嘗ての先生、其の成れ果て 作:低品質なプリン
はっぴーにゅーいやー
「こんにちは、ナギサ。久しぶりだね」
――そう少女に語り掛けながら入室したイツキは、いつも通り陰鬱とした雰囲気を纏っていた。
目を覚ましてから即日、イツキは何事も無かった様子でナギサの前に現れていた。申し訳なさそうな表情はしているが、寧ろナギサはそのような表情をしていないイツキを見たことがないので、十分にいつも通りと形容出来るだろう。
思えば、こうして顔を合わせるのは久方振りだ。互いにティーパーティーのホストと連邦捜査部シャーレの部長。やはり多忙な立場であり、それ故に予定を合わせて茶会を開くのも一苦労だ。
「…御久しぶりですね、イツキさん。お加減は如何ですか?」
「問題ないよ。知っての通り、頑丈さだけが取り柄だからね。………先日はごめん、迷惑をかけたね」
「迷惑?はて……件の事柄は
暗に、無かったことにすると言っているのだろう。彼女が偶然を主張するのであれば、イツキとて頑なに否定する道理もない。
「……そっか。君がそう決めたなら、変に口出しをするのは寧ろ不誠実だね。…じゃあ一応聞くけど、
「っ…………」
――例の書類。
十中八九、イツキの退学届についてだ。
ナギサが知らぬ存ぜぬと言い切るのは簡単だ――が、それでは学園を代表するティーパーティーとしての信頼が傾く。隠蔽するのであれば、相応のリスクを負わなければいけない。
彼女とイツキだけの問題であればどうとでもなるが、間にイツキの寮を管理する生徒が経由されていた。学園の代表であると同時に敵の多い立場であるナギサは、どんな小さな不安も残してはいけないと考えている。
万が一を考慮したら、平等性を掲げる立場のナギサが書類を私情により廃棄したとの事実は
そして幸いと言うべきか、今のイツキには退学の意思が見えない。ならば当然、互いに真実を隠した言葉のみで完結させるのが最善だ。
「…ええ、その件でお話がありまして」
「…………」
「例の書類、中身を確認する前に誤って紅茶をこぼしてしまいました。なので貴方を探していた結果、先日の出来事へ発展した次第。…さて、御手間をお掛けしますが書類は再提出願えますか?」
「…いや、大丈夫。今のところは必要ない書類だったから、むしろ私の方で処分する手間が省けたよ。ありがとうね」
「……………」
「……………」
「…紅茶、いかがです?」
「……一杯だけ貰おうかな」
口の中で溜息を噛み殺す。イツキもナギサも自分が実に難儀で、面倒臭い性格であるのは自覚している。それでも成すべき事を見失ってはいけないと、自分に言い聞かせているのだ。
――苦く笑い、淹れたての紅茶を口内で転がしながらイツキはぼんやりと思考を回す。
彼女に迷惑を掛けたのは確実で、それに報いなければいけない。しかし同時に、ナギサがそれを望まないのも理解しているつもりだ。そも、イツキにとっては彼女が退学を揉み消すこと自体が予想外だったのだ。
「…あ、ナギサ。これどうぞ」
「……これは…"何でも言うこと聞く券"…?なんと、まあ……」
「待って、そんな子供を見るような視線を向けないで。冷静に考えてよ…この券――権利が真価を果たすのは、幼い頃よりも選択肢が広がった今なんだ。立場上の権限に関わる命令は叶えられないけど、それでも
「え、ええ…そうですか。ふふっ、とてもイツキさんらしいと思いますよ」
「違うんだよ…これは私の発想じゃなくて、私の友人のアイデアなんだ。だから生暖かい視線を向けないで……」
生徒になる以前からなのだが、イツキは幼く見られるのが苦手だった。だからこそ嘗てはサイズオーバーな成人男性用のスーツを安全ピンで無理やり止めながらも引き摺り、キヴォトスを駆け回っていたのだ。
無論、今は体型相応の制服を纏っているのだが。戦闘スタイルの関係上、以前と同じでは在れない。
ナギサの生暖かい視線に耐え兼ね、紅茶を一気飲みしてからイツキは部屋を飛び出した。
次に向かうのはアビドスだ。ハナコには止められているが、救護院では許可をもぎ取って退院までしている。動けるのであれば、やるべきことはやらなければいけない。
一度寮に戻り、準備を整えてから駅へ向かった。
◆◆◆
十日が過ぎた今でも、鮮明に覚えている。
『……あ、ヤバ…い……使い、過ぎ…た……』
そう言い残してイツキさんが倒れた。カイザーPMC基地を殲滅して、先生の運転するバギーに揺られてアビドス高校に戻ってきてすぐの出来事だった。
それぞれが荷物を持って車を降り、疲れと眠気でフラフラになりながらも夕暮れの薄暗い廊下を歩いて、部室に到着してから。
イツキさんが私の目の前で倒れる瞬間、私はイツキさんから
具体性を帯びない感性で、私自身も未だに分からなくて先生や後輩達に説明できていない。分からない、という事は何よりも恐ろしい。耐え難くて、震えが止まらない。
――取り返しがつかない。
儚く、そして呆気なく倒れたイツキさんからはそう感じられた。
『えっ……い、イツキ…さん……?』
『――――』
拙く零れた声に、イツキさんが応えることはなかった。在ったのは一瞬の静寂と、その後すぐに広がる動揺。
一瞬、イツキさんが死んでしまったかもと思った。だから、そんな可能性を否定する為にイツキさんを激しく揺さぶって、目を覚まさせようとして……いつの間にかノノミちゃんとシロコちゃんに抑えられていた。
動揺しながらもイツキさんの状態の把握に努めるアヤネちゃんと、先生の元へ駆け出していたセリカちゃん。
――あの空間において、
頭に"先輩"の末路が浮かんで…耐えられなかった。また守れなくて、失ってしまう。私が黒服と契約を結ぼうとして、イツキさんにそれを話してしまって……ぜんぶ、私のせいだった。
あの頃の私が嫌いで、変わろうとした。朗らかで、仲間を守り通せる最初で最後の盾で在ろうとした。それが本来の自分であると信じたかった。
でも、その結果が
なにも変わってない。
……あの日、私がイツキさんと話したのだって…心のどこかでは期待していたんだ。まだアビドスの皆と別れたくなくて、そんな私の内心を見透かしていたイツキさんだったら助けてくれるって浅ましく考えていた。
まだ
本当に、愚かで救いようがない。私は黙って契約を結び、アビドス高校の借金が緩和され次第自殺でもするべきだった。
あんなに後悔して、もう失いたくないから自分を変えたのに――なんにも変わってない。あの頃と同じか…甘えられる仲間が出来たから、もっと酷くなっているのかもしれない。
――あなたは何がしたかったの?
毎日、短い夢の中で
自分自身からの質問に、私はずっと無言で答えていた。……無言でしか、返せてなかった。
きっと、私は何も分かっていない。
私のことも、後輩や先生の事も――そしてイツキさんについても。あの人はいつも誰かに謝っていて、懺悔はするのに贖いは求めていない。傷付くことに無頓着ではないのに、敢えて茨の道を選んで、その末の破滅を願っている。
悲しい生き方だ。そして残酷な死に方だ。救いを求めれば数多の手が差し伸べられるだろうに、イツキさんは救われたいとは決して望んでいない。救いを求めない人に、救いなんて与えられないんだって私は身をもって知っていて、だからこそイツキさんを助けたかった。
……私とイツキさんは似ている。
過ちを犯して、それでも進むしかなかった。立ち止まって、泣くことが出来たらもっとマシな人生を送れるだろうに…それを選べない。選ぶことで、救われてしまうことで、自分が選ばなかった
イツキさんは何を後悔しているのだろう。聞くことで傷を抉るのに、知らなければ寄り添えない。酷くもどかしい……
死を選ぶイツキさんの止め方が分からなくて、でもあの夜――月光に照らされて爛々と死の気配に微笑むイツキさんを見たら、いっそ死んでしまった方があの人の不幸を終わらせられるのではと考えてしまう。
幸せにはなれないんだと思う。だったら、最善の手段は不幸せを終わらせてあげることなのだろう。つまりは死に向かうイツキさんを止めない、ということだ。
…………でも――
「……死んで、欲しくないよ…」
部室に立て掛けられた鉄の棒に触れて、嘆きを呟く。
あの日…イツキさんが倒れて、意識不明になった時。部室の入口に転がっていた鉄の棒を先生が部室内に引き摺りながら持ち込んで、窓縁に立て掛けていた。
何故か先生とイツキさんにしか持てなくて、おそらくはオーパーツに近しいモノなのだろうと推測出来る鉄の棒。
未だ、これが回収されることはない。持ち主は先日、アビドスのボロボロな病院からトリニティの救護院に移された。
どれだけアビドスに馴染んでいても、イツキさんはトリニティの所属だ。帰る場所もトリニティで、現状の私たちはアビドスから出てトリニティに向かうことは出来ない。
…今すぐにでも会いに行きたいけど……やるべきことが多すぎる。まずはせっかくイツキさんが守ってくれたアビドスをまた荒らされる前に、アビドス管理区域を確認したり権利云々をまとめて、長期に渡って受け継げる管理体制を整えなければいけない。
焦燥に駆られる心を落ち着かせ、また資料の散らばる机に向かう。もうすぐ皆が帰ってくるから…辛気臭い顔は見せられない。
頬を揉み、力のない軽薄な笑みを浮かべる。いつの間にか当たり前になっていた、私の日常を飾る表情。
――ガラリと部室のドアか開けられた。
「ただいま戻りました〜♪」
「ノノミちゃん、おかえり。買い出しご苦労さまね〜」
「いえいえー。あ、みんなの分のアイス買ってきました!……でも、まだ戻ってきてないみたいですね」
「旧校舎の図書室にいるはずだよ?ま、本当はこっちが旧校舎なんだけどね〜」
アビドス高校における新しい校舎は、数年前から砂に埋もれている。とてもじゃないけど、毎日砂だらけの教室で勉学に励むのは現実的ではなかった。
だから今よりももっと生徒が多かった時代、アビドス生徒会は減ってしまった生徒数に見合う校舎へと移った。それが今の校舎だ。
嘗て利用していた校舎には人数の問題上、今の校舎に運べなかった書類が眠っている。鍵は元副会長の私が管理していたけど、今後のことを考えたら必要書類くらいはこっちに運ばなければ後で面倒臭い。
やることは多いけど、目下の指針はそれにしようと皆で定めた。
「……ホシノ先輩、大丈夫ですか…?」
「うん?あー、ノノミちゃんにはバレちゃうかぁー。うへー、おじさん今日も寝不足でさ〜。一段落ついたらお膝貸してよー」
「いえ…そうじゃなくて。…私の前でくらい、無理に日常を演じなくてもいいんですよ?誰にも本音を言わないで、一人で背負ってたら……いつか潰れちゃいます」
「……でもね、ノノミちゃん」
…やっぱり、ノノミちゃんには内心を見透かされている。今更驚かないし、他の後輩には隠せていたとしてもノノミちゃんにはバレるって、覚悟していた。
それでも…私は、この感情を外には出したくない。私の中だけで納得して、自己完結したい。
「――本音を全て曝け出すのってね、私にとってはとっても怖い事なんだよね。別に誰々を信用出来ないから〜、なんてコトじゃなくて…まー、結果的にそうなったんだよね」
「……………」
「嘘のない本音で叫んで、先輩はいなくなった。怖くて本音の一端を零したら、イツキさんが犠牲になった。……うん、偶然だって言われても仕方がないよ。私だってそう思うし、生憎とオカルトとかにも詳しくないから非科学的な事象も信じてないよ」
「……でも、
「…うへ、バレてるね……まっ、面倒臭いのが人間の性ってヤツなのかねぇ」
こうなれば、もう苦笑するしかない。
助けを求めるのが苦手だってだけなのかもしれないけど。私は、私の言葉で誰かが傷付くのはもう嫌だ。あの日、黒服との契約についてはみんなから沢山怒られた。でも、怒られている私の隣にはイツキさんはいなかった。
これからも居ない――そう考えて、身震いが止まらなくなる。最近知り合った人間の中でも付き合いは浅いハズなのに、既視感と言うべきか…私の中のナニカはイツキさんへ激情を抱えていた。
在り来りな物語で言うところの、前世での大切な人だった、みたいな感覚。我ながら妄想でしかないと自覚はしているけれども。
「…私じゃなくて、イツキさんにでしたら…ちゃんと向き合って話せます?」
「さあね…私に、そんな資格があればいいんだけどね」
軽薄に笑って、また机上の書類に目を落とす。ノノミちゃんには悪いことをしてしまったと思うから、落ち着いたらちゃんと謝らないといけない。
溜息を噛み殺して、紙をめくると――
「ホシノ先輩!ホシノ先輩居る!?」
――部室にセリカちゃんが飛び込んできた。
セリカちゃんだからあまり珍しくはないけど、酷く慌てているらしい。髪がピョコンと跳ねてて、ノノミちゃんに撫でられて整えられている。
「どーしたの?あまり走ったら転んじゃうよ?」
「れ、連絡きたの!イツキさんから連絡きた!!」
「えっ!い、イツキさんからですか!?」
……一瞬だけ、セリカちゃんの言葉の意味が分からなかった。
改めて言葉を反芻して、その意味を理解する。イツキさんから連絡があった――つまり、目を覚ましたということ。
複雑な感情もあるけど…素直に嬉しい。
「それで…イツキさんからは、なんて?」
「……迷ったって」
「…え?」
「はい?」
「アビドス高校に向かってる途中で迷子になったから、迎えに来て欲しいって……今はアヤネちゃんがドローンで見つけて、シロコ先輩が自転車で迎えに行ってるけど」
「……………えぇ…」
肺に溜まった空気が、音もなく抜けていく。
…何となく、初めてアビドスに来たときの先生を連想させた。漏れ出た笑みは、きっと安堵と呆れ故だ。あの人は、何処までもあの人らしい。
来る前に連絡をくれればすぐにでも迎えに行ったのに、きっと無駄な気遣いとか、私に対する気まずさとかがあったのだろう。
どこか嬉しそうに愚痴るセリカちゃんを宥めながら、私は机に広がった書類を適当に寄せて項垂れた。
「…………ここどこ?」
砂に埋もれる街で、イツキは小さく呟いた。
さて、イツキさんはどうしてこれまでは何度も一人で向かえていたアビドスで迷うんでしょう。……そういえば、先生も初めてアビドスに来たときは迷ってましたね。不思議な偶然もあるものですね。