手まといにはなりません」

「なってんだろ、現に、今。お前はあいつのお気に入りなんだろ? お前がこっちの手にある限り、あいつは手出し出来ねぇ」

 

ざまぁねぇぜ、と下品に笑う男のことを完全に無視し、エンは小さく息を吐いた。

そうして、ごく自然な動きで男から距離を取る。

もしそれが、ロジャーがいる方に逃げる動きであれば男は何も考えずエンを殺していただろう。

しかし、エンが動いたのはロジャーたちとは逆方向。つまり、崖に自分から近付いて行った。

 

「どうせ逃げられないと思って足を拘束しなかったのは失敗でしたね」

「は? おい」

「ロジャーさん。私を信じてくれますか?」

 

この場の緊張感にはそぐわないほど、エンの声はひどく落ち着いていた。

何故エンが崖っぷちギリギリに立ったのか理解したくない。男も、逃げるならともかくわざわざ崖の方にエンが向かったのか意味が分からないようで、頭にはてなを飛ばしながらエンを見ている。

その間抜けさに今は感謝しつつ、エンはまっすぐにロジャーを見つめた。

その目はいつも通り強気で自信に溢れるように輝いており、自棄になっている様子もないし、諦めている様子もない。

何かエンなりに考えがあるはずだ。

だからロジャーは頷いて、一言だけはっきりと返した。

 

「信じる」

「ありがとうございます。じゃ」

 

次の瞬間。

 

「二人を、よろしくお願いします」

 

そう笑って、エンは自ら――崖に、身を投げた。

 

あっという間の出来事だった。

男はエンの身体が宙に浮くのをあほ面で眺めているだけだったし、ロジャーも同じだった。たいていの出来事には対応できるタイプだと自負していたが、さすがのロジャーもこの事態はあまりにも予想外すぎる。

姿が見えなくなるまで、エンは笑顔だった。

彼女の姿が視界から消えて漸くロジャーはハッとし、作戦の失敗を覚って携帯用電伝虫で仲間に連絡しようとしていた男を取り押さえる。

エンたちがいなくなったとわかったとき、よほどの馬鹿でない限り人質は分散しているだろうと予想していた。おそらく、エンを失ったことで自分たちの計画が思うようにいかなくなったとわかり、ならば人質全員を殺してしまえ、とでも考えたのだろう。

しかし奪い取った携帯用電伝虫に繋がった先から聞こえたのはギャバンの声で、あちらは問題なくちびっ子たちを救出出来たらしい。身動きの取れない男にそのことを伝えてやると、男は狂ったように暴れた。が、ロジャーが怯むはずもなく再び地面に押さえつけられた。

 

「この、くそっ、クソが!!」

「クソはお前だ、クソ野郎。お前よくもエンを……」

「ハンッ、でもお前のお気に入りは死んじまったぜ? ざまぁみろ!!!」

 

下卑た笑いを浮かべた男の肩を、ロジャーは問答無用で潰した。

ギャァ、と汚い悲鳴が聞こえたけれど、雑音でしかない。エンは首に傷を負っていたし、肩も刺された。痛かっただろう。だというのに悲鳴ひとつ零さなかったのに、この男ときたらちょっと肩を潰されたくらいでこのざま。なんとみっともなく小さいことか。

さて、どうしてやろうか、と考える。

このまま殺してしまってもいいが、一応レイリーたちと合流してからのほうがいいかもしれない。

それに、彼らに何と説明したらいいのか、と少しだけロジャーは途方に暮れていた。

エンが崖から落ちた。

正直これが他の仲間であれば、どうせ無事だと思えた。

しかし、エンはただ可愛いだけの普通の女なのだ。

この高さの崖から落ちて無事なわけがない。

判断を間違えた。

こんな男のくだらない茶番に付き合わず、最優先でエンを助けることを考えるべきだったのだ。

それなのに。

慙愧の念に堪えないロジャーの様子に、男は更に下品な笑みを深くする。こうなってはもはや自分は助からないだろうが、少しでもロジャーという強敵に傷をつけてやれたことが嬉しくて仕方ないのだ。どこまで器の小さい雑魚である。

どうせ死ぬならせいぜいお気に入りが死んだことを悔やませてやろう、と男が口を開こうとした、そのとき。

 

「残念でした、生きてるんだなァ、これが」

 

明るい声が聞こえ、そちらに目をやった男は驚愕に目を見開いた。

そうして、情けない悲鳴のような声を上げる。

 

「ひ……な、海王類……!?」

 

ロジャーも呆気に取られてエンを見た。男を捕まえていた手が緩んだけれど、解放された男は逃げることも忘れたように間抜け面をさらして固まっている。

崖下に落ちたはずのエンは、けれど戻ってきた。

それも、特大の海王類に乗って。

偶然だろうか。

落ちた先に偶然海王類がいて、たまたまここまで持ち上げてくれた可能性は、果たしてあるだろうか。

いや、そんなはずはない。

このあたりに海王類が出没するなんて情報はなかったし、エンの様子からして崖を飛び降りたのはこれが根拠だったように思える。

縛られていた手は解放されており、首と肩の傷は痛々しく血が滲んでいるから、まさか化けて出た幽霊ではないだろう。幽霊にしては表情が生き生きとしている。

ということはつまり、エンは崖から落ちて、生きて戻ってきた。

目の前の出来事があまりにもとんでもなさすぎて、ロジャーも呆然とエンを見つめることしか出来ない。

二人が度肝を抜かれていることには気付いているが、丁寧に崖の上に降ろされたエンは改めて海王類を撫でながら笑顔を浮かべた。

 

「ありがとう、助かったわ。急にごめんなさいね」

『いいえ。われらがあるじをたすけるのは、とうぜんのこと』

「それでも。ありがとう、コハク」

 

笑顔で礼を告げると、コハクは不思議そうに目を瞬き首を傾げた。

 

『それは、わたしのことですか?』

「そう。あなたの目、琥珀色でとっても綺麗だから。そう呼んだら駄目?」

 

エンには、今自分を助けてくれたのが自分のよく知るあのコハクだという確信があった。

同時に、納得する。

驚いたようにもう一度目を瞬いたコハクは、ややあって嬉しそうに云った。

 

『いいえ。なまえをもらったのははじめてです。わたしは、コハク。あなたの、しもべ』

 

元の時代で初めて会ったときに名前を訊いて、瞳の色にちなんだ名前だなんて、随分と人間らしい名前の付け方をするのだと思ったけれど、そりゃそうだ。これは人間が付けた名前なのだから。

そう、エンが、今、この名前をコハクに贈ったのだ。

だからあのときコハクは、エンを待っていたと云った。

初めて会ったのに、初めてではなかったわけだ。

 

おかしな出会い方をしている、とこの奇妙な再会に苦笑しつつ、エンは穏やかな笑顔を浮かべて顔を上げ。

視線の先は、エンをさらった男。

可哀想に、突然現れた海王類に震えあがって逃げることもままならなかったようだ。どっちみち、逃がすつもりなどエンにはなかったけれど。

すぐ隣に立っていたロジャーには少し離れるようにとお願いし、二人の距離が十分離れたところで、エンは口を開く。

 

「それじゃあコハク。早速だけどお願いしてもいいかな?」

『はい。どうぞ、ごめいれいを』

 

まだ口にはしていなかったが、コハクはすでにエンが何を云うのかわかっているようだった。

静かに、問い。

エンは、告げる。

 

「こいつを、消して」

 

心得たようにコハクは瞬きをして。

かぱ、と大きく開いた口は、あっという間に男を、崖の一部ごと飲み込んだ。器用なことに、崖を抉っても崩れるようなことはなく、とても静かなものだった。

そうしてそのままコハクは海に潜り、彼の使命は果たされた。

 

その様子を静かに眺めていたエンは、すっかりコハクが海の底に潜っていったことを確認して漸く息を吐く。

そうして、視線を抉られた崖に向けたまま、とんでもない出来事に呆気に取られているロジャーに向き直った。

 

「シャンクスとバギーは、大丈夫でしょうか?」

「あ、ああ。あっちはギャバンとレイリーがうまくやってくれてるはずだ」

「そうですか。よかった」

 

どうやらエンとちびっ子たちが別の場所に捉えられていることは事前にわかっていたようで、最初から二手に分かれて動いていたようだ。さすがの百戦錬磨、と彼らの手際の良さに感心しつつ、ここでやっとエンは腹を括った。

 

「本当は、もっと前に話すつもりだったんですけど……タイミングを逃して、ずっと云えないままだった」

 

けれどそのタイミングは突然に訪れた。

今が、そのタイミングなのだ。

 

「これが、私の力です」

 

エンは静かに告げた。

海王類と言葉を交わせること。

一部の海王類が自身を主と呼び従ってくれていること。

言葉にしてみれば案外単純で、だけどあまりにも途方もない内容。

ロジャーは腕を組み、考えるように眉間にしわを寄せながら云う。

 

「海王類を、操れる?」

「はい。少なくとも、海王類が私に害を与えることはありませんし、海の上であれば私は海王類をほとんど意のままに操れます」

 

海で生活する上で、海賊であれ海軍であれ一番の脅威は海王類だ。

何せ単純に大きさが違いすぎる。小さな海王類でさえガレオン船ほどもあり、大きなものでは数百メートルにも及ぶ。基本的には海王類が好んで人や船を襲うことはないが、遭遇したらほとんどの場合がなす術もない。

たった一匹でも十分脅威になりうるのに、今のエンの云い方では、操れるのは一匹や二匹の話ではなさそうだ。

海王類の言葉を理解する人間なんて聞いたこともないし、操れるなんてもっと初耳だ。

ロジャーが純粋にそんな能力を持っているエンに感心していると、エンは何故か悲しそうに微笑んだ。

 

「私は、こういう人間なんです」

 

真意がわからず、ロジャーは首を傾げる。

こういう、とは。

 

「……どういう?」

「わかるでしょ。私は、あなたのことをも殺す力を持っている」

「何?」

「だって、いくらロジャーさんが強くても、海の上で海王類に食われて一気に深海まで潜られたらひとたまりもないでしょう? 私には、それをするだけの力があるんです」

 

なるほど、そう云われて初めてその可能性に思い至った。

確かにエンの云う通り、海王類に丸呑みされて海に潜られたらあっという間にぺちゃんこだ。ロジャーが強いとはいえあくまで人間で、深海の水圧に耐えられるわけがない。

けれど、と思う。

エンは苦しそうに歯を食いしばり、拳を震わせている。崖下から戻って以来、一度もロジャーと目を合わせようともしなかった。

 

「ずっと云えなくて、黙っていて、すみません。でもこれでわかりましたよね」

「何が」

 

なおもエンが何を云いたいのか理解できず、ロジャーは問い返す。

エンにしてみれば当たり前のことを云っているだけなので、そろそろイラっとしてきた。思わず返しが刺々しくなったところで責められる謂れはないだろう。

 

「私は、あなたの傍にはいられないってことです」

「……意味がわからん」

「……いや、わかってくださいよ」

 

心底訳が分からないと云うように首を傾げたロジャーに、エンは呆れるしかない。

彼は馬鹿ではないはずだ。ただの馬鹿は海賊王になんてなれない。いくら周りが優秀でも、彼が馬鹿では誰もついて行かないだろう。

日頃のロジャーの言動は子供っぽく幼稚な部分もあるけれど、決して馬鹿なわけではないことはエンもわかっている。

それなのに、何故こんな物わかりの悪い反応なのか。

 

「自分の寝首をかける女を傍に置いておく理由はないでしょう?」

「かくのか? お前が?」

「やるかやらないかではなく、出来るか出来ないかの問題です」

「や、でもお前はやらんだろ」

「ッだから!!」

 

あまりにも不毛なやり取りに、思わずエンは声を荒げた。

叩きつけるように、叫んだ。

 

「こんな得体の知れない力を持っている人間があなたの傍にいたら、あなたの価値を疑われる!! そんなの、絶対に嫌です!!」

 

ロジャーは海賊王になる男だ。

後世、彼の偉業は世界を揺るがす歴史として刻まれている。

エンはそれを知っている。

彼に関わった誰もが世間に名を遺している。

万が一その中に自分のような存在がいたら、彼らの輝かしい歴史に傷をつけることになる。

そんなのは、御免だ。

 

「エン。お前はどう思ってるんだ」

「何度も云わせないでください。私は、あなたの傍には」

「力がどうこうじゃなくて、お前自身の気持ちを訊いてる」

 

静かな問いに、息を飲んだ。

相変わらず、ロジャーのことを見ることが出来ない。

自分の足元をじっと睨みつけたまま、エンはロジャーの言葉を聞いた。

 

「おれの傍にいられない理由はその力のせいか? じゃあ、おれがその力を気にしないって云ったらお前はおれの傍にいてくれるのか? だったら何も問題ねぇよ」

 

この発言にはさしものエンもポカンと言葉を失った。

気にしない?

海王類を操る力を、問題ないと、ロジャーは云ったのか?

思わず、エンは乾いた笑いを零した。

 

「冗談でしょう」

「お前はいっつもおれの話を冗談にしようとするな。いい加減怒るぞ」

「怒ればいい、怒るべきです」

「はぁ?」

「私はあなたを騙していました。あなたの優しさにつけこんで、あなたが私に好意を持っていることを利用して、この時代で一人になるのが怖いから、あなたを利用したの。みんなの優しさを利用したの。私、最低なの」

 

堪えきれず、声が震えた。

この場面で泣くのがどれだけずるいことだかわかっているのに、エンは止めることが出来ない。

言葉と一緒に、涙が零れる。

 

「本当は、一人でも生きていけるのに。一人が怖くて、あなたに、縋ってしまった」

 

あの出会いの島でロジャーにさらわれたとき、何が何でも逃げるべきだったのだ。それこそ、海王類の力を借りてでも。

そうすればきっとロジャーとの縁はそこで切れ、彼らに迷惑をかけることもなかっただろう。

だけどあのとき、エンはロジャーの強引なまでの優しい手を取ってしまった。

それが今後の未来にどれだけの影響を与えるのかもわからないのに、一人きりになるのが恐ろしくて、その優しさに甘えてしまった。

 

「エン、お前……」

 

ああ、いよいよだ。

いくらロジャーが底抜けに愛情深くとも、限度というものはあるだろう。

今まで散々甘えてきたのだから、突き放されてもその付けが回ってきただけだ。

悪いのは自分。

悲しくとも苦しくとも、受け入れるべきだ。

一人になるのは寂しいけれど、きっといつかは慣れるだろう。そのときまでの辛抱だ。

大丈夫、自分はそれなりに図太いから、なんとかやっていけるはず。

エンがそう自分に言い聞かせていると。

 

「めんッどくせぇなぁ!!」

 

「――はい?」

 

心底呆れかえったロジャーの声に、エンは呆気にとられた。

怒られるならわかる。

詰られる覚悟もしていた。

けれどこの反応は予想外すぎて、どう返したらいいのかわからない。

頭にはてなを浮かべたままのエンに、ロジャーはため息交じりに頭を掻きながら口を開く。

 

「あのな、おれは最初っからお前がいいって云ってただろ。何も出来なくても、何でも出来たとしても、ただ可愛くて優しくて頭がいいお前がいいんだ。つーかだいたいよ、海王類操れるなんてすげぇじゃねーか。何をそんなに悪いことしてるみてぇな顔してんだ?」

 

かっこいいだろ、と云うロジャーがお世辞や冗談を云っているようには見えない。本気ですごいし格好いいと思っているのだろう。彼がそういう冗談を云わないことは、短い付き合いの中でもよく知っている。

しかし、そんなわけはないとエンは思う。

だって海王類だ。

鳥や魚や他の動物ならまだしも、よりにもよって海王類。

すごい、かっこいいで済ませていいはずがない。

 

「……海王類ですよ?」

「おお、そうだな」

「ッ人魚族も魚人族も唯一意思疎通出来なくて、最強の海洋生物ですよ?」

「改めてめちゃくちゃかっこいいじゃねぇか、海王類」

「どうして私がそんなものを操れるのか、おかしいと思わないんですか?」

「まー不思議っちゃ不思議だが、それこそお前、【偉大なる航路】にいたら非常識も常識だろうが」

 

ああいえばこういう状態である。

何を云っても肯定され、あっさりと受け入れられ、エンは意味が分からない。

 

「どうして」

 

化け物と呼ばれることすら覚悟していた。

よくも得体の知れない能力を隠していたなと、罵られても仕方ないと思っていた。

それなのに。

 

――どうして、この人は。

 

「お前が信じてくれるまで何度でも云ってやる。おれは、お前がお前なら、なんでもいいんだ。お前がその力を嫌いでもいい。おれはその力ごとお前を愛してやる」

 

もはや何も云い返すことが出来ず、エンはただただその場に立ち尽くしてロジャーを見つめた。

そんなエンに一歩、また一歩とロジャーは近付いて距離を詰める。逃げなければ、離れなければと思うのに、身体は思うように動いてくれない。

あっという間に触れられる距離にまで来たロジャーを、エンは見上げる。

伸ばされた手が自分の頬に触れて、優しく涙を拭われて。

その手の温かさに、また涙が零れ落ちる。

 

「頼むから、一人で泣くな。苦しんでも泣いても怒ってもいいけど、一人になるな。全部おれの傍でやれ」

 

どこまでも愛情深い言葉に、エンは大きく息を吸った。

こんなことを云われるなんて考えていなかったから、本当に頭が混乱して、胸がいっぱいだ。

だけど間違いなく、嬉しい。

突き放されることなく、自分ですら信じ切れていない自分の力をまとめて丸ごと愛してくれると断言したロジャーの言葉が、こんなにも嬉しい。

 

もう、駄目だった。

逃げるなんて、無理だった。

この時代で生きなければならないとわかった瞬間から、未来に影響がありそうなことはしないと決めていたはずなのに。

観念したエンは、自分の頬に触れていたロジャーの手に、そっと手を重ねた。

 

「……強引」

「おれぁそういう男なんだ。知ってるだろ?」

「普通こういう場合、泣くんじゃないとかって云うものじゃないんですか?」

「でも泣きてぇときだってあるだろ。我慢する必要はねぇよ」

「そういうものなんですか」

「そうだよ。抱き締めてやるからいつでもおれの腕の中で泣け。お前は泣き顔だって可愛いからな。全部受け止めてやる」

「……ふふ」

「なんで笑うんだ。いやまぁ笑ってるなら笑ってるほうがもちろんいいんだけどよ」

「馬鹿ですね、ロジャーさん」

「……あのなぁ」

 

ムッとしたように口をへの字にしたロジャーに、エンは小さく噴き出してから。

 

「――いいんですか」

 

問う。

 

「本来この時代にいるはずのない私があなたの隣にいることで、もしかしたら私はあなたを不幸にしてしまうかもしれない。理不尽で理解不能な状況に巻き込んでしまうかもしれない。この力だって、私は使いこなせていないし」

 

声を同じように唇が震える。

気持ちを、想いを、抑えられない。

 

「それでも、あなたの傍にいたいと願っても、いいんですか」

 

胸の前で痛いほどに握りしめた手ごと、ロジャーはエンを抱きしめた。そうして云う。

 

「おれが頼んでるんだよ。なぁ、エン。おれの傍にいてくれ」

 

今となっては、慣れてしまったこの暖かさ。

出会った頃は、握手ですらも感動していたのに、もう当たり前のようにエンはロジャーの体温を知っている。

凍えるほど冷たい手を温めてくれて、寂しさで震える身体を抱きしめてくれて、嘘みたいに優しくエンを愛してくれる、ロジャー。

 

知らなかった頃には戻れない。

この温もりを、エンはもう手放せない。

 

「――はい」

 

泣き笑いを浮かべたエンは、そっと腕をロジャーの背中に回した。刺された肩が痛いけれど、そんなもの、どうでもよかった。

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