嘗ての先生、其の成れ果て 作:低品質なプリン
自分が動けば不幸が振りまかれる。上手く事が運んでも、その代償が己だけで済む保証はない。
辛うじて識る未来が、取り返しのつかない事態へと発展するかもしれない。確証もない確信は手を鈍らせ、思考を放棄する。余計な事をするな、責任を負う『大人』に任せろ――と。
そんな最善の逃げに甘える事も叶わず、重い一歩を踏み出す。血に塗れ、何百もの親しい『死』に責められ、それでも進む。死に場所を求めて――
――眼前に幾つもの光景が広がる。
砂に覆われた地で絶望し、慟哭する生徒達。無機質な瞳でキヴォトスを崩壊させ、使命を全うする魔王。斃る最強と、死屍累々な戦場。
凄惨な人生に虚無しか見出せなかった少女達は最期まで世界を恨み、命を落とした。また違った世界では平和を願っていた筈の少女が復讐に支配され、血に塗れた魔女となる。
別の世界、別の選択、然し変わらない信念。
たった一回の成功で、何人が犠牲になったか。次の選択肢を選び、失敗し、死んで、また忘れ、やり直し、死んで、思い出し、絶望し、また繰り返し――ふと振り返れば、紡いだ軌跡は赤黒い血で染まり死骸が積み上げられていた。
どれだけ"次"で成功しても、過去が無くなったりはしない。死んだ生徒は決して戻らない。絶望した瞳は胸を刺して伝染する。絶望に
――嗚呼…これは夢だ…――
劈く悲鳴が鼓膜を揺らす中、イツキは不明瞭な意識で
全て水面イツキの罪だ。全ての責任は『大人』が負う、だからこそ救えなかった命はイツキの背に重く残り続け、逃げたとしても"手放す"事は決して許さない。
幾度と救えなかった故の大罪。耐え難く、死んでしまいたくて、それでも廃れた信念の欠片は諦める事を許さない。
――ごめん…ごめん、なさい……――
謝っても、他でもないイツキ自身が許せない。贖罪を生きる――否、死ぬ理由にして進み続けて。せめて、意義のある死を。死ぬ迄救い続けなければいけない。叶わない贖いの、一欠片だけでも報いる為に。
◆◆◆
「…………夢、か…」
息苦しさと寝汗に苛まれ、目を覚ます。
喉元まで上る胃液。目横から枕へと続く涙と跡と、乱れた布団からは大凡気持ち良い目覚めとは言えない。尤も、『生徒』となってから快眠の記憶などないのだが。
濡れた目元を乱雑に袖で拭い、見慣れない部屋――否、"前"までは見慣れていた部屋を見渡す。
清潔に保たれたシーツに、寮で使用していた物とは異なる良質なベッド。設計者が心掛けたのか、部屋全体が透き通るような白と水色で構成されており、四季も関係なく過ごし易い。
イツキは首を傾げ、訝しむ。
「……?……なんで、私…ここに居るんだろう…」
現在地は解っている。D.U.区内の連邦生徒会拠点から30㎞離れた外郭地区にビル――独立連邦捜査部、通称『シャーレ』の本拠地。
目を覚ましたのはその仮眠室だ。イツキが『先生』だった頃、激務に追われて自宅に帰れなかった日はよく利用していた。無論、イツキだけではなく生徒も同様だったが。
微かな記憶に浸りながら思考を回すと、突如、仮眠室の扉が開かれる。
「あ、イツキ。おはよう、起きたんだね」
「っ!……先生?…何でここに……あ、いや…思い出した。そう言えば仕事だったんだっけ…」
「うん、一応ね……
「何度も言うけど、怪我なんてしてないよ」
「でも君、怪我してたって隠すでしょう?」
「……………」
鈍く痛む腹部に見て見ぬふりをしながら、イツキはベッドから降りて気を失う前の出来事について思い出す。
昼頃――イツキが丁度、シャーレの建物に向かっている最中での事だった。"今"は初めてでも、"前"は何処よりも長く居て、仕事場であると同時にもう一つの家のように扱っていた。
慣れた道、慣れた空気、だがその全てが火に灼かれる景色を知っているから、感傷にも浸れない。疼く胸の痛みに手を添え、
――ドゴオォォォォンッッ!!
「っ!?なっ……しゅ、襲撃…!?」
頭上で爆発音が鳴り響き、爆風と瓦礫がイツキに降り注ぐ。幸い無差別広範囲の攻撃ではなかったらしく、前方へ走り抜ける事で怪我を免れた。
だが、それだけで
シッテムの箱のサポートがあれば解ったのかもしれないが、今は可視化されない勘に従う他ない。
「ぐっ…!」
土の下に仕掛けられていた地雷が発動し、走り抜けたイツキの背を爆風が襲う。然し構わず、誘爆する轟音に眉を顰めながら一歩一歩の跳躍に幅を持たせ、安全地帯を探る。
空き地の、地雷を設置出来ない塀の上に登り辺りを見渡した。すると瓦礫と土煙の立ち込める地を、気にする様子もなく
「――存外、しぶといですね」
「……ワカモ…」
「どうやら、自己紹介の必要はない様ですね。何故知っているのかは問いません、死人に口なしですので」
襲撃者――狐坂ワカモは長身の銃を向け、嘲りを孕む声で睨み続ける。しかしイツキには、少なくとも
殺されるだけの罪は背負っているが、それを彼女が知る訳もない。故に困惑しているのだ。
「殺す前に、聞いておきましょう」
「何かな?」
「貴方は何者です?」
「……トリニティ総合学園の二年、水面イツキだよ。今は独立連邦捜査部シャーレの部長でもあるね」
「…そんなこと、どうでも良いのです。その程度であれば簡単に調べがつきます。私が問うているのは……
「っ!」
銃声が響き、それと同時にイツキの持つ鉄の棒が銃弾を弾く。
威嚇、若しくは牽制の意味が込められていたのだろう。はぐらかしも、嘘も許さないと告げられている。冷静さを保っていた筈の彼女、然し何故ゆえか、語感に怒的興奮が滲む。
まるで己の感情を理解出来ない子供の地団駄の如く、ワカモは外面ほど冷静ではないのだろう。狐の仮面の下は、想像に難くない。
「ごめんね、言ってる意味が…」
「……は?」
滲む怒りと理性が葛藤し、身を震わせ――狐坂ワカモは
「っ…!……何故、何故……何故何故何故ッ!何故貴方は私の心を掻き乱す!!この身も、この心も!全ては
「……………」
「…先生の、そして私の為に……死になさい!」
「……本当に、ごめんね…?……
「貴方の事情なんて関係ない…!!」
ワカモは構えていた銃身を微かに下げ、丁度二人の中間地点に数発放ち、
爆炎と砂埃が巻き起こり、ワカモの姿を隠す。きっと、襲撃された瞬間から彼女の
視界の効かない中、粉塵に紛れた影が矢の如く一直線に向かって来る。
銃剣を用いた穿撃は躊躇なくイツキの喉元に突き刺さり――然し両手で横に構えられていた鉄の棒に防がれた。甲高い金属音と散る火花。キヴォトスでも有数の腕力を用いてぶつけたそれは互いをノックバックさせ、だが離れる刹那、ワカモはイツキの腹に蹴撃を喰らわせる。
「くっ…!……仕方ない――神秘解放…!」
×印のヘイローが鈍く光り、秘められた神秘を二段階、解放する。奔流する光は体全体に流れ、以前とは異なり鉄の棒へ集約しない。
胸を占める解放感と相応の身体能力。
まずは不利な状況を打破する為に鉄の棒を八相よりも剣先をやや後ろ斜めに構え、不格好な大振りで砂塵を払う。そのまま剣先を後地面に落とし――
「――
「っ!……なんと、厄介な…」
空き地の地面が大きく抉られ、ワカモが仕掛けていた罠や地雷諸々が
全てとは言えないが、イツキにはワカモの戦法が解る。指揮をして、共に戦った経験が記憶には残っている。
「…ですが、
「…………」
乱射される銃弾を弾き続けながら、イツキが一定以上の距離を取り逃走を試みれば、ワカモが距離を詰めて逃走経路を潰す。
圧倒的不利状況であり、彼女へ攻撃する意思がない分、イツキに取れる手段は無いに等しい。ワカモが明確な隙を晒す事に期待するか、それとも彼女の弾切れを待つか。銃弾の予備を見るに、後者の場合は数時間は稼がなければいけないのだろう。
「……何故銃を使わないのかは知り得ませんが、その粗末な棒では出来る事も限られているでしょう?」
「恥ずかしながら、私には銃の才能が皆無でね……ホーミング機能付きの銃でもあれば話は別だったんだけどね」
「何を馬鹿なことを」
イツキの扱う『鉄の棒』の利点と言えば、異常なまでの硬さ程度だ。130cmの、一応は刀状でありながら何も切れない実質鈍器な鉄の棒。
鉄と言いながらも鉄以上の硬さと重さを誇るそれは、イツキの細腕に似合わぬ腕力があって初めて武器として成り立つだけの鉄の塊だ。
素振り用の重しとしては優秀だが、銃相手に高速戦闘を仕掛けるには武器として破綻していた。
その弱点をワカモは見抜いているのだろう。故に、最初の刺突以外では一定の距離を保っている。
そんな彼女の策略と同時に、イツキの思考はどのようにしてワカモを傷付けずに戦闘から離脱するかのみに向けられている。
無論、イツキがワカモを気遣っている訳ではない。単なるイツキのポリシーだ。出来る限り生徒を傷付けずに無力化させ、それが叶わないのであれば離脱を試みる。
現状、その両方が無謀に思えた。
もしも彼女と徹底的に交戦すれば、逃げる隙は生まれるだろう。だが幾度も助けられ、最後には見捨てた自分が何故彼女を攻撃出来ようものか。
その結果、傷付ける訳にはいかないという強迫観念と、本当に殺される前に戦闘離脱しなければと言う思考が絡まる。
「……はて、何を考えているのか」
「どうやって逃げようかなってね。人混みに紛れても君は構わず撃つし、シャーレに逃げ込んでも同様……困ったね…」
「…また、その表情を……!止めてください、偽物の癖に…あの方を連想させる顔をしないで……ッ!!虫唾が走ります!!」
「…………」
――偽物。
今も昔も、生徒を導けない。そんな自分は確かに『先生』足り得ない偽物なのだろう。理解して、認めていた筈なのに。『生徒』から直接言葉にされると、やはり響くモノがある。
傷付く資格すらないのに、それでも生徒を愛する気持ちはある。そんな彼女からの辛辣な言葉を受け流せるほど、イツキも出来た人間ではない。
疾走しながら弾丸を避け続け、多少の被弾も今ならば大きなダメージにはならないと割り切って我慢する。
どうして彼女にあんな顔をさせてしまっているのか。仮面で見えなくとも、イツキには解る。困惑で判断が鈍り、目の前の暴力に逃げているのだ。
困惑しているから、照準が定まっていない。単調になっているから容易く弾ける。
しかし彼女とて手を抜いている訳でもない。
一向に攻撃へ転じないイツキを観察して、何かしらの事情があって此方への攻撃はないと判断したのだろう。最初よりも素早く、鋭く、銃剣の刃で袈裟斬る。
それを凌ぎ、寧ろ鉄の棒を中心にイツキ自身が動き回って攻撃を避け、避けようのない攻撃を鉄の棒で受ける。
「はぁっ!!」
「……っ!」
交差する視線。狐面があっても、透き通るような赤黄の眼は彼女の心情を物語っている。
――
何処か懇願するような悲しみを含む瞳。闘争的な仮面とは裏腹に、自分から逃げて生き延びて欲しいと矛盾した願いが彼女に絡み付き、困惑させている。
きっと、無事に生き延びられたらワカモはもうイツキに襲撃を仕掛けない。嘗ては彼女の『先生』だったから、イツキには解ってしまう。
言葉にすれば否定されるだろう。彼女自身も把握出来ない心の内は単純な一色ではないのだから。
「………逃げ延びるよ、私は」
「私がそれを許すとでも?」
「それでも、逃げる。何があっても――君に
「っ!…………そう、ですか……出来るものなら、どうぞお好きに」
その
嘗ての、彼女の好意を知っているから。彼女に自分を殺させるという大罪を負わせない。どんなに死にたくても、
ワカモが後方に下がることで拮抗は解かれ、また攻めるワカモと防ぐのみのイツキの攻防が始まる。長く、それぞれの願いや思惑があるからこそ長引く、無益な戦いは再開する。
――それから数時間後、弾切れになったワカモを傍目に全力で逃げてきて、シャーレのオフィスに到着して早々にそのまま体力が尽きた。
焦った先生だったが、出血に至る怪我が無い事だけを確認するとイツキを仮眠室のベッドへと運ぶ。尚、鉄の棒だけは重くて運べなかった為、オフィスに置きっ放しになっていた。
無傷(無傷とは言っていない)な状態で生存。制服の下は青痣だらけになっています。滅茶苦茶重い鉄の棒が銃に勝てる訳もなく……