小学生のころまではいつも僕らは隣にいて遊んでいた。けれども、ある出来事をきっかけに僕らは疎遠になってしまう。
もうお互いに喋らなくなって数年たち高校生になったある日のこと。僕は彼女に関してある噂を聞いてしまう。
「櫻木さんってアイドルやってるらしいよ」
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それは正しく僕にとって青天の霹靂であった。
僕の通う学校でいつからか流れ始めた一つの噂。普通の人からしたらただのよくあるような噂だったのかもしれない。
それが彼女に関する噂ではなかったならば……。
「ねえねえ、知ってる? うちのクラスの櫻木さんって_____」
「アイドルやってるらしいよ?」
彼女―
「わ~。見て~! 田中くん! ほわ~。鳩さんがいっぱいだよ~」
「お、おい。待てって。そんな急に走ったら危ないだろう?」
公園に群がる鳩のもとへ元気よく走っていく彼女に置いていかれないように後についていく。
「わ! 鳩さん、くすぐったいですっ!」
彼女のことを待っていたかのように鳩たちが群がっていく。鳩も彼女も本当に楽しそうだ。鳩はときに平和の象徴だというが、他に愛、真理、清浄、純粋、正直といったなどの象徴としても使われることがあるそうだ。だとするならば、彼女は純粋で清浄で正直なものに祝福を受けたさながらどこかにいる聖女のような存在といってもいいのかもしれない。
彼女を少し後ろの方で眺めていると、彼女ははっと何かに気づいたように僕のもとへと駆けよってきた。
「ほわわわ……。君がいるのを忘れてつい夢中になって……」
「いいよ。別に。まだ時間あるから……」
ついつい照れくさくてぶっきらぼうにそう言ってしまう。
「そうですか。ほわ~。よかったです。じゃあもう少し鳩さんのところにいますね」
彼女はこっちが恥ずかしくなるくらいの笑顔を向けると、すたすたとまた鳩の下へと駆けだしていった。
僕たちは、家が隣同士という今どき漫画でも出てくるか怪しいくらいの定番と言っていいような幼なじみであった。それこそ、幼いころは一緒にお風呂入っていたとかいうそういう部類のである。
彼女は、昔から内気な子で知らない人と会うたびにいつも僕の影に隠れてしまうような子であった。かといって家に引きこもっているようなタイプでもなく、結構外に出ることが好きな子であった。よくさっきのように公園まで二人で遊びにいったこともある。
昔から彼女は鳥のことが好きで、いつからだろうか家に白いギンバトを飼うようになっていた。
「ぴー、ぴー鳴くからピーちゃん!」
白いギンバトに名前をつけるとなったときそう言っていたけ。いかにも彼女らしい名づけ方である。
そんな優しい笑顔の絶えない子の隣にずっといたのだから、当時は考えたこともなかったのだが少なくとも子ども心には気が合ったのだなと今にしては思う。隣にいて癒されるのはもちろん、結構抜けているところも多い彼女であったから「僕が守らなくては!」という気持ちになっていたこともあるだろう。あの頃は本当に幸せであった。
人生でよかったと思える期間というのは往々にしてそう長くは続かないものである。
小学校生活も終わりに差し掛かろうとしたある日のこと。
「なあ、ちょっと話あるからついて来いよ」
僕は、クラスのガキ大将と呼ばれる男の子に校舎裏に呼び出されていた。
そいつは本当に喧嘩に強くて、誰もそう呼び出されたら断ることなんてできやしなかった。もちろん僕もである。
真乃が心配そうにこっちを見ている。僕は強がって「大丈夫だよ、心配しないで」と目線で彼女に伝えた。足は既にガクガクで今にも逃げ出したかったくせに。そんな内心を彼女は知ってか知らずか、僕が目線で伝えてもなお教室を出るまで表情を曇らせたままであった。
校舎裏についた途端、そいつは僕の
「痛っ」
思わず声が出る。じりじりとした痛みが一瞬で体中を伝わる。
「おい、お前。櫻木とはどういう関係なんだよ。ずーっと一緒につるんでよぉ?」
やはりそのことか。予想していた通りであった。
真乃は内気で大人しい子だけれども、ほんわかしていて美人だからクラスの男子の中では隠れた人気があった。このガキ大将も彼女に気があるみたいな噂を昔どこかで聞いていたものだから、なんとなく僕が呼び出されたのは彼女に関してのことではないかと思っていたのである。
「おい!! 黙ってないでさっさと答えろよ!!」
彼は僕の耳元すぐ近くの校舎裏の壁をドンと叩いてきた。脅しのつもりなのかもしれない。
「……。別にただの幼なじみだよ」
彼からふっと目を逸らしてそう答える。もっと他の伝え方があったはずなのに。
「ふ~~ん。じゃあ、別に俺が櫻木のこと取っても文句ないわけだ?」
「……」
彼はニヤリと嫌らしい笑みを浮かべた。多分、彼女は君のこと何とも思っていないであろうからこいつが告白とかしても断るのは目に見える。でもそれはそれとして僕はその言葉にまったく反論ができなかった。だって、そうだろう? 僕らはただの幼なじみなのだから。それ以上もそれ以下でもない関係なのだから。彼女が誰とどうしていようとも僕に文句を言う筋合いなんてないのだから……。
「ははん。じゃあ、今ここで櫻木とは付き合う気はないのでもう関わらないでくださいって言えよな」
「は? なんでそうなるんだよ!?」
僕が突っかかると、そいつは一発僕の顔を殴ってきた。強烈な痛さが僕を襲う。
「お前なんかが俺に口答えするんじゃねえよ!」
理不尽だ。理不尽にもほどがある。僕はカッとなって彼を睨みつけるとまたそいつは顔を殴ってきた。衝撃で後ろによろけるとそのまま後ろの壁にぶつかり座り込んでしまった。
「なあ、早く言えよ。なあ?」
サッカーボールを蹴るように座り込んだ僕のことを蹴り続けながら彼は僕に促してきた。
「…………やだ」
「あ?」
「嫌だよ。そんな思ってもないこと言うなんて……」
彼がどんなに暴力を振るおうとも僕は譲ることなんてできなかった。弱弱しい声だったけれどもこれは僕にとって精一杯の反抗であった。
「……っち」
彼は大きな舌打ちをすると誰かに顎で促した。すると、どこかに隠れていたのだろうかわらわらと彼の手下が現れてきた。
「口でわからん奴には身体でわからせないとダメだよな?」
それを合図に手下たちが座り込んでいた僕を無理やり立たせて、まるでボクシングのサンドバッグのようにボコボコに殴ってきた。こういうときに自分が運動ができたらよかったのだが、生憎教室の隅で本を読んでいるようなそんな人間だったからこんなときに反抗できる手段というのを持ち合わせてはいなかったのである。
だから、殴られ殴られ殴られ続けて……。気づけば彼らは満足したのだろうか、ボロボロになって立ち上がれなくなったときには校舎裏には誰もおらず日もいつの間にか傾きかけていたのである。
体中どこもかしこも痛くて痛くて仕方なくて……。ははは。ダサいなあ。気づけば落ちゆく日がぐにゃりと歪んで見えた。ぽたぽたと液体が地面に滴り落ちる。
そのときに初めて気づく。ああ。今、僕は泣いているんだな……。
呆然と涙を流しながら、夕日を眺めているとどこからか人影が現れた気がして上を向く。
「……大丈夫ですか?」
そこには、こんな姿を一番見てほしくなかった彼女がそこには立っていた。
「……」
ああ。くそ。どうして、こんなときに言葉が出ないのだろうか……。
「……私のせいですか? 私と一緒にいたから……?」
どこから見ていたのであろうか。彼女は自分を責めるようにそう聞いてきた。
「いや、そんなわけ……」
そんなわけないじゃないか。そう言おうとして僕は途中で言い淀んだ。果たして本当にそうだと言えるのだろうか? もし、君と出会っていなかったら? 幼なじみじゃなかったら? あのガキ大将に目を付けられることもなかったんじゃないのか? 1ミリでもそうではないと断言できるのであろうか……?
僕は思わず、彼女の視線を逸らすように俯いた。
「……」
言葉は相変わらず出てこない。重い空気が圧し掛かる。
「……無理しなくてもいいんだよ?」
再び視線を上げてみれば、無理しなくていいと語りかける彼女が無理して笑っていた。
僕は、僕は……。
その出来事から僕らはだんだんとお互いに気まずくなってしまった。春が過ぎ中学生になってもそれは変わらないまま……。最初は早く仲直りしないと思った。でも、いつしかそんな日々が続いていくとどんな風にあのとき喋っていたのか、何を喋ればいいのかわからなくなってしまった。一つ二つと季節が過ぎもう一周したときには、僕はいつのまにか何もかもを諦めてしまっていた。そうしてそのまま高校生となって今に至るわけである。
良く晴れた日の休日の昼下がり。
用事があって外に出た僕は、帰り道にふと近くの公園に目が行った。
その公園は、かつて櫻木さんと遊んだ思い出深い公園であった。久しぶりに足を踏み入れると思い出が巡ってきて心が少し暖かく、そして少し物寂しい気持ちになった。あの出来事から意図的にここの公園に寄ることを避けていたから、もうかれこれ数年ここに足を踏み入れていなかったことになる。
ふと中央の広場に目が行く。そこには、いつか見た光景のように鳩がたくさんある一人の少女の周りにたくさん群がっていた。
「ほわわ……。鳩さんがいっぱい……」
「……」
遠くから見てもわかる。鳩がここまで群がってくる少女なんて一人しかいないことなんて。
僕はさりげなく自然にこの場を離れようと踵を返そうとした。しかしそのとき偶然にも、彼女と視線が合ってしまった。
「……」
「……」
互いに無言になりその場から動けなくなってしまう。
やがて、彼女の方から僕の下へ歩みを進めた。いつの間にか彼女の周りに群がっていた鳩は青々と澄んだ空の彼方へと飛び立っていた。
「……久しぶりだね」
「……そうだね」
いつぶりだろうか。こうして二人で話すのは。中学も高校も学校は一緒だったものの、小学生のときのようにクラスが一緒になったことはないものだから本当に小学生ぶりなのかもしれない。
「少しそこのベンチでお話しませんか?」
「……」
多分逃げることだってできた。もう君とは関わりたくないんだと言って。でも、でも……。笑顔が素敵でいつも人の心を癒してくれるような優しい彼女のあんな顔はもう見たくなかったから……。
「いいよ」
目を逸らしながら僕がそう肯定すると彼女は
「よかったです」
とだけ言ってすたすたとベンチの方へ向かったのであった。
どんな話をすればいいのだろう。はじめはそうやって困惑していた僕だったけれども、意外にも彼女から自分の話をしてくれた。中学の話。鳩さんの話。ピーちゃんの成長。山に登ったときの話など……。僕が知らなかった彼女の話を楽しそうにたくさんしてくれた。
そして、僕が聞こうと思った話も彼女の方からしてくれた。
「そういえばね、私アイドルになったの」
「少し前にね、ここの公園にいたときにプロデューサーさんにスカウトされたんだ」
「最初はびっくりしちゃって断ったんですけど、数日後またプロデューサーさんがここに来てね。またお願いされたんですよ」
ゆっくりと彼女のペースでスカウトされたときのことを話してくれた。
「よく断らなかったね?」
僕が素直に疑問に思ったことを聞くと彼女は少し言葉を選ぶようにしてこう答えた。
「だって私、自分を変えたかったから。自分に自信を持ちたかったから……」
「そしたらね、私お友達ができたの。
彼女は、それから同じユニットであるという灯織ちゃんとめぐるちゃんと最近あった出来事をまた楽しそうに嬉しそうに話してくれた。昔の彼女は優しい子だったけど内気な子だったからこんなにも楽しそうに友だちの話をしていた覚えがなかった。もう表情なんか見なくてもわかった。
「すごく充実してるんだね?」
「うん! 毎日が楽しいんです!」
かみしめるようにそう伝える彼女は今まで僕が見たことないほどに楽しそうで、自信に満ち溢れていて……。もうあの頃の困ったように笑顔を浮かべる彼女はそこにはいないのだなと感じた。
「あ! そうだ! これ、あげる!」
彼女はそう言って僕の手のひらに紙切れみたいなものを置いた。
「今度、この辺でやるライブのチケット! そんなに大きな会場じゃないですけれども、君に見てほしいなと思って」
今まで見たことがないほど真剣な眼差しで彼女は僕のことを見てそう伝えてきた。
そんな表情をされて、逃げる選択肢なんていうのは初めから存在しなかった。
「……。僕、アイドルのことなんて全く知らないけれどもそれでもよければ……」
縮こまりそうになりながら少し目を逸らしてそう伝えると、彼女はぱあっと花が咲いたような笑顔になった。
「はあ~。よかったです。当日楽しみにしてますね。むんっ!」
そのとき僕に見せた笑顔は確かに、誰かを照らすそれに違いなかった。
ライブ当日。
会場に着いた僕はその熱気に気圧されていた。
そこには自分が思っていた以上にいろいろな人がいた。失礼ながら明らかにアイドル好きなんだろうなという人から、一見そうには見えない爽やかなお兄さんから、はたまた女性の方まで。アイドルの現場というのは初めて来たが、それぞれが色々な思いを抱えて開演を待っているその光景というのは僕にとってとても新鮮なものに感じた。閉じこまっていては気づかなかった世界であった。
「なあなあ、今日って結構いろんなユニットが出るけれどもどのユニットがよさそうかな?」
どこかからか、そんな雑談をする人の声が耳に入った。
「お前、このイベントに出るユニットなんてみんないいに決まってるけど……。俺が気になっているのはイルミメーションスターズかな」
「ああ。こないだの『W.I.N.G.』に優勝したあのユニット?」
「うん、そうそう。いつ見ても癒される独特な雰囲気を持った
「へえ~。やっぱいいんだな。俺も注目してみるか……」
僕は思わずくすぐったい気持ちになる。知り合いの名前がこうやって知らない人から出てくる気持ちというのはこういうものなのか……。
誰にも気づかれない程度に少し笑うと、場内アナウンスがなってもうすぐ開演となったのであった。
いよいよ次が櫻木さんのいるイルミネーションスターズの出番である。
これからだという高揚感とともに感じるのはどこか少し不安な気持ち。あのとき寂しい笑顔した君を僕は知っているから。優しいけど内気で決して人前に出るような感じではなかった頃を知っているから。あれからずっと君のことを避けてきたけれども……。このときだけは、このときだけは……。図々しいけど、君の幼なじみでいることを許してください……。
祈るような気持ちで僕は手を握り、目を閉じた。
耳元から聞こえるのは割れんばかりの歓声。叫び声。
「「私たち、イルミネーションスターズです!!」」
「まず1曲聞いてください!」
彼女の声が聞こえる。歓声に負けないくらいの大きな声で。
「「ヒカリのdestination」」
曲が流れはじめる。
ゆっくりと僕は瞼を開ける。
「____」
目に飛び込んできたのは……。
ぴかぴかと観客が照らすペンライトと、その真ん中に立つ彼女たちの笑顔。
彼女たちが歌い始める。
自分に自信が持ちたかったと彼女はそういった。
ほんわかしすぎて心配になるような彼女であった。
無理して笑わせた過去も僕は知っていた。
でも、スポットライトの中心で輝く彼女からはそんな過去を微塵も感じさせないような笑顔。笑顔。笑顔。
自信がない?
いやいや。今、そこにいる彼女は自信をもって誰しもが癒されるような笑顔を観客に振りまき堂々とパフォーマンスをしている。
その姿は正しく……。
アイドルそのものであった。
そして、僕は気づくのだ。彼女はもうとっくに前に進んでいるということに。勝手に過去に縛られていて足踏みしていたのは僕だけなのだと……。
「キレイだ……」
僕は思わず誰にも聞こえないくらいの小さな声でそう呟いた。
内気で気弱な少女はもういない。だって、彼女は誰かを照らす光となったのだから……。
「やっぱり、イルミネーションスターズのパフォーマンスよかったなあ。最後の方、思わず目がうるっときたよな」
「そうだな。またライブ出るときは応援しようぜ」
開演前と同じような声をした誰かがそう言っているのが聞こえた気がした。
これからどうしようか。
彼女に連絡でも入れようかしら。
そう思ってスマホを取り出したが、3秒ほどそいつを見つめると僕はもう一度ポケットの中へしまった。
(やっぱり、やめよう。だって、もう君は誰のものでもないのだから。アイドルなのだから……)
僕はゆっくりと興奮冷めやらぬ会場付近の喧騒から遠ざかろうとした。
「あ!」
どこかからか聞いたことがある声が飛んできた。
声のする方へ目をやると、会場の搬入口付近に複数人の人影が見えた。どうやら僕は会場の裏の方へ意図せず来てしまったようだ。
「プロデューサーさん、少しいいですか?」
人影からそんな声がかすかに聞こえた。しばらくすると、すたすたと僕のもとに一人の少女が駆け寄ってくる。
「来てくれたんですね」
「……。そりゃあ、チケットもらったら来ないわけにはいかないだろ?」
「ふふ。よかったです。むんっ」
そこにいる彼女は、さっき歌って踊って自信に満ち溢れた最高のパフォーマンスをした彼女と同じ人物とは思えないほどにいつも通りのほんわかした彼女であった。
「……私のパフォーマンス、どうでしたか?」
彼女は少し不安そうに僕にそう問いかける。
僕は初めて、彼女の目を見つめた。潤んだ瞳が川の清流のようにとても澄んでいてきれいだ。もう、僕は逃げない。
「サイコーだったよ」
君はみんなを照らす光。
そして、僕にとっても____。