「今日はキスの日ってやつらしい」
夜遅く、飲み屋から船に帰ってきたお頭が赤い顔でへらへらと笑う。非常にお酒臭い。
大きな街のある島に停泊するときはだいたい適当な飲み屋を貸し切って宴になるんだけど、今回私は遠慮した。たまには男衆だけで気兼ねなく楽しんでもらいたいっていうのもあるし、ちょうど読みかけの本が面白いところで気になっていたというのもある。
なので昼間のうちに街でご飯を持ち帰って来て、飲み屋に向かうみんなを見張り番の数人と一緒に見送って、私は優雅に甲板のテーブルで一人の時間を楽しんでいた。みんなでわいわいも好きだけど、こういう時間も私は好き。
で、集中できたから本はちゃんと読み終わり、余韻にも浸れた。この本はスネイクも読みたがっていたので、あとで貸す予定。そうしたら感想発表会とかしたい。語りたい。それくらい面白くて大満足だった。
本を読み終わり、裁縫の気分でもなく、手持ち無沙汰になってなってしまった。
ふむ、とどうするか考えて、まだ寝る時間でもないし、折角なので私も一人で飲むことにした。
実はちょっと前にライムにいいお酒をもらっていたのだ。立ち寄った無人島で散策してたときに私がすっ転んで怪我をしたんだけど、そのときに一緒にいたのがライムで、私を庇えなかったお詫びだって。そんなの気にしなくていいのに、見た目チャラいけどライムは真面目だ。気持ちは嬉しいのでありがたく受け取った。
ルウがいないキッチンに入るのはちょっと申し訳なかったけど、グラスと氷をもらうだけだから大丈夫、と自分に云い聞かせ無事拝借完了。私だってキッチンを爆発させないことは出来るんですよ。
というわけでやっと落ち着いて、いつもは騒がしく賑やかな甲板で一人酒。うーん、贅沢な気分。
そんなことを考えながら静かに飲んでいたら、お頭が帰ってきたのだ。てっきり今日は飲み屋のお姉さんをひっかけて朝まで、のコースだと思っていたのでびっくりした。
おかえり、と声をかけると嬉しそうにこちらにやってきて、空いていた席に腰を下ろした。そうして冒頭の発言である。
「何、それ」
「いや、飲み屋の……給仕係がそういう話をしててよ」
なるほど、飲み屋の綺麗なお姉さん。お頭って誤魔化すの下手だよね。
しかしそれをつっこむほど私は野暮ではないので、一つ頷いて続きを促す。
「で、おれものっかろうと思って」
「へぇ」
「だから、帰ってきた」
そう云って、お頭は立ち上がり私の目の前に立った。身体を屈めて、顔を近付ける。熱の籠った視線は、お酒のせいだけではないのだろう。
「な、いいだろ?」
囁かれる色っぽい声が私だけに向けられているのだと思うと、誰にともなく優越感を抱く。
でも、いつもなら、まぁいいかなって受け入れちゃうところだけど、今日はそんな気分になれなかった。
まず、普段はキスの日とか関係なくキスするくせに、お店のお姉さんに聞いたからって理由をつけてきたのがちょっと気に食わない。別に嫉妬とかじゃないですけど、面白くはない。
で、もう一つ。
どっちかっていうとこっちの方が気分悪い。
私が断るなんて思ってもいないのか、少しずつ距離を詰めていたお頭の唇が間もなくくっつく、というところで私は自分の掌で壁を使ってガードした。
「やだ」
「えっ」
やはり予想外だったようで、驚いたように声を上げたお頭に、私はにっこりと笑顔を向けた。
「お頭、気付いてないの?」
「何に?」
ちょっといじけたように、しかし不思議そうに首を傾げたお頭は本当に気付いていないらしい。これで四皇。
仕方なく、ちょいちょいと私はお頭の首元を指さして云う。
「口紅ついてるよ」
「は!?」
「真っ赤なやつ。やっぱり今日のお姉さんもセクシー系?」
「や、ちが、これは」
「わかってるよ、どーせ気付いたらついたってやつでしょ。別にそれは気にしてないし」
「だ、だったら~!」
情けない声を出さないでほしい。
呆れつつ、私はお頭の胸に手のひらを当てて押し返す。
確かに私だってお頭のこと好きだし、キスもやぶさかではないけど、ちょっとくらいはプライドってものがあるのだ。
「他の女の匂いを纏ったまま、私に触らないでって云ってるの」
いいんだよ、別に。
私はお頭がいつも飲み屋で侍らせてる綺麗でセクシーでボンキュッボンなお姉さんとは程遠いって知ってるし。
いくらお頭が私のこと好きだっていっても、たまにはそういう人のところにいきたいって思う気持ちもわからないでもないし。
何せああいうところのお姉さんの色っぽさは、同性の私をしても息を飲むほどなのだ。きわどい服装、ギリギリの発言、意味ありげな視線と仕草。あんなの男の人だったらイチコロに決まってる。だからそれを咎めるつもりはないの。
でも、お姉さんと楽しんで、その余韻のままに別な女のところに来るっていうのは失礼じゃなかって話です。
「シャワーはあっちよ、船長さん?」
にっこり笑顔で船内に続くドアを指さすと、風のようにお頭は消えた。目にも止まらぬ速さだった。
で、数分後。
濡れた髪のまま出てきたお頭の目が期待に満ちていたので、あんまりにも可愛くて笑っちゃった。
「ひ、必死すぎ!」
「いいだろ別に。これで何にも匂わねぇよな!?」
「うーん」
確かめるように自分の匂いをくんくんと嗅ぐお頭、面白すぎる。
でも、どうかな。烏の行水みたいなシャワーで果たして匂いが取れているかは疑わしい。
なのでちょいちょいと手招きすると、お頭は大人しく私の方にやってきた。ああ、昔近所で買っていた大型犬を思い出す。
なんて考えていたのは億尾にも出さず、私は手を伸ばしてお頭のシャツを引き寄せ、すん、と口紅のあった場所の匂いを嗅いだ。
「……うん、なくなったみたい」
今お頭からするのは、みんなが使ってるのと同じ石鹸の匂い。ありふれた、ちょっと爽やかな香りだ。
いつもの、お頭の匂い。
私が嫌だって云ったら即行動しちゃうお頭の愛にくすぐったさを覚えて小さく笑うと、名前を呼ばれた。
我慢を抑え込んだような、熱の籠った声。
顔を上げれば、切なそうに眉間に皺を寄せたお頭がいる。
「……キスしたい」
「最初からそう云って」
私は掴んでいたシャツをそのまま引き寄せて、お頭にキスをした。
驚いたように目を見開いたお頭は、けれどすぐに私の頭をしっかりと固定してキスを繰り返す。
角度を変え、深さを変え、海に落ちるみたいなキス。
少し息が苦しくなってきたところで唇は離れ、絡まり合っていた舌の先から銀の糸が繋がっていた。プツリと切れたそれを上がった行きのまま指で拭うと、お頭はぎゅうと私を抱き締めて耳元で囁いた。
「……キス以上も?」
そんなの、きかなくてもわかるでしょ。
いつもは問答無用でベッドに連れていくくせに、こういうときちょっと意地悪になるのお頭の悪いところだと思う。
ムスッとして睨み付けても全然効いてないみたいにしれっとしてて、さっきまで必死だったくせに!
悔しいので、お頭が口紅をつけてきた首元に、噛みつくようなキスをしてやった。