短編まとめ(ワンピ)   作:秋元琶耶

3 / 7
大昔にOPサイトで書いてたサッチ夢を手直ししました。
当時サッチにかなり夢見がちだったなぁと懐かしいお気持ち……

デフォルト名: レン


世界の終りに君の声(サッチ)

参った。

迷った。

 

夕方、初めて訪れた街の路地でおれは立ち尽くした。

昼過ぎにこの島に到着したおれたち白ひげ海賊団は、ログの調整と久々の陸を満喫するため、ひと月の滞在をすることになっていた。

運良く自由行動組だったので、軽く仕事を片付けてから意気揚々と街散策に出掛けてきたのだが。

何人と連れ立って歩いていても、各々自分の興味を持った店を見つけて次第にばらばらになり、ビスタが武器屋に消えたところでおれはいつの間にかひとりになっていた。

別に寂しくもなんともないので、折角だから裏路地の方まで見てみよう、何一度歩いた道だ、間違いはしないだろう――などと考えたのが敗因だったと思う。

 

完全に迷った。

夜はとりあえず島で一番でかい酒場を貸し切って宴会をするはずで、場所もしっかり確認したはずなのに。

予想外に、この街は蜘蛛の巣のように複雑な路地の作りになっていたらしいのだ。

迂闊だった。

幸いなのは、どうやら面倒くさいヤクザな野郎や頭の悪そうなガキどもがここには少ないこと。長めに滞在する街での揉め事はなるべく避けたい。

 

さて、どうしたものか。

とりあえず足を進めながら考える。立ち止まっていては、いつまでも状況は変わらない。

それにしても、静かだ。

非常に残念なことに、近くに人の気配を感じないくらい静かだ。

……廃虚地区?

イヤ大丈夫だ、なんか手入れされてそうなプランターとか置いてあるし、神経を集中させれば微かに屋内に人の気配もある。

ただ、なんとなくだがこのあたりは老人が多いんだろうと推測する。気配がそんな感じだ。

ということは、まだ夕方とはいえこんな時間に外を出歩くことは少ないだろう。

この時間に老人の家を訪ねて道を訊くのは何となく気が引ける。何となく。

どうしたものか。

 

と、ふと目を動かした路地の先に、明らかに扉が開いているであろう量の光が見えた。

まさか、開いている店が、というか店があるのだろうか。

一縷の願いを込めてそちらに足を向ける。

予想通り扉を開け放っていたその店からは、少しばかりカビ臭い埃っぽさがあった。よく見れば、古めかしい看板に『books』と書かれている。本屋らしい。

一応オープンの表示があったので、営業中なのだろう。若干怖かったが、おれは思い切って店に足を踏み入れてみた。

 

天井まで届く本棚に、ぎっしりと本が並べられている。ぱっと見ても新品でないことはわかる。どうやら古本屋なのだろう。

やはり埃っぽい店内を見回しても客らしい人物はいない。

が、人の気配はある。

ゆっくりと足を進めると、レジの傍の脚立に、人を発見した。

長い黒髪を後ろで軽く束ね、全体的に地味な感じの服の上からエプロンをつけ、脚立の上で爪先立ちになっている。

ちょうどおれが見ている方の腕を伸ばしているので顔ははっきりは見えないが、あの身体つきは女だろう。

ちょっとラッキー。

加えて老人でもないのだから天の助けだ。

これなら気兼ねなく道を尋ねられる。

と思い、声をかけた。

 

「なぁ、」

「えっ!?」

「あ」

「あっ」

 

――ドサドサドサッ

 

本が雪崩堕ちて、床に散らばる。

埃っぽさが一層強くなった。

ついでにその女も床に落ちていた。

 

これが、ファーストコンタクト。

 

 

 

 

◇◆◇◆

 

 

 

 

歩いていたら、いきなりずっこけた。

 

「きゃんっ」

「……大丈夫か?」

「は、はい、無事です!」

「そりゃよかったな、本は」

「はい!」

「……鼻頭、赤くなってんぞ」

「えっ!?」

 

指摘すれば、レンは慌てて鼻を隠すように両手で覆った。

両手で。

つまり、荷物は。

 

――どさどさッ

 

「…………。」

「……ああああッ!!!」

 

思わずため息をついてしまったことに関して、恨みがましい目で見られる謂われはないと思う。

本当、鈍臭ぇ女。

 

 

* * * * *

 

 

レンと名乗った女――やっぱり女だった――の第一印象は、もっさりして冴えない女というのが正直なところだった。

長い黒髪はぱっと見鬱陶しくて、前髪の下には野暮ったい分厚いレンズの黒縁眼鏡。化粧はしていないようで、お世辞にもお洒落とは云えない服装。

一言で云えば、地味。

落ちた本を拾うのを手伝ってやろうとすれば、お客様にそんなこと、なんて云うから大人しくしてたのに、拾って積み上げてはぶつかってまた雪崩を起こさせていたり、躓いて更に酷いことになっていたり。

見ていて飽きはしなかったが、ややイラッとしたのは事実だった。

鈍臭い。

それに尽きる。

 

「酒場、ですか?」

「ああ、仲間と待ち合わせしてんだ」

 

漸く本をまとめ、一段落ついたところでおれはここを訪ねた本来の目的を果たすことにした。別に女がいるからここに来たわけではないのだ。

簡単に事情を説明すると、レンは二つ返事で案内を快諾してくれた。

道さえ教えてもらえればよかったのだが、どうやら思った以上にこの街は迷路な作りになっているらしい。それは難しい、とあっさり云われてしまった。

なんでもこの街は、昔は小さな村だったのが、協会を中心にして長い年月をかけて少しずつ大きくなったのだそうだ。

だからほとんど整備もされない無茶苦茶な道になってしまい、正確な地図など誰も持っていないほどの有り様なんだとか。

それって行政的に大丈夫なんだろうかと疑問に思わざるを得ない。海賊に心配されるって相当だぞ。

が、長く住んでいればそれなりに道は覚えるようなので特に問題はないらしい。住人は。

問題なのは、おれのような迷子になる島の来訪者のほうだ。

地元の人間ならまだしも――そもそも迷いもしないのだろうが――初めて来た、ましてや迷子になったようなやつに口頭での説明は難易度が高すぎた。

 

「私も丁度、そっちに用事があるんです」

 

だから気にしないでください、と云うレンに、ならばと甘えることにした。

住人の言葉だ、頼もしい、と思ったのだがしかし。

道中、冒頭のようにすっころんだり荷物を落としたりどこかにぶつかったりしたのは、一度や二度ではない。

鈍臭い。

今まで見てきた人間の中で、ダントツに鈍臭い。

そしていつの間にか、おれはレンの荷物を取り上げ、あまつさえフリーになったレンの手をしっかりと握っていたのである。

 

「ああああああのあのあのサッチさん!?」

「噛みすぎだろ」

「だだだってその、あの、手……!」

「ああ、手な」

「手、手……!!」

 

成り行きというかなんというか。

別にやましい気持ちがあったわけじゃない。どうせ手を繋ぐなら美人がいい。って、何の話だ。

とにかく、見ていて危なっかしくて仕方ないのだ、レンは。

なんで前見て歩いてんのに壁にぶつかるんだ、つんのめって転けるんだ。このあたりはデコボコが多いから気をつけてとか云ったのはどこの誰だ。お前だろ。

と面と向かって云うのはさすがに憚られたので、手っ取り早い方法を取った結果がこれだった。

早い話、荷物をなくして手ぶらにして、手を引いてやればいいんだろう。

そう思い至ってからすぐに行動に移せば、レンはぽかんと間抜けな顔をして固まった。

それから見る見るうちに顔を真っ赤に染め上げて、必死に手を離して荷物を奪い返そうとしてきた。が、たかだか街の小娘相手におれが遅れを取るはずもなく。

 

レンの抗議を無視して手を引いて、現在に至る。

おれとレンとは結構な身長差があるので、つまり単純に足の長さも違うわけだから、ちらりとレンを観察しながら歩幅を調節する。

今レンは何も持っていないので歩くことに集中すれば転ぶことはなさそうだが、まだ手と荷物とおれをチラチラ見て困ったように顔を赤くしていた。

……新鮮だ。

最近相手にしていた女にはない部分なので、悪くないと思った。ただ、惜しむらくはおれ好みのナイスバディな美女じゃないことだろう。

 

「サッチさん、あの、ホントに大丈夫ですから……!」

「あん?」

「私、もう転びませんから……!」

 

足を止め、振り向く。

すると、真っ赤な顔で半泣き状態のレンと目が合った。

さっきぶつけた鼻はぺしゃんこで、眼鏡もずり落ちていてみっともないし、髪はすでにボサボサだ。上目遣いも板に付いていない。

全然美人じゃない。

全然好みじゃない。

おれは美人で豪華な女のほうが好きだ。

こんなもっさりと地味な女は、今までだったら断固拒否していた。

今まで、は。

でも、レンは。

嫌いじゃ、ない。

そう、嫌いじゃないのだ。

ついでに云うと、レンの顔は、どこか――悪戯心と加虐心をくすぐられる。

 

「お前、ここまでで何回躓いて転んだ?」

「え? え、と、……4回躓いて、3回転びまし、た……」

「……そんなにだったか?」

「あ、でも今日はまだ少ないほうです!」

 

いつもだったら二桁は軽いですから!

そこだけ自信満々に云われても正直反応に困る。良かったなとか云えばいいのか。困る。不憫だ。

とりあえずひとつ咳払いをして気を取り直し、改めてにやりと笑う。

 

「放っとくとすぐ転けるお子ちゃまには、保護者が必要だろ?」

 

びくり、とレンはわずかに頬を引きつらせた。

 

「……ほごしゃ」

「そ。何も取って食いやしねェから安心しとけ」

 

云えば。

さっき手を握ったときと同じように、ぽかんと間抜けな顔で停止したので、更に加虐心を煽られて、手の握り方を変えてみた。

そう、所謂、恋人繋ぎというやつに。

 

「さーて行くぞー」

「…………!?!?」

「おい、おれは道わかんねェんだから、ちゃんと案内してくれよ」

「あ、じゃあ次の角を右に……じゃなくて、サッチさん!!」

「はい、サッチさんですよ」

「知ってます、からかわないでくださいッ!」

「なんだよ、つまんねェな」

「つまるつまらないの問題じゃなくてですね、あの、もう、手……ああ、もうっ!」

 

熟れたトマトのように顔を真っ赤にして、怖くもないのに怖い顔をして睨まれたところで、おれにはなんのダメージもない。

しかし面白かったので、手を握る力をギュッと強めてやったらますます顔が赤くなって、ついには何も云わなくなった。

ちょろい。

前を向き直してこっそり笑ったら、笑わないでください、と怒られた。バレていたらしい。

 

「……サッチさん、意地悪です」

「おう。だから手ェ離してやんね」

「ううぅ……!」

 

赤い顔のままレンはうんうん呻いていたが、しばらくすると諦めたのか、小さなため息をひとつ零して大人しくなった。

どうやら抵抗は無駄だと気付いたらしい。

賢明だ。

どうせ抗議を聞き入れられないなら大人しく従っていたほうが被害が少ないと判断したのだろう。

その通りだ。

次の角は左です、と云うレンの言葉通り歩きながら、ちらりと横目でレンを観察する。

何度見ても変わらず地味だ。

正確な年は知らないが、それでも普通ならまだまだ着飾りたい盛りの年齢だろうに、シャツの上はサイズの合っていないようなだぼついた黒のカーディガンで、膝丈のフレアスカートはこれまた地味なアイボリー。膝下までのブーツはダークブラウンだし、カラーリングも全体的にかなり地味である。

もしかして眼鏡を外せば劇的に美女に変化するかもしれないという一縷の期待を込めて、店を出る前に眼鏡を奪って素顔を拝んでみたものの、あえなく撃沈。眼鏡を外すと素顔は美人、なんてのは物語の中だけの話なんだと思い知らされた。

 

レンは、よく見れば確かに不細工ではないが、美人とは程遠く、どちらかといえば可愛い寄りの顔ではあるが、可愛いと云い切るには首を傾げてしまうような顔立ち。

何度も云うが、こんな女は守備範囲外だ。

なのに、気になる。

もっさりと地味で、男慣れもしてないような、偶然出会った古本屋の店員。

レン。

口の中で、声には出さずに名前を呼んでみる。

驚くほど心地良くて、逆にむず痒い。

なんだ、これは。

らしくないだろう、おれ。

 

「そこを真っ直ぐ進めば、三軒目の大きな建物が酒場ですよ」

 

ハッとする。

いつの間にか酒場のすぐ近くに来ていたらしい。辺りを見回せばそういえば一度見た風景であることに気付いた。

 

「あー、サンキュ。助かったぜ」

「いえ、こちらこそ。……あの」

「あん?」

「……そ、そろそろ、手は、いいのでは……」

 

あと荷物も、と云いながら、一度は戻った顔色はまた赤みを帯びてきた。丁度、夕焼け空のようだった。もちろん、夕焼けのほうがずっと綺麗なのだが、そう思った。

まぁ、確かにこれ以上おれが荷物を持っていると逆にレンに迷惑だろう。恐らくこれからレンは、この荷物を持ってどこかに行くのだから。

 

「ほら、今度は落とすなよ」

「お、落としません! ……そんなには」

「自信ねェな」

 

笑うと、レンはリスのように頬袋を膨らませた。だから、怖くなんざないんだよ。

顔色や表情をころころ変えるレンに、おれは確かに好意を持っていること――を認めざるを得なかった。

 

「じゃあ、私はこれで」

「ああ。……悪かったな」

 

しっかりと荷物を両手に抱えたレンに、片手を上げて挨拶をする。何に対しての『悪かった』のかは、いまいち自分でもわからなかった。

俺は酒場へ行くので直進するが、レンはすぐそこの角を曲がるらしい。

あと数メートル。

少し歩けば、きっと今後、おれとレンの道が交わることはないのだろう。

なんとなくレンの方を見られず、酒場の方に視線を向けたままの台詞に、レンは少し間を空けてからいいえ、と答えた。

思わず、視線をレンに戻す。

レンは笑っていた。

 

「いいえ、サッチさん」

 

美人じゃない。

可愛くもない。

けど、酷く――魅力的な、笑顔だった。

 

「私、楽しかったです」

「……そうか?」

「はい。あの、私、こんなのでしょう? だから、あんまり人と……特に男の人と話すことなんてあんまりなくて」

「…………」

 

こんなの、と云いながら、レンは自分の格好やら眼鏡やらを指差し、自嘲気味に笑った。さっきの笑顔とは正反対に、おれはその笑い顔は不愉快だと思った。

レンは続けた。

 

「普通、男の人って、街中にいるような華やかな美人が好きだから、私みたいなのは相手にしないんですよ」

「……それは、」

「あ、いいんです、本当のことですから。……あのですね、でも、その」

 

違うと否定しようとした台詞は、レンにあっさり遮られた。

そんな自分に驚く。

遮られたことに、ではなく、否定しようとした自分に。

違う?

いや、違わないだろう。

男というのは往々にして、華やかな美人が好きだ。時折不細工なほうがいいなんて云う輩もいるが、それは少数派なのだ。

かく云うおれも、華やかな美人が大好きな、一般的な男だったはずなのだが。

しかも、レンはもっさり地味なやつだと、さっきから何度も確認しているというのに。

何故か。

 

――苛ついた。

 

例えレン自身であれ、レンを貶めることを云うのは、何だか無性に腹立たしかった。

そんなおれの苛立ちには気付かないのか、レンははにかむように笑って続ける。

 

「サッチさんは、ちゃんと私の目を見て話してくれたでしょう?」

「…………」

「それだけで、十分でした」

「――……」

「ありがとう、ございました」

 

楽しかったです。

そう云うレンに、おれは言葉を返せずにいた。

何を云えばいいのか悩んでいる間に、レンはさっさと歩き出し、曲がり角で振り向いて一度会釈し、建物の向こうに姿を消した。

ハッとして追いかけようと角を曲がっても、もうどこにもレンの姿は見えなかった。

追いかければ、まだ間に合うかもしれない。

が、待ち合わせの時間は迫っていたし、もし追ってもレンを見つけられなかったらまたこの蜘蛛の巣のような街並みで途方に暮れることになるだろう。

しばらく、その場に立ち尽くした。

 

「……はー……」

 

ああ、ちくしょう。

本当に、らしくねェ。

 

「あ、おーいサッチ!」

 

すると、酒場から出てきたらしいエースに見つかり、呼ばれる。

どうやらすでに宴は始まっているようで、元から酒に強いわけでもないエースはすっかり酔っ払っていた。

気付かなかったが、よく耳を済ませば酒場からはどんちゃん騒ぎが聞こえる。

 

「遅ェよー! 何してたんだ?」

「……うっせ」

「は? 何だよ、機嫌悪ィな。もしかして振られたのか?」

「…………。」

「……図星かよ」

 

いや。

振られてはいない。断じて。

が、似たような気分だった。

 

「っ、あ゛ーくそッ」

「ぅおっ?」

「腹立つ、おいエース、今日は飲むぞ!!」

「はぁ?」

「いーから付き合え!!」

「えー、マルコあたり付き合わせろよー。おれもう飲めねェ……」

「ガタガタ云うな、弟!!」

 

嫌がるエースにヘッドロックを掛け、引きずるようにおれは酒場へと足を踏み入れた。

腹立つ。

腹立つ。

あっさりと姿を消したレンに?

そんなものは八つ当たりだ。

おれは、おれ自身に腹を立てていた。

そのむかつきを一時忘れるために、とりあえず今は。

 

「おーい、サッチ様の到着だぞー!!」

 

自棄酒してやる。

 

 

 

 

 

◇◆◇◆

 

 

 

 

 

朝、街の酒場から戻りモビーディック号の甲板におれはいた。

昨日はこれでもかってほど飲んだのに、全く酔えず二日酔いにすらならなかった。

ついでに眠れもしねぇ。

気付けば朝日はお日様になっていて、酔い潰れてたやつらがのそのそと起き出してきた。

ちきしょう、人の気も知らねェで。

呑気に大あくびをかますやつらにイライラしつつ街の方向を睨み付けていると、特大あくびをしながらエースが近付いてきた。

いい具合に人の神経を逆なでしてくれるやつである。

 

「うーっすって、ウワァ……」

「……んだよ」

「鏡見てみろよ」

「ただのイケメンしか映んねーよ」

「いや、ただのフケメンの間違イタタタタタギブギブ!!!」

「お兄さん耳が遠くて聞こえなかったんだけど、エースくん、今何て?」

「サッチはイケメンです、アンチエイジング!!!」

「よろしい」

 

パッとアイアンクローを掛けていた手を離してやると、エースは勢いよくおれから離れて大袈裟に肩で息をした。

ロギア系能力者のくせに、なんでこういうときだけ甘んじて受けるんだこのガキは。まぁ、そういう馬鹿なとこはガキ特有の可愛げがあっていいとは思うが。

……可愛げ。

あー、くそ。

また思い出しちまった。

 

「何だよサッチ、振られたくらいでそう落ち込むなよ」

「だーかーらー、振、ら、れ、て、ね、ぇ、よ!!」

「ギャァァァいちいち殴んなよ馬鹿サッチ、リーゼント!!!」

「うるせ」

「えのはお前ら2人だよい」

「っでッ」

 

ゴチン!

おいおいいつからおれの頭は打楽器になったんだ。

派手な音を奏でた後頭部をさすりながら振り向けば、わかっちゃいたが我らが白ひげ海賊団、一番隊隊長様が腕を組んでこちらを睨んでいた。

 

「あにすっだよ!」

「騒音なんだよい、お前らの怒鳴り声は」

「だからっていきなり殴るなよなー……」

 

呆れたような視線を向けられると、非常に腹が立つ。

ただでさえ今おれは苛ついているのに、拍車をかけるようなことはしないでもらいたいものだ。

 

「エース、今日二番隊は掃除だろい」

「げ、そうだった」

「はやく行けよい。四番隊は」

「生憎今日もフリーですぅー」

「……そうかよい。だったら」

「あ?」

 

一瞬、何が起きたのか自分でも理解出来なかった。

気付けばおれの身体は宙に浮いていて、あっという間に重力に従っていた。

どうやらマルコのやつに蹴っ飛ばされて、船から落とされたらしい。

まともな受け身も取れずにべしゃっと地面に激突した。普通に痛い。普通は痛い。

おれはマルコやエースのような能力者ではないのだ。強いという自負はあれど、結局は生身の人間なのだ。そこのところ、こいつはわかっているんだろうか。

 

「てめェ、マルコォ!!!」

「邪魔だからどっか行ってろよい」

 

云い捨て、さっさとマルコは身を翻し船内に戻っていった。エースが爆笑していた。あとで絞める。

 

「……おー、痛ェ」

 

何様おれ様なマルコに抗議をしても、どうせ流されるだけだ。

仕方なし、強かに打ちつけたケツをさすりながら立ち上がる。ええい、痔にでもなったらどうしてくれるつもりだ、あのパイナップル。

 

「……あー……」

 

いつの間にかエースも姿を消していた。

マルコに云われたとおり、掃除に行ったのだろう。掃除サボリはペナルティーがあるので、意外とどの隊も真面目に取り組む。

そうしてひとり、地上に取り残されたおれは。

 

「…………」

 

悩んだ。

悩んで。

 

「……あーくっそ!」

 

結局、街へと足を向けた。

 

 

 

 

◇◆◇◆

 

 

 

 

自慢じゃないが、一度通った道ならば忘れない。本来おれは方向感覚はいいほうなのだ。

昨日迷ったのは、見知らぬ土地を甘く見てかかっていたからだった。

そう、確かに昨日は迷った。見事に。

が、通った道は、記憶している。

レンがいた本屋までの、道のりを。

 

――おれは、覚えているのだ。

 

今度は迷わないよう、しっかり辺りを確認しながら足を進める。

昨日歩いた道のりを思い出す。一度酒場の場所を確認してから街で一番賑わっている通りを歩き、人の多さに辟易して一本裏路地に出る。

相変わらず治安がよろしいことで、ゴロツキもガラと頭の悪そうがガキすらもいない。

それからしばらく歩けば、ビスタを射止めたこんな島には不似合いな武器屋を通り過ぎる。どうやら店主の道楽らしく、使い物になるものは置いていなかったとか云っていた。閑話休題。

更に歩き、落ち掛けた看板、日焼けしてほとんど読めない表札、デコボコした舗装されていない道、街の中心の喧騒などまるで知らないような閑静な住宅街に辿り着く。

ここまでくれば、あの古びた本屋まであと少しだ。

 

「…………。」

 

歩く。

立ち止まる。

考える。

……行ってどーすんだ?

昨日と違って、今日は迷った訳じゃない。

つまり、おれがあいつに会いに行く理由などないのだ。

いや、そもそも『会いに行く』?

おれが?

レンに?

なんでだ?

……会いたい?

……いやいや。

いやいやいやいや。

なんでだよ。

……それじゃあ、まるでおれが。

 

「あれ、サッチさん?」

「!?」

「やっぱりそうだ」

 

おれともあろうものが、背後から近付いてきた誰かに全く気付かなかった。油断もいいところだ。

こんなことマルコや親父に知られたら馬鹿にされるに決まっているし、エースには盛大に笑われるだろう。……想像だけでイラッとしたので、船に戻ったらエースを殴ろうと思う。

さて、誰か、と云っても、だ。

声でわかった。

美声でも独特でもないけれど、らしい、柔らかな声。

だいたい、昨日この島に立ち寄ったばかりのおれを知っている人間など限られているのだ。

振り向けば、そこには予想通りレンがいた。

買い物帰りらしく、両手にバゲットの入った紙袋を抱え驚いたように目を瞬かせおれを見ている。

そりゃ、まぁ、びっくりもするだろう。

二度と会わないだろうと思っていたはずの、通りすがりの迷子の男が、次の日ひょっこり顔を出したのだから。

……どうすりゃいんだ。

かける言葉が見つからず、とりあえず誤魔化すように片手を上げて挨拶をしてみた。

 

「……よぅ」

「こんにちは! どうしたんですか?」

「いやぁ」

「あ、まさか、また……迷子に……?」

「んなわけあるか」

「ですよねぇ」

 

意外と失礼なやつだ。同じ島の同じ場所で、連日迷子になる馬鹿がどこにいるってんだ。

なんだか、レンの呑気な顔を見たら、いろいろ考えていたのが馬鹿らしくなった。

おれらしくねぇ。

ここまで来て、レンに会っちまったもんは仕方ねぇ。

もう、なるようになれ。

 

「あ、もしよかったらお茶でもいかがですか? 今、いい茶葉をもらったところっでっ!?」

「あ」

 

――べしゃッ

 

止める暇はなかった。

よせばいいのに、早足になっておれの方に駆け寄ってきたレンは、途中のデコボコに足を取られ、見事にすっ転んだ。

顔面から。

痛そうだ。

が、何故か荷物だけは腕を持ち上げて死守していた。

荷物を放り出してさえいれば、顔面は免れただろうに。

 

「……大丈夫か? 顔」

「……痛いれす」

「まーまー残念な鼻が更に残念なことに……」

「酷い!」

 

一旦荷物を置いて身体を起こしたレンにとりあえず近寄り、顔を覗き込んでやる。

傷にはなっていないが、ぶつけたせいで鼻と額が赤くなっている。眼鏡が割れてないのは不幸中の幸いなんだろうか。

 

「お前、ほんっと鈍臭ぇな」

「……改めて云わないでください……」

 

がっくりとうなだれるレンを更に笑えば、またもや怖くない顔で睨まれる。

……悪くない。

いや、睨まれることがではなく。

レンとの、こういうやりとりが、悪くないと思うのだ。

ただ少し、むず痒い。

 

「卵は……うん、よし、無事」

「割れてりゃ面白かったのになぁ」

「面白くないです!」

 

紙袋の中を覗き込み、卵以外のものも確認しながら頷くレンに云ってやれば、リスのように頬を膨らませた。

この顔は、まぁまぁ悪くないと思う。

なんて思いながら、笑って手を差し出した。

レンはきょとんとおれと自分に差し出された手を見比べ、ややあってそれが掴まれと云う意味であることに気付いたらしい。

しばらくどうするか悩んでから、おずおずと自分も手を伸ばしてきた。ちなみに紙袋はすでにおれの手の中である。

ゆっくりと手が触れる。

昨日も触れた手だ。

少しがさついていて、擦り傷も多い小さな手。

けど、街中にいる労働なんぞ知らない綺麗な手をした女よりもずっと愛らしい手だった。

何より、暖かい。

 

「あ、ありがとうございます……」

「お礼はうまい茶でいいぞ」

「は、はい!」

 

じゃあお店へどうぞ、と云っておれから紙袋を受け取ろうとするレンに、しかしおれはそれを無視して歩き出す。

片手には片手、片手にはもちろん、レンの手。

 

「……ぅええぇっ!? や、あの、え!? サッチさん!?」

「はい、サッチさんですよ」

「それはもういいです! あ、あの、その、なんで手を……!」

「いいじゃねぇか、目的地は同じだろ」

「そうですけど、え、えー……?」

 

そういう問題かなぁ、というレンの自信なさげな呟きはスルーした。

かわりに、昨日のように手を握る力を少し強めてやる。

すると、これまた昨日のようにはますます顔を赤くして沈黙した。

ああ、そうだ。

 

――そうか。

 

ちくしょう。

 

「……さっき」

「え?」

 

仕方ない。

とても癪だが。

 

「さっき、どうしてって訊いたよな」

「あ、はい」

 

とても、不本意ではあるのだが。

 

――認めよう。

 

振り返り、レンを見て。

おれは続けた。

 

「お前に会いに来たんだよ」

 

――どうやらおれは、こいつに好意を持っているらしい。

 

少なくとも、出会った次の日にはまた会いに来てしまうくらいには。

にやりと笑ってみれば、これ以上ないほど顔を赤くして絶句しているレンがいて、やっぱり悪くない、とまたおれは思った。

 

……なんだ、もう結構に惚れてるんじゃないか。

 

 

 

 

◇◆◇◆

 

 

 

 

なんだかんだと理由をつけて、レンのもとに通うようになって早5日。

聞いてください。

実はまだ、手を握る以上のことはしてません。

 

「……病気……?」

「違ぇぇぇよ」

「いやだって、サッチが? 5日も連続で会ってる女に手ェ出してないとか……ないだろ」

「うるっせェな……」

 

おれだってわかってんだよ、そんなこと。

夜、船内の食堂。

全くもっていつもの調子が出ないことにもやもやして一人酒で気を紛らわせていたところにやってきたのはエースだった。小腹が空いたらしい。晩飯あんだけ食って数時間で小腹が空くって、お前の胃袋は宇宙か。

そして、普段ならば絶対にこんな愚痴めいたことをエースになんぞ話さないのに、うっかりこぼしてしまったおれは、思いの外参っていたようだ。

今となっては、憐れみの目でおれを見るエースが腹立たしくて仕方なかった。

 

「死ね」

「勝手に愚痴っといてそれかよ」

「お前に話したおれが間違ってた。すみませんでした」

「ウアァ地味に傷付く」

「…………。」

 

……ええい。

腹立つ。

いちいち反応するな。

地味、って単語に、反応するな、おれ!

 

「……お前ら、こんな時間に何やってんだよい?」

「お、マルコー」

 

そこに姿を表したのは、マグカップと書類を片手に持ったマルコだった。

馬鹿真面目なマルコ隊長殿は、どうやらこんな時間まで仕事に勤しんでいたようだ。ご苦労なことである。

マグカップは空のようなので、ここには茶を汲みにでも来たのだろう。

……茶。

そういえば、二回目に会ったときに振る舞われた、あいつの淹れた茶はうまかったなぁ。

 

「…………」

「……おい、ほんとお前、大丈夫か?」

「あ?」

「や、イロイロ我慢しすぎておかしくなっちまったんじゃねーの?」

「あほか」

「……どうかしたかよい」

 

グラスに入っていた残りの酒を一気に煽る。それなりに強い酒のはずなのに、また酔えない。

マルコはさり気なく酒瓶をおれから遠ざけて置き、酒瓶とおれの間に腰を下ろした。お節介なやつである。

 

「サッチがな、5日も続けて通ってる女にまだ手ェ出せてないんだと」

「……病気かよい?」

「エースと同じこと云うんじゃねェよ」

 

吐き捨てると、マルコはエースをちらっと見て複雑そうな顔をした。まさか自分がエースと同類扱いされるとは思ってもみなかったんだろう。ざまあみろ。普段の仕返しだ。

ケケケと笑って氷だけが入ったグラスを揺らす。

カラン、という音が、やけに虚しく響いた。

多分に、思う。

おれは別に、レンとどうにかなりたいわけではないのだ。

ただ、傍にいられたらそれで十分で、レンが楽しそうに幸せそうに笑っていれば、云うことはない。

抱き締めるだとかキスをするだとかそれ以上のことだとか、望まないわけではないけれど、何だかんだ云っておれは現状に満足しているのだろう。

今回は、あまりにもいつもの女関係とは違いすぎて慣れないだけで。

きっと、もう少しもすればこれが当たり前になるのだ。

何も、抱き合うだけが愛情ではないのだから。

 

「……まぁ、でもよい」

 

と、勝手に自己完結させていたおれに、マルコはぽつりと呟いた。

 

「それだけその女が大事ってことなんだろうよい」

 

……真理だ。

思わず頷いてから、何故かマルコに負けた気がして無性に悔しくなった。

 

 

 

 

◇◆◇◆

 

 

 

 

ペラペラと、ひたすらページを捲る。

本を読んでいるわけじゃない。おれには速読機能なんざついていない。

見上げた空は真っ青、快晴。

行楽日和というのはこういう天気を云うのだろうとぼんやり思う。

思いつつ、ひたすらページを捲る。

 

「…………。」

 

かれこれ一時間はこの作業に没頭しているのではないだろうか。

一冊分のページを捲り終えたら次の本、それも終わればまた次の本。

キリがない。

レンの店の裏手は意外と開けた場所になっており、狭い路地で日の光などほとんど当たらない表とは印象が全く違っていた。こっちが表なら、もう少し明るい店になるだろうに。と思うのはお節介だと思うので、思うだけにしておいた。

そして今おれたちは、その裏手にビニールシートを広げていた。

ピクニックではない。

作業は変わらず本のページ捲りだ。

 

なんでも、本はあまりに日に当てず仕舞ったままにしておくと、埃が積もってそこから虫に食われるらしいのだ。

なので、こうしてたまに天日干ししてやる必要があるらしい。

最初はそんな簡単な作業ならばと思って手伝い始めたのだが、これがなかなかどうして骨が折れる。

一枚一枚ページを捲るので手の水分が奪われて手はかさかさになるし、手首はしんどいし、積み重なった未作業の本はまだまだ山積みだし。

捲りながら、隣で同じく作業に勤しんでいるレンを盗み見る。

軽く鼻歌なんぞ歌いながら、楽しそうにページを捲っていた。

一体何が楽しいんだか。

いや、楽しいというならば何よりではあるが。

 

ちらりともう一度、山積みの本に目をやる。

うんざりする量だ。

今はおれが手伝っているからまだいいが、おれがいなければこいつはこの量の本をひとりで片付けるつもりだったのだろうか。

無茶だろう。

おれ以外の誰か――もちろん女で――手伝いを頼める人物がいればいいんだが。

と、今更になってふと気付く。

おれがレンのもとに通い始めて7日。

レン以外の店員を、見ていない。

 

「……なぁ」

「はい?」

「この店、お前ひとりでやってんのか?」

 

広くはないが、決して狭くもない。

天井まで届く本棚には数え切れないほどの本が仕舞われているし、確か以前、倉庫にもまだ仕舞ってある本が山ほどあると云っていた気がする。

別に馬鹿にしているわけではないが、レンのような小娘がたったひとりで店の経営など出来るのだろうかと疑問に思う。

それに、なんだ、その。

レンは、おっちょこちょいで鈍臭いから。

うっかり店の帳簿を書き間違えて赤字にしたり、うっかり在庫管理をへましたりするんじゃないだろうか。

自分で思ってなんだが、非常に信憑性はあると思う。

すると、ページを捲る手を止めたレンがおれを見た。黒縁眼鏡の奥は半眼である。

 

「今、サッチさんが考えてることが手に取るようにわかります」

「マジでか」

「どうせ、私ひとりの経営は悲惨だとか思ってるんでしょう?」

 

ご明察だ。

迷わず頷くと、レンはプクゥと頬を膨らませた。

ハムスターか。

 

「ご心配なく。私は好きでお店を手伝わせてもらってるだけですから」

「……ボランティア?」

「まぁ、似たようなものですね」

「まさか無給なのか?」

 

その問いに、レンはそうですよ、と事も無げに云ってのけた。

馬鹿か。

鈍臭ェとは思っていたが、こんなに馬鹿だとは思っていなかった。

7日通っていたが、おれは単にレンが動いているのを眺めて時々話しかけたり手伝ってみたり、適当な本を読んだりしていただけで、何もレンは暇をしていたわけではないのを知っている。

客が訪れるのは稀ではあったがゼロではなかったし、古本だけあって汚れたものも多く、地道に綺麗に拭いたり、ボロボロになったカバーを直したりと、仕事は意外に多いのだ。

しかも、楽ではない。

本は一冊は軽くとも、まとめて持てばそれなりの重さになるし、繰り返すのは立派に重労働だ。

それを。

無給だと?

 

「あ」

「あ?」

 

次の瞬間、おれはレンの脳天にチョップをお見舞いしていた。

 

「あほか!!」

「い、痛ー!?」

「お前なぁ、それ絶対いいように使われてるだけだぞ!?」

「シスターはそんな人じゃありません!!」

「誰だよシスター!! だいたいお前、無給で働いてどうやって生活してんだよ!?」

「それは別に仕事が、」

「嘘つけ! おれが来てからお前一度も――あ……?」

 

はた、と。

我に返る。

そうだ。

少なくとも、おれがここに通い始めてからは、一度もレンがいなかったことはなかった。

まさか、とは。思うのだが。

いや、自惚れかもしれない。

偶然かもしれない。

しかし。

 

まさかまさか。

もしかして。

 

「……お前、おれがここに来るから仕事に行ってないのか……?」

 

口にしてみると、なんと傲慢で自意識過剰なことだろうか。

自分が来るから、自分のために仕事を休んでいるのか、なんて訊くなんて。

いや、でも、しかし。

そう思わざるを得ないだろう。こんな話を聞いたら。

陸に生活する人間は、何かしらの仕事をして稼がなければ生活出来ない。海に生きるおれたちとは、根本が違うのだ。

生活するために略奪を繰り返すのは強盗や山賊であり、レンは立派に一般人だ。

だと、云うのに。

レンは、仄かに顔を赤らめてはいたが、小さく違います、と呟いた。

何が違うのか。

首を傾げ、視線で続きを促すと、レンは諦めたようにぽつりと話し始めた。

 

「……もとから、私の仕事は不定期なんです。この間も話したこの街の中心の教会で、子供たちに本を読んだり勉強を教えたり、小さい子の面倒をみたりしてるんですけどね」

「…………。」

「……その胡散臭さそうな目はやめてください。ぶっつけ本番じゃなくてちゃんと下準備はしてから行くんですから」

「悪ィ」

「もう……。まぁ、それでですね、今の時期はもうすぐ島を挙げてのお祭りがあるので、教会の子供たちもみんなその手伝いに出てるんです。だから、ここのところは私の出番はなかったんですよ」

「……へぇ」

「お祭りの手伝いは、もう私の分は終わってますし。……あの、だから……」

 

いつの間にか、ページを捲る手は止まっていた。

一度バチリと視線がかち合ったが、サッとすぐさま反らされる。普通にショックだったが、根性で顔には出さなかった。

視線を上下右左、まるでレトロゲームのコマンドの如くさまよわせ始めたレンは、あのそのえっとと煮え切らないようにもじもじしていた。

何だ。

やめてくれ。

何か、こっちまでどうしていいかわからなくなる。

 

「ええと……だから、ですね」

 

口ごもりながら、漸くレンは意を決したように云った。

 

「サッチさんのせいじゃ、ないんです。その、ですから、」

「…………」

「……わ、私、サッチさんが来てくれるの、結構、嬉しくて。……楽しくて。……えっと、その……だから」

 

女に対してのポーカーフェイスには自信があるおれだが、今ばかりは自信がなかった。

だってな、好いた女が顔を真っ赤にして、自惚れるならば、だからもう会いに来ないなんてことは云わないでくれというようなことを云っているのだ。

 

舞い上がって、悪いか。

 

「……まぁ、おれは暇人だからな」

 

努力、努力。

頑張れおれの顔筋。

引きつるな、すました顔しろ。

 

「お前が」

「…………?」

「……来てくれって云うなら」

 

非常にこっ恥ずかしい。

柄にもなくそわそわして、普段ならばあっさりと出てくる言葉たちが、今は喉のどこかで迷子になってしまっている。

他の女になら、砂吐くほどの甘ったるい台詞も、気障なかっこつけた台詞もポンポン出てくるというのに、なんとも情けない。

ここまで云って、これ以上の言葉が出ない。

 

おれは誰だ?

サッチ様だ。

白ひげ海賊団四番隊隊長、女好きと自他共に認める天下のサッチ様だ。

 

それが、何だ。

たったひとりの地味な女の前で、かける言葉に悩んで頭を抱えるとは。

情けないのに、いくら頭を捻っても言葉は出てきてくれない。今の頭の回転で、きっと大量のシナプスが最期を迎えたことだろう。でももうちょっと頑張れ、おれの脳細胞たち。

少しくらいは気の利いた台詞を、

 

「……ホントですか……?」

「は?」

 

考えついてくれ。

と念じていたところへ飛び込んできた、レンの声。

いつの間にか聞き慣れて耳に馴染んだその声が、今は驚きの色に染まっていた。

思わずレンの方に顔を向けて、向けて、――おれは固まった。

 

「……嬉しい」

「――……」

「嬉しいです、……サッチさん」

 

レンは笑った。

恥ずかしそうに俯きながら、しかし嬉しくてたまらないようにはにかんだ。

 

ああ、わかった。

もういい。

認めよう。

レン。

お前は確かに地味だし美人じゃないしナイスバディでもない平々凡々な女だ。

でもな、そんなお前でも、おれにとっては。

 

――最高の女に分類される、らしい。

 

 

 

 

◇◆◇◆

 

 

 

 

聞いてください。

明日はデートです。

 

 

* * * * *

 

 

どうにかこうにか、日の出ている時間帯にすべての本の作業を終えた。

案の定だが結構大変だった。

途中レンは、無造作に積み上げていた本を雪崩させて何度か埋もれたし、思いっきり埃の被っている本を手にしたまま深呼吸なんかしたものでしばらく咳やくしゃみに苦しんだりしていたし。

途中、シスターとやらは本当にこいつひとりに店を任せていて心配にはならないのかと疑問に思ってみたりした。おれだったら、こんなうっかりなドジ人間を雇うなら他に最低ひとりは見張り役と云う名のパートナーをつけるが。

まだ見ぬシスターとやらの肝の座り方には感服だ。諦観しているのか本気で信頼しているからこそなのかは判断出来かねるが。

 

まぁそれは置いといて、外に出していた本を元通り店に戻した頃にはすでに夕方になっていた。

非常に健全ではあるが、おれはもう帰る時間である。

いや、別に無理に帰る必要はないのかもしれないが、いわゆる大人の展開など望めないことが分かり切っている――レンがその手のことに疎いのは考えるまでもない――のに、そんな遅くまでいるのは辛い。いろいろと。

名残惜しいがさっさと戻って船で馬鹿騒ぎして気を紛らわせ、また明日、レンに会いに来る。

今時ガキでもこんな健全なお付き合いなんざしていない気がするが、どうしようもないものはどうしようもないのだ。諦める。

それに、ちょっと冷静に考えてみると、やはりレンとどうにかなりたい、何かしたい――いや、手を繋ぎたいとか抱き締めたいとかは思うのだが、それ以上のことをだ――とか、そういう欲求がそこまで強いわけではないのだ。

 

ただ、傍にいたい。

レンを見ていたい。

それだけでも、本当は十分なのだ。

だから、わざわざ夜遅くまで共にする必要は、うん、ない、わけだ。

……と、言い聞かせる。

 

「……あの、サッチさん」

「あ?」

 

まずい。

もしかしておれ、無意識に声に出してたのか?

慌てて自分の口を塞いでレンに目をやると、レンは逆に不思議そうな顔をした。

違ったらしい。

気を取り直して一度わざとらしく咳払いをし、何だと問えば、レンは軽く首を傾げてはいたものの、ええと、と口を開いた。

 

「その、明日なんですけど……」

「明日?」

「はい。あの、明日は私、午前中は買い物に行くつもりなので、お店は午後から開く予定なんです」

「ほぉ」

「……で、ですから、……えっと」

 

もじもじ、とレンは自分の指を引っ張ったり握り込んでみたりして、視線を忙しなく空に彷徨わせている。

……そんなレンも可愛いなぁとか思ってしまうあたり、おれも大概末期だろう。あばたもえくぼってやつか。いや、でもレンはそこまで酷い顔じゃない。

何の話だ。

そう、明日の話。

レンの様子を内心にやにやしながら表向きは冷静に眺めつつ、口下手なレンの云いたいことを今の台詞を総合して考える。

数日の付き合いでわかったが、こいつは頭は悪くないが決定的に語彙が少ない。

必要なこと、要点だけを簡潔に口にするので、ちゃんと聞き手側がレンの主張を汲み取ってやらなければならないのだ。

算数のようだと思う。

式と真っ白なグラフだけ渡されて、そこに線引っ張れと云われているような、そんな感じだ。

普段だったらそんな面倒なやつはお断りだが、レンならば仕方ない。

そうして、考える。

 

1、明日の午前中は買い物に行く。

2、店を開けるのは午後から。

3、その報告をわざわざおれにする。

 

ふむ、つまり、こういうことか。

 

「わかった」

「あ、えっと……すみません」

「じゃ、明日朝迎えに来るからな」

「……はい?」

 

きょとんとしたレンに、おれはにっこりと笑ってやった。

レンは口下手である。

レンの言葉を、聞き手は汲み取ってやらなければならない。

しかし、どう汲み取るかは、こちらの自由というか、勝手である。

そして今おれは、レンが云いたかったことを正確に読み取っただろう。

 

「あの、ですから明日は……」

「おう」

「……えええー……?」

 

おーおー、混乱してる。

つまり、おれは正しく意味を汲んだ上で、こう解釈したわけだ。

 

「荷物持ち、してやるよ」

 

レンが、だから明日は来るなら午後からお願いしますという意味で云ったのはわかっている。

無理矢理でもなんでもいい。

 

何はともあれ、明日はデートです。

 

 

 

 

◇◆◇◆

 

 

 

 

別にオシャレなブティックや可愛いカフェでレンがキャッキャするとは思っていなかったし、残念だが想像も出来ない。

だから――かなり一方的ではあるが――デートが決定しても、おれはそこまで期待していたつもりはなかったの、だが。

つもりだっただけ、らしい。

 

「…………」

「……あ、あと、最後に市場に……いいですか?」

「……おう」

 

荷物自体はそう多くない。

ただ、おれは買い物だというから、仮にもレンであろうと女子が買い物だというから、もう少し違う買い物のイメージを抱いていたわけで。

小さなビニール袋と紙袋には、本を補修するための厚紙やテープ、糊やその他もろもろな道具がごっそりだ。

女らしさの欠片もない、完全なる仕事道具。これじゃあ結局仕事と変わりないだろう。あ、ちなみにレンは念の為手ぶらにしている。

道具は一カ所では買い切れなかったので何軒か店を回ったが、入り組んだ街中を歩くと結構な距離があった。

曲がりくねっているのでわかりにくいし、直線距離はそうないのかもしれないが、おれならともかく、レンが歩くには楽ではなかっただろう。紙袋の中身は、意外と重い。

こいつは最初、こんな荷物を自分ひとりで持って歩くつもりだったのかと思うと、面白くない。

 

頼めばいいのに、と思う。

頼ればいいのに、と思う。

 

「……ちっ」

 

レンの性格を考えれば、人に頼らずとも自分で出来ることはなるべく自分だけでやろうとするのはわかる。

わかるが、しかし。

 

「……あの、サッチ、さん」

「……あ?」

 

もんもんと考えながら歩いていると、レンはやたらと小さくおれを呼んだ。

振り向けば、何故かレンは、泣き出しそうな顔をしておれを見ていた。

なんだ。

なんでだ。

思わずおれが固まってしまった。

今日はずっと大人しくレンの後ろにくっついて荷物持ちに徹していたので、おかしなことは云っていないし、していないはずだ。

だというのに、レンはこんな顔をしている。

させているのは、おれ、なのだろう。

 

「お、おいレン……」

「……荷物、もう、大丈夫ですから」

「は?」

「い、市場には、私ひとりで……行きます、から」

 

小さなレンの呟きの意味がいまいちわからず呆気に取られているうちに、レンはおれの手からビニール袋と紙袋をさっと取って、ありがとうございました、と頭を下げてさっさとおれに背を向けてしまった。

 

は?

なんだ?

なんだこの状況は?

 

海賊なんて一瞬先のこともわからない生活をしているお陰で、たいていのことが起きても即座に対応出来るだけの臨機応変さは備えていたつもりだった。

隊長として兄弟たちを引っ張っていく責任がある以上、咄嗟の判断には自信があった。

しかし、どうだろう。

今のおれは。

早足で去っていくレンの背中を呆然と見つめるしかなくて、伸ばしかけた手が行き場をなくして彷徨っている。

 

なんだ。

なんなんだ。

 

気付けばレンの背中は小さくなっていて、もうすぐ角を曲がって姿も見えなくなるところだった。

これは、同じだ。

最初に出逢って、酒場の前で別れたときと。

……それは。

 

――嫌だ。

 

考える暇もなく、咄嗟におれは走り出していた。

レンが角を曲がりきる前に、レンの肩を掴んで呼び止める。

 

「レンッ」

「っ、あッ……」

 

―――ドサッ

 

その衝撃でレンは紙袋を落とし、紙袋の中身がぼこぼこした路地に散らばってしまった。人通りがなかったのは、幸か不幸か。

 

「……あ……荷物、が」

「わ、悪ィ……」

「……う……っ」

「……お、おい……!?」

 

今度こそどうしたらいいかわからず、おれは途方に暮れた。

紙袋に手を伸ばしながら、レンはついに俯いて泣き出してしまった。

うずくまって、膝に顔を埋めて。

 

なんでだ。

どうしていきなりこんなことになったんだ。

おれは何かしたか?

気付かないうちにレンを傷つけていたのか?

 

わからない。

心当たりがなさすぎて、泣きたいのはこっちのほうだった。

しかし放っておくわけにもいかないので、とりあえず手早く散らばった荷物をまとめて紙袋に突っ込んでからレンの頭をぐしゃぐしゃとかき混ぜてみた。

こんなとき、どうしたらいいかわからない。

抱き締めてキスをして優しい声を掛けてやる?

違う。

きっとレンは、そんなことは望んじゃいない。

 

「う……っ、すみ、ません……」

「……いや……」

「……もう、大丈夫です、すみません……あ、ありがとう、ございました」

「…………」

 

いいもんか。

何が大丈夫なもんか。

レンは膝に顔を埋めたままの不自由な格好のまま、頑なに顔を上げずに荷物を掴む。

声は涙声だし、鼻は啜るし、しゃっくりあげる。

大丈夫なら、んなことするもんか。

しかし、おれにはレンが泣く意味がわからない。

荷物を落としたことは、単なるきっかけに過ぎないだろう。

きっとその前に原因はあったに違いないのだ。

 

なんだ。

おれは一体何をした。

泣かせたくない、のに。

 

「……くそ……」

「ッ!」

 

思わず悪態つくと、レンの肩が大きく揺れた。

気のせいじゃない。

心なしか、さっきよりも小さく身体を縮こめているような、気もする。

考える。

本日のおれ。

昨日までのおれ。

違うことは、何だ。

 

「……レン」

「、ぅ、は、……はい……」

 

よもや、とは思う。

思うが。

一度もしやと思ってしまうと、それしか可能性が浮かばなくなるのが人間というもので。

 

「……あのな」

「…………」

 

一縷の望みをかけて、口を開く。

おい、おれ、例え怒り爆発中の親父に対してでもこんなおっかなびっくりにならんぞ。

ごくり。

息を飲み込む音が、やけにでかくきこえた。

 

「……おれは別に、これっぽっちも怒ってねェぞ……?」

 

恐る恐る。

云えば。

 

「……え……?」

「…………」

「……怒って……ませんか……?」

 

見ろ、この驚いた顔を。

どうやら予感は的中したらしい。

レンは、おれが機嫌が悪いと思って落ち込んでいたわけだ。

大方、自分の気付かない内におれの機嫌を損ねるようなことをしたんじゃないかと気にしていたんだろう。

まさしく、さっきまでのおれと同じように。

確かに普段よりは口数が減って素っ気なくなっていたかもしれないが、それは断じてレンに苛立っていたわけでも何でもなく、わかっていたのに期待を捨てきれずにいた自分に対して腹を立てていたからだったのに。

 

馬鹿なやつ、と思う。

しかし、可愛いやつ、と心底思った。

怒ってないと云っても、やや疑わしそうに不安そうにおれの顔色を窺うレンに、今度はわざと大きなため息をつく。

すると、また泣きそうに顔を歪めて肩を竦める。

その様子は小動物のようで、愛らしかった。

 

ぶっちゃけた話、おれはレンの困ったり慌てたりする顔が好きだ。

が、時と場合による。

今は、レンには泣いてほしくなんかない。

 

「レン」

「、は、ぃっ」

「ケーキ好きか?」

「……はい?」

 

何の脈絡もなく問えば、レンは涙を浮かべたままの目をきょとんと瞬かせた。

眼鏡の奥で涙に潤んだレンの瞳は、今まで見てきたどんな女の目よりも綺麗だった。

そのレンの目に、今はおれしか映っていない。

たったそれだけのことにおれは酷く満足して、自然と顔が綻んでしまう。我ながら現金だとは思うが、嬉しいんだから仕方ない。

戸惑いながらも小さく頷いたレンに、おれは更に笑みを深めた。

それから、レンの髪をぐしゃぐしゃとかき混ぜる。

 

「作ってやるよ」

「わっ、わっ」

「泣き虫なお子様のために、飛びっきり甘いのをな」

「……えっ?」

「だから、おら、泣き止め」

 

呆然としているレンの眼鏡を奪い取り、ハンカチなんてものは持ってないので服の袖でレンの涙を拭ってやる。

レンは咄嗟で反応出来なかったのか、されるがままだった。

……ホントに子供みてェ。

たまに街中で母親が泣き喚くガキの涙を拭う、あれを思い出した。

ええい、おれはレンの親になりたいわけじゃねんだ。

とりあえず涙は引っ込んだらしいレンに眼鏡をかけ直してやり、手を引っ張って立ち上がらせる。

そして、持っていたビニール袋を握らせた。

紙袋はそのままおれの腕の中だ。

そうすると、おれは左手が、レンは右手が、手ぶらになるわけで。

 

「で?」

「えっ」

「市場、行くんだろ?」

 

云えば、レンは忘れていたと云わんばかりに慌てて首を縦に振った。

 

「え、あ、その……はい……」

「おれ、場所覚えてねェんだよ。教えてくれ。おれも買い物あるしな」

「あ、サッチさん……?」

「何のケーキにすっかなー。チーズとかチョコとかどうだ?」

「な、ならチーズのほうが……て、あの、サッチさん?」

「よっしゃ、ならチーズケーキだ。おれのケーキはうまいぞー、女としてのプライド傷付けたらすまん」

「し、失礼な! って、ですからあの!」

「なんだよさっきから」

「きっ、気付いてたなら反応してください!もうっ」

 

わたわたするお前の反応を見てるのが楽しくて、と今云ったら噛みつかれそうだったので、賢明なおれは黙っておいた。

それにしても、むくれて頬を膨らますレンはやっぱり子供っぽい。いくつだよ、こいつ。

と、ハタと気付く。

 

おれは、レンのことを何も知らない。

歳も、好きなものも、嫌いなものも、何も。

ただ、もっさりして冴えなくて、鈍臭くて、地味な見た目なくせに、おれにとっては最高の女であることしか、知らない。ああ、ケーキはチョコよりはチーズのほうが好きだってことは今知った。

それ以外。

 

――おれはレンのことを、何も知らないのだ。

 

「ほ、本当に作れるんですか……?」

「お前超失礼だかんな」

「だ、だってサッチさんが料理……お菓子作りとか?」

「ばっかおれの格好見てみろよ」

「いえ、てっきりツッコミ待ちなのかと……」

「オイ」

「す、すみません」

 

だって想像出来ません。

よし、わかった。レンは意外とはっきり物を云うらしい。ちょっと傷付いた。おれは懐が広いということで評定のある男なのでここはスルーするが。

まぁ、とにかくだ。

 

「……いいから行くぞ」

「は、はい」

「ん」

「…………?」

「……だー、もう、くそっ」

「あっ」

 

空いた左手と、右手。

おれはレンに、左手を差し出した。

何のためにそうしたかなんて、こっぱずかしくてとても口には出来ないが。

わけがわからないと云うようにおれの手と顔を交互に見るレンの手を、ガシッと掴む。

掴む、というか。

手を、握る。

 

「……行くぞ」

「へ、あ、えっ!」

 

みるみるうちにレンの顔には血が上り、茹で蛸のように真っ赤になって大慌てし始めた。

おれ、レンのこの顔好きだ。

困ったように真っ赤なるレンが、すごく好きだ。

 

「さ、サッチさん!?」

「おう」

「えっと、あの……っ!」

 

自惚れた発言が許されるならば、少なくともレンはおれを嫌いではない。

おそらく、好き、の分類にいるだろう。と、思う。思いたい。

正直なところ、自信はない。

レンは、多分、誰かを嫌いになるようなことはないんだと思う。

こういうタイプの人間は、総じてそうだ。

嫌うこと、厭うこと、拒絶することを知らない。

だからこそ、自信が持てない。

 

おれは、今。

レンにとって、どんな存在なのだろう。

 

傍にいることをある程度許されているということは、そこそこ好かれているのだろうとは、思う。

思うが。

 

「……おれと手ェ繋ぐのは、……嫌かよ……?」

「!」

「嫌なら、離せ」

「あ……」

 

歩きだそうと踏み出していた足を止めた。

レンも一緒に止まる。

離せ、とは云ったものの、すっげぇ怖かった。

離されたら、きっとおれはしばらく立ち直れないだろう。

だからこれは賭だった。

出逢って間もないレンに、おれは賭けを仕掛けた。

我ながら馬鹿だと思う。

 

「…………」

 

怖い。

そんな感情を抱いたのは、いつ振りだろうか。

海王類を相手取ろうが、海軍将校を相手取ろうが、恐怖なんざ感じない。

なのに、なんだ、このざまは。

 

たったひとりの女に振られるのが、こんなに怖いだなんて。

おれは、知らなかった。

 

すると、一瞬レンの手から力が抜けた。

ぎくりとした。

離れる。

離される。

自分が云ったことなのに、嫌でたまらない。

しかし。

次の瞬間。

 

「――……」

「…………!」

 

ギュッと、レンの手に力がこもり、おれの手を強く握り返してきた。

驚いて思わず振り向けば、俯いて、しかし手の力だけはしっかりとしたままのレンがいた。

俯いていても耳まで真っ赤なのがバレバレだ。

やばい。

つられておれまで赤くなる。

 

「…………、です……」

「……へ?」

 

何も云えず動くことも出来ずにいると、ポツリと小さなレンの声が聞こえた。

あまりに小さすぎて聞き取れず思わず聞き返すと、ほんの少しだけ顔を上げたレンと、目が合う。

 

「嫌じゃない、です」

 

呼吸を忘れるところだった。

自分の耳を疑った。

 

「わ、私、サッチさんと手、繋ぐの……嫌じゃないです」

「!!」

 

――ああ、もう、ちくしょう。

 

無理だ。

もう無理だ。

今はレンの顔が、まともに見ていられない。

おれは勢いよく顔を前に向き直し、さっさと歩き出した。もちろん、レンの手は離さない。

レンは慌てたように足を動かし、ついてくる。

 

もういい。

わかった。

 

おれは心底、こいつに惚れているのだ。

 

手を繋いで歩きながら、ケーキは気合いを入れてハート型にでもしてやろうかと思った。いや、やらんけど。

何度も繋いだことのあるレンの手は、やはり温かかった。

 

――離したくないと、思った。

 

 

 

 

◇◆◇◆

 

 

 

 

子供は嫌いではない。

と、思う。

自分でも曖昧なのは、これまで子供と戯れる機会など殆ど皆無だったので、あくまでなんとなくの予想でしか答えられないからだ。

だから、云った。

レンは孤児で、物心ついた頃にはすでに教会の孤児院にいたらしい。

見てみたい、と云った。

今もその教会は孤児院として経営しており、当然のことながら孤児たちがそこそこの数生活しているらしいが、なんとなく、レンが育った場所というのを見てみたい気がしたのだ。

それに一体どんな意味があるかはわからない。

わからないが、なんとなく見てみたかった。

子供たちは騒がしいかもしれない、子供だから失礼なことをしたり云ったりするかもしれない、と念押されたが、おれは懐が広いことで一部では有名なのだ。

子供が煩かったり何かされたりしたところで怒るような男ではない。

 

ならば、とレンは頷き、丁度用事もあったらしく、結局今日は店は閉店にすることにして、何やら重そうな荷物と、手早く作ったチーズケーキを手土産に午後から早速教会に向かった。なんか意外とそのあたりは適当でいいらしい。謎だ。

そうして歩いて街の中心に位置する教会の門をくぐると美人なシスターが出迎えてくれ、元気いっぱいな子供たちがわんさか出てきてあっという間に取り囲まれ、レンはからかわれ、おれは珍獣扱いされ、あれよあれよと云う間に食事を振る舞われ、おれが作ったチーズケーキを貪られ(当然足りなかったので追加で作った)、食後は子供たちとの鬼ごっこやら缶蹴りやらだるまさんが転んだに付き合わされ。

 

「……お、お疲れ様でした……」

「……おう」

 

現在、子供たちのお昼寝にお付き合い中である。

おれ、優しいな。

 

「すみません、あの、多分ここには滅多にお客様なんて来ないから、珍しいんだと思います・・・」

「おれ、ふれあい体験されてるコアラとかの気分だったぜ」

 

あれは意外と楽な仕事ではないことがよくわかった。

今度動物園に行っても、動物たちの健やかな精神のためにふれあい体験は遠慮しよう。動物園なんか行ったことないけど。

人の身体を器用に枕にして爆睡する子供たちをそっとどかし、最後のひとりをベッドに置いたところで漸く一息ついた。

懐いてくれるのはありがたいが、10人強の子供たちに全力でむかってこられるのはいささか疲れた。

若く見えても、意外と年いってるのだ、おれは。

もう少しお手柔らかにお願いしたい。まぁ、加減を知らないちみっ子たちには不可能な注文だろうが。

ともあれ、こうして昼寝をしてくれている間は安全だろう。

今の内にゆっくりさせてもらいたかった。

 

「サッチさんはお優しいですねぇ。子供たちは大喜びですし、ありがたいことです」

 

案内されたテーブルにつくと、にこにこと笑いながらシスターが云った。

うむ、やはり美人である。

隣に座ってるのが美人とは程遠い人物なので、シスターの美人さが余計際立つ。

ひとりで勝手に納得して頷いていると。

 

「……サッチさん、今失礼なこと考えてませんか」

「滅相もない」

 

半眼になったレンに睨まれた。

なので真顔で否定してやったのに、何故かものすごく胡散臭そうな目で見られた。失礼な。

 

「ところでレン、お前何か用あったんじゃねーの?」

「話をそらしましたね」

「滅相もない」

 

また睨まれた。おれに失礼な。

なんてくだらないやり取りをしていると、目の前でその様子を眺めていた美人シスターが笑った。

 

「うふふ」

 

笑顔も美人だ。

しかし、その美しく形取る唇が次に発した言葉はスルー出来なかった。

 

「ふたりは仲良しですねぇ」

「……へ?」

「……え?」

「まぁ。同じ顔。微笑ましいですこと」

 

うぉぉぉい。

ちょっと勘弁してもらいたい。

いや、嫌なわけではないのだ。勿論そう思われるのは個人的には嬉しい。

が。

今は、デリケートな時期なのだ。

出逢って間もなく、少し前にはいざこざしたりして、お互いがお互いを憎からず思っていることもやや暴露し合っている。

 

「……あ、あの、ぅ……」

 

ほら見ろ。

レンもどんな反応すりゃいいのかわからずしどろもどろになって赤くなっている。

おれだって何て答えりゃいいのかわかんねぇよ。

と、ふたりとも揃って沈黙していたが、いきなりレンが立ち上がった。勢いよく立ち上がったので椅子が倒れた。

大焦りで椅子を直してから、レンはおれのほうを見ないようにしながらシスターにぎこちなく笑った。

 

「わ、私、本置いてきますね!じゃ!」

「あ、おい……」

「あらあら」

 

脱兎。

ここ数日おれが目にしていた鈍くささはどこへやら、驚くべき速さでレンは部屋から去っていった。

どうやら、持ってきた重そうな荷物は子供たちな読ませる本だったらしい。

それを知ったところでレンが引き返してくることはなかったが。

伸ばしかけた手が、行き場なく宙をふらついた。

 

「…………」

「まぁまぁ、うふふ」

 

シスターは呑気に笑っているが、おれは笑い事じゃない。

せっかくいい感じの雰囲気になれてきたところだったのに、こんなつまらんことでギクシャクするのはごめんだった。

自然、ため息が落ちる。

 

「あら、サッチさんたら。ため息は幸せが逃げちゃいますよ?」

「あー、たった今逃げてったぜ」

「ふふふ。ねぇ、サッチさん?」

「あん?」

「あの子、今とても楽しいみたいです」

「は?」

「自分でも気付いてないみたいですけど、表情がね、全然違うんです」

 

シスターをまじまじと見る。

おれの視線などまったく気にした様子はなく、シスターはにっこりと微笑んだまま続けた。

 

「あの子はいい子です。責任感が強くて頑張り屋さんで」

「…………」

「でもね」

 

おれは口を挟まず、ただ聞いた。

紅茶から立ち上る湯気は、すっかりなくなっていた。

 

「いい子すぎるんです」

 

どういう意味だろう。

いい子すぎる、とは。

それは果たしていけないことなのだろうかと、俄かに疑問に思う。

上っ面のいい子は確かに困ったさんだが、あいつは違う。

呆れるほどに真っ直ぐで純真なやつだ。

おれみたいな海賊風情に、優しくしてしまうくらいには。

それは、困ったことなのだろうか。

おれにはわからなかった。

静かに微笑んだまま、シスターは続ける。

 

「私はあの子に自由に生きてもらいたいんですよ。それなのに、あの子ときたら」

「…………」

「未だに、この院に恩義があるなんて云うのよ」

「……そりゃあ……」

 

当然ではないか。

あいつは孤児で、この孤児院に育てられたと云っていた。

だったら、この院に恩義を感じているのは当たり前のことだろう。

恩義がないとほざくならともかく、恩義があると云って困られたらどうしたらいいかわからない。

するとシスターは片手を上げておれの言葉を遮った。

 

「ここで育ったからって、一生この院に尽くさなければならないことはありません」

「…………」

「もう、この子の世代の子たちはみんな島から出て行っているのに」

 

レンは、一生この院のために働くのだとシスターに宣言したらしい。

レンと同世代の人間が次々に己の道を見つけて島を飛び出していく中、レンだけは違っていた。

こまめに院に足を運び、教師の真似事をし、暇さえあれば院を手伝う日々を送っているようだった。

確かにそれはシスターにとっても嬉しいし有り難いことだろう。

しかし、それではあんまりだ、とシスターは云う。

世界は広い。

なのにレンは、世界を知らず、院の中だけに生きようとしている。

寂しいことだった。

 

「街の本屋を任せたのは、それが唯一私がしてあげられることだったからなんですよ。せめて院の外で生活してもらいたくて」

 

それにしては随分辺鄙な場所だとは思ったが、まぁ場所までは首尾よく用意出来なかったのだろう。

書物に囲まれた生活を送らせてやれただけ、シスターには最良の選択だったのかもしれない。

ともかく、なんでレンがたったひとりであんな場所で本屋を営んでいたのか、やっと謎が解けた。一応ちゃんとした理由があったようだ。

 

「あの子は、自分は街に必要とされてないと思っています。そんなとこ、ないのに」

「…………」

「だから今まで、レンが私たち院の者以外に気を許すことはなかった」

「…………。」

「けれど、サッチさん」

 

そこで一旦言葉を区切り、シスターは真っ直ぐにおれを見た。

自然と背筋が伸びて姿勢を正す。

 

「あなたが、あの子を変えてくれたんですね」

「……おれが」

「ええ。だって、あの子が私たち以外のものと自然に話しているのなんて、初めて見ました」

「…………」

「ありがとうございます」

 

座ったままではあるが、丁寧に頭を下げられて内心おれは動揺した。

おれは別に、感謝されるようなことはしていない。

結局は自分のためなのだ。

だから、こんなことで礼など云われてもどうしたらいいのかさっぱりわからない。

 

「おいおいシスター、やめてくれ。おれは……」

 

と、口を開きかけたときだった。

 

「きゃァァァァ!!?」

 

昼下がりの穏やかな陽気にはあまりに不釣り合いな、悲鳴。

 

「……レン?」

「……レンですね。きっと、起きた子供たちに何かされてるんでしょう」

「……へぇ……」

「まったく、しようのない子」

「ま、レンらしいんじゃねぇ?」

「ええ、そうですね」

 

するとすぐに子供たちの昼寝をしている部屋のほうから、ぎゃいのぎゃいのと騒ぎ声がしてきた。どうやら目覚めのお時間だったらしい。

ちょうどレンはそのタイミングで部屋を訪れており、子供たちのやんちゃの餌食になったのだろう。

頑張れ。

おれはもう頑張った。

シスターも、さっきのような柔らかい表情で苦笑している。

 

「さて、助けに行ってあげましょうかね」

 

呆れたように云いながらも、シスターは楽しそうだ。

席を立ち上がり、子供たちの部屋に向かうらしい。

おれは行っても何も役に立てない気がしたので、ここで待っていることにした。

シスターの後ろ姿を見送ってしばらくすると、騒ぎ声はパッと収まった。鶴の一声ならぬシスターの一声があったんだろう。

それにしても。

 

「……島で一生、ねぇ……」

 

多分、それは珍しいことではないのだと思う。

この島に限らず、自分が生まれた島から一度も出ずに生涯を終える人間は少なからずいるはずだ。

しかし。

 

「もう、あの子たちったら……!」

 

涙目になって部屋に戻ってきたレンに笑いかければ、笑い事じゃないです、とプンプンと怒られた。全然怖くない。

それからしばらくはゆっくりとお茶をして、どたばたとやってきた子供たちの相手をまた全力でして、晩飯はおれが手ずから料理を奮ってやり、あまり遅くならないうちにレンを家まで送った。

帰りも、他愛ない話をぽつぽつとした。

変に気まずくもなく、嫌な沈黙もない。

心地いい時間だった。

レンをしっかり家まで送り届け、レンに見送られながら船に戻る道すがら、ぼんやり考えた。

あいつは、レンは島から出るつもりはないらしい。

つまり。

 

「――誘っても無駄、か……」

 

口にしてハッとする。

何を。

何を考えているんだ、おれは。

誘う?

誰を。

無駄?

何が。

駄目だ、どうやらおれは疲れているらしい。

そりゃそうだ、慣れない子供遊びに全力で付き合ったのだから。

駄目だ、駄目だ。

いかん、いかん。

これはさっさと帰って酒でも飲んで寝るに限る。

そうしよう。

そうして、忘れてしまおう。

 

レンを海に連れて行こうと思ったことなんて、さっぱりと。

 

……忘れて、しまおう。

 

 

 

 

◇◆◇◆

 

 

 

 

 

教会に行った翌日も、相変わらずおれはレンのところへ向かった。

暇なわけじゃない。

一応仕事はあるが、どうせ残り少ない滞在時間を無駄にしたくないと思った。

エースに笑われてマルコに呆れられてなんだ。

知るか。

おれが行きたいから――会いたいから、行くんだ。

 

 

* * * * *

 

 

「サッチさん、見てください!!」

 

いつもの通り、3回ノックしてから古びた本屋の戸を開ける。

しかし誰もいない。

普段ならばこの時間、すでにレンはカウンターで仕事を始めているはずなのだが。

何故だろうかと首を傾げつつ店の裏手へ続く戸を開けてみれば、案の定、レンはそこにいた。

今日は天気がいいから、また本を日干しでもしているのかと思ったがどうやら違う。

空を見上げたまま固まっていた。

なんだこいつ。

電波でも受信してんのか?

怪訝に思い声をかけてみると、ハッと振り返り、そして先程の台詞である。

が、見てくださいと云われても何を見ればいいのかわからない。

別にレンは手に何か持っているわくでもないし、どこかを指差しているわけでもなかった。

しょうがないので貧相な胸を注視してみた。

 

「どこ見てるんですか……」

「いや、貧相だなぁと思って」

「よ、余計なお世話です! じゃなくて、空です、空!!」

「空ぁ?」

 

仕方なくレンの貧相な胸から視線を上に移動し、空を見る。

晴れている。

雲はほとんど見当たらないので、これはいわゆる快晴というやつだ。

で?

 

「綺麗ですよねっ」

「……ソウデスネ」

 

とりあえず同意しておくが、今日のレンは何が云いたいのかよくわからない。

どんな反応をしたらいいかわからず固まっていると、レンが満面の笑みで云った。

 

「海みたいな色!」

 

とゆうわけで、午後からは海に行くことになった。

単純?

うるせぇよ。

 

 

* * * * *

 

 

岩場は足場が不安定だ。

やるだろうとは思ったが、やってくれた。

家を出てからかれこれ5回。

何の回数かと云えば、レンが転んだもしくは転びそうになった回数である。ちなみに30分しか歩いていない。

現在おれたちは、白ひげ海賊団の船、モビー・ディック号へ向かっていた。

朝のレンの台詞もあったし、そういえばこの間、親父やマルコたちがいらない本を処分したいと云っていたのを思い出したのだ。

どうせ捨てるのだから、誰かにくれてやっても構わないだろう。

レンの本屋は特にジャンルにこだわっていることもなかったし、いろんな海を航海して集めた本ならば珍しがってあいつは喜ぶかもしれない。

そんなわけで昼に一旦船に戻ったおれはレンを連れてきてもいいかと許可を取った。

親父は快く承諾してくれた――女か、と云う問いには、性別は、と答えておいた。

そして、現在に至る。

 

「あ、あの、このあたり怖いんですが……」

「頑張れー。もうちっとだから」

「う、あぅ、頑張っ」

「あっ、おいっ!」

 

ずるっと見事にレンは滑った。

手を伸ばすと間一髪、腕を掴むことに成功した。

が。

 

「っ、うぉっ!?」

 

まさかの事態。

おれまで足が滑った。

咄嗟にレンの腕を引っ張り、抱き込む。

岩場に倒れ込むのは危険だ。

なけなしのバランス能力を駆使し、なんとか身体の方向をコントロール。

この状態で踏みとどまるのは厳しい。下手に踏ん張るよりも、これは倒れてしまったほうが得策だろう。

そして、落ちる。

 

――バシャーン!!

 

海へ。

今日は厄日か。

 

 

 

 

◇◆◇◆

 

 

 

 

「………」

 

あんぐりと口を開けたまま固まっているレンは、どんな欲目で見ても間抜けとしかいいようのない顔をしていた。

ただでさえ美人でも可愛くもねぇのに、更に残念なことになっている。

 

「……グララララ」

「…………!!?」

 

親父が笑うと、今度は驚いたように肩を震わせた。

意味がわからない。

今更ながら、レンをこんなところに連れてきたのは浅はかだっただろうかと後悔をした。

いや、後悔というのは言い過ぎだ。

ただ、なんというか。

 

「おい、レン?」

 

海に落ちたおれたちは、とにかく急いでモビーディック号に向かった。

おれはともかく、レンはそのまま放っておいたらすぐに風邪でも引きそうな気がしたのだ。

ずぶ濡れのおれたちを目にしたナースのひとりが、人攫いのようにレンを船内に連れ込んだのは予想外だったが。そしておれが放置プレイされたのも予想外だったがめげない。

そして、しばらくナースの部屋からドタバタという騒音とキャーだのギャーだのタスケテーだのという悲鳴が船に響き渡ったが、少しするとピタリと止んだ。

逆に怖かったが、ナースに確認するのも怖かったので合掌しておいた。見捨てたわけじゃない、断じて。

それから更にしばらくして出てきたレンは半泣きだったが、乾いた服を着て普通だった。

何があったと目で問うたが、軽く目を逸らされたので小さく頷いておいた。

多分着せ替え人形にされて遊ばれたんだろう。あいつら初対面でもお構いなしかよ、さすが海賊のナース。怖い。

 

ところで、この時点でおれがレンを船に連れてきたことはみんなに知れ渡ってたわけだが、どうやら親父も興味津々だったらしい。

以前ぽろりと気になるやつがいる、と話してあったのが、更に親父の好奇心を擽ったようだ。

着替えたら甲板集合、とニヤニヤ笑うイゾウに告げられ、死刑宣告を受けた気がした。

別におれは、レンを見せびらかしたかったわけじゃないのだ。

美人でも可愛くもナイスバディでも何でもないただの、普通の女。

船に連れてきたのは本をやるためであって、断じて、見せびらかすためでは、なくて。

しかも、レンは、本当に本当に普通の女だから。

 

おれたちは海賊だ。

少なからず人相は悪いし、一般人からしたら恐怖の対象になることくらいわかっている。

更にここは、四皇白ひげの総本山。

ビビるだろう。

普通ビビるだろう。

そんなわけでおれの後悔というか失敗は、レンを怖がらせてしまったであろうこの事態についてだった。

 

だが、親父が呼んでいる以上無視は出来ない。

それに一度くらい顔を見せなくてはならないのはわかっている。

が、出来れば親父だけとか、せめてマルコくらいまでで収めておきたかったというのはおれの我が儘なんだろうか。

そして心の中で理不尽な現実に対して万の文句を呟きながら、レンと共に踏み入れた甲板。

レンは突然の事態にそわそわした様子で辺りを見渡しており、ピタリとひとりに視線を止めた。

親父である。

そして冒頭に繋がるわけだが、固まったレンの肩を軽く揺すると、レンはハッとしたようにおれを見た。

その目はキラキラしていた。

え、何で。

 

「サッチ」

「おぁ、なんだよ親父?」

 

意味がわからないレンに、どんな反応をすればいいのかわからず困っていると、急に親父に呼ばれてびっくりした。

だが親父を見て顔が引きつった。

嫌な予感しかしない。

 

「そいつがご執心の」

「ウワァァァァァァァァァァ!!??」

「うるせぇよい」

「あでッ」

 

そらみろ嫌な予感的中な上に殴られたよ。痛ェよこのクソパイナップル野郎。

 

「……手加減しすぎたらしいな」

「あれっおれ口にしてた?」

「死ね」

 

もう一発殴られた。理不尽だ。この世界辛い。

容赦のない鉄拳を見舞ったマルコを睨みつけるが、シカトされた。何これイジメ?

しかし隣でこんなことをしていても、レンの興味はまったくこちらに向いていなかった。

視線は相変わらず親父に向かって、キラキラしている。

本当に意味がわからない。

 

「グラララ、おい、女。名前は何てんだ?」

「…………!」

「おれァ白ひげだ」

「……えっと、レン、です……!」

「そうか、レンか」

「は、はいっ!」

「……グララララ!」

 

何故か意気込んで応えるレンに、思わずといったように親父が笑った。

間違ってもこの船にはいないタイプの人間だから、珍しがっているのかもしれない。

すると、しばらくもじもじしていたレンが、あの、と意を決したように、しかし小さく手を挙げた。

質問、という感じである。

 

「なんだ?」

「あ、あの、えっと……」

 

煮え切らない。

ちらちらと親父を見ながら、云いたい、でも云えないというように指先をいじっていた。

しかし親父が辛抱強くレンの言葉を待っていると、漸くレンは口を開いた。

 

「あの、白ひげさんに質問が!」

「……なんだ?」

 

天下の海賊に質問。

こいつ意外と怖いもの知らずだなぁと関心した直後、おれは、というかこの場にいた全員が脱力した。

 

「身長、どれぐらいあるんですかっ?」

 

もっとほかに聞きたいことないわけ、と思ったおれに非はないと思うんだが、どうだろう。

 

 

 

 

◇◆◇◆

 

 

 

 

「ほー、道に迷ったサッチを酒場まで案内したと」

「へー、次の日もサッチが顔を出したと」

「はー、その次の日からもサッチが足繁く通っていると」

「ふーん、今日はふたりで! ここまで海を見にきたと」

「グラララ、なら本も好きなだけ持ってけ!」

「ねぇおれ泣いていい?」

「え、いいんですかっ!?」

 

空気になりたいと今ほど思うことはなかった。

明らかに面白がっている仲間たちは後ほどボコるとして、マイペースな親父とレン。

おれがイジメを受けているのは全力でスルーされている事実に、硝子製のハートはすっかりズタボロだった。

嘆きのため息を吐き出しつつ、どうやら心配は杞憂に終わったことを知る。

 

レンは、あっさりと仲間たちと打ち解けた。

親父の身長を質問するという常識外れの行いは、どうやら吉と出たらしい。

ついでに、海賊に対して変な誤解や偏見を持っていなかったのも、大きな理由だと思う。

マルコやジョズは見た目怖いし、外見だけなら異常なやつはたんまりいるこの船だが、そういうことには頓着のないレンだからか、すぐに打ち解けられたんだろう。

レンはもともと人見知りだが、相手に悪意がないとわかっていれば話は別だ。

別に人間嫌いとか恐怖症なわけでもないので、話しかけられれば普通に話せる。

しかも今は、みんなおれを弄るという目的があるのでこぞってレンにちょっかいをかける。

レンもレンで真面目なもんだから、質問には片っ端から答えてくれるから困るが。

止めて云わないで改めて云われるとおれ憤死しそうになるからと目で訴えても気付いてくれない。切ない。

更に、どうやら親父にいたってはレンのことが気に入ったらしく、珍しく酒もないのに上機嫌だった。

そんなわけで、目的のひとつである本をみんなで手分けして書庫から甲板に運び、今レンはその本を前に目を輝かせているところだった。犬か。

 

「ほ、ほんとにいいんですか……!?」

「持って行け。どうせあっても捨てるだけだ」

「うわわ……!」

 

きらきら、きらきら。

初めて見るこんなレンに、少しばかり嫉妬する。

誰にって。

そりゃ、親父にとは云えないので黙秘権を施行するが。

 

「こ、これは絶版になって久しい代物だし、こっちは初版……わわ、まさかこんなものにお目にかかれるなんて……!!」

 

素敵ですー!

おれにはさっぱりわからないが、どうやらストライクゾーンばっちりの本たちに出会えたらしいレンは大はしゃぎだった。

いやほんと、こんなレン初めて見た。

こんな顔もするんだなぁ、と思う反面、本相手にそんな顔すんな、とも思ったりする。

本が好きなのは知ってるし、レアなものを前に喜ぶのは結構だが、なんかこう、なんつーか。

 

「し、白ひげさんっ、いいんですか!? こんな高価なもの……」

「云ったろう。もうおれには必要ねぇんだ。好きなだけ持って行け」

「うわぁ……!」

 

……ずるいと、思ってしまうおれの器は小さいんだろう。

レン限定で。

しかし。

 

「……ありがとうございます!」

 

まぁいいか、と。

思う自分もいたりして。

だってレンが笑っているわけで。

楽しそうに、嬉しそうにしているわけで。

なら、いいか。

そう思う。

と、やや悟りを開き始めたときだった。

 

「――良い人です」

「うん?」

 

ぽつりと、レンが零した言葉に、この場にいる誰もが耳を疑った。

聞こえなかったわけではない。

けれど思わず、聞き返していた。

レンは、もう一度云った。

 

「みなさんは、良い人ですね」

 

自分たちを、悪い人だと云う言葉は今まで幾度となく聞いてきた。

その類の言葉であれば、今更何を云われたところで動じないだろう。

だが、と首を傾げる。

良い人、とレンは云っただろうか。

おれたちを、良い人、と。

 

「……おれたちァ海賊だぞ」

「はい」

「……海賊が、良い人か?」

 

冷静に問うたのは親父だ。

僅かに笑みを浮かべながら、やや驚いているのがわかる。

親父も長く生きているが、こんなことを云われたのは初めてだったのかもしれない。

レンはただの女だ。

普通に陸で暮らす、平凡な女。

そのレンの言葉は、何故かひどく心をざわつかせた。

親父も、おれも、マルコやエースにジョズ、ビスタたち隊長たちでさえも。

 

レンは、親父の問いに小さく首を傾げた。

ジッと親父の目を見る。

親父も、目を逸らすことはしなかった。

どれほどそうしていたのか、しばらくして口を開いたのはレンが先だった。

 

「……関係ありますか?」

「……何?」

「海賊であることが良い人か悪い人か、関係あるでしょうか?」

 

あるだろう、と思う。

レンは知らないのだ。

今までおれたちが何をしてきたか。

レンの手を握ったこの手すら、数え切れない罪を犯したことを。

 

「すみません、私は、ええと。私は、みなさんのことをよく知りません。だって今初めてお会いしたばかりだから」

「…………」

「でも、だからわかります。みなさんは、私の話を聞いてくださいました。私に話しかけてくださいました。それだけで十分です」

「……人を」

「傷付けたこともあるでしょうね。それくらい、理解しています。ここは、グランドラインですから」

 

ギョッとした。

そんなあっさりと認められると、今まで取り繕っていた自分が無性に汚いものになったような気がした。

ここはグランドライン。

争いのない土地など、きっとないような世界。

レンの住むこの島は、たまたま争いが見当たらないが、しかしゼロである可能性や、これまでもまったくなかったということはないだろう。

 

レンは、知っている。

理解した上で、おれたちに『良い人』という言葉を投げた。

その意味を、本当にわかっているんだろうか。

そしておれは、別の意味でも驚きを隠せなかった。

レンが。

いつももじもじ怖ず怖ずして、やたらとびくついて、人の様子を窺う小動物のようなレンが。

 

――こんなふうに、対等に親父と話すなんて。

 

「人を傷つけるのは楽しいですか?」

「何?」

「戦うのを楽しいと云う人は見てきました。では、みなさんは、人を傷つけることは楽しいと思いますか?」

 

そんなわけがない。

確かに、戦うことを楽しいとは思う。

あのギリギリの感覚で生きるスリルや臨場感、互角の相手と渡り合う高揚感は云いようもなく好きだった。

だがそれは、互角の、もしくは格上の相手と戦う場合だけなのだ。

自分より弱い相手を打ちのめしたところで楽しくもなんともないし、出来ることなら相手にすらしたくない。

戦うのは楽しい。

しかしそれは、傷つけることへの快感からくるものではないのだ。

 

「仮にもし、やむない事情があって人を傷つけてしまったことがあったなら、それは――どれほど、苦しいでしょうか」

「!」

「誰もが思った通りに生きられる世界ではないから、時には本意でないこともしなければならないと思います。そのとき、後悔を出来る人は、悪い人ではないと思います」

 

まさに絶句である。

誰もが言葉を失い、レンを見た。

レンは静かに微笑むばかりで、物怖じした様子もない。

頭がいい女だとは思っていた。

頭の回転と運動神経がうまく繋がっていないだけで、決してただの鈍くさい馬鹿でないことはわかっていたつもりだった。

俗に云う知的ではないが、考える時間を与えて、ちゃんと話を聞いてやれば、しっかり自分の意見を云える芯のあるやつだと、知っていたのに。

 

レンの言葉に、天下の白ひげ海賊団が、絶句させられた。

それがどれほどすごいことなのか、レンはきっとわかっていないんだろう。

レンは、当然のことを云っただけなのだ。

別段特別なことを云ったわけでも、突拍子もないことを云ったわけでもない。

ただ自分の中にある常識を、口にしただけ。

なんてことない、ただの会話。

すごい、やつだと思った。

 

「……グララララ!」

「……親父」

「そうか。おれたちァ良い人か」

「はい」

「そうか、わかった、なら」

 

親父はひとつ大笑いすると、おもむろにレンに手を伸ばした。

白ひげの手である。

幾人もの大海賊と戦い続けてきた、豪腕。

伸ばされた手を、レンはきょとんと見つめていた。

恐怖はないらしい。

やっぱりレンは、すげぇやつだ。

 

「お前の前では、ただの良い人でいようじゃねぇか」

「…………!」

「グララララ! おい、誰か酒持って来い!」

 

親父はむんずとレンの頭を掴み、わしわしとかき混ぜた。

ちゃんと力の加減をしているようで、少し乱暴なくらいで至って普通に頭を撫でているだけだ。

まるで親が子にするように。

ハッとして親父を見ると、目が合った。

その目に、すべてを見透かされたような気がして思わず俯く。

 

――そうだ。

 

認めよう。

再び本に夢中になり始めたレンを見ながら、改めて思う。

 

「あ、ねぇサッチさん、これ、これですよ! この間話した本! すごいなぁ、こんな本まであるなんて……」

 

おれは。

 

「サッチさん、連れてきてくださって、本当にありがとうございますっ!」

 

――普通で、普通の、こいつに惚れたんだ。

 

美人でも可愛くもない、地味で野暮ったいレンに、レンに。

気付いたら、どうしようもないほど、惚れていた。

 

 

 

 

◇◆◇◆

 

 

 

 

「船に乗る気はあるか?」

 

気まぐれだった。

珍しく本気でサッチが気に入った女は平凡を絵に描いたような女で、特別何かがすごいわけでもないやつだった。

ただ、サッチが気に入ったのはわかるような気がした。

おれたちは海賊だ。

平凡から程遠い場所に生きる存在だ。

多分、だからこそ、サッチはこの娘に惹かれたんだと思う。

 

「…………?」

 

首を傾げたのは、意味がわからなかったのかもしれない。

唐突であった自覚はあったので、今度はゆっくりと、云い聞かせるように云った。

 

「グラララ……。おれたちと、一緒に来る気はあるかと聞いたんだ」

 

我ながら酔狂だと思う。

四皇と呼ばれ、世間ではロジャーと同格と云われるこのおれが、たかだか小娘を船に誘うとは。

いくらサッチの惚れた女だからとは云え、おれも焼きが回ったのかもしれないと内心苦笑した。

 

返事はすぐにあると思った。

考えなしに頷くにしろ、嫌悪も露わに拒否するにしろ。

しかし、ここでもレンは予想外だった。

初対面で身長を訊くのも予想外だったが、この反応はそれ以上に。

 

「…………」

 

本を漁る手を止め、レンはじっとおれを見上げていた。

この目は。

何故か、ハッとさせられる。

先ほどもこの目を見た。

海賊が良い人か、と訊いたときだ。

そのときと、同じ目。

ただの小娘に、何故か見透かされたような、そんな気にさせられる目だ。

 

「……白ひげさん」

「……なんだ」

 

そして。

レンは、静かに微笑んだ。

 

「――ありがとうございます」

 

嬉しい。

云って、レンは本当に嬉しそうに微笑んだ。

決して美人でも可愛いわけでもないのに、きれいだと思える笑みだった。

けれど。

 

「でも、ごめんなさい」

 

同時にひどく、哀しそうな笑みでもあった。

心を抉られるような罪悪感が、胸を支配する。

なんだ、これは。

なんだ、あの顔は。

久しく感じることのなかった感情と、言葉にし難いレンの表情に胸がざわめく。

 

レンは間違いなくサッチを好きだと思う。

見ていればわかる。

いくら自身が伴侶を持たずとも、伊達に長年生きていない。

だから、喜ぶだろうと思った。

船に乗れば、レンはサッチと離れることはない。

出航はもうすぐだ。

戦えないならば別の仕事があるし、何も戦闘要員にするために乗せようと思ったわけではない。

 

「私は」

「…………」

「私には、この島しかないんです」

「――何?」

「きっと……、あなたのような方には、わからないと思います」

 

馬鹿にしているわけではないのだろう。

本心から、そう思っている声だった。

おれのような。

それは一体どう云う意味なのか。

 

「私はこの島で生きて、死ぬんです」

 

周りの喧騒や波の音が、やけに遠くに聞こえる。

 

「自由なあなた方とは、違うから」

「……自由になりゃぁいいじゃねぇか」

 

そう云えば、レンはふっと笑った。

ほらね。

言葉にはされなかったが、そう云われた気がした。

 

「それは――……」

「おーい、レンー、親父ー!」

 

何故、と訊こうとしたときだった。

慌ただしい音を立てる階段に目をやれば、どうやらマルコに言い渡された仕事を死ぬ気で片付けてきたらしいサッチが姿を表した。

ここのところサボりまくっていたようで、たまりにたまった書類の処理を命じられていたのでもうしばらくは終わるまいと踏んでいたのだが。

このタイミングで。

レンにこんな顔をさせているのがバレたらさすがにまずいか、と思ってレンを窺うと、すでに先ほどの表情は消え去っていた。

無邪気に、笑う。

 

「早かったですね」

「おうとも。怖ーいパイナップルが監視してたからな」

「パイナップル……」

「マルコだよ。って、親父?」

「……あん?」

「どうしたんだよ、変な顔して」

 

きょとんとしたサッチに、気のない返事をする。

サッチにこんなことを云われるとは、相当変な顔をしていたようだ。

ちらりとレンを見ると、サッチには隠れて小さく指を立てていた。

どうやらさっきの話は終わりらしい。

サッチに云うつもりもないようだ。

この様子では、あれだけご執心なくせに、サッチは一度もレンを誘っていないらしい。

 

「……ん? なんだよ、内緒話でもしてたのか?」

「えへへー」

 

レンが笑うと、サッチが拗ねたように口を尖らせた。

レンならともかくサッチのような中年がそんな仕草をしても気持ち悪いだけなのだが、ふたりは楽しそうに笑っている。

穏やかだった。

何も知らなければ、見ているだけで幸せになれるような、そんな光景。

しかし、知ってしまった。

この幸せが、続かないことを、知ってしまったから。

 

「…………」

 

終わりの見える、幸せは。

果たして、幸せなのだろうか。

 

息子の幸せを祈るのは、親として当然だ。

ましてやサッチが本気で好きになるような相手は、この先二度と現れないかもしれない。

軽そうに見えて実は硬派なサッチは、そこそこ遊んではいても本気になるような相手はこれまでいなかった。

本を移動させようとしたレンが躓いて盛大にすっころんだ。

サッチが呆れたように笑ってから手を差し出す。

少し躊躇してから、レンははにかんで手をとり立ち上がり礼を云う。

 

永遠など望んだことはなかった。

すべてのものは終わりがあるからこそ輝いてみえるのだ。

しかしこれは、あんまりだと、思う。

秒刻みに訪れるふたりの別れ。

それは誰でもない、おれが打つ終止符なのだ。

 

船に乗ることをやんわりと、しかしきっぱりと断ったレン。

レンを誘わないサッチ。

 

どうしてやることも出来ないおれは、ただの人間だった。

 

 

 

 

(平凡なだけの女ではなかった)

 

(思慮深く、そして)

 

(サッチを唯一幸せに出来る、たったりとりの女なのだ)

 

 

 

 

◇◆◇◆

 

 

 

 

運んできた本を干して、本棚の整理を終わらせるのに丸一週間かかった。

この際だからということで本屋自体の大掃除も兼ねたらしい。

あれだけの量の本を、最初はひとりで整理するつもりだったのだからまったく呆れたもんだと思う。

おれが手伝わなかったら、あと1ヶ月はかかっていただろう。

何せレンだ。

鈍臭くておっちょこちょいなレンがひとりでなんて、土台無理な話に決まっている。

 

「大分片付いたんじゃねぇ?」

「はいっ! ありがとうございました!」

 

ピカピカとはいかなくとも、ずいぶんきれいになった本屋を見渡す。

最初来たときは狭苦しく感じた店内は、実は意外と広かったことを知った。

店に置いておく本も厳選して、天井まで詰めていた本棚も少し空きを作ったら閉塞感は解消された。

 

「これで美人な店員さんがいれば完璧だったな」

「……すみませんね……」

「いや、別にレンが美人じゃねぇとか貧相だとかそんなことは」

「い、嫌み……! しかも増えてる……!」

 

否定出来ませんけども、としょんぼりしてしまったレンの頭をわしわしとかき混ぜる。

安心しろ。

世間一般の美人には欠片も当てはまらねぇが、おれにとっては誰より美人さんに見えてるんだぜ。

 

――なんて、云えたらよかった。

 

でも、云えるはずがないから。

その言葉を飲み込んで、別の言葉を吐き出す。

 

「じゃ、もうひと頑張りすっかぁ」

 

レンの頭から手を離し、むんずと掴んだのはペンキ用のハケだ。

カウンターにある椅子がだいぶ古くなってガタが来ていたので、新しいものを作ってやることにしたのだ。

椅子くらいなら簡単に出来るし、おれはレンに何かしてやりたかった。

ただ手伝うだけじゃなく、何か、形に残る何かを。

プレゼントなんてやるような間柄ではないし、第一何もないのにプレゼントなんて、きっとレンは受け取らないだろう。

だから。

 

「よろしくお願いしますっ!」

「うむ、サッチさんにドーンと任せなさい」

「……う、胡散臭い……」

「こんにゃろう」

「きゃーっ!? め、眼鏡が……!」

 

あとは色を付けてニスを塗るだけで完成だった。

胡散臭いなどと抜かしたレンの眼鏡に、ハケで攻撃を仕掛ける。

安心しろ、水性だ。

 

「そういう問題じゃないですよ! もぅー……」

「いいじゃねぇか、サングラス」

「視界ゼロですよ……」

 

子どもみたいなことしないでください、と頬を膨らませるレンを口笛を吹いてスルーし、ペタペタと椅子に色を塗る。

こんなくだらないやりとりが楽しいと思えるのだから、おれも相当お手軽だ。

いや、そもそも、何をするでなくとも、レンが一緒にいるだけで。

 

「……そういや、シスターたちは元気か?」

 

やめよう。

考えれば暗くなるだけだ。

切り替えをしようと軽く頭を振り、尋ねる。

教会には最初のころ一度だけ行っただけだったし、この話題なら怪しまれないだろう。

思った通り、レンは特に気にした様子もなく口を開いた。

 

「はい、相変わらずですよ」

「相変わらず美人か」

「……サッチさん……?」

「すまんすまん」

「……別にいいですけど。シスター、男性だし」

「えっ」

「子どもたちも元気いっぱいですよ」

「いや。えっ。何それスルーすっとこじゃなくね? シスター……男?」

「だから、男性なんです。似合うから問題ないですよねぇ。羨ましいなぁ」

「似合うとか似合わないとか……えー……? おれ、ここ一番の衝撃を受けたわー……」

「そのショックを与えるのが何より楽しいそうです。ついでに、多分シスターはサッチさんより年上ですよ」

「度重なる衝撃! しかも多分てなんだよ!?」

「私も正確には知らないんですけど……でも私の物心ついたときにはもう今と変わらない姿でしたからね……」

「……不老か?」

 

げんなりと云うと、私からは何とも、とレンは遠い目をして云った。

身内の罪は自身の罪だと思うんだが。

そんなことを笑いながら、ニスを塗り始める。

これが塗り終われば、あとは乾かすだけで完成だ。

たったそれだけの作業を、おれはものすごい時間を掛けて終わらせた。

丁寧にやったのもある。

しかし理由は、それだけじゃない。

わかっていたから。

 

これが、レンと一緒に過ごす最後の時間だと、わかっていたから。

 

くだらない話をした。

他愛のない話をした。

後悔がないかと問われれば、ないはずがない。

もっと、しなければならない話があったはずだった。

けれど、しなかった。

 

明日、おれたちはこの島を発つ。

 

 

 

 

(手を握ったのは、最初だけだった)

 

(怖くて抱き締めることも出来なかった)

 

(失うのがこんなに怖いとは思わなかった)

 

 

 

 

◇◆◇◆

 

 

 

 

晴れていた。

まるでおれたちの出航を待ちわびるかのような雲一つない夜明け前の空に、ただ、唇を噛み締めた。

あと数時間、日の出とともに、おれたちはこの島を発つ。

 

出航準備はほぼ終わり、あとは時間を待って錨を上げるだけだった。

今日出航することは、レンには伝えていない。

伝えたところでどうしようもないからだ。

断られるのが怖くて一緒に来るかとも訊けないし、見送りに来られても後ろ髪を引かれるだけだ。

どうしろというんだ。

何も云わずに消えるしかねぇじゃねぇか。

いつの間にか握り締めていた拳がふと痛んだ。

見ると、どうやら爪が食い込んでいたようで血が滲んでいた。

赤い血。

赤。

この色をみて思い出すのは、まずレンの顔だった。

 

一番最初、なんとも思っていなかったおれがレンの手を握ったとき、レンは面白いくらい顔を真っ赤にしたんだっけ。

面白がって恋人繋ぎなんてしてみたら、ますます赤くなって俯いて、あのときはそのまま顔から火を噴くんじゃないかと思った。

迷路のような路地に迷って、レンの働く本屋にたどり着いたのがそもそもの始まりだった。

それが、1ヶ月前のこと。

もう随分昔のことにも思えるし、ついさっきのことにも思える。

 

レン。

 

口にはせず、心の中で小さく呟く。

 

レン、レン。

 

別れの時はもうすぐそこだった。

日の出まで、一刻もない。

 

「サッチ」

 

振り返らなくともわかる。

マルコだ。

なんだよ、と不機嫌に返せば、ため息が聞こえた。

イライラする。

ただでさえブルーなところに、なんなんだこのクソパイナップルは。

振り返って睨みつけようとして、ぽかんとした。

 

「……なんで全員集合」

 

背後には、おれ以外の全隊長が勢揃いしていた。

なんだこれ。

え、ひょっとしておれ今からボコられる感じ?

いくらおれでも、隊長全員から攻撃されたら生きてる自信ないんですけど。

 

「親父から伝言」

「……あ? 親父?」

 

代表はやはりマルコらしい。

腕組みをして、いつも通り偉そうだった。

ややイラッとするが、親父からの伝言と云われては聞くしかないだろう。

首を傾げながら顎をしゃくって先を促すと、何故かジョズが進み出てきた。

 

なんだ。

え、何これ。

なんでおれ、むんずと襟首つかまれたの。

 

「ちょ、おま、ジョズ?」

「『けじめくらいつけてこい』、だとよい」

「……は……」

 

何が、とは云えなかった。

口を開こうとする前に、ジョズに思いっきり放り投げられていたからだ。

べしゃり、と惨めに落ちたのは陸だ。

あたりどころが悪くて死んだらどうしてくれる。

と思ったが、悪態をつく気力はなかった。

 

地面。

陸。

 

この島には、レンがいる。

この島にしか、レンはいない。

 

戻った船の上に、レンはいないのだ。

 

そう思ったら、駆けだしていた。

行かなければならない。

 

レンのところへ。

 

恨み言も泣き言も、全部帰ってきてからだ。

 

 

 

 

◇◆◇◆

 

 

 

 

息が荒い。

肩で息をするなんて、と思いつつ、これは単に疲れているわけではないから仕方ないのだ。

緊張。

強敵と対峙したときだって、きっとこんなに緊張しない。

 

目の前にはドアがある。

この1ヶ月、通ったドア。

レンの働く本屋。

レンの部屋はこの店の裏手にあり、通りからはこのドアを通るしかないのだが、考えてみればまだ夜明け前だ。

当然ながら、店は閉まっている。

簡易ながら鍵もあるので、かけてあるだろう。

 

くそ。

せっかく来たのに、こんなのありかよ。

思わず拳をドアに叩きつけると、キャッ、と中から声がした。

聞き間違いだろうか。

いや、そんなはずはない。

おれがレンの声を聞き間違えるはずがない。

 

いるのだろうか。

まさか、こんな時間に。

はやる気持ちを抑えてノックをすると、中でパタパタと走る音が聞こえた。

間違いない。

レンがいる。

そして数秒後、かちゃり、と鍵がはずれる音。

キィ、とドアが開いた。

 

「……サッチさん」

「レン」

 

レンだ。

いつもの格好にストールを羽織ったレンが、立っていた。

驚きに目を見開いている。

 

「ど、どうしたんです? こんな時間に……」

「お前こそなんで……」

「わ、私は……その」

 

ちょっと眠れなくて、と笑う。

普段だったらそれでもベッドに入ってろ、とでも云うところだが、今日はありがたかった。

よかった。

今だけ神様とやらに感謝しよう。

 

「あ、お、お茶! お茶いれますね、寒いでしょ……」

「レン」

 

中に招き入れようとするレンを遮って名前を呼ぶ。

すると、レンは小さく息をのんで、一度おれの目を見てから、逸らした。

 

ああ、と気付く。

きっとレンも、感じていたのだろう。

 

確実に訪れる別れを。

そして、悟ったに違いない。

 

これが、最後だと。

 

「……レン、おれは」

「……はい」

 

云わなければ。

なのに、怖い。

怖くて云えない。

 

「おれは……」

 

目を閉じる。

脳裏を、1ヶ月の出来事が過ぎ去る。

楽しかった。

幸せだった。

これまでの人生のなかで、もっとも輝かしい時間だったと胸を張って云える。

 

惜しむらくは、この幸せを続けられない自分の選択。

しかしそれ自体を後悔しているわけではない。

この選択は最善だ。

ただ、最良でないだけで。

息を吸う。

ゆっくり吐き出して、意を決する。

 

おれはここに、そのために来たのだから。

 

「……おれは、今日発つ」

「…………」

「……別れを云いに来たんだ」

「……はい」

 

口にしてみれば、やけにあっさりとしていた。

一体何を躊躇していたのかと思うほど、簡単だった。

レンは俯いたままだった。

長い前髪が眼鏡にかかり、奥の目を隠した。

掻き上げたくなる衝動をなんとか堪え、代わりに拳を握り締める。

これで、終わり。

終わりなのだ。

島から出ないと決めたレンと、海の上にしか生きる場所のないおれがともに歩む道はない。

星の数ほどいる人間の中で、出逢えただけでも奇跡なのだ。

これ以上など。

 

――望むなんて、それは傲慢だ。

 

わかっている。

わかっているから。

せめて、最後くらいは。

 

「……サッチさん」

「……ん?」

 

レンがゆっくりと顔を上げる。

もしかしたら泣いているかもしれないと思ったが、違っていた。

レンは、笑っていた。

満面の笑みではない。

自惚れてもいいなら、泣きそうな、けれどそれを懸命に堪えている笑顔だった。

ズキン。

痛んだのは握り締めた拳ではなく、この胸だ。

 

「……この1ヶ月、すごく楽しかったです」

「……おれもだよ」

「……本当に、楽しかった……」

「……レン……」

 

いっそ、泣いてくれたらよかった。

そうしたら、なりふり構わず抱き締めて、泣くなと慰められたのに。

けれどレンは泣かなかった。

泣きそうな顔で、泣かなかった。

 

「……ありがとうございました」

「……おれも」

 

「……いつ出航ですか?」

「……日の出と同時の予定だ」

 

「じゃあ……もうすぐですね」

「ああ……」

 

「…………」

「…………」

 

沈黙。

そして。

 

「……太陽が」

「……ああ」

 

別れのときだった。

予定の変更はありえない。

もしおれがこのまま戻らなくとも、船は予定通り出航するはずだ。

しかしおれは、戻るのだ。

おれの居場所は、あの船の上だから。

これ以上は、ここにはいられない。

 

「レン」

「サッチさん」

 

名前を呼んだのは、同時だった。

一瞬きょとんとしてから、また同時に噴き出した。

ああ、大丈夫。

おれもレンも、笑えるから。

大丈夫だ。

大丈夫。

 

手を差し出した。

その手にレンが触れる。

暖かかった。

きっとおれはこの先ずっと、この温もりを忘れないだろう。

レンの手は、とても優しい手だった。

 

「さよなら」

「元気で」

 

漸く口にした別れの言葉。

ゆっくりと離れた手に、冷たい風が痛かった。

ドアに背を向け、船に向かう。

 

一度も振り返らなかった。

ドアの閉まる音がした。

その瞬間、おれは走った。

 

涙を流した最後の記憶は、随分前のことだったが、今記憶は更新された。

船に戻る前には止まることを祈って、おれは声を上げて泣いた。

レン、レン。

おれは、お前を一生忘れないと誓う。

 

――お前を、愛してる。

 

 

 

 

◇◆◇◆

 

 

 

 

別れなんて今までうんざりするほど経験してきたのに、どうして今、こんなにも胸が痛いのだろう。

サッチさん。

不思議な人。

こんな辺鄙な本屋に、迷ってたどり着いたのが出会いだった。

ときどきすごく失礼だけど、私のことを真っ直ぐにみてくれる優しい人だった。

 

楽しかった。

幸せだった。

 

けれどもう、お別れ。

はっきりとは云っていなかったけれど、ログのために立ち寄っただけだと前に話していたし、そろそろ出港だと港でもちらっと聞いていた。

もう、終わり。

もう、終わる。

 

その日、私は眠れなくて、起き出してお店でぼんやりしていたらドアが殴られた。

びっくりして悲鳴を上げると、少しして控えめなノックが聞こえた。

こんな時間に、一体誰が。

疑問に思ったけれど、とある予感がしていた。

きっと、サッチさんだ。

そして予想は外れなかった。

肩で息をしたサッチさんが、そこにいた。

 

会いたくないはずはないのに、胸がざわついた。

そして告げられたのは、案の定別れ。

泣きたかった。

けれどそれを堪えたのは、サッチさんを困らせるのがわかっていたから。

サッチさんは優しいから、私なんかでも泣いたらすごく困ってしまうだろう。

 

だから、感謝の言葉だけを、絞り出した。

本心は告げないと決めていた。

私はこの島にしか居場所がないから。

自由に生きるサッチさんの、傍など望めるはずもない。

 

さよなら。

ちゃんと、云えた。

握手まで出来た。

 

ごつごつして大きくて、優しいサッチさんの手。

私は生涯、この暖かさを忘れない。

 

離れた手に冷たい風が吹き付け、凍えるように寒かった。

踵を返したサッチさんが、振り返ることはなかった。

 

ドアを閉めた瞬間、堪えていた涙が溢れ出した。

唇を噛み締め嗚咽を堪えながら、遠ざかる足音に耳を澄ます。

無音になったのを確かめ、私は声を上げて泣いた。

サッチさん、サッチさん。

私は、あなたを一生忘れないと誓います。

 

――あなたを、愛しています。

 

 

 

 

◇◆◇◆

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

声が聞こえた。

五感を失ったはずなのに、確かに聞いたのだ。

真っ赤な血溜まりに沈んだおれの身体は、もう二度と動かない。

それでも耳に届いた声を、きっと人は奇跡と呼ぶのだと思う。

 

――サッチさん。

 

出逢ったのは随分前のことだった。

偶然立ち寄った島で迷子になり、さ迷ったすえにたどり着いた本屋の店員。

第一印象は、もっさりして冴えない女というのが正直なところだった。

長い黒髪はぱっと見鬱陶しくて、前髪の下には野暮ったい分厚いレンズの黒縁眼鏡。化粧はしていないようで、お世辞にもお洒落とは云えない服装。

一言で云えば、地味。

レン。

薄れゆく意識の底で、名前を呼ぶ。

記憶の中のレンが、またおれを呼んだ。

心地よい声だった。

 

「サッチさん」

 

ああ、そうだ。

おれは死ぬ。

死んじまう。

これはきっと走馬灯だ。

しかし、それでもかまわない。

 

死ぬ間際に届いた愛しい声に、おれは漸く満足して意識を手放した。

 

 

 

 

 

 

 

 

世界の終りに

君の声

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。