滝川陽平は、無職である。と言うか、職業としては学兵であると言えるのだが。学兵としての階級も、ちゃんと戦士、自衛軍で言えば軍曹待遇を貰っている。もっとも学兵自体が自衛軍の下にある存在なので、よほど高い階級で無い以上は自衛軍の並の奴の方が偉い事になるのだが。
ちなみにそれには、深い理由がある。彼は幼少期に受けた児童虐待の影響で、深いトラウマを負っていた。そのため滝川は重度の閉所恐怖症であり、士魂号のコクピットハッチを閉じる事ができないのだ。故に士魂号のシミュレーター機能を使う事すら不可能で、戦車技能を取る事ができない。パイロットの証である士魂徽章を受章する事ができないのだ。
「くそう……。負けてたまるか……。こんな出だしも出だし、最初の一歩目で逃げてたまるかよ」
だが滝川は、諦めていなかった。彼ら学兵は、学兵と言う名の通りに学生でもある。それ故に彼ら5121小隊の根拠地は学校であり、尚敬高校と言う女子高に間借りしたプレハブの校舎にて、戦闘や普通の勉強に関しての授業を受けていた。
しかし滝川は午前中はきちんと授業を受けていたものの、お昼になると学校を抜け出して午後の授業をサボり、市立図書館で独習していたりする。単純に知識を蓄えるなら、実はこちらの方が効率が良い事を、『何故か』滝川は知っていた。
「……なんでだろ? 誰かがそっと教えてくれた気がするんだ、よな?」
とにもかくにも、滝川は図書館が閉館になる時刻の17:00までひたすら独習し、その後はプレハブ校舎に戻る。19:00までは仕事時間だが、無職でやる事が無い滝川はその間、指揮車銃手兼衛生官の石津萌の仕事場である、整備員詰め所にやって来る。
ここにはパソコンが置いてあるので、彼はそのパソコンで情報関係の技能を磨いているのだ。士魂号整備員たちやパイロットたちと違い、石津は口数が多く無いので、他の場所に居るよりも居心地が良いこともあったが。そして部隊発足からのここ数日で、彼はかなり高度な情報処理技術を手にしていた。
それでもって自動情報収集セルなどを量産して、色々と情報を集めているため、滝川は無職の割には莫大な発言力を
やがて仕事時間が終わる。士魂号の整備ハンガーになっている大テントから、整備員やパイロットたちがぞろぞろと帰って行くのが見える。今なら整備テントには人は少ないだろう。滝川は整備テントへと向かおうかとした。
「……? 石津ぅ? 何か言ったか?」
「……」
石津は首を左右に振る。滝川は頭の上に『?』マークを浮かべながら整備員詰め所を出て行く。行き先は整備テントではない。グランドはずれに設置してあるサンドバッグだ。彼はそこで、サンドバッグを叩いて体力をつけようと思い直したのだ。
「……誰だろ? 一瞬、『まだ整備テントには森とか芝村とか速水とか熱心なのが居ると思う』って
彼は朝方に尚敬高校の売店で購入した、サンドイッチをかじりながら肉体の鍛練を行った。
*
日付が変わって少しした、00:30頃か。流石にこの時間帯では、体力的な問題もあり整備テントに残っている整備員やパイロットはほぼ居ない。よって、滝川がどんなに見苦しく騒いでも泣き叫んでも、それを見る者は誰もいないはず、であった。そのはずだった。
……だが、しかし。
「あれ? 滝川?」
「は、速水……。まだ居たのか?」
「うん。複座型の調整がまだ微妙に頼りないからさ。……複座型は動きが鈍いのに、戦法としては敵のド真ん中に突っ込んで行って、そこでミサイル、だろ? 少しでも回避性能を上げておかないと、不安でね」
速水厚志はそう言って、猫缶を開けて中身を食べていた。猫缶ですらも、このご時世貴重な食糧になり得るのだ。
滝川はちょっと焦ったが、意を決して速水に頼み込む。
「なあ、速水。頼みがあるんだ」
「何?」
「……俺がどんなに泣き叫んでも、出してくれって騒いでも、士魂号2番機のハッチを開けないで欲しいんだ。小便漏らしたり吐いたりしたら、掃除は自分でやるからよ」
深刻な顔で頼み込む滝川に、速水は一瞬きょとんとした表情になるが、微笑を浮かべて言う。
「うん、いいよ。僕も頑張らないとね」
「サンキュ、速水」
滝川はそう言うと、士魂号2番機のコクピットハッチを開けて乗り込む。そしてハッチを閉じた。暗闇と閉じ込められる感覚が、滝川を襲って来る。必死に滝川は、左手首の多目的結晶を機体に接続し、シミュレーション機能を起動する。そこまではなんとか出来た。
「う……」
思い出す。幼児の自分を折檻する母親の姿を。その恐怖を。母親は、彼は覚えていないのだが父親と死別した際に、壊れてしまった。酒浸りになり、滝川を傷つける事で自身を保っていた母親の姿。そしてその母親は、自宅の押し入れに滝川を閉じ込め、そのまま忘れて放置した。
暗闇と、閉じ込められた事による圧迫感。それが幼少の滝川に与えた、深い深い心の傷。滝川は叫んだ。士魂号2番機のコックピットから出るためでは無い。あの押し入れから、脱出するために。
「……わあああぁぁぁ!! 出して、出してよぉ!! 出してくれよおおおぉぉぉ!! 助けて、助けてえええぇぇぇ!!」
シミュレーションの敵機が……幻獣が、シミュレーションの滝川機を攻撃せんと迫って来る。それすらも、今の滝川に取っては恐怖の対象であった。
「いやだ、いやだあああぁぁぁ!! 出せ、出して、出してよおおおぉぉぉ!!」
機体外の速水は、だが滝川との約束を守ってハッチを開かない。内側から開閉操作を行えば、簡単に開くのだが、滝川の頭からはそんな事すらも飛び去っている。シミュレーションの敵機、ヒトウバンが攻撃を仕掛けようとしてきた。
*
そして滝川機の右脚が、ヒトウバンを蹴り飛ばす。ヒトウバンは一瞬で全損判定を受け、消滅。
「え……」
(今回はサービス。でも、あとは自分でやるんだ。君なら、できる。そんな長い間じゃないけど、僕もいっしょにいるから、さ。さあ、君はひとりじゃない……)
確かに誰かの声が、滝川の耳に聞こえた。滝川は自機の右腕に装備されたGアサルトを連打で発砲する。ゴブリンが、ゴブリンリーダーが、ナーガが次々に撃墜されていく。
滝川の悲鳴はいつの間にか、治まっていた。口元は
4時間後、滝川は士魂号2番機からヨロヨロと降りて来た。それを速水が抱きかかえる。
「は、速水……。俺、やっぱ吐いたり失禁したから、汚れるって、オマエ……」
「やったね、滝川! 戦車技能の認定、取れたじゃない!」
「お、おう……。は、ははは、ははは! やったぜ、やりいいいぃぃぃ!!」
そして速水は笑顔で言った。
「じゃ、2番機掃除しちゃおうか。手伝うよ」
「え、いい、のか? 悪い……」
「気にしないで。僕と滝川の仲だろ?」
速水の笑顔に、滝川は恥ずかしそうに頷いたのだった。
*
その次の朝、滝川は2番機パイロットに異動した。掃除が終わった後で、速水がまだ小隊隊長室に居残りしていた善行忠孝司令と、それを手伝っていた若宮康光戦士、特に意味もなく猫のブータが居るところで、作戦会議を提案してくれたのだ。議題はもちろん、滝川の2番機パイロットへの異動であった。
ちょっと整備員から反対意見も出たのだが、最終的に善行司令が委員長権限により可決。滝川は夢であった、士魂号2番機パイロットの座を射止めたのである。
そして滝川は今、午後の授業をサボって市立図書館で独習しつつ、その合間に考えに
「あのとき確かに、声が聞こえたんだよな。誰の声なんだろ」
そして彼はふっと微笑みを浮かべ、言葉を紡いだ。
「誰でもいっか! なあ、見てるんだろ? あんたのおかげで、俺、どうにかやっていけそうだよ。サンキュ、な!」
その時、滝川には確かに見えた。どこかの誰かが、滝川に向かい微笑んだのが。滝川は、何か嬉しくなって猛烈に勉強に取り組んだのだった。
滝川を完全に乗っ取らない、やさしいOVERS。覚醒直前状態の、やさしい速水。