超絶美少女は夢を見る   作:秋元琶耶

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破壊的な可愛さと法外な心の広さを持ち、万物を癒す優しさと一挙三反の賢さを備えた美少女一般人の人生の岐路の話です。
事件回。ちょっと暴力表現あり。


守られたいなんて、考えてなかったのに

穏やかな航路が続いていた。

あの宴以降二人の関係が変わるわけでもなく、周囲もいつも通りに過ごしている。

エンは相変わらずの可愛さを振りまきつつ仕事に没頭しているし、シャンクスもあれ以来幼稚な方法でエンの気を引くようなことはしなかった。

が、シャンクスはほんの少しだけエンに気を遣っているような、妙な距離感が出来たように思う。

具体的に云うと、前ほどべったりエンにくっつかなくなった。宴があれば別なのだが、平時ではくっつきたいけどやめておく、手を伸ばしかけて引っ込める、ということを繰り返していた。エンはそんなことには気付かないが周りにはバレバレだ。

何かあったのかと思ってもエンは普通通りだしシャンクスも何か云うわけでもないし、じれったすぎて周囲にはさっさとどうにかなればいいのに、と半ば呆れられていることを二人は知らない。

 

しかし、タイミングよくというべきか、ここのところずっとエンは自分の仕事が忙しかった。

先日立ち寄った島の本屋でずっと探していた史料を見つけて、これまで滞っていた仕事がやっと進められたのだ。待ちに待っていたということもあり、それこそ寝る間も惜しみながら仕事に没頭していた。

もちろん並行してベックマンの手伝いもしていたから、ルウが気付いて食事を運んでやらなければ飲まず食わずで机に向かっていたことだろう。

エンとしては仕事だし楽しいのでまったく苦ではないのだが、周囲の方が心配になる働き方だった。

ベックマンには自分の仕事がひと段落するまで手伝いはいいと云われても、一日エンがいなければ床が見えなくなる現実を彼女は知っている。そして数日エンがいなければベックマンは書類の山に囲まれて出て来られなくなるに違いない。それは容認できなかった。

結果、多少時間に変化はあれどベックマンの手伝いを減らすことなく、エンは仕事のために部屋に引きこもり生活をしていたのである。

 

が、そんな忙しさにも漸く終わりの目途も立ち、さすがに缶詰め状態にうんざりして外の空気が吸いたくなった。窓から確認した外は晴れ渡っていて、きっとこの天気の下で読書をしたら気持ちいいだろう。

よし、そうしよう。

エンはクッションと適当な本を一冊手に取り、部屋を出る。途中キッチンに寄ってルウに冷たいお茶をもらい、それを持って久しぶりの甲板に出た。何日か振りの太陽の光は眩しいけれど、大きく伸びをすると気分がすっきりした。人間、やはり太陽の光は必要不可欠なのだと実感する。

ちなみに甲板では幹部たちが中心になって戦闘訓練をしているところだった。

 

「やっほーライム」

「お、エン。仕事は?」

「だいたい終わり。時間できたから久しぶりに外で読書でもしようかなって思ってさ」

「うげぇ、またその字ぃばっかのやつ」

 

心底嫌そうに舌を出したライムジュースに、エンはわざとらしく手に持っていた本を見せる。エンの趣味兼仕事用の本は、娯楽用のものとは違ってほとんどのページが細かい字で埋め尽くされていて、とてもじゃないが必要以上の字なんて読みたくないライムジュースには鬼門だった。仕事でも本とばかり向き合って、趣味でも本だなんて正気の沙汰とは思えない。

 

「ライムもほどほどにね~」

「おう。ホンゴウがうるせーから、適度なとこでやめとく」

 

以前、張り切って訓練に精を出した結果部下の半数以上を医務室送りにし、ライムジュースはホンゴウとベックマンに死ぬほど怒られたことがある。部下のためを思い良かれと思ってやったことはわかるが、実力差を考えろ、と懇々と説教されてかなり反省したのだ。同じ轍は踏まないように、ちゃんと考えながら訓練に当たっている。

良い笑顔でサムズアップしたライムジュースに若干の不安を覚えつつ、エンの口出しできる分野ではないので彼を信じて応援するしかない。

エンに気付いた部下たちに軽く手を振ると彼らは嬉しそうに挨拶をしてくれて、怪我しないように、と応援してやれば元気いっぱいいの返事がある。今日も元気そうで何よりである。

この船に乗る人たちは船長に似てか陽気な性格が多く、普段から楽しそうなのでエンは彼らを見ているのが好きだった。ときどき陽気と能天気との紙一重になるところだけは勘弁願いたいところだが。

 

気を取り直してライムジュースに再度声をかけてから、エンは船尾の日陰になる場所を目指した。

部屋に籠るのが嫌になると、よくここに来るのだ。時間帯によっては日差しが強くて長時間いられないけれど、今のような風がある日であれば心地よい。その上こちらにはあまり人も来ないから、エンのお気に入りの場所だった。

そっと覗いてみると狙い通り誰もいない。

さっそく持ってきたクッションを木箱の上に置き、ひとまず本も置いてお茶を飲む。少しミントが入っているようで、清涼感がとてもいい感じだ。ルウは見た目に反してこういう細やかな嬉しいことをさりげなくしてくれるから、エンは見習いたいと思っている。

一息ついたところで、日陰のうちに本を読もうと開く。どこまで読んだったかとパラパラページをめくると、シオリ代わりにしていたのであろう紙が出てきた。ただの紙きれかと思いきや、裏返してみて思わずエンは肩を落とす。

 

「うわぁ、探してたメモ……」

 

これは次の島についたら買おうと思っていたもののメモだった。絶対に書いた記憶があるのにどこにもなくて、内容までは覚えていないからどうしたものかと途方に暮れていたのだ。こんなところにあったとは、気付かないわけだ。

しかし、折角見つけたけれど、今となってはこのメモも不要かもしれない。買うつもりがなくなったとかではなく、買ったとしても渡せるかどうか。

そんなことを考えていたからだろうか。

突然、ビュウと強い風が吹いて。

 

「――あっ」

 

エンが手にしていたメモが、風に飛ばされてしまった。

咄嗟に木箱から飛び降りて手を伸ばすも、本に挟まっていたメモは折り目一つなく、だからこそ逆に不規則に飛ばされてなかなか掴むことが出来ない。ただでさえ運動神経が残念なエンが不規則に動く紙を的確に捕まえられるはずがなく、何度か試して逃げられ手を繰り返した。

そうして。

 

「っぶなぁ……セーフ」

 

やっとのことでメモを捕まえることが出来たが、本当にギリギリだった。船の最後尾、縁に身体を乗り出して手を伸ばしてやっと掴めたのだ。ラストチャンスだった。安堵のため息を吐いて、手にしっかりメモが握られることにホッとする。いらないかも、とは思ったけれど、まぁ一応取っておきたい。別に深い意味はないけれど。例え紙一枚でも不法投棄はどうかと思うし。

そんな言い訳を誰にともなくして、それからふと顔を上げると、太陽に照らされて煌めく果てしない水平線が見えた。

島から見ていたのとはまた違う、船上からしか見えないこの美しい景色がエンはとても好きだった。

今日は風も心地いいし、久しぶりの外はやっぱり気分が良い。

 

「はー、いい風……」

 

自覚はなかったけれど、もしかしたら結構精神的に参っていたのかもしれない、と美しい景色に浄化されつつある心を感じて息を吐く。

すると、不意に誰かに呼ばれたような気がした。

もちろんこの場には誰もいないので、気のせいだろうと思い首を傾げつつも改めて海を眺める。

 

「海きれー……」

 

自分が今どんな体勢なのかも忘れ、そんな呑気なことを考えていたエンは。

 

「エン!!!」

「へ、ッ!!」

 

次の瞬間、信じられないほどの力で後ろに引っ張られた。

 

「お前、何やってんだ!!!」

 

何の心構えも出来ていなかったエンは、力任せに引っ張られたままの勢いで思い切り甲板に転がった。頭は咄嗟に庇えたけれど、お尻と背中はしたたかに打ち付けた。メモも握り潰してしまったし、突然のことで訳も分からずへたりこんだまま固まってしまう。

痛い。

え、何が起きたの。

混乱する頭で何とか顔を上げると、そこにいたのはシャンクスで。

理解する。

エンを引き倒したのは、シャンクスだった。

遠慮なしの力だったから、掴まれた腕も痣になっていたし、床で擦れてエンは擦り傷だらけになっている。

痛い。

どうして。

なんでここに。

けれど今はそれより、怖い。

鬼の形相でシャンクスに睨まれたエンは、それでも反射でへらりと笑いながら口を開いた。

 

「あ、や、ちょっとメモが飛んじゃって……」

「メモなんかどうでもいいだろうが!! お前はバランス感覚鈍いんだから、あんなことして落ちたらどうするつもりなんだ!?」

 

ぐうの音も出ない。

確かにその通りだし、もし落ちていたら、人気のない船尾から落ちても誰にも気づかれなかっただろう。エンは浮けるが、泳ぎがうまいわけでもないし、まず先にこの船の高さから落ちたら無事では済まない。

 

「えと、ご、ごめんなさい」

「謝れば済む問題じゃない!! お前はいつも……ッ!!」

 

猛烈に、怒られている。

それだけはわかって、エンは何も云えなかった。

危ないことをしてしまったかもしれないけれど、ここまで怒られるようなことだろうか。

けれどそんなことを云える雰囲気でもないし、怒髪天を衝いているシャンクスが怖すぎて声が出ない。なんだか肌がビリビリするような感じもする。

謝ってもまだ怒っているし、どうしたらいいのだろう、と俯きながらエンは途方に暮れた。

 

「おーいお頭、エン。どうした?」

 

最悪な雰囲気の中、ひょっこりと船尾に顔を出したのはライムジュースだった。

すると彼の目に飛び込んできたのは、床に倒れたエンが、シャンクスに怒鳴りつけられている様子。

え、何この状況。

 

「エンがおかしなことしないように見張っておけ」

「は?」

 

わけがわからず頭にハテナを浮かべていると、そう吐き捨てるように云って、ライムジュースの答えなど聞く前にシャンクスは船尾をあとにしてしまった。

珍しい怒鳴り声とただならぬ気配を察知してやってきただけのライムジュースはいまいち状況が把握できておらず、困ったように固まっているエンと二人で取り残されて首を傾げるしか出来ない。

シャンクスがエンを怒鳴るのも珍しいが、あんなキツイ云い方をするのはもっと珍しい。

 

「……お前、何したわけ?」

「…………」

 

少し迷って、エンは正直に話した。

メモが飛ばされたからそれを捕まえようとして、船の縁に身を乗り出していたこと。

無事にメモは捕まえられてホッとして、ちょっと風が気持ちいいなぁとぼんやりしていたらシャンクスに力任せに引き戻されたこと。

そうして、初めて見るくらい怖い顔で怒鳴られたこと。

 

シャンクスの云うことはわかる。確かにエンは控えめに云っても運動神経が悪く、同じようにバランス感覚も鈍い。そんなエンが船の縁に半身を乗り出すなんて自殺行為と思われても仕方ないだろう。

でも、少なくとも先ほどは床に足もつけていたし、そもそも縁はエンの上半身の半分ほどだから、よほど前のめりにならない限りは落ちたりしない。

心配してくれたというのはわかるけれど、少しくらい話を聞いてくれてもいいのではないかと思う。

それに頭ごなしにいきなり怒鳴られて、エンはちょっと泣きそうだった。

だってシャンクスがあんな風に怒鳴っているところなんて、敵船相手でも見たことがない。

いつだってエンには優しくて甘いシャンクスがあんなに怒鳴るということは、自覚はなくともとんでもないことをしでかしたのだろう。

反論の間もなく一方的に怒鳴られて、何も云えないままシャンクスは行ってしまって、今エンは過去最高にへこんでいた。

 

エンがぽつぽつと零す話を聞いて、ライムジュースは頭を抱えたくなった。

シャンクスが怒った気持ちもわかるが、やり方は絶対にまずかった。エンが心配だった一心だったのかもしれないがこんなに怯えさせてどうする。というか気のせいでなければ覇気も漏れ出ていた。シャンクスほどの強力な覇気は、コントロールしなければエンのような一般人はひとたまりもないのに。

怒鳴ってしまったことは取り消せなくとも、せめて最後に心配したんだと云えばまだよかっただろう。が、それすらもなくいなくなってはエンが誤解したままになってしまう。

現にエンはこんなに落ち込んで、普段の可愛らしい笑顔の見る影もない。

やはり、二人の問題だから口を出さないようにしようと判断したのは間違いだったのだろうか。エンはまだしも、シャンクスはそれなりに人生経験があるのだから任せておけば大丈夫だと思ったのだが。

まさか、ここまで拗れるとは。

自分たちの船長ながら、シャンクスは面倒くさい。

立ち上がれないエンを猫のように抱えて持ち上げてやれば、自分の足で立ったエンは、そのまま頭をライムジュースの胸に押し付けた。

どうやら本当にどん底まで落ち込んでしまったようだ。ライムジュースが何も云わないのをいいことに、エンはそのままぽつりと零す。

 

「……私、船降りようかな」

「……何云ってんだ。ちょっと怒られたくらいでそんなこと云うなよ」

「でも」

「エン」

 

窘めるような、けれど少し強めな声で名前を呼ばれ、エンは口を噤んだ。

それ以上は云ってはいけないと、それだけで制される。

口にしたら、取り返しのつかないことになってしまう。

俯いたエンの頭を、ライムジュースは優しく撫でてやった。

 

「ルウになんかうまいもん作ってもらおうぜ。多分、お前腹減ってんだよ。ここんとこずっと仕事詰めだったんだろ?」

 

エンを元気づけるために、わざと明るく云うライムジュースの優しさが、今のエンには沁みすぎて痛い。いつもなら、自分がそうする側なのに。

やはりシャンクスに怒られるというのは思った以上のダメージがあるのだと自覚し、エンは意外と自分が打たれ弱い事実にちょっとがっかりした。これではポジティブ自己肯定の鬼とは名乗れない。名乗った覚えはないが。

 

「ありがと、ライム」

「おう。やっぱお前はそうやって笑ってる方が可愛いよ」

「可愛いのはいつもだもん」

「云うじゃねぇか」

 

 

 

 

◇◆◇◆

 

 

 

 

次に寄港する春島には、プロでなくとも自作したものを買い取ってくれる業者がいるらしい、という話になったのは、夕飯時のことだった。

エンはヤソップ、スネイク、ガブと一緒に夕飯を摂っており、三日後には次の島に到着予定だと云ったスネイクに、どんな島なのかとエンは質問した。その答えににヤソップが付け加えたのだ。

 

「へー、そんなのあるんだ」

「まぁ商売の一種だよな。作るのは出来ても売るのはできねぇやつにはちょうどいいし、高価なものだけを取り扱うわけでもねーから結構民間人も利用するみたいだぜ」

 

なるほど、とパンを咀嚼しながら納得する。

商売というのは売り手と買い手以前に、作り手がいなければ始まらない。

そして例え作り手が優秀であっても、当人がうまく売れるかどうかは別問題だ。

作り手と売り手、売り手と買い手のバランスが保たれてようやく商売というのは成立する。

塩味の効いたカボチャのスープでパンを飲み込むと、エンはちょっと考えて云った。

 

「私の手芸作品とかも売れたりするかな?」

「手芸?」

「そうそう。私もともと服とかのほうが好きで、そっちは前から作ってたんだけど、最近小物も作り始めたんだよね」

 

エンの趣味にの一つに裁縫がある。これまでは基本的には自分の服を作ったり、頼まれれば繕い物をするくらいで、あまり小物作りには興味がなかった。

しかし白ひげ海賊団で女子会をしたときに一人のナースが小物作りの方をメインとした手芸を趣味としており、そこで初めて小物作りに興味を持った。彼女がくれたポーチは非常に可愛くて使い勝手も良くて丈夫だし、未だに愛用している。

いきなりポーチは難しいのでまずはコースターのような簡単なものから始め、ヘアゴム、髪飾り、トートバッグ、ブックカバーなど今では随分慣れていろんなものを作れるようになった。

自慢ではないがもとから針使いはうまい方だったのですぐに上達して、我ながら売り物に勝るとも劣らない出来のものが作れていると思う。

が、しかし。

ここで問題なのが、たくさん作りすぎてしまったこと。

 

「自分で使う分とあとで誰かにあげようと思ってる分を抜いても結構数があって、そろそろ置き場所に困ってたんだ。もし売れるなら売れないかなぁって」

「いいんじゃねぇ? 手作りの椅子だの棚だの売ってることもあるし、手芸もアリだろ」

 

残念ながら、いくら気のいい赤髪海賊団の仲間たちであっても、可愛い小物に興味があるのは一握りだ。基本的には荒々しい男たちの集団なので、エンが作ったとはいえ可愛らしいパッチワークのコースターだの小物入れだのには興味がない。部屋に置いても埃まみれになるのが目に見えている。

エンはエンで小物作りも楽しいことに気付いてしまい、しかもすぐ出来てしまうからひょいひょいとあまり布でいろいろ作っていたら、部屋の一角に山が出来る程度には作品が増えていた。

やりすぎた、と思ったけれど捨てるのも忍びないと思っていたので、そういう買い取り業者がいるなら是非活用したい。いいことをきいた。

そして数日後、予定通りの日程でいよいよ島に到着し、一通り自分たちの仕事が終わったヤソップが、同じくホンゴウの手伝いをしていたエンを見つけて声をかける。

 

「おーいエン」

「あ、師匠。どしたの?」

「今日行くんだろ、業者」

「うん。これ運んだらちゃちゃっと行ってこようかなって」

「おれも一緒に行くか?」

「え、いいよぉ。売るだけだし、多分そんなに時間かかんないだろうから。まぁもし査定で時間がかかるってなっても、一旦昼前には帰ってくるようにするよ」

「でもなぁ」

「もー。師匠、私、そこまで子供じゃないよ?」

 

頬に空気を入れて云うエンに、ヤソップは『そういうつもりじゃねぇけど』と笑う。

エンがしっかり者なのはわかっているが、それ以上にナンパだの変な輩に声をかけられやすいから、そっちを心配しているのだ。今さらエンが知らない男についていくとも思っていないが、万が一ということもある。

あとここのところ妙にピリピリしている我らが船長を下手に刺激したくないというのも本音だ。

とはいえ、幸いこの島の港は街まで距離があまりない。何かあればすぐに駆けつけることが出来ると判断し、ついでに今エンが一人になりたいのだろうということを察したヤソップは、いろんなものを天秤にかけて、結局エンの意志を尊重することにした。

心配だが、心配しすぎても彼女の負担になってしまうだろう。誰かさんとは云わないが、誰かさんもそれで先日失敗した、ということはすでに幹部はみんな知っている。情報源はもちろんライムジュース。

 

そういうわけで久しぶりに一人で船を降りることになったエンは、いそいそと準備をした。

売れそうな小物を荷物にまとめて、ある程度は値段の相場も見ておく必要があるだろう。過剰に儲けたいわけではないが、原価以下になっては意味がない。

もしものことを考えて動きやすい服装を選んで着替え、いざ街へ、と意気込んで甲板に出ると、そこでばったりシャンクスと出くわした。

副船長室やキッチン以外で顔を合わせたのが久しぶりだったし、船尾の一件以来二人だけということも初めてだったのでちょっと驚いたが、それは顔に出さず代わりに笑顔で云う。

 

「あ、お頭。師匠たちには云ってあるけど、私ちょっと出掛けてくるね」

「……ああ、気を付けて」

「はぁい、ありがと!」

 

結局あの日、なぜあんなにもシャンクスが怒ったのかエンは未だに理解できていない。ライムジュースはわかっていたようだったけれど、言葉にするのが難しいようで説明してはもらえなかった。

どうもあの剣幕からするに、危ないことをしたことだけを怒っているわけではなさそうだったし、シャンクスに直接訊くことも出来ないエンはしばらく頭を悩ませていた。

もしかしたら、案外直接理由を訊けばあっさり教えてくれるのかもしれない。

けれどあの日のシャンクスの怒り方がちょっとトラウマになっているエンは、あの話題を口にするのも怖くなってしまった。

 

正直、あの日のことについてはまぁ自分が気を付ければいいか、きっと何かがシャンクスの琴線に触れてしまったんだ、と諦めがついている。

ただ、それ以上に落ち込んだのは、自分がシャンクスに対して恐怖心を抱いて、未だにそれを払拭できていない、という事実だ。

自慢じゃないが取り繕うのはうまいので、今も笑顔で話すことが出来るし、意識して避けたりもせずには済んでいる。

いくら怒鳴られてしまったとは云え、シャンクスが優しいのはわかりきったことで、自分を大事に思ってくいれていることも痛いほどに知っている。

でも、それと同じくらい、彼は自分よりも圧倒的な強者なのだと、あの日掴まれて痣になった腕を見るたびに思い出すのだ。

二の腕にくっきりついた痣は今ではすっかり治っているが、いつもは加減をして優しく触れていてくれたのだと、思い知った。

そう思うと、申し訳なさと共に胸にこびりついた恐怖心が邪魔をして、今まで気にしていなかった親しみの一歩を踏み出せなくなってしまった。

怖いと思いたくないのに、勝手に身体が身構えてしまう。

それがエンの心に重くのしかかっている。

 

シャンクスに見送られてエンは連絡橋を降り、波止場で作業をしていたガブにも声をかけてから街に続く道を進む。

途中、ふと振り返って船を見ると、まだシャンクスがそこにいた。

エンを見ていた。

それなりに距離があるのに目が合って、シャンクスも驚いたらしい。恐らく反射だったのだろう、軽く片手を挙げてくれた。

 

でも、何故だろう。

それがとても、寂しいような気がして。

きっと心配してくれているのだろうと思うけれど、同時に、信用されていないのだと、思ってしまって。

 

――私、ちっちゃいなぁ。

 

自嘲したくなるのを我慢したエンは、それでも大きく手を振って笑顔を浮かべた。

 

「じゃあ、またあとで!」

 

 

 

ところが、エンは、昼前にも、昼過ぎにも帰ってくることはなかった。

エンは約束を破るような性格ではない。仮に遅くなるのなら誰かに言伝を頼むなり、連絡をしてくるはずだ。

 

不審に思ったヤソップが、今日街に出た仲間はいるかとまず訊ねると、なんと昼前の時点でまだ全員が船に残っていることがわかった。

いつもならば買い出し組がすぐに出るのだが、今回はまだ倉庫の在庫確認が終わっていなかったのだ。自由行動組もなんだかんだとぐだぐだしており、結局今街にいるのはエンだけということらしい。街のどのあたりでエンを見かけたかの情報が欲しかったのだが、これでは意味がない。

一応昼過ぎまでは待ってみたものの、やはりエンが戻ってくる様子も連絡もない。

これは何かあったかと思い、大人数で街に押しかけても悪目立ちするので、今日の自由行動組だったライムジュースとホンゴウで一先ず街の様子を見に行くことになった。

 

もしかしたら、最近のストレス発散で買い物に夢中になってしまった可能性もある。

また地味にシャンクスが覇気を漏らしているのも面倒事の気配がして嫌なので、さっさと戻って来てくれ、と一同が祈っていると、血相を変えたライムジュースが船に戻ってきた。

その手には、今日エンが持って行った手芸作品入りのカバン。

まだ中身は残っているようだ。

なんでそんなものを、という問いを誰かが発する前に、ライムジュースは低い声で云った。

 

「エンが攫われた」

 

 

 

 

◇◆◇◆

 

 

 

 

頭が重い。というか痛い。

はっきりとしない意識のまま、私は自分の甘さを呪った。

 

船を降りて、街に続く道を歩いていた。そうしたら街に入る直前で背後からいきなり頭を殴られたのだ。痛い、と思う前に私の意識はなくなって、気付いたらこのありさま。

どうやら私は椅子に後ろ手に縛りつけられているようで、どれくらい意識を失っていたのかわからないけれど身体が痛い。

 

「よぉ、目覚めたかお嬢ちゃん」

 

反射的に顔を上げて、この時初めて私の周囲に数人の男がいることに気付いた。

全員がにやにやと下品な笑いを浮かべていて、私のことをじろじろと見ている。見学料取るぞ。

私と向かい合わせになるように置かれた椅子には一人の男が踏ん反り返って座っている。どうやらこいつがさっき私に声をかけた人物で、身なりからしてこの集団のボスなのだろう。短い脚を精一杯長く見えるように組んで高圧的に云う。

 

「お前、赤髪海賊団の女なんだろ?」

「なんのこと?」

「いいよ、とぼけんな。部下が、赤髪海賊団の船から降りてきたお前を見てるんだ」

 

じゃあ最初から訊くな。

そう口から飛び出しそうになった言葉は飲み込むことに成功した。さすがに私だって馬鹿じゃない。この状況で下手に相手を刺激することが悪手だってことくらいわかる。

状況は最悪だ。

私は拘束されていて、ここがどこかもわからず、この頭の悪そうな集団が一体何人いるのかもわからない。

集中する視線を鬱陶しく思いつつ、ひとまず私は疑問を投げてみることにした。

 

「それで、こんな素敵なご招待をしてくださったあなたの目的は?」

「強気な女は好きだぜ」

 

そう笑顔を浮かべた男を見て、なんだか残念な人だな、と思った。

何故って、黙ってさえいればこの男、それなりに顔は整っているのだ。街を歩けば十人中二人は振り返りそうな、そういうタイプ。ちなみにベックは十人中十二人くらいが余裕で振り返る。そういうこと。

話し方だって私はイラッと来るだけだけど、こういうオレ様タイプが好きな人からはモテそうだし、頑張れば働かなくてもお金持ちに養ってもらえそうな感じだ。

だというのに、か弱い女の子を殴って攫うような集団のボスに納まっているのはかなり残念な気がする。

男は肩を竦めながら困ったように云った。

 

「おれたちは赤髪にちょっとした恨みがあるんだ。なんでもいいから情報が欲しい」

 

頼むよ、と。

下手に出ているように見えてこちらを見下している薄っぺらい笑顔に、鳥肌が立つ。

冗談じゃない。

私は全然戦えないし出来ることもほんの少しだけだけど、それでも赤髪海賊団の一員だ。

例え身の安全が脅かされている状況であっても、簡単に仲間の情報を売るような真似はしない。

 

「素直にしゃべると思うなら、随分能天気ね」

「もちろん、思っちゃいない。だけどなお嬢ちゃん。冷静に考えてみてくれ」

 

男はご丁寧に現在私がおかれている情報を説明してくれた。

私が攫われてから数時間が経過していること。

ここは街から離れた林の中のアジトで、地元民も近付かない迷路のような場所であること。

地元民は自分たちを恐れているから、もし私を探して情報提供を求められても誰も口を割らないだろうということ。

現に、この場所を突き止められそうな気配は今のところ微塵もないということ。

だから助けは期待するな、と云いたいらしい。

ついでに、素直にしゃべればちゃんと解放してくれるそうだ。五体満足に、とは云わない辺り、何を考えているのかよくわかる。まぁそんな保証をされたところで信用なんて出来ないけれど。

 

この絶望的な状況で、私が助かるためには大人しく情報を渡すしかないのだと男は申し訳なさそうに眉を下げた。

あまりの白々しさにいっそ笑えてくる。

自分の指示で私を追い込んでおきながら、仕方ない、なんて詭弁が通じると思うのだろうか。

……いや、違う。

話していてなんとなくわかった。こいつはこうやって人の神経を逆なでするのが好きなのだ。そうやって煽って、こちらが苛立って口を滑らせたりするのを待って、精神的に追い詰める。つまり性格がとても悪い。

そうして男は改めて私に問いを投げかけてきた。私が怖気づいて情報を渡すと確信している余裕の笑みが、ものすごく腹立たしい。

 

「この島にはいつまでいる予定だ?」

「さぁ?」

 

絶望的な状況だからなんだ。

そんなもの、私が情報を渡す理由にはなりえない。

素知らぬ顔で知らない、と肩を竦めると、男はやれやれと首を振った。

そうしておもむろに立ち上がり、私に近付いて。

ポケットから取り出したナイフを、ためらいなく私の頬に押し当てた。

ぴり、とした嫌な痛み。思わず引き攣った頬に更にナイフが切り込まれる感覚がして、背筋が凍った。

こいつ、可愛い私の顔を傷付けるなんて馬鹿なんじゃないの。

 

「ッ」

「なぁ、痛ぇのは嫌だろ? 素直に吐いてくれよ」

 

おれも美人をいたぶる趣味はねぇんだ、と困ったように笑う男の目には、明らかに嗜虐的な光があった。嘘つきめ。そういう趣味ですって表情が云ってるよ。

せめてもの抵抗として睨み付けてやれば、男は呆れたように肩を竦めた。ナイフは一旦収めるらしい。ちょっとだけホッとした。

が、依然として状況が悪いことには変わりない。周りの男たちも、今はただこちらを眺めてるだけだけど、いつ手を出してくるかわからないし、最低な気分だ。

だからと云って何もしゃべるつもりはないけれど。

 

「幹部の野郎どもが街に出るのはいつだ?」

「知らない」

 

今度は鳩尾のあたりを思いっきり殴られた。痛みよりも先に息苦しさと圧迫感がすごくて、目の前がチカチカする。意識を失えれば楽だったんだろうけど、あいにくそうはならなかった。か弱いのに無駄に頑丈で困る。

 

「船の簡単な構造くらい覚えてるだろう? 少しでいいんだ、教えてくれねーか」

「何も覚えてない」

 

溜息を吐いた男が、何やら部下に指示をする。

痛みと吐き気で朦朧としていた私はその指示をうまく理解することが出来なかった。何度か息を吐いて顔を上げたときに私の目に入ったのは、なんというか、立派な葉巻。

わざとらしく私の前でそれに火をつけた男が煙を吐き出して、笑顔のままに何のためらいもなくそれを私の肩に押し付けた。

ジュウという皮膚と肉の焦げる音がして、鼻に付く嫌な臭いに意識が遠のいた。

信じられないほどに痛い、熱い。あまりの痛みに身体が震え、反射で逃げようと体を捩っても椅子に縛り付けられたのままではそれもままならない。

それでも歯を食いしばって悲鳴一つ上げない私をつまらなそうに見ながら、男は更に葉巻をぐりぐりと押し付ける。

 

「お嬢ちゃん、頑張るねぇ。さっさと吐けば楽になるのに」

 

うるさい黙れ。

そんな悪態を吐く余裕すらもう私にはない。

何を云われても答えない私にしびれを切らした男が、葉巻はもう飽きたようでぽいと投げ捨て、呆れたように笑った。

 

「それとも何か、あいつらが助けに来るのでも待ってるのか?」

「――冗談でしょ」

 

意識するより先に、否定する。

怪訝そうに眉間に皺を寄せた男を見て、なんだか可笑しくなってしまった。

自然と嘲るような笑みを浮かべながら、私は続けた。

 

「来ないわよ、誰も」

「何?」

「危険を冒してまで私なんかを助けに来るはずがないって云ってるの。あなたたち、誰を相手にしてると思ってるの? 赤髪海賊団よ? そこらの海賊なんかとは比べ物にならないほど強くて、海軍ですら一目を置く赤髪海賊団。そんな人たちが、たかが女の一人を助けにわざわざ危ない橋を渡るわけがないでしょう」

 

そもそも、街に入る前の段階で攫われた私の目撃情報は少ないだろうから、もしお頭たちが私が攫われたことを知ったとしても、このアジトを探すのは困難だ。

せめて私が強めの覇気使いだったなら私の気配を探してもらうっていう手もあったかもしれないけれど、以前師匠が『お前の気配は妙に探りにくい』って云っていた。あのときはそういうものかと思うだけだったのが、こんなところで効いてくるとは。

男が話した情報が正しければ目撃証言なんて見込めず、みんなは手がかりが一つもない状態で私を探さなければならない。

事実上、それは不可能に近いことだ。

 

つまり、私に助けはこない。

つまり、こいつらは何の情報も得られない。

つまり、骨折り損のくたびれ儲け。

 

折角関係者を誘拐できたのに残念でした、と笑って見せれば、男の表情がスゥと消えた。

鋭利な視線を向けられるが、怖くない。

こんなやつ全然、怖くない。

私が怖いのは、もしも私が何か一つでも漏らしてしまった情報によって、赤髪海賊団が何らかの被害が受けること。

そうならないためなら、痛いのも、怖いのも、全部我慢できる。

低い声で男が呟いた。

 

「お前、誰かの女なんじゃないのか?」

「おあいにく様。私程度を相手にするほどあの人たちは女の人に困ってないの」

 

ああ、なるほど、とこのときやっと私は納得した。

こいつらは私を、赤髪海賊団の誰かの恋人か何かだと勘違いをしていたらしい。

だけど残念。

私は彼らにとってただの仲間の一人で、恋愛感情なんて誰も持っていない。だってほら、可愛い私を好きだって気持ちは当たり前のものなんだから、そんなの恋愛とは云わないもの。

すると次の瞬間、無言で振り上げられていた男の裏手が私の頬を容赦なく引っ叩いた。

 

「ッつ……ッ」

「じゃあ、もういいわお前」

 

一瞬で口に鉄の味が広がって、切れたんだなぁと他人事のように思う。もちろん殴られた頬も熱くて痛い。葉巻を押し当てられた肩もじくじく嫌な痛みがあるし、もう最悪だ。

冷徹な視線で私を射抜く男が、私の髪を掴んで無理矢理に顔を上げさせた。

 

「死なない程度にボコってから、気が狂うまで犯してやるよ」

 

――ああ、だけど。

 

そうか、お頭は、私のことが好きなんだったっけ。

じゃあ、ちょと申し訳ないことをしちゃったな。

これだけ啖呵を切ってしまった私は、もう助からないだろう。情報を一つも渡さない私を生かしておく理由がこの男たちにはないのだから。

もしかしたら、死ぬより酷い目に遭う可能性もある。あんまり想像もしたくないようなこととか、されるかもしれない。

仮にも好きな人がそんな目に遭ったら、さすがのお頭も悲しむかなぁ、と思うと、それだけが申し訳ないと思った。

でも、それでも、こんなやつらにみんなのことをしゃべりたくない。

私の大好きな人たちの話を、こんな奴にしたくない。

 

優しい彼らは、私を探してくれているだろうか。

だとしたら、見つかってあげられなくてごめんなさい。また余計な手間をかけさせちゃってごめんなさい。

 

痛いなんて云わない。

怖いなんて云わない。

助けなんて乞わない。

 

私は最期まで、赤髪海賊団の一人として死のう。

 

「服をひんむいて、股開かせて、全員で犯してその腹をぐちゃぐちゃにしてやる」

 

おそらく最後通告のつもりなのだろう。

片手で私の首を掴むと、耳元でねっとりと気色の悪い声で男が云った。気持ち悪くてこれだけで死ねそうだ。

 

「それが嫌なら」

「だとしても」

 

それでも私は不敵に笑って見せた。

これは、ちっぽけな私の、最後のプライド。

 

「私から、お前たちにくれてやるあの人たちの情報なんてひとつもないわ」

 

私がそう云ったのと、ほとんど同時だった。

 

――バチッ!!

 

突風のような勢いで、部屋に恐ろしい気配が充満した。その拍子に男は私の首から手を放し、急速に肺に空気が供給されたせいでゴホッと咽る。

男たちは全員が一瞬で身体を強張らせ、何人かはそのまま泡を吹いて倒れてしまった。辛うじてボスの男や何人かは意識を保っているようだけれど、冷や汗が尋常じゃないし顔色も真っ青だ。

 

「な、なんだ……!?」

 

周囲をきょろきょろと見渡しても誰もいない。襲撃された様子もない。

そもそも、この男たちの云うことが本当ならば、この場所を見つけることなどできないはずだ。

地元民ですら恐れて近付かない薄暗い林の、更にカモフラージュされたアジト。闇雲に探したところで偶然辿り着くことなどないだろう。

 

けれど、――ああ、どうして。

 

「……お頭?」

 

男たちを恐怖のどん底に陥れたこの気配が、お頭のものだと私は気付いた。

だって私はこれっぽっちも怖くない。

怖がっているのは男たちだけ。

肌を焦がすような強烈なプレッシャーを感じるのに、どうしてか、私にとってそれはとても優しいもののようで。

 

もしかして、本当に、あの人は私を探してくれているのだろうか。

数日前に、訳も分からないまま怒らせてしまった私のことを。

見捨てられても仕方ないと、思っていたのに。

 

やっぱり、お頭は優しい人だ。

そんなあの人を怒らせた私が悪いんだ。

謝らなくちゃ、許してもらわなくちゃ。

 

堪らない気持ちがこみ上げてきて思わずお頭と呟いた私の声を、男は聞き止めていたらしい。

一瞬で顔真っ赤にして怒り狂い、猛獣のように怒鳴りつけた。

 

「ッてめぇ!! やっぱ赤髪の女なんじゃねぇか!!!」

 

怒りに任せた拳が私の頬を殴りつけ、そのままの勢いで私は椅子ごと倒れた。

もちろん受け身なんて取れないから、さらに床に頭を打ち付けることになって目の前がチカチカした。すごい、人間って跳ねるんだ。衝撃で汚い床の上に転がりながら、見当違いに感心した。現実逃避しているのかもしれない。

割れた額から血が流れている気がする。けれど痛いという感覚は、もうほとんどない。

肺が潰れたように苦しくて、呼吸がうまくできない。

ただ、もう私のことなどどうでもいいと放って、慌てて逃げ出す男たちの怒鳴り声を聞きながら、私の意識は徐々に薄れていったのだった。

 

 

 

 

◇◆◇◆

 

 

 

 

エンが持って行ったはずの手芸作品入りのカバンは、街の入り口付近に落ちていた。中身が入ったままということは、街に足を踏み入れる前にここで何者かに襲われたのだろう。理由はわからないが、エンは攫われたのだ。

ライムジュースには荷物を持って船に報告に行ってもらい、ホンゴウは街で情報収集することにした。

エンは恐ろしく目立つ。

贔屓目に見なくとも、一度エンを見れば印象には残っているはずだ。

そう思っていたのだが、聞き込みを始めて妙な違和感に気付く。

地元民全員が全員、エンのことを訊ねると顔色を変えて逃げて行ってしまうのだ。

 

「知らない、そんな子みたこともない」

「関わりたくない、頼むから面倒事をおこさないでくれ」

「よそ者は出て行ってくれ」

 

逆にこれは何かあるに決まっている。

道行く人に訪ねるのは無理だと判断し、すぐにホンゴウは裏路地に回った。表では口に出来ないような情報も、条件次第で手に入る場所というのはどこにでもあるものだ。

その考えは正解で、ここでも嫌な顔はされたものの、なんとか林の迷路をアジトにする山賊集団の情報を手に入れることが出来た。そして数時間前、やつらが街の入り口でエンの特徴と一致する少女を攫っていたということも。

手持ちの金を全部支払い、これでも足りなければあとで港に来るよう伝え、ホンゴウは急いで船に戻った。直行で助けに行ってもいいが、それではシャンクスが納得しないだろうと思ったのだ。

案の定、先にライムジュースから攫われたという報告だけ受けていたシャンクスは覇気駄々漏れで激怒しており、戻ってきたくなかったけれど戻って来てよかった、と思う。ホンゴウを見た瞬間、船員たち全員が明らかにホッとしたのを見逃さなかった。

 

「地元民はあいつらに脅されていて全員口を閉ざしてる。報復を恐れてるんだろうな」

「それで」

「怒るなよ。エンは街から見て西にある林を根城にしている山賊が攫ってったらしい。ただその林ってのが厄介で、昼間でも暗いし迷路みたいになってるんで、地元民も滅多に近寄らないそうだ」

「そうか、わかった」

 

ホンゴウの報告を黙って聞いていたシャンクスは、おもむろに立ち上がり、林があるという方向を見た。

何をするのか、と首を傾げたのは最近船に乗った新入りたちで、古参メンバーはぎくりとした。まさかお前、と誰かが口を開く暇はなかった。

そしてシャンクスは、――殺気の籠った覇気を全力で放つ。

バチバチと肌を焼くような覇気が林全体を覆うのを、赤髪海賊団は唖然として見た。

 

いやいやいや。

何やってんだ。

新入り数人は自分に向けられていないはずの覇気で倒れたし、この様子だとおそらく街にも被害者は出ていそうだし、そもそも広い林全体に向かって覇気ってお前。

つっこみたいことは山ほどあるが、実力行使にもほどがある!

しかしそんな彼らの反応などどこ吹く風で、しれっとシャンクスは振り返る。

 

「船から見て11時の方向に動きがある。ホンゴウはそこへ向かえ」

「お、おお」

「ヤソップ、ベック、ライムはおれと。他はここで待機だ」

「了解」

 

素早く指示通りに動きつつ、シャンクスの狙いはわかった。

広い林の中、アジトを闇雲に探すほど悠長なことは出来ない。かといって大人数で探したところで地元民ですら嫌がる迷路を簡単に攻略できるはずもなく、地の利が向こうにありエンという人質がいる以上騒ぎにするのはまずい。

だから覇気で悪意ある人間をあぶり出し、雑魚であればその覇気だけで排除し、倒れない者にもシャンクスの存在を知らしめることが出来る。

やつらはシャンクスの覇気がどういうものなのかも知らないから、自分たちにピンポイントで覇気を向けられたと勘違いし、アジトがバレていると思い込む。

実力差があるのを自覚しているからこそこそ人質なんてとってセコい真似をしたのだ、やつらに全面対決をする度胸はないだろう。そうなれば、シャンクスたちが乗り込んでくるのを恐れて逃げるしかない。

エンを連れていかれる可能性もゼロではないが、人質を連れたまま逃げるというのは簡単なことではないのだ。いざというときの盾に出来る以上に、移動速度や方法に制限が付く。一刻も早く逃げたい場合、人質は捨て置かれるだろう。

果たして怒り心頭のシャンクスがそこまで考えたのかはわからないが、結果としてその通りになったのは幸か不幸か。

 

ホンゴウがシャンクスの云う通りに林を進むと、わずかに人の手が入った地帯に出た。更に、周囲をよく観察するとけもの道にカモフラージュした明らかに人間の足跡だらけの道がいくつか見つかった。

慎重にその道を辿ると、大きめの山小屋のような建物に辿り着く。人の気配はすでになく、慌てて逃げていったのがわかった。やはりシャンクスの覇気に怖気づいたのだろう。

それでも一応警戒だけはしながらドアを開けて、一歩踏み入ったホンゴウは息を飲んだ。

部屋の中央に倒れた椅子に、誰かが縛り付けられている。

ちらりと見えたのは、朝会ったときにエンが着ていた服だ。

慌てて駆け寄ればどうやら息はしているが、全身ボロボロだった。顔に切り傷と殴打痕、首には絞められた跡、まだ少し焦げ臭さの残る肩の火傷は近くに転がっていた葉巻のものだと推測出来て、怒りで目の前が真っ赤に染まる。

誰だ。

エンにこんな仕打ちをしたやつは。

殺してやる。

そう思うが、まずは保護と治療が先だと船医としての冷静な部分が判断する。

ボロボロのエンを人目にさらしたくなくて、着ていた服をエンにかけてやり、最短距離で船に向かった。

 

エンの帰りを今か今かと待ち構えていた待機組は、戻ってきたホンゴウの腕にエンが抱えられていることにホッとしたのも束の間、あまりに酷い状態に言葉を失った。

自分たちが怪我をしたり、捕まって尋問を受けるのはまだいい。我慢できるし、海賊なのだからと納得も出来る。

けれど、エンは駄目だ。

エンはそんな存在じゃない。

いつも可愛く明るく、笑顔でいるのがエンなのだ。

暴力を振るわれる対象になんてなるべきではない。

エンをこんな目に遭わせたやつらは殺してやる、と意気込んだが、考えてみれば今まさにそのためにシャンクスたちが林に向かったのだ。

エンを攫われた時点で誰よりも怒っているシャンクスがいるのだから、やつらがどうなるかなんて考えるまでもない。

ならば、今は目の前のエンの無事を祈るのが一番だ。

 

エンが目を覚ましたのは、それから丸一日後のことだった。

付きっきりで看病していたホンゴウがそっとエンの顔を濡れタオルで拭ってやると、長いまつ毛がふるりと震えて、ゆっくりとその目が開かれる。何度か眩しそうに瞬きをし、傍にいたホンゴウに気付く。

 

「……ホン、ゴウ」

「エン、エン……! よかった……!」

 

弱々しいがちゃんと意識が戻ってくれたことに心底安心し、ホンゴウは泣きそうになった。

頭を打っていたようだから、意識が戻るまでずと神経を尖らせていたのだ。

よかった。

これで一先ずは安心できる。

シャンクスたちにエンが目覚めたことを知らせなければとも思うが、不安そうな目をしたエンを安心させる方が先だろう。おそらく、状況をうまくできていないのだ。

 

「お前が時間になっても戻らないから、おれとライムで探しに行ったんだ。そうしたら街の入り口でエンの荷物を見つけて、おれはそのまま街で情報収集して、ライムが船に報告した」

 

頷こうとしたエンが痛みに顔を歪めたので、慌ててそのまま聞けばいいから、とそっと頭を撫でてやり、ホンゴウは続ける。

 

「エンをさらったのは山賊かぶれの元海賊で、名前も聞いたことないようなやつらだった。ただ、随分前におれたちに喧嘩を売って返り討ちにしてたらしくてな。それ以来海賊はやめて、この島でずっと燻ってたんだそうだ。これまではここに来る海賊を狙ってちまちま稼いでたらしいんだが、今回おれたちがこの島に立ち寄ったことで復讐してやるって思ったんだろうな。それで、たまたま一人で出かけたエンが狙われたんだ」

 

これは、改めて情報をくれた裏路地の地元民に追加の謝礼を渡しに行った際に得た情報だった。

どうやら、あの男が云っていた『ちょっとした恨み』とはつまるところ、逆恨みだったようだ。喧嘩を売ってやり返されて勝手に憤慨して、それをたまたま見つけた無防備なエンにぶつけた、ということらしい。

やることが三流すぎる。そんなのだから海賊も山賊もうまく行かなかったのだ。

海にいられなくなってこの島の山賊になり果てた男たちは、島を訪れる海賊から地元民を守るという建前で護衛料を徴収していたらしい。頼んでもいないことだし、この島には滅多に悪さをする海賊なんて来ないから必要ないと云っても聞かず、その上払えなければ見せしめに適当な地元民を殺していたというからクズの煮凝りのようなやつらである。

だからエンが攫われたのを見ていた地元民も何も云えず、今回シャンクスたちがやつらを排除したことを知ると、今度は街を挙げて赤髪海賊団に感謝をし始めた。

熱い掌返しではあるが、力を持たない地元民の気持ちもわかるし、最終的には地元民の情報によってエンを助けることが出来たので、特に苦言を呈するつもりはない。ただ、ここをナワバリにしてくれ、という懇願は丁重にお断りしたが。

 

静かにホンゴウの話に耳を傾けていたエンは、そう、と一言だけ納得したように呟いた。

痛み止めも切れてきたようだから、今のうちに痛み止めをエンに飲ませてやると、一息ついたエンがホンゴウを見上げる。

 

「私、身体、どうなってる?」

 

全身くまなく痛むせいで、怪我の把握が難しいらしい。無理もない、と思いつつ、ホンゴウはカルテを見ながら苦々しく云った。

 

「大まかには全身の打撲。肋骨は何本かひびが入ってて、息するのもしんどいだろうから無理はするな。一番酷いのは額の傷だな。出来るだけ丁寧には縫ったが、もしかしたら傷跡が残るかもしれない。ほんとにあいつら、エンをこんな目に遭わせやがって……」

「……他は」

「他?」

「それ、だけ?」

 

一瞬、ホンゴウはエンの疑問の意味がわからずに首を傾げた。

けれど次の瞬間には理解して、吐きそうになった。

少なくとも、エンはその可能性を考えなければならないことをされた、云われたという事実に胸糞が悪くなり、改めてあのクズどもを殺してやりたいと思う。

怒りの感情を押し殺し、なるべく優しく、安心させるようにホンゴウはエンに笑顔を向けた。

 

「大丈夫だ。エンの尊厳は傷付けられてない」

 

ホンゴウは船医だ。

もちろん今回のエンの治療は全部彼が担当した。

最悪の場合も考慮したが、今回の場合は確実な証拠が残っていたのが幸いした。

 

「気分が悪くなるかと思って云うかどうか迷ったんだが、お前の尋問の様子を録画した映像電伝虫が見つかってる。意識のないエンが連れて来られてから、お頭の覇気にビビッてあいつらが逃げるまで全部記録に残ってるんだ」

「……そっか……」

「だから安心してくれ」

 

粗悪品だったようで音声データはところどころ飛んでいたが、映像に加工された様子はなかった。部屋の隅に転がっていた映像電伝虫を見つけて念のため船に持ち帰り、治療をしてから別室でその映像を再生したとき、思わずホンゴウは顔を両手で覆ってしまった。

ひたすらにエンが暴行を加えられる映像は、永遠にも感じた。腸が煮えくり返ってどうしようもなかった。それでも万が一があってはいけないと最後まで映像を観終わったとき、ホンゴウの拳からは血が滴っていた。握り締めすぎていたらしいが、そんな痛みはどうでもよかった。

ホンゴウの言葉に、ありがとう、とエンは微笑んだが、傷が痛むのか少し引き攣ったような笑顔だった。

それが痛々しくて、涙が出そうになる。こんなに可愛いエンを、よくもまぁここまで手酷く傷つけられたものだ。きっとやつらには人の心などないに違いない。

こんなことなら念入りに痛みを与えて苦しめてから殺してくれ、とシャンクスたちに頼むべきだったと思うがもう手遅れだ。

何せ、怒り心頭のシャンクスが痛みを与える間もなく奴ら全員を殺してしまった後なのだから。

久しぶりにあそこまで激怒して剣を振るうシャンクスを見た赤髪海賊団の一同は、やはり腐っても実力者なんだと改めて実感したという。

 

その後、ホンゴウはシャンクスたちにエンが目覚めたことを知らせに行くと、すぐに全員が医務室にすっ飛んできた。もしかしたら長く目覚めない可能性もあると云われていたので、思ったよりも早い目覚めに心底ホッとした。

うるさくするなとホンゴウに釘を刺されたので静かに医務室に入ると、シャンクスの姿を見たエンがくしゃりと泣き出しそうに顔を歪めた。

 

「ごめん、なさい、お頭」

「エン……!」

 

身体の痛みを押して、エンはぽつりぽつりと言葉を零す。

謝罪。

そんなもの、帰ってきてくれただけで十分なのに。

そう思う彼らの表情に気付く余裕のないエンは、続けた。

 

「私、また、迷惑を」

「迷惑じゃない。悪いのはエンじゃなくて、エンを狙ったあいつらだ」

「せっかく、師匠が、一緒に行ってくれるって、云ってたのに、私」

「もういいんだ、エンが無事ならそれで」

 

エンは葉巻を押し付けられていない方の腕を頑張って伸ばす。少し動いただけで身体中が痛むし、肩の火傷が引きつった。

その手をシャンクスはしっかりと掴み、力の籠らないエンがどうしようもなく尊くて、生きて戻って来てくれたことが堪らなく嬉しくて、思わず泣きそうになった。

本当に、本当に安心して。

ホンゴウが見た映像データは、シャンクスも観た。そして直後に処分した。あんな映像、この世に残していいものではないと思ったから。

 

エンは頑なに情報を漏らさなかった。

ナイフで顔を切られても、殴られても、葉巻を押し付けられても。

音声は飛び飛びだったが、ひどく低俗な言葉もかけられていた。

山賊たちのどんな圧力にも屈しなかったエンは強い。

 

けれど。

けれど、――そんなこと。

 

「情報なんて、くれてやればよかったんだ。そうすりゃあ少なくともここまでお前が傷つくことはなかったかもしれない。おれたちの情報を得たって、あんな奴らに出来ることなんかほとんどないんだ。おれは、おれたちは、おれたちのせいでお前が傷つくことなんて望んじゃいないんだから」

「…………。」

「痛かっただろう。ごめんな、おれたちがあいつらを野放しにしていたせいでエンがこんな目に遭った。お前を守ってやれなかった。おれが変な意地を張ったから、お前から目を離したから。ごめんなエン、本当にごめん」

 

握り締めたエンの手に額を押し付けて、苦しそうにそう云ったシャンクスを見たエンは、唖然とした。大きく目を見開いて、言葉なくシャンクスを見つめる。

それはきっと、周囲の目には彼の言葉に感動したように映っただろう。

言葉も出ないほどに嬉しかったのかと、きっと。

 

――ああ、けれど。

 

次の瞬間にエンが浮かべた笑みを見て、今度は全員が絶句する番だった。

 

「……お頭は、みんなは、強いよね」

「そうだ。だからエンは安心して――……」

 

顔を上げたシャンクスの言葉を、エンは容赦なく遮った。

 

「強いみんなに、弱い私の気持ちは、わからないんだね」

 

悲しいほどに、痛感した。

自分と彼らはあまりにも違う存在であること。

きっとどれだけ言葉を尽くしても、エンが伝えたいことは何一つ伝わらないのであろうこと。

 

エンにとって、何をされても情報を漏らさないというのは赤髪海賊団の一員として最低限のことだと思っていた。おそらくもし他の船員が同じ目に遭ってもそう考えるだろう。わが身可愛さにペラペラしゃべる人間を信用できるはずもない。

けれど、シャンクスはそんなことはどうでもいいという。

自分の身を第一に考えて、自分たちのことなんて売ってしまえ、と。

 

それは、あまりにも――エンを突き放す言葉だと、シャンクスは気付かない。

 

震える声はどうしようもないほどに悲しさで満ちていて、とてもじゃないが窮地を救われて喜ぶ感情とは思えない。

間一髪で、エンは助かったのだ。

自分たちは、間に合ったのだ。

心底安心した。

エンを取り戻せたことが心から嬉しかった。

それなのに、どうして。

愕然として言葉を失ったシャンクスに、エンは続けて云った。

 

「ごめん。一人に、して」

 

身体の痛みを我慢して、逃げるように毛布を頭からかぶる。

今になって涙が溢れた。

尋問を受けていたときは、どんなに痛くとも苦しくとも、一滴だって涙は流さなかったのに。

 

今は、この胸の痛みは――我慢が出来なかった。

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