ユイのリイニシャリゼ・ア・ラ・モード   作:阿羅本景

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都電に乗って息抜きにクラフトビールを飲もう(7)

 カンパイ!ブルーイングのビールにはほとんど坂の名前が付いている。初めて知った時はアイドルグループ『~坂46』にあやかったのか? と思ったけど、神田川沿いの地形は急坂が多いことに由来している……のだろう、きっと。

 ここの造るビールは現代的クラフトスタイルで、軽くフレッシュなものから重厚なインペリアルスタウトまで様々だ。タップリストにはだんだん暑くなっていく季節柄、軽快なビアスタイルの「~坂エール」が並んでいる。

 店員さんが持ってきてくれたグラスとお通しをテーブルに並べ、いざ!

「乾杯!」

 二度目の乾杯だけど、移動中の喉の渇きがあるので、冷たいビールは心地いい。

 お昼飲みの乾杯は、何度やっても堪らない。

 晴れた初夏の太陽と川沿いの緑の中での宴あれば、まさに至福の一時だ。

 私は手にした、かすかに濁ったオレンジの『柚摺坂ペールエール』のグラスを掲げて見せる。

「今日のお勧めはこれです! 苦みが控えめでフルーティ! 初夏っぽいビールですね!」

 みんな手にしているグラスの中身はバラバラだ。私のお勧めで次のビールはこれになるのか、他のを選ぶか。

 人に選択を押しつけない、でも次はあなたのそれを飲みたいと思わせる。これもクラフトビールの楽しみ方だ。

 春先生が、お通しをしげしげと見つめている。

「この、拷問具みたいなのは……?」

 小皿の上にあるのは、殻の付いた木の実が数個と、鋳鉄製でスクリューの付いた厳つい締め器だった。

 ヨーロッパで使われた、指締めの拷問具に似てないこともない――と言うか、そのまま使えるような代物だ。春先生の推測も見当違いではない。

 これは、実演してみないといけない。私は殻付きの木の実を取り、器具にスクリューでセットする。

「お通しは殻付きのマカデミアナッツ! この割り器で割って食べるんです」

 スクリューをねじ込みながら、私は説明する。勢いよくぐいぐいやると、中のナッツまで粉砕してしまって粉を舐めることになる。

 パキ! という音で罅が入ったところで、スクリュー緩て殻を外してナッツを取り上げる。春先生と大山さんがおお、と楽しそうな声を上げる。

「あーこれ、ハワイ土産のあれだ!」

「最近はあんまり見ませんね、マカデミアナッツチョコレート」

「子供の頃は親が貰ってくると、嬉しかったなぁ」

「でも大人になって自分で買って食べると『なんか違う……』ってなっちゃって」

「台湾の鳳梨酥も似た感じありますね」

 そんなことを話しながら、二人もナッツを割り始める。

 このナッツ割り器は、操作が微妙で手を動かすので、作業に夢中になる。蟹を食べていると会話が途絶えるのと似たような、妙にコンセントレーションの高まった空気。

 上手く割れたことに満足した春先生が、ひょいっとナッツを口に含む。コリコリとナッツを噛みながら眼前の神田川と、緑の崖みたいな対岸を愛おしそうな目で見つめている。

 先に入った外国人のお客さんたちが、キャリーケースを転がしながら陽気に笑いながら出てきた。大山さんと私が笑って会釈すると、ハーイ! とサムズアップが返ってくる。

 店員さんが中の席はどうですか? と薦めてくるが、ここで飲むのが楽しいので、このままで居よう。

「外国のお客さんもいっぱい! 国際色豊かで、とても都会ぽい……」

 壁に背を預けて、大山さんがスタウトを飲みながら漏らす。

 そうですねぇ、と相づちを打とうと思って、春先生をちらと見る。会話を耳にしているが、春先生は目では私たちと違う世界を見てるような、そんな雰囲気だった。

「でも……」

 ビールを一口飲んで、春先生が話す。

「目の前には椿山荘。元は明治の元勲・山形有朋のお屋敷だった老舗ホテル」

 そうか、あの上って椿山荘だったのか、と感心した。

 昔、友人の結婚式で呼ばれたことがあるが、あの庭園の下がこのGRANZOOだった、とは気が付かなかった。

「すぐ側には松尾芭蕉の住んでいた関口芭蕉庵、隣は肥後細川庭園……」

 由緒ある名跡の名が、すらすらと春先生の口から出てくる。

 くいーっとグラスを干し、心地良さそうな吐息と共にご満悦の笑いを浮かべた。

「ここは時代小説や近代史の舞台だらけー」

 堪らないなぁ、という歓喜の顔で春先生は手元のタップリストを見て次のビールを選んでいる。

 ――これはこの人の徳なのだろうなぁ。

 春先生を間近で見ていて、納得を覚えるような、羨ましいような気分になる。

 物腰はソフトで喜怒哀楽に富み、時折頼りなくも見えるけど、目と心はいつも作家として働かせていて、漏れる言葉にはっとさせられる。

 この人の目や耳を通して、筆によって描かれる世界は市井の人々にとって肌に触れるそれよりもきっと瑞々しく、愛おしいものに感じるのだろう。

 その変換のプロセスを目の当たりにしていると……酒を飲んでいなければ、同業者としては少し嫉妬したかもしれない。

 でも共にビールを真っ昼間から飲んでいる、怖いもの知らずの同胞感が「どうだ! この人はすごいでしょ!? でも一緒に飲んでる私もなかなかのものですよ?」という無闇に自慢めいたマインドを生んでいる。

 ――この人と息抜きを共にしたい人は多いはずよね。

 だいぶアルコールが回ってきた頭の中に浮かんだ言葉を、私はつい口に出しそうになる。でもそれをビールの甘くフルーティーな液体で流し込んだ。

 タップリストを大山さんから受け取ると、私は照れ隠しでテンションを上げて言う。

「まだまだ飲めますね! 次の店は予約してあるので、安心してどんどん行きましょう!」

 

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