灰を被った月夜の黒猫   作:夕凪楓

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別作『ソードアート・オンライン──月夜の黒猫──』のスピンオフですが、読まなくても大丈夫です。
キリト生存確定ルートのホロウ・フラグメントストーリー。



Prologue 遠い世界の君に
Ep.01 約束


 

 

 

 

 

 ────好きな人や大切な人は漠然と、明日も明後日も生きている気がする。

 

 

 それはただの願望でしかなくて。

 

 

 “絶対だよ”と、約束されたものではないのに。

 

 

 人はどうしてか、そう思い込んでしまうんだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ●○●○

 

 

『────以上で《ソードアート・オンライン》正式サービスのチュートリアルを終了する。プレイヤー諸君の健闘を祈る』

 

 一万人のプレイヤー達の前でそう告げた巨大な赤いローブの男は、そのまま上空へと音も無く舞い上がり、溶け込むように消えていった。我々の困惑と焦燥を忘れたように唖然とした表情を置き去りにして、天から嘲笑うかの如く。

 空一面に広がっていた赤いメッセージも、血溜まりのような空自身も消え去り、広場に転移する前のオレンジ色の夕焼け色に染まっていた。

 

 誰もが、暫く声を発せずにいた。状況が理解出来ず、思考が追い付かないといった顔だ。

 この広場に一万人もいるとは思えない程の静寂を壊したのは、パリン!っという何かが砕けたような音だった。

 それは、この《はじまりの街》にて茅場晶彦を名乗る赤いローブの男がプレイヤーに授けた手鏡が、誰かの手から零れ落ち、地面に落としたことで生じた音だった。

 

「……い、いやあぁぁ……!」

 

 少女掠れた悲鳴、それを皮切りに漸くこの場の一万人が然るべき反応を見せた。

 誰もが思い出したように感じたのは、正しく焦りと恐怖だっただろう。一万の人達の感情が入り交じった声は重なり、広大な広場に大きな圧力で響き渡った。

 

「嘘だろ……なんだよこれ、嘘だろ! 嘘なんだろ!!」

「ふざけるなよ! 出せ! ここから出せよ!」

「こんなの困る! この後大事な約束があるのよ!」

「嫌ああ! 帰して! うちに帰してよおおお!!」

 

 焦燥の声、狂おしい程の悲鳴、言葉にし得ない怒り、喉が潰れる程の絶叫を誰もが耳にし、そして口にする。

 平和な世界が一瞬の内に反転した瞬間だった。まさに地獄、この世の終わりだと絶望に打ちひしがれている顔の者も既に少なくない。何せ、β版ですら碌に上層に上がれなかったのだ。そこからゲームクリアまでの年月を考えるに、あまりに現実味が無さ過ぎる。

 故に混乱して、泣き叫んで、絶望するしかなかったのかもしれない。

 

 ───そしてそれは、広場のほぼ中心地に居た私も例外ではなかった。

 

「ぁ……っ、ああ……」

 

 私は、未だに赤いローブの男が消えた空を見上げて、言葉にならない声を漏らしていた。

 瞳孔が開き、その瞳は揺れ、唇が震える。身体も心も、恐怖が支配していく感覚。じわじわと自由を奪われていく。思うように動かせない身体は、そのまま容易く崩れ落ちた。

 

「っ、サチ!」

 

 すぐ隣りに立っていたケイタは、逸早く反応して私を抱き留めてくれた。今にも気を失いそうな程に青白い顔をした私は、うわ言のように小さく、震えた声で何度も呟く。

 

「いや……いや……」

 

 死にたくない。ただ、その一心で何度も何度も。

 まるで、呪詛のように。

 

「くそっ……何処か休める所に移動を……!」

「こうも人がいちゃ無理だよ……!」

 

 ケイタに言葉に対し、テツオは未だ鎮まらぬ辺りを見て怒鳴るようにそう言い放った。本人にそんな自覚は無かったのかもしれない。けれど、こんな状況下に陥ってしまったこともあり、投げやりな発言を誰にも責められるわけがなかった。

 きっとテツオだけじゃない。ササマルも、ダッガーも、そしてケイタでさえも、色んな感情を溜め込み、綯い交ぜにしている。そんなことは私にも分かっていた。けれど、みんなで楽しむ為のものだったはずの世界は、いつだって本当の死と隣り合わせになってしまって、誰もが冷静じゃいられない。

 

「……一先ず、この混乱が収まるのを待とう」

 

 それは、どれだけの時間が掛かるものなのだろうか。この混乱が、絶望が、いつか消えてなくなる日など、来るのだろうか。

 私は《はじまりの街》の広場から喧騒が止むまで、頭の中でただそんなことばかりを考えていた。

 

 

 時間が経つ毎に広場から人は消えていく。今日の宿をとる人や、これからどうするかを模索する為に情報屋にあたる人と、意外にも冷静さを取り戻す人達は多かった。広大な広場だった為、人が減って寂しくも感じるが、未だに広場から離れられずにへたり込んでいる人も多かった。

 オレンジ色だった空は、もうすぐ夜の闇を連れてくる。それが、無性に怖かった。

 

「……これから、どうする」

 

 固まっていた五人の中で、誰かがそう口を開いた。

 

「どうするったって……」

 

 すぐに答えられる人なんて、誰も居ない。何を口にしたって、状況が即変わるわけもない。

 けれど私の心に根付いていたのは、ただただ“恐怖”だけだった。いつ死ぬかも分からない日々をこれから過ごすことになるのだと脳が理解し始めると、じわじわと染み込むように強くなり、大きくなる恐怖だ。

 

(怖い……死にたくない……っ)

 

 頭の中で渦巻くものなんて、それだけだった。

 どうするかなんて、本当は決まっていた。この恐怖に勝る使命感なんて、私には全然無くて。ゲームクリアなんて無理だと思う反面、もしかしたら現実世界に帰れる日が来るかもしれないとも期待して。

 だけど、それを成し遂げる勇気なんてあるわけが無かった。誰かがやってくれると、誰かが助けてくれると、そうやって心の中で責任と期待を押し付けたいと、私は思っていた。

 

「俺は……クリアを目指すべきだと思う」

 

 それだけに、ケイタの言葉はとても受け入れ難く、嘘であって欲しいと思わずにはいられなかった。

 

「ぇ……?」

 

 震える唇をどうにか動かして、言葉にならない音を漏らした。座り込んでいた私は、俯く視線を上げずにはいられない。

 なんで、どうしてと。態々死にに行くようなものだと、そう言いたかったのに。何故だか口が回らなかった。

 

「このまま此処に居ても解決なんてしないし、だったら少しでもゲームクリアに近付く為に僕らも強くなるべきだと思うんだ。今は一人だって、戦力は多い方が良いだろうし」

 

 それはとても耳触りの良い言葉だけれど、ケイタのそれは本心なのだと、長い付き合いで理解した。こんな状況下に陥ってもなお変わらずにいようとする彼の姿勢とその正義感が、途轍もなく恐ろしい。

 

 そして何より驚いたのは、私以外の全員がそれに賛成したことだった。目と耳を疑いつつも、それは現実だった。何処か闘志を宿した瞳で、呆れるくらい真っ直ぐで。挑戦的に笑みさえ浮かべて。それらの光景は、怯えるだけの私には眩し過ぎて。まるで私だけ彼らと隔絶されたみたいだった。

 

 なんで、どうして。

 何故、そんなことが言えるの?

 どうして、無理に戦おうとするの?

 本当にクリア出来ると思っているの?

 

 “それは、私達がやらなきゃいけないことなの?”

 

「っ……」

 

 その一言が、どうしても言えなかった。

 言ってしまえば、見限ってくれるかな。私を、置いていってくれるかな。

 ……なんて、一瞬でも思ったというのに。

 

 けれどきっと、彼らは優しいから、私を決して見捨てたりはしてくれない。決して置いて行ってはくれない。それに何より、私が孤独に耐えられなくなると思った。

 死と同じくらい、この世界での孤独はきっと恐ろしい。だから、置いて行ってくれとも、独りにしないでとも言えなかったんだ。今の私は中途半端な覚悟さえ持っておらず、どうしようもなく戸惑い怯えるだけの存在だ。戦う意志もないくせに、一人は嫌だったから。だから、何も言わずに首を縦に振るしかなかった。

 

 

 ────そんな時だったんだ。君に出会ったのは。

 

 

「けどそれはまた後で、みんなで話し合おう……大分人が減ってきたな。取り敢えず移動しようか」

 

 広場を見渡したケイタが、みんなにそう告げた。つられるように辺りを見やれば、最初と比べてめっきり人もいなくなり、夕日も沈みかけていた。一万人も居たから気付かなかったが、この広場でさえ相当に大きい。世界から取り残されてしまった感じがして、ただでさえ胸にあった孤独感が去来する。

 どうにか恐怖を押し殺して、ケイタ達の後ろを引っ付くように前に進む。これからどうするにせよ、先ずは宿を確保するのが先決だという彼の判断だった。まだチュートリアルが終わってからそれほど時間も経っていない。同い歳なのに、ケイタの行動力はリーダー足り得るものだと感心した。きっと、彼のようには一生なれないだろうと思いながら、再び辺りを見渡した時だった。

 

「ぁ……」

 

 ────広場を囲む巨大な柱の一本に、所謂体育座りをして蹲るプレイヤーが目に入ったのだ。

 柱を背もたれに項垂れ、フルフルと小さく肩を震わせている。遠目から見ても華奢なその身体は、今にも崩れてしまいそうなほどに弱々しくて、このまま朽ちてしまうのではないかと思わせるくらいに切なかった。

 長めの黒い髪で顔は隠れていてよく見えない。けれど、一目で怯えているのは分かった。そして、彼は独りなのだと理解した。周りに仲間や知り合いだろうプレイヤーは一人としておらず、彼はただ孤独に俯き、絶望していたのだ。

 

 

(……私だ)

 

 

 ──── 一瞬で、彼と自分が重なった。

 

 まるで鏡像。もう一人の私だと思った。俯く姿も、震える肩も、わななく口元も。────そしてきっと、辿るべき結末も。

 見ず知らずの、赤の他人。名前も知らないうえに素性も性格も、善悪もつかないような他人。それでもこの場で彼を置き去りにすれば、きっと後悔すると思った。

 

「……ねえ」

「どうした、サチ?」

「っ……お願いがあるの」

 

 了承されるとは思ってない。それでも、誰かを助けようとしたその行いを、神様が見てくれると思った。善行を働けば返ってくると思ったのかもしれない。見捨てなかったという記憶が欲しかっただけなのかもしれない。

 

 ────けどきっと、それだけじゃなかった。

 分かってくれる人が、気持ちを共有してくれる人が欲しかっただけだったんだよ。

 

 

 好きになるだなんて、思いもしなかったんだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ●○●○

 

 

アインクラッド、現在第49層。

 2023年12月────

 

 

 誰もいない荒野で獣の声だけが響き渡る。その中で殺意の込められた剣を、淡々と振るった。

 

 暗闇とも呼べる時間帯の中、それを貫く刀の閃光が大型の狼にも似た獣の身体を四散させる。

 それを目の端で捉えつつ迫り来る第二の牙、その獣の顎に向かって空いた左手を構えると、硬直無しにその腕が光を帯び始め、それを瞬間突き上げた。直撃した狼は一瞬でその身を上空へと舞い上げ、そしてポリゴン片となっていく。視界はまだ三、四体同種が混じり込み、刃が再び軌跡を描く。

 

「次」

 

 振り返りざまに振り抜いた刃先が獣を上下に分断し、死体を飛び散らせ撒き散らす。空気が破裂するような音で鼓膜を震わせ、更に意識が沈み込む。

 もっと速く。素早く。的確に。効率良く。

 こんなものでは足りない。こんなものでは満たされない。こんなものでは戦えない。こんなものでは救えない。こんなものでは────

 

「次」

 

 返す刃で背後の獣の上体を難無く斬り裂き、空中で分裂した狼の頭を鷲掴むと、そのまま此方へ向かってくる獣に向けてそれを振り抜いた。直撃し、朦朧とする狼の側面から回り込み、再びソードスキルで斬り伏せる。

 

「次────……ぁ?」

 

 その獣が光の破片と化して砕け散る音を最後に、辺りが静けさに見舞われた。ふと、我に返って辺りを見やればただ虚無の荒野が広がるだけだった。リポップしたモンスターを再び掃討してしまったらしい。

 

「……」

 

 ────もう、かれこれ何時間が経過しただろうか。

 なんとなくウィンドウを開いてみれば、午前四時。空は曇っている為に、いつもよりも暗く感じる。この場所に来たのは夜中の十時。休まずに此処に居続け、湧いて出るモンスターを斬り潰しているとするなら、もう六時間は経過していた。

 

「……足りない」

 

 集中力は戦闘を重ね、時間を重ねる度に増していく気がした。

 時間が足りない。この時間に至るまでにあともう一レベルは上げる事を目標としていたのに。効率がまだ悪い。自責の念と反省点の改善で思考が回る。

 

(……此処も慣れたな)

 

 もうこの狼共の攻撃パターンは割り出せている。飛びかかっての噛み付き、爪に寄る引っ掻き、それだけだ。数は多いが徒党を組むだけで連携はザルだし、最後の方は寧ろ一匹ずつご丁寧に来てくれて、殺しやすくて有難かった。

 今はもう、目の前にいるモンスターはただのレベルを上げる為の経験値にしか見えていない。けど、それで良い。

 

 ────いなくなったのなら仕方がない。リポップするまで待てばいい。そんな、死の危険や恐怖を度外視した思考が続く。

 

「……お腹空いた」

 

 ここは四十九層、現在の最前線。今解放されているフィールドの中でより多くの経験値が入手出来る。ただそれだけの理由で赴いたこの場所は、通常ソロで赴くには都合が悪過ぎる。

 モンスターの湧きは早いが、このモンスターは集団で行動するからだ。在り来りな攻撃パターンではあるが、数の利でのみ述べるなら決して雑魚ではない。つまり何が言いたいかというと……この狩り場は完全にパーティ向けのものだった。

 

「保存食……は、もう無いか。チッ、買いに行くの面倒だな……」

 

 だが、そんなのは知った事ではない。一番早くレベルが上がるならそれで良い。効率など考えているだけ無駄だ。そんな場所は人が集まるし、今は他者が周りにいると集中力に欠ける。逆に言えば、ソロで片付ける事が可能ならばレベルを上げる速度は段違い。ただそれだけの事だ。

 

(……いいか、別に。食べなくても死ぬ訳じゃないし……)

 

 どれほどの屍を越えても、満たされた気がしない。武の頂きに到達した気がしない。一体あとどのくらいの敵を殺せば、理想の強さに到れるだろうか。

 迫り来る敵を斬り伏せ、威嚇している敵を斬り倒し、背中を見せる敵さえも容赦無く斬り潰し。

 そうしてモンスターを倒して倒して、その先に求めたものが本当にあるのだろうか。欲しかったものが、手に入るだろうか。

 

 先の見えない迷路のように、思考は渦巻いていた。

 

 

 ▼

 

 

「いつまでそうしてるつもりダ?」

「……っ」

 

 背後からの気配無き声音に肩を震わせ、思わず刀を構え直した。身を反転し臨戦態勢で対象を視認して───その瞳を細めた。

 

 そこにはフードを深く被り、特徴的な三本ヒゲのペイントをした少女が丘の上から此方を見下ろしていた。特徴的な容姿を見間違うはずもなく、辟易とした様子を隠す事無く、少年はその名を口にする。

 

「……アルゴ」

「ヨッ」

 

 面倒なのに見つかったと、そう思った。少年は踵を返し、レベリングの場所を移そうと帰路に立つ。彼女に背を向けて緩やかな坂を下っていくと、静かに付いてくる鼠の影。

 ……煩わしい事この上なかった。

 

「オレっちが知る限り、もう二、三時間はレベリングしてるダロ。こんな上層でソロだなんて、よっぽど自信があるんダナ」

「……なんか用?」

 

 少年は遂に足を止めて小さく溜め息を吐くと、その黒い刀を鞘に収めた。

 アルゴが少年に近付く事はないが、後ろに立たれているのが落ち着かない。黙ったまま此方を見る彼女に耐えかね、少年は痺れを切らした。

 

「……情報屋って随分と暇なんだね羨ましいよ。僕も転職しようかな」

「お前の情報を買いたい奴が居てナ。個人的にも気になってたし様子を見に来たって訳サ」

 

 此方の情報を買いたい奴────その言葉で身体が自然と反応してしまう。生憎、心当たりが一人しか思い付かない。

 

「……キリトに結構都合良く使われてるんだね。惚れた弱みって奴?」

「な、何言ってんダヨ」

「否定しないんだ。情報屋なら特定の人間に肩入れしない方が良いと思うけど」

 

 惚れてるという部分も、キリトからの差し金という部分も。どちらも正解という訳か。

 別に此方はキリトの情報など求めてない。というか個人が目立ち過ぎて聞かなくても分かる。聞きたくなくても耳に入る、が正しいか。

 

「……悪いけど、僕の方は別にキリトの情報は買わないよ。てか要らない。買うなら────」

「フラグMOB、ダロ?」

「……」

 

 アルゴの知ったような口振りに腹が立つが、当たっているから何も言えずに口を噤んだ。

 クエスト等の攻略キーとなっているモンスターは、総称して《フラグMOB》と呼ばれている。大概は数日や数時間に一回のペースで出現するが、中にはたった一度しかチャンスがないものがある。それはボスと同等の強さを誇っており、ソロで倒す事を想定されたものではない。

 

 ……そして今は十二月。イベントが何かなど誰にだって想像が付く。それが噂されるようになったのはほんの二週間前だが、少年はとあるNPCからその情報を聞いてからというもの、以前にも増して酷い速度のレベリングを行っていた。

 

「《蘇生アイテム》……ガセかもしれないゾ」

「情報屋がそれを言うの?可能性があるならやってみなくちゃ分かんないでしょ」

「……言っとくけど売れるネタは無いゾ。オレっちは基本的にウラが取れない情報は売らない主義なんダ。今回は一回限りのイベントだし、確認のしようがナイ」

「なら今の君は僕にとって、並の情報屋の価値もない訳だ。いよいよ何しに来たんだか」

 

 優れた情報でも無ければ、後に残るのは喋り方とデリカシーの無さが癪に障る鼠でしかないと、冷たい言葉でアルゴを突き離す。彼女は表情を一瞬曇らせるが、特に帰る素振りも無い。心苦しさはあるが、このまま付いてくるとしたら面倒だ。

 

(……撒くか)

 

 そのまま転移結晶を取り出して、別のフィールドに転移しようとする彼の背中に、アルゴはほんの少しだけ、慌てたような声で放つ。

 

「……一人でやる事無いんじゃないカ?キー坊も、お前と同じ目的で動いてるんダゾ」

「……キー坊?誰それ、のび太君のお友達かな?」

「分かってる癖に茶化すなヨ」

「茶化すくらいにはどうでもいい話だよそれ。それに、聞かなくても知ってたし」

 

 寧ろ、キリトの事を告げて此方が止まると思ったのなら、それこそ心外である。

 アルゴは真剣な声音で少年を見据えるが、少年はふうっと溜め息を吐き、皮肉めいた笑みを浮かべるだけだった。

 

「四十六層の人気スポットでレベリングしてるんでしょ?パーティ向けの狩り場の順番待ちの列にソロでいるのが《黒の剣士》とか、その光景を想像すると笑えるよね」

「……」

 

 そう言って、キリトの事を思い出す。

 彼が今レベリングをしているのは、現在知られている中で最も効率の良い経験値稼ぎが可能なスポットは、ここより三層下の四十六層。虫型のモンスターが多く出現するエリアだった。

 周囲の崖に幾つも開いてる巣穴から湧き出す巨大なアリのモンスターは、攻撃力は高いがHP、防御力共に低いタイプのモンスターで、攻撃さえ躱し続ければ短時間で大量に倒す事が出来る。所謂、『当たらなければどうということはない』というやつだ。

 

 だがそこも四方を囲まれて攻撃を被弾すれば、体勢を立て直す間も無くゲージを持っていかれてしまう為にソロ向けとは言えない。そのうえ人気スポットというだけあって、現状あの場所は『一パーティ一時間まで』という、今の少年からすれば『ふざけるな』と言いたくなるような協定まで張られているのだ。

 

 そこであの黒の剣士様が律儀に順番待ちをしてるというから笑えてくる。最近はそんな目に余る行動から、《最強バカ》《はぐれビーター》と笑い者にされてるらしい。

 ……誰かのレベル上げを待つゆとりがあるなんて羨ましい限りだ。

 

「……話終わり?用事がそれだけなら────」

「……キー坊と、協力する気は無いのカ?」

「寧ろあっちが無いんじゃない?ソロだもんね」

 

 俺と一緒、と自虐的な笑みと共に歩き出す。

 キリトとは、共に所属していたギルドが消滅(・・)してから一度として会ってない。何度か此方から会いに行こうと探した事はあったが、その時はアルゴを使って情報を錯綜させてまで拒まれたというのに。

 今は此方の動向を調べさせてるだなんて虫が良過ぎて────少年の心に、言葉にできない感情が渦巻く。

 

「……じゃあ、俺もう行くから」

「少し休んだ方が良イ。酷い顔色してるゾ」

「真っ暗だからそう見えるんじゃない────っ」

「お、オイ!?」

 

 グラリと、その身体が膝から崩れ落ちる。

 一瞬だけ意識が飛んだような気がして、視界が反転したかのような幻覚が見えた。曖昧な意識の中で慌ててその刀を鞘ごと鷲掴んで地面に突き立て、その身体を支えた。

 

(……くそ、嘘だろこの程度で……)

 

 連日休み無しで討伐を重ねてきたツケが回って来たらしい。情けない。こんな感覚も感情も、ゲームの癖に不要な再現(リアリティ)だ。

 少年の身体が意識の乖離で一瞬倒れそうになったその間に、アルゴが駆け寄って距離を詰めて来ていた。

 

「限界ダロ。一度休憩しろ」

「……そういう心配は、キリトにしてやってよ」

「っ、お前……!」

「互いに干渉しないのが情報交換時のルールだったはずだろ。その境界線をもう何度と越えてるのを態々目ェ瞑ってやってるんだ。これ以上の詮索も介入も許さない」

 

 支えようと掴んできた彼女の腕を振り払い、一人で足をよろめかせながら立つ。小さく肩が震えそうになるのを堪え、口元を引き絞る。

 

「お願いだから……関わらないでくれ……」

 

 絞り出した悲痛な声が漏れて、思わず顔を上げる。アルゴの揺れる瞳を見て、思わず素の自分に────過去の自分に引き戻されそうになるのを堪えて、顔を伏せた。

 今の情けない声は、自分が出したものなのかと疑った。決意がこの程度で揺れ動く情けなさに、表情が歪む。

 

「……っ」

 

 ────上手く、虚勢を張れているだろうか。

 自分のこの弱さをひた隠して、ちゃんと“強がり”張れているだろうか。

 

 今の今まで、どうにかキリトやアルゴにだけは縋らぬようにと、心の中で二人を貶めていたというのに。

 彼女を見た途端、怖くて寂しくて不安だよと、目の前の少女にぶちまけてしまいそうになった。

 

「……それじゃあ、ね。来てくれてありがと」

 

 少年は、慌ててアルゴから離れて背を向けた。

 自分の虚勢が、弱々しいその表情が、見られていない事を信じて。

 

「……アキト!」

 

 その名を呼ばれて少年は────アキトは、思わず足を止めそうになる。後ろ髪を引かれるような思いを、それでも断ち切って前に進んだ。

 行き先を小さな声で呟き、今度こそ転移結晶を砕くとその身を光が包み込む。背を向けて、アルゴに一切の表情も弱みも見せないように。これ以上自分が惨めにならないように。

 

「キー坊の事、恨んでるカ!?」

 

「────……は」

 

 彼女の言葉の真意を聞く前に、光が視界を覆った。

 瞑った目を見開けば、そこは自分が転移結晶に告げた、指定されたとある層の草原だった。未だ天には嫌になるくらいに煌々とした月明かりがその身を照らして来て、何故か温かさを感じたアキトは、何処か懐かしさを感じて泣きそうになった。

 

「……恨んでる、か」

 

 キリトの事を、恨み辛みで語るつもりは無い。それでも割り切れない感情が、譲れない思想が脳裏を支配し、渦巻く。綯い交ぜになる感情が、簡単に許すなと告げている。内なる声が、キリトを許すなと木霊する。

 

(僕が救う……僕が助ける……キリトじゃなく、僕が……)

 

 もう目的となる物が現れる聖夜まで時間が無い。今生きているのは、地べたを這いずる思いでこの身を削っているのは、死と隣り合わせの日々を重ねているのは、かつて自分の全てであった小さな世界────《月夜の黒猫団》で、かつて守ると誓った少女の為でしかない。

 

 クリスマスのイベントで手に入るという蘇生アイテム。眉唾物でしかないそれに、アキトの残り人生を全て懸けてでも縋りたいと願う程の、たった一つの夢。

 自分が今生きている理由は、彼女の笑顔を見る為だけでしかない。

 

 

「……待っててよ、サチ」

 

 

 もう引き返せない。この道を進む以外に、アキトは明日を生きる活力を見い出せない。

 

 

 

 











【誓約 一】

失ったものを取り戻す為に、戦わなければならない。



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