水曜の朝。
外出する私はコットンのサマードレスにチュールのトップス、そしてロングブリムのハットに編み上げのサンダルというサマーリゾートのカジュアルを整える。
――用宗に行くのだから、ファッションで気分をアゲたい。
ワンショルダーバッグには仕事の道具は入れず、念のために折りたたみの保冷バックを入れておく。
もう時期は夏休みに入っているので、こんな格好で平日朝の電車に乗っても目立ちはしない。周りはスーツの通勤客以外にも浴衣あり、ディズニーランド行きの子供たちあり、リュックとブーツのハイキング客あり、と様々だ。
山手線で品川乗り換え、新幹線のホームへ。
静岡駅にはひかりとこだましか停車しないので、三十分に一本くらいしか列車がないが……この時間は帰省シーズンで直撃でなければ、自由席で余裕だろう。
発車時間を確かめつつ、キオスクの駅弁コーナーを眺める。道中を駅弁とビールで彩るのはいいけど……。
「一時間しかないし、ビールも食事も用宗まで我慢するかぁ」
誘惑を振り切り、蒸し暑いホームに向かう。
幸い自由席の二人席が空いてたので、滑り込んで東京を発つ。
新幹線はいい。このシートに座ると今から日常を離れるのだ、という気分になれる。
シートでスマートフォンを弄り、SNSを検索する。用宗で検索し、出てきた現地の飲食店や漁港アカウントの情報を調べ……軽く拳を握る。
「よし! 今日は運がいい、やっぱり行って正解だった!」
漁船が今日は出漁しているので、生しらす丼が食べられる。
用宗の名物はしらすだが、過去に漁船出漁の日になかなか用宗に来られなかった。だから釜揚げしらす丼で涙をのんでいた……いやそれも、東京の海鮮丼よりよほどリーズナブルで美味しいのだけど。
WCBのインペリアルスタウトと生しらす丼に心を躍らせている間に、列車は静岡に到着する。
新幹線のホームから、慣れた足取りで東海道線のホームへ、そして西へと各停の電車へと乗り換える。
がらーんとした昼間のシートに座り、周りをちらちらとみる。もしかして、情報を聞きつけた東西のビアギークたちが今この時ももちもちしようとしているのか……という妄想めいた心配はあったが、やはり世間にはそんなに暇人は多くないようだ。
――日本の未来は安泰ね。
操車スペースが広く、新幹線の高架も隣接した、用宗駅の島式のホームに降り立つ。私の気分は、旅人というよりは――故郷に帰ってきた帰省客のそれ、だった。
白いマリーナハウス風の駅舎を降り、深呼吸する。
風に混じる、海のかすかに有機めいた香り。
真夏の日差し、簡素な駅前の風景、抜けるような青い空、まっすぐ南に向かう道の先には海の色が見える、ここは――
「ああ、帰ってきたなぁ……用宗に」
私の心の故郷、だった。
WCBの開業から、毎年のように用宗に私は来ていた。愛知にある実家よりも回数は多く、定期的に来ているので「実家よりも見慣れた光景」である。その上に魚もビールも美味いのだから、魂がここを故郷に認定したがっても、不思議でない。
帽子のつくる日陰の下で、私は用宗の風景を眺める。
道路沿いにはビルがなく、高くても二階建ての建物。そして地方の国道沿いにありそうな、ファミレスチェーン店や家電量販店やショッピングセンターはない。民家の間に地元の菓子屋や昔ながらの玩具屋、畳屋などが並ぶ。
この漁港の町は、強い日差しの下でコントラストが明瞭な、いかにも海の田舎、という夏の郷愁をかき立てる景色をしている。
――存在しない用宗での、幼い日の記憶が脳裏を染める。
カポカポとサンダルのソールが、焼けたアスファルトで足音をたてる。気温は高いが、涼しい海風のせいで気分はいい。汗ばみながらペットボトルの水を口に含み、私は用宗漁港までの道をてくてくと歩く。
「よし、生しらすがある……!」
掘り込み式の漁港の横にある、土産物屋の店頭には青い立て看板。「生しらすあります」の文字が躍る。これが無くて、何度用宗で涙を呑んだ事か。
碧の海のさざ波に揺れる漁船と、灼けたコンクリートの波止場。
その横にあるコンテナ製のプレハブの「どんぶりハウス」に向かう。平日の昼でも、ちょこちょことお客さんは来ているようだった。
「生しらす丼、まだありますか?」
「あるよー、夏でちょっと細身だけど穫れたてのが!」
店内のおばちゃんの返事に、一つ注文を出す。
しばらくするとトレイにプラのカップと味噌汁椀の載った、生しらす丼セットがやってくる
「あああ……きれいな海の幸~」
御飯の上に乗った、寒天のように透き通ったしらすと生姜。簡素などんぶりだけど、この用宗では最大の贅沢だ。
プレハブの横のテント席に座り、スマートフォンで何枚も撮影してから、手を合わせる。
「頂きます……」
まず醤油をかけず、口にしらすをひとつまみ含む。
――これは、海の精髄だ。
海水から上がったばかりのしらすは少し塩味があり、噛むと生のしらすのかすかな生魚の味がする。
マグロやタイのような、噛めば肉から滋味があふれるような明確な美味さはない。
敢えて言えばこれは、海の中から漉し取った命の味だ。
ほぅ、と溜息が漏れる。この鮮度と命を食する感触は、美味と言うよりも贅沢、だった。
醤油を回しかけ、味噌汁の塩分すら汗を掻いた身体にしみ通る。海の命のゼリーめいた生しらす丼を完食する。
――海を頂きました、ごちそうさまです。
私はどんぶりと海に頭を下げる。
「よし、前哨戦は終わった。次は本命のWCB、そしてインペリアルスタウト……!」