ユイのリイニシャリゼ・ア・ラ・モード   作:阿羅本景

11 / 14
静岡用宗に行ってインペリアルスタウトを飲もう(2)

 水曜の朝。

 外出する私はコットンのサマードレスにチュールのトップス、そしてロングブリムのハットに編み上げのサンダルというサマーリゾートのカジュアルを整える。

 ――用宗に行くのだから、ファッションで気分をアゲたい。

 ワンショルダーバッグには仕事の道具は入れず、念のために折りたたみの保冷バックを入れておく。

 もう時期は夏休みに入っているので、こんな格好で平日朝の電車に乗っても目立ちはしない。周りはスーツの通勤客以外にも浴衣あり、ディズニーランド行きの子供たちあり、リュックとブーツのハイキング客あり、と様々だ。

 山手線で品川乗り換え、新幹線のホームへ。

 静岡駅にはひかりとこだましか停車しないので、三十分に一本くらいしか列車がないが……この時間は帰省シーズンで直撃でなければ、自由席で余裕だろう。

 発車時間を確かめつつ、キオスクの駅弁コーナーを眺める。道中を駅弁とビールで彩るのはいいけど……。

「一時間しかないし、ビールも食事も用宗まで我慢するかぁ」

 誘惑を振り切り、蒸し暑いホームに向かう。

 幸い自由席の二人席が空いてたので、滑り込んで東京を発つ。

 新幹線はいい。このシートに座ると今から日常を離れるのだ、という気分になれる。

 シートでスマートフォンを弄り、SNSを検索する。用宗で検索し、出てきた現地の飲食店や漁港アカウントの情報を調べ……軽く拳を握る。

「よし! 今日は運がいい、やっぱり行って正解だった!」 

 漁船が今日は出漁しているので、生しらす丼が食べられる。

 用宗の名物はしらすだが、過去に漁船出漁の日になかなか用宗に来られなかった。だから釜揚げしらす丼で涙をのんでいた……いやそれも、東京の海鮮丼よりよほどリーズナブルで美味しいのだけど。

 WCBのインペリアルスタウトと生しらす丼に心を躍らせている間に、列車は静岡に到着する。

 新幹線のホームから、慣れた足取りで東海道線のホームへ、そして西へと各停の電車へと乗り換える。

 がらーんとした昼間のシートに座り、周りをちらちらとみる。もしかして、情報を聞きつけた東西のビアギークたちが今この時ももちもちしようとしているのか……という妄想めいた心配はあったが、やはり世間にはそんなに暇人は多くないようだ。

 ――日本の未来は安泰ね。

 操車スペースが広く、新幹線の高架も隣接した、用宗駅の島式のホームに降り立つ。私の気分は、旅人というよりは――故郷に帰ってきた帰省客のそれ、だった。

 白いマリーナハウス風の駅舎を降り、深呼吸する。

 風に混じる、海のかすかに有機めいた香り。

 真夏の日差し、簡素な駅前の風景、抜けるような青い空、まっすぐ南に向かう道の先には海の色が見える、ここは―― 

「ああ、帰ってきたなぁ……用宗に」

 私の心の故郷、だった。

 WCBの開業から、毎年のように用宗に私は来ていた。愛知にある実家よりも回数は多く、定期的に来ているので「実家よりも見慣れた光景」である。その上に魚もビールも美味いのだから、魂がここを故郷に認定したがっても、不思議でない。 

 帽子のつくる日陰の下で、私は用宗の風景を眺める。

 道路沿いにはビルがなく、高くても二階建ての建物。そして地方の国道沿いにありそうな、ファミレスチェーン店や家電量販店やショッピングセンターはない。民家の間に地元の菓子屋や昔ながらの玩具屋、畳屋などが並ぶ。

 この漁港の町は、強い日差しの下でコントラストが明瞭な、いかにも海の田舎、という夏の郷愁をかき立てる景色をしている。

 ――存在しない用宗での、幼い日の記憶が脳裏を染める。

  カポカポとサンダルのソールが、焼けたアスファルトで足音をたてる。気温は高いが、涼しい海風のせいで気分はいい。汗ばみながらペットボトルの水を口に含み、私は用宗漁港までの道をてくてくと歩く。 

「よし、生しらすがある……!」

 掘り込み式の漁港の横にある、土産物屋の店頭には青い立て看板。「生しらすあります」の文字が躍る。これが無くて、何度用宗で涙を呑んだ事か。

 碧の海のさざ波に揺れる漁船と、灼けたコンクリートの波止場。

 その横にあるコンテナ製のプレハブの「どんぶりハウス」に向かう。平日の昼でも、ちょこちょことお客さんは来ているようだった。

「生しらす丼、まだありますか?」

「あるよー、夏でちょっと細身だけど穫れたてのが!」

 店内のおばちゃんの返事に、一つ注文を出す。

 しばらくするとトレイにプラのカップと味噌汁椀の載った、生しらす丼セットがやってくる

「あああ……きれいな海の幸~」

 御飯の上に乗った、寒天のように透き通ったしらすと生姜。簡素などんぶりだけど、この用宗では最大の贅沢だ。

 プレハブの横のテント席に座り、スマートフォンで何枚も撮影してから、手を合わせる。

「頂きます……」

 まず醤油をかけず、口にしらすをひとつまみ含む。

 ――これは、海の精髄だ。

 海水から上がったばかりのしらすは少し塩味があり、噛むと生のしらすのかすかな生魚の味がする。

 マグロやタイのような、噛めば肉から滋味があふれるような明確な美味さはない。

 敢えて言えばこれは、海の中から漉し取った命の味だ。

 ほぅ、と溜息が漏れる。この鮮度と命を食する感触は、美味と言うよりも贅沢、だった。

 醤油を回しかけ、味噌汁の塩分すら汗を掻いた身体にしみ通る。海の命のゼリーめいた生しらす丼を完食する。

 ――海を頂きました、ごちそうさまです。

 私はどんぶりと海に頭を下げる。

「よし、前哨戦は終わった。次は本命のWCB、そしてインペリアルスタウト……!」 

 

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。