嘗ての先生、其の成れ果て 作:低品質なプリン
くりすまーす。
「………ん、うぅ……ん…?」
――腹部へと圧迫感。
寝苦しさに呻き、意識が覚醒する間近。頭の中に自らの情報が流れ込み、強烈な不快感に眉を歪めた。酷く喉が渇いている。空腹感もあり、然し脳の端がズキリと傷んで食欲も瞬時に失せる。眠る前は何をしていたか、まったく思い出せない。
質の良い健康的な睡眠とは言えないのも、寝起きの頭でおもむろに理解していた。
刹那に過ぎる思考に区切りを付け、イツキはやっと明確な
「……あら?」
「…………………ハナコサン?どうして私の上に居るの?なんで水着なの?」
「…ふふっ、おはようございます♡」
「………………」
イツキは戦慄した。
薄暗い部屋に見慣れない天井。此処が何処なのか、そして自分がどうして此処で寝るに至ったのか。全く持って想像が付かないが、然し自身の頭に残る記憶を辿る事は可能だ。
あの後――対策委員会と共にカイザーPMC基地を脱出した後、イツキ達はシャーレで所有している四輪バギーでアビドス高校へ戻った。
席が足りなかったが、ホシノがノノミの膝に乗り、イツキはシロコに捕まって膝上に腕でホールドされた。
本来は高校とアビドス砂漠の距離はアビドス中央線を利用し、電車に揺られながら数十分を掛けるくらいだ。運転に不慣れな先生がバギーを運転しているのだから、高校までは二時間以上かかっていた。
その間、イツキとホシノを除く皆は眠ってしまっていたと記憶している。激しく、しかも長時間に渡る戦闘を終えたのだから当然と言えば当然だろう。
(………思い出してきた)
記憶が途切れているのは、アビドス高校に着いてから間もなくだった。
気を失ったのは想像に難くないが、その原因もイツキだけは自覚している。
やはり倒れた際の記憶は曖昧になっているが、アビドスの皆と先生には現在進行形で心配をかけていることだろう。
「……どのくらい寝てた?」
「一週間と三日、ですね」
「そっか」
他人事のように俯瞰して、今回は長かったなと呟く。これだけの期間は初めてだが、無理をして『神秘解放』を連続使用した際には毎回こうなる。
先生はイツキが強がって隠しているのではと疑っていたが、本当に大きな怪我はしていなかった。ダメージはあったが、腹部にあった鈍い痛みも一日と経たずに完治していたのだ。
――神秘解放には代償がある。
黒服の忠告は何も間違ってはいなかったのだ。先生がシッテムの箱と彼女達との絆を繋いで生徒の潜在能力を解放する現象――通称『神秘解放』。それを
代償を支払い、それを糧にして神秘を増大させる技法。使い続ければ、水面イツキは
イツキの動き方にもよるが、今回と同じように無理をすれば昏睡時間も増え、イツキが水面イツキである為に必要なモノが――"元"先生としての軌跡が全て消費され、最後には今のイツキではなくなる。
――だが、それはイツキが止まる理由にはなり得ない。どんなに苦しくても、どんなに虚しくても、歩み続ける生徒を知っている。だから嘗ては先生だった者として、イツキもまた地獄に落ちるまでは歩み続けなければいけない。
「……ここは?」
「私の部屋です♡」
「そっかぁ……で、本当は?」
「…つれないですね……トリニティの救護院です。元はアビドスの病院に入院していたと伺ってますが…ええ、まあ。どれだけ精密検査をしても間違いなく健康体だったので、トリニティに移した次第とのことです」
「なるほど…うん、ありがとう。じゃあついでに聞くけど、なんで救護院で水着になって私に跨っているんだい?ていうかそろそろ降りて?誰かが来たら勘違いされちゃうから…」
「私は構いませんよ?ふふっ、他でもないイツキさんが相手でしたら……救護院で騎士団に隠れながら睦事に励む噂がながれても――」
「…ハナコ、怒るよ?」
「……冗談です♡」
揶揄うように笑いながら、ハナコはイツキの上から退いて床に散らばっていた制服を着用する。局部は露出していないとはいえ、何処か煽情的な仕草は思わずしてイツキの目を逸らさせた。
溜息を吐きながら起き、床に置いてあったサンダルを履いて立ち上がる。暫くは昏睡していたのだから当然だが、病服に着替えさせられていた。
身体をパキパキと鳴らしながら枕元のミネラルウォーターのペットボトルを手に取り、未開封であるのを確認してから一気に飲み干す。
それから時計に目を向けると、豪奢な円盤の中で短針は2を指し、長身は殆ど真上へと向けられていた。ハナコが水着を着用していた事と外が暗い事を考慮すると、午前2時なのだろう。
まだまだ真夜中だ。何故真夜中にハナコが水着でイツキへ跨っていたのかは、もう考えない事にした。
「………鉄の棒は……ないか。アビドスで保管してくれているのかな」
「イツキさん?」
「明日…じゃなくて今日か。今日は忙しくなりそうだね。ヒフミとナギサにお礼をしてからゲヘナ風紀委員会に菓子折を持って行って、便利屋にご飯を奢って、アビドスにも行かないと……あ、シャーレの溜まった仕事も――」
「ダメですよ?」
「え?」
「暫くは安静です。十日間ずっと意識がなかった人が、即日で動き回るなんて許可されるわけがないですよね?」
「……大丈夫だよ。人間ってね、エナジードリンクを飲めば動けるんだ。骨は折れてないし、筋肉だって断裂していない。だったら後はエナジーを摂取するだけだよ。は、ハハッ…エナジーはいいよぉ……頭がね、 ぱーって明るくなるの。倦怠感は背中にのしかかってるのに、頭の隅に万能感が生まれてね、仕事がとっても捗るんだ……最初はね?あんまり効いてる気がしないし、プラシーボ効果で過大評価されてるのかなって思ってたのに …次の日にも私はエナジードリンクを買っていて、その次の日も、またその次も……エナジードリンクはね、背中に羽を生やすんだよ……」
「休んでください。エナジー脳が完治するまで」
「エナジー脳って……エナジードリンクに適応したんだから、脳が進化したようなモノだと私は思うんだ。エナジーネクストジェネレーション脳だよ」
「エナジー的な幻覚妄想です。ご自愛ください」
「わぷっ」
いつも以上に瞳を曇らせるイツキを、ハナコはそっと抱き締めた。哀れだとは思わない。イツキがエナジー脳になったのは、イツキではなく社会が悪いのだ。ハナコは一瞬だけ、将来的には起業してホワイト企業でイツキを雇う計画を思案した。
取り敢えず、ハナコは目の前の悲しいエナジーモンスターことイツキには時間をかけて治療することにした。エナジー抜きで過剰なカフェインも禁止にして、ヤクルトでも与えるのが良いだろう。
浅黒い長髪を愛しげに撫で、ハナコはいつかイツキを更生させると決意した。尚、決意を固める少女は未だ上半身は水着のままだった。
「……あの」
「どうしました?」
「一応は安静にするけど……ナギサの所には行かせてくれるかな。色々と迷惑かけたのもあるけど、話し合わないといけない問題もあるから」
迷惑をかけたことへの謝罪は当然だが、それはそれとして、イツキは退学届の行方を知らなければいけない。完全に死ぬ気だったので退学届を出したのだが、今はまだ生きている。
生きている現状で、いきなり保管されていた退学届を受理されてしまったらイツキは唐突にトリニティから追い出されることになってしまう。
ナギサがそうするとは思えないが、今はまだない補習授業部の件が記憶に根付いている。不審な生徒だと思われたら自分がどうなるのか、その可能性を知るにはそもそも退学届の行方を知らなければいけない。
「……私には、イツキさんが何に巻き込まれて、どんな無理をしたのかは分かりません。私に出来るのは少しだけ情報を探る事と、毎夜毎夜の面会時間外にイツキさんの元へ忍び込んで上に跨ることだけです」
「後者については後でお説教ね?」
「…なので、イツキさん。自分勝手に頼ってください。私の気持ちとか、事情とか…全部無視して、本当に困り果てたら相談してください。」
「………私が、ハナコの気持ちを無視するとでも?」
「しませんよね。…だから
高低差のある身長で見下ろし、ハナコはイツキの肩に手を添える。その仕草には逃がさない意思があり、普段は隠している彼女の本心が曝け出されているのだろう。
月光を反射する芽吹色の瞳は柔らかく、慈愛に満ちていた。
「――私なんか、頼りなくて相談の一つも出来ないって思います?何も成せなませんし、大切な人を救うことも出来ない愚者。……そう思うのであれば、ええ…私は黙って身を引きます。イツキさんへの過干渉は止めて、大人しく一人で水着深夜徘徊をします」
「…水着で深夜徘徊は普通にやめなさい。………でも、本当に狡い言い方だね」
「そのように言えば、貴方は私を頼るでしょう?ほんの小さな悩みでも、イツキさんに寄り添いたい人は大勢いるってことを自覚してくださいね」
「じゃあ相談だけど、知人に定期的なセクハラを受けてます。どうするべきかな?」
「責任を取っては?」
「責任取って正義実現委員会に通報するべき、と……」
「個人的な刑罰も大歓迎ですよ♡」
「ハナコ、私的制裁は禁止されてるよ?」
――互いに茶化しているが、伝えるべきことは伝わっていると理解している。
ハナコのように聡いだけでなく、イツキは最初から知っていた。それだけの信頼を築き、生徒と肩を並べて戦場に立っていた
無性で頼るのは簡単だ。それなのに、イツキは頼ってしまって
叶うなら、一人で全てを背負って平和に導きたい。その末に死があるのだとしても、イツキは笑顔で前進するだろう。
それが出来ないのだから、頼るのが怖い。
救えなかった生徒の表情を知っている。その中には無論、浦和ハナコも含まれていた。
イツキは単に護りたいだけで、ハナコは守られるだけでは在りたくない。お互いにお互いを大切に思っているからこそ交差する想いがあるのだ。
「……頼れ、とは言いましても。全てを話して危険地帯に連れて行けとは言ってません。適当な相談でも良いんです…朝に星座占いを観るように、私の言葉なんてバーナム効果程度の認識で良いんですよ」
彼女は薄く微笑みながらイツキの手を引き、ベッドに腰を下ろす。何事もない言葉であると示しているようで、その気遣いはイツキには行き届かない所だ。
「…一つ、相談してもいいかな」
「はい、スリーサイズは上から――」
「聞いてない。………最近、各方面にとっても迷惑を掛けてね。そのお詫びをどうするべきかなって…自分で考えなければいけないのは重々承知なんだけどね」
「では、『何でも一つ言うことを聞く券』を手作りで贈っては?」
「子供かな?……低身長だから子供扱いかい?いいの?泣きながらエナジードリンクがぶ飲みするよ?」
「独特な脅し文句ですね……いえ、別に馬鹿にしてるのではなく、それだけの価値があるんですよ。イツキさんの『何でも一つ言うことを聞く券』には。もちろん、何でもとは言っても可能不可能はある前提ですが。一応、シャーレ部長の権限や交友関係を利用する命令は不可として、イツキさん単体での"お手伝い"的な感じで」
「なるほど……幼き頃に比べて"お手伝い"の範囲が激増しているから、相応の価値があると判断しているわけだね」
「ついでに"水面イツキ"というネームバリューもありますからね。大袈裟に聞こえるかもですが、飽くまでも仲間内の事柄ですので深く考えなくても宜しいかと」
一見して馬鹿らしい意見で、然しイツキが元より考えていた菓子折やご飯を奢る事と合わせて券を贈るのであれば多少は物の足しにはなるだろう。
イツキでは考えられなかった意見と、それを納得させる術。本人は嫌がるのだろうが、トリニティにおけるどの派閥にも代表格として属せるだけのポテンシャルが垣間見えた。
「……じゃあ早速、作りたいけど…材料もペンもないから一旦寮に戻らないとだね」
「イツキさん?私が用意するので、どうか安静にしてくださいね。絶対に」
「そ、そんなに念を押さなくても…」
立ち上がろうとするイツキの肩を押さえ、ハナコは圧のある笑顔で釘を刺す。言葉や態度には見えないが、彼女もまた本気で心配していた人の一人なのだ。
過保護な気遣いに疑問符を浮かべるイツキを置いて、ハナコは救護院を抜け出す。彼女の表情は救護院に来たときよりも明るく、頬には熱が籠っていた。
今更ですが、今作は主人公が目を覚ますシーンから始まるのを多くしています。まだ生きてるんですから、ちゃんと起きますよね。
"起きる=始まり"でして、一応は一話最後で示している通り、これは水面イツキが死ぬ迄の物語なんです。