ユイのリイニシャリゼ・ア・ラ・モード   作:阿羅本景

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静岡用宗に行ってインペリアルスタウトを飲もう(1)

 ――風が騒ぎ出した。

 

 とか格好いい書き出しをしてみたくなるのは、そこにちょっとした冒険の切っ掛けがあったからだ。

 編集にプロットを投げて、返事がいつ返ってくるのか? 今日中だとか忙しない事にならなければいいなぁ、と思ってた昼下がり。

 外は真夏で38℃の猛暑、到底外出する気にはなれない。日が落ちてから外食に出かけるするのも億劫で、冷凍食品でなんとかなるか? とか考えていた時の事。

《もちもちしなければいけないのか?》

《これは……バスの予約を取りますわ》

《金曜夜飲んで、夜行バスで帰ってくれば週末の予定が何とか》

 ビール関係の友人たちが、SNSのタイムラインがざわめいていた。

 それは吹き始めた風に戦の香りを感じ、猛者たちが次々に日常の怠惰の殻を破り、厳つい相貌を取り戻していく様に似ていた。

 ――いや見た事ないけど、そんな北方謙三みたいな光景は。

『もちもちする』という謎の動詞は、ごく狭いビアギークの中ではとある醸造所に行く、という事を意味してる。

「WCBでなにかやってるのかな……?」

 静岡県の漁港・用宗にある醸造所のウェストコーストブルーイング(WCB)は、私が認める日本最高のクラフトビール醸造所の一つだ。ヘイジーIPA、インペリアルスタウト、サワーエールという現代クラフト三種を高得点でリリースしており、建築家の代表の持つ独特のアートセンスも相まって、ビールメディアのみならず飲食マスコミでもよく取り上げられる。

 その所在地が『用宗』と書いて「ようむね」ではなく「もちむね」という独特の読み方をする事から、誰ともなくここに行く事を「もちもちする」という、独自の隠語が生まれているのだ。

 醸造所とボトルショップのリストに切り替え、風の源がどこなのかを探る。ああここか、とWCBの公式アカウントの発言を確かめると……。

「はあああああああ!?」

 思わず液晶に顔をくっつけてしまうほど近づけ、まじまじと眺める。瞬きをし、目をこすり、二度見する。

 頭に叩き込まれた衝撃の内容に、くらくらしながらチェアの背にもたれ掛かり、天井を眺め、呟く。

「ここでやっと出てきたの、ゲートウェイ……!」

 WCBの用宗にある直営ホテルで、四周年記念のブレンド・インペリアルスタウトが二種類、瓶とグラスで販売する。GMT+9という同社のスペシャリティラインの、Beyond The GATEWAYとSeasons of DARKNESS。問題はその原酒だ。

 二十四ヶ月、静岡のガイアフロー蒸留所のウイスキー樽で熟成された、The GatewayとThe Black Book。問題は前者だ。

 このインペリアルスタウトから、WCBは変わった。ここから海外のマニアックで超高級なビールを出すブルワリーに負けない、高品質のインペリアルスタウトをリリースするようになったのだ。

 その記念碑とも言えるビールがウイスキーの樽で熟成されている、という噂は二年前に聞いた。問題は――樽詰めされてからここ二年間、全く音沙汰がなかった事だった。

 それがようやく、ブレンドされて我々の前に姿を現す。それはビアギークの強者たちが奮い立つ訳だ、が、その。

「外販なし。それどころか直営店すらサーブしないの……!」

 なんと、静岡の用宗にある本拠地でしか販売もグラス売りもしないのだ。飲みたければ静岡まで来い、という超のつく強気……いや、それだけ量が少ないという事か?

 それだけの価値を有するインペリアルスタウトである事は、過去に飲んだGMT+9が証明している。

 今は火曜の午後。

 真空アルミタンブラーの麦茶を啜り、眉間に皺を寄せて呟く。

「いやでもその……その? 週のど真ん中に静岡に旅行は……」

 ――いくらなんでもそれは、ヤクザにすぎない?

 TLを見るとビアギークの友人たちは皆まともな勤め人なので、週末に遠征の予定を立てている。

 たぶん週末までに二本のインペリアルスタウトは飲み尽くされて売り切れはしないだろう……土曜の午前なら間に合う。日曜だと手遅れの可能性はある。

 だが、今からは忙しなさすぎるが、平日の明日・水曜日に行けば確実にどちらも在庫はあるはず。そしてヤクザな稼業の私と、今のスケジュールはそれを許す。

 ――どうするのか、ユイ・阿羅本?

「こんな時、春河童先生なら……どうするんだろう?」 

 椅子に背を預け、私は息抜きの達人に思いを馳せる。

 その時、脳裏に響く声があった。

(はるか君のいい所は、思い立ったら即行動な所と驚異的に腰が軽い事だねぇ。悩む暇があったら即リセットする)

「観音さん……?」

 春先生経由で同じくビールが好きなら、という事で紹介を頂いた編集者で月ヶ瀬観音さんの記憶だ。

 とある飲み会の席での記憶が、私に語りかけてくる。

 ……とある飲み会、というかモンゴル料理屋で羊一匹を丸焼きにして食うという、すさまじい宴会であったのだが。

(〆切りはリセットすれば間に合う、それが出来るという自分の能力への信用、そして自分を容赦なく追い込む覚悟だよぉ)

 そして以前の春先生がどれだけ息抜きが出来ずに不器用だったのかを笑って語り、ご当人が頭を抱えていた光景――私は決心した。

「よし、ここですべてをリセットする。そうすればすべて美味くいくようになる!」

 今の仕事だって順調に進んでいない。

 このまま「水・木に行けたのになー、もう売り切れになっちゃったなー、でも静岡突発旅行はちょっとバカの真似だよねぇ」とか週末に閉じこもって腐ってビールを飲んで愚痴ってるくらいなら。

 

 ――もちもち用宗でリセットしよう。

 

 

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