羨望と嫉妬は同じ意味さ。言い方が綺麗かどうかの違いだけ。
────“俺達と一緒に来ないか?”
この世界が地獄と化した始まりの日、誰もが絶望の声を上げながら暴動を始める絵図が広がる中で、とある五人組の少年少女から差し伸べられた手と共に告げられた言葉。
それが、いずれ遠くない未来でアキトにとって無くてはならない場所になるギルド《月夜の黒猫団》との初邂逅だった。
初めて会った時、何故その手を取ってしまったのかと今でも考える。デスゲームへと世界が移り変わり、今後一万人全てが自己利益や自己保身の為の行動に走り、疑心暗鬼を繰り返すであろう事が予想される、混沌とした世界が誕生したあの日、あの瞬間に。
何故彼らは自分を信じる事に決め、また自分は彼らを信じる事ができたのだろうか。
始まりのあの日の夜、その手に情けなく縋り付いた癖に彼らの厚意や温情全てを振り払い、一人部屋に籠り恐怖で震えて醒めない夢だと現実逃避していた。何日も部屋から出る事無く、やがて彼らが諦め去っていくのを願っていた事もあった。彼らが自分を壁や囮などに利用する可能性も考えて、疑って、心無い言葉を扉越しに投げた事もあったはず。
それでも彼らは最後、落ち着きを取り戻すのに数週間かかったアキトの謝罪を受け入れ、今後の方針を話し合う仲間として全員で迎え入れてくれたのだった。
それからは攻略組を目指す仲間として六人で堅実に着実に、安全を考慮してかつ効率良く、配置やパーティバランスを考えながら都度擦り合わせをしていき、良いギルドにしていこうと切磋琢磨し合った。その慣れない温かさに戸惑うアキトを、彼らは揶揄いつつも笑いながら寄り添ってくれた。
────何故、彼らは自分を受け入れてくれたのかは、気が付けばどうでも良くなっていた。
結局答えは、あの日────自分に見せてくれた笑顔と、差し伸べてくれた手が全てだったのだと、今では思う。
自分が彼らの手を迷わず取れたのはきっと、他者への善性を失わずに笑いかけてくれた彼らの笑顔に絆されたのかもしれないと、そう思う事に決めた。
そして彼らの目指す未来の形を聞いた時、それを叶える為の行動をすると、その努力をすると決意した。彼らの優しさと恩に全力で報いようと、持てる全てをもって貢献しようと思った。そうしたいと願っていた。
ずっと此処に居られたら、と。まるで家族のように思っていた。
────あれほどまでに呆気無く消え失せるとは、思ってもいなかった。
●○●○
「……」
「……」
迷宮区なら邪魔が入らないだろうと思っていた数分前の自分をぶん殴ってやりたい。現在目の前に亜麻色の長髪を靡かせ、白を基調とした装備で統一した少女が此方を見て目を見開いていたからだ。
知り合いなんてもんじゃない。いや、彼女は此方の事は知らないだろうが、此方は彼女を知っている。女性の割合が少ないこの世界に置いて彼女の存在を知らない人間などいないレベルだ。
────攻略組最前線でその名を轟かせているギルド《血盟騎士団》の所属。
《閃光》と謳われる剣士、アスナその人だった。
「……キリト、君……?」
「違います」
アキトを見て、アキトが今一番会いたくない奴の名前を呟いた。確かに黒づくめだがキリトより髪は長めだし武器は刀だし一目見れば違う事は分かるはずだというのに、この女わざとじゃなかろうか。
「ぁ……ごめんなさいっ、知り合いと似てたから」
「……っ」
────装備、変えようかな。現状一番能力値の上げ幅が大きいのがこの
特に、目の前の少女に間違われるのなんて凄い嫌だ。アキトがアスナと会って後悔しているのは、彼女が以前キリトと組んで戦っていた事があると聞いていたからだった。
「ねぇ、待って」
「……なんですか」
咄嗟に背を向けて去ろうと思ったが、背後から呼び止められる。鬱陶しそうな表情を作り、なるべく嫌われるように振舞おうと瞳を細めて睨み付けた。
「こんな最前線で一人は危ないよ。他に仲間はいないの?」
「……いないけど、アンタに関係ある?」
「キミ、前線で見ない顔だけど、レベルは足りてるの?」
「余計なお世話」
本当に余計なお世話である。
現在の最前線は四十九層、マージンを取るなら最前線の数字にプラス五~十が基本だが、アキトのレベルは六十九と二十も離れている。流石に現仮想世界の中でも最上位なのではないかと自負もしていた。
無論レベルが全てでは無いと理解して、こうして一人死地に赴いているのだが、まさかこれ程までに会いたくないと思える相手がキリトの他に居るとは思わなかった。モンスターの群れと戦っていたのを、ソロプレイヤーが襲われていると勘違いしたのか知らないが、此方の戦闘にアスナ達が介入してきた時は苛立ちが顔に出そうだった。
「アスナ様に向かって……貴様、無礼だぞ!」
「無礼?何が?てか何その口調……ああ、そういう設定?割とこの世界楽しんでんじゃん。個人でやるのは別に良いけどこっち巻き込むのやめてくんない?」
アスナの後ろにいた、恐らく彼女の部下であろう男達の一人が此方を睨み付けてくる。アスナと同じような白を基調とした鎧に身を包み、如何にも堅物そうな顔である。
ゲームと異世界の区別が付いてないのか、やたらのめり込んでいる印象だった。随分と血盟騎士団副団長の護衛という任が誇りと見える。なんともまぁ、くだらない。
吐き捨てるように心の中で呟くと、距離を取ろうと背中を向けると、アスナが声を掛けてくる。
「ちょっと」
「何、今忙しいんだけど」
「助けてあげたのにお礼とか無いの?」
「……経験値を奪われて感謝しろなんて、トップギルドの人って割と傲慢なんだね」
「……よっぽど腕に自信があるのね」
「そんなんじゃないけど、足りないから最前線に居るだけ」
こんなものじゃ足りない。まだ、ソロで“奴”を殺すには技術も経験も執念も────殺意も、ありとあらゆるものが足りてない。
「攻略組志望なの?」
「別に。目的の為にレベル上げが必要ってだけ……コイツらの経験値もしょっぱくなってきたな……」
「……ここ最前線よ?キミ、今レベルは幾つなのよ」
「今の倒せてれば七十乗った」
「ななじゅ……!?」
悲鳴にも近いアスナの甲高い声に鼓膜が痺れ、思わず目を細める。静寂が支配する迷宮区で響くそれは、とても耳触りの良いものではない。
アスナの側近は顔を青ざめて大声を張り上げた。
「う、嘘を吐くな!攻略組でもないお前が、それ程レベルが高いはずが……!」
「別に信じて貰おうなんて思ってない。また邪魔されたくないから、心配されるようなレベルじゃないって教えたかっただけ」
「そ、それにしたって……一体どんなレベリングしてるの?」
「起きてる間ずっと戦ってればそれなりにはなるよ」
「……ちゃんと寝てる?」
「関係ある?」
何をそんな化け物を見るような顔で見るんだ。攻略組のレベル平均値よりも高かったのだろうか。なら、適当に誤魔化した方が楽に終わったかもしれないと後悔する。
此処で真偽の問答なんて無意味な事に時間を割きたくない。一分一秒を無駄にしたくないし、彼女らとの会話はこれで終わりだ。
「……じゃあ、僕はこの先に行くから」
「……ねぇ、次のボス戦に参加する気は無い?」
「は?」
「貴方の話が本当なら、ボス攻略で有利を取れる。逸早くこの世界から出る為の助けになるの」
思わず振り返ってしまった。アスナの後ろで護衛の男性達が『あ、アスナ様!?』などと言って視線を彼女とアキトに行ったり来たり。闘志を秘めた彼女の表情に、アキトは目を細める。《攻略の鬼》と呼ばれる理由を垣間見た気がする。
キリトが居るだろ────と言いそうになるのをどうにか抑えた。知り合いかと聞かれたら面倒だ。
「……他にやる事があるから無理」
「自信無いの?じゃあやっぱりレベルは嘘なんだ」
強気な声音で告げる。煽ってるつもりなのが笑えてくる。
正直、彼女と会話しているこの時間さえ惜しいと思っていたのに、ここまで付き合ってしまった自分を殴ってやりたい衝動に駆られた。
「……ああ、うん、もうそれでいいよ。会話に乗った僕が馬鹿だった」
「なっ……」
「もう行って良い?話してて思ったけど、俺アンタの事多分苦手かも」
というより、この初邂逅時の第一印象で好感度が決まったまである。此方の時間を奪ってる自覚が無いのが腹立たしい。刀を鞘に収めて、今度こそ迷宮区の奥へと進む。ボス部屋近くまで進めればもう少しレベル帯の高いモンスターがいるはずだ。
ある程度歩くと、後ろから数人の足音が聞こえた。振り返らずとも誰のものかは理解していたが、一応振り返ってみると案の定血盟騎士団御一行だった。アスナと目が合うと、彼女はふてぶてしい態度で告げた。
「……」
「付いて来てる訳じゃないわよ。私達はマッピングが目的なんだから、行き先は同じでしょ」
「何も言ってないけど」
「言いたそうにしてたじゃない。思う事があるならハッキリ言いなさい」
そう言われ、ふと彼女を見る。文句無く美少女だとは思う。そして、そんな彼女を囲うように配置された騎士団の錚々たるメンバー。
「……」
男性達に崇拝されながら囲まれ、余計に異彩を放って見えるアスナ。
……うん。なら、遠慮無く言わせて貰おう。
「……なんかオタサーの姫みたいに見える」
「貴方ねぇっ……!」
憤りの表情を見せるアスナを無視して、アキトは前へと進む。これ以上相手になんてしてられない。付いて来ていようがいまいが最早どうでもいい。些事だと吐き捨て、刀を構える。
「なっ……」
「────シッ!」
驚くアスナを置き去りに次の動作に移行する。この場の誰よりも先に索敵範囲に存在した敵を認識し、足に力を溜めて即座に解き放った。現仮想世界で恐らく最高の経験値を積み重ね、修練と執念とそれら全てを蓄積した年月に裏打ちされた技量の全てをその一撃に乗せる。
「────死ね」
瞬間、残光を引きながら黒い刀身が鮮やかな軌跡を描く。刀スキルを会得しているものなら最初に使用出来る初期技《旋車》が、次第に距離が縮まり視界に迫るリザードマンの首へと吸い寄せられるかの如く。
瞬間その首が跳ね飛び、空気が張り裂けるような破壊音が響いた。一撃をもって絶命した敵の弱々しい雄叫びと共に、レベルアップのファンファーレが鳴り響いた。これでレベル七十だ。
「────次」
今の一匹だけの筈がない。耳を澄ませ、振り返り様に刀を振り下ろす。眼前で曲刀を構えていた竜人の左肩から袈裟斬りに分断し、弧を描く様に水平斬り。流れるような刃で三体目の獣の上体と下を分裂させ、最後だと言わんばかりに刀身に光を纏わせる。
剣技は刀の連撃《緋扇》──四肢を全て刈り取る勢いの嵐は、リザードマンの身体を一瞬にして光と四散させた。
「……凄い」
「……っ」
振り返ると、そこには驚愕と期待に満ち溢れた瞳を向ける亜麻色の髪の少女と、化け物を見るような視線を向ける血盟騎士団の部下達が並んでいた。
これで、自分のレベルと助けが必要でない事が再認識されただろうか。アキトは刀を仕舞い、何事も無かった様に次の狩場へと移動を始めると、一人だけ逸早く追随する音と影。
「……本当に、レベルは高いみたいね……」
「マッピングするんじゃないの」
「……ねぇ、本気で攻略組の会議に参加してみない?」
「しない。てかオタサーの連中置いてってるけど」
「茶化さないで。真面目に言ってるのよ」
「なら俺も真面目に言うよ────執拗い、攻略組には行かない」
「……っ」
真剣な声音。怒気と苛立ちを孕んだそれは彼女を黙らせるには充分だったらしい。アキトは視線を前方へ傾け、予め決めていた進路へとその足を踏み締めた。後ろで悔しそうに腕を震わせ、失望や諦観といった感情を綯い交ぜにした彼女を────見ない振りして。
「っ……それだけの力があって……早く現実世界に戻りたいとは思わないの……?」
「思わない。現実世界に未練なんて無い。今はそれよりも大事なものがあるから」
「っ……何それ……
「そうだよ」
「……そんなの、あるわけない」
「僕にはある」
君の尺度で図るなと、アキトは瞳で訴える。睨み付けているとも思える視線の圧に、アスナは飲まれ肩が竦む。怯えたように見えるその表情が、かつての仲間のものと重なって見えて、途端に懐かしさと哀しさが押し寄せてくるような気がした。
「僕の目的は、もうゲームクリアじゃない」
「……なら、何なのよ」
「……欲しいものがあるんだ。命を懸けられる程に」
この世界の終焉よりも、優先したいものがある。この世界でしか手に入れられない、自分が狂おしい程に望んで願って止まないもの。
眉唾物でしかない事は分かってる。けどそれに縋る事でしかもう生きる術を知らなくて。
「っ……それは、何なの……?」
「……アンタには関係無いよ」
それ以上は、踏み越えてはならない境界線。彼女とは今日初めて会っただけの赤の他人。キリトの相棒だろうと関係無い。
いや、最早キリトでさえこの哀しみと痛みを共有出来る相手では無い。
────もう誰一人、この絶望を飲み干せはしない。
──── 一人きりで、歩いてるの?
──── そんな格好じゃ、寒いでしょ?
【誓約 二】
誰の手も借りず、目的を達成しなければならない。