原作よりちょっと強い橙の小話集   作:望月エト

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 ベビー橙が笑う話です


表情開花

 

 橙が藍の式となって一ヶ月が経ったある日。

 八雲家内の藍の部屋にて。

 

「——あー……うー……」

 

 そこは橙の寝床でもあり、今も子供用の布団の上に寝かされ、視界に映る天井の染みに向けて掴もうと小さい両手を動かしている。

 

「うー……あー……」

 

 それが無理だとは知らず、なんとか染みを掴もうと集中しているのだろう。

 手の動きに合わせて猫耳がピコピコと揺れ動き、左右に突き出されていた二本の尻尾もまた手の動きとシンクロするように天井へ向けて突き上がってしまっている。

 この通り橙は赤ちゃんらしく無邪気に気の向くままに動く。

 できないだとか、非効率だとか、そういう考えは思いもしないので体の動かせるところは全て動かして一つの行動をとるのだ。

 健気で可愛らしい赤ちゃんである。

 橙を囲んで静かに橙の挑戦を見守っている藍と紫は微笑ましそうに表情を緩めながら共にそう思う。

 ただ、一つだけ二人には保護者として不安に思っていることがあるのだ。

 

「やっぱり、感情が顔に出ないわねぇ……」

「そう、ですね……」

 

 幸せそうな表情から一転、橙へ視線を移した二人は本来ならば行動に合った感情で形作られている筈の顔に一切の感情が読み取れないことを確認し、不安げな表情を浮かべてしまう。

 

「あーぅ?」

 

 染みのある天井から隣で自分を見下ろしている保護者たちへ不思議そうな声と共に視線を向ける橙。

 その顔は声色とは裏腹に何も不思議に思っていない、なんの感情も無いように見える。

 これこそが藍と紫の不安なこと。

 赤子とは素直な存在。

 基本的に楽しく思えばすぐに笑うし、悲しく思えば我慢することなく泣くものである。

 しかし、橙は裏表のない赤子の身でありながら心と表情が連動していない。

 嬉しく思った時は無表情で笑っているところを藍と紫は見たことがあるので、喜怒哀楽が理解できていないわけではないと思われる。

 そして、医学的な検査ができる能力を持った紫の知り合いに診てもらい、橙の脳や神経に先天的な障害があるわけでもないということも分かっている。

 なぜ橙が感情を表情に出せないのか不明なのだ。

 その不明だということも保護者二名を更に不安にさせているのである。

 

「やはり、蟲毒の弊害でしょうか」

「そうねぇ……健康食品みたいな尼僧の血肉が関係しているとは思えないし、十中八九そっちでしょうね」

「……」

「橙は猫の身でありながら複数の大型獣を仕留めて蟲毒に勝ち抜いた。そもそも蟲毒は最後の一体が仕留めた数十、数百の『贄』の怨嗟や呪いを浴びて“魔”に近づく儀式。あんな小さな心身に負荷が掛かってしまった結果かしら」

「……それでも橙は今こうして普通に過ごせている。やはり、橙は逸材ですね」

「えぇ、それは本当にそう。本当に数合わせの橙が勝ち抜いたのは予想外だった……ふふふ。心の底から驚いたのは三百年ぶりだったわ♪」

「うゅ」

 

 一ヶ月前の橙によって与えられた驚愕の衝撃を思い出し、再び体感して体を震わした紫は楽し気に口角を上げると、もっちもちな橙の頬を優しく突く。

 精神面の方が大事な妖怪にとって驚くことはあまり良いことではない。

 心の揺らぎはそのまま肉体や能力に影響が出てしまうからであり、それ故に妖怪たちは驚かせてくるくせに驚かされるのは嫌っているのだ。

 だが、遥か昔から生きて多方面に秀でている紫は余裕があるのか驚かされることを好いている。

 ただ、紫は幻想郷のためにと暗躍し過ぎた。

 そのせいで広く見渡せる『目』と大事なことを聞き逃さない『耳』を有してしまい、驚かされる前に知ってしまうようになったここ数百年は驚かされることが、否そもそも紫を驚かせようと思う者もいなかった。

 そんな大妖怪を従者の九尾の狐と揃って驚かせてみせたのが一匹の黒猫なのだから、未知が解明されつつあるこの世界もまだ分からないことがあって面白い。

 程良い刺激が内なる渇きを癒してくれる。

 

「ホント、良い出会いができたわ。ふふ。藍も普段の仏頂面がニッコニコだったものね。アレも良いものだったわ~♪」

「わ、私のことはどうでもいいんですよッ……コホンッ。橙のことについて話をしましょう」

 

 頬を赤く染めながら咳払いした藍は橙を見下ろす。

 そして、少しも変動がないが愛らしい顔を見て『この子の無表情をどうにかしなければ』と考えて気合で頬の熱をスッと治める。

 

「もう少し成長してからの予定でしたが、橙に式をつけましょう。心情と表情をリンクさせるんです」

「まぁ、八雲家なら取る手はそれしかないわね。幸いなことに妖獣は精神面に強いし、リンクさせる程度なら問題はないでしょう。術式は考えているの?」

「はい。実はもう用意できているんです」

 

 藍はそう言うと懐から一枚の式札を取り出し、それを橙の上で紫に手渡す。

 ちなみに式札は短冊状であり、複雑な幾何学模様が描かれていて一般人にはどれがどうなって作用するのか分からないだろう。

 

「ふむ……」

 

 式札を受け取った紫は真面目な表情でそこに組み込まれた術式内容を確認する。

 

「なるほど……うん。良い出来ね。でも、一つだけ不安な点がある」

「えッ……申し訳ございません。どこに不備がございましたか?」

「別に藍がしたためた式札に不備はないわ。不備はないけど、不安があるの」

「?」

「橙には封印が施されている。あれは魂に施してるから、心や感情関係に大きく影響してしまう。だから恐らく、それが原因で式は剝がれやすくなってしまうわね。たぶんだけど、雨に少しの間だけでも剥がれちゃうと思うわ」

 

 あとは単純に藍の技量の問題だったり、橙が幼過ぎる問題とかもあるわね、と続けて言った紫は式札を藍に返すべく突き出す。

 

「はぁ……いろいろと問題は山積み、ですね」

「でもまぁ、今は近くにいることが多いし、試作一号ってことでやってみるべきよ。今回は大サービスで頼れるご主人様も手伝ってあげるから安心なさい?」

「……お願いします」

「なんかちょっと間があったわね……まぁいいわ。さ、善は急げよ。いますぐにやっちゃいましょうか。ほら、準備なさいな」

 

 紫は呆れ気味の藍が式札を受け取ると同時にその手を掴んで橙の頭部まで強引に移動させる。

 

「あぅ、あー」

「ちょッ、ちょッ、引っ張らないでくださいよ!」

「藍の動きが遅いからよ。さ、始めなさい。封印関係のアレコレは私が対応してあげる。ほーら、気張りなさい。これは貴女が橙の主として行動する第一歩目よ」

 

 紫は補助術式を展開しながら藍の主人として、橙の主として自覚が今一つ及んでいない己の式の背中を激励と共に押してみせる。

 

「ッ——はいッ!」

「うー?」

 

 なんだかんだ頼り甲斐のある己の主の激励に藍は力強く返事をし、不思議そうな声を漏らす橙と改めて向き直る。

 今回施す式はただ付けて強化するだけではなく心と肉体を正常に繋げ直すものであるため、上手く付与させる必要がある。

 そのため付ける際に普通の式とは違って慎重に成らざるを得ない。

 下手に付けてしまうとバグが発生して最悪の場合は心までも正常に動かなくなってしまうだろう。

 だが、問題はない。

 右手に持つはキチンと考えて仕上げた試作一号こと表情開花の式札。

 アシストには己以上の大妖怪で尊敬する賢者が回ってくれている。

 最後は自分を信じるだけだ。

 

「始めます」

「オッケー」

「ぅ?」

「大丈夫だからな、橙。ちょっとくすぐったいけど、すぐ終わるから」

 

 橙を安心させるように優しく穏やかに声を掛け、霊札へ妖力を込めながら橙への式の付与を始める。

 次第に藍の妖力や封印から緩んで漏れ出た橙の妖力の滓が光の粒子となって霧散して淡く消えていく。

 自分のためにやってくれていると察しているのだろう、橙は怖がることもなく式の付与が終わるのを大人しく待つのだった。

 

――――

―――

――

 

 そして、約一時間後。

 式を張り終えた藍は橙を抱き上げ、傍にいる紫と共に可愛い式の顔を見つめていた。

 

「う? あぅ、あー……ぇへへ」

 

 揃って見てくる保護者達に見られて嬉しいようで、橙は()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

「ふふ。無表情でも可愛かったけど、やっぱり顔にちゃんと感情が出ると更に可愛いわね」

「はい。とっても可愛いです。ふふふ」

 

 見たいと願った表情のある橙はとても愛らしく、例えそれが式の付与という半ば強引な手法で実現したものでも藍と紫の心は満たされたのだった。

 




 橙の式が取れやすいのは藍の技量だったり、橙の鍛錬不足が問題らしいんですけど、このオリ時空ではこの話の通りの理由で剝がれやすい……ということで。
 成長した時系列:原作でも上記は同じで、戦闘用の式に変えるとソレには表情開花の術式がないので無表情になります。
 この世界の橙の本気は無表情!(猫耳や尻尾には感情が現れます)
 
 ここまで読んでくれてありがとうございました!
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