ぶすぶすとそこらにある、みてくれだけの不完全燃焼とは訳が違う。ほんの瞬間にせよ、眩しいほどに真っ赤に燃え上がるんだ。
そして、あとには真っ白な灰だけが残る。燃えかすなんか残りゃしない。真っ白な灰だけだ。
▼20A2年12月7日 アドマイヤグルーヴ 阪神レース場 小雨 良
私の2戦目であるエリカ賞もまた快勝だった。
王道の先行策から直線で抜け出し、そのまま坂を上り切ってゴール。少人数であったことも有利に働いたけど、スタートでバタつきかけた以外、レースの内容自体は良かったと思う。
出られなかった先週の阪神JFについて言及すると、ピースオブワールドが勝った。うちのクラスから出走したメンバーではヤマカツリリーが2着、オースミハルカが7着であった。
―――出ていたとして勝てただろうか?
マイナス思考が頭をよぎる。
私はいつもそうだ。何が何でも勝つ、という意思が乏しい。
そしてスティルインラブ。
先週リンと見に行ったスティルインラブは完全に流していた。
上がり35.3、私の見立てでは33秒台は固いであろう彼女は、それでも1400の距離で2着に3バ身以上離して快勝した。
トレーニングは足りているのだろうか?
果たして次のレースはどうなるのだろうか?
本当にアイツらに勝てるのだろうか?
―――などとレース前に考えていたら危うく出遅れかけてしまった。控室で待っているトレーナーにバレていないと良いが……。
「おめでとう、アドマイヤグルーヴ。お疲れ様」
「ありがとうございます」
「一つ聞きたいんだけど、アドマイヤグルーヴ。君、スタート出遅れかけていたでしょ」
ビクッとしっぽが逆立つのがわかった。
「あの、いや、その―――」
「スタートで少しバタついてたよね。周りもそんなに上手くなかったから他の人の眼は誤魔化せてるかもしれないけど」
「すみません。何というか、狭くて集中が散ってしまって……。練習自体はしてるのです。ですが、あそこに入った途端に……」
そうなのだ。私は致命的にゲートが苦手なのだ。弟や妹も下手くそだし、これはもう家系的な何かなのだと思う。
「―――はぁ、仕方が無いか。でも桜花賞を見据えた場合、1600mで出遅れるのは致命的だ。前哨戦のチューリップ賞やフィリーズレビュー、フラワーカップも距離が短い分、厳しいだろう」
「そう、ですね―――」
「そして桜花賞に出走するには獲得賞金が足りない」
「はい」
「―――異例ではあるけど、若葉ステークスに出てみようか。うん、ここしか無いよ。今更中山とか東京とかで走っても仕方が無いし、京都・阪神のオープンで勝てそうなのはここしかないと思う」
「―――わかりました。最善を尽くします」
「言っておくけど、出遅れたら終わりだからね。オープンはそこまで甘くない」
トレーナーからの圧が飛んでくる。
彼の言う通りオープンは甘くない。このままではただの2勝バだ。何とかしなければと思うが、条件戦を抜け出すことすら難しいこの世界で私が目指す頂きは果てしなく遠い。
脚が速いだけでもダメ。スタートが上手いだけでも、コーナーが上手いだけでも、コース取りが良いだけでも、スタミナがあるだけでもダメ。
そして最後の最後は運が勝負を決める。
まるで煉獄だ。
皆、迷い子なのだ。地方を含めた約2万人のウマ娘達は、悉く彷徨っている。ターフの上で千切れた芝に
恵まれた私が諦めるなんてことをして良いわけがないのだ。
「わかっております。それでは」
「うん、じゃあね」
雨が、冷たい。
・・・・・・Ω・・・・・・Ω・・・・・・
冬の間、私は必死に練習した。
ティアラ三冠を目指すには次戦、負けられない。だけどスピード、スタミナ、パワー、ゲート―――どれだけやっても全てが足りない気がしていた。
トレーナーに言われたメニューをこなしても足りない気がして、暇があれば自主練やフォームチェックを行っていた。
その一因にはブランビュールさんの退学があったと思う。
彼女はコスモス賞に勝ち、阪神ジュベナイルフィリーズでは3着になったものの、その後骨折が判明したのだ。
通常であればトウカイテイオーさんのように復帰を目指すのだけど、彼女は実家の要請により退学して家業を手伝うことになってしまった。
彼女はクラスが別とは言え同じ路線を走っていただけにショックであり、実家に呼び戻されるという意味では私に重なる部分も多かった。
また、リンも12月の未勝利戦を勝利し、勢いそのままに先日行われた若駒ステークスを勝利して無事にクラシック三冠路線への挑戦権を手に入れた。
彼女から逃げるためにトレーニングに打ち込んだというところもあるのだろう。一足先に次のステージへ進んだ同室の彼女を見ていると、酷く自分が惨めな気分になったのである。
全く、我ながら面倒くさい女だ。
無論、トレーニングにあたってエアグルーヴ先輩に言われたことは忘れていない。『ウマ娘の脚は消耗品』―――確かにそうだ。
だけど私の心に火をつけるのには何かが足りていない。
次走への不安も、ライバルへの嫉妬も、知人の退学も、実家への反発も、全てを燃料にして―――いつかスティルインラブが言っていたように『自分も他人も全ての命をターフに
そう、今やっているのはトレーニングではなく点火作業なのだ。
一つ削っては一つ足し、
二つ削っては二つ足す。
削ったモノを灯りに
削って、削って―――
身を削る作業に入った頃と同時期だろうか。私を「エアグルーヴの後継者」と呼ぶ者も現れ始めた。
リンによると新バ戦の頃から言う人間もいたそうだが、私がエリカ賞を勝った頃から更にその呼び名が広まってしまったそうだ。
止めて欲しい。
私は未だ何者にもなっていない。
私は未だ彼女に勝てていない。
これも削らなければ。
「精が出ているな、アドマイヤグルーヴ」
「エアグルーヴ、さん……」
夕暮れ時のターフに、私と女帝とだけが佇んでいた。
▼エアグルーヴ
19戦9勝、うちG13つ*1を含む重賞6勝。
口さがない者は『それだけ勝ったのだから、
あと少し、あと少しが多いレースばかりであった。
あと少しで勝てた阪神JF、あと少し体調に気を付けていれば出走出来た桜花賞、入れ込みすぎて惨敗した秋華賞、宝塚記念、ジャパンカップ、有馬記念―――達成できたものよりもできなかったもののほうが印象に残り、その後の人生に影を落とすのである。
高望みしすぎている、満足しろと指摘する人もいるだろう。ご尤もである。
だが、一度満ち足りてしまうと、その後は足りないものを数えることとなってしまうのだ。言い換えれば、人々の記憶に刻み込まれたものは決して風化しないのだ。
さながらレース場の片隅に安置されている過去の偉大なウマ娘の
その感情は、岩肌が摩滅するか、岩が砕け散るまで決して消えはしない。
『満ち足りること』を知らずに生きるという楽園は失われてしまう。後は、ただ堪えるだけなのだ。
だが私はまだ幸せな方である。メジロドーベルに負け、エルコンドルパサーに負け、グラスワンダーに負けた時、新時代の到来を突き付けられたのだ。私が渇望してやまなかったものを、後に
私はただ堪えることからの逃走に成功した。
そして今。何故か目の前の少女が気にかかる。
彼女への最初の印象は『似ている』だった。
周囲も同じような印象を抱いていたのだろう。最近では『エアグルーヴの後継者』などと騒がれることもあるようだ。
私と彼女の一番の違いは、私の根底は母が作ったものだが、彼女の根底は孤高、高潔さを重んじる“アドマイヤ”の気質が作ったものということだ。
ベガ、ボス、コジーン、ドン、マックス。偉大なる“アドマイヤ”の系譜を継ぐ者として育てられ、現役中は――恥ずかしくもあるが――私と比較され、知ったような口で評論されるのだ。
可哀想だと思う。憐れだとも思う。
しかしあの時スズカと共に出会った私に似た少女には、何故だか託してみたくなったのだ。
新しい時代を。
所詮、私の自己満足だ。たわけ共をバカに出来ない。
「精が出ているな、アドマイヤグルーヴ」
「エアグルーヴ、さん……」
声を掛けると並足でランニングしていた彼女が足を止め、不思議そうな瞳でこちらを見遣る。
「どうされたのですか?」
「うむ、
「エアグルーヴさんが、
「ああ、マーメイドステークスの前だったかな。オークスを取ったは良いものの秋華賞を惨敗して、挙句の果てには骨折までして―――私とて必死だったさ。特に負けられない戦いの前はな」
「……私、わからないんです」
「何を?」
「走る意味というか、情熱というか―――私に足りないものが」
「ふむ、貴様に足りていないものか。私は一つ知っているぞ?」
「何でしょう?」
「敗北だよ、アドマイヤグルーヴ」
私がそう言うと、彼女はキョトンとした顔になり、やがて納得したような顔つきになった。
「そう、そうなんですよね。良かったです、間違っていなくて。少なくともエアグルーヴさんの出す答えの一つと私の考えが合っていることに安心しました」
「うん? 貴様は負けるためにそのような練習をするのか?」
「そうではありません。寧ろ、負けた時に言い訳の余地が無いよう、予め余白を削っているだけなのです」
「クッ……ハハハハハッ!」
「どうしたんです、急に?」
いきなり笑い出した私を、まるで得体のしれない者を見るような目つきで彼女は私に訊ねた。
彼女はしれっと言うが、殆どのウマ娘はこの境地に至るまでにレースを引退する。「ゲートさえうまく出られていれば」「あそこで進路が狭くならなければ」「内枠を引けていれば」などなど。
『勝ちに不思議の勝ちあり、負けに不思議の負け無し』と勝負の世界ではよく言うが、敗因分析は重要であるものの、それも過ぎればただの言い訳の羅列に過ぎない。
重要なのは次の戦いへの準備に外ならず、アドマイヤグルーヴは予め『不思議の負け』を無くすために知恵を絞り、汗を絞り、懸命に励んでいるのだ。
胡乱げな視線を投げかける彼女に私は伝えた。
「いや、すまんな。アドマイヤグルーヴ、それをな、『情熱』というんだ」
どうして、どうして俺にはオルフェが来ないんだ……ッ!
菊花賞だって、阪神大笑点だって、WINSで見てたんだぞ……ッ!
お前が……お前が頭だったんだ……ッ!
返せ……ッ! 俺の15000円と15000ジュエルを……ッ!