ユイのリイニシャリゼ・ア・ラ・モード   作:阿羅本景

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都電に乗って息抜きにクラフトビールを飲もう(4)

「「乾杯!!!」」

 ひたひたに縁まで注がれたグラスを、こぼさないように近づけて乾杯する。

 グラスに口を付けた私と大山さんが見ているのは、春先生のインプレッションだった。 

「――!」

 春先生が一口すすり、喉まで流し込んで瞬きをしてる。

 ビールは苦いもの、という先入観をいい意味で裏切る柑橘類のフルーティーさが、そしてピルスナーと違うグレープフルーツの皮めいた苦みが喉に広がっているのだろう。

 ホップという原料は、クラフトビールの時代に入ってから華やかな花の香り、芳醇な果実の甘み、アクセントとなるスパイスの刺激などを生む魔法めいた新品種が生まれていった。

 それらのホップのフレーバーを生かす最前線の醸造スタイルを、ここは開設から選んでいる。

 ――などという、沸き上がる説明欲を私は飲み込んだ。

「甘……苦い!? でも……美味しい!」

 大事なのは、フィルターの掛からない味覚の感動だ。

 酒飲みの楽しみは、新しく美味しい酒を初めて飲む人の表情を眺めることにこそ、ある。

 春先生のリアクション「ああこの人をここに案内して良かったなぁ」と思わせてくれるものだった。

 安心した私はリュックを下ろして、中からコンビニの袋を取り出す。

「昼からのビールって感じ……!?」

 テーブルに紙の皿とおつまみの柿の種を広げ始めた私を、春先生が仰天した瞳で見つめている。大山さんも「え?」という顔で私の所行を見ている。

「…………」 

 店に注文も出さず、勝手につまみを広げ始めた私に『大丈夫なのこの人? もしかして外面はいいけど行動がセルフィッシュなヤバい傾向の人なの? アーティストとかに稀に良く居るああいう感じの?』という疑いを抱かれてるよう、だった。

「…………あー」

 私はしまったなぁ、と焦る。 

 ――この手の醸造所併設バーの風習は、世に知られてない。

 醸造所とビアバーが一体になったブルーパブはキッチンがあって、フードを提供している店もある。だが醸造所だけでキッチンを持たない、試飲所・タップルームという形態であれば軽食の持ち込みを許す店も多い。

 このInkhornBrewingは後者の形態だ、ということを説明するのを忘れていた。それを知らなければ、確かにこれは奇行に見える。

 私は柿の種の皿を広げ、二人に勧めて言う。

「この店はおつまみは持ち込み自由なんです!」 

 あくまで軽食に限りますが、と笑顔の心中で追加する。

 かつて宇都宮にあるブルーパブ・BlueMagicで飲んだ時に、昼食を食べる余裕がなかったので、二軒横の蕎麦屋でカツ丼の出前を頼んで飲んでいたことがある。さすがにあれはやり過ぎだったか、と反省しているが、皆あそこに地元名物の餃子や焼きそばなどの重い主食を持ち込みがちなのでカツ丼の何が悪いのか、とも今でも思っている。

 ちなみにそれを見た友人曰く『ビアバーでカツ丼食ってるアラサー女の姿は異様だった』と。

 ――閑話休題。

 皿に手を伸ばした春先生がほっとした顔になり、すぐにおかしさを我慢出来なくなったように笑みを漏らす。

「か……角打ち! オシャレ感が一気に角打ち感に……」

 グラスを傾けながら、私も笑う。

 目黒の学習院前にあるスタイリッシュなバーで、オシャレなカナッペやチーズアソートなどではなく、紙皿に柿の種で粋なビールを飲む。

 折り目正しく飲む酒も良いが、アンバランスさが酒を美味しくする時がある。畏まらない飲み方は、クラフトビールに似合っている。

 一気に胸襟を開けたような、穏やかな気持ちになる。

「はぁ………」

 フルーティーなIPAが、喉から堪らない吐息を生む。 

 開け放たれた店内からは、目白通りを昼間も忙しくバスやトラックが行き交う姿が見える。だけど私たちはグラスと柿の種を手に、そんな市井の人々の暮らしを眺めている。

 大山さんが、グラスを手にうっとりとしたように、絶え間ない車の流れを見つめて呟く。

「ああ……午後の時間が溶けていきますね……」

 私も春先生も、無言で頷く。

 薄皮一枚で世界から隔絶されたような、昼から美味いビールを飲むことが生む、背徳めいた快よい遊離感。

 もし行き交う面前の車内の勤め人が私たちを見れば、羨ましいと思うのか、けしからんと思うのか。

 それを想像することすらも、酒の肴になる。

「これが楽しくて、この仕事を選んでるようなものですからね……」

 私のつい漏らした言葉に、春先生がうんうんと頷いている。

 こうしてグラスを持ってテーブルで立っていると、何も言わなくても年来の友人のように分かりあえている、打ち解けた空気があった。

 ――そういえば、春先生と身の上の話をしてない。

 作家同士が席を同じになるとまず、どこで何を書いてきて、映画は何を見ておもしろいと思って、最近の健康状態はどうで、どこの編集部の誰これはああだこうだ、という話に花が咲く。

 それで一気に仲が良くなることもあるし、交際の距離を見極めざるをえないこともある。

 そんな牽制めいたさぐり合いをしなくても、今の空間が心地良い。ふわふわとマニアックなビールを共に昼日中に飲んでいるだけで、楽しい。

 これはアルコールが脳を騙して生んでいる、拡大された共感や親近感なのかもしれない。であっても、だ。

 ――自然と身構えすぎていた、自分が馬鹿みたいな。

 春先生は純文の小説家で、自分はエンタメ筋上がりの作家。そんな怯えがなくもなかった。

 もしかして春先生が気むずかしいブンガクシャサマでお気に召さなかったら、こんなビール行脚の発案者としての責任を……とか心配して、殊更に身繕いを整えていたのかもしれない。

 そんな胸中を酒の勢いで、いたずらに吐露はしない。

 空になったグラスをひょいと掲げて、春先生に尋ねる。

「もう一杯、飲みますか?」

「もちろん! まだ気になるのがありますから!」  

 

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