西暦二〇四八年。人間の脳を対象としたサイボーグ技術は、人体の機械化に反対する勢力によって開発が遅れ、動物実験ばかりが繰り返された。これにより、非ノイマン型コンピューターにアウトソーシングされた外付けの大脳で知性を与えられた動物『ビースト』が誕生し、様々な用途に使役されていた。
機動隊に属するビーストウルフドッグのシルヴィは、ある任務で捕縛対象のビーストニシゴリラと戦闘になるが、返り討ちに遭い誘拐されてしまう。コンボイと名乗る彼の目的は、ビーストの解放を謳う謎の組織『桃太郎財団』への勧誘。そしてその誘いこそ、シルヴィと彼女達ビーストが溢れるこの国の運命を決定的に変える引き金であった……。

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大学の文芸部で発表した作品を僅かに手直しして掲載しました。本作には幾らかのオマージュやパロディが存在しますが、あくまで二次創作でなくオリジナル作品としての扱いです。


鋼鉄の桃

 シルヴィは内心困惑していた。

 

「お前は何の為にここにいる?」

 

 匂いを嗅ぎつけ、標的を発見した旨を本隊に報せた後も、眼前の標的はまるで動じない。自分よりもずっと発達した顔面筋は微妙な角度を付けて眉と目尻を動かし、捕まるのを待っているかのような余裕の表情を醸し出している。そればかりか、彼は自身に組み込まれた対話インターフェイスで、こちらに問いかけすらしてきたのだ。

 

「……お前を殺す為だ」

 

 シルヴィは対話インターフェイスで、やや文節を強調して答えた。正確には、彼を殺すのが彼女である必要はなく、“殺す”というのも直接的な意味合いではない。シルヴィか、或いはあと数分で到着するであろう本隊が彼を捕獲、拘束し、彼が背負うブリーフケース様の拡張大脳(エクスブレイン)と彼との接続を切ってしまえば、彼の自己認識は消滅し、知的生命体としての死を迎えることになる。四肢をコンクリートの大地に踏ん張ったシルヴィの言葉は、そういった意味での威圧であった。

 

「ご立派な‘知性’だな。命令に疑問も抱かないのか?」

「何を思おうと私に命令を拒む権利はない。逆らえば私の意識は消去される。不本意だが、選択の余地はない」

 

 わかりきったことを聞く。シルヴィは胸中でそう悪態を吐いた。対話インターフェイスの口調は心なしか早口になり、思わず牙を剥き出した口からも、グルル、と唸りが漏れる。

 知性を得たところで、生殺与奪をヒトに握られている限り、自分達はヒトに使役され続ける定め――知性の根源がエクスブレインユニットという外付けのものに依存しているのなら尚更だ。あの全生物種一器用な手で自分の脳髄を握り潰される様を何度夢に見たか知れない。今ここに在る自分が自分でなくなってしまうこと、自分を認識できなくなることへの恐怖が、ヒトがそれ以外の生き物を使役する為に用いる‘道具’の一つに加わったのは、それ程新しいことではないと、シルヴィは理解している。

 だというのに。

 

「逆らう為に知性を使えよ、狼犬」

 

 彼は右手の人差し指を立て、自分の頭を数度軽く叩いて言った。見え透いた挑発だとはわかっていても、シルヴィのはらわたは煮えくり返る。エクスブレインユニットにより付加され、発揮される知能のレベルはヒトと同程度、つまり互いの知性は同レベル。それを使いこなせていないと嘲ると同時に、彼は互いの生物としてのスペックの違いを引き合いに出して、こちらを侮辱したのだ。具体的には、元々の知能。

 

「ならばお前が手本を見せてみろ、類人猿!」

 

 怒りのままに、シルヴィは彼の灰色の手が次の動作を起こすより速く、鋭く疾駆し、その顎門(あぎと)を宙に閃かせた。

 

 

***

 

 

 サイボーグ。『サイバネティックオーガニズム(Cybernetic Organism)』の略称であるこの単語は、広義には自動制御系の技術(Cybernetic)生命体(Organ)を融合させたものを指し、一般にはヒトやその他の動物が身体機能の補助や強化を行った場合を言うことが多い。

 ペースメーカーや人工心臓、筋電義手、人工内耳などはサイボーグに分類できるものであるが、二〇三〇年代はそれらの技術が大躍進を果たした時代でもあった。各人それぞれの遺伝子に由来する細胞を使ったオーダーメイドが必要なiPS細胞に対し、サイボーグの部品はメンテナンスこそ必要だが、規格化によってある程度の使い回しが利き、劣化したり型落ちしたものを回収してリサイクルできるなど経済性も高い。勿論、消化器や肝臓、腎臓などといった、機械への置き換えが困難な部位は未だiPS細胞での再生医療が幅を利かせているものの、今や機能拡張の為に健常者ですらサイボーグ化手術を受ける者がいる程だ。

 その一方で、かつててんかんの治療にも用いられた、人間の脳への機械の組み込み――‘頭脳の機械化’の研究は遅々として進まなかった。現在に於いても脳自体その全貌を解明するに至っておらず、前述した脳深部刺激療法を始めとするチップの埋め込みが脳に与える影響が未知数なのもあるが、人体の機械化そのものを忌避する勢力はサイボーグ技術の黎明期から一定数おり、とりわけ‘人間の脳を侵す’ことには強い嫌悪を示し抵抗していた。それらの存在が科学者達の‘自由な研究’を妨げ、結果として脳というものは今も未知の領域であり続けている。

 ヒトを対象とした研究ができないなら、他の動物で代替するのは自然な流れだった。脳の機械化、サイボーグ化は、マウスの脳にマイクロチップを埋め込んだ最初の一例を皮切りとして繰り返され、やがてその研究から別の幾つかの研究が派生していくことになる。その中でも特に目覚ましい発展を遂げたのが、‘動物の知能を向上させる’というものであった。

 盲導犬は視覚障害者の目になる役割を果たすが、信号機の色、及びその意味を理解することはできない。チンパンジーは道具を使うなど高い知能を持ちながら、人間の意図を読み取る能力はイエイヌよりも劣っている。しかし、これらの動物の脳の機能を拡張することができれば、その判断能力を劇的に向上させ、人間同様の思考能力を与えることが可能となり、より柔軟に状況に対応できるようになるのだ。

 当時盛んに研究が進められていた、非ノイマン型コンピューターの一つである光ニューロAIとの融合によって、拡張大脳――エクスブレインの開発は急速に進行した。成長・老化する肉体、小さすぎる頭蓋に埋め込む負担を省く為、脳そのものには限定的な演算機能だけを持った超小型コンピューターのみを搭載し、ネットワークを通じ変換機構(コンバーター)で中継・接続されたエクスブレインユニットに記憶演算処理をアウトソーシングする形で脳機能拡張が実現され、AIの学習にはそれらと連動した対話インターフェイスを使用する。かくして――思考形態は人間と異なるが――自己認識と知性を併せ持つメカニカルな存在、『バイオセンティエント(Bio-Sentient)』通称『ビースト(BI-ST)』が誕生したのだった。

 西暦二〇四八年現在、日本国内には人口とほぼ同数のビーストが存在し、様々な用途に使役されている。

 

 

***

 

 

 シルヴィは目を覚ました時、自分が小さな部屋の隅に置かれた、暗くて狭いケージの中に押し込められていることに気付いた。顎は窮屈な口輪を付けられて殆ど開くことができない。

 

「……」

 

 ひとまず、状況を整理することにした。

 シルヴィは、第四機動隊対知性動物班、通称『アンチビースト』に配属されているメスのビーストウルフドッグ。ウルフドッグとは、犬ぞりレースに使用する為に、その名の通りハスキー犬とアラスカのオオカミを掛け合わせた品種である。従順なイヌにオオカミの強靭性と忍耐強さを取り入れるのが狙いだったが、期待されただけの持久力も運動能力も得られず、オオカミの血の影響で人に懐きにくい性格故普及もしていない。彼女も就役当時は色眼鏡で見られ、同期の大型犬ビーストより期待されていなかったが、四年経った今では関東最高の暴動鎮圧犬(ライオットハウンド)と持て囃されている。

 今回彼女に与えられた任務は、埼玉県秩父市にある鬼ヶ島知性動物研究所から脱走したオスのビーストニシゴリラ、コンボイの捕獲。コンボイを追い詰め、僅かな問答の後彼に攻撃しようとしたところまでは記憶しているのだが――

 

「お目覚めかい、お嬢さん?」

 

 不意に、格子の向こう側から声が掛かる。伏せていたシルヴィはぴくりと耳を動かし、声の方角へと首をもたげた。最悪のタイミング――そこには二リットル入りのペットボトルを傾けてサイダーをがぶ飲みしながら、部屋の中に入ってくるコンボイの姿があった。ゲェー、と一発満足げなげっぷを吐き出し、部屋の中央に胡坐をかいて座る。

 

「おっと、できないとは思うが下手な抵抗はするなよ? でなきゃIとハイフンがEとAに入れ替わっちまう」

 

 目を疑うよりなかった。コンボイが小脇に抱えていた銀白色のブリーフケース大の物体をケージの前に突き出せば、側面に刻印されていた型番がシルヴィの目に飛び込んでくる。『KBdng101』――間違いなく、それはシルヴィの拡張大脳だった。

 

「……何故それがここにある」

「奴さんのとこから貰ってきたのさ」

「機動隊本部を襲撃したのか」

「こう見えて潜入は得意なんだよ」

 

 シルヴィのものを含め、アンチビーストのエクスブレインユニットは全て機動隊本部のサーバールームに安置されている。それを場所も判然としないこの場に持ってきているその手段が、合法的なものでないことは確かだった。途端に、コンボイの持つペットボトルが、シルヴィには何よりも恐ろしい凶器に見えてくる――水に弱いというコンピューターの弱みは、黎明期から変わっていない。

 シルヴィはコンボイを睨み付けていたが、再び伏せて視線を遣るに留めた。目的が何であれ、相手を刺激すれば状況は更に深刻化し、生存・帰還の蓋然性は低下する。

 

「……何が望みだ」

 

 取り敢えず、この場では恭順の姿勢を見せておくのが得策だろう。シルヴィはそう判断したのだが、対するコンボイは心外だとばかりに肩を竦めてみせた。

 

「おいおい何だよ、折角連れてきてやったってのに」

「折角だと……?」

「とぼけなくたっていいぜ、ここならヒトには聞かれちゃいない。お前にもある筈だ。今の自分の在り方への疑問やら不満が」

「……!」

 

 図星だった。

 機動隊の仕事、とりわけそれにより得られる‘報酬’に、原始的な喜びを感じてはいた。だが機械の脳が生み出す理性が、ヒトに使われ続ける現状に「このままでいいのか」という声を投げかけているのは、今に始まったことではない。加えて、機動隊の人間にどこか差別的な視線を向けられていることも、シルヴィの自覚するところだった。

 言われてみれば、ではないが――腹立たしい。

 

「――その様子なら、外に出ても大丈夫そうだな」

「私を解放するのか?」

「それはお前の選択次第だ。俺と来るか、そこでじっとお迎えを待つか」

 

 コンボイがケージの電子ロックを解除する。格子がスライドし、シルヴィの前に道が開けた。彼の右手のサイダーのキャップは開いたままだった。

 とんだ二択もあったものだ。シルヴィは心中で吐き捨てたその言葉が、自分の対話インターフェイスから発声されないことがむしろ不思議な位だった。コンボイには始めから、ここで助けを待たせる気など更々ないのだろう。わざわざ攫ったのにケージから出ないなら、荷物でしかない大型犬を生かしておく理由が果たしてあるだろうか。自我を消去し、次いで存在をもこの世から抹消するに違いない。“お迎え”とはそういう意図だ。

 しかしシルヴィは、実質それだけが残された選択肢、即ちコンボイについていくことに、決して反抗的な意味でない活路を見出していた。機動隊の一員であったこれまでの自分とは違う何かを得られる可能性を、彼女は感じ取ったのだ。

 腹を括る。

 

「……説明を要求する」

「やっとその気になったな。まあいい、奥でボスが話すさ。ついてきな」

 

 シルヴィはやおら起き上がると、踵を返して部屋の外へと出ていくコンボイを追った。

 

 

 

 打ちっぱなしのコンクリートの廊下を進んでいく途中、シルヴィは何匹かのビーストとすれ違った。彼らはシルヴィに好奇の目を向けることはあっても、コンボイに会釈をすることはなく、コンボイも同様だった為、シルヴィはコンボイがここでそれ程高い地位に就いている訳ではないとわかった。イヌとしての、縦社会に生きていた者としての感覚は、シルヴィに生来的に備わり、染み付いたものである。

 

「……言っておくが、俺からコネクションなんか作れないからな」

 

 シルヴィの狙いを察してか、コンボイは彼女に釘を刺す。いよいよコンボイに従うしかなくなってきた。

 突き当たりを左に曲がり、階段を下りた先に、黒い扉が現れる。ドアノブは丸く、コンボイのようなサルにしか開けられそうにない。コンボイがそれを捻り、押し開けて中に入った。ぎいぃ、という耳障りな音が扉の前の空間に木霊する――油切れしているらしい、重い扉であった。

 

「そこ座んな」

 

 部屋の中は、プロジェクターの置かれたローテーブルと、コンボイが二匹は座れそうなソファーがあり、プロジェクターの向く先に巨大なスクリーンが垂れ下がっているだけで、通ってきた廊下と同じ位には殺風景だった。プロジェクターを操作するコンボイに座るよう促され、シルヴィはソファーとローテーブルの間に腰を下ろしたが、

 

「……いや、違うな」

「何が?」

「何でもない」

 

 思い直して、ソファーの上に飛び乗った。ヒトに従っていた時の慣習を守る必要は、恐らくもうない。

 操作を終えたコンボイは、プロジェクターの上に小さなカメラのようなデバイスを置き、どかりとソファーにその図体を沈めた。ぱっとスクリーンが明るくなると同時に、誰に向けてか声を上げる。

 

「連れてきたぞ、ボス! 応答してくれ」

 

 二、三拍間があって、プロジェクターが薄暗い部屋の中央に置かれた座椅子を映し出す。その様子を見て、シルヴィはこれがテレビ電話の一種だと理解できた。座椅子の上には、一匹のメインクーンが堂々とした佇まいで横たわっていた。

 

「――あら、意外と早かったわね。その子、もっと強情だと思っていたのだけど」

 

 厭に耳に絡み付く、ねっとりとした声質と口調。目前のビーストメインクーン(正確には彼女に組み込まれた対話インターフェイス)がそれを発していることに、シルヴィは半ば寒気立った。この雌猫の音声合成ソフトを作った者も、そしてこのような口調になるよう彼女を‘教育’した者も、相当な変人だったのだろうと、シルヴィは考えた。

 

「俺も楽でよかったよ。できれば手荒なことは避けたいからな」

「痛がり屋だものね、お猿さんは」

「うるせえやい。全くどんな教育受けたんだか……」

 

 教育――予め‘命令’が与えられている通常のトップダウン型人工知能とは異なり、光ニューロAIに代表されるボトムアップ型人工知能は、ソフトウェアとハードウェアが不可分で、その思考・行動パターンは個々に学習した内容に大きく依存している。加えてその記憶方式も〇と一の連続で全てを記録しているのではなく、人間の脳と同じく高度な抽象化が行われ、各ニューロンの接続強度の変化から、対象事物を前にした時のニューロンの反応により記憶として形成されるものとなっている。話し方にまで大きく影響を与える程人工の神経回路に深く記憶された彼女の学習内容とは、一体何なのだろうか。

 

「さて、自己紹介するわシルヴィちゃん。私はオーレリア。この『桃太郎財団』の、まあトップと言えばいいかしらね。ごきげんよう」

 

 リラックスした姿勢を崩さず、オーレリアと名乗ったメインクーンはシルヴィに挨拶する。礼を欠いたその態度に苛立ちもしたが、シルヴィは今はそれを無視することにした。コンボイは黙っていたが、まだ彼女のエクスブレインユニットを手放していなかった。

 

「単刀直入に問う。ここは、その『桃太郎財団』とやらの拠点なのか? 何を目的としている組織なのか、私に何を求めるのかも知りたい」

 

 「そうねぇ……」オーレリアは顔を一度明後日の方角に向け、言葉を選ぶようなそぶりを見せてから、シルヴィに告げた。「まず一つ。訳あって直接は会えないけど、実は私、その部屋のすぐ隣にいるの。隠れ蓑にしている地上の支部は幾つかあるけど、安全な地下施設はここ八潮市本部にしかないから」

 八潮市。埼玉県南東部にある人口約八万九千人の市である。古くから農業用水として使われていた水路が遍在し、産業に於いてはさいたま市、川口市などに次ぐ埼玉県東部有数の工業地域だ。しかしそれ以外に目立った特徴は少なく、アジトを作ったとして地理的なメリットがあるとは考えにくい。そんなシルヴィの思考をよそに、オーレリアは説明を続けた。

 

「場所はともかく、私達はここで全てのビーストの権利の為に活動しているの。貴女みたいな子の為にね」

「どういうことだ?」

「そのままの意味よ。桃太郎財団はビーストの、ビーストによる、ビーストの為の組織。ヒトはビーストを創り出しておきながら、その知性を『自分達の指示を待たずに行動させる為のツール』としか捉えていない。知的生命体という意味での‘人間性’は否定され、蔑ろにされているのがビーストの現状。私達はビーストの力を誇示し独立を宣言、これを打破するのを最終目的としているわ」

 

 何の冗談だ。一度はそう思ったシルヴィだったが、隣でふんぞり返るコンボイと眼前のオーレリア、双方の眼を見て大真面目だと悟った。そして、ここに連れて来られるまで叶う筈もないと諦めていた‘自由’を、今の自分が求めていることも自覚した。自分がこの組織――桃太郎財団に見出した‘活路’が、まさに自らの望みを実現し得る光明だという結論に至るまで、時間は必要なかった。

 

「――それで、確認するけれど……シルヴィちゃん、貴女は財団に協力してくれるということでいいのね?」

「ああ、異存はない」

「ありがとう。ようこそ財団へ、歓迎するわ」

 

 最早機動隊に戻ることもない。シルヴィが肯定すれば、オーレリアはさも嬉しそうに眼を細め、ゴロゴロと喉を鳴らした。

 ご満悦のオーレリアは首を上向け、「ニャオウ」と一声鳴く。やや遅れて、トコトコという微かな足音がスピーカーから発せられた。

 

「今貴女の情報を登録させているわ。これで貴女も財団職員よ。早速だけど、貴女に頼みたいことがあるの」

 

 機動隊の一員としての地位を捨て、桃太郎財団の一職員として新たなスタートを切る。この状況に対して、シルヴィは暴動鎮圧犬になったばかりの時よりも落ち着いていたと同時に、不可思議な高揚感をも覚えていた。自由は欲しいが、目的を果たす為なら――イヌとしての心理だろうか――組織に属していた方が心強い。

 シルヴィは尖った耳をぴんと立て、オーレリアの指示を待った。

 

 

***

 

 

 ナトリウムランプの灯りに照らされ、常磐自動車道を北上するサイドカーの側車の中、シルヴィはコンボイに尋ねた。

 

「何故『桃太郎』財団なんだ?」

「あ?」

 

 運転するコンボイは、ライダースーツとヘルメットを身に纏い、一見しただけでは体格のいいヒトにしか見えない。蒸着により鏡面化されたバイザーが顔の大部分を覆い、表情は窺い知れないが、この妙に‘人間臭い’ゴリラはきっと間の抜けた顔をしているのだろう。

 

「桃太郎はヒトが作った伝承だ。それをビーストの為の組織の名称に使う必然性は何だ?」

「そんなこと言ったら、俺らが乗ってるバイクも喋ってる言葉もヒトが作ったもんだろ」

「……」

「名前の由来は俺もよくわからん。桃太郎の鬼退治に何か掛けてるのか……とか考えてみたが、ボスのセンスは理解できないね」

 

 コンボイの曖昧な答に、シルヴィはそれ以上何も言うことはなかった。

 オーレリアから言い渡された最初の指令は、あるビーストの救助、もとい誘拐だった。茨城県坂東市に位置する菅刈研究所にはビーストを含む多数の鳥類が収容されており、そこにいるワタリガラスのリドリーは、知性動物(日本国憲法上でのビーストの名称)を対象とした新たな能力・人材開発を目的に、雛鳥の段階からエンジニアとしての‘英才教育’を受けさせられているという。幽閉された彼を解放し、彼とそのエクスブレインユニットと共に八潮市本部に帰還すれば任務完了だ。オーレリアによれば、リドリーにはその能力を活かしエクスブレインユニットの管理を任せる予定らしい。

 

「……この手の任務の経験はあるのか?」

「お前がここにいることが何よりの証拠だろ、シルヴィ」

 

 シルヴィには、コンボイと共に行うこの任務を無事に完遂できるか気がかりだった。彼の言う通り、シルヴィという大型犬ビーストを誘拐し、機動隊本部のサーバールームからエクスブレインユニットを奪取することに成功しているならば、それなりの心得はあると認識していいのだろう。事実、彼が鬼ヶ島知性動物研究所から脱走したのが一ヶ月前で、それからシルヴィが財団に入るまでに三件、何者かに手引きされたらしき脱走事件が起こっている。しかし自分との共同作戦となれば話は違う。機動隊の暴動鎮圧犬だった自分と、恐らく我流で潜入のいろはを学んだ彼とでは、作戦中の行動方針が異なる可能性が高い。

 

「不安か?」

「懸念がないと言えば嘘になる」

「ハハハ、まあ無理もない」

 

 コンボイはただ笑うばかりだ。突き出た腹を細かく前後に振動させて、ぐこぐこという――対話インターフェイスからのものではない――声も出している。エクスブレインユニットなしに笑う能力のある動物は、現在の研究では類人猿とラットだけが知られている。

 こんな浅薄な輩に自分は負けたのか。そう思うと、シルヴィは情けなくなった。

 

「高速降りるぞ」

 

 サイドカーは谷和原ICの料金所を通過し、国道294号線を北上する向きに高架を降りていった。これから県道4号線を西進し、つくばみらい市から常総市を経て坂東市に向かうのだ。

 

 

***

 

 

 本部から一時間足らずで辿り着いた研究所は、林に覆われた緩い坂の上にあった。研究所の入り口に停車させる為、サイドカーに乗ったシルヴィとコンボイは並んで坂を上っていく。研究所の正面には小さなモモの木が植えられ、幾つか花を咲かせていた。

 「そういえば、」唐突に、コンボイが口を開いた。「今思い出したんだが……聖書だか何だかで出てくる知恵の実がリンゴだっていうあれ、俺は違うと思うんだ」

 全く無駄口の多い猿だ。シルヴィは早くも自分とコンボイとの違いにうんざりし始めた。先程運転席のメーターで確認した現在時刻は午後十一時。順調に行けば二時間とかからないミッションに、余計な時間を使うのは無意味だ。

 

「……何だと思う?」

 

 話を手早く終わらせようと、シルヴィは短く、語気を強めて言った。

 

「モモさ。脳はリンゴ程の硬さなんてない。モモ並みにデリケートだ。機械の脳にしたって同じだよ」

 

 意外にも、コンボイはそれきり口を噤んだ。

 門は硬く閉ざされていたが、せいぜい一メートルもないそれを飛び越えることなど二匹には訳もない。ところどころにツタが這う建物の正面から、野外に設置された大型ケージ――エミューが二羽入れられていたが、ビーストではないらしい――の脇を通って裏手に回る。

 

「ここか」

 

 目的としていたのは、高さと幅がそれぞれ四十センチ弱の排気ダクト。

 この菅刈研究所は、研究員が詰める東棟とビーストが収容される西棟に分かれており、三階建てのそれぞれの建物は二階の渡り廊下で繋がっている。ビーストの脱走を防ぐ為、西棟は渡り廊下以外の出入り口が設けられておらず、扉の開閉にも東棟の管制室から手動で電子ロックを解除する必要がある。この情報は数ヶ月前、ある子供向けのテレビ番組で公開されていた。

 本格的な作戦の開始前に、シルヴィは自身の対話インターフェイスの無線通信モードを起動する。

 

「無線のテストを行う……聞こえるか?」

 

 特定の職務に就いているビーストの対話インターフェイスには、それぞれの職種に適した規格の通信装置が搭載されている。ビーストは大脳に埋め込まれたコンピューターから信号を送ることでその機能を切り替えることが可能で、シルヴィには部隊間の相互連絡用の無線通信装置と、機動隊本部施設内でのセキュリティ区画通過用の生体通信(かつては人体通信と呼称されていたもの)及び行動記録装置が組み込まれていた。

 

『感度良好。問題なしだ』

 

 無線に応答したコンボイの対話インターフェイスには、通信装置は積まれていない。彼は作戦前に用意していた前時代的な無線機を使って話している。シルヴィが受信した声は聴神経を直接刺激する電気信号となるので、他人には聞こえない。

 

「それじゃあ、こっちは頼むぜ」

「言われるまでもない」

 

 成功を確実なものとする為、作戦は二手に分かれて行われる。ダクトの中に入り込めるシルヴィがダクトから西棟内部に侵入し、リドリーの居場所を突き止めた後、財団が用意した電子キーで東棟の窓から侵入したコンボイが管制室を操作、電子ロックを解除してシルヴィとリドリー両名を脱出させる、という段取りだ。

 コンボイがカバーを外し、東棟の裏に向かうのを見届けてから、シルヴィは身を屈めてダクトに潜り込んだ。自分が胴長短足なダックスフンドなら、こういった場所も楽に潜り抜けられるのだろうか――そんな思考が過ったが、ないものねだりをしても仕方がないと、シルヴィはすぐにその考えを哂った。

 

 

 

 ダクトの中には防火・防煙用のダンパはなく、シルヴィは何の障害もなしに狭い管の中を突き進むことができた。

 

「……こちらか」

 

 また、シルヴィには一つ強みがあった。過去の事件で、リドリーとは別のワタリガラスと対面する機会があった彼女は、その時嗅いだ臭いを覚えていた。ヒトなら視覚で(つまりダクトから覗き見て)一部屋ずつ確認しなければならないところを、シルヴィはヒトの百万倍から一億倍にもなる鋭敏な嗅覚で以って、ダクト内にいながらにしてターゲットを捕捉できるのだ。

 外観では建物の明かりは全て消えていた筈だが、臭いを辿っていった先からは光が漏れている。ダクトカバーの向こうに見えた景色は、白い壁に囲まれた四畳半程の空間。天井は高く作られていて、ダクトカバーの隙間から見える正面の壁はガラス張りになっている。デスクトップ型パソコンが置かれた小さな机と、部屋を斜めに横切って架けられた物干し竿が、寒色の照明で照らされていた。照明や空調、各部屋のロックも東棟から一括管理されているので、恐らくコンボイは無事に管制室に到着できたのだろう。

 シルヴィがふと視線を上げれば、大きな一羽のカラス――リドリーが、物干し竿の上を横歩きに移動していくところだった。顔面筋が殆どない鳥類の顔は表情が読めないが、哺乳類と違い下から上に閉じる目蓋はやや薄目になっていて、鬱陶しげに見える。突然点いた照明で叩き起こされたらしい。

 ガラス張りの壁に貼り付くようにして、外の廊下の様子を覗っていたリドリーだったが、黒い翼をぱっと広げて机上に降り立つや否や、対話インターフェイスで声を張り上げた。

 

「大上さーん? なんで明かり点けるのー? 眩しいんだけどー!」

 

 大上。どうやら担当の研究員か、普段西棟を管理している者の名前のようだ。声変わり前のヒトのオス個体のような高い声は、ダクトの中までよく響いた。ダクトを通じて別の部屋からも、ガーガーやピーピーといった鳴き声に交じって、「早く消してよ」「何時だと思ってるんだ」などという、巻き添えを食った鳥達の野次が聞こえてくる。

 

「大上とやらはいない。点灯させたのは私の仲間だ」

 

 ダクトカバーを頭と鼻先で押して外し、シルヴィは部屋の中へと這い出しながら告げる。見上げていた時よりも、彼女は部屋の中が酷く狭く感じた。得体の知れない訪問者に驚いたリドリーは、「カーッ!!」と悲鳴を上げて物干し竿に飛び乗った。

 

「だ、誰っ?!」

「落ち着け。私は桃太郎財団の工作員(エージェント)だ。リドリー、お前を菅刈研究所から解放し本部に連れ帰るのが任務だ」

 

 リドリーの口の中が極薄く赤みを帯びているのを見て、シルヴィは尾を緩やかに揺らし、対話インターフェイスの音量を下げ、声の調子もできる限り和らげた。野生状態なら巣立ちから間もないであろうこのワタリガラスを不安にさせては、作戦遂行に支障をきたす。

 AIに人格と呼べるものを形成する為の一般教養を含んだ学習メソッド及びプロトコルはここ十年程で既に確立されてはいるが、成長が早く親離れや巣立ちまでの期間が短い動物を元にしたビーストは、拡張大脳の神経回路構築が肉体の成長に追いつかない、平易な言い方をすれば‘子供っぽい’時期があるという問題が浮上している。これを解決するべく、日本各地の研究所で新たな学習法が追求されており、ここ菅刈研究所もそのうちの一つだった。

 友好的な――そう見えるよう努めた――シルヴィの姿勢に、リドリーは落ち着きを取り戻した。余裕ができたのか、おどけた様子でシルヴィに問いかける。

 

「桃太郎財団……? 何それ、きび団子でもくれるの?」

「説明は後で行う。今はここから脱出するのが先決だ」

 

 無線を起動すると、すぐにコンボイが通信に応じた。

 

『こちらコンボイ、もう見つけたのか?』

「こちらシルヴィ。リドリーを発見、怪我や疾患の兆候はない。場所は一階南側の最奥だ」

『オーケー、今開ける。説得はお前の時より簡単だったみたいだな』

「……」

 

 この猿、やはり無駄口が多い。

 数秒の間があって、正面のガラスがスライドし、ヒトが通るのに十分な大きさの道が開けた。シルヴィはそこから僅かに鼻先を出し、空気の匂いを嗅ぐ。当然ながら、ヒトの気配はない。

 

「ついてこい。エスコートする」

「わかった、えっと……シルヴィ?」

「好きに呼べ」

 

 シルヴィに同行を促され、リドリーは彼女の後を追う。シルヴィが三メートル程歩くまでは小走りに廊下を進んでいたが、やがて翼を広げ、彼女の灰色の背中にひらりと舞い降りた。飛んでどこかに行かれるよりはましだろうと、シルヴィはそれを許容することにした。

 

「次はお前のエクスブレインユニットを回収する。場所はわかるか?」

「それは――」

「お、おい! 待ってくれ!」

 

 廊下の奥にある扉から出ようとした時、シルヴィを呼び止める声があった。振り向けば、一番手前の収容スペースに入れられたオスのカルガモが、ガーガーと鳴きながら飛び跳ね、必死に存在をアピールしていた。

 

「リドリーにワンコの嬢ちゃん、あんたらここを出るのか?! そうなら俺も助けてくれ!!」

「私も出してよ!!」

「儂も連れて行ってはくれぬか?」

「抜け駆けは許さんぞ!」

 

 彼ばかりではない、このフロアに収容されていたビースト全員――若いヤマドリ、年老いたヒヨドリ、シルヴィと同年代と思しきゴイサギが、リドリーの脱走を察知し、自分達の脱走の幇助を求め一斉に騒ぎ立て始めたのだ。

 

「お前達の救出は予定外だ。協力はしない」

 

 シルヴィはにべもなくそれを拒否した。

 

「じゃあなんでそいつだけ?!」

「確かにリドリーは優秀なエンジニアよ、でも私達だって‘教育’を受けてるわ!!」

「我々に必要な‘人材’ではなかったに過ぎない。これ以上の問答は時間の無駄だ」

 

 シルヴィが拒否するのには複合的な理由があった。シルヴィとコンボイが移動手段として利用したサイドカーでは、この場にいる全てのビーストのエクスブレインユニットを運搬することは不可能だ。またヤマドリを含むキジ目の鳥は長距離の飛行は不得手で、八潮まで捕獲されずに到達するのは困難だろう。全員を脱出させることを前提とした場合でも、目立ち過ぎるのは必然で、任務達成の蓋然性は激減する。

 このミッションを確実に成功させるには、余計なことはしていられない。そう考えていたシルヴィだったが、

 

「!」

「お、開いたぞ!」

「ようやく出られるのね!」

「待ち侘びたわい」

「ここは窮屈で敵わん」

 

 彼らを無視して西棟を後にしようとしていた矢先、突如全ての収容スペースが開放され、閉じ込められていたビーストが我先にと飛び出してきた。――あの猿の仕業だ。怒りにも似た焦りに、シルヴィの心が炙られる。

 

「……何の真似だ」

『何って、他の連中も出してやったのさ』

 

 無線で問えば、悪びれる様子もなく答えるコンボイ。ドアを開けて閉める音が微かに聞こえた――彼は今管制室を出たらしい。予定ではサーバールームに向かっている筈だが、行動から推察するにエクスブレインユニットを全て運び出そうという魂胆だろう。

 潜入に限らず、任務というものに対する姿勢や認識の相違が、取り返しの付かない事態を引き起こす。密かに恐れていたそれが今まさに現実になろうとしていることが、シルヴィを苛立たせ、彼女の対話インターフェイスの語勢を殊更に強めた。

 

「彼らは救出目標ではないぞ。これ以上リスクを背負えば我々の帰還すら危うく――」

 

 しかし無線越しのコンボイは、

 

『シルヴィ!』

 

 普段の軽薄な態度からはおよそ想像も付かない怒声で以って、彼女の言葉を遮ったのだ。

 

『忘れたのか? 俺達桃太郎財団はビーストの為にある。ここで連中を見捨てるのは、財団の理念に反するってもんだ。……お前も俺も、その理念に助けられたんだぜ』

 

 はっとした。否、目から鱗が落ちた、というべきか。

 ‘シルヴィ’は、最早機動隊に属する暴動鎮圧犬の名ではない。ヒトにビーストが使われるヒト上位社会からの脱却を謳い、人類に反旗を翻す地下組織、桃太郎財団の一員の名だ。ならば、機動隊時代の考え方は脱ぎ捨てる必要がある。多少の危険を承知の上でも、助けられるビーストに手を差し伸べることができねば――尤も、イヌは四足歩行なので‘手’で把握することは不可能だが――、それは財団職員とは呼べないだろう。シルヴィは生まれて初めて己の浅慮と失態を恥じた。

 

「――すまない。お前が正しいようだ、コンボイ」

『わかればいいさ。それより、やっと名前で呼んでくれたな』

 

 思えば、かつては捕獲対象でしかなかったこのゴリラを名前で呼んだのも、これが初めてだった。

 

「……しかし、算段はあるのか?」

『大丈夫だって、安心しろよ。足はもう見つけてあるんだ』

 

 

***

 

 

 コンボイの言う“足”とは、正門の方角からは見えない東棟の反対側、駐車スペースに停まっていた一台の白いワゴン車だった。形式はかなり古く盗難防止装置も付いていないタイプのものだったので、エクスブレインユニットを積んで逃げるのに最適と判断したようだ。彼はどこからか鋏を持ち出していた――鍵穴に捻じ込むか回路を短絡させて無理矢理エンジンを掛けるつもりらしい。尚、サイドカーは放置し、後日別の財団職員に回収させる。ナンバープレートは偽造されたものなので足は付かない。

 東棟に移動し、三階のサーバールームに辿り着いた一行は、消火器の台座のようなACアダプターに挿さった五つのエクスブレインユニットを発見した。鳥達は自分のエクスブレインユニットを目にしたことは一度もなかったが、リドリーは誰がどの拡張大脳と繋がっているかをこともなげに言ってのけた。

 

「これが僕、これはハルオ、こっちはナツミ、あれがシュウゾウでそこのがトウヤ」

「凄いなリドリー、型番を全部覚えてるのか?」

「ううん、最近はエクスブレインユニットも小型化が進んでて、素体によってはかなり小さくできるようになったんだ。だからそれぞれの大きさにばらつきがあるんだよ」

 

 率直に驚きを示すコンボイに、リドリーは得意げに答える。‘英才教育’の賜物か、ハードウェアの知識も豊富な彼にシルヴィは舌を巻いたが、一方でユニットのサイズに一抹の不安をも覚えていた。一番大きなヒヨドリのシュウゾウのものでさえ、シルヴィのものより一回りから二回りも小さく、一番小さなリドリーのものに至ってはティッシュ箱程の大きさもないのだ。

 

「……これだけ小さいと、バッテリーの容量はかなり少ないだろう」

「ああ……見たところ、電源から外せば持って一時間と少しってとこだな」

 

 現行の殆どのエクスブレインユニットは、災害等によって外部からの電力供給が途絶した場合に備えて搭載された、十二時間から二十時間の連続稼働が可能な大容量バッテリーが総重量の四十パーセント以上を占めている。しかし菅刈研究所のビースト達のそれらは、自立稼働能力もそれに付随する携行性も度外視した小型・軽量化が優先され、拡張大脳にあるまじき、即ちエクスブレインがユニット化されている意義を失った愚鈍な電子機器となり果てていた。

 

「人材開発とは名ばかりということか」

「本部がそう遠くないのが不幸中の幸いだぜ」

 

 外部への持ち出しが考慮されていないその構造から、全てが透けて見える。彼らは完成したビーストの‘人材’として送り出されることもなく、ひたすらこの閉塞的な建物の中でデータを取られるだけのサンプルでしかないのだ。かつてないヒトへの義憤が、シルヴィの中に燃え上がった。

 

「とにかく、これを運び出そう。リドリー、ちょっと鋏持っててくれ」

「わかった! ……ん、意外と重い」

 

 手にしていた鋏をリドリーに預け、コンボイはエクスブレインユニットを一つ一つACアダプターから外していく。続けて右手に三つ、左手に二つを、さながらウェイターのように重ねて持ち上げた。器用にバランスを取りながら、彼はサーバールームの扉を潜り、シルヴィ以下六体のビーストがそれに続く。来た道を戻り、途中にあったエレベーターに乗り込んで一階へ。

 

「いやー、まさかここから出られる日が来るなんてなぁ」

 

 無機質な照明のエレベーターの中、カルガモのハルオが、落ち着きなく歩き回りながら感慨深そうに呟いた。野生動物は捕獲してビーストに改造することはできない。元々持つ脳と後付けの脳との間に生じる発達段階の齟齬が主な理由だ。外の世界を目にする機会が殆ど与えられなかった彼らだが、外界への憧憬というものはあったと見える。

 

「浮かれ過ぎよハルオ」

「まだ我らは外の土を踏んでもいないのだぞ」

「今浮かれずにいつ浮かれるってんだよ。それにもう十一時半だ、誰もここにいやしねえよ!」

 

 ヤマドリのナツミ、ゴイサギのトウヤが窘めるも、大した効果はない。シルヴィも今は放っておくことにした。財団の庇護を受けさせる以上、彼らは今後も仲間として共に活動していくことになる。自分とコンボイとの出会いは第一印象が最悪の一言だったので、せめて彼らには‘気持ちよく’参加して貰いたいという、彼女なりの気遣いであった。

 ここまでは、順調だった。

 

「ハッハッハー、もう誰も俺達を止められやしねえぜ! 明日に向かって凱旋だ!!」

 

 エレベーターのドアが開き、浮かれきったハルオを先頭に一階へ降り立ったその時、

 

「――!?」

 

 鼻腔に入ってきた臭いで、シルヴィは全身の毛が一斉に逆立った。今この場で最もしてはいけない臭いだったのだ。回避しようにも、発生源は極近く。何もかもが後手に回り過ぎていた。

 

「……あ?」

 

 皆の先をずんずん――水かきのある足からするに、ぺたぺたという擬音の方が正しいかもしれない――歩いていたハルオは、それとばったり出くわす形になった。

 

「……ハルオ?」

「お、大上さん……」

 

 ヒトだ。白衣を身に纏い、黒縁の眼鏡を掛けた、研究者という言葉がそのまま人になったような痩身の男。リドリーの言っていた大上というのは彼のことらしい――麻痺した思考の片隅に、そんな言葉が浮かんで消える。その場にいた全員が、水を打ったような沈黙の中で動けなくなっていた。

 

「――う、うわあああああああああああああああああああああああ!!」

 

 十分にも二十分にも感じられた数瞬の静寂を、先に破ったのは大上の方だった。左右に伸びる廊下の右手から来た彼は、その場でくるりと反転し、驚愕の悲鳴を上げながら全速力で遁走する。

 

「っ!」

 

 数秒遅れて、シルヴィが大上を追って駆け出した。彼女はショックで初動が遅れたことを歯軋りする程悔いたが、もう後の祭りである。やたらに足の速い男を階段の踊り場に認めた時には、彼は耳にスマートフォンをあてがっていた。

 

「すっ菅刈研究所です! ビーストが外部の者の手で脱走を――」

 

 階段を駆け上がり、全身のばねを使って跳躍。空中で大上の後襟を銜え込む。着地の勢いで大上を引き倒してから、そのまま肩と首で大きく振り抜き、階段の下へと放り投げた。顔面から落ちていった大上は、「グギョッ」という轢き潰されたカエルのような断末魔の声を最後に、ぴくりとも動かなくなった。血溜まりが広がる。

 

「……最悪の事態だ」

 

 無論、ヒトに危害を加えたことが、ではない。ヒトに発見され、警察に通報されてしまったことが、である。スマートフォンは落下の衝撃で反り返り、ディスプレイも粉々に割れているが、110番を掛けられる前にこの状態にするべきだったのだ。

 日本国内の大抵の地域では、警察は通報から十分以内に現場へと駆け付けることができるように配置されている。この研究所から最も近い駐在所からであれば、車で五分とかからない。その上警察は、ビーストに容赦がない。それはシルヴィ自身が証人と言っても過言ではないだろう。

 

「コンボイ、急ぐぞ。直に警察が来る」

「あ、ああ……」

 

 足早にエレベーター前に戻り、コンボイを急かす。リドリーらの脱出にはもう一刻の猶予もなくなった。

 

「大上さんは?」

「離してやった」

「……」

 

 彼らの不安を和らげようと、シルヴィはリドリーの問いに精一杯冗談めかして(コンボイがするように)答えたが、すぐ隣で黙り込んでいるコンボイを見て、慣れないことはするものではないと思い直した。

 

 

 

 ワゴン車の元に無事に辿り着いた時には、通報から三分程経過していた。シルヴィの鋭敏な耳には、遠くから響くパトカーのサイレンが既に聞こえている。

 

「悪いシルヴィ……俺があの大上とかいう奴に気付いてればこんなことには――」

 

 後部座席のドアを開け――不用心にも鍵が掛かっていなかった――エクスブレインユニットを積み込みながら、コンボイは沈痛な面持ちでシルヴィに謝罪した。敵同士として出会ってからここに至るまでのおよそ十二時間の中で、初めて彼が見せた弱気な態度。

 

「お前は私程には鼻も夜目も利かない。照明が点いていなかったなら、気付かずとも不思議はない」

「……責めないんだな?」

「責任の明確化は重要だが、現場にその問題を持ち込むのは非建設的で無意味だ」

 

 動きを止め、ドアハンドルに手を掛けたまま振り返るコンボイ。訝しげな目を向けられたが、シルヴィはあくまで効率を重視した返答をしたつもりだった。この国のヒト――日本人は、責任を取らせることに偏重するあまり、解決・防止策を打ち出すことがおざなりになるきらいがある。機動隊内部での人間(ヒト)関係を目の当たりにしてきたシルヴィの経験則だ。

 

「いいかコンボイ。私はイヌに、ウルフドッグにできることをする。お前はゴリラだ。ゴリラにできることをしろ」

 

 コンボイにはまだ聞こえていないだろうが、サイレンは徐々に近付いている。彼我の差異を認識しているからこそ、ある意味でこの作戦の牽引役であるコンボイの精神状態の悪化は作戦遂行の大きな障害となりかねなかった。シルヴィの言に他意はない。

 だからシルヴィには、コンボイが自分に向けて顔を綻ばせた理由がよくわからなかった。

 

「――どうやら俺は、お前を誤解してたみたいだ。ありがとな、シルヴィ」

「……」

「サツも近くなってきた。シルヴィ、乗ってくれ」

 

 サイレンは次第にコンボイにも聞き取れる音量になってきた。コンボイは助手席のドアを開けて促し、シルヴィはそれに従ってシートに飛び乗る。後ろでドアが閉まり、運転席のドアが開いてコンボイが乗り込んでくる。彼が鋏をキー代わりに鍵穴にぶち込み、何度か捻ったところで、

 

「おいおい嘘だろぉ……!」

 

 彼の顔に絶望の色が広がった。

 

「どうした?」

 

 自分の足元を覗き込むコンボイに、シルヴィは尋ねた。問題が起こったのなら把握する必要がある。

 

「何だよこれ、MT車じゃねえか!!」

 

 知らない単語だった。

 

「……MT?」

手動変速機(マニュアルトランスミッション)だよ!!」

 

 シルヴィが知らないのも無理はない。二〇四八年現在では、MT車はレース用等一部のものを除き絶滅寸前である。今日日MT車のパトカーなどあろう筈もなく、幾度となく同乗したシルヴィは、車はアクセルとブレーキのみを持つものだと思っていた――そればかりか、ATとMTという単語自体耳にしたことがなかったのだ。

 シルヴィに理解できたのは、コンボイがこの車を運転できない可能性が高いということだけだった。その情報だけでも、弱り目に祟り目。食肉目の自分にはどうすることもできない。

 

「名前だけ知ってても動かせる訳じゃないんだぞ……! 畜生、一体どうすれば――」

 

 頭を抱えて喘ぐコンボイ。最早万事休すかと思われたが、

 

「クラッチを床まで踏み込みながらキーを回して!」

 

 運転席のヘッドレストに留まっていたリドリーが、突然鋭く叫んだ。

 

「リドリーお前……わかるのか?!」

「いいから早く!!」

「お、おう!」

 

 表情こそ見えないが、口を大きく開け「カー!!」と鳴くリドリーの気迫に押され、コンボイは指示通りに行動した。リドリーの指示によって、回路が繋がってスターターモーターが起動、ようやくエンジンが唸りを上げる。

 

「よし!」

 

 こんな知識を一体どこで得たのだろうか。シルヴィが目を剥きリドリーを見るその間にも、彼はコンボイに的確なアドバイスをしていく。路面に凹凸の多い駐車場を抜け、ワゴン車は正門前へ。一旦停車させたコンボイは車を降り、門を開け放つ。再び車内に戻ろうとしたところで、コンボイは立ち止まった。サイレンが鳴り響き、木々の間に回転する赤いパトランプの光が見え隠れしていた。

 

「っ! コンボイ、何をする気だ!」

 

 シルヴィの声を無視して彼が走ったのは、乗る予定のなくなった正門脇のサイドカー。エンジンに火を入れ、ヘルメットを被ってシートに跨る。裏切り、ではない。元々正門の外側にあったサイドカーを使うにはわざわざ門を開ける必要はないし、またコンボイは財団の理念に誇りを持っている。

 一台のパトカーが、坂を登ってきた。

 

「よく見とけ、シルヴィッ!!」

 

 急発進したサイドカーは、一切スピードを緩めることなく坂を下り始め、

 

「これがッ!! ゴリラにできることだあああああァァァァァーーーーーッ!!」

 

 コンボイの声帯と対話インターフェイスから発せられた雄叫びと共に、パトカーに正面から激突。寸前でコンボイは宙に身を投げ出し、道の脇の草むらに飛び込む。パトカー、サイドカー、そのどちらも直後に爆発四散した。

 

「コンボイッ!!」

 

 気付けばシルヴィは、ドアハンドルに噛み付いてドアを開け、彼の元へと走り出していた。ゴリラを含む類人猿は生来的な知能の高さ故に恐怖や痛みに敏感で、ストレスにも弱い。そんな彼が取った、無謀とも言える今の荒事(スタント)は、彼の心身に相当な負担を与えているに違いない。そう思っての行動だったが、彼女は自分の頭から作戦の遂行に関することが抜け落ちているのには気付かなかった。

 

「無事か!」

「ああ……何とかな」

 

 草の上に転がった一五〇キロを超える巨体を、コンボイはシルヴィの助けを受けながらゆっくりと起こした。燃え盛るパトカーとサイドカーの残骸からはもうもうと黒煙が上がり、夜空を薄汚く塗り潰さんとしている。ひとまずの危機は去ったが、ここに留まってはいられない。

 

「……どうだった?」

「よくやった。お前への認識を改める必要がありそうだ」

「それは光栄だな」

 

 コンボイに肩を貸すシルヴィは、彼がゴリラらしいナックルウォークをしているところを見るのも初めてだった。二本足で立ち上がって移動するだけの余裕はないのだろう。

 

「俺も……お前が心配してくれるなんて思わなかったぜ、シルヴィ。見直したよ」

「……私は、心配していたのか?」

「自分のことだろ、自分の胸に聞けよ」

 

 心配――これもまた、初体験だ。シルヴィは個人というものを心配したことはなかった。勿論自分が‘固い’ことも一因なのは知るところだったが、周囲の人間(ヒトに限った話ではない)が皆優秀で危険に晒されることが少なく、且つコンボイのような捨て身の行動を取る者がいなかったからである。彼らに仕事の(ともがら)以上の感情など持ちようもない。

 一方でコンボイは、ある種の情熱と信念を持って任務に臨んでいた。本来の予定を覆しビースト全員を救出しようとしたり、文字通り命懸けでパトカーに突っ込んでいったりと、かつてのアンチビーストにはないものを持っていた。訓練以外で自分を諭した者も、コンボイの他にはいない。

 ある意味では、自分は真に‘仲間(バディ)’と呼べるものを持てたのかもしれない。シルヴィはそう思った。

 

「……任務、完了」

 

 炎上するパトカーとサイドカーの残骸を避けてワゴン車は坂を下り、財団本部への帰途に就く。県境を越えてしまえば、警察の管轄引き継ぎに紛れて逃げ果せるだろう。

 

 

 

 異変を察知した茨城県警が応援を派遣した頃には、下手人は既につくばみらい市に入り谷和原ICを目前にしていた。巧妙且つ大胆不敵なやり口のこの救出作戦は、一人の研究員と二人の警官が死亡した過去最悪のビースト脱走事件――『菅刈事件』として後に報じられることとなる。シルヴィがコンボイに誘拐され、人知れず桃太郎財団の一員となってから僅か半日の出来事であった。

 

 

 

***

 

 

 

 菅刈事件から二週間が過ぎた。

 

「急げ! もたもたするな!!」

「デルタチーム、部品搬出完了。他分隊の助力に回る」

「おうお前ら、妙な動きしたら即蹴り殺すからな?」

 

 本部に無事帰還したシルヴィら一行は、リドリー達五羽の鳥類ビーストを保護下に置き、三日間の休養の後、再び任務が与えられた。その内容は、エクスブレインユニットの部品製造及び組み立てを行う工場を襲撃し、ユニットを奪取するというもの。任務の規模や性質上前回のような潜入は不適な為、職員のビースト数十匹単位での大仕事だ。

 ここ二週間、同様の任務が頻繁に繰り返されている。

 

「……」

「どうした、シルヴィ?」

「何でもない」

 

 シルヴィにとって、同じ毎日を過ごすこと自体はさほど苦痛ではない。ワーカーホリックの気があることは自他共に認めており、今も昔も仕事をしていれば退屈という感情は無縁の存在だった。待つこともまた仕事の内だ。

 事件以来ほぼ全ての任務で行動を共にしているコンボイには、積み込み作業中の周辺警備に勤しみながらも思考の海に浸かっていたのが、相棒が何か問題を抱えているように見えたのだろう。その心遣いには感謝したいが、シルヴィの憂惧は自分自身にはない。それはこの任務、ひいては桃太郎財団及びその首魁たるオーレリアが解放を目指すビーストについてであった。

 

「……」

 

 この任務には、根本的な矛盾がある。

 エクスブレインユニットを奪う理由は、‘始めからヒトの影響下にないビースト’を作ろうとしてのことだが、裏を返せば財団がエクスブレインを製造する施設や機関を傘下に置いていないことを意味する。これは、ビーストが真にヒトからの独立を果たすには由々しき問題だ。菅刈研究所への道中コンボイが言っていたように、ビーストは自分達が使う道具や技術はおろか、言語もその(エクスブレイン)さえもヒトが作った・作ってきたものに依存しているのだ。少数民族のような文化的・歴史的な背景(バックグラウンド)も皆無。どんな形であれ、人と関わらなければ生きていくことは難しい。

 であれば、この作戦は長期的にはむしろビーストに不利に働くだろう。エクスブレインユニットを作る能力を持たない財団(ビースト)は、このような強奪や自身が経験した誘拐を繰り返さねば数を増やすことができない。そうしていればヒトに独立を受け入れられる可能性は低下し、たとえ事がどんなに良い方向へ転がったとしても、拡張大脳の製造権はヒトに握られ続け、日本の半分を占める筈のビーストは‘少数派’のまま社会から緩やかに消滅していく――そんなシナリオが浮かぶ。

 オーレリアは果たして、このことを理解しているのだろうか。或いはそれすらも計算の内で、何か自分達には考えも及ばない深謀を巡らせているのだろうか。

 

「全部品搬出完了!」

「よし、ずらかるぜ!!」

『シルヴィ、撤収だ! 置いていくぞ!』

 

 どのみち、彼女を問い質さねばなるまい。シルヴィは桃太郎財団という組織に属した犬ではあるが、最早無思慮に命令に従い続けるだけの(いぬ)ではないのだ。

 

「……わかった。すぐに行く」

 

 長野県飯山市から埼玉県八潮市まで、上信越自動車道、関越自動車道、東京外環自動車道を経由する約三時間半の道のり。トラックに揺られるその間シルヴィは、オーレリアへの問いの言葉を静かに選んでいた。

 

 

***

 

 

 八潮市北部、葛西用水路に程近い住宅地の中に位置する『山河資材株式会社八潮車庫』。ここには数台の重機やトラックが置かれてこそいるが、その実態は桃太郎財団傘下のペーパーカンパニーに過ぎない。すぐ脇の歩道の下の暗渠排水には財団地下施設への入り口が隠されていて、財団は他にも数ヶ所こうした‘秘密の入り口’を市内に持っている。危険を分散する為、財団職員駆るトラックは八潮市内に散らばっていた。

 時刻は午後八時四十分。四台のトラックが車庫のゲート前に到着し、自動で開いたゲートの奥に進んでいく。ぎらぎら光るメタルハライドランプの下、トラックは車庫の隅のスペースに綺麗に整列して停車、それぞれの荷台からビースト達が続々と降りてきた。その中には、伸びをするシルヴィと、大あくびをするコンボイの姿もあった。

 

「しかし今日も大仕事だったな……早く毛布に包まって寝たいぜ」

「……そうだな。休息は必要だ」

 

 運転席と助手席から降りた八匹程のチンパンジーが暗渠の蓋を開けると、水路の中に数艘の黄色いゴムボートが浮かんでいるのが見える。コンボイはチンパンジー達に交じり、エクスブレインユニットやその部品をリレーしてボートに積み込んでいく。その間シルヴィら四足歩行のビーストは周囲の警戒に当たっていた――夜目の利かないヒクイドリ一羽は置物と化していた――が、シルヴィの胸中は見張りや休息よりも、オーレリアへの面会に占められていた。

 野良猫に擬装し入り口の番をする三毛猫一匹を残して、ゴムボートに全てのビーストが乗り込み、蓋が占められる。湿った臭いが充満する闇の中、百メートル程遡上した左手に、錆だらけの鉄板で塞がれた横穴があった。汚れた水面の下に隠された足場へコンボイが降り、鉄板を横にずらして道を作ると、チンパンジー達は荷物を抱えてその中に入っていく。積み出しが終わり次第、残るビーストも横穴に入り、最後にコンボイが中から穴を塞いだ。ゴムボートは横穴近くの杭とロープで繋がっているので、放っておいても下流まで流されることはない。

 

「じゃあ、俺は先に寝るからな。報告は他の奴がするだろ……」

 

 あくびを連発するコンボイが先を急いでも、シルヴィは軽く尻尾を振って応えるだけだった。階段を下り、地下施設の更に深部へと向かう。

 考えてみると、この広大な財団本部の構造にも奇妙な点がある。

八潮市の地下深くに広がる四つの階層は、殆どがビースト四、五匹につき一つ与えられる小部屋と通路に占められていて、大きな部屋は地下三階にあるサーバールームだけ。オーレリアからの指令は全て部屋に備え付けのモニターから出されており、帰還報告以外では彼女と話すことが殆どない。日本各地に支部がある程の大規模な組織であるなら、集会の一つでもするのではないかと思っていたが、今日まで集会のしの字も彼女の口からは出なかった。

 

「……確かめるしかない」

 

 上意下達の一方通行。集まって何かを話すことをそもそも想定していない――既にシルヴィの心には、後ろ暗い不信感のようなものが芽生え始めていた。

 

 

 

 財団本部最下層の片隅に位置する黒い扉。シルヴィはここに来るのは二度目だった。前回来た時もこの組織に疑いを持っていたが、その‘質’はまるで異なる。

 

「……これを開けるのか」

 

 面倒だが、工夫して開けるしかないようだ。丸いドアノブに横から咬み付き、歯を僅かな凹凸に引っ掛けて、口の中で滑らないよう慎重に回していく。舌の上に不快な金属イオンの味が広がった。そのまま全身を使って押してやれば、前回と同じ耳障りな音。どうやら、この扉に油を差す者はいないらしい。

 部屋の電気は点いていなかったが、ウルフドッグのシルヴィには大した問題ではなかった。それよりも気になったのは、

 

「……?」

 

 スクリーンが天井に巻き取られ、背後に露わになった青い扉。オーレリアがいるという部屋に繋がるだろうそこは、不自然に半開きになっていた。

“訳あって直接は会えないけど――”

 去来するオーレリアの言葉。プライバシーを気にしてか、或いは何らかの疾病やアレルギーか。他のビーストと直接の接触を断ちたい様子だった彼女が、そこを開いたままにしておくことは、シルヴィには考えられなかった。シルヴィの中で、‘機動隊時代の自分’が鎌首をもたげる。

 意を決し、扉の奥へと歩みを進める。

 辿り着いたのは、プロジェクターで映し出されていたあの部屋。しかし部屋の中央に置かれていたと思っていた座椅子は、部屋の隅に張り出した四角い空間の中央にあり、部屋そのものは狭隘な上層階と不釣り合いに広かった。肝心のオーレリアは、座椅子の後ろに隠れるように眠っている。

 

「何だ……ここは……」

 

 入らせないのに存在する、用途すら不明な、体育館程はあろうかという大部屋。シルヴィの疑念は更に大きく膨れ上がりつつあった。メインクーン特有の大きな身体を丸め、我関せずとばかりに惰眠を貪るオーレリアに、シルヴィは問うた。

 

「――オーレリア、これは何だ?」

 

 返事はおろか身じろぎ一つしない雌猫。シルヴィはずかずかとオーレリアに詰め寄った。普段の彼女なら、警戒もなしに相手に近付くようなことはない。それだけ彼女が感情的になっている証だった。

 だが、オーレリアまであと数歩という距離まで近付いた時、シルヴィはふっと冷静さを取り戻した。視覚や嗅覚よりも、もっと総合的で原始的な感覚で得た‘違和感’――眼前の対象は、生物として根本的な何かが、決定的に欠けている。

 

「……オーレリア?」

 

 たっぷり三十秒掛けて、オーレリアに接近する。動かない巨大な毛の塊。鼻を寄せ、臭いを嗅ぐと、シルヴィは確信した。毛皮に噛み付き、乱暴に左右に振るって引き千切る。

果たしてその下からは、金属の骨格とそれに囲まれたリチウムイオン電池、油圧ポンプとモーター類からなるアクチュエーターが出現した。

 

「ロボット……!!」

 

 シルヴィがロボットと言ったそれは、正確にはアニマトロニクスというべきものであった。コンピューターで制御されたロボットを人工の皮膚(ここでは再生医療の技術が使われることはない)で覆い、飼い馴らすのが困難であったり存在しない動物を再現する。シルヴィ含め、ビースト達は思惑通り‘オーレリアというビーストメインクーンの存在’を信じ込み、映画の観客のようにまんまと騙されていたのだ。

 では、オーレリアという‘偽物’を立てた理由とは何だろうか? その答えとなりうるものの中でも最悪の可能性は――

 

「――意外と察しがいいのね、最近の大型犬は」

 

 シルヴィは咄嗟にその場から飛び退いた。‘オーレリアの声’は彼女の後方からしたが、対話インターフェイスでの発声とは何かが異なる。振り向いた先には、背の高い老婆が腕を組んで仁王立ちしていた。

 

「……何者だ」

「そういう含みを持たせた質問は好きよ、私」

 

 シルヴィが問えば、あのねっとりとした声と口調が返ってくる。オーレリア――というアニマトロニクス――に声をあてていたのはこの老婆らしい。しかし、彼女は老婆と言い表すにはあまりにも体格ががっちりとし過ぎていた。四肢は太く、肩幅も広く、筋骨隆々のゴリラのようなヒトだ。薄い笑みを浮かべた皺だらけの顔に据わった目が、落ち窪んだ眼窩の奥でぎらついている。

 

「改めて自己紹介するわ。私は山河セン。この桃太郎財団の支配者、唯一の人間よ」

「どういうことだ」

 

 “唯一の人間”。その語り口でおおよその見当は付いたが、認めたくないという思いがそのままシルヴィの口から飛び出す。対する老婆センは、彼女の葛藤など知りもせずに語り始めた。

 

「ビーストはヒトと同じく知性を持っている。でも両者には、生物種や知性の根源よりも決定的な違いがあるの……ビーストは‘嘘を吐けない’のよ。学習段階で‘正直さ’をプログラムされるビーストは、無意識的に、他のビーストを殆ど疑わない。貴女はそうでもなかったみたいだけど」

「何が言いたい」

「貴女最初に気付かなかったの? 何故『桃太郎』財団なのか――桃太郎の昔話で、犬と猿と雉はきび団子を対価に鬼退治に加わった。食べ物一つでホイホイついていって死地に赴いたのよ。賢くなったところで、所詮動物はヒトに利用されるのが摂理。私がビーストをここに集めたのは、私の尖兵となって戦って貰う為なの。この国に巣食う鬼共を殺して、私が天下を取る為に、ね」

 

 全てを聞き終える直前に、シルヴィはセンに踊りかかっていた。

 我慢が利かなかった。任務で指定された対象以外に、怒りに塗れた殺意を以って攻撃を仕掛けたのはこれが初めてだった。このヒトは、この女だけは許さない、許せない、殺す、絶対に殺してやる――シルヴィの内なる有機性と外なる無機性とが憎念一色に塗り潰され、抗い難い、抗おうとすら思えない衝動が、平時の彼女では到底考えられない刹那的行動を強制する。センを一撃の下に屠ることのみが、彼女の全てを支配した。

 

「単純ねえ」

 

 だからだろうか。シルヴィが次に知覚したのは、浮遊感、それに次いで横腹に走る鈍い痛み。振り抜かれた姿勢のままのセンの腕を見て、彼女は攻撃に失敗し、受身を取ることもできずに床に叩きつけられたのだとようやく理解した。

 

「ぐっ……!」

「私も貴女と同じなのよ。サイボーグ……尤も、脳機能を拡張したビーストとは逆に、身体機能を拡張されているのだけど。バイオニクスとかクレイトロニクスとかっていう言葉、知らない?」

 

 大型犬にもなれば、殺意を持って襲い掛かってくるそれらをヒトが素手で撃退するのはほぼ不可能だ。シルヴィ程であれば、フル装備の機動隊員を引き倒すことも赤子の手を捻るようなものである。ところがセンはシルヴィを受け止めるどころか、いとも容易く彼女を叩き伏せてみせた。センというヒトがサイボーグ化手術を受けているのだとすれば、ヒトの限界を超えた身体能力、反射神経にも納得がいく。

 だが、納得がいくのはそこまでだ。

 

「貴様のことなど、知るか……!!」

 

 再度、シルヴィの牙がセンを狙う。単独で、しかもコンボイのように道具を使うこともできない自分の小細工では、センには通用しないと判断してのこと。故に一撃に賭ける。瞬きする暇も与えたつもりはなかった。

 

「あらあら」

 

 またしても、シルヴィは宙を舞った。

 

「ぐふっ……」

「理解していないようね。同じサイボーグでも、殆ど生身の貴女と全身サイボーグの私とは雲泥の差。貴女じゃ到底私には勝てはしないのよ?」

「……黙れっ!!」

 

 嘲笑するセン。それでも、シルヴィは突撃した。何度も、何度でも。

 勝算など、初めからなかった。地力の差を見せつけられた以上、これ以上の戦闘は益にならないことも理解していた。だがシルヴィは、普段自分がそう判断していたように、それを無意味だと断じることは許せなかった。

 

“俺達桃太郎財団はビーストの為にある。ここで連中を見捨てるのは、財団の理念に反するってもんだ。……お前も俺も、その理念に助けられたんだぜ”

“これがッ!! ゴリラにできることだあああああァァァァァーーーーーッ!!”

“俺も……お前が心配してくれるなんて思わなかったぜ、シルヴィ。見直したよ”

 

 コンボイは、自分に教えてくれたのだ。暴動鎮圧犬だった時には考えもしなかった、単なる同輩という以上の意味を持った‘仲間’というものの存在の大切さを。今ここで退けば、偶像たるオーレリアを信じて財団に入ったビースト、志を共にした仲間達は、“ビーストの解放”という甘言に踊らされ、何の疑いも躊躇いもなく憎むべきヒトの手駒に成り下がるだろう。たとえ自分の運命がここで定まっていようとも、残るビースト達に気付きを与えられるだけの極僅かなチャンス――仲間を見捨てない為の希望に縋らずにはいられなかったのである。

 幾度となく飛び掛かり、叩きつけられ、シルヴィは疲弊していた。それでもその闘志は尽きるところを知らなかった。

 

「……まだだ……まだ、終わってない……ッ!!」

「……まだ、ね。じゃあ教えてあげようかしら」

 

 つまらなそうにシルヴィを投げ飛ばし続けていたセンが、不意に口を開いた。パンパン、と彼女が二度手を打ち鳴らすと、どこからか飛んできたヒヨドリが彼女の肩に留まる。

 

「シュウゾウ……?」

「そんな名前だったわね、この子。でももう貴女の声なんて聞いていないわよ。カラス君が仕事をしたお陰でね」

 

 カラスと言えば、コンボイと協力して助けたリドリー。彼に任されたのはエクスブレインユニットの管理の筈だ。しかしセンの狙いがビースト達を踏み台にした国家転覆であるなら、彼の仕事、彼の受けたエンジニアとしての‘英才教育’が、吐き気を催す程に醜悪な線で結ばれる。それらが作り出した図形的で冒涜的な結果こそが、眼前の物言わぬシュウゾウ――

 

「お前、……まさかっ?!」

「お察しの通り。この子は私の尖兵の、記念すべき第一号なのよ。この部屋は演習場ね」

 

 絶句した。センが自分とコンボイにリドリーを救出させたのは――或いはコンボイを脱走させ自分が財団本部に来るよう仕向けたことさえも――、始めから利用する為だったのだ。

 ビーストの脳内に埋め込まれた超小型コンピューターは、内外の脳の連携を密にするべく、周辺組織に‘肢’を伸ばし自己陥入して神経との接触面を広げていく。この過程でコンピューターは特に原始的な感情を掌る大脳基底核と高度に融合し、ヒトに比べて理性を掌る大脳新皮質が未発達な傾向にある動物に拡張大脳という理性を与えることに寄与している。だが、もしもエクスブレインを経由してこのコンピューターに偽の情報を送り込まれてしまえば、周囲の情報に対する‘受け取り方’が変わり、そのビーストの人格面に多大な影響を及ぼすことになるのである。

 つまり、センはビーストを精神的に外部からコントロールするプログラムを作ることを目的に、リドリーを欲していたのだ。彼を計画に協力させるには、菅刈研究所にいた他のビーストを使えば事足りる。やがてはコンボイら他のビースト達にも同様のプログラムが組み込まれ、彼らは無抵抗のまま、意思の自由を奪われた生きた屍も同然の存在となるに違いない。シルヴィは、絶望という感情が如何なるものかを身を以って味わった。

 

「今まで作らせてきたプログラムじゃ野獣に戻すのがせいぜいだったけれど、あの子のお陰でやっと完成に漕ぎ着けたわ。あとはコピーすればいいだけだし、用済みね」

 

 鬼畜の所業――センの言葉から推測するに、プログラムの完成には多くのビーストの犠牲が伴っている。そしてそれらの犠牲やプログラムを作らせたビースト達を平気な顔で切り捨てる彼女を前にしても、シルヴィは最早立ち上がる気力すらない。

 

「……これでようやく、私の悲願が達せられる。私の体を玩具のように弄んだ輩を、この国ごと破滅に追いやる為の長い道のりが、やっと報われるのよ……」

 

 センの腕が、高く振り上げられた。

 結局どこまで行っても、ビーストは――ヒト以外の動物は、ヒトに利用され続ける。その血肉はおろか精神さえも搾取され、傲慢極まる霊長の贄となる。生来的に持つ完璧な知性というアドバンテージを振りかざす超越者に、自分達はただ平伏すしかない。そう、“頭が悪い”から――

 

「突撃ィィィィィーーーーー!!」

「死ねクソババアァ!!」

「うおおおおおおおおおおおおおおお!!」

「!!」

 

 シルヴィの諦観は、無数の怒号にかき消された。部屋の入口から一斉に雪崩れ込んできたビースト達が、各々の爪と牙を恃みにセンへと殺到したのだ。ある者は脇腹に噛み付き、またある者は空中から目を狙って突く。センは鬱陶しげにそれらを振り払うも、攻撃を止めようとする者は一匹たりともいなかった。

 

「ぐあっ!!」

「面倒ねえ……」

「てめえこのアマ!!」

「ぎゃあっ!?」

「怯むな、攻撃の手を緩めるんじゃない!!」

 

 シルヴィ相手には投げ飛ばすだけだったセンの反撃は、彼らに対しては苛烈を極めた。稲妻の如く振り下ろされたチョップは一撃でノガンの翼をへし折り、芸術的とも言えるハイキックがドーベルマンの顎を砕き割り、山のような体格から繰り出される鉄山靠でオランウータンすら沈黙させる。ビースト達は際限なく室内に流入してくるが、殆どがセンに目立った傷を与えられないまま斃れ、徒に死体の山を築くばかりだ。

 

「何をやっている! そいつはお前達が敵うような相手ではない! エクスブレインユニットを持って逃げるんだ!! 皆奴に捕まって洗脳されるぞ!!」

 

 シルヴィは堪らず叫んだ。今までセンに遊ばれていたのか、或いは洗脳するか否かはともかく殺すには惜しいと思われていたのか。自分のダメージが命に別状がない程度に抑えられていることが、殊更にシルヴィの叫びを悲痛にした。自分と彼らとの扱いの差が、必要ないものを無慈悲に切り捨てるセンの冷酷さそのものを表している。

 その訴えにも関わらず、ビースト達は攻撃を止めない。

 

「お前は俺達の為に命を懸けて戦ってくれた!」

「だから今度は俺達が、あんたの命を守る!!」

「私達に本当に戦う理由をくれたのは貴女です、シルヴィさん!!」

「お前達……」

 

 そこで、シルヴィは奇妙なことに気付いた。センの計画は、ここまで周到に隠蔽されていた筈だ。自分がこの部屋を発見してからまだ二十分と経っていないというのに、一体どこから彼らに情報が流れたのだろう。

 その疑問には、彼女の相棒が答えた。

 

「リドリーが教えてくれたのさ」

「コンボイ?」

 

 いつの間にかシルヴィの傍らには、最初の任務と同じライダースーツを身に纏ったコンボイが佇んでいた。竹槍のように先端を尖らせた鉄パイプを携え、ビースト達を次々と屠るセンを一心に見つめている。

 

「オーレリア……いや、山河センの計画をな。俺達(ビースト)を利用した日本征服なんて馬鹿げた妄想には付き合えない。だから俺が皆にリークして、少し話したら、こうなった」

 

 シルヴィは思い出した。この猿は、コンボイというビーストは、ビースト達が信じた桃太郎財団の理念そのものだ。生物学的な利他行動の合理性すら超えた、仲間の為に命すら投げ出せる覚悟こそ、コンボイとそれに追従したビースト達を突き動かすものなのだ。

 

「あ……あら?」

 

 突然、センの動きががくりと鈍った。尻尾を掴まれ床に叩きつけられそうになっていたアライグマが、一瞬の隙を突いて拘束から抜け出す。矢継ぎ早に襲い掛かるビースト達にセンは反撃を再開したが、先程とは明白に、動きのキレが欠けていた。山脈を思わせるセンの筋肉の隆起に、深々とした傷が増えていき、オレンジ色の人工血液が溢れ出す。

 『聞こえるかい、シルヴィ、コンボイ!』そして今度は、リドリーからの無線。『たった今センの外部統合制御システムをダウンさせたところだよ! 体内のナノマシンにアシストされなくなったあいつの体は、相当な負担が掛かっている筈……人工心臓と首の後ろの神経ユニットを破壊すれば、きっとあいつを倒せる!!』

 絶望の中に、一筋の光が差した。

 

「――シルヴィ」

 

 諦めも、合理的な撤退も、既にシルヴィの頭からは消えていた。

 

「お前は何の為にここにいる?」

 

 迷いなど、なかった。

 

「自由の為だ――その為に、奴を、殺す為だッ!!」

 

 どちらからともなく、二匹はセンに向けて駆け出した。センはチンパンジーに四方から手足を引っ張られ、背中ががら空きの状態だった。助走を付けたコンボイの体当たりが、ひっかき傷だらけのセンの背中に炸裂する。同時にチンパンジー達が前方へ大きく引き込んだ為、センは俯せに倒れた恰好になった。

 

「くっ、この――」

「食らいやがれぇっ!!」

「がはあっ……?!」

 

 ふらふらとしながらも立ち上がろうとするセンに向けて、コンボイは飛び込む。尖った先端を下向きに、大きく振りかぶった鉄パイプの一撃が、センの背中から胸までを一気呵成に貫いた。人工血液が噴き出し、辺り一面がオレンジ色に染まる。

 

「今だ、行けシルヴィッ!!」

「わかっている!」

 

 コンボイの合図で、シルヴィも仕掛けた。狙うは後頚部、皮膚の下に隠された、脳幹と機械化された肉体とを繋ぐサイボーグの神経ユニット。助走、跳躍。床面からおよそ五十度の角度で頭から突っ込む。情けを知らぬ必殺の牙が、皮膚を破って神経ユニットに到達した瞬間、

 

「ふんッ!!」

 

 慣性力を利用し、身体を捻る。バキリ、ともグチャリ、ともつかぬ音と共に、細長い導線の束のようなものが、センの首から摘出された。

 

「ああ……こんな……ごんな、畜生風情にぃぃぃ……」

 

 センは怨嗟に満ち満ちた断末魔を残し、白目を剥いて動かなくなった。

 静寂が広がる。

 

「……やった……」

 

 どこかで小さく上がった宣言は、

 

「……やったんだ。オーレリアを、センを倒したぞ!!」

 

 やがてビースト達全員に波及し、様々な動物達の咆哮が入り混じる勝鬨となった。

 

 

 

「これからどうする?」

「センが消えた以上、財団は私達のものだ。名称ももう『桃太郎』である必要はない」

「名前か……」

「コンボイ、お前は最初の任務で“機械の脳も桃と同じだ”と言ったな」

「ああ、そういえばそうだな。それがどうかしたか?」

「ビーストの脳がただの桃である筈がない。私達の桃は決して腐らないし、潰れない。これから私達は――」

 

 

***

 

 

「ほら、起きなシルヴィ」

 

 仲間の警官に声を掛けられ、シルヴィは目覚めた。待機を命じられた僅かな時間の間に、アスファルトの上で伏せたまま微睡んでいたらしい。

 

「夢でも見た?」

「……はい。夢を見ていました。内容は……さほど覚えていませんが、楽しいものだったように思います」

「へー、やっぱりビーストも夢って見るものなんだねえ」

 

 この日の任務は、ビーストに関連する研究への補助金の停止を求める暴動の鎮圧。昨今起こるビースト関連の事件は、そもそもビーストが存在することから起こっているのだとする過激派を抑えることだ。

 

「さ、行こうか。しかし国会議事堂なんて久し振りだなー」

 

 シルヴィは立ち上がり、呑気に歩き出す警官のすぐ後ろについて歩く。

 ……見る者が見れば、彼女の口の端は大きく吊り上がって見えただろう。

 

「――例の作戦を開始しろ」

 

 

 

 永田町、霞が関は、過去に起こった種々の脅威の経験からテロ対策が進んでいたが、ビーストの攻撃に対しては全くに無力だった。国内に存在するビーストの爆発的な増加に法整備は追いついておらず、それら全てを把握・管理する法律が制定されていない為に、人間の警備員や警察は対人用の訓練と装備しか施されていなかったからである。そしてビーストが起こす事件への対処が現行法で十分に可能であるという楽観的思考にもまた、本格的な対知性動物戦を想定することが妨げられていたのだ。

 この後、同時多発的に起こった襲撃とサイバー攻撃により、内閣、衆参両院、警察庁は深刻な出血を強いられる。他の大型犬ビースト及び大型鳥類ビーストと共に国会議員三百人余を殺害、ビーストによる対ヒトテロ組織『鋼鉄の桃(Peach of Iron)』創設を宣言したビーストウルフドッグシルヴィは、関東最高の暴動鎮圧犬から一転、ビーストの反乱を率いる逆賊の首領と名を馳せ、ビーストの存在が浸透しきった日本国民を恐怖のどん底に叩き落とした。“人類が生み出した天敵”とすら呼ばれた彼女は、史上最も多くの人命を奪った個人でもある。


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