灰を被った月夜の黒猫   作:夕凪楓

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後悔も贖罪も悲哀さえも、今は全て不要な感情。



Ep.03 後悔

 

 

 

 

 2023.12.19────

 

 

 

「ほれ」

 

 真冬の凍った地面に顔から突っ伏していると、キリトの頭上から小さな小瓶が落ちて来た。どうにか右手を突いて起き上がり、声のした方へ視線を傾けると最初に目に付いたのは相も変わらずセンスの悪いバンダナと無精髭だった。

 それはデスゲーム始まって以来の付き合いで、現在はギルド《風林火山》のリーダーをしているクラインであり、投げて寄こしてきたのは回復ポーションだった。

 

「……っ」

 

 縋るように小瓶を掴み取り、栓を親指で弾くと同時にそれを呷った。苦味のあるレモンジュースのようなそれが、長時間のソロレベリングによる疲労に染み渡るかの如く美味で、貪るような一気飲みで回復を済ませた。空になった瓶を放ると、まるで硝子が砕けたかのように消滅し、光となって消えていく。それを眺めた先に、訝しげな表情をしたクラインが変わらず立っていた。他の《風林火山》のメンバーは、少し離れた所で連携しつつ狩りをしているのが視認できる。

 

「いくら何でも無茶し過ぎなんじゃねぇのか、キリトよ。何時から此処でやってんだよ」

「……夜の、八時くらい」

「おいおい、今午前二時だから……六時間籠りっ放しかよ。こんな危ねぇ狩場、気力が切れたら即死ぬぞ」

「平気だよ。待ちが居れば一、二時間は休める」

 

 キリトがそう言うと、クラインは大袈裟な渋面で『このバカったれが……』と舌打ち混じりで吐き捨てる。聞かなかった事にして立ち上がろうとすると、先手を打つかのようにクラインが隣りにドカリと腰掛けた。

 

「……まぁ、お前さんの強さはSAOの初日から知ってるけどよ……レベル、今どんくらいだ?」

「今日上がって69だ」

「……おい、マジかよ。いつの間にか、オレよか10も上になってんのか」

 

 個人のレベル含めたステータスは生命線であるが故においそれと訊ねないのが不文律なのだが、今更隠し立てするような仲でも無い為、キリトは肩を竦めてそう告げる。クラインはただただ目を丸くして此方を見て固まっていたが、暫くして真剣な顔持ちのまま問い掛けてきた。

 

「なら、尚のこと解んねぇぜ。最近のお前ェのレベル上げは常軌を逸してる。昼間もどうせ過疎い狩場に籠ってんだろ?何でそこまでしなきゃならねぇんだよ」

「……それは」

「ゲームクリアの為……なんてお題目は聞きたかねぇぞ。お前がどんだけ強くなったところで、ボス攻略のペースは《血盟騎士団(KoB)》とかの強力ギルドが決めるんだからな」

「……放っとけよ。レベルホリックなんだ。経験値稼ぎ自体が気持ちいいんだよ」 

 

 そう言って、自虐的な笑みを浮かべてみせる。しかしクラインは『なわけねぇだろうが』と、納得する事無く食い下がってきた。

 

「そんなボロボロになるまでする狩りがどんだけキツいか、それくれぇオレだって知ってるつもりだぞ」

「ソロでもないのに良く言えるよ」

「茶化すんじゃねぇよ。いくらレベル70近くても、この狩場で単騎(ソロ)じゃ安全マージンなんてあってないようなもんだぞ。綱渡りもいいところだ、死ぬギリギリの線までレベル上げを続ける意味がどこにあるんだって聞いてんだよ」

「……ハッ」

 

 言葉の駆け引きが苦手なクラインにしては言葉を選んでる方かもしれないが、この問いの先にある彼の狙いや魂胆が見え透いていて、キリトは思わず笑ってしまう。

 

 ギルド《風林火山》はクラインのSAO以前からの旧友が中心のギルドである。その構成メンバーは誰も彼もが過干渉嫌いの無頼派で、それはリーダーのクラインも例外ではない。

 情のある良い奴なのは認めるが、そんな男が《ビーター》と蔑まれている此方にここまで気を使って見せるのは、恐らくその振りをせざるを得ない事情があるからだ。そして、キリトは既にその事情にある程度見当がついていた。

 

「別に良いぜ、そんな心配する振りなんかしなくて。俺がフラグMob狙ってるのかどうかが知りたいんだろ」

「……っ」

 

 クラインは正直に顔を強張らせると、そっぽを向いて顎を強く擦った。嘘が下手というのも考えものだと、キリトは苦笑する。

 

 ────フラグMob。

 その名の通り、クエスト等のフラグとなっているモンスターの総称。大概は数日、或いは数時間に一度の頻度で出現するが、中にはたった一度しか倒す機会のない準ボスモンスターのようなものも存在する。その分強さは半端ではない為、ボス攻略に準じた大型パーティーの構成を持ってあたるのが常識だ。

 

「……そんな焦るなよ、ぶっちゃけて話そうぜ。俺がアルゴからクリスマスボスの情報を買った、っていう情報をお前が買った……という情報を俺も買ったのさ」

「んだと……チッ!アルゴの野郎……鼠の仇名はダテじゃねえな」

 

 此方がどれだけ目的のフラグMobに近付いているのか、その進捗を探りたかった……といった所か。しかし情報提供者が悪かった、《鼠のアルゴ》と呼ばれるあの情報のパイオニアは、売れるネタなら自分のステータスだって売る少女である。

 

「ともかく、俺たちは互いに相手がクリスマスボスを狙ってる事を知ってる訳だ。現段階でNPCから入手できるヒントも全て購入済みだって事もな。なら俺がこんな無謀なレベリングをしてる理由、そしてどんなに忠告されても止めない理由も、全部分かってるんだろ」

「ああ……悪かったよ、カマかけるみてぇな言い方してよ」 

 

 クラインは申し訳なさそうにそう告げると、頭をガシガシと掻いてから続けた。

 

「二十四日夜まであと五日を切ったからな……ボス出現に備えてちっとでも戦力を上げときたいのは、どこのギルドも一緒だ。流石にこんなクソ寒ぃ真夜中に狩場に籠るようなバカは少ねぇけどな」

「言うじゃないか」

「けどな、うちはこれでもギルメンが十人近くいるんだぜ?充分に勝算あってのボス狙いなんだよ。仮にも“年イチ”なんていう大物のフラグMobがソロで狩れるようなモンじゃねえ事くらい、お前ェにも分かってるだろうが」

「だからレベル上げしてるんだろ」 

 

 クラインの言葉に、噛み付くような勢いで答えた。

 デスゲームが始まって一年。二度目のクリスマスを目前にして、現在この浮遊城アインクラッド中をある一つの噂話が駆け巡っている。およそ一ヶ月近く前から、各層のNPCが揃いも揃って同様のクエスト情報を口にするようになったのだ。

 

 ────曰く、十二月の二十四日夜二十四時丁度に、とある森に存在する樅の巨木の下に、《背教者ニコラス》なる伝説の怪物が出現する。討伐する事が叶えば、奴が背中に担いだ大袋の中に詰まった大量の財宝が手に入るだろう────と、そんな噂だった。

 

 いつもは迷宮区の踏破にしか興味を示さない攻略組の有力ギルド達も、今度ばかりは色めき立つ中、キリトは当初その噂にまるで興味を引かれなかった。

 財宝とやらが巨額のコルにせよレアな武器にせよ、今後のボス攻略の大きな助けになるのは明らかではあるのだが、クラインの言うように年に一度レベルのフラグボスを単独で倒せるだなんて思えなかったし、ソロプレイを通して家を買える程の金もある。何より、誰もが狙っているボスの討伐隊に参加して無用の注目を浴びたくもなかったからだ。

 

 ────ところが二週間前。そんなキリトの心情を、あるNPCの情報が百八十度変えた。

 それを聞いてから今日まで、キリトはこの人気かつ集団向けの狩場にソロで日参し、大勢の者から《最強バカ》《はぐれビーター》と笑い者になりながらも狂ったようにレベリングしてきたのだ。

 押し黙る此方の様子を見て暫く口を噤んでいたクラインだったが、やがて低い声で呟いた。

 

「やっぱり、あの話のせいかよ。──《蘇生アイテム》の……」

「……ああ」 

 

 ────蘇生アイテム。

 それこそが、キリトが此処にいる理由だった。二週間前、NPCがその情報を此方に告げてきたその瞬間にキリトの聖夜までの行動指針が決まったのだ。故に今日まで人気狩場に日参し、大勢の笑い者になりながらも、狂ったようにレベル上げに邁進してきた。

 

「気持ちは解るぜ……まさに夢のアイテムだからな。《ニコラスの大袋の中には、命尽きた者の魂を呼び戻す神器さえもが隠されている》……。でもな……大方の奴らが言ってるとおり、オレもそいつだけはガセネタだと思うぜ」

 

 ここまで話したのなら今更何を隠しても仕方ないと無気力に肯定すると、クラインは何度目かの深い溜息を吐きながら絞り出すようにそう言ってきて、キリトは思わずその刀使いを睨み付けた。

 

「思い出したくもねぇが、あの最初の日に茅場も言ってたじゃねぇかよ。『HPがゼロになった時点でプレイヤーの意識はこの世界から消え、現実の肉体に戻る事は永遠になくなる』」

「……この世界で死んだ後、実際にどうなるのか……知ってる奴はここには一人も居ないだろ」 

「死んだ後に向こうに戻ったら実は生きてて、目の前で茅場が『なーんちゃって』とでも言うってか?」

 

 ふざけんじゃねぇ、とクラインは吐き捨てるように続けた。

 

「そんなの一年も前に決着がついてる議論だろうが。そんな糞みてえなジョークなら、速攻プレイヤー全員のナーヴギアを剝ぎ取りゃあ事件解決だ。それができねぇからには、このデスゲームはマジなんだよ。そうでなきゃよ……これまで糞モンスター共にやられて、死にたくねえって泣きながら消えてった奴らは……何の為によ……」

「黙れよ。そのくらいの事が、俺に分かってないと本気で思ってるなら、もうお前と話す事はない」

「……キリト」

 

 クラインの言葉を遮ったその声音は酷くしがわれていた。キリト自身でも驚く程に、苛立ちを顕にして。

 

「……確かに、あの日茅場はああ言ったさ。だがな、この間の合同会議でヒースクリフが言ってただろうが。『仲間の命が助かる確率が一パーセントでもあるなら全力でその可能性を追え、それができない者にパーティーを組む資格はない』ってな」

「……ああ、確かに言ってたな。けど────」

「あの男は好きになれないが、言ってる事は正しい。可能性の話を俺はしてるんだ。例えばこうだ。この世界で死んだプレイヤーの意識は、現実に戻りはしないが、消えてもいない。保留エリアみたいなとこに移されて、そこで最終的にゲームがどうなるか待っている。それなら、蘇生アイテムが成立する余地は残る」 

 

 クラインに反論さえさせず、長広舌を振るう。そして、ここ最近でキリトが縋り付いている頼りない仮説を披露してみせれば、クラインは怒りの感情から次第に憐れみにも似た表情で目を伏せた。

 そうして次に発せられたその声は、打って変わって静かなものだった。

 

「キリト……お前ェ、まだ忘れらんねえんだな、前のギルドの事が……もう半年にもなるってのによ……」 

「────……っ」

 

 脳内に響く程に、心臓が一際跳ねた気がした。クラインからその話を切り出された瞬間、ギルドという単語が告げられた瞬間、キリトは走馬灯のように過去の記憶が脳を巡っていくのを体感し────そうして、一人の少年(・・)の顔が過ぎり、思わず逃げるように顔を伏せた。

 

「……それを言うなら、まだ半年だろ……忘れられる訳がないだろうが……俺が壊したんだぞ、あのギルドを……」

「《月夜の黒猫団》だったか?……攻略ギルドでもねえのに、前線まで上ってきた挙句、シーフがトラップ引いたんだろ。お前ェの責任じゃねえよ」

「……違う」

「生き残ったお前ェを褒めこそすれ、誰も責めたりなんて────」

「違う!!」

 

 ピシャリと、クラインの慰めを煩わしく感じて放ったその声は、深夜二時の静寂に響き渡った。遠方で狩りをしていた風林火山のメンバーでさえ、肩を震わせて此方に視線を投げてきていた。だがそんな事を気にする余裕など、今のキリトには無かった。

 

「……違うんだよ、そうじゃないんだ……俺の責任なんだよ……前線に上るのを止める事も、宝箱を無視させる事も、アラーム鳴った後でさえ全員を脱出させる事だって、俺にはできた、できたはずなんだ……俺が壊したんだ……俺が……俺がアキト(・・・)を、たった一人に……っ」

 

 ──俺が、自分のレベルとスキルを仲間に隠してさえいなければ。クラインにも教えていないその事実を、胸の奥で苦々しく嚙み締める。

 そしてその瞬間、自分の卑劣さと狡猾さを自覚した。まだ自分可愛さにその事を誰にも話せないでいるというのか。苛まれるのが怖くて、責められるのが嫌で、都合の悪い事を仕舞い込んでいるかのようで、そんな自分が堪らなく嫌になる。

 

「……“アキト”。それが、生き残った奴の名前か?」

「……っ、余計な詮索は止めろよ、クライン」

 

 これ以上、本当に話す事は無い。クラインが何かを口にする前に、キリトは切り上げ目的で話を続けた。

 

「確かに一パーセントもない確率かもしれない。だけどゼロじゃない。ゼロじゃないなら、俺はそれに向かって最大限の努力をしなきゃいけないんだ」

 

 自分がクリスマスボスを見つけられる可能性。

 そのボスをソロで倒せる可能性。

 蘇生アイテムが実在する可能性。

 そして死んだ奴の意識が保存されてる可能性。

 それらを全部合わせたら、砂漠から砂を一粒探し出すような不可能に近い話かもしれない。それでもゼロでないなら、己自身の愚かさを償う為に、アキトにもう一度会う為に、この贖罪の果てを見据えなければならない。

 

「大体な……お前だって別に金に困ってる訳じゃないだろ。ならボスを狙う理由は俺と同じじゃないのか」 

「……フン、俺はお前ェみてぇな夢想家じゃねぇよ」

 

 此方の問いに、クラインは鼻を鳴らしてそう告げると、地面に置いてあった刀の鞘を摑んで立ち上がった。そして、何処か遠くを見るような瞳で前を向く。

 

「ただよ……オレのダチも前に一人やられちまってる。アイツの為にやるべき事はやってやんねえと、寝覚めが悪りぃんからな……」 

「同じだよ」

「違うね。あくまで俺達は財宝狙いのついでにやってんだ。……どれ、ちょっくら連中の様子見てくるわ」

「ああ」

 

 クラインの向かう視線の先には、風林火山のメンバーが居た。変わらず巨大なアリ相手に連携を組んで戦っている。遠目から見ても良いチームだと分かる。雰囲気はまるで違うが、何処かかつて所属していたギルドと似ているような気がした。

 それを何の気無しに眺めていると、遠ざかるクラインがふと振り返って目を細めた。

 

「それからよ、オレがお前ェの心配したのは、別に情報聞き出す為のカマかけばっかりじゃねえぞこの野郎。無理してこんなとこで死んでも、お前ェに蘇生アイテムは使わねぇからな」

 

 そう吐き捨てるように告げて背を向ける。今度こそ会話が終わり、クラインのシルエットが小さくなる頃に、キリトは小さく呟いた。

 

「……頼んでねぇよ」

 

 

 

 

 ●○●○

 

 

 

 

「……チッ、クソ……気分悪ぃ」

 

 翌日、最前線である49層迷宮区にて《風林火山》メンバーとマッピングを兼ねた狩りをしている最中ではあるが、クラインは昨日のキリトとのやり取りを思い出しては今日何度目か分からない舌打ちをしていた。最前線は特に危険でいつも以上に気を張るべき場所であるにも関わらず、リーダーである彼が一番気を散らせていた。

 

 昨日の狩場は午前中になるとレベル上げ目的のプレイヤーの集団で順番待ちになる為此方に来たのだが、この有様では寧ろ足を引っ張る結果になりかねない。敵一体を屠るのに時間を掛けてしまっているのは明らかに自身の落ち度に寄るものだった。

 しかし仲間の誰一人そこに対して文句を言ったりしては来ない。寧ろ、その敵を倒し終わり周りにモンスターが見当たらなくなった途端に、仲間の一人が此方に振り返って告げてきた。

 

「一旦休憩しようぜ」

「……すまねぇ」

「謝んなよ」

 

 仲間にそう笑いながら肩を叩かれ、クラインはそんな仲間達に有り難さを感じて笑みを零す。いつもこうだ。互いに互いをよく見てる。確かに過干渉は好かないが、こうして気の置けない連中で組んでいると互いの事がよく分かる分、連携だけでなくこういった部分でも気が回る。

 助け合い笑い合い、そうして強くなる。彼らはクラインにとって、確かに‘‘仲間’’だった。

 

 きっと、キリトにとって《月夜の黒猫団》も───

 

(っ……くそ)

 

 今、自分が何を抱いているのかがクライン自身もよく理解出来ていなかった。キリトに対しての苛立ちか、怒りか、悲しみか、心配か。色々なものが綯い交ぜになり、彼の悲痛に歪んだような表情を思い出す度に苦虫を噛み潰したような顔になるのを自覚する。

 けど、一番強いのはきっと────後悔。今の自分ではキリトに何もしてやれないと言い訳し、最後には彼を変える努力を諦めてしまった事への後悔だった。昨日、もっと違う言葉や伝え方があったのではないかと思うと、日を跨いだ今でも心に靄がかかって消えない。

 

 このまま行けば、キリトは最悪死んでしまうかもしれない。そう思うと、気が気でなかった。ゲームクリアの為の戦力としても、友人としても、やはり死んで欲しくないと思ってしまうのは我儘だろうか。

 

 一体、あの時自分はどうすれば────何を言ってあげられたら良かったのだろうか。

 それとも、自分が何を言っても彼は変わらなかったんだろうか。

 

「……なぁ」

「だよな……」

「……ん?」

 

 ヒソヒソと小声が聞こえて、クラインは我に返る。休憩するべく安全圏に移動する最中だったのだが、先行していた仲間達が何故か立ち止まり、あさっての方向に視線を集中して何やら話していた。

 全員が困惑を隠せず訝しげに視線の先の何か(・・)を眺めており、クラインもそれにつられて視線がそちらへと傾いた。

 

「……ぇ」

 

 ────その視界の中央で、鮮やかな剣閃が舞う。

 

 自身と同じく刀をその手にする少年の後ろ姿、光を纏う剣戟が四方を囲うリザードマンの首を付け狙う。一撃、二撃三撃四撃──僅か数秒の間に繰り出される閃光のような刃の応酬は、その名を頂くアスナにさえ匹敵───いや、それ以上かもしれない。吐き出された斬撃全てが会心の光を放ち、斬撃を受けた全ての敵が一瞬にして死滅する。第二波にて咆哮と共に繰り出される竜人の曲刀を容易くいなすと、その力を利用し流れるように次の一撃を繰り出す。

 

 血にも似た赤いエフェクトが飛沫のように舞い、それを一身に浴びながらも少年は止まらない。踏み出した一歩で敵の懐まで入り込むと、ただその一撃を重く叩き落とすだけで絶命させる。その繰り返しはまるで暴風の様だった。

 そして最後の一匹を前にして、その剣舞が金色の光を帯びる。その焔にも似た美しい輝線に誰もが魅入られる。肌で理解出来るのは、その技の威力。未だクラインでも到達していない、恐らく刀の最上位剣戟。

 

「────“散華”」

 

 その剣技の名が告げられた瞬間、紫電にも似た速度で刃が竜人の身体に叩き込まれ、呻き声にも似た咆哮が響き渡る。そして、その身に刻み込まれた深い傷を認識する前にその身体が四散した。

 未だ完全には消えずに残る、モンスターの残骸から生まれる光の粒子が空へと昇っていく様は幻想的ですらある。その景色の中心点で、それを生み出した少年はただ立ち尽くし、小さく息を吐き出していた。

 

「っ、キリト……」

 

 その刀の使い手を、クラインはジッと目を凝らして見据える。そこには、つい先日言い合いになった黒ずくめの少年が────いや、違う。

 

「……じゃ、ねぇ……?」

 

 黒のフード付きのロングコート、片手用直剣と同様に反りのない真っ直ぐの黒刀、靡く程に長めの黒髪。SAO初日からの付き合いであるキリトに、よく似た少年だった。無感情で辺りを見渡し、何も存在しなくなった空間に安堵しているような、失望しているような。

 それにしても───キリトに、よく似ている。その格好も然ることながら、それ以外の容姿も。やや中性的なキリトと比べると女性にも見間違えてしまいそうな端正な顔立ちで、細身である事もあり最初は性別の判断が付かなかった。

 だがやはり前線ではまるで見た事がない。黒ずくめでソロだなんてすぐに噂が立つ筈だ。最たる例が身近にいる。

 

 ────しかし、やはりキリトとは違う。よく見ればすぐに分かった。容姿や雰囲気などもそうだが、そういったところではない。やや感覚的ではあるが、剣に込められているものが彼とは少し違うような気がしたのだ。闘志だけじゃない。殺意にも似た、哀しい何かを。

 誰もが固まって動けずにそれを眺めていると、その少年が索敵で察知したのか振り返って此方を視認した。

 

「……何か」

「えっ……あ、いや……」

 

 睨んでいる訳ではないだろうが、集団で揃って此方を見ていたら警戒もするだろう。クラインはしどろもどろになりながらも集団から数歩前に出て、何か言わねばと口を開いた。

 

「見た事無ぇ技で驚いてよ。それ、刀スキルか?」

「……ああ、はい。使い続ければその内使えますよ」

「お、おお、そうか……それ聞いて安心したわ。もうそろそろ刀の熟練度も良い感じなんだよな、はは……」

「……それじゃあ」

 

 此方の雑談に耳を貸すつもりは無いようで、少年は刀を背中の鞘に収めると次の狩場へ向かうのか背を向けて歩き始めてしまった。その背があまりにも────あまりにもキリトに似ていて。気が付けば、クラインは彼を呼び止めてしまっていた。

 

「な、なあ!ちょいと待ってくれ!」

「……何ですか」

「……お前さん、あんま前線で見た事無ぇけど、ソロでこんなとこ来てんのか」

 

 そう聞いた瞬間、少年は分かりやすくウンザリした表情を作る。だが初対面だの癖に態度が悪い、とは思わない。過干渉が好きじゃないのはお互い様だったからだ。それでもクラインは、最前線で一人戦う事の愚かさと危険さは理解していた。

 

「いけませんか。パーティでないと来てはいけないなんてルール無いですよね」

「最前線でソロは危険だって言ってんだよ。悪い事は言わねぇから、パーティ組んで出直しな」

「ご忠告どうも。けど先輩風なら他で吹かして下さい」

「なっ……そんな言い方無ぇだろうよ……」

「最前線が危険なのは情報が下層まで回って来ないからで、規制してるのは攻略組の連中でしょ。そんなだから攻略組志望者増えないんでしょ」

 

 痛いところを突かれて、クラインは口を噤んだ。

 この世界がデスゲームとなった瞬間、囚われた一万人は全員が被害者だ。誰もが考えなくても分かる事ではあるが、最速最短距離でクリアを目指す最低条件としてあるのは『一万人全員で協力する』事である。

 ボス攻略や年端もいかないプレイヤーの保護を目的にするならば、前線を走るトッププレイヤー達は入手した情報とアイテム、資金の最大限を中層以下のプレイヤーに提供するべきなのだ。そうする事でプレイヤー全体の平均レベルが底上げされ、攻略組に加わる者の数も今とは比較にならない程に増加するはずだった。

 それをしない理由を、目の前の少年は分かっている。

 

「自分達が一番になりたいって気持ちは分かりますけど、目的はゲームクリアでしょ。現実帰る気あるんですかって最前線の皆さんに言っといて下さい」

 

 彼の言う通りだった。それをしない理由───それは、自分達が常に最強でいたいからに他ならない。攻略組を攻略組たらしめているそのモチベーションは至極分りやすい。つまるところ、数千人のプレイヤーの頂点に立つ最強剣士で有り続けたいという執着心それ自体なのだ。

 クラインにも似た感情が無い訳じゃなかったし、彼の言い分に心当たりがある手前、これ以上強く言う事もできなかった。

 

「……気に障ったんなら謝る、悪かったよ。でもな、最前線に見た事も無ぇ奴が一人で彷徨いてたら心配にもなるだろうよ。少しでも気ぃ抜いたらあの世行きなんだぜ?」

「その辺はもう折り合いが付いてるんで放っといて下さい。別にヤケになってるとかじゃなくて目的あってのソロなんで」

「目的?攻略組でも目指してんのか?だったら俺達と暫く行かねぇか?お前ェさんが居てくれたら心強い」

「目指してないんで行きません。てかこの問答、前にもやったんですけど。攻略組って皆そうなんですか」

 

 どうやら以前にも誰かしら攻略組にこの話をされている様で、彼には既に耳にタコの様だった。確かに個人的な事を聞いてしまった自覚はあるので、クラインは渋面を作る。いつもなら『そうかい、分かったよ』などと言って引き下がり、変わらずメンバーと攻略を続けているはずなのに。

 だが、その理由は既に自覚していた。

 

「あー……悪ぃな、俺の知り合いにお前さんが似ててよ。一人で戦ってんの見てると、何かお節介焼いちまうんだよ」

「……」

「ソイツも、一人で色々抱え込んじまっててな……このままじゃどうにかなっちまうんじゃねぇかって……もっと何か言ってやれる事とか、してやれる事があったと思うんだけどな」

 

 ────何故出会って間も無い相手にここまでの事を感じてしまっているのか。どうしてこんなにも自分の想いを吐露してしまっているのか。

 彼がキリトによく似ているからだろうか、どうにも他人に思えなくて肩入れしてしまいそうになる。キリト同様にいつ死んでもおかしくないような、そんな予感がして。どうにも放って置けなかった。

 だがそれを告げた瞬間、少年は小さく鼻で笑った。

 

「……しょうもな」

「……あ?」

「話聞いて損した……じゃあ、もう行くんで」

「っ……んだと……?」

 

 自身の思いを足蹴にされ、流石にクラインは眉を寄せて踵を返すその背に一歩近付いた。だが此方が何か言う前に、少年は振り返って目を細めた。

 

「要は、貴方がそのお友達とやらに抱いてる後悔の念を、僕で晴らそうとしてるって話ですよね」

「……っ」

「自己満足は他でやって下さい。……すみません、もう行きます。本当に時間が無い(・・・・・)んで」」

 

 今度こそ、クラインは何も言えなくなってしまった。そのご最もな言い分があまりにも的を射ていて、思わず俯く。確かに彼をキリトと重ねて、キリトにできなかった事を彼を代わりに行おうとしていたその心根を見透かされていた。

 

「…………」

 

 動揺と情けなさと恥ずかしさで肩が震えそうになるのをどうにか抑え、ふと彼の言動の違和感に気が付く。それは彼の『時間が無い』の発言だった。何か緊急のクエストを進めてる様子は無く、攻略組志望でも無い。仮に志望だとしても急ぐ必要など皆無だし、攻略ペースを一気に上げるのは命取りだ。何か限定のクエストや周期的にあるフラグMob等の明確なリミットが確立されたクエスト以外でレベリングを急ぐ必要は────と、ここまで考えてクラインは漸く理解した。理解してしまった。

 緊急でレベルを上げなければいけない理由。先日のキリトと彼が重なって見える最大の理由は見た目なんかではなく、その行動原理。

 

「……もしかして、クリスマスのフラグMob狙ってんのか?」

 

「───……はぁ、ホントに関わるんじゃなかった」

 

 少年は足を止めて、再び振り返った。少年とクラインの視線が交錯する。そうして漸く気付くのは、彼の頭上左側の体力ゲージに寄り添うギルドのシンボル。三日月と黒猫。

 それを見た途端、口元が震えた。彼のシンボルを、クラインは過去に一度見た事があった。

 

「……お前、ひょっとして……《月夜の黒猫団》の生き残りか……?」

 

「────……知ってるんだ」

 

 少年は、儚げに少しだけ笑みを浮かべたような気がした。反対にクラインは動揺を隠し切れずに瞳が揺らぐ。知ってるも何も、そのギルドはキリトが所属し、先日になってキリトともう一人以外が全滅したと聞いたばかりだった。

 つまり目の前の彼が、その黒猫団の生き残り。キリトが呟いた────アキトという名の少年なのだと、クラインは遂に理解した。

 

「なら……なら、僕がフラグMobに求めてる事も、ソロでレベリングしてる理由も、多分分かってしまいますよね」

「……蘇生、アイテム……やっぱりお前ェ、キリトと同じじゃねぇか……!」

「……ああ、やっぱりキリトの知り合いだったんだ。じゃあさっき言ってた知り合いってキリトの事か」

 

 キリトを知っている。ならやはり、この少年がアキト。その事実がクラインの中で落とし込めた瞬間、二人の精神をすり減らす在り方が重なり、同じ目的の為に死に急いでいる事を知った瞬間、思わず声を荒らげた。

 

「何で……っ、何で別々でレベリングしてるんだよ!同じギルドの仲間なら、協力した方が上手くいくだろうが!」

「もう同じギルドじゃないですよ。僕はシンボル残す為に入ったままですけど、キリトは全滅した日に脱退したんで」

「っ……そういう事じゃねぇよ!同じ目的だろ!仲間を蘇らせてぇんだろ!」

「貴方には関係無い。……ああでも、貴方達も狙ってるんですか?」

 

 アキトはただ冷たく、そう言い放った。キリトの名前を出しても動揺すら見せず声音も変えない。心底どうでも良いと、既に終わった関係だと表情が告げていた。

 

「言っとくけど、僕の情報はアルゴからは買えないですよ。フラグMobに関してはほぼ全て一人で調べてるし、もう出現場所にも見当がついてる」

「んだと……」

「ちょっとした小遣い稼ぎとしか思ってない奴らとは執念が違うんで」

「お前ェさっき情報の独占に文句言ってたじゃねぇか」

「ゲームクリアに関わる範囲での話でしょ。これは攻略とは直接関係が無い。奴を殺す、その邪魔は誰にもさせない」

 

 たった一人で、ボスに挑もうとするその執念さえキリトと変わらない。アキトの何もかもが彼に重なってしまう。《蘇生アイテム》などという、あるかどうかも分からない眉唾物に縋らんとする痛々しいまでもの自己犠牲。全てを投げ打ってでも聖夜に懸ける思いの丈。

 ふざけやがって、と心底思った。

 

「そうかよ……お前さんも、そうなのかよ……んなあるかどうかも分かんねぇもんに命懸ける事なんかねぇだろ……!」

「違う、逆だよ逆」

 

 呆れるように笑う彼が、一歩二歩とクラインに近付いた。これまで丁寧語だった口調が取れ、凍えるかと思う程の声と絶望を知った瞳に呑まれ、クラインは震えた。

 

「────……ぁ」

 

 そして、理解した。

 

 

「僕にはもう、これにしか命を懸ける理由が無い」

 

 

 もう誰にも、彼らを止められない。

 もう誰にも、彼らを変えられない。

 そんなどうしようもない事だけが分かってしまったのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ──── ごめんね。

 

 ────もう、声をかける事さえできないけど。

 

 

 








【誓約 三】

望むものに至る情報の全てを、誰にも開示してはならない。


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