▼20A2年3月29日 アドマイヤグルーヴ
私にとって走ることは義務であり、生きることそのものだった。
私が生まれた家は所謂ウマ娘の『名家』というもので、幼少の頃から厳しいトレーニングという名の虐待を受けて育ってきた。それは特に『アドマイヤ』の名を授かってから顕著になった。
小学校低学年のうちからジュニアの大会に出場して周囲のお姉さん達を戸惑わせたものだが、あれは私が悪いのでは無いので許して欲しいと思う。
勝てば良い。勝てばただ厳しいトレーニングが続くだけだ。だが負ければさらに厳しいそれが課されることになる。私は、私にかけられた金額以上のモノを返さなくてはならないのだ。
それ故勝利は義務であり、何よりも結果が求められた。
何度この耳が、脚が、尻尾がもげてしまえばいいと思ったかわからない。でもターフを通り抜ける風と一体となるような全能感と、レースで勝ったときの周りからの称賛が麻薬のように気持ちよく、13歳――厳密にはまだ12歳だが――となる今まで走り続けてしまったのだ。
転換点は、エアグルーヴさんとの出会いだった。
小学生の頃から所属しているレーシングクラブは、ウマ娘界隈では新興ではあるものの、それなりに重賞バを出していたことから有名なクラブであり、グランプリウマ娘のサイレンススズカさんやダービーウマ娘のアドマイヤベガさんも所属していたことがある。
ちょっぴりヘンテコだった帰国子女で少し年上のコジ先輩は先週末の高松宮記念で2着に健闘しており、大怪我からの復活を遂げている。
私がジュニアレースで勝てなくなった時期、偶々うちのレーシングクラブに見学というか表敬訪問していたスズカさんと彼女に同行していたエアグルーヴさんが走っていた私のところに歩み寄ってきた。
その時の私はレースに負けたばかりだったので、ひたすら走って自分を追い込んでおり、ぜえぜえと息を切らし滝のような汗を流しつつ、ターフの上に座り込んでいた。
「おい、貴様。貴様は何故走る?」
「えっと……」
元々おしゃべりな方では無かったが、ドリームで走るレジェンドたる二人がいきなり目の前に現れたので何時にもまして咄嗟に私は声が出なかった。
初めて生で見るレジェンドの威圧感は、さながら猛獣の檻に入れられたような感覚だ。
エアグルーヴさんが切り裂くような末脚で差し切った秋の天皇賞。サイレンススズカさんが逃げて差す圧倒的な走りで最初から最後まで先頭を譲らなかった宝塚記念。テレビに齧りついて観た記憶は今でも色褪せない。
しかしながらそんなスター選手が目の前にいる事実よりも、問い詰められているという現実があまりに衝撃的で、私は言葉を失いかけていた。
「貴様の走りは見ていてつまらん。つまらん走りをするやつが勝てるはずもない」
「ちょっとエアグルーヴ、言い過ぎじゃ……」
「いや、スズカ。こいつにはこれくらい言わなければならん。答えろ、貴様は何故走る?」
「…………勝つため、です」
「勝って、何を為す?」
「勝って…………勝って…………」
「―――訊き方を変えよう。貴様は誰に勝ちたい?」
そのような事は考えた事も無かった。ただ私は親に言われたから、先生に言われたから、使ってもらったカネを返さなくてはならないから走っていたに他ならない。そして勝つためにただ速く走ることのみ考えていた。
眼前には腕を組み、私服ではあるもののオーラを漂わせるまごうことなき強者がいる。
ふと私はこの人に勝ってみたい、と思ってしまった。
「私……私は、エアグルーヴさんに、勝ちたい、です……」
「聞こえんな。ハッキリ喋れ」
「―――私は! エアグルーヴさんに! 勝ちたい! です!」
「―――フン。少しは見られる顔になったではないか。いいか、レースは一人で走るものではない。練習の時からどんな場所で、どんな相手に、どんな状況で勝つかをイメージしながら走るんだ」
「……はい!」
「漫然と走っているだけならただの自殺行為だ。ウマ娘の脚は消耗品。所詮は
「はい!」
「諦めるな。見失うな。正しい努力を積み重ねろ。 ―――私はトレセン学園で貴様を待っている」
「―――はい! ありがとうございます!」
「もう、エアグルーヴったら……」
踵を返し、サイレンススズカさんを連れて去りゆくその背中は『女帝』と呼ばれる彼女の美しさが詰まったものであり、正しく私は脳を焼かれてしまった。嫌になっても見失うことは無いだろう。
私が走り続けられたもう一つの理由はこの通り、素晴らしい先輩に恵まれたことだ。
それからというものの、私はエアグルーヴさんの過去のレースをDVDが擦り切れるほど観察し、練習では
自分に合った足の使い方は、右回り/左回りは、適正距離はわからなかったが、比較的ごちゃごちゃ考えるのが得意な私は後方脚質があっているような気がした。
・・・・・・Ω・・・・・・Ω・・・・・・
仮想エアグルーヴさんにズタボロにされたお陰かどうかは分からないが、無事に
従姉のリンこと"リンカーン"も同じく栗東寮に入寮することになったので、大きめのキャリーケースを引き摺りながら二人揃って初登校―――というのもおかしいが、最寄駅から商店街を通り、トレセン学園を目指す。
春の風に乗って、ふわりと焼きそばの香りがした。
「私、緊張してきたかも……」
「えっ、リンが? どうして?」
「だってみんなマイみたいに速くて強い子ばっかりなんでしょ? 浮かない?」
「浮かないわよ」
あんただって速くて強いからこの学校に入学できたんでしょうに。偉そうな名前をしているくせに、意外と小心者である。
「マイはやっぱりティアラ路線を目指すの?」
「うん。あのエアグルーヴ先輩が達成できなかったティアラ三冠を取りたい。リンはクラシック路線で行くの?」
「そうだね。目指せクラシック三冠! ……やっぱりお腹痛くなってきた」
「寮に着いたらいくらでもトイレにこもると良いよ」
「冷たいなぁ、我が従妹は」
「冷えてるのはリンのお腹じゃないの?」
強がってはいるが、実は自分も少し緊張している。
あらかたの荷物は既に配送済みで部屋まで入れてもらえているみたいなので、自室に入ったら荷解きから始めなければいけない。だが荷物より何より、一番の問題は同部屋が誰になるか、ということである。
一番マシなのが、このリンと同部屋になることだ。初日からトイレを占領されることは確定しているものの、仲が良いとは言わないがお互い気質は知れているのでベターではあるだろう。
次にマシなのが知らない同級生との同室であり、最悪は先輩との同室である。
育った環境は異なれど、放り込まれた状況が同じであればそれなりの関係を築くことに自信はあるが、先輩となれば話は別。
強いウマ娘の場合、自らの実力を『同級生の中では中の上~上の下程度』と見積もっている自分としては、劣等感にさいなまれ焦りを生むことは容易に想像できる。一方で中々勝てていない先輩の場合、自分が勝つにしても負けるにしても部屋の空気が最悪になるのを想像するのはこれまた非常に容易である。
そうこうしているうちにトレセン学園へ到着した、してしまった。
ぐるりと見まわすと、バカみたいに広い敷地と快適な監獄たる我らが栗東寮・美浦寮が鎮座しているのを発見した。
私達が入るのは栗東寮である。事前に送られてきた案内によれば、寮長はフジキセキ先輩であり、彼女もまた説明不要の優駿である。通常なれば引退していてもおかしくない怪我を負いながらも復活し、クラシック路線で暴れまわったことは有名である。ちなみに男装の麗人などという謳い文句をしているくせに勝負服は完全に痴女な寮長とは、多分解釈違いで分かり合えない。
あと実家の父に雰囲気が似ているところも少し気に食わないが、そう言われても彼女は困るだけだろうから口外はしない。
「やあポニーちゃん達、ようこそ中央トレセン学園栗東寮へ!」
寮に入るとフジキセキ寮長が待ち構えていた。下足所で靴を脱ぎ、スリッパに履き替えてエントランスに上がる。何故セグウェイが下足所においてあるのだろうか。
フジキセキ寮長から簡単な説明を聞き、部屋の鍵を受け取る。
しかし風呂・トイレ・食堂は共有か。快適な監獄と見積もっていたが、ただの監獄になるかもしれない。実家という檻から脱出した先が監獄というのは笑い話にもならない。
「―――というわけで、君たちは3階の同じ部屋だ」
「わかりました、ありがとうございます。これから宜しくお願いします」
まぁまぁベターな流れである。人見知りの私としては最高と言ってもいいのではないだろうか。
私達が揃って一礼すると、フジ寮長はキザったらしくウインクを一つして去っていく。
端っこの方で芝とダートを荒らし回っているアグネスデジタル先輩がこちらを見て倒れている。とりあえず気づかなかったことにしておこう。
―――栗東、濃すぎない?
私はそのうち美浦寮にも行ってみようとひそかに決意した。果たしてどちらがマシな監獄であろうか。
窓の外を見ると「ホーホケキョ」と葦毛のウマ娘が鳴いていた。
栗東、濃すぎない?
○アドマイヤグルーヴ
本作主人公の一人。実家はお金持ちだけど少し拗らせている。エアグルーヴを慕っている切れ目の美人系お姉さん。妹がいる。
黒髪ロング。某退魔忍のアサギに似ている。強者への感度は3000倍。
◯リンカーン
一般通過G2大将ウマ娘。
○エアグルーヴ
ドリームを卒業したら指導者への道を歩もうと思っている。
○サイレンススズカ
そんなことより走ってきても良いですか?
アドマイヤグルーヴのトレーナーは……
-
ユタカさんでしょ
-
おハナさんでしょ
-
沖トレでしょ
-
桐生院さんでしょ
-
オリトレでしょ