『夢を叶えるコツは狂ったように欲しがること。』
▼20A3年4月13日 リンカーン 阪神レース場 天候:晴(良)
若駒ステークス、すみれステークスを快勝した私は無事にクラシックへの挑戦権を手に入れたものの、体調不良による調整不足で皐月賞を見送ることになった。
すみれステークスからダービーへの直行は前例が無いというわけでは無いけれど、出来れば1戦挟みたかったというのが本音だ。
しかしまぁ、今は桜花賞の……従妹のアドマイヤグルーヴの応援だ。でもなぁ。皐月賞出たかったなぁ。
「はぁ~」
「どうしたのよ、こんな良い天気で溜息なんてついて」
「ネイチャせんぱぁい、やっぱり皐月賞出たかったです~」
マイの応援に行くと言った時、同じくカノープスに所属するナイスネイチャ先輩が同伴してくれることになったのだ。ネイチャ先輩はカノープスの中でも姉御肌というか長女気質というか、マイと同じような感じがして非常に絡みやすい。
これがターボ先輩とかマチタン先輩ならもう少し大変だっただろうなぁ……。
「なーにを贅沢言ってるんだか。ダービーには出られそうなんでしょ? あんまりそーゆーことを言ってると、周りの反感を買いますよー?」
「わ、わかってますよぉ」
「ま、アタシもデビュー直後の怪我が無ければクラシックに……って思ったこともあったけど、まぁ菊花賞も出られたし? 過ぎたことを悔やんでも、隣の芝を羨んでも、良い事なんて一つもありゃーしませんよ、とネイチャ先輩は思うわけです」
独特の言い回しで慰めてくれているのだろう。ネイチャ先輩は私の項垂れた様子を見ると「やれやれ」と言い、手を挙げながら視線をターフへ移した。その後頭部に向け、言葉を投げかける。
「付いて来てくださってありがとーございました」
「いやー、今どきのティアラ路線の子たちをちゃんと見たことがなかったから、いい機会だったのよねぇ〜。リンちゃんの従妹だっけ? あのエアグルーヴ副会長に似た子」
「はい、マイは昔っから何というか、家の事情もあってお堅い子だったんですけど、何となく危なっかしくて見てられないんですよね」
「他のライバルになる子はどうなの?」
| 1 | レイナワルツ |
| 2 | メイプルロード(取消) |
| 3 | センターアンジェロ |
| 4 | チューニー |
| 5 | ヘイセイピカイチ |
| 6 | オカノハーモニー |
| 7 | ヤマカツリリー |
| 8 | モンパルナス |
| 9 | スティルインラブ |
| 10 | トーホウアスカ |
| 11 | オースミハルカ |
| 12 | チアズメッセージ |
| 13 | シーイズトウショウ |
| 14 | アドマイヤグルーヴ |
| 15 | マイネヌーヴェル |
| 16 | ホワイトカーニバル |
| 17 | ワナ |
| 18 | ヤマニンスフィアー |
今日は18人立てだが1人が出走取消となっており、17人のレースとなる。この人数、アドマイヤグルーヴが、いやこの場のすべてのウマ娘が初めての経験だ。
広い東京レース場ならともかく、阪神京都では熾烈な位置取り争いが予想される。特に今日はマイをはじめとして上位人気ウマ娘が中枠~外枠に固まっている状況だ。
阪神1600mは最終直線が短く、基本的には内枠の先行バが有利である。*1だとしても坂を苦にしない脚に定評のあるマイが有利だと思うし、実際に一番人気なのは他の客もそう思っているからなのだろう。
だけど少しでも出遅れたり道中の位置取り争いで競り負けたら不利は免れない。特に最後の直線の急坂は不利を巻き返そうとして消耗した体力に直撃する。そうなればいくら無比の末脚を持ったマイでも厳しいだろう。
そもそも、こんなところで大外ぶん回して勝てるウマ娘なんて頭か脚が可怪しいに決まっている。残念ながら我が従妹は強いは強いが、常識的な範囲の中での強さだ。
そんな予想を立てながらネイチャ先輩の問いに答える。私だって気にならないわけでは無い。いずれ戦う相手なのかもしれないのだから。
「そうですねぇ……マイの他にはフラワーカップを勝ったマイネヌーヴェル、チューリップ賞を勝ったオースミハルカ、フィリーズレビューを勝ったヤマカツリリーが有力でしょうか。それから―――2番人気のスティルインラブ」
「その子、大きなところは勝ってないんでしょ? それなのに2番人気なの?」
「正直、私にはよくわかりません。確かに末脚は強烈ですが……クラスも別ですし。でも―――」
ネイチャ先輩の後を追うようにターフを見遣る。既に第63回桜花賞の本バ場入場は終わっており、返しウマが始まっている。気の早い娘は既にゲートの前まで辿り着いているが、アドマイヤグルーヴは最後尾を常足と速足の間くらいのスピードで進んでいる。
「でも?」
「あれだけ怯えてるマイを見るのは初めてなんですよね」
そこにはゲッソリと身を削った我が従妹殿が顔を青ざめさせ、まるで断頭台への道を歩む囚人かのような顔持ちでゲートに向かう姿があった。
▼アドマイヤグルーヴ
コンディションは悪くない。そう、決して悪くはないのだ。目端の利く客なら私が多少体重を落としていることに気づくだろう。だけどそれはこの1600という距離を最速で駆けるために敢て出している数字であって、食欲が無いとか調整不足だとか、そういったものではないのだ。
特に勝負服を着てから更にコンディションは良くなっているように思える。アドマイヤの系譜としての水色を基調とした勝負服は、少しばかりエアグルーヴ先輩の勝負服の意匠をパクらせてもらっている。
だが、過去最高……いや、最低に足が重い。まるで本能が『行けば死ぬ』と警告しているかのように、私の脳から出した命令を正確に脚へ伝えないのだ。
リンが持っていた漫画か何かに書いてあったのだと思うが、武術の達人曰く、究極の『護身』とは『危険な場に赴かないこと』だそうだ。
私も達人の域に達したのだろうか。
ハッ―――思わず乾いた笑いが出る。
見れば私だけではない。リリーも、ハルカも、このレースに出場する全員が、一人を除いてレースへの物以外への緊張を顔に抱いている。
言うまでもなく例外は―――薄い笑みをたたえるあの気狂い女だけだ。
彼女の身を包む赤いドレスはきっと私たちの血反吐で更に濃くなるのだろう。水色のアクセサリーは私たちの涙で更に深くなるのだろう。華やかさとは裏腹にドス黒い情念が、彼女を中心に渦巻いている。
私がようやくゲートの前に到着した時、ちょうどファンファーレが鳴り始めたところだった。オークスを除いてティアラ路線クラシック世代のG1は全て同じファンファーレだ。私は何度聞くことが出来るのだろうか。
あの女が私に並びかけてくる。普段のおしとやかを装った表情は既に消え失せ、得物を見つけた獰猛な肉食動物さながらの笑みを浮かべている。
「さぁ、始めましょう―――狂乱の宴を。一心不乱の命の奪い合いを」
最早周囲へ隠すことなく殺気を振りまきながらゲートに向かうスティルインラブは、尊敬するサイレンススズカさんやエアグルーヴさんに似ていて、それでいて全く違う空気を纏っていた。
私の脚はすくみ、前へ進みだすことが出来ない。
ああ、私達は既に皿の上なのだ。
▼ナイスネイチャ
《あーっと、どうしたことでしょうか! 1番人気のアドマイヤグルーヴ、ゲートに入りたがりません!》
お馴染みの実況の女性の声がレース場に響いている。
(成る程ね~)
少しばかりたどたどしく始まったゲート入りは、後に入る偶数番の彼女―――アドマイヤグルーヴの番になって止まってしまった。あれはゲート入りが苦手とかそういうものでは無い。いや、もしかしたら苦手なのかもしれないけど、それ以上に本能が拒否している様子が見て取れる。
スピカのゴールドシップのようなゲート難ではない。アタシたちの世代で言うならマックイーンさんでもあんなふうになったことは在った。3連覇がかかった春の天皇賞。ライスシャワー先輩の殺気に対し、思わずゲート入りを拒んでしまったのだ。
確かにアレはキツイ。ライスシャワー先輩とはいくつか同じレースを走ったものの、あの強烈な殺気はわかっていても怯えてしまうものだ。キャリアの長かったメジロマックイーンでさえ動揺してしまったのだ。キャリアの浅い彼女が怯え、立ちすくんでしまうのも納得である。
(全く何でこんなにキラキラした人が毎年毎年出てくるかねぇ……)
そして相手はそれだけのプレッシャーを放つことが出来る
「ネイチャ先輩……」
「ありゃー強烈ですよ。半分、『領域』とか『覚醒』に近いものなんじゃないかねぇ〜……」
「『領域』、『覚醒』……?」
「ま、ウマ娘の不思議スキルみたいなもんよ。特定の条件で能力が向上したり、体力が回復したり、相手を委縮させたり、ね」
「まさかネイチャ先輩も……」
「ははは……ま、他のウマ娘並みにね。ちなみにカノープスはリンちゃん以外使えるわよ〜」
「ほぇぇぇ」
(こりゃアドマイヤグルーヴにとってはキツイ戦いになるねぇ〜。でもあの子もまた
《―――ようやくアドマイヤグルーヴがゲートに入りました》
《スタート注目ですよぉ》
《体制揃って―――スタートしました! おぉーっと!? アドマイヤグルーヴ、出足がつきません! 出遅れたぁッ!》
「あちゃー」
リンちゃんが会場の悲鳴とともに天を仰いでいる。恐らくではあるが、スティルインラブの殺気はある程度指向性を持たせる事ができる。アタシの『八方睨み』をゲートの中かスタートで使えば、ああなるかもね。
《先頭争いはやはりモンパルナス。続いてスティルインラブとトーホウアスカの5枠2人。先頭から最後尾のアドマイヤグルーヴまで10バ身ほどでしょうか。第2コーナーを回っていきます》
「ネイチャせんぱぁい」
「厳しいわね。距離のロスを気にして内に入ったけど、前は壁、外は塞がれてる」
「先輩ならどうしますか?」
「そうねぇ〜……直線向いて進路が開くのを祈るしか無いかな」
「あちゃー」
先ほどと同じように天を仰ぎ見る。この後輩はどこかコミカルなところがカノープスなのかもしれない。
(……って、そんなこと言ったらアタシもコミカルってことじゃない!)
ひとりツッコミをしている間にもレースは動いている。
《先頭はモンパルナスのまま、半バ身差でホワイトカーニバルが2番手。早め上がってきたヤマカツリリー、シーイズトウショウが後を追って第3コーナーに入ります。その後はオースミハルカとスティルインラブ。依然として一番人気のアドマイヤグルーヴは後方から4、5番手の位置につけております》
「……ん? ちょっと位置取りを上げた?」
「阪神の最終コーナーはスピードが出やすくて広いから、前がバラけやすい。これはもしかすると進路開くかもですよー?」
「1600って走ったこと無いんですけど、差しウマ娘的にはどーなんです?」
「基本的には前残りだから、あんまりオススメしませんねぇ〜。アグネスデジタルみたいな末脚があれば別だけど。ちなみにアタシは平凡なウマ娘だから? ヘリオスを捕まえられなくってお馴染み3着だったよ」
「出てくる名前がレジェンド級だし、そもそもG1で3着って凄いんですけどねぇ……」
《各ウマ娘、一団となって第4コーナーを回って最終直線へ! モンパルナス、モンパルナスが先頭! ヤマカツリリー、スティルインラブ、シーイズトウショウが上がってきたぞ! 一番人気のアドマイヤグルーヴはまだ中団後方!》
「マイちゃん……」
心配そうに見つめているリンカーンの視線の先には、必死に足掻いているアドマイヤグルーヴがいる。内側から外へ抜けるコースを見つけられたようだ。
(そう、そこから外へ持ち出して差し切るしかないのよね〜。まさに運と実力が試される最終直線。アタシには足りなかったけど……)
「行けぇぇぇぇぇぇぇ! マイィィィィィィィッ!」
リンカーンが必死に叫んでいる。周囲の観客も各々応援しているウマ娘の名前を必死に叫ぶ。
アタシには関係の無いレース。精々友達の友達が出ているだけの関係のレース。なのに握った手はじんわりと汗で湿り気を帯び、脚が勝手にうずうずしてくる。度し難いとすら思う。
《ホワイトカーニバル先頭に立つか!? ―――いや、スティルインラブだ! スティルインラブが間を割って先頭に立つ! 内からシーイズトウショウ、外からヤマカツリリー! オースミハルカも前を狙っている! モンパルナスも粘る!》
(あ、彼女、『領域』に入った……ッ!)
スティルインラブが先頭に立とうとした瞬間、
色とりどりの世界。世界の中心に位置する彼女は全てを喰らい尽くし、他者を寄せ付けない。
だけど何故だろうか。鮮やかな世界とは裏腹に仄暗い炎が見えるのは。
これが彼女の心象世界を表すのなら―――
《スティルインラブが先頭! このままゴールに―――いや、アドマイヤグルーヴだ! アドマイヤグルーヴが外から物凄い末脚ッ!》
いや、立ち向かう者がいる。まだ終っちゃいないと叫ぶ者がいる。
彼女もまた『領域』に手が掛かっている。
だけど―――遅かった。
《残り50メートル! アドマイヤグルーヴが一気に差を詰めてくるが、これは届かないッ! スティルインラブ先頭! スティルインラブ、一着でゴールイン! 二着にはシーイズトウショウか!? アドマイヤグルーヴは三着!あと少し届きませんでした!》
花びらが舞う阪神レース場。
彼女が咲く季節はまだ、来ない。