帝都 禁軍駐屯地にて
帝都の延々と続く様な画一的に整備された街並みを一望できる司令室には二人の人影があった。作戦地図や武具、防具が立てかけられた部屋の中で、見事なユリが螺鈿細工で描かれた硯箱の横に、首が二つ並べられた。
小札を重ねた重厚な鎧で身を固め、絹を垂らして顔を隠した豹貌の武人が、幼少より忠誠を誓った主君に己の戦果を捧げてから言った。
「秀得様…万事滞りなく完遂致しましてございます。」
祖国凱以来の腹心閻技の声に秀得は頷いた。
秀得は振りむき、最期の感情を焼き付けた生首と対面した。
閻技が言った。
「右が白雄皇子、左が白蓮皇子でございます。」
秀得は尋ねた。「介錯の際、抵抗は受けたか?」と。
これに閻技は首を振り答えた。
「いいえ、全く。一刀にて済みましてございます。」
秀得は言葉少なに「それは重畳。」と言い、それから「そろそろ、私も役目を果たして来る」と言って司令部を後にした。
自然体のままの表情と呼べばよかったか、両皇子の表情に苦悶は無かった。
◇
その日、先帝白徳の屋敷が放火を受け、賊の突入により皇子二人の命が奪われた。下手人は捕まらず、誉高き両皇子への嫉妬から紅徳帝による策略ではとも噂されたが、真相は闇の中である。全焼した屋敷からは、騒ぎを聴き付けた総兵官秀得の手により先帝の三男練白龍が救出された。総兵官はこの大火により全治三か月の全身火傷を負い、また白龍皇子も顔面の半分を覆う火傷が遺った。
◇
同日夜 宮廷 後宮
元アル・サーメンの一派が官女の、或いは銀行屋の姿で終結していた。彼らの中心には杖を携えた練玉艶改め、創世の魔法使いアルバがいた。
アルバは冷たい目で、中央の石舞台に横たえられた皇帝紅徳を見遣った。
「あっけないものでしたね…まぁ、致し方ありません。分不相応な野望を抱えた者の末路としては上出来でしょう。…こうして、大国を一つ秀得様に献上できたのですから。」
吐き捨てるように言うと、彼女は部下に命じて高熱と浮腫に苦しんだ悪臭の遺体に火をかけた。茫々と燃え上がる腐敗した聖体は、その死が遥か以前に訪れていたことを見る者に理解させた。
練紅徳はとっくの昔に殺されていたのだ。
銀行業の発達、その黎明期に入り込み根を張ったアル・サーメンだったが、彼らの誤算はマハルバル・バルカ改め、今世では秀得という名でその剛腕を振るう男の存在だった。
完全なイレギュラーだったがあり得ない話ではなかった。アルバが封印された場所から抜け出して、肉体を乗り換えてその意識身体を存続させているように、別世界からの異物が、もう一人存在しないという保証は無かったのだ。
創造主への狂信者だったアルバを変えたのは、秀得の放つ灰色のルフだった。
白のルフ鳥が運命の順流であるならば、黒のルフ鳥が司るのは運命の逆流だ。では、灰色のルフ鳥は?
応えは停滞だ。停滞と言っても、何も文明を停滞させるわけではない。停滞させるのは苦痛であり、引き換えに『救い』を促進するルフである。
灰色のルフがイレギュラーである理由は、その運命性が既存のあらゆる運命から逸脱する代物だからである。
既存の運命とは白か黒であり、それは応えるものではなく、答えそのものになっている。対して、灰色のルフが齎す運命は白でも黒でもなく、そこには答えの消失と引き換えに、応えることを肯定する仕組みを導入する。
そのため、灰色のルフは白からも黒からも拒まれ、攻撃される。一見なんのメリットもないが、灰色のルフをその身に宿す最大の利点は、何人もルフによる介入が許されないということである。
それはある意味では運命への拒絶であり、ある意味では運命への迎合である。しかし、明確に異なることは運命の存在を遺したまま、運命の強制から逃れる手段足り得るということであった。
灰色のルフはあらゆる超常の現象の力を借りることが出来ない。しかし、白ルフも黒ルフも灰色のルフの前にはその性質を喪失するのである。
激情する人に使えば、灰色のルフとは冷や水であると同時に、思考の呼び水となる。
運命からの逃避…短絡的に言えばイル・イラー崇拝の根底にある思想はソレ、だった。ソロモン政権への反発とイル・イラー崇拝で構成されたアル・サーメン…八望星の名を持つ団体にとって、その存在意義を先んじて実現してしまった存在が、暗黒を以てせずに憩うべき影を齎す救世主が現れたならば、果たして真に救いを求める者ならばどうしただろう?果たして真にイル・イラー崇拝に心身を捧げてきた者が救いの権化と相対したならば、その時彼女はどうしただろう?
その答えが、今の玉艶、延いては旧アル・サーメンの姿だった。
約十年前、戦場で槍矛を振るい敵を蹴散らす、凱の将軍だった秀得を一目見て、玉艶並びにアル・サーメンの構成員達は一人残らず、その生に、その存在に、空前絶後の『救い』を視た。それが全ての始まりであり、またその『救い』を与える生ける源泉に奉仕するコトこそ、彼らの全てになったのだ。
灰色のルフを創始する者、その体現者である秀得又の名をマハルバル・バルカへの崇拝が、イル・イラー崇拝にとって代わったことで、既存のアル・サーメンはそのほとんどが解体され、新たな組織へと再構成された。反ソロモンはそのままに、暗黒点の創出から灰色のルフによる運命の救済へと舵がきられた。これにより世界の異変は緩やかな停滞へと還元され、一方で世界から黒ルフが無くなることはなく、また白ルフの激減も無くなった。だが、畢竟この二つの勢力は拮抗することになる。
それは運命ではなく、寧ろ人為的な諸条件によるものであった。
ソロモンの手を離れた世界の到来を希ってきたアル・サーメンにとって、自分たちのこれまでの活動の否定には拒絶感や虚無感が伴ったものの、人間による世界、或いは運命への挑戦と受け取れば、彼らは一応の戦略的勝利を収めたと言えた。
しかし、アル・サーメンがそうだったように、変えようと思えば変えられる力がこの世界には未だ存在しており、その元凶こそ外でもないソロモンの最大の遺産であり、また妨害であった。
生まれ変わったアルバは、アルマトラン以来史上初の灰色のルフのマギとして、紅徳と白雄と白蓮を焼いた神殿で、紅徳らの灰を踏みしめて秀得に忠誠を誓い、その儀式の場でこのように上奏した。
「秀得様、我々は今後、その運命の救済という一点において活動を展開してまいります。しかし、その上で世界統一を掲げる煌帝国を野放しにすることは罷り通らぬことと愚考致します。そこで、是非とも秀得様には我らが、延いてはこの国の王として君臨していただきたいのです。世界を統一するのではなく、救いを発信する泉として、この国を強国に育てることが我らに課せられた第一の使命であると、そのように確信する次第であります。」
アルバの言葉には熱がこもっていたが、それ以上に理性と希望が詰まっていた。
彼女の言葉に「然り!然り!」と協賛する信徒たち。しかし、請われし秀得の答えは彼女たちの考えとは異なるものだった。
「では、秀得様は煌帝国をあくまでも煌の皇室の人間に統治させるのですね?しかし、私にはわかりません。彼らが侵略戦争へ意欲的なのは周知のこと、果たして野放しにすればどこまで拡大と疲弊を続ける事か…。」
秀得は続けて自らの考えを述べた。
「なるほど!秀得様が後見人として帝国を管理し、その間に私共と貴方様に忠実な煌の、延いては他国の人間を用いて年月を掛けて、我らの教えを実態をもった活動、政策を通じて浸透させていくのですね?」
アルバは秀得が頷くのを見て言った。
「ならば…そのためにも我々はまずこの国に平穏と救済を齎さねばなりません。その上で…秀得様の意を好く理解し、賢明であり、才気に満ち溢れ、そして何より貴方様に忠実無比な者を新たな皇帝陛下に据えねばなりません。」
アルバはにこにこと和やかな笑みを浮かべて言った。
「私の息子、練白龍など如何でしょう?きっと賢く強い皇帝として、秀得様を誰よりも熱心に支えてくれますわ。」
この日、煌帝国拡大派閥の旗頭であった紅徳が死に、また先帝の遺志を継ぎ帝国の拡大と強国化を図るべく活動していた白雄・白蓮が死んだ。
これにより次期皇帝を巡る血生臭い権力闘争が始まるかに見えたが、皇帝の遺言書により導入された「一代毎に、両練家から皇帝を出す」という規定に則り、第三代煌帝国皇帝には練白龍が選出された。また、宮中九寺卿並びに禁軍総兵官たる秀得の名において推挙されたことでこの決定は半ば拘束力を持ち、更に太后となった玉艶の強い支持と綿密な根回しもあって、満場一致で可決されることとなった。
第三代煌帝国皇帝として玉座に就いたその日のうちに、白龍は新皇帝の名において、その宮廷での官職を全て継続したままで、尚且つ秀得が返上した一切の地位・官職・所領の回復を宣言し、その上で練白雄・白蓮暗殺事件の真相究明の勅命を下した。
煌帝国 練秀得 齢二十六
位を武安大将軍大都督元帥宮中九寺卿禁軍総兵官。
時に最初の迷宮が攻略されてから五年後のことであった。
二百年前…マハルバル・バルカ没
三十五年前…秀得誕生
十四年前…世界初の迷宮攻略
九年前…練白龍(7)が第三代煌帝国皇帝に即位
・秀得(26)が復権
零年前…原作開始