橙が藍の式神となってから三ヶ月ほど経ったある日の早朝。
「橙、起きなさい。朝ですよ」
幻想郷のどこかにあるとされる八雲家にて、橙(三歳)は藍に声を掛けられながら体を二、三回揺すられて目を覚ました。
「みゃぁ……ん~~ッ」
布団を捲って上半身を起き上がらせ、声を漏らしながら両腕と日本の尻尾を天井に向けて伸びをする。
次に傍で腰を下ろして橙の様子を見守る主へ寝ぼけ眼で覇気のない声で挨拶を送る。
「おはよぉございますぅ……らんしゃま……」
「はい、おはよう」
「……Zzzz」
「こーら、寝ないの。起きなさい」
「にゃッ!?」
上半身を起こしたまま再び夢の世界へ旅立とうとした橙。そんな彼女の額へ藍は微笑みながら目覚めの軽いデコピンをお見舞いする。
「ほらほら、しっかり起きて紫様を起こしてあげてきてちょうだい。あのヒトもまだ寝てるだろうから」
「ふみゃぁ……はーい」
藍からの指示に橙は欠伸と共に返事を返す。
二人は主従の間柄であるため普通は主人の前で欠伸を漏らすことなど 責ものだが、藍と橙との繋がりは堅苦して冷たい主従関係よりも緩く温かい“家族”に近い。
これは紫と藍にも言えることであり、言わば八雲家流の主従関係である。
そのため、橙が欠伸を漏らそうが藍は気にしないし、むしろ小さな口で欠伸を漏らす己の式を愛おしく思っていた。
「——ゆかりしゃま、おきてくだしゃい。もうあさですよー」
藍と廊下で別れて紫の寝室にやって来た橙は、部屋の真ん中に敷かれた布団でぐーすかと眠りこけている主の主へ声を掛けて起こそうと努めていた。
最初は声だけで、次に布団の上から体を揺すり、最終的には揺すりながら声を掛けて起こそうとするも紫は寝息を吐くだけで一向に起きる気配がない。
「……すー…………すー……」
「うぅ、ゆかりしゃま、おきにゃい……こうなったら、さいごのしゅだん……」
橙は起きてくれない紫に対して奥の手を切る。
「えいッ!」
「ぅッ……」
橙の最後の手段、それは圧し掛かり。
その場で掛け声と共に軽く跳躍し、そのまま紫の腹部目掛けてダイブ!
体重がとても軽い橙ではさほど苦にはならないが、寝ている時に食らう衝撃はそこそこ凄いのである。
現に今日と同じく藍に紫を起こす役目を任された数日前はコレで起こすことに成功した。
なので、本日もこの奥の手で紫は目を覚ます。
橙は全身で感じる紫の温もりを感じながら、そう確信していた……が——
「……すー…………すー……」
「にゃッ!? な、なんでおきないの~ッ!??」
衝撃が足らなかったのか、それとも紫に耐性がついてしまったのか。
橙の『必起ダイブ』を食らっても紫は目を覚まさず、未だ気持ち良さそうに腹を一定のペースで上下させて眠り込んでいた。
「ど、どうしよぉ……ゆかりしゃまをおこさないと、らん……しゃま、に……おこ……」
他者の睡眠は近くにいる者の眠気を呼び起こすものであり、それに加えて紫の温もりや腹部の心地良い上下運動が更に橙の眠気を誘う。
「みゃぁ……」
自然に漏らした欠伸が最後の後押しとなり、橙の瞼は一気に閉じてしまい、視界の暗転と同時に意識も暗闇に飲まれてしまった。
「……すぅ…………すぅ……」
橙が紫に覆い被さって眠ること数分後。
普段は感じない腹部の圧迫感に違和感を抱いたのか、紫はゆっくりと目を開けて自身の体へ視線を向ける。
「……んぅ…………ッ、ふふふ……橙ったら、私に被さって眠るなんて鬼や天狗なんかより怖いもの知らずね……風邪引いちゃうじゃない。よい、しょ……ふふ、可愛い寝顔ねぇ」
境界を巧く操って橙を布団の上から自身の腕の中へ移動させ、そのまま優しく抱き寄せて寝顔を間近で一瞥する。
まだ幼く可愛らしい橙の寝顔は見ているだけで癒される。
「ふわぁ……まだ寝ててもいいわよね……」
「……すぅ……ん…………すぅ……」
(ふふふ。おやすみなさい、橙)
紫は眠ったまま抱き返してきた橙へ起こさないように心の中で就寝の挨拶を送り、再び瞼を閉じて夢の世界へ旅立つ。
紫の二度寝から五分後。
一日の始まりを知らせる日の光が窓から差し込む紫の自室に幻想郷の賢者とその式の式の寝息が淡く木霊するのだった。
八雲一家は家族感が強めで距離感近めなのが好きです
上司部下という一面もあれば、互いに愛情を抱いて想い合っている一面もある……そんな感じです!
【プチ解説】
㊀橙は妖怪(化け猫)になったばかりの幼児。可愛いニャンコ
㊁紫様は寂しがり屋
→大妖怪なので普通に怖がられて誰も近寄ってこず、藍が独り立ちして以降の数百年ほどは今話のように他者から密着することがなかったので少し寂しかった。
→可愛い孫(的な存在)ができて紫ちゃん嬉しい♡