灰を被った月夜の黒猫   作:夕凪楓

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会いたくて、逢いたくて、遭いたくて、あいたくない。




Ep.04 昏倒

 

 

 

 

 2023. 12. 22 ────

 

 

「……くそ」

 

 聖夜まであと二日に差し掛かろうというのに、目標としているレベルに到達していない事実にアキトは歯噛みする。当初予定していた最短経路と最短効率の目算で理論上は稼働時間内にはレベルを80までに、そうでなくとも70後半に到れるはずだったのだ。それが達成されてないという事は、どこかでサイクルが乱れた事に他ならない。

 原因の究明などするまでもなく、集中力と体力と執念と憎悪と欲望と不足であると理解する。まるで自分の願いが程度の低いものだったと突き付けられているような感覚に、自分への苛立ちや怒りでどうにかなりそうだった。

 

「……情けな」

 

 何より、これだけレベルを上げても標的を独りで殺すに至れない可能性を考えてる事自体が論外過ぎて嗤えてくる。いつまで経っても実力とレベルに自信が伴わない。既に決別したとも言える憧れの背中を目蓋の裏でいつも思い起こしては、そんな自分が嫌で思考を振り払う。

 

「────……っ、ぁ」

 

 ガタン、と膝が崩れる。一瞬だけ意識が自身の身体と乖離したような感覚に陥る。自分の感情と思考とは裏腹に、偽りの身体は休息を求めている。ふざけるなと、その膝を立て刀を地面に突き立てる。休む暇など無い、二十四日の深夜に移動するまでのギリギリまでこの身体を執念によって突き動かし続けて理想に辿り着かねばならない。

 現在のレベルは75、目標達成しなくともせめてあと二回ほど数値を上げる必要がある。

 

「まだ……まだ、足りない。何が足りない。何で補う」

 

 目標を、マージンを、安全を、安心を。それらを確保しなければ安堵するに至らない。恐怖、焦燥、動揺、不安が身体を支配する。だがそれは標的に殺される可能性、死ぬかもしれない可能性を示唆しているのではなく、理想の強さに至れなかった場合、標的を独りで倒せず、或いは独りで戦う事が叶わず、或いは目的の物が奪われ、或いは目的の物が存在しない可能性に怯えている。それら全ての有無を自身で観測する為に最低限の数値が必要だった。

 少しでも勝利を確信できるほどの保証を手に入れなければ、この思考を止める事はできない。足りなければ他で補うしかない。どうすればいい、どうすれば手が届く可能性が1%でも上がる、考えろ、防具か武器か集中力か分析力か────と反芻する中、背後から突き刺さるような鋭い声がした。

 

「こんにちは」

「────あ?」

 

 思考を阻害する雑音(ノイズ)の根源を探すべく、煩わしそうな表情を隠さずに振り返る。視界端に亜麻色の髪が揺れ、正体を一瞬で理解するといよいよ吐き気がした。

 

「……またアンタか」

「何よその態度、やな感じ」

 

 互いに不機嫌な表情を隠さずに見つめ合い────否、睨み合う。第一印象が最悪なだけに険悪な雰囲気が払拭されない。言わずがもがな血盟騎士団の副団長様である少女────アスナが、膝をつく此方を見下ろしていた。

 

「……何やってんのよ、こんなとこでしゃがみ込んで」

「…………」

 

 アキトは刀を支えに立ち上がると、アスナの問いに答える事無く背を向ける。以前に彼女との会話で時間を無駄にした事をかなり根に持っている為、今回こそは言葉を交わさない決意が固かった。しかし唐突に左腕の裾を掴まれた事で思わず足を止め、瞠目して再び振り返る。

 

「待ちなさい」

「…………何」

 

 アキトは仕方無く、心底うんざりした表情で迎え撃つ事にした。効果は絶大だったようで、アスナの眉を寄せて瞳を細めた。

 

「声掛けただけでその反応は失礼じゃない?」

「…………はぁ。この前の取り巻きはどうしたの」

「今日はもう全体での狩りは終わってるから解散したわよ。私は個人的に此処に残ってレベル上げ」

 

 それを聞いて眉を寄せる。《血盟騎士団》は───というより攻略組の面々は基本的に集団でのレベリングで安全を確保しながら経験値を満遍無く分配するような行動指針を取っている。より安全なやり方で確実に数字と経験を作る事ができるので効率自体は悪くないのだが、彼女はそれでもまだ足りないようだ。

 アスナのような死に急ぎが過ぎる最近の攻略ペースに辟易してる奴らも少なくなさそうなのが、流石《攻略の鬼》と呼ばれる所以である。一分一秒を無駄にしないその考え方は同意だが、アキトは現在進行形でその一分一秒を彼女に奪われている事実に変わらぬ憤りを感じていた。

 

「……ソロは危険とか言ってなかった?」

「ええ、そうね。なら、パーティを組みなさいよ」

 

 とんでもない事を言ってきた。命令口調が癇に障ったのもそうだが、欠片も魅力に感じないその提案を、アキトは一瞬で一蹴する。

 

「やだね。効率が悪い」

「ソロの方が悪いでしょ……もしかして、足を引っ張ると思ってるの?君、私が攻略組なの分かってる?」

「僕の経験値の一部でもアンタに流したりするつもりはないって言ってんの」

「……必死ね。そんなに最強になりたい?」

 

 チラリと、アスナを見る。相変わらずの冷たい表情に加えて、知ったような風に告げる彼女に、アキトは嗤ってしまった。彼女は自分がこの世界の誰よりも強くなりたい、その優越感に浸る為に戦ってると思ってるのだろうか。その感情が顕著なのは最前線の攻略組だろうに、とは面倒になる事が目に見えるので言わなかったけれど。

 

「アンタこそ、ギルドと足並み揃えてする狩りだけじゃ強くなれないと思って此処に残ってるんだろ。必死なのは同じじゃないかな」

「別に普通よ。私は現実世界に一刻も早く戻りたいだけ。寄り道してる貴方よりは全然マシだと思うけど」

「……皮肉を言う為に呼び止めたんだったらもう行きたいんだけど」

 

 急いでるんだよね、と此方の裾を摘むアスナの指を振り払った。彼女は、先日同様の悔しげな表情を向けながら、眉を寄せて言葉を重ねる。

 

「貴方、本当に分かっているの?こうしている間にも、現実世界の私達の時間が失われていくのよ?」

「それはそっちの都合でしょ。前にも言ったけど、もう現実世界に未練なんて無い」

「だったら最前線でソロで戦う必要なんて無いでしょ。みんなが毎日迷宮区に潜って必死にレベリングしてる。その最前線で、貴方一人だけ寄り道で油を売って……」

「アンタは僕の貴重な時間を奪い、あまつさえ個人的な思想を押し付け、挙句攻略組の権威にものを言わせておきながら、なのに厚かましくもパーティを組めと言っている。ここまで人を馬鹿にした要求があるか」

 

 勝手な言い分はお互い様だが、迷宮区に籠るのもレベルを上げるのも、強くなりたい理由もこの世界でどう生きるかも当の自由だ。そこに彼女の主張を突き付けられても困る。

 

 

「……レベルを振りかざして遊びたいなら、下層に行きなさいよ」

 

「……何?」

 

 

 ────“遊び”。

 

 小さく呟いたアスナのその言葉を聞いて、足を止めた。それまで流し流し話していたアキトの視線の圧が強まる。眼光だけで人を射殺せてしまえそうだった。

 

「……僕がレベル上げしてる理由が、遊びだと思ってるのか」

「現実世界に戻る事以外でレベルを上げる理由なんて、どうせみんな遊びだもの」

 

 此方が苛立つのと同様にアスナも不満が爆発したのか、侮辱と軽蔑が絶えず止まらない。

 

「……クリアを目指す事以外で、何が大切なのよ。この世界なんて所詮は偽物でしょ?何もかも全てが、データで作られたイミテーションでしかない。そんなものに本気になるなんて……」

「……アンタは」

 

 言いかけて、口を噤んだ。此方の主張を言ったところで平行線だと理解した。分かり合えない事を自覚した。ならばもう、此処に居座る理由は無い。黒猫団の事を、サチの事を、目の前の少女に話したいとも、分かって欲しいとも思わない。

 

「……分かった。気分を害したなら、謝る」

「え……?」

 

 今はただ聖夜に向けて研鑽を重ねるだけで良い。それ以外の些事は、もうどうでもいい。目の前の彼女に、攻略組に、周りに、世界にどう思われ、どれほど見下され、どこまで軽蔑されようとも。だから、謝ってしまおう。残りの二日の修練を少しでもやりやすくする為に。

 

「けど、あと二日だけ此処で狩りをさせて欲しい。そしたら二度と顔を見せないと誓うよ」

「ぁ……」

 

 刀を背中の鞘に収め、この場から離れる為に進行方向へと視線を戻す。途中、アスナが何か複雑な表情を浮かべていた気がして、なんとなく振り返って言葉を重ねた。

 

「あとパーティの事だけど……僕はもう二度と、誰とも組まない」

 

 アキト自身、もうギルドやパーティを組む気はない。ただでさえ不足を補う修練の日々の中で他人と絡めば甘えが生じ、個人技が鈍る。現状の環境が劣悪だとしてもそれを変化させるつもりはない。そこに、甘さも緩さも必要ない。必要なのは経験と数値と執念のみ。願いの為に戦う意志があればそれでいい。欠片も気を抜かず、極限まで集中した状態で延々と狩り殺さなければ成長出来ない。

 特にギルドに関しては二度と所属するつもりはない。別に黒猫団に不義理だと感じてるわけではないが、また同じ事が起きる可能性を否定できない。あの場所の代わりになるものだって、この世の何処にも存在しない。もう二度と、この絶望を人生で更新する事は無い。

 

「……それじゃあ、本当に急ぐから」

「あ、ちょっと……」

 

 何か言いたそうなアスナの横を通り過ぎ、今度こそ目的地へと足を運ぼうとした、その瞬間だった。

 

「────……っ、ぁ?」

 

 突如視界が歪み、何層にもブレる。全身が麻痺したような感覚に陥り、足が縺れて膝から地面へと崩れ落ちた。睡魔にも似た感覚が勢いを増してその意識を消しにかかってくる。

 

 ────ああ、くそ。こんなところで倒れてる場合じゃないのに。

 薄れゆく意識の中で、すぐ傍に寄ってきた彼女の声が、やけに必死になって聞こえた。

 

 

 ▼

 

 

「────……」

 

 ゆっくりと、その瞳を開いた。深淵を覗いたような闇色の天井は迷宮区のもの。身体は重く、意識はあるのに感覚だけが薄いような、戻ってくるのに時間がかかっているような気がする。

 

「っ……起きたのね」

「…………」

 

 仰向けのまま視線を動かす。亜麻色の髪が視界端に映り込み、更にその先には不安げな表情の攻略の鬼、アスナだった。彼女との先程までのやり取りを思い出し、自分の現状を振り返る。

 

「……僕」

「いきなり倒れたのよ。何かのステータス異常かとも思ったんだけど……」

「……どれくらい、意識が無かった」

「……一時間、くらい」

「一時間……一時間も……っ」

 

 その事実に絶望する。つまり、それだけ修練に掛けられる時間を無駄にしたという事だった。その事実が次第にアキトの中で膨れ上がり、戦慄する。ただでさえ理想値に到達してないというのに、たかが長時間ゲームをプレイしただけで意識を失っただなんて。

 

「感謝しなさいよね。君をセーフティエリアまで運ぶの大変だったんだか、ら……って、ちょっと!?」

「……っ、行かなきゃ……」

「待って!貴方、顔色凄く悪いわよ!?もう少し休んだ方が良いって!」

 

 彼女に焦りを隠す余裕すら無く、仰向けからどうにか上体を起こそうとする。次第に感覚が自身に戻ってくるのを感じ、腕、脚、上体と順に力を入れて立ち上がる。此方の身体を支えようとする彼女の腕を振り払い、歯を食いしばりながら一歩進んだ。しかし意志とは裏腹に能信号は神経系に伝達されず、身体は震えて壁に枝垂れかかる。

 

「ほら、まだ回復してない。今日はもう止めなさい。私の転移結晶貸してあげるから────」

「……アンタは……自分の事を何も知らない奴からいきなり『休め』と言われて、攻略するのを止めるのか……?」

「っ……それ、は……けど……」

 

 アスナには心当たりがあるはずだと、言い返せない事象で論破する。攻略の鬼と呼ばれる所以は彼女自身の休みなく続ける攻略にある。彼女は、自分が休まない癖に他人にだけは休めなどと、都合の良い話だと理解していた。

 

「休んでる暇なんてっ……ない……あと二日しか無いんだ……あと、二日しか……」

 

 動かないその身を痛め付ける。震える片腕を潰れる程に握り締め、力の入らない膝にこれでもかと拳を振り下ろす。改善されてる気がまるでしない結果を前に、焦燥と苛立ちが煮え滾る。

 

「……くそ、ふざけんな……バグだろこんなのっ……修正しろよ茅場晶彦……ッ!」

 

 クソゲーが、と吐き捨てるように舌打ちし、同時に額から汗が滲み出る。自身の入力した手順(コマンド)通りに身体(アバター)が操作できないのなら、それは死と隣接する仮想世界において不手際でしかない。地獄に幽閉するだけでは飽き足らず、こんな致命的なエラーを残したまま実装に移行するなどふざけていると、創造主である茅場晶彦に対しての恨み辛みが込み上げてくる。

 

「────……二日」

「……っ」

 

 彼女の反芻したその単語を聞いて、目を見開く。失言だと気付くのが、大分遅くなってしまった。にしたって、どいつもこいつも察しが良過ぎて。これが情報を統制している攻略組なのかと、次の言葉を聞いて辟易した。

 

 

「……もしかして、イブのフラグMobを狙ってるの?」

 

「…………」

 

 

 視線だけ、アスナに寄越す。変わらず動揺を顕にした顔で此方を見つめるその瞳は揺れている。特に何か返事をしなくとも、彼女は恐らく確信してしまっているであろう事が読み取れた。

 

「……それで、必死にレベルを上げてるの……?」

「……アンタにとっちゃ、下らないの一言で済む話だろうね。クリスマスプレゼント欲しさに、躍起になってるだなんて……」

 

 アスナは何も言わず、変わらぬ表情で此方を見つめている。二日後には、もう彼女と会う機会は二度と訪れない。それに拍車をかけているのか、聖夜にかけるこの胸の熱が、想いが、溢れて止まらない。

 

「……それでも、欲しいものがあるんだ……他には何も要らない……それだけが欲しい……それだけが、僕が今生きてる理由の全てなんだ……」

 

「…………っ」

 

 その想いを口にした途端、身体が僅かに軽くなった気がした。また鈍る前にと力を込めれば、腕と脚に能信号が行き届いたのを感覚的に理解する。また動かくなる前にその脚を動かして、アスナを置き去りにして進み始めた。

 

 戦う理由の全ては、彼女にもう一度出会う為。今度こそ、自分の手で守り抜く為。伝えられなかった想いを吐き出して、そして彼女の言葉をきちんと受け止める為。そして彼女の笑顔を、もう一度この目に焼き付ける為でしかない。

 懐かしんで浸るような過去は要らない。後悔ばかりを思い出す日々は要らない。彼らと過ごした記憶を、今は無き思い出として過去に置き去りにする事など、決してあってはならない。

 

 執念と願望と欲望で突き動かして来た身体は、まだ止まるなと告げている。想いを言葉にし、それがSAOに記録された瞬間に、それまで鉛のようだったこの身体が再び動き出したのは、まるで自身のこの想いが生み出した理想に到達するべく、その願いを叶えよと世界から命じられたからのような気がして────アキトは嗤った。

 

 

「────……はは」

 

 

 ああ、そうだよ。それで良い。そのまま味方でいろよ、仮想世界。僕はこの願いを必ず叶える。それを特等席で見せてやるからよ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『ああ、楽しみにしてるよ』

 

 








【誓約 四】

ギルド《月夜の黒猫団》で過ごした時間を、過去のものにしてはならない。



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