超絶美少女は夢を見る   作:秋元琶耶

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海賊女王という名の海賊王の嫁の座を狙っている可愛くて賢いだけの一般人の暴走物語の一幕です。
初恋してから振られるまでの物語と、FILM REDを踏まえてのこと。
やりたいこと詰め込んだら死ぬほど長くなってしまいました。何回も読み直して書き直してたらこれでいいのかわからなくなってしまった……楽しかったので後悔はないです。
今後書く話はちゃんと(?)シャンクスが相手になるはずです。

※シャンクスと白ひげは434話が久しぶりの再会な気がしていますが広い心で読んでください。ご都合主義と趣味です。


未来の海賊女王の初恋騒動

それはとある雨の日だった。

偉大なる航路というのは天気も安定しないことが多く、晴れた直後に雪が降ったり、雹が落ちたと思ったら熱風が吹いたりもする。

島とは全然違うハチャメチャな気候にどこか感動しつつ、慌ただしくスネイクから出される指示に従って一仕事を終えたところで、ふとキッチンのバーカウンターで一人でグラスを傾けているお頭に気付いた。

おや、と思う。

ベックとスネイクが航路の確認をしているところに近付いて、首を傾げる。

 

「ねえ、お頭なんか機嫌悪いの?」

「いや、そういうわけじゃねぇさ」

 

違うのか。

ベックは軽く笑うけれど、なんだか私の目にはあのお頭は不機嫌そうに映る。まぁ、付き合いの長いというベックが云うなら間違いないんだろうけど。

ふぅむ。

顎に手を当て、再度首を傾げる。

 

「話しかけたらまずいかな?」

「どうだろうな……エンなら大丈夫なんじゃねぇか?」

 

そう笑って云うスネイクの言葉の意味はちょっとよくわからなかったけれど、私なら大丈夫って云う言葉は信用できる。だって私だし。

話してるところに割入ってしまったことを謝りつつ二人に手を振って、私はこちらに全く気付いていない様子のお頭の方へと近づいた。

 

「お頭、隣座るね」

 

声をかけても返事はなく、返事がないということは拒否ではないと受け取って私は勝手に隣に腰を下ろした。

ガタンという椅子を引く音で漸くお頭は私の方にちらりと視線を向け、グラスを弄りながら小さく笑う。

 

「……エン、どうした? 暇ならヤソップにでも」

「私、今お頭の隣にいるんだけど」

 

あからさまに距離を置こうとするお頭にスパッと云うと、ここで初めてお頭は私を見た。

困ったような、目を眇めて眩しいものを見るように。

その目を見て、ああ、そうか、と納得する。

いつもだったらこんな天気でも構わず誰かと一緒にわいわいやっているはずのお頭が、わざわざ人の少ないキッチンバーで一人で窓の外を見ながら飲んでいる理由。

最初は不機嫌なのかと思った。

だから誰かに当たり散らさないように一人で静かに飲んで気を落ち着かせているのかと、そう思っていた。

でも、きっと違う。

 

「よくわかんないけどお頭ちょっと落ち込んでるでしょ」

 

勘だ。

これは本当に、いつものやつじゃない、単なる勘。

お頭は基本的に陽気な人で、敵襲中だろうとへらへら笑っているようなちょっと頭のネジが緩んでる人だ。もちろん締めるところは締めるんだろうけど、少なくとも明るく振舞うのが当たり前の人なはず。

しかもこれは自惚れではなく、お頭は私のことが大好きだ。

だから私が話しかけると、どんな用事だろうと嬉しそうに返事をしてくれる。

それなのに今は、声をかけて隣に座るまで気付かなかった。

これがいつも通りなわけがない。

不機嫌ではないというベックの言葉が正しいのであれば、やはりお頭は落ち込んでいるのだ。

窓の外は大粒の雨で、ばたばたと音を立てている。

雨に何か嫌な思い出でもあるのだろうか。……いや、詮索するのはやめておこう。

じっとお頭の目を見つめても反応はない。

真一文字に結ばれた口、だけど逸らされない目。

これを私は肯定と取った。

 

「だから、可愛い私の顔を見せてあげようと思って」

「は」

「だって可愛い可愛い私だよ? さすがにちょっとニコニコ笑顔は空気読めてないからしないけど、可愛い私の顔見てたら暗い気持ちなんかふっ飛ぶでしょ」

 

ね、と真顔で首を傾げると、お頭はポカンと口を開けて固まってしまった。何それ失礼。

少しの間沈黙が続き、グラスの中の氷が融けて、カラン、と音が鳴った。

そして。

 

「ふはっ、なんだそのとんでも理論」

「あれ、駄目だった? 島だと結構この手使えたのに」

 

ほら、何せ私は可愛いので、存在するだけで人々をハッピーにする力があるのだ。古今東西可愛いは大正義、時に暴力よりも暴力的な威力を発揮するのが私の可愛さ。

まぁそれはちょっとは冗談だけど、思わず噴き出して笑ったお頭を見て私はちょっとホッとした。

だって、私は落ち込んでいる様子のお頭を放っておきたくなかった。

いつも元気な人がへこんでるのって、結構メンタルに来ると思う。

いや、それは見てる私がしんどいっていう自分勝手な理由かもしれないけれど、それでもお頭がへこんでるのは、やっぱりヤだよ。

 

「今なら特別に肩も貸すけど」

「えー、胸がいい」

「調子に乗らないで」

 

どうせ私はお頭たちがいっつも遊んでるような豊満なお姉さま方に比べたら胸がな……くはない。ささやかで、私の可愛さのバランスを保つのにちょうどいいサイズだ。は? 別に羨ましくないし。

日頃もっと食べろ肉をつけろと騒ぐお頭が満足できる胸は提供できないので、私は問答無用でお頭の頭を肩に引き寄せてやった。

抵抗されたら私の筋力じゃ勝てないのに呆気なく傾いたお頭は、しばらく肩じゃなくて胸がいいとぶーぶー云っていたけど、すぐに静かになって額をぐりぐりと押し付けてくる。なんか、ぐずってる子供みたいだな、と思った。可愛いとは云わないですよ。可愛いは私の専売特許ですよ、少なくともこの船の中では。

 

「理由は訊かないのか?」

「教えてくれるの?」

 

打てば鳴る鐘のように返せば、お頭はまた黙ってしまった。

もうね、ほんと、そう云うところ。

子供をあやすように肩をポンポン叩きながら、私は云う。

 

「何でもかんでも教えてくれなくていいんだよ。云いたくないことの一つや二つ、誰でもあるだろうし。云いたいなら云って、云いたくないなら云わなくていいの」

 

聞き分けのない子供じゃないんだから、何でもかんでも教えて欲しなんて我が儘は云わない。

気にならないといえば嘘になるけれど、仲間なら何でも共有していなければいけないということはないと思う。

でも少なくとも、理由なんてわからなくても、落ち込んでいる仲間を元気づけたいって思うのは悪いことではないでしょう?

 

「エンにもあるのか?」

「何が?」

「おれたちに、云いたくないこと」

 

身体を起こし、私を見たお頭の顔が思いのほか真剣だったから、ああこれは茶化しちゃいけないんだな、と思った。

でも。

ミステリアスな女を演じた私は、人差し指を唇の前で立てて、にんまりと笑って云った。

 

「どっちだと思う?」

 

 

 

 

◇◆◇◆

 

 

 

 

晴れていた。

先日の土砂降りが嘘みたいな晴天で、久しぶりに気持ちのいい天気。

嵐のせいで溜まっていた洗濯物を片付けるべく、今日の赤髪海賊団は至極平和的にお洗濯大会開催中だ。

 

男所帯とはいえ綺麗好きのホンゴウや職業柄清潔第一のルゥ、理由は言及しないけどお洒落に気を遣うベックやライムといった幹部が多いおかげで、赤髪海賊団は結構綺麗な方だと思う。他の船なんか知らないから予想で想像だけど、なんかこう、男ばっかりだとあんまり掃除とか整理整頓とか気にしなさそうだと思っていたので、これは嬉しい誤算だった。

おかげで私が船に乗ってからも不潔で発狂するようなことはなく、多少面倒くさがる人はいても幹部が率先して綺麗にしていると部下も自然と倣うものだから結果的に赤髪海賊団はいつも綺麗だ。

つまり、ここ数日洗濯できなかったとはいえ、地獄の汚染物質が発生することもなく、今日はいつもよりちょっと洗濯物が多いなぁくらいの感じで私はご機嫌に洗濯に勤しんでいた。

 

結局お頭が落ち込んでいた理由はわからなかったけれど、私の可愛い顔療法が効いたようであの後は普通に元気いっぱい師匠を巻き込んで飲んだくれていたし、雨は止んでいい天気だし、私は結構浮かれていた。

なので、洗濯物を干しながらるんるんと鼻歌なんか歌っちゃったのだ。

世界は広いけれど、共通の文化と云うのは少なからずある。

例えば一番簡単なところで云うと、言葉。

一部の種族でしか通じないものもあるけれど、基本的には言葉は世界共通のものだ。どんな辺境に行っても言葉が通じるって結構すごいものだと思う。

 

そして歌も、その一つ。

西の海で人気だとか、どこの島で人気だとかのある程度の差はあっても、昔から有名な歌というのは意外と誰でも知っていて、私もパパやママが歌っているのを聞いて覚えた曲がいくつかある。

今私が口ずさんだのは、歌詞もないような簡単な歌だった。

大人も子供も歌えるただのメロディー、ただそれだけ。

それでも耳に残るこの歌は私は昔から好きで、機嫌がいいとママと一緒に歌いながら家事手伝いをしていた。

不思議と胸に刻まれているこの歌の題名はなんだっただろうか。

ママに教えてもらった記憶はあるのに、喉元まで出かかってる気がするのに、あと一歩がわからない。

 

そういえばお頭が酒瓶片手にみんなが洗濯してるのを眺めながらモンスターにちょっかいをかけてたな、と思い出し、私はお頭を振り返った。

思った通りお頭は私から少し離れた場所で樽に座ってこっちを見ていて、モンスターとパンチも一緒だった。

ていうか、あれ、何。いつの間にか幹部メンバー全員大集合してるじゃん。何やってんのみんなして、さっさと洗濯してよ。

 

と、云おうとして。

私は、みんなの視線の違和感に気付いてしまった。

 

――何、それ。

 

私は結構温厚だと思っている。

呆れることはあっても怒り心頭になることなんてほとんどなくて、怒るより先に諦めてしまうから。

 

でも、だけど、これは無理だった。

 

私は湧き上がってきた怒りに震える拳を握り締めながら、乱暴に洗濯カゴを置いてお頭の方に向かって歩く。

どう見ても怒っているとまるわかりの私を見ながら、けれどまだぼんやりとしているお頭の目の前にバンッと手を叩きつける。ここで漸くお頭はハッとしたようで、驚いたように私を見上げていた。随分鈍いのね。

 

「確かに私は可愛い上に歌声まで可愛くて魅力的かもしれないけど」

 

そりゃ、ただでさえ可愛い私が歌まで歌ったら見ずにはいられないだろう。

それはわかる。

私が怒っているのは、何見てんのよってことではない。

 

お頭が、みんなが、私を見る目は優しかった。

とてつもなく、穏やかだった。

 

――その目は、何かを懐かしんでいた。

 

「その顔を私に向けるのは失礼ってものじゃない?」

「――は……」

 

何を云われているのか理解できないようでポカンとするお頭に、私は容赦なく吐き捨てる。

 

「私はこの船と付き合いはまだ短いけど、私がこの船に乗るまでにはきっと何人も乗ったり降りたりしたんだろうね。事情はいろいろあるだろうし、私が突然乗ったみたいに、そういうことがあるのも別に不思議じゃないから、根掘り葉掘り訊こうとは思わないよ。でも」

 

まだお頭は私が云いたいことがわからないようだ。

この人、こんなに察し悪い人だっけ?

呆気に取られた顔すらもなんだか妙にイライラして、自分でも嫌になるほど声に刺々しさが増してしまった。

 

「その人が、お頭にとってどういう人だったのかはどうでもいい。ただ、私にその懐かしむような目を向けて、私を通してその人を見るのは、私にもその人にも失礼だよ」

 

ここで漸くハッとしたらしく、お頭はバツが悪そうに私から視線を逸らした。

もう、本当にこういうところ。

 

過去にこの船に乗っていた人を思い出させることを私がしたのは想像できる。どれがきっかけなのかも見当はついている。

私はそれを咎めているわけではない。

思い出して懐かしんで、それで終わりなら何も云わなかった。

だけど明らかにお頭は、その懐かしんだ目のまま私を見て、思いを馳せていた。

それはもう駄目だ。

耐え難いほどの侮辱だと私は判断する。

 

「云っとくけど、みんなもだからね」

「えっ」

「自覚ないだろうから云ってあげる。今、みんなお頭と同じ目してたから」

 

なんだかしんみりしながら他人事のようにこっちを見ていたみんなを順番に睨み付けて吐き捨てるように云えば、みんな面食らったように固まった。本当に全くの無自覚だったようだ。

失礼すぎる。

 

私はこれ以上この場にいる気になれなくて、さっさと踵を返して部屋に戻った。まぁほとんど干し終わってたし、残りは誰かがやってくれるでしょ。

あーあ、折角天気が良くて洗濯日和で、気分よくいたのに。

ぷりぷり怒って甲板をあとにした私を引き止める人は誰もおらず、私がいなくなった甲板には妙な沈黙が下りていた。

 

「……エンって鋭いよな」

「つーかおれらがあからさま過ぎたのかも」

「でもよぉ」

 

懐かしむように呟いたのは、一体誰だったか。

 

「あれは、ウタが好きな歌だったんだよなぁ」

 

多分、みんな同じ気持ちだったんだろう。

 

 

 

 

◇◆◇◆

 

 

 

 

そんなことがあった数日後、とある島にて。

 

「グララララ……お前が噂の新顔か」

 

エンは途轍もない衝撃に襲われている。

世の中に、船の数だけ海賊団があって、海賊団の数だけ船長がいるということはわかっていた。

それぞれが独自のポリシーをもって海賊をしているとはいえ、全部が全部敵対しているわけでもない。それなりに友好的に接している海賊団同士もある。

エンが赤髪海賊団に入ってからもいくつかそういう海賊団との交流があり、世界一の剣豪と名高い鷹の目のミホークとの出会いもその一つだった。じっと彼の目を見つめていると目が回りそうだと思ったのは秘密である。

 

そうして今、紹介するからと連れて来られた船の甲板でエンは感動に震えていた。

白ひげ海賊団、船長エドワード・ニューゲート。通称白ひげ。

辺境の小さな島出身のエンでさえも知っている大海賊が、目の前にいるのだ。

 

なんだかちらほら名前を聞くような気はしていたけれど、まさか自分の船長と彼が知り合いだったなんて。

すごいすごいと大はしゃぎしたいところだが、初対面でそれはまずいとさすがのエンもわかっている。可愛いはあらゆる免罪符になりうるが、だからと云って非常識と非礼が正当化されるわけではない。これでいて、意外とエンは常識人なのである。

口上としてシャンクスが何か云っていたのはすっかり聞き流してしまったが、自分の番が回ってくるまでに何とか平常心を取り戻したエンは、シャンクスに促されて前に出たときにはいつも通りの笑顔を浮かべることが出来た。

にっこりと最上級の笑顔で白ひげを見上げ、膝を優雅に折る。

 

「こんにちは、初めまして素敵なお鬚のおじ様。このたび赤髪海賊団の一員になったエンです」

「お、おじ様……!?」

「天下の白ひげに、怖いもの知らずかよあの女……!」

 

ざわついてしまった。

しかしいくら通称とはいえ白ひげ、と呼び捨てるのは礼儀知らずだし、だからと云って名前で呼ぶのもあまりに馴れ馴れしい。白ひげ海賊団のメンバーは彼を『オヤジ』と呼んでいるが、それも論外だろう。

そう考えて当たり障りがなさそうな『おじ様』にしてみたので、珍しく失敗しただろうかと笑顔の下でちょっと冷や汗をかきながらもエンは可愛らしく首を傾げた。

 

「あら、おじ様は嫌ですか?」

「グララララ、構わねぇよ。呼び方なんざ好きにすればいい」

「ありがとう、懐が広くて優しい人は好きよ」

「そうか、おれも可愛い女は好きだぜ。おい赤髪、お前にしてはいい女を見つけたもんだな!」

「だろ! エンは最高にいい女なんだ!」

 

ここでヘヘンと誇らしげに胸を張るシャンクスである。何故お前が喜ぶんだと誰もが思っても、つっこんでやるほど親切ではなかった。当のエンが笑顔のまま何も云わないのでどうせいつものことなのだろう。

そこからはしばらく主に白ひげとシャンクスとで他愛ないやり取りが続いた。最近はどのあたりの海域にいただとか、どこそこの海軍をとっちめたとか、当たり障りない世間話だった。

白ひげ海賊団ともなると規模はかなり大きく、ナワバリも多いので広い海を動き回っていることが多い。なので、顔を合わせるのは数年に一度ということもザラらしい。実際、今回の邂逅も数年ぶりだったようで、二人とも懐かしそうにたくさん話をしていた。

ふむ、とその様子を傍で見ながらエンは、シャンクスもそれなりにすごい海賊なのだと再認識する。普段の船長のくせに大人げなくて子供のように大騒ぎしている姿に見慣れていたけれど、こんなすごい海賊と対等に話せるのだ。改めて、とんでもない海賊団に拾われたものだと思う。

 

挨拶も無事に済んだことだし、さてそろそろ宴に移ろうか、という流れになったあたりで、ばさ、という羽の音をエンの耳は拾った。

海には多く鳥がいるし、ここは港だ。それこそ陸地にしかいない鳥だって多くいる。

その類だろうと思って顔を上げたエンは、しかし驚きのあまり目を見開いて固まった。

 

青い炎をきらめかせた雄大な鳥――いつか図鑑で観たことがある不死鳥が、そこにいたのだ。

 

赤髪海賊団の少し前にこの港に到着していた白ひげ海賊団は、ログのために数日はこの島に停泊予定だった。近くに海軍がいないことはわかっていたが、念のためにということで偵察を飛ばしていた。

それがマルコだった。

貴重な飛行能力を使い、島の周辺から可能な限りまで飛んで妙な連中がいないか探り、小物であればその場で潰して回る。つまらないが、穏やかな寄港のためには必要な仕事である。

しばらく飛んで回り、不穏なものはすべて排除したと判断したマルコがモビー・ディック号に戻ったのは、すでに赤髪海賊団が合流してからだった。

気配でわかってはいたけれど、やっぱりかと思ってげんなりする。昔からの馴染みともなると面倒もあるのだ。

特にマルコは妙にシャンクスに気に入られていて事あるごとに勧誘されるのを鬱陶しく思っていたから、なるべく顔を合わせる時間は遅らせたかった。

やれやれと思いつつも、このまま逃げ回っているわけにもいかない。どうせ今夜は合同で宴会になるのはわかっているのだ。

仕方なく、しかしシャンクスの持ってくるであろう上等な酒にちょっとだけ期待をしながら甲板に降り立とうとしたマルコを襲ったのは、シャンクスではなかった。

 

「オヤジ、戻ったよ、いっ!?」

 

甲板に足を付けた瞬間、ズバッ、とマルコの身体を何かが通り抜けた。動物系でも幻獣種である不死鳥には、覇気がなければ攻撃は通らない。

青い炎の中を通り抜けたのは、なんとエンの腕だった。

咄嗟に距離を取り、混乱しながらも交戦の構えを取る。このときすでに人の姿に戻っていたが、混乱しすぎて右手と右足が前に出ていた。

 

「な、なんだよいこの女!?」

「赤髪んところの新顔のエンだ。可愛いだろう?」

「そういうこっちゃねーよい、なんでいきなり飛びついてくんだ!?」

 

しかも完全に狩人の目である。

敵襲中ならまだしも、宴会前の顔合わせの状態で襲われるとは思いもよらず、マルコは珍しく焦った。

更にその相手が屈強な男なら経験があっても、こんな華奢で箸より重いものなど持ったことがなさそうな可憐な少女に飛びつかれたのだ。動揺するなというほうが難しい。

 

「とり」

「とり!?」

「鳥なの? 鳥人間なの? なんでもいいけどもう一回さっきの姿になれる?」

「な、なれるよい……」

「じゃあなって」

「なったらどうすんだよい!?」

「ぎゅってする」

 

この発言には誰もが絶句した。

どういうことだ。

名のある大海賊たちから言葉を奪った張本人は、目をキラキラ輝かせたままグッと拳を握って力強く云った。

 

「実は私、動物の中で本当に鳥が大好きで大好きでたまらなくて、しかも今みたいにおっきいサイズの鳥を飼うのってずっと憧れだったの」

「……グララララ、そうか、そうか。おいマルコ、鳥の姿になってやれ」

「正気かよいオヤジ!?」

「おれぁ冗談は云わねぇ」

「おじ様公認!? ありがとうおじ様、大好きよ!!」

「グララララ……」

 

さすが大物と云うべきかなんというか、一足先に正気を取り戻した白ひげは、一周回ってこの状況を楽しむことにした。

発言が突飛すぎるが、可愛い少女のおねだりだ。すでにエンに対して好感を持っていた白ひげは、この可愛い少女の願いを叶えてやりたかった。さきほどまではお上品に取り繕っていたようだが、どうやらこっちのちょっと賑やかな方が本来のエンらしい。むしろこっちの方が面白くて白ひげは好きだった。

エンはといえば、船長の許可が下りたとなれば遠慮する必要はない。

さぁはやくほれはやくと云わんばかりに顔をキラキラさせてマルコに迫る。

怖い。

いくら命令があってもすぐに受け入れられるほどこの状況は正常ではなく、柄にもなく恐怖に駆られながらじりじりとエンから距離を取ろうとするマルコは、なんとか思いとどまってもらおうと声を上げた。

 

「お前、わかってんのかよい」

「何が?」

「いくら鳥の姿になっても、それはおれってことだよい」

「うん、うん。いいから早く早く」

 

これは駄目だ。

完全に目が鳥になっている。いや目が鳥ってどういうことだ。とにかく、本当にエンは鳥に目がないらしい。白ひげ直々に命令があったし、これは云われたとおりにするしかなさそうだ。

じっとりとエンを睨みつけても怯むことはなく、組んだ手を頬の横にやって可愛らしくマルコが鳥になるのを待っている。

見てくれだけなら文句なしに可愛いのに、見とれるより先に中身のヤバさが際立って、可愛い子からのある意味役得なおねだりだというのに非常に気が進まない。

 

というか本当にこの娘は、お目当ての鳥が自分であることを理解しているのだろうか。いやしているはずだ、何せさっきは目の前で人の姿に戻ったのだから。

卑下するわけではなく、一般的に考えて自分はおじさんに分類される年齢だ。見た目だってものすごく整っているイケメンというわけでもない。マルコ自身はそのことについては何とも思っていないが、普通年若い女というのはイケメンが好きなのではないかと思う。

間違っても、今のエンの表情は自分の倍ほど生きていそうな粗雑な男相手に見せる表情ではない。

イケメンが変身した鳥に抱き着きたいと騒ぐのではなく、自分の今の姿を見た上で、自分が鳥になった状態に抱き着きたいと恥ずかしげもなくのたまうこの少女はきっと頭のネジが外れているのだろう。

 

ものすごく気が進まないが、仕方がないと観念したマルコは、特大のため息を吐き出しながら、いつも通り、人から鳥へ変化した。すると、翼や脚だけの一部変形ではなく、全身に青い炎を纏った不死鳥の姿がそこに現れる。

途端、エンは赤髪海賊団メンバーでも見たことないほど目を輝かせて思いっきりマルコを抱きしめた。

 

「わああああああああああ」

「ぎえ」

「さっき見たのと同じ、昔図鑑で見たのと同じ、青くて大きくて燃えてるなんて! 可愛い……可愛い……おじ様、この鳥私にくださらない!?」

「ふざけんな、冗談じゃねーよい!!」

「あっ、こら暴れないで。うふふ、燃えてるのに熱くないし、ふわふわトサカ……つるつるの羽……可愛い……」

 

マルコの悲鳴も意に介さず、うっとりとした表情で鳥の姿のマルコを抱き締めるエンは、マルコの心情さえ無視すれば非常に絵になる。この鳥が実は人間でいい年をしたおじさんであることを除けば、それこそ絵画にでも出来る優美さだ。

鳥、可愛い。

今のエンの頭にはこれしかなかった。

 

「グララララ、さすがにそいつはやれねぇが、ここにいる間は好きにしろ」

「オヤジ!?」

「嬉しい、ありがとうおじ様!!」

 

人権がなかった。

楽しそうに笑う白ひげの様子から、今は何を云っても無駄だとマルコは悟る。白ひげは酒があればだいたいいつもご機嫌ではあるが、今日はいつも以上にご機嫌そうだ。理由がエンにあるのだとしたら、マルコからしたら最悪だ。

そして本当に嬉しそうにぎゅうぎゅうと自分を抱き締めるエンという少女の正気を本気で疑う。

正直、逃げようと思えばこんな程度の拘束からは逃げられるが、それでは白ひげの命令に反することになってしまう。こんなつまらないことで命令違反なんてしたくない。そもそもこんな命令されたくなかったが。

死んだ目で周囲を見ても同僚たちは完全に面白がっているのか助けてくれる様子は一切ないし、赤髪海賊団は初めて見るエンの新たな一面にポカンと間抜け面で固まっていて頼りにならない。だってエンが鳥好きだなんて初めて知った。

味方がいなかった。

今日はマルコの海賊人生始まって以来の厄日だった。

 

文句の一つも云ってやろうかと思ったが、自分をぬいぐるみのように抱き締めるエンの顔があまりにもご満悦そうで、嫌がらせだとか冗談でやっているのではないのだとわかってしまった。

純粋に……かどうかは置いといて、本当に鳥が好きなのだろう。

非情に複雑の極みではあるが、確かにこんな美少女に抱き締められて悪い気はしない。

考えて、悩んで、結局マルコはいろんなことを諦めることにした。

今マルコが何を云おうと誰も取り合ってくれないだろうし、そうこうしている間にいつの間にか宴会が始まっている。これでは本格的に助けなど期待できないだろう。

 

「ね、その姿でも飲み食いって出来るの?」

「まぁ、出来るよい」

「何か欲しいものがあったら云ってね、私取ってきてあげるから」

 

そりゃどーも、と答えつつ、それよりさっさと開放してくれ、とマルコは切実に思う。

ご機嫌そうなエンは気付いていないようだが、周囲からの視線が痛い。主に、徐々に冷静さを取り戻してきた赤髪海賊団の面々からの嫉妬交じりの視線が。なぜエンがそれを無視していられるのかが疑問だった。

もし気付いていないのだとしたら鈍いにもほどがあるし、気付いていてスルーしているのならあまりにも強靭なメンタルを持っている。さすがあの赤髪海賊団の船員ということだろうか。

 

マルコを抱き締めたままのエンの近くには酒も食べ物もずらりと並べられている。そのままでは何も取りに行けないだろうから、と白ひげが気を利かせて運ばせたのだ。

甘やかされすぎではないかとマルコは思う。下手したら自分の傘下の娘に対してよりもべた甘だ。

それらを運んできたのは一部のナースだったので、変に嫉妬やら何やらされてこじらせないかと内心マルコは不安だったが、杞憂だった。

何故ならそのナースたちとも少し会話をしただけで打ち解けて、去り際には挨拶のキスを頬に交わすほど仲良くなってしまっていたのだ。末恐ろしい娘である。ああ見えて身持ちも心のガードも固めな白ひげナースたちを落とすとは。

 

何度も云うが確かにエンは可愛らしい。

見た目はもちろん、愛嬌もある。

だからこそ同性には嫌われたり、ある意味異性にも嫌われる面もあるはずなのに、どうしてか誰も彼もエンを好きになる。もちろん好きの度合いは違えど、少なくとも嫌悪感は抱けない。

ある意味これは才能だな、と呆れ半分感心半分でエンの強烈なコミュニケーション能力を目の当たりにしていたマルコに、ふと見知った気配が近付いた。

マルコを相手にいかに鳥が素晴らしい存在なのか力説していたエンも、不意に落ちた影に顔を上げる。

 

「お嬢さん、そんなにマルコが気に入ったのか?」

「わぁ美人」

「ははは、ありがとよ。おれはイゾウ、こっちはサッチ」

「よろしく、かわいこちゃん!」

「おお、こっちは立派なリーゼント。よろしく、エンよ。もうさいっこう。こんなに大きな鳥を好きなだけ抱きしめられるなんて夢みたい!」

「そーかよい……」

 

出来れば忘れないでほしいが、本体はれっきとした人間である。

がっちりと首をホールドされながらげんなりと息を吐くマルコに、サッチはにやにやと笑った。

 

「なんだよマルコ、こんな可愛いエンちゃんに抱きしめられて役得だとか思ってんだろ?」

「お前、最初から見ててそのコメントかよい?」

「でも逃げてないってことは満更でもないんじゃないか?」

 

ぎろりと睨みつけても、隊長として数々の修羅場をくぐっている二人はビクともしない。むしろ、普段は一番隊隊長としてみんなをまとめ上げる、どちらかというと堅物寄りのマルコが可愛い女の子に絡まれて逃げられないというこの状況が面白くてしょうがない。

いじれるときにいじれるものはいじるのがモットーなので、面白いこと大好きイゾウとサッチは喜々としてマルコをからかった。

エンはエンで最初から友好的に接してくる二人が嫌いではないらしく、どこかで馬も合ったのか早速楽しくおしゃべりで盛り上がっている。コミュニケーション能力の高さはやはりここでも発揮されるようだ。

 

「ところでエン、お前さん、赤髪たちと喧嘩でもしてるのか?」

 

周囲もそれぞれに盛り上がってきて、いつも通りのどんちゃん騒ぎが始まったところで、何気なくイゾウが首を傾げた。

モビー・ディック号の甲板で開かれているこの宴会は、何か所かのグループに分かれて固まって飲んでいる。白ひげの周りにはシャンクスがいて、ベックマンやヤソップはビスタやジョズと一緒だ。そのほかのメンバーもそれぞれに楽しんでいるようだ。

が、今エンと一緒に飲んでいるメンバーに赤髪海賊団はいない。

エンは赤髪海賊団で唯一の女性だし、エンを紹介したときのシャンクスの様子からかなり愛されているのは想像できた。だからこんな大人数の宴会では、防波堤として誰か傍に来るだろうと思っていたのだが。

ちらりと周囲に目をやったエンは、ハッ、と一瞬だけ美少女にそぐわないつまらなさそうな顔をした。

 

「喧嘩っていうか、うーん。あの人たち、意外と女々しいんだなって思ってる」

「め、女々しい……赤髪海賊団相手にすごいこと云うねぇ」

 

しかしそれは本当に一瞬で、次の瞬間には甘いカクテルを可愛らしく飲むエンがそこにいる。恐ろしいギャップだ。

エンはマルコの首筋にぎゅうと抱き着きながら、少しだけ唇を尖らせて面白くなさそうに零した。

 

「私、別に怒ってるわけじゃないのよ。いじけてるわけでもない。たかだか数か月の付き合いで、全部を理解できてるなんて厚かましく思いあがるつもりはないし」

 

ふむ、と三人(鳥マルコも含む)は一先ずエンの話を聞く態勢になった。なんとなく根の深そうな話である。茶化す気にはなれなかった。

数日前に珍しくエンが全員に対して怒ったことを、赤髪海賊団の彼らはまだ気にしている。

このいざこざを長引かせたいわけでも謝られたいわけでもなかったから、エンは次の日には『私が云いすぎた、ゴメン』と軽く謝っていつも通りに接しようとしたのがけれど、彼らはぎこちなく頷くだけだった。

うわ、と思った。

つまり、大人の対応で流せないほど彼らは『もう船にはいない誰か』をエンを通して思い出して懐かしんだことを後ろめたく思っているわけだ。

しかし更にそれを指摘してやる気にもなれず、気にしたいなら勝手に気にしたままにすればいい、とエンはこの件についての対応を放棄して現在に至る。

 

「知らないふりしてもよかったけど、ああもあからさまだとね。いくら可愛くて海のように心が広い私でも、さすがに物申さずにはいられなかったっていうか」

 

詳しい内容は話すつもりはないだろうが、複雑な事情がありそうだ。

エンも、三人に相談して解決したいというわけではなく、少しだけ愚痴りたかっただけだったので、軽く聞き流してくれるこの気軽さがありがたかった。

しかもイゾウもサッチも空気が読めるタイプだから、適当にあしらって流してほしいというエンの気持ちを察して、サッチはわざと明るく目を輝かせて云う。

 

「可愛くて心が広いとか……エンちゃん、完璧じゃね?」

「しかも賢いって付け加えてね」

「可愛くて心が広くて賢い!? おいおい、どこまで完璧なんだ……おれ、ファンになっちゃいそう」

「まぁ、無理もないよ。何せ私は完璧だから。好きなだけちやほやしてちょーだい」

「よ、エンちゃん最高!!」

「わはは、いいねエン、面白いぜ」

 

コミュニケーション能力のおばけは白ひげ海賊団幹部をも虜にするらしい。

もともと、エンはポジティブでくよくよしたりするのは性に合わない。嫌なことがあってもなるべく前向きにとらえて、それをバネに前に進もうとするタイプだ。

だから本当は愚痴もあまり云いたくないのだが、今回は別だった。あまりにもモヤついて、口にせずにはいられなかった。が、赤髪海賊団の仲間には愚痴れない内容だったから、三人が話を聞いてくれて随分心が軽くなった。

ということはつまり、ここからはポジティブの本領発揮である。

可愛くて心が広くて賢いエンは、気持ちの切り替えもぴか一なのだ。

 

イゾウとサッチがやんやとエンを囃し立てるので、エンも調子よく胸を張って得意げになる。

すると、エンのすぐ近くの樽に肘がぶつかり、置きっぱなしにされていた空のグラスが転がった。停泊しているといっても船は海の上にあるわけで、完全に動きが止まるわけではなく、しかも大人数での宴会ともなるとそれなりに揺らぐ。

結果、空のグラスがあっという間に転がって、丁度エンの頭上に落下したのを、エンに首を確保されたままだったマルコだけが気付いた。

 

「おい、馬鹿っ」

 

咄嗟に、マルコは変形を解除して人の姿に戻り、寸でのところでグラスを掴んでエンへの直撃をを免れた。

ホッとしてグラスを安全な場所に置いて、近くにいた下っ端に開いた皿とグラスはさっさと片付けるように云って一息ついて気付く。エンの反応がない。

何気なく視線を下にずらすと、エンは大きな目を更に見開いて固まっていた。

 

「……何やってんだよい」

「…………。」

「ほら、手ぇ貸せ」

 

さっきの衝撃でエンが持っていたグラスから中身が零れて、彼女の手を濡らしていた。甘いカクテルだから、すぐに手を拭かないとべたべたになってしまう。

何故か呆気に取られたように固まっているエンが本当にピクリとも動かないので勝手にグラスを取りあげ、近くにあった濡れタオルで手を拭いてやれば、されるがままだったエンはぎこちなくお礼を云った。

なんだ、その反応。

さっきまでやりたい放題だった癖に、と思いつつ、どうせ人間に戻ったのだからついでに飲みたい欲が出た。変な姿勢で人間に戻ってしまったせいで首が痛いから、ひょいと体勢を変えて胡坐の上にエンを横抱きにする形にした。もうほとんどやけくそだった。

 

「サッチ、その酒寄越せ。さっきから一滴も飲めてねーんだよい」

「おう、ほら。……っていうかマルコ、戻らねぇのか?」

「戻るも何もこっちが本来の姿だよい。少しくらい楽しませろ」

 

投げやりに云ってマルコは受け取ったグラスを一気に煽った。

シャンクスが手土産で持ってきたという西の海の酒はうまい。いつもいつも仲間になれだなんだとしつこいシャンクスのことがマルコは鬱陶しいと思っているが、酒のセンスだけは一目を置いている。普段なら白ひげの次に遠慮なく酒に飛びつくところなのに、今日はエンがいたからこれが初めての酒だ。やはりうまかった。

そう云えば静かだな、と思ったが、ここまでエンは無言である。

さっさと鳥に戻れと理不尽に怒られるかと思ったが、それもない。

不審に思って下を向くとパチッと視線が合って、更に勢いよく逸らされる。首がもげるのではと思うほどの勢いだった。大丈夫だろうか。鞭打ちを心配したが、マルコが声をかけるより先に何故か笑いをかみ殺したイゾウが云った。

 

「エン、生きてるか?」

「……だいじょぶ」

 

先ほどまでの太々しいまでの威勢はすっかりなくなっている。

一瞬意味がわからなくて首を傾げたマルコだったが、まさか、と思って改めてエンを見ると顔が明らかに赤い。

おいおいおい。

今日ここまでの流れを振り返って、マルコが呆れたのも無理はなかった。

 

「お前、今更照れてんのかよい?」

「うっ」

 

図星だったらしく、エンはわかりやすく狼狽えた。散々ぎゅうぎゅう抱きしめてきたくせに。

確かにそれはその通りなのだが、それは自分からやっていたことだし、鳥だったし、エン的にはセーフだった。

が、今はマルコは人間の姿で、しかも胡坐の上に横抱きに抱えられているという状況。割と結構恥ずかしい図だし、何よりマルコと顔が近い。

鳥の姿のマルコに思いっきり顔を摺り寄せていただろうと云われても、それこそ鳥と人ではあまりにも違う。

しかも赤髪海賊団はみんな基本的な距離こそ近くとも、それなりに節度を持っているため、シャンクス以外は気軽にエンに抱き着いたりはしないのだ。

更に云えばそもそも島でまともな恋愛経験などしていなかったエンにとって、この距離は父親を除く異性との初めての距離で。

 

ぐるぐると、頭が混乱する。

嫌なわけではない。

いくら鳥に目がくらんだとはいえ、マルコという人間を認識したうえで鳥になってもらってぬいぐるみよろしく抱き着いていたのだ。最初から生理的に無理な相手であれば、抱き着かせてほしいなんて頼まない。

でもこの距離は予想外だった。

てっきり、頼んでいる間はずっと鳥の姿でいてくれるものだと思っていたので、思いがけぬ距離感にエンの頭はキャパオーバーだった。

嫌ではないけれどじゃあどうしたらいいのかわからず、ただただ気恥ずかしさで固まっていると、堪えきれなくなったのかマルコがブハッと噴き出した。

 

「っはは、変な女だよい」

 

呆れたように、けれど楽しそうに笑ったマルコを改めて至近距離で見た瞬間。

 

――ドッ。

 

エンは自分の心臓が、大きく脈打ったことを自覚した。

じわじわと首から耳から身体中の血液が顔面に集まってくる。

 

このタイミングでマルコは奥で騒いでいたラクヨウとハルタに呼ばれ、やれやれと仕方なさそうにそちらへ行ってしまった。どうやらマルコ秘蔵の酒を勝手に飲んだ上に、一緒に飲んでいたルゥにもっと寄越せと要求されたようで、マルコにヘルプを出したらしい。その状況でマルコを呼べるのは馬鹿なのか大物なのか紙一重である。

軽々と抱えて床に座らされたエンは、去り際にわしっと頭を撫でられてまた固まっていた。

それはズルいと思う。

結局最後までまともに何も云えないままのエンは、マルコの姿が見えなくなった途端に息を吹き返したようにゼーゼーと息を吐いた。

 

「……エン、えーと」

「待ってイゾウちゃん、云わないで」

「え、まさかエンちゃん?」

「サッチさんも、やめて、云わないでお願い」

 

――もしかして、マルコに惚れた?

 

隠すように覆われた両手の隙間から見えるのは、ろうそくの火に照らされたからではないであろうエンの顔の赤い顔。

それは、二人の疑問の答えそのものだった。

 

 

 

 

◇◆◇◆

 

 

 

 

いやいやいやいやそんなまさか。

だってほら、私、未来の海賊王に嫁ぐつもりの女ですよ?

そんなわけないじゃないですか。

ね、そんな、だって、ねぇ?

 

「エン、なんか調子悪いか?」

 

あの後、居た堪れなくなって私は逃げるようにレッド・フォース号に戻ってきた。

船の番をしていたホンゴウに不思議そうに呼び止められて、慌てて首を振る。

 

「大丈夫。なんともないから気にしないで」

「ならいいけどよ……」

 

せっかく白ひげのところで宴なのに、とこんな日に船番なことを嘆くように云うホンゴウに、私は乾いた笑いしか返せないまま急いで部屋に引っ込んだ。まぁあと何回か宴はあるって話だったし、次を楽しんだらいいんじゃないかな。私は楽しめるかもうわかんないけど。

 

いやいやいやだってさ、なんでって話ですよ。

青い鳥があんまりにも綺麗で、理想的な大きさで、飛んでくる姿が素敵すぎて理性が死んでたっていうのは認めます。はしゃぎすぎた自覚もあります。

でもおじ様もなんか楽しそうに許可出してくれたし、あれが抱き締められるって思ったら他のことなんか全然考えられなくなっちゃったのよね。美少女としてあるまじき失態だとは思うけど、可愛い鳥さんの前には美少女も形無しになっちゃうのはしょうがなくない?

だから普段よりはっちゃけたのは事実。

でも、だからってそこからまさか――マルコを好きになっちゃうのは、私、ちょろすぎません?

 

結局その日の夜はほとんど眠れなかった。

鳥のマルコの最高の抱き心地を思い出してはふと人間のマルコの顔を思い出してまた心臓がばくばくいって、ベッドの中でごろごろ転がっては疲れて癒しのためにまた鳥のマルコを思い出して、という繰り返し。本当に私、マッチポンプが得意で困る。

そんなわけでちょっと寝不足な私。睡眠は美容に大切な要素の一つなのに。

二度寝なんてもちろんできるわけがなく、簡単に身支度をしてキッチンに向かう。案の定昨日は遅くまで宴だったようで、キッチンには誰もいない。まぁ、うん。もし昨日の私の様子とか見られてたら恥ずかしいから丁度良かった。ていうかマジで誰にも見られてませんように。あんだけ人いたし、常に私の監視でもしてない限りは見られてないと思いたい。

 

食欲もなかったので新聞を読みながらコーヒーを淹れて飲み、一度気分転換に太陽を浴びようと甲板に出たところで、おーい、と私を呼ぶ声がした。

波止場のほうに目をやると、そこには何故かイゾウちゃんとサッチさん。その声につられたのか、何故かホンゴウとライムもわらわらと甲板に出てきた。どこにいたの。

まぁ自分たちの船なんだからどこにいてもいいかと思い直し、おはよう、と大きく挨拶をすると、二人はニコニコと笑顔を返してくれた。

 

「エン、今から街のほう行くんだけどお前もどうだ?」

「なんでお前らがわざわざエン誘うんだよ」

「ホンゴウはおよびじゃないんです~エンちゃん出しやがれ」

「じゃあライムちゃんが行ってやるよ」

「もっといらねぇ!!」

 

仲良いのね。

ぎゃーぎゃーと騒いでるみんなを笑いながら見て、ちょっと私は考える。

元々ここへはログと買い出しのために寄港していて、白ひげ海賊団と鉢合わせたのは偶然だった。まぁ、近くにいるのは知っていたらしいから、もしかしたら一緒になるかもとは思っていたのかもしれない。

なので買い出しや外出の計画はあらかじめ立ててあった。私の場合、メインの買い出し要員としては非力すぎるのでだいたいベックの補佐みたいな感じで買い物に出ることが多くて、今回もその予定。で、明日と最終日に用事があるだけでそれ以外は基本自由時間になっている。

先日の一件からちょっと雰囲気はぎこちないものの別に険悪と云うわけでもなく、私はみんなと会話はする。ただ、前ほど気軽に、ということがなくなっただけだ。だから買い物の予定も特に変更はないはず。

 

「うーん。私、明日ベックと一緒に買い出しに行く予定だから今日の外出はやめとこうと思ってたんだけど」

「ちなみにおれらは向こうでマルコと合流する」

「すぐ用意するから待ってて!!」

 

反射でしたね。

私は質素な格好をしていても十分可愛いけど、マルコがいるならちゃんとしたい。

急いで部屋に戻ってお気に入りのワンピースを着て、髪をまとめる。アクセサリーをじゃらじゃらつけるのは趣味じゃないから、青い石――狙ってないです、本当にただの偶然!――がついたネックレスだけで胸元を飾った。化粧は……軽く粉を叩くだけにしておこう。鏡でチェック。うん、大丈夫。今日も私は可愛い。

ここまでものの5分で支度を済ませた私が再び甲板に出ると、何故か赤髪海賊団の幹部が一同勢揃いしていた。昨日遅くまで飲んでて今日は二日酔いだろうと思ってたのに、意外と元気? というか暇なの? 仕事すれば?

たまにこの人たちって死ぬほど無駄なことするよなぁと思いながらイゾウちゃんとサッチさんの待つ波止場に降りる。背中にすごい視線を感じた。でも何も云ってこないので無視無視。

 

「おまたせっ」

「いいねぇエンちゃん、可愛い可愛い。超目の保養」

「ありがと、知ってるぅ」

「夕方までにはちゃんと送ってくるから、しばらくエンを借りるぜ」

「お、おお……」

「行ってきま~す!」

 

ニッコニコ笑顔でみんなに手を振り、私はイゾウちゃんとサッチさんと一緒に街に向かってルンルン気分で歩き出した。

なんかみんな間抜け面になってたけど、気にしない。云いたいことがあるなら云えばいいんだから、何も云わないってことは何もないという解釈です。察してちゃんは嫌われるよ。

 

さて、女々しい軍団は放っておいて、港から街中に続く道中からなんとなく想像はついたけど、どうやらこの島の街は随分と栄えているようだ。規模も大きいし、華やかで賑やかだった。

島を出てからいくつかの島に行ったので私だっていつまでも田舎者じゃない。ちょっと街が栄えてるからって今さらはしゃいだりしませんよ。

とか思ってたけどやっぱはしゃぎたい。

今からマルコと合流するのはわかっているのに、お店が私を呼んでいるのだ。

あっちにふらふらこっちにふらふらする私はついにイゾウちゃんにとサッチさんに両脇を固められ、まるで連行される罪人のようにマルコとの待ち合わせ場所に向かったのだった。

一足先に街に来ていたマルコは、レンガの壁に寄りかかりながら新聞を読んでいた。くぅ、それだけなのにかっこよく見えるのは何?

 

「おーいマルコ~」

「遅ぇよい……ってエン? お前も一緒かよい」

「お、お邪魔します……」

「別に邪魔とは云ってねぇよい」

 

ぶっきらぼうな云い方は、だけど突っぱねているような印象は受けない。多分、予想だけど、本当に嫌ならはっきりそう云ってくれるタイプだよね、マルコ。というか私が関わってきた海賊たちはみんなそんな感じがする。

同行を拒否されなかったことに一先ず安心し、最初は三人の買い物に付き合うことにした。

まず武器屋に行くと、私でも扱えそうな小ぶりのナイフを発見。護身用に買おうかな。いやでも下手に武器とか持ってる方が危ない目に遭う確率は上がる可能性がある。うーん、悩ましいところ。さすがにこのあたりはお頭たちに相談してからにしよう。

文房具屋はマルコが用事があったようで、ついでに私もペンを新調した。ベックの手伝いをしてると消耗品の消費が激しくなる。特に筆記用具、安いやつを買うとすぐに駄目になるから、それなりに良いものをいくつか持っていると安心できるのだ。仕事中のモチベーションにもつながるし、いい買い物が出来た。ちなみにサッチさんは文房具にはまったく興味がないようで、お酒を買って外のベンチで飲んでいた。ちらりと見たら女の人に声をかけて秒で振られてた。おもしろ。

 

他にもいくつか店を回って、気付けば昼を過ぎていた。一人で買い物も自由で好きだけど、こうやって誰かとわいわいする買い物も私は楽しくて好きだ。見て回りたいジャンルが違うから余計にいつもと違うお店が見られて新鮮だし。

食事はレストランに入るよりも分担して食料を仕入れてどこかで食べようという話になり、私は場所取りを仰せつかった。

街の中には大きな公園があって、そこかしこにベンチとテーブルが設置してある。ご自由にご利用くださいということらしい。綺麗に掃除も行き届いているようだし、この街は随分と平和なようだ。

みんなで確保したテーブルの場所を確認し、待つこと数分。

大きめのトレーに食べ物と飲み物を載せたマルコだけが戻ってきたので私は首を傾げた。

 

「あれ、二人は?」

「用事思い出したから先帰るってよい」

「は」

 

顎が外れるかと思った。

ちょっと待ってほしい。

私はただでさえ浮かれているのだ。

三人のおまけみたいな感じで一緒について来られただけで、十分楽しくて幸せだったのに。

いや、確かに、さっき別れ際にイゾウちゃんとサッチさんが意味ありげな顔で笑ってるなーとは思ったよ。

でもまさか、こんなあからさまなことするなんて思わないじゃない!?

 

言葉にならない私をよそに、さっさと私の目の前に腰掛けたマルコは、さっそく買ってきたものたちを食べ始めた。

フライドポテトにふかふかの肉まん、一口唐揚げにメンチカツ。スティック野菜はディップが何種類もあって、彩りも鮮やかだ。チーズがたっぷりのホットドックの香りが食欲をそそり、そういえば朝は何も食べていなかった私は今さらながら空腹を思い出す。

現金なもので、マルコと二人きりになった衝撃よりも空腹が勝ったようで、私のお腹はくぅと鳴いた。

わぁと声を上げてお腹を押さえると、マルコはからからと笑ってトレーと飲み物が入った紙コップを渡してくれた。小さいサイズのブリトーと、ブロッコリーとベーコンのシーザーサラダが入ったボウル。飲み物はノンシュガーのカフェオレ。お任せでってお願いしたのに、私の好みドンピシャでびっくりした。ちなみに私の中でブロッコリーは野菜じゃないのでセーフです。

ありがたく受け取りながら首を傾げると、昨日そういうのが好きだって話してただろう、と。

確かに宴の最中にサッチさんに食べ物の話を振られていろいろと答えたような気がするけど、あのときはまだマルコは鳥の姿でぐったりしてただけなのに。

話、聞いててくれたんだ。しかも、覚えててくれた。

どうしようもなくそれが嬉しくて、私は頬がだらしなく緩むのを抑えられなかった。

 

「ところでマルコ的には唐揚げってオッケーなの?」

「どういう意味だよい」

「いやほらカニバリズムみたいな」

「黙って食え」

「むぐっ」

 

好奇心もあったけど親切心で訊いたのに、図らずもあーんをされてしまった。照れる。嬉しい。美味しい。

それにしても、食事の力というのは偉大だ。

最初は二人きりという状況に緊張していたのに、食べながら少しずつ会話を頑張っていたら、少なくとも緊張で何も話せないということはなくなった。マルコも意外と話し上手だし聞き上手だし、会話がどんどん楽しくなってきた。

そして元来ポジティブで自己肯定感鬼強の私は、こんな可愛い私に好かれてマルコが嬉しくないわけないよね!? という思考に至っていた。

あ、一応云っておくけど、可愛い私が好きになってあげたんだからマルコも私を好きになれって話ではない。

基本的に、好意は迷惑なものではないと私は思う。もちろん行き過ぎたりただ押し付けるだけはありがた迷惑になる可能性は大だけれど、ただ『この人が好きだな』と思うのは自由なはずだ。

しかもそれが私みたいに超絶可愛い子から向けられる好意なんだから、よっぽど感性がズレていなければ嬉しいはず。で、希望的観測は入るけれど、これまでのマルコの感じからいって、私の好意を嫌がっている様子はない。

つまり、多少ガンガン行っても大丈夫。

そんなわけで、いつもの調子を取り戻しつつある私は、もうこの初恋を楽しむ気満々だった。

 

え、私みたいな美少女にしては初恋が遅くないかって?

いやいや美少女だからこそよ。

島にはあんまり私と同世代の子はいなかったし、そもそも人口が少なすぎてみんな家族親戚みたいな付き合い方をしていたから、恋だなんだに発展することはほとんどなかった。まぁ、私以外は付き合っただの別れただのちょっとだけ遊んだだのしてたみたいだけど。

仕事で島に来る人たちに声をかけられたことがあっても興味を持てなかったので、やっぱり恋というのは私にとって物語の中の話という印象が強かった。

だからこれが、マルコが私の初恋。

しかもほとんど一目惚れみたいなものよね。鳥の姿も人の姿もどっちも好きだし。

昨晩は戸惑いの方が大きかったけど、一晩経って今はこの胸を焦がすようなときめきが新鮮で嬉しい。

恋って、楽しい!

 

一足先に食べ終わったので、恋の楽しさを噛みしめながらニコニコとマルコを見ていると、最後のポテトを口に放り込んでマルコが云った。

 

「他に行きたいとこは?」

「え?」

「ついでだし、最後まで付き合うよい」

 

ぽかん、として数秒後。

マルコの言葉の意味を理解して、びっくりして、思わず私は立ちあがって云った。

 

「い、いいの?」

「別に今日おれはフリーだからな。どうせ暇だし、お前に付き合ってやるよい」

 

てっきり、二人がいなくなったならここで解散って云われるかと思っていたのに。

そしたら、イゾウちゃんとサッチさんのところに突撃して恋バナに付き合ってもらおうとか思ってたのに。

予想外のマルコの言葉に、私はどうしようもなく浮足立った。

 

だって、こんなの――で、デートみたいじゃない!

 

 

 

 

◇◆◇◆

 

 

 

 

その後、マルコのお言葉に甘えて私は気になっていたお店を回った。

といってもあいにく可愛らしいお買い物はしていない。もともと明日ベックと回る予定だった生地屋や本屋がメインで、道中気になった雑貨屋をちょっと覗いた程度だったけれど、私はとても楽しかった。なんてったってマルコが一緒なんだもん。ごめんね、ベックが一緒はつまらないって話じゃなくて、恋する乙女の気持ちをどうか理解してほしい。

私は趣味が裁縫なので、航海中に暇を見つけて自分の服を作ったり、頼まれれば誰かの服を繕ったりもする。生地は自分用でもあるけどみんなにも使うから、ベックが経費を使っていいって云ってくれたのでお言葉に甘えている。でも荷物になるし今は少な目にしてあとでベックと改めて来ようと思って吟味してたら、マルコが持ってくれるから好きなだけ買えって云ってくれた。優しい。これ以上好きにならせないでほしい。

ちなみに今日着てるのも自作のワンピースですって云って回って見せたら、マルコは素直に驚いたように褒めてくれた。へ、へへ。嬉しい。

本は自分の趣味の分と、仕事で使う分。趣味の方は好きに買えるけど、仕事の方は目星だけつけてあとでベックと相談だ。

本屋は古本屋も含めて何件か回っていたおかげで随分と時間を使ってしまった。休憩がてら入ったカフェには昨日仲良くなったナースなお姉さま方がいて、良かったら今夜女子会をやらないかと誘って頂けた。もちろん二つ返事でOKすると、みんなは洋服のセールがあるからと出て行ってしまった。買い物戦士、強い。

 

で、そろそろいい時間だしと帰路についた途中で、ふと雑貨屋が目に入った。わーあのイヤリング可愛い。でも失くしたらへこみそうだし、やめとこう。

一瞬足を止めてしまったけどすぐに前を向いた私を、マルコが呼び止めた。

雑貨屋の隣は酒屋になってたから、そっちが気になったのかなぁと思って促されるままついていくと、なんとマルコは雑貨屋の方に入っていった。え、もしかしてマルコって可愛いもの好き? じゃあ可愛い私、脈ありそうじゃない? とか思っていたら、さらに驚いたことに私がさっき可愛いと思ったイヤリングを手に取った。

 

「マルコ、それ買うの?」

「買ってやるよい」

「え」

「見てただろい」

 

見てたけども。

え、でも本当に一瞬ちらっと見たくらいだよ?

……気付いたの?

 

呆気に取られる私をよそに、マルコはさっさと会計を済ませてしまう。しかも包装はなし。その場でつけろと。

いやつけますけど、嬉しいけど、何? マルコって実はモテ男? 確かにかっこいいし雰囲気あるし、ベックとは違う感じでモテそうだとは思ってたけど、こういうことさらっとしちゃうタイプだったの? 嘘、びっくり。そんで本当に嬉しいし照れる、どうしよう。

 

「……似合う?」

「おお、似合う似合う。顔が良いと何でも似合うな」

「ありがとう、私は可愛いからトーゼンなんだけど」

「云ってろよい」

 

楽しそうに笑いながら店を出たマルコの後を追い、隣に並んで船までの道を行く。耳元でシャランと揺れたイヤリングがくすぐったかった。

夕方になり少し気温の下がった海沿いは少し肌寒いけれど、火照った頬が冷えて気持ちいい。

私が赤髪海賊団の船に乗ったきっかけだとか、鷹の目のミホークに会った時の話だとか、今までマルコが戦った面白い敵の話なんかをしながら歩く。

 

楽しくて、楽しくて。

マルコは私の歩みに合わせてくれて、荷物まで持ってくれて、イヤリングまで買ってくれて。

幸せだと思った。

綺麗な鳥だからという理由だけではなく、優しいマルコを、ますます好きだと思った。

でも、だから気付いてしまった。

 

――多分私は、マルコに振られる。

 

あーもーやだやだ、私ってば可愛くて賢い上に敏いんだから。

もっと恋に恋して楽しんでいられたらよかったのに。

だけど、気付いたから今すぐマルコを好きではなくなれるという話ではないわけで、あと少し、はっきり告げられるまでは、私はこの恋を謳歌しようと決める。

だって折角の初恋だよ?

最後までいい思い出にしたいじゃん。

 

そんなことを考えながら歩いていると、あっという間に船に付いた。

まだ夕方だというのにすでに甲板では何人かが飲み始めていて、そのいつも通りさにちょっとだけホッとする。

お礼を云ってマルコから荷物を受け取ろうとしたら、上までは運んでくれるとのこと。いやもうほんと好きになる要素しかないの勘弁してほしい。でも嬉しいので素直に厚意に甘えて、私たちは船に登った。

すると、階段近くで飲んでいたお頭が私に気付き、赤ら顔のまま手を振った。みんなも同じだ。もう出来上がってる。昨日も随分飲んだはずなのに、大丈夫なんだろうか。

呆れつつ片手を上げて挨拶する私の後ろからマルコが顔を出すと、お頭は手に持っていた酒瓶を足の上に落とした。ゴンッと鈍い音がする。瓶は無事っぽいけどお頭の足は無事じゃなさそう。

 

「ま、マルコ?」

「エン……?」

「ま、まさか……」

 

何がまさかなんですか。

青い顔で震えるお頭たちを無視して、私はマルコに向き直る。

 

「マルコ、荷物ありがとう。ここで大丈夫だから」

「おう、置いとくよい」

「そうだ、お礼にマルコにも服作ってあげよっか?」

「遠慮する。船の上で洒落た格好してどうすんだよい」

「えー、背中に豪華な不死鳥の刺繍したシャツ作ろうと思ったのに」

「ぜってぇ着ねぇ」

 

誠心誠意気持ちを込めて縫うのに。

唇を尖らせて云えば、マルコは軽く私の額を小突いた。いやもうこういうのたまんない。なんでだろうね、こんなのホンゴウやライムに日常的にされてるはずなのに、相手がマルコになった途端にときめきが止まらないの。恋って偉大だ。

ニヤけそうになるのを我慢しつつ、一旦持てるだけの生地を持って倉庫に向かう。するとパンチとガブが手伝ってくれたので、ありがたくお願いした。この二人のこういう気遣いは本当いいところよね。

生地は二人に任せるとして、自分の荷物を部屋に運ぶ途中ではたと思い出す。

 

「あ、そうだお頭」

「な、なんだ?」

「私今日、あっちの船に泊まりに行っていい?」

 

そう云った瞬間、みんなの顔が一斉に驚きに染まった。なんか最近こんなんばっかね。

 

「んなっお前まさかマルコと!?」

「違うよ、何勘違いしてるの。さっき街でおじ様の素敵なナースなお姉さま方と一緒になったんだけど、女子会しないかって誘われたの」

 

別に女が一人という赤髪海賊団に不満はないけれど、私は普通に女の子の知り合いも欲しい。特に今は、あわよくば恋バナとかしたい。どうやら私は彼女たちにも気に入っていただけたみたいだから、今回気さくに誘ってもらえて素直に嬉しかった。

他の海賊団と顔を合わせてもなかなかこういうたくさんの女の人と一緒になる機会は少ないし、折角だからご厚意に甘えたい。っていうかもうオッケーしちゃったし。

 

「私、不寝番は明後日の予定だし、いいでしょ?」

「あ、ああ……そうだな、それなら……」

「ありがと。じゃ、準備してくるから」

 

なんとなく煮え切らない感じの答えだったけれど、言質は取った。

一人で行けるから大丈夫だよって云ったのにマルコが待っててくれてるし、急いで準備をしなければ。

みんなは私がマルコと一夜を過ごすとか勘違いしたみたいでものすごく動揺していた。ばっかじゃないの。ていうか、もし本当にそうならちゃんと云うよ。私を何だと思ってるんだか。

はっ、駄目駄目エンちゃん、イライラしたら可愛い顔が台無しになっちゃう。慌ててにこっと笑顔を作る。自分の部屋で一人だから誰にも見られてないのはわかってるけど、やっぱ意識して笑顔になるって大事よ。

先日のこともあって些細なことでイラッとしてしまう自分をなんとか落ち着けて、私は手早く一泊分の荷物をまとめた。せっかくの女子会なんだから、目いっぱい楽しまないと。

 

マルコと一緒にモビー・ディック号に到着すると、すぐにナースなお姉さま方が私を迎えに来てくれた。待ってたわ、と綺麗な笑顔で迎えられて、きゅんとしてしまう。綺麗なお姉さんは大好きです。

おじ様にも今夜はお世話になることを挨拶して快く了承してもらい、私は早速お姉さま方のお部屋に遊びに行かせてもらった。ナースのお仕事は交代制で、今回私を誘ってくれたお姉さま方は今日は一日フリーならしい。

私がおじ様になれなれしい態度を取ったことも面白いと笑ってくれて、鳥のマルコを要求したことに関してはみんな思い出して大爆笑してた。え、でもあんな綺麗な鳥が近くにいたらぎゅっとしたくなるでしょうって訊いたら真顔で『全然』と首を振られた。そ、そんな馬鹿な。私は抱き締めたいよ。いや私はイケメンのほうがいい、とか私は小動物がいい、とか各々のぎゅっとしたいものの話は随分と盛り上がった。みんな違ってみんないい。

で、お風呂もいただいて寝巻になってからが女子会の本番が始まりだ。

いい感じにお酒が入ると、話題は私とマルコのことになった。

 

「エン、あんた本当にマルコのこと好きなの?」

「ほ、本当にって……」

「鳥の方のマルコが好きなのはわかったけど、人の方も? エンはまだ若いでしょ。マルコと結構歳離れてるわよ?」

「そうよね~、エンみたいに可愛ければ男なんてより取り見取りだろうし、わざわざあんな年上選ばなくてもよくない?」

「ううっ……」

 

ガンガンくる。

求めていたガールズトークだけど、自分が話題の中心になると結構照れるな、これ。

そしてやっぱり昨日のことは多数の人に見られていたらしく、すでに白ひげ海賊団のなかでは私とマルコがどうなるか賭けの対象になっているそうだ。このやろう。人の恋路を面白がってくれるなよ。

どうやらお姉さま方は、面白がって入るけれど同時に私を心配してくれているらしい。その気持ちが伝わってきたので、私もちょっと真面目に答えた。

 

「確かに好きだけど、マルコとどうにかなりたいとかはあんまりないんですよね」

「え、恋人になりたくないの!?」

「だってそもそも違う船に乗ってますし」

「そんなのエンがこっちに来ればいいじゃない~!」

「そうそう、エンなら大歓迎! まぁうちに来る理由がマルコってのがちょっと複雑だけど」

 

大笑いするお姉さま方、マルコのこと嫌いなんだろうか。いやこれは親しいからこその発言だというのはわかるけど。

そこからしばらく白ひげ海賊団のクルーなら誰が一番かっこいいか、という話になり、最終的にはやっぱりおじ様に勝てる人はいないということで落ち着いた。確かにおじ様めちゃくちゃかっこいいもんね。わかる。

私も混じって満場一致したところで、何度目になるのかわからない乾杯をしてぐいっとグラスを煽った一人のお姉さまが、ところで、と目を輝かせて私を見た。

 

「ねぇエン、赤髪の船長さんとは何もないの? 夜誘われたりだとか、そういうの」

「え、ありないですよ」

「わお、即答。船長さんかわいそ……」

 

何故いきなりお頭が憐れまれているのか。

確かにちょっと時々頭が残念なところはあるけれど、本職のナースにまでヤバいと思われているんだろうか。それは気の毒。

だいたい、お頭が私を誘うわけない。あの人はベックと同じくらいモテて、島に降りるたびに綺麗なお姉さんがいる飲み屋に行っては朝帰りしている。ただ飲みに行ってるだけだなんて云ってたけど、そんなわけがないのは私でもわかる。香水の匂いがプンプンするんだから。

いくら私が未来の海賊女王の座を狙っていて、将来的にはお頭が海賊王になって私を娶ってくれるんだとしても、それはそれ、今は今。別にお頭がどこで誰と遊んでいても私には関係ないし、逆もしかりだ。私は遊んでないけどね!

ていうかお頭が私を口説くのは単に第一印象から面白がっているだけであって、別に私のことが好きだからじゃないと思う。あとはまぁ、私はとっても可愛いので、可愛い子を口説くのが義務だと思ってるとか。

ということを簡単に話すと、お姉さま方は揃って頭を抱えてしまった。もう二日酔いですか?

 

少しだけ妙に重い静寂が部屋に横たわり、私だけがよくわからなくてお酒をくぴくぴ頂いていた。この果実酒美味しい。

漸く顔を上げたお姉さま方は何故かものすごく温かい目で私を見ており、『今後の成長に期待』と順番に私の肩を叩いた。どういう意味ですかね。首を傾げても誰も教えてくれなかったのがちょっと複雑な気分になりつつ、全員のグラスが空になっていたのでお酌をし、改めて乾杯。

恋バナには飽きたのか、今度は趣味の話になった。船に乗っていると出来る趣味は限られるから、だいたいみんな読書だとか釣りだとかになるんだけど、私ともう一人のお姉さまは裁縫が趣味だということで盛り上がった。

作品を見せてもらったら、すごく細かいパッチワークでひざ掛けやポーチなんかも作っていて、被服や刺繡がメインな私とは方向性が違うのでお互い作品を交換しようか、という話になった。今作りかけのスカートがあるから、調節すればお姉さまも着られるはず。

 

「ほんと!? 嬉しい、ありがとうエン!」

「いえいえ、私もこんな可愛いポーチ頂いちゃっていいんですか?」

「いーのいーの、いっぱい作ったし、この色合いエンにぴったりだもん」

「可愛いエンが可愛いポーチ持ってると最強に可愛いわね」

「えへへ、そう云ってもらえると嬉し……」

 

――ふと。

 

ぞわり、と悪寒がして私は息を飲み、思わず立ち上がった。

そんな私のいきなりすぎる行動に、きゃっきゃと女子トークに花を咲かせていたお姉さま方は不思議そうに私を見る。

 

「エン、どうかしたの?」

「……あ、いや……その……」

 

うまく、言葉に出来ない。

これはあれだ、いつものやつ。

ただの私の勘、だけどよく当たる嫌な予感。

しかも、今回のはものすごく焦燥感に駆られている。

いつもの『あ、よくないな』とも全然違う、明確な胸騒ぎがした。

急がなければ、手遅れになると直感する。

女子会の途中なのはわかっているけれど、これは、駄目だ。放置してはいけない。

 

「ごめんなさい、ちょっと気になることが」

「え、エン!?」

「どこいくの!?」

 

せめて上着、と叫ぶお姉さま方の声も無視して私は部屋を飛び出し裸足のまま走る。

じりじりとした焦燥感で背中が焼け焦げそうだ。

なんか嫌だ、なんか駄目だ。

今まで何度も私の勘が働いたことはあったけれど、ここまで嫌な感じがしたのは初めてだった。

何が起きるのかはわからないのに、ひたすらに嫌な予感がする。

気持ち悪い。

胃がひっくり返りそうな不快感を飲み込んで、私は甲板に続くドアを勢いよく開け放った。

甲板では今日も宴会が広げられていて、だけど昨日と違うのは、今日は白ひげ海賊団のみんなだけでの宴会ということ。そこに私が飛び込むのは、本来場違いだ。

が、今はそんなことを云っていられない。

 

「エンちゃん、どーしたそんな格好で」

「ちょっと黙ってて」

 

薄着な私の姿を見てわかりやすく鼻の下を伸ばしたサッチさんをぴしゃりと遮り、私は意識を集中する。ごめん、あとでね。

目を閉じる。

考えろ、感じろ。

場所はここだ。思考より先に身体がここに向かったということは、何か起きるとしたらここなのだ。

可能性は何がある?

敵襲? 多分違う。ここは本当に平和な島で、治安はかなりいいのは昼間によくわかった。

嵐? 多分違う。もしそうなら赤髪海賊団のほうにだって私は走ってる。

船の故障? 多分違う。それなら私より先に船大工や整備士が何か気付くはず。

ああもう、焦って考えがまとまらない。

絶対に猶予はないはずなのだ。

一刻も早くこの嫌な感じの原因を見つけないと。

 

「おい、エン?」

 

ハッとする。

目を開けると、マルコが目の前に怪訝そうな顔をして立っていた。

 

――そういえば、マルコはこの見た目で船医も兼任しているらしい。まぁ見た目詐欺はホンゴウもそうだけど。

 

船医。

薬。

毒。

昼間の街中でのイゾウちゃんとサッチさんの会話を思い出す。

今回の寄港で別の部隊が食料の買い出しに行って、南の海の珍しい果物をたくさん買えたのだと。見た目に即してコックも兼任しているというサッチさんが、今度それで美味しいカクテルを作ってくれると云ってくれた。

南の海の、果物。

 

まさか、と思い立った瞬間に鋭い頭痛に襲われた。

こっちだ、と頭痛に呼ばれたような気がして、視界がちらつくのも気にせず勢いよく振り返った先にいたのは。

 

「ッおじ様!!!」

 

叫び、走る。

咄嗟に手を伸ばし、おじ様のズボンの裾にくっついていたソレを素手で捕まえることに成功した。

 

「サッチさん、何か袋ちょうだい!!」

「えっあっ、これでいいか?」

「なんでもいいから!!」

 

近くにあった紙袋を差し出され、急いで自分の手をそこに突っ込む。

潰してしまわないよう注意しながらそっと手を開くと、カサカサと動いたソレ。

パッと見ただけではよくわからないけど、毒グモの一種だった。

最悪だ。

何事かと目を丸くするおじ様に断って、念のためもう一度裾を確認する。もう嫌な感じはなくなったから大丈夫だとは思うけど。

どうやら、あの一匹だけだったようだ。

 

「エン?」

「おじ様、大丈夫? なんともない?」

「ああ、おれぁなんともねぇが……」

「そう、よかった。でももしかしたら服に体液がついちゃったかもしれないから、この服は捨てた方がいいわ」

 

云うや否や、ナースのお姉さま方がおじ様を急いで部屋に引っ込めた。さすがにここで服を引っぺがすわけにはいかないから、自室に戻ってもらったんだろう。仕事が早くて助かる。

一方しっかり封をした紙袋を持たされたままになっていたサッチさんは、訳が分からないと首を傾げていた。まぁそうだよね、説明する暇も余裕もなかったからね、ごめん。

念のためもう一枚袋をもらってしっかりと二重にすれば、万が一があっても体液が漏れ出ることはないだろう。

これで漸く一息つける。

 

が、折角の宴に水を差されたみなさんはそうもいかない。

私は寝間着姿で飛び込んでくるし、おじ様も引っ込んでしまったし、何事かとざわついている。

紙袋の処理のこともあるしここは誰に説明したものかと考えていると、サッチさんの手にある紙袋を指さしたマルコが難しい顔をして私に問う。

 

「これは?」

「ナンゴクコケグモ。パッと見だけど、まだ幼生かな。多分、仕入れた果物にくっついてたんだと思う。普通は出荷する前に確認してるはずなんだけど、きっとベリー系の果実に似てるから見逃したんだろうね」

「それって毒グモじゃないのかよい?」

「そう。だから潰したら駄目だよ、体液にも毒があるから、しっかり梱包して、本当だったら抗体を持ってる他の虫に食べさせちゃうのが処理としては一番いいんだけど……」

 

云いながら、顔面から血液がすぅっと引いていくのがわかった。

私の馬鹿。

いきなり言葉を止めた私を不審に思ったのか、マルコが私の顔を覗き込む。

こんな状況でなければ照れていたかもしれない。

が、残念ながら今は顔に集まる血液もなかった。やばいぞ、これ。

 

「……エン?」

「ごめん。ドジった」

「は?」

「咄嗟だったから素手で捕まえちゃったせいで、噛まれたみたい」

 

捕まえていたときはアドレナリンが出ていたから全然気付かなかった。痛みもほとんどなかったと思う。

でもおじ様が刺されていないことに安心して、他の荷物も確認してもらって安全が確認できて気が緩んだ途端に一気に症状を自覚した。

手足の痺れ、発汗、発熱、頭痛に目まい。よくない症状のオンパレード。

唖然とするマルコにへらりと笑った瞬間、私の意識はぶっとんだ。

 

「エン、おい、エンッ!!!」

 

ああ、情けないところ見られちゃったな、幻滅されないかな。

薄れゆく意識の中、マルコに抱き留められたことにちょっとだけ嬉しさを覚えた私は、実は結構余裕だったのかもしれない。

 

 

 

 

◇◆◇◆

 

 

 

 

遠くで話し声が聞こえたような気がして、、ふと、意識が浮上する。

ぼんやしとしながら、エンは何度か瞬きを繰り返した。カーテンの隙間からちらつく太陽の光が眩しい。

 

「目、覚めたかよい」

 

どうやら誰かが傍にいるようだとわかり、重い腕を持ち上げて目を擦る。

すると徐々に意識を失う前のことを思い出し、今の声がマルコのものだと認識できた。

エンは慌てて身体を起こそうとしたが、まだ毒の抜けきっていない身体は思い通りに動いてくれず、結果ベッドの中でもだもだすることしか出来なかった。

そんなエンをちょっと呆れたように見たマルコは、上半身を起こすのに手を貸してやった。さすがに動き回るのは船医として許可できないが、起き上がるくらいならギリギリ許容範囲だろう。

背もたれにクッションを挟んで、出来るだけ楽になるように気を遣われてしまい、いろいろと不甲斐なさがこみあげてきてエンは差し出された水を受け取りながら頭を下げた。

 

「いやー、面目ない。ご迷惑おかけしました」

「はぁ?」

「木乃伊取りが木乃伊になるとはまさにこのことだよね。結局自分が噛まれて倒れてたら意味ないのに……あ、でもおじ様が噛まれなく本当によかったなー」

 

エンは自分の勘の良さを自覚している。

だから今回も多少のハプニングはあれど問題なく解決してよかった、と心底思っていた。あれだけ嫌な感じが強かったということは、もしもあのまま白ひげが噛まれていたらとんでもないことになっていたのだろう。

まぁ他の船に乗っていたところでこの体たらくなので、おそらく戻ったらホンゴウに静かに怒られるだろうとは思うが、白ひげを毒グモの脅威から守れたというのは誇らしい。

しかし。

 

「おい、バカ娘」

 

マルコの地を這うような低い声に、思わずエンはギョッとする。

え、何故。

自船の船長が無事だったのに、何ゆえそんな怖い声を向けられなければならないのか。

むしろよくやったと褒めてもらえるんじゃないかとすら思っていたので、予想外に怒りの波動を感じてエンはぎゅっと肩を竦めた。恐る恐るマルコを窺うと、怒りに満ちた目で自分を見ている。

こ、怖い。

 

「お前、わかってんのかよい。あの毒グモ、幼体だったからまだこの程度で済んだものの、もし成体だったら死んでたかもしれねーんだぞ」

「う、うん、わかってる。だからおじ様が噛まれなくてよかったって話を」

「お前は噛まれただろうが」

 

はい。

ぐうの音も出なくて押し黙るエンに、マルコは容赦なく溜息を吐いた。

しかし、エンだって噛まれたくて噛まれたわけではない。

 

「や、まぁ……でもそれは私の不注意で」

「他にやりようはあっただろう。誰かに頼むとか、道具を用意するとか」

「あー、その、でもちょっとああいうときって言葉にするのが難しくてさ。なんとなく嫌な感じがするってだけだから、説明とか出来ないことが多いの。だから自分で動くのが一番確実だったから」

「それでお前が危険な目に遭ってたら世話ねぇよい」

「お、おっしゃる通りで……」

 

マルコの云うことがいちいちもっともなので、エンは碌な反論が出来なかった。

急がなければという意識が先行して、対策については何も考えないまま特攻したのは確かにエンの落ち度だ。

が、少なくともあの嫌な感じがした瞬間は、何が起きるかなどエンにもわからなかった。だから対策などしようがなかったというのがエンの言い訳なのだけれど、果たしてこれでマルコが納得してくれるかどうかはわからない。

何せ未だにこのエンの勘については理由が解明できてないのだ。ヤソップに師事して見聞色の覇気を身に着け鍛えてみたものの、それとはまったくの別物だということしかわからなかった。コントロールできる代物ではないということだけでもわかったのは、ある意味では収穫だったのかもしれないが。

 

この感覚を言語化して説明できない以上、何を云っても今は言い訳にしかならない、とエンが俯いたまま押し黙っていると、またマルコがため息をついた。

それに、びくりと肩を震わせる。

呆れさせてしまった。

良かれと思ってやったことで、マルコをがっかりさせてしまった。

嫌われたく、ない。

 

とにかく謝らなければ、と顔を上げたエンは、次の瞬間謝罪を口にするより先に唖然とした。

何故かマルコが頭を下げたのだ。

今の流れでどうしてマルコが、と驚くエンに、マルコは云う。

 

「オヤジを助けてくれてありがとう」

「!」

「今のオヤジはいろいろあってな。下手に毒なんかもらってたらどうなってたかわからん。だから、オヤジが噛まれなくて本当によかった。白ひげ海賊団を代表して、心から礼を云う」

「や、そんな……」

「でもな」

 

怒られた直後に正面からお礼を云われてどぎまぎしていたエンに、しかし顔を上げたマルコははっきりと云った。

 

「オヤジはお前を気に入ってる。ちょっと喋っただけなのに、他の連中も随分お前が可愛いらしい。そんなお前が安易に自分を犠牲にする姿は、誰も見たくねぇよい。赤髪海賊団たちの連中も同じだろうよ」

 

犠牲、という言葉にエンは息を飲む。

確かにエンにそんなつもりはなかった。

誰かの助けになるならばなんでもする、と漠然と思っていただけで、犠牲だなんて言葉を使うつもりはなかったのだ。もちろん、死んでもいいなんて思ったこともない。ただ、同じくらい、死ぬ可能性を考えていなかったとも云える。

マルコの云う通り、今回の毒グモが成体だったら、もっと強力な毒で更にワクチンがない種類のものだったら、確実にエンは死んでいた。

白ひげを守るためにエンが毒を食らう。

それは確かに、犠牲と呼べるものだろう。

実際、エンは毒に倒れたのだ。

そんなつもりはなかった、で済まされる話ではない。

ついでに、このエンと云う少女の人間性を考えれば、次また同じようなことがあっても当たり前に自分から飛び込んでいくことが手に取るように分かる。

だからエンは理解しなければならない。

例え一分一秒を争う場面でも、自分一人で出来ないことは、ちゃんと周りを頼ることを。

 

真っ先に自分を危険にさらしながら、それを当たり前のように思っているエンに対して、白ひげを助けたことへの感謝よりも、マルコは怒っていた。

赤髪海賊団がそういう生き方をさせているとは思えない。彼らは海賊にしては珍しく温厚で人情に篤い。それは、遺憾ながら白ひげを思わせるほどに。

きっとこれは、エンが元から持っている善性がそうさせてしまうのだろう。

それはエンの魅力の一つではあるけれど、時に周囲を傷付ける毒にもなる。

言葉を選んで静かにそう云えば、エンは、困ったように眉を下げて押し黙ってしまった。

 

もっと強い言葉を使えば無理矢理言い包めることも出来ただろうが、あえてマルコはそれ以上は云わないことにした。

エンは賢い。

自分の行動を顧みて、マルコの言葉を照らし合わせて、理解できるだろう。

そう信じて俯くエンの頭をポンと撫でれば、ぎこちなくだがエンも笑顔を見せてくれた。

すると、そのタイミングで部屋のドアがノックされる。

 

「マルコ、ホンゴウが来てるぜ」

「おう、入ってくれ」

 

実はエンが目を覚ました瞬間、イゾウも一緒にいたのだ。

今はモビー・ディック号の医務室にいても、エンは赤髪海賊団の一員。目を覚ましたなら報告する必要があり、さっさとイゾウがその役を買って出ていた。

マルコに場所を譲られたホンゴウは、心配そうにエンの顔を覗き込んだ。

 

「毒グモに噛まれたって?」

「ごめんホンゴウ、ドジっちゃった」

「お前は本当に……でも、白ひげを守ったって聞いたぞ。すごいな」

「やー、へへ、それほどでも」

「あとで説教だけどな」

「うげ」

「云っとくけどおれだけじゃないから覚悟しとけ~。ベックは煙草の消費がいつもの倍だしライムの眉間にはマッチが挟まるし、ルゥはサラダしか作ってくれてねぇ」

「可愛い私に免じて許してほしい」

「可愛さ余って憎さ百倍だ、この馬鹿。心配かけやがって」

 

こつんと軽く額を突かれて、エンは笑う。

マルコの云う通りだった。

考えなしに行動したせいで、自分は仲間たちに随分と心配をかけたようだ。ホンゴウは病み上がりのエンの負担にならないようにと無理に笑ってくれているが、本当に心配をしていたと目が云っている。

どうやらあれから丸二日間眠りっぱなしだっという話だし、各方面に迷惑をかけまくったことも今更ながらエンのメンタルに大ダメージだった。

これは早く元気な姿をみんなに見せなければ、とエンが決意をしていると。

 

「にしてもこいつ、宴に薄い寝間着一枚で飛び込んできたときはついに気でも触れたかと思ったよい」

「――何?」

「あ」

 

空気を明るくさせようとマルコが気を遣って振った話題は、残念ながら彼の思惑通りにはいかなかった。

明らかにヤバイ、という顔をしたエンと、それを見て瞬時に額に青筋を浮かべたホンゴウに気付かないマルコは続ける。

 

「お前らだけで飲んでるならまだしも、他の船では自重しろ。うちも人数は多いし、若い娘があんな格好で酒の席に来られたら責任は持てねーよい」

 

それじゃあ仕事があるからと、それだけ云ってマルコはイゾウと共に部屋を出て行った。最後口元を抑えたイゾウの肩が震えていたのはエンは見逃さなかった。フォローをするつもりはないらしい。

医務室に残された二人の空気は、はっきり云って最悪だ。

まずい、何か云わなければ、と思ってエンが口を開こうとした瞬間。

 

「エン」

「はい。いやでも違うんですホンゴウさん聞いてくださいこれにはちゃんとわけが」

「言い訳無用」

「わぁん!!」

 

目を覚ましたばかりだというのに、ホンゴウの説教はナースが止めに入るまで約1時間続いたらしい。

そりゃあ、エンがほとんど下着姿で船内をうろつくのが日常だと勘違いされては怒りもするだろう。

断じてそんなことはない。

赤髪海賊団の風紀はホンゴウが守っている。

 

 

 

 

◇◆◇◆

 

 

 

 

エンが食らった毒には、幸い解毒剤がよく効いて後遺症などの心配はなかった。が、念のためにということでエンが毒グモに噛まれてから合計一週間はモビー・ディック号の医務室での安静を余儀なくされた。

目が覚めたエンはすぐにレッド・フォース号に戻ると云ったのだが、船医であるマルコにもホンゴウにも、更にはナースたちにも『無暗に動かすのはよくない』と云われてしまい、渋々エンはモビー・ディック号に滞在することになった。

ただでさえ他船で倒れるという失態を犯しているのに、更に医務室まで占領するのは気が重い。が、下手に動いてわずかに残った毒が回ったりしたら二度手間だ。医療の専門家ではないエンに選択肢はなかった。

しかし、それも今日でおしまいだ。

漸く二人の船医から健康のお墨付きをもらい、エンは一週間ぶりに医務室から出た。

 

「エン、調子はどうだ」

「もうすっかり元気よ、おじ様。ごめんなさい、一週間もベッドを一つ占領しちゃって」

「謝るのはこっちのほうだ。すまなかったな、おれを庇ってお前にしんどい思いをさせた」

「マルコにも云われたけど、私がもっと上手に出来ればよかっただけの話よ。おじ様がなんともなくて本当によかった」

 

甲板には白ひげが待ち構えており、顔を出したエンを見てホッとしたように声をかける。

あのときの詳細はマルコから聞いたが、本当に間一髪のところをエンに助けられたと知って白ひげは心底驚いた。

奔放なようで実は心根の優しい娘だということはわかっていたが、まさか命までかけて他船の船長を助けるとは、見上げたお人好しだと思った。

人望がある自覚はあれど、それはあくまで海賊船の船長としての白ひげであり、出会ったばかりの他船の娘からすれば自分はただの気の良い『おじ様』。まさか急いでいたからとはいえ毒グモを素手で捕まえるような蛮勇とも呼べる行動に出たことには驚いた。

しかも、この様子ではエン自身が白ひげの代わりに毒を食らったことは何とも思っていないらしい。

これは危うい、とマルコの報告を聞いた時も思ったが、笑顔でこちらの無事を喜ぶエンを見て更に白ひげはその思いを強くする。

 

「赤髪、お前にも改めて謝っておこう。おれのために、お前のところのクルーが毒を食らったのはおれの責任だ」

「やめてくれ、白ひげ。云っただろう、エンはそういう子なんだ。エンが納得してるならおれは何も云わない。責任どうこうはもう云いっこなしだ」

「グララララ……あのひよっ子が随分大人になったもんだな」

 

エンが目が覚めてモビー・ディック号での療養が決まってすぐに、シャンクスはエンを見舞った。

本当は毒を食らった報告を聞いてすぐにレッド・フォース号で看病すると云ったのだが、エンを直接介抱したマルコも、その後経過を聞いたホンゴウまでもが無理に移動させるのはよくないと判断してシャンクスの意見に反対した。

いくら他船での事故でもエンは自分の仲間なのに、と反論したが、解毒薬を打ってもまだ身体に毒は残っており、下手に動かしてそれが身体中に回ったら今度こそ取り返しがつかなくなると説得されてしぶしぶモビー・ディック号での療養を承知したのだ。

そうして目を覚ましたエンがシャンクスの姿を見て開口一番、彼女はこう云った。

 

『ごめんなさい、お頭。私が上手に出来なかったから、毒を食らっちゃった』

 

だからおじ様のことも誰のことも怒らないで、と。

怒るなら失敗した自分だけにしてほしい、と。

 

云いたいことは山ほどあった。

目を覚まして最初に云うことがそれか、こっちがどれだけ心配したと思っている、本当にもう大丈夫なのか。

そもそも、今回の事情を聞いて、しかもエンの勘についてよく知っている自分たちがこの件を『エンの失敗』と判断すると思っているのかと。

よっぽど怒鳴りつけてやろうかと思ったが、事前にホンゴウに釘を刺されていたおかげで何とかそれは堪えることが出来た。

代わりに、わかった、誰も怒ったりはしないからエンはゆっくり休めと、彼女を安心させるように笑ってやることしかシャンクスにはできない。

 

自分にしかわからない勘が働いた時、エンが自分の不利益を度外視して動くことはわかっていた。

だから今回もそうだったのだろうと、頭では理解はできる。そんな理解はしたくもないが、良くも悪くもエンがそういう人間で、海賊としては危ういが、それがエンの魅力の一つだということも知っている。

自分の仲間を預かっておきながらこの体たらく、と一方的に白ひげをなじることは簡単だけれど、それはエンが一番悲しむことだ。

だからシャンクスは白ひげに恨み言を云うつもりはない。

エンの行動に制限をつけるつもりがない以上、何があってもそれはエンの選択で、自分の責任だからだ。

エンが毒に倒れたときにすぐ、すでに白ひげからの謝罪を受けていたシャンクスは、その時にもそう宣言していた。

ある意味寛大ともいえる言葉に、白ひげは感心した。

初めて出会った頃ははなたれのクソガキだと思っていたシャンクスが、随分と立派なことを云うようになったものだと見直した。

確かにこれ以上の謝罪は泥沼化しそうだし、一度気持ちを切り替える。

 

「さて、エン」

 

改めて名前を呼ばれ、おや、と思いつつエンは背筋を伸ばして白ひげを見上げた。

 

「おれは命を救ってくれた大恩人に、何か礼をしたい。おれに出来ることはあるか?」

 

大恩人。

一瞬意味がわからず首を傾げたエンは、しかし次の瞬間慌てて首を振る。

 

「待って待って、大袈裟よ! 私、そんなつもりでやったわけじゃ……」

「お前にその気はなくても、命を救われたのは事実だ。おれを恩返しの一つも出来ない小せぇ男にしないでくれ」

 

そんなことを云われても、困る。

エンは本能に従って行動しただけで、恩を売ろうだなんて微塵も思っていなかった。

しかも、大団円で終わらせていたならともかく、助けた自分が毒をもらって看病をしてもらって迷惑をかけた身だ。これでお礼なんて強請れるほど、エンは厚かましくなれない。

何度そう云っても白ひげの意志は変わらないようで、困り果てたエンがシャンクスを見る。が、シャンクスも肩を竦めて笑うだけで助け舟は出してくれなさそうだ。お言葉に甘えておけ、とでもいうのだろうか。

 

とはいえお礼なんて突然云われて思いつくようなものはない。

欲しいものは自分で買うし、恩を売ってまで得たい何かも思い浮かばない。

が、何か云わなければ白ひげは納得しないだろう。

どうしたものか。

当たり障りのない、手軽で、でも白ひげが納得するお礼。

しばらくうーんと唸りながら考えていたエンは、ややあってハッと顔を上げ、ポンと両手を合わせた。

良いことを思いついた。

 

「それじゃあ、昔話をしてください」

「昔話?」

「そう。おじ様は私が生まれる前から海賊だったんでしょう? 私は生まれてからずっと島でしか生活していなくて、世界のことはあんまり知らないの。歴史学者だって云っても、本で勉強したことしか知らない。だから、実際にその時代に生きた経験者の話を聞いてみたいのよ」

 

金銀財宝には興味がない。

嗜好品も今で十分満足している。

けれどエンは歴史学者だ。

史料を元に歴史を研究し、その成果を論文にしている。

これまでは島にあった本だけでその作業をしていたし、今は立ち寄った島で仕入れた史料や現地で実際に見聞きした情報をもとに仕事をしている。

本は重要な史料ではあるけれど、やはり人から直接得られる情報というのも貴重だ。

 

「そんなことでいいのか?」

「あら、経験から得た知識と情報は立派な財産よ。私はその財産を寄越せとおじ様に云っているんだから、随分な要求をしていると思うけど」

 

手を合わせてにっこりと笑うエンに、まさかそんなことを云われるとは思っていなかったのか、白ひげはしばし呆気に取られて。

それから、堪えきれないように楽しそうな声を上げた。

 

「――グララララ、いいだろう! エン、おれはこれから先、お前に会うたびに昔の話をしてやると約束する」

「素敵、ありがとうおじ様」

 

まったくエンという少女は、どこまでも予想外で面白い。

最初から妙に好感の持てる娘だとは思っていたが、ここで白ひげはエンを明確に可愛がることを決めた。こんな少女は滅多にお目にかかれない。

出来れば自分の船に誘いたいところだが、それはさすがに今もエンと自分を交互に見ながら物言いたげなシャンクスが許さないだろう。紹介された時点でわかっていたことだけれど、この赤髪という男は随分とエンに入れ込んでいる様子だ。簡単には手放さないに違いない。

こんなことなら、ナワバリ以外の海域にも行ってみるんだったと白ひげは思う。エンがどの島でシャンクスと出会ったのかは知らないが、少なくとも白ひげのナワバリではないことは確かだからだ。

そんなことを考えながら、病み上がりのエンを長々と立ち話させるわけにはいかないと帰船を促そうとしたときだった。

 

「……エンは、白ひげたちと一緒にいたほうが楽しそうだな」

 

ぼそり、と呟かれたシャンクスの言葉。

小さい声だったが、何故か妙に響いて、白ひげの耳にもエンの耳にもしっかりと届いていた。

一瞬固まったエンは、その可愛らしい柳眉を逆立てた。

 

「は?」

「いや、いいんだ別にそれは。ただ、白ひげたちと楽しそうに話してるの見てると、おれたちはお前に窮屈な思いをさせてるんじゃねーかと……」

 

ガシガシと頭を掻きながら気まずそうに居心地悪そうにシャンクスは続けた。

エンは、シャンクスが何を云っているのかわからない。

何故今こんなことを云い出したのかもわからない。

とりあえずエンは今、心の底から呆れ果てている。

結果、絞り出したのは。

 

「――はぁ?」

 

という特大の疑問符のみだった。

短いが、短い故に感情の詰まった疑問符だった。

それから、深い深い、海の底よりも深いため息を吐いて。

 

「……おじ様、ひとつおねだりを追加してもいい?」

「可愛いお前のおねだりならお安い御用だ」

「うふふ、嬉しいわ」

 

笑顔を浮かべ、可愛らしく手を頬に添えたエンは、しかし額にくっきりと青筋を立てながら片手の親指でシャンクスをさしながら笑顔のまま云った。

 

「次うちの馬鹿船長がこんなこと云ったら、私をおじ様の船に乗せてくれる?」

 

まさかの発言に目を剥いたのはシャンクスだけではない。

思いがけない追加のおねだりに一瞬ぽかんとした後、白ひげは弾けるように面白そうな笑い声をあげ、笑いすぎてうっすら目に涙まで浮かべながら大きく頷いた。そんなもの、願ってもない。

 

「グララララ、なんなら今すぐでも構わねぇぞ!」

「まぁ嬉しい。だけど私も鬼じゃないから、こんなポンコツにでも執行猶予くらいはあげてもいいかなって思ってるの」

「そうか。お前は可愛いだけじゃなく優しい娘だな。そこが嫌になったらいつでも連絡しろ、迎えを寄越してやる」

 

ありがとう、と穏やかに微笑み、そろそろ船に戻るというエンは白ひげに背を向けた。

去り際、呆気に取られて何も云えないままのシャンクスの腹に無言でパンチをお見舞いしたのだが、貧弱プラス病み上がりのエンは逆にダメージを受けて実は付き添っていたホンゴウに怒られていた。一般人からすれば覇気などなくてもシャンクスの鍛え抜かれた身体は壁同然なのだ。壁は殴ったら痛いし怪我をする。

物理的なダメージはゼロだが、精神的に特大ダメージを受けたシャンクスが小さくよろめくのを見つつ、白ひげは盛大にため息を吐いた。

 

「少しは成長したのかと思って見直すところだったが……お前は相変わらずガキのまんまだったな、小僧」

「う、うるせぇな……」

 

云い返す言葉にも勢いは全くない。

これが今や世間に名を轟かす赤髪海賊団の船長で、かつてのロジャー海賊団の船員かと思うと白ひげは空を仰ぎたい気分になった。

本当は云ってやりたいことは山ほどあるが、これ以上シャンクスの面子を潰すわけにもいかない。ただでさえ、何も知らない連中はうじうじモードのシャンクスに混乱しているのだ。情けない姿だけ覚えさせるのはあまりも気の毒だった。今は人払いをしていたけれど、鋭い連中は気配で何があったかおおよそ察しているはずだ。

 

というわけで心優しい白ひげに船を追い出されたシャンクスがすごすごとレッド・フォース号に戻ってくると、甲板ではエンが仁王立ちで待ち構えていた。病み上がりとは思えないほど、すごい貫禄である。

 

「ねぇ、船長さん。私、乗る船を間違えたのかと後悔しているところよ」

 

低く唸るような、怒りを押し殺し切れていない声だった。

かつてないほどにエンが怒っている。

さっきの自分の発言が原因なのだろうとはわかるが、なぜここまでエンが怒るのかシャンクスにはわからない。

先日からの後ろめたさも手伝って、今のシャンクスは珍しく死ぬほど後ろ向きだった。

美少女にあるまじき般若の顔でシャンクスを睨みつけるエンに、自分たちの船に戻ってきた安心感も手伝ってシャンクスはつい云ってしまった。

 

「やっぱりエンは白ひげのところに行きたいのか? 最初に声をかけた手前、おれに断るのを気にしてんのか?」

 

近くにあったものを手あたり次第投げなかった自分の精神力を誰か褒めてほしいとエンは思う。

猛烈に腹が立って理性がブチ切れるのをなんとか堪えながら、深くため息を吐いた。

さっき白ひげの前で云ったこと。そしてそれに対してエンが明らかに怒ったとわかっているくせに、自船に戻ってまで繰り返すとは。

初めて出会ってからこっち、情けない面も多少は見たけれど、エンにとって赤髪海賊団とは格好いい海賊像そのものだったのだ。

やんちゃで、陽気で、自由で優しく、そして強い。

こんな人たちに出会えた自分は本当に運がよかったと、そう思っていたのに。

こんなことならば、いっそ出会わなければよかったとさえ思う。

云いたいことだけを云って、目を合わせようともしないシャンクスに、同じように黙っている他のクルー。

静かに、エンは云った。

 

「船長さん。私をこれ以上がっかりさせないで」

 

心底呆れたような声音に、シャンクスはますます肩を落とした。

しかも、いつものように『お頭』ではなく冷たく『船長さん』とエンは呼ぶ。

それは明らかに赤髪海賊団から心が離れているということではないだろうか。

 

もちろん彼らはみんなエンのことが好きだ。

可愛い上に賢くて、優しくて、まだ出会って一年も経っていないのに随分昔から一緒にいるような安心感がある。今ではエンがいない船なんて考えられない。

だからこれから先もずっと赤髪海賊団にいてほしいと思う気持ちは本物だけれど、もしも、もしもエンが他の船に乗りたいと云い出したのならば、それは彼女の気持ちを優先すべきなのかもしれないと思う。

本当は嫌だけれど、すでに赤髪海賊団に気持ちがないエンを引き留めて無理強いするのも嫌だ。

どうやら白ひげもエンのことは気に入っているようだし、もしかしたら、白ひげの船に乗るほうがエンにとっては幸せなのでは、と揃いも揃って考えているらしい。

 

これだけいい年した大人が揃っているのに、まさか全員がそんなことを考えているとは思わず、エンは思わず空を仰いでしまった。頭脳派だと思っていたベックマンまでがそっち側だったことがショックで仕方ない。

なぜ。

ちょっと考えれば、エンがそんな選択をするはずがないことくらいわかるはずだ。

伊達に一年近く赤髪海賊団にいるわけではない。

とっくの昔に愛着も愛情もある。

それこそシャンクスの怒りを買うだとかよほどの理由がない限り、エンが自分から赤髪海賊団を抜けたいなんて云うはずがないのに。

この人たちはこんなにポンコツだっただろうか、と頭を抱えたくなったエンは、気持ちよく広がる青い空を見てハッとしたように息を飲んだ。恐る恐る口を開く。

 

「まさかとは思うけど、あの日のことをまだ引き摺ってるの?」

「…………。」

「……呆れた!」

 

図星だったようで、見事に全員が項垂れた。

確かにあの日からずっとぎこちないとは思っていたけれど、それは時間が解決してくれると思っていた。

まさか、船を出ていきたいとまで思われるなんて想像していなかったので、エンは自分の発言力と影響力の大きさを改めて思い知り、そして大いに反省した。

 

「ごめん」

「え?」

「まさかここまでとは思ってなかった。わかってなかった私も悪かったわ」

 

エンとしては、もうあんなことしないでくれたらそれでよかったのだ。

自分を通して誰かを見られるのが嫌だっただけなのだ。

今ここにいるのは自分なのに、自分の存在を無視されているような気がして嫌だったのだ。

 

これまではちょっと衝突したってすぐに元通りになっていたし、陽気な赤髪海賊団は引きずるなんて後ろ向きな感情からは無縁な人たちの集まりだと勘違いしていた。

とんでもない誤算だ。

考えてみれば、そうだとしたら他人を通して感傷に浸ったりするわけがない。

これは完全にエンの勘違いが招いた大誤算だった。

 

はぁ、と吐いたため息は自分の不甲斐なさのためだ。

さっきまで怒っていたはずのエンがなぜ急に謝ったのか理解が追い付かない彼らは、呆然としながらエンを見る。

それがまるで捨てられた子犬のようなに見えてしまって、なんだか急にエンは恥ずかしくなった。

これは、自分がちゃんと言葉にすべきだと思った。

 

「多分、私は……やきもちを、妬いてたんだと思う」

 

そう云って少し寂しそうに笑ったエンに、息を飲む。エンは続けた。

 

「自分が船に乗る前のことはわからない、知らなくていいって云っても、やっぱり気にはなっちゃうから。話さなくてもいいって云うのも本音だよ。でも、私の拙い歌を聞いただけで、みんなにあんな顔をさせる人がどんな人なのか……みんなにとってどれだけ大切な人だったのかって考えたら、ちょっとね」

 

そう、あの瞬間はただただ腹が立った。

なんて失礼な人たちなんだと思った。

けれど部屋で一人になって、冷静になってから気付いたのだ。

もう船にいないのに、歌ひとつで彼らを思い出に浸らせてしまうその人に――自分は、嫉妬をしたのだ、と。

それに気付いたエンは、ベッドの中で暴れた。自分がこんなに小さい人間だとは思っておらず、ここまで赤髪海賊団の仲間を好きになっていたことが気恥ずかしくて。

自覚したから、反省した。

だから翌日には素直に謝ることが出来たわけで、自分よりもずっと大人な彼らならばそんな自分の複雑な気持ちを汲み取ってくれるだろう、と勝手に期待していた。

けれどそうはならなかったから、今これだけこじれている。

エンは改めて言葉にすることの大切さを思い知った。自分の仕事を考えれば、そんなのは当たり前のことなのに。

 

ヤキモチ。

少し照れくさそうにそう云ったエンに、シャンクスはたまらない気持ちになった。

違うのだ。

あれは、そんな気持ちにさせたかったわけではなく。

だけど心の奥底で、エンがそこまで自分たちを愛してくれているという事実に喜んでいる自分がいることにシャンクスは気付いていた。

なんて汚いのだと思いつつ、その喜びを否定することが出来ない。

今この場でエンが求めているのは謝罪ではないのだろう。

それだけはわかるけれど、代わりの言葉が見当たらない。

馬鹿だのポンコツだの云われてショックだったが、どうやら本当に馬鹿でポンコツらしい。

しかし寂しそうなエンの笑顔を見て、何かを云わなければ、という衝動だけは働いた。

 

「どうしても、置いて行かなきゃいけなかった」

 

思わず突いて出たように零された言葉を、エンは静かに聞いた。

 

「おれたちの大事な大事な娘だけど、一緒にいるわけにはいかなくなった」

 

それだけのことが起きたのだろう。

愛情深いシャンクスたちが手放さなければならないほどの事情だ、きっと簡単には説明できることではないに違いない。

 

「多分、あの子はおれを恨んでるだろう。それでも真実を教えるにはあまりに酷で、いっそおれを恨ませてやるほうがあの子のためだと」

 

不自然なところで言葉を切ったシャンクスに、エンは先を促すことはしなかった。

いいのだ、それで。

云えることだけを、伝えようとしてくれたそれだけで十分だった。

 

「本当に大切な子だったんだね」

 

会ったことがなくてもわかる。

優しい彼らが愛した子ならば、大切でないわけがないのだ。

エンの言葉に、シャンクスは泣き出しそうな笑顔を浮かべながらも、はっきりと云う。

 

「ああ。おれの大切な娘だ」

 

――ああ、また妬けてしまう。

 

思ったよりも重症だな、と内心自分に呆れながら、エンは優しく問いかけた。

 

「思い出すのがつらい?」

「そんなわけはない。あの子との思い出は全部幸せなものだ」

 

力強く云うシャンクスに、漸くエンはホッとした。

もし思い出すのもつらい人なのだとしたら、今後一生歌という歌を封印しなければならないと思っていた。が、どうやらその心配はないようだ。

少しだけ緊張がほぐれたのか、シャンクスたちは口々にその子の話をし始めた。

ウタという女の子のこと。

歌がとても上手で、赤髪海賊団の自慢の音楽家だったということ。

可愛くて、みんなの癒しであったこと。

おそらく、彼らは意図してその子の思い出話をしないようにしていたのだろう。堰を切ったように話す彼らはみんな楽しそうで幸せそうで、本当にその子が大事だったのだとエンにも伝わってきた。

だからこそ、ふと疑問に思ってしまった。

 

「ねぇ、もう一つ訊いていい?」

 

もちろん、と視線で先を促され、エンはちょっと慎重に言葉を選んで云う。

 

「離れなきゃいけない理由は伝えられなかったんだとしても、大事な娘だと思ってるって、離れててもずっと親子だって、その子に云ってあげた?」

「…………ええと」

「わかった。お頭、そういうところ直そうよ」

 

わかりたくないけどわかってしまった。

ベックマンやヤソップたちまでキョトンとしているということは、つまり、そういうことなのだ。

本当に心底わかりたくなくて、わかってよかったと思う気持ちと、この人たちは本当にどうしようもないな、と軽く絶望しながらエンは続けた。

 

「この船に乗ってる人たちは、きっと頭が良くてお頭のこともよくわかってるから、全部云わなくてもわかってくれちゃうんだろうね。思考回路がお頭に近いっていうのかもしれない。でも多分他の人は違うし、ましてや子供ならちゃんと言葉にしてあげないと伝わらないことはあるよ」

「い、いや、でも」

「自分の娘なんだからそれくらいわかるだろうっていうのはお頭の考え。自分の基準で物事を考えるの、お頭の悪い癖だよ。ちなみに私もちゃんと言葉にしてくれないとわからないことはたくさんあるし、言葉にする大切さは誰より知ってるつもり」

 

何せ歴史学者は情報を言語化して後世に残せなければ意味がない。自分だけはわかってます、みなさん察してくださいでは仕事にならないのだ。

もちろん一から十まで事細かに書くことばかりではないけれど、言葉にしなければ残らないこともあることを知っている。

それに、結局は自分以外は所詮他人なのだ。他人の頭の中なんて、全部わかるはずがない。態度だけでは伝わり切らないことだってたくさんある。

 

「その子がお頭のことを恨んでるかもしれないって云ってたけど、恨むとしたらちゃんと全部云ってくれなかったってことに対してなんじゃない?」

「ヴッ」

「会いたくても会えない事情があるのはわかった。だけどもし、何かきっかけがあってその子に再会できたらさ、ちゃんと全部云ってあげなよね。そんで一発でも二発でも殴られたらいいと思う」

「というか刺されそうな気が」

「気が強い子なの? いいじゃん、応援する。死なない程度に派手に親子喧嘩しなよ」

 

まぁ私はパパと喧嘩したことないけど、と自慢げに胸を張ったエンは、それから優しい笑顔を浮かべて云った。

 

「忘れたくないことを忘れる必要はない。大切な思い出をしまいっぱなしにする必要もない。あのねぇ、云っておくけど私は歴史学者だよ? 昔の話なんかしないで、とか云い始めたら、廃業ものでしょ」

 

もっともなエンの言葉に、思わずみんなで顔を見合わせた。

確かに、その通りだった。

柄にもなくセンチメンタルになって、こんな簡単なことを指摘されるまで誰も気付かなかったとは。

それだけウタの件は自分たちにとって深い傷になっていたのだと、改めてシャンクスたちはウタを想った。エンからすると、傷にしたのは自分たちのせいでは、と思わないでもないが、鬼ではないので指摘はしない。エンは基本的には優しい子である。

 

やっといつもの雰囲気が戻ってきたところで、一度エンが両手を叩いた。

うじうじするのはもう終わりだ。

自分も、みんなも、誰も、彼も。

 

「何も知らないまま勝手にヤキモチ妬いて騒いでごめんね」

「謝らないでくれ、エン」

「でも……」

「おれたちも悪かったんだ。エンに云われるまで、懐かしむ目を向けてるなんて気付かなかった。怒るのも無理はない。すまなかった」

「そう? じゃあ許してあげる」

「えっ」

「そんなに申し訳ないと思ってるんだったら許してあげなきゃ可哀想だよね。よかったね、私の心が広くって」

「あれいつの間にこっちが許される側に?」

 

なんだかおかしな展開である。

謝られているはずが謝って、許す側だったはずがいつの間にか許されていた。

しかしエンは満足したようで、すっきりとした笑顔を浮かべている。

状況のジェットコースターについていけていないシャンクスたちは、ここ最近で飽き飽きするほどしたぽかん顔になるしかない。

 

「じゃ、夕方におじ様たちを見送りに行くまで私ちょっと部屋にいるから、またあとでね~」

 

あの雨の日から今日まで続いていたごたごたは、今丸く収まった。

エンがうまい具合に丸め込んでくれた。

甲板に取り残された彼らは、顔を見合わせて同じことを考える。

 

「エンには敵わない」

 

 

 

 

◇◆◇◆

 

 

 

 

「顔色、朝よりずいぶんよくなったな」

「うん。薬、ホンゴウと二人で調合してくれたんだって?」

 

ありがとう、と云えばマルコは笑ってそれも仕事だと云った。

わかってるよ。でも嬉しかったんだよ。

 

「出航前なのに時間もらってごめんね」

「別に、おれの仕事はもう終わってるからな。少しなら大丈夫だよい」

「えへ、ありがと」

 

モビー・ディック号と桟橋を繋ぐ連絡橋の、モビー・ディック号側に私たちはいる。

もうすぐ出航するモビー・ディック号は慌ただしい気配がして、遠くでイゾウちゃんやサッチさんが指示を飛ばしている声が聞こえた。仕事は分担しているから、ちょうど今マルコは空き時間なのだという。

街に出かけたときも医務室でも二人で話すことはあったけれど、こうして改めてマルコと二人きりになると心臓がバクバクする。

少しでもこの緊張を和らげたくて、私はわざと明るく笑って伸びをした。

 

「あー。緊張する」

「お前が?」

「あ、それ失礼だよ。私は小心者なの」

「……初対面で飛びついてきたやつが小心者……?」

「その件はホントごめん」

 

今考えるととんでもないことをしたものだ。

いくら鳥に目がくらんでいたとはいえ、人に抱き着いてアレコレしていたのだから。

もし今またマルコが目の前で鳥の姿になったら抱き着いてしまう自信はあるけれど、すぐに羞恥心で爆発する気がする。それでも鳥の魅力には抗えない。

次はちゃんと断ってからにするから、と云えば、次があんのかよいとまたマルコは笑った。

呆れたような困ったような、だけど優しい笑顔。

 

好きだな、と思う。

 

「私、マルコが好きだよ」

 

思ったよりもすんなり、言葉が出てきた。

私のせいで出航日を延期していた白ひげ海賊団は、私たちより一足先に出航する。

まだ私がモビー・ディック号の医務室にお世話になっていたときにこの話を聞いて、私はマルコにこのタイミングに時間をもらえないかとお願いしていたのだ。

モビー・ディック号にいたときに云ってしまえば一番楽だったのかもしれないけれど、心の準備が出来ていなかった。

でも、出航してしまう前に話したいと、思っていたから。

 

「我儘、たくさん聞いてくれてありがとう。たくさん優しくしてくれて、嬉しかった。マルコからしたらただのおじ様からの命令だったからかもしれないけど、私は幸せだった」

 

声は、震えていないだろうか。

ちゃんと笑えているだろうか。

言葉にするのがこんなに怖いとは思わなかった。

さっきみんなにあんだけ強気な発言したくせに、いざ自分のこととなるとこうだ。小心者は情けなくていけない。

しかしどうやら泣くのは我慢できたらしく、私はなんとか笑顔を保ったままマルコを見た。

すると、マルコは言葉を選ぶように頭を掻きながらゆっくりと、云う。

 

「すまん、エン。おれは」

「いいの、わかってた。だってマルコ、優しすぎたもん」

 

全部聞くのが怖くて、私は思わずマルコの言葉を遮ってしまった。

ずるいのはわかっている。

なんて云われるのか、何度も想像した。

心の準備は万端だったと思っていたのに。

じわりと目元に水分が集中するのを感じて、私は大きく息を吸った。ぎゅっと目を閉じて、涙よひっこめと祈る。

 

「私がちゃんと云うまで待っててくれてありがとう。本当にマルコは優しいね」

 

そういうところも好きだった。

一目惚れだなんて信じていなかった。物語の中の主人公は、すぐに恋に落ちていたけれど、よく知らない人を好きになるなんて嘘っぱちだと思ってた。物語を進めるための過剰な演出に違いないと、あるいはただの気のせいだと、そう思っていた。

だけど私はマルコに恋をして、マルコの一挙手一投足にドキドキして、幸せな気持ちになった。

こんな気持ちは初めてで、パパやママに対する好きとも、赤髪海賊団のみんなに対する好きとも違う好きがあることに戸惑って、そのむず痒さを幸せだと思えた。

 

「お前のためを思うなら、気付いた時点で線引きするべきだったんだよい」

「……うん」

「でもお前が、……笑うから。結局ここまで引き延ばした」

 

ああ、だめだ。

マルコが何を云おうとしているのかわかるのに、今口を開けたら泣いてしまいそうで、私はマルコの言葉を今度こそ最後まで聞くことになる。

 

「お前の気持ちは嬉しい。でも、同じものを返してはやれない」

 

大きく、息を吸い込む。

頷く。何度も。

泣くな。

今泣くのはずるい。何より可愛くない。

 

振られたことを、実感する。

辛い、悲しい。泣きたい。

 

なんとか深呼吸を繰り返しながら、私は考える。

そう、わかっていた。

マルコが私の気持ちに応えてくれることはないのだと、あの街からの帰り道で気付いてしまった。

マルコは泣きたくなるほど優しくて、その優しさが贖罪の一種なのだとわかってしまった。

馬鹿だねマルコ、そんなことしたらもっと好きになっちゃうのにさ。

だって私の態度はきっとあからさまで、マルコが私の気持ちに気付かなかったわけがない。

だからきっと、その時点でマルコが私を振ることは決まっていて、だけどマルコはお人好しで優しいから私を突っぱねることが出来なくて、結果、最後に振るまでは優しくしておこうという大変ありがたいお気持ちが態度に出ていたわけだ。

まんまともっと好きになったし、まんまと振られたわけですけど。

 

漸く涙が引っ込んだとき、なんだか私は笑えてきた。

私って本当にちょろいんだなぁ。

でもマルコを好きになった気持ちに嘘はなくて、幸せだったことも本当で。

 

……うん、大丈夫。

今はつらくて悲しいけれど、私は、前を向ける。

 

再度深呼吸をした私は、自然と笑顔を浮かべることが出来た。

無理はしていない。我ながら純粋に可愛い笑顔だ。云っとくけどマルコはこの最高に可愛いエンちゃんの笑顔を独り占めする権利を放棄したのだ。もったいないことしたね。

私にかける言葉が見つからず黙っていたマルコに、私は笑顔のまま云った。

 

「はー、云えてすっきりした! ちゃんと考えてくれてありがとうね」

「エン……」

「何年後かに、やっぱ私にしとけばよかったって思ってももう遅いんだからね? 逃した魚はでかいぞ、マルコ!」

「……そうかもな」

「あとさ、イヤリングは持っててもいい? つけないかもしれないけど、記念にとっときたいんだ」

「あれはもうエンにやったんだ。好きにしろよい」

「ふふ、わかった、そうする。さて、おじ様にはもう挨拶したし、私行くね」

 

これ以上ここにいたら、せっかく我慢できていたのにみっともなく泣いて縋ってしまうかもしれない。

そんなのは嫌だ。

私はこの恋を幸せな思い出にしたいし、出来ればマルコにも悪くない思い出にしてほしい。

だから、せめて最後は元気に笑顔で。

 

……と思ったのだけれど、申し訳なさそうに私を見るマルコに無性に腹が立ってしまい、私はとあるいたずらを思いついた。

連絡橋へと向けていた踵を返し、一直線にマルコに向かい。私の突然の方向転換に目を丸くし、おそらく油断をしているであろうマルコの襟首をつかみ、力任せに引き寄せる。

すると案の定私がこんなことをすると思っていなかったマルコは簡単に引っ張れて、呆気に取られているマルコの頬に、――私はキスをした。ちゅ、というリップ音は、意外と耳に残って気恥ずかしい。

 

「んなっ、おま、エンッ!?」

「へへ、奪っちゃたぜ」

 

動揺で顔を赤くしたマルコからすぐに手を離し、いたずらっぽく笑って私は急いで連絡橋を降りた。

本当にそろそろ出航なのだ、追いかけられることもないだろうという打算もあった。よく考えたら飛べるマルコなら降りてくる可能性もあったけれど、結果的に度肝を突くことに成功した。どっきり成功。

頬とはいえ、パパ以外の異性への初めてのキス。もうこれはファーストキスと云っても過言ではないだろう。

少し走ってから、手を大きく振る。

船の上のマルコは、呆れたように笑っていた。

 

「――じゃあね!」

 

さよなら、私の初恋。

 




エン

可愛くて賢い未来の海賊女王になりたい系美少女。今回初恋を経験して人としてステップアップした。短い期間にごたごたがありすぎて結構しんどい。
人の感情、特に負の感情に機微に敏感。仲間が落ち込んだり傷ついたりしてるのを放っておけないタイプ。
マルコに振られて一週間くらいはちょっとおセンチだったけど、その後はきっちり切り替えて元気に美少女を振りまいている。可愛い私の笑顔が消えるのは世界の損失なので。
シャンクスは自分のことを『おもしれー女』としか思っていないと本気で思っている。
自他ともに認める本物の美少女なおかげで好意を向けられることに慣れすぎていて、その本気度がわからなくなっている。何せ可愛いので、他人が自分を好きになるのはまぁ普通に当然だと思っている。シャンクスもその一人だと思っている。
ホンゴウは面倒見のいいお兄ちゃんだと思って赤髪海賊団の中では一番懐いてるし頼ってる。


シャンクス

みんなの大頭。時々馬鹿でポンコツ。今回すべての行動が裏目に出てフルコンボだドン。たまに本当に可哀そう。
ウタの件についてはマジで一回刺されればいいと思う。
白ひげたちを見送りに行ったエンがその短い時間でマルコに告白して振られてきたと聞いて尋常じゃなく動揺した。ななななななんでどうしておまえほんとにマルコのこと好きだったのかマジかなんで振られて笑ってられるんだおれちょっとマルコのこと殺してくるって云ったら『そんなことしたらお頭と二度と口きかない』と云われてべこべこに凹んだ。
エンに対する気持ちが家族愛なのか仲間愛なのか情愛なのかわからなくなってきた。でも能力は置いといても今更手放す気はさらさらない。おれのものなので。


赤髪海賊団の愉快な仲間たち

しっかり者と見せかけてたまにポンコツ。特にウタに関してはナイーブすぎて自分たちですら上手に取り扱えない。今回以降、思い出話として割とウタの名前は出せるようになる。
基本的にシャンクスと似たような考え方をしているため、言葉にしなくても通じる≒なんとかなる≒なんとかなってきたからウタのこともきっとあの子なら大丈夫だと思っていた。(なおFILM RED)
宴会中マルコと何かあったことには気づいてたけどまさか本気で恋していたとは思わず、告白した振られたの話で宇宙猫になった。ホンゴウだけはモビー・ディック号でエンの看病しながらマルコとのやり取りも見てて気付いてた。実はちょっとエンから相談も受けてた。


マルコ

エンの初恋泥棒。
とんでもねぇ女だと思ったらちゃんと女の子してるし気のせいじゃなければ惚れられて頭を抱えた。もっといい男を探してほしい。
でも不愉快なわけでもないし悲しませたいわけでもないので結果があの優しさで更にエンの心を掴んでしまう結果になって悪循環。どうしてこうなった。
寝間着姿で甲板に現れたときは『マジかこいつ』と思ったけどただならぬ雰囲気に押されて、まさかの毒蜘蛛を素手で掴む愚行は絶対に正さねばならぬと固く決意した。このバカ娘め。
結果として振ることになったけど、いい思い出。
ちょっと惜しいことをしたな、とは思ってる。


イゾウちゃんとサッチさん

エンが恋に落ちる瞬間の目撃者。人ってこうやって落ちるんだ、と妙に納得した。
マルコのことは置いといて、エンは可愛いから幸せになってほしいと思ってちょっとお膳立てした。それがよかったかどうかはわからないけど、悪くはなかったんじゃないかと思ってる。
赤髪海賊団と別れてからマルコからエンとのことを聞き出し、盛大に残念パーティーを開いてやった。マルコが珍しく潰れるまで飲んだのを見て、ああこいつも不器用なやつだなぁと思いながら床に転がして自分たちはちゃんとベッドで寝た。
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