TS範馬勇次郎という概念 作:おもち
思っていたより沢山の方に読んで頂いて感謝……!
──都内・某ホテル。
オーガという異名で畏れられる範馬勇次郎の拠点へと今日も足を運んだキャプテン・ストライダムは、目の前の光景に目を丸くしていた。
「誰だ……?」
大きなテーブルに所狭しと馳走が並べられている。
恐らく勇次郎がルームサービスで頼んだものなのだろう。その量は半端ではない。滋味溢れる香草の香りは、ストライダムの鼻腔を芳しく苛んだ。
……しかし問題はそこではないのだ。
問題なのは、それを食べている人間。どう考えてもあれは、ストライダムの知る勇次郎ではない。小柄な体に、ぶかぶかのガウンを着用している一人の少女。オーガの補佐を任されている彼は、その少女の名を知らない。範馬勇次郎に関しては洗いざらいの近辺調査を行っているストライダムですら、その少女に関してはさっぱりとデータが欠け落ちている。
(……娼婦か? いや、それにしては若すぎる)
見るからにティーンエイジャー。
確かに見目は並みはずれて整っているが、勇次郎の好みには大きく掛け離れているだろう。
「ストライダムか」
びくりと、体が跳ねる。
鈴の様な声で自らの名を奏でられたストライダムは、僅かに警戒を高めた。
「……見たところ君とは『初めまして』な気がするのだが、君は何者かな? ビューティフル ジャパニーズガール。オーガ……範馬勇次郎はどこかね」
「クックック……」
少女は喉奥でクツクツと笑うと、口元をナフキンで優美に拭った。
「俺を忘れちまったのかい、キャプテン・ストライダム」
「はて、私達はどこかで会っていたのかね。それとも、私を口説いて──」
──その時、少女の手元で何かが瞬いた。
……否、瞬いて見えただけだ。
少女は卓上に会ったワインボトルの口の部分を切り裂いた。指を刃に見立て、恐ろしい速度で真横に走らせると、悍ましい程の高音が空を斬る。
「~~っ!」
切り裂かれ、弾き飛ばされたボトルのガラス片が、ストライダムの額で弾けた。彼はその場に蹲ると、その痛みに呻いた。
そんなストライダムを見下しながら、少女は笑う。
「俺だよストライダム。お前達アメリカが『オーガ』と呼ぶ『範馬勇次郎』が俺だ」
「……は、はあああ……?」
目端に涙を浮かべながら、ストライダムは大量のクエスチョンマークを頭上で弾けさせていた。
先程見せられた見事な瓶切り。
生半なファイターでは到底披露することは叶わない芸当だろう。
……しかしそんなことは範馬勇次郎でなくともできる。武神・愚地独歩、ガイア、そして範馬勇次郎の息子である範馬刃牙。他にも例は挙げられた。
故にこの少女の言を鵜呑みにすることがストライダムにはできない。
範馬勇次郎が目の前の少女に変身したという
ストライダムからそんな疑いの色で見られている少女は鼻を鳴らすと、羽織っているガウンを放り投げた。晒される見事な四肢。色白で、柔らかく、女性的な曲線を描く、美体。蠱惑的で、それでいて甘やかな香りが漂う。平均以上に実った乳房が揺れる様を見て、誰が目の前の少女をオーガと呼ぶことができるだろうか。
「構えろ、ストライダム」
刺す様な声。
ストライダムはハッと顔を上げた。
少女由来の闘気によって、空間が泡立つ。撓み、じっとりとした質量が空気に帯びていく。これは、この圧迫感を、ストライダムは知っている。これはまさしくオーガの……。
「口で言っても分からぬのは道理。なら、今一度その身に刻んでくれる。貴様がオーガと呼ぶ
「ま、待っ──」
──……瞬間、ストライダムの左耳が千切れ、ころりとカーペットに転がった。
「偽装の身分証明。それから適当な衣類を見繕っておけ」
「わ、分かった……」
耳を落とされ、腕を折られ、顔面がぼこぼこに腫れあがったストライダムは従順に頷いた。彼は、少女が範馬勇次郎であるということをその細胞に刻みつけられ、
範馬勇次郎のアイデンティティとは純然たる強さだ。その強さこそが範馬勇次郎の身分証明と言っても差し支えない。そしてこの少女は、その身分証明を持っていた。
こと強さに関してはあの勇次郎と比べられるだけのものは持っているだろう。
それ即ち、それは彼女が勇次郎であるという証明に他ならない。何故なら勇次郎と比べられる女など、女体化した勇次郎という以外に説明がつかないからだ。
オーガとは、個でアメリカを屈服させる存在とは、それほどのものなのだ。
ストライダムはボロボロの体で椅子に掛けると、改めて少女と化したオーガを見た。ちなみに彼の腕には氷水に漬けられた耳が浮かんだボウルが抱えられている。
「……しかし、どういう原理なのだ。その肉体に脳の移植でもしたというのか」
「俺にも分からん。だが、朝起きたときにはもうこの体になっていた。それだけが事実だ」
煙草を嗜む勇次郎の見た目とのギャップに目が眩む。ストライダムは目頭を抑えた。
「……いや、いやいやいや、何の説明にもなっていないぞ。何か原因はあるだろう。例えばムサシ・ミヤモトを復活させたミスター・トクガワや、アルバート・ペインの頭脳を用いた人体実験に手を貸しているとか……我々アメリカが関与していないことを察するに、ロシアの──」
「うるせぇな。何もしていない。それ以上余計に口を滑らせたら、その程度じゃ済まねぇぞ」
「…………」
取りつく島もない。
ストライダムは口を噤んだ。これ以上オーガの機嫌を損ねたらどうなってしまうのか分からない。だが、彼の好奇心は止まらなかった。余りにもな奇想天外を前に、口を閉ざすことが彼にはできない。
「し、しかし、女の身では苦労するだろう。こと強さに於いては、以前の様には振舞えないのではないか?」
「…………」
上物のコニャックを流し込んだ勇次郎が、ぎろりとストライダムを睨む。その眼光の恐ろしさに、ストライダムの背中がじっとりと汗ばんだ。
「……あ、いや、君の強さは言うまでもない! 先程体感したばかりだ……! だ、だが……」
「範馬勇次郎と言えど、所詮は女子供の肉体。地上最強の生物と呼ぶには程遠くなったと、そう言いたいわけか」
「あ、いや、その……」
「フン……」
勇次郎は鼻を鳴らして、安物のキャンディーを奥歯で噛み砕いた。
ごりごりと鳴る咀嚼音を聞きながら、ストライダムは恐々としている。
「肉体のスペック。そんなものに囚われるほど範馬の血はヤワじゃない」
「……は」
「刃牙の動向を追っていたお前なら、俺の言いたいことはわかるはずだ」
言われて、ストライダムはハッとする。
範馬刃牙。身長百六十八センチという小柄な体にして、数々の強敵を打ち破ってきたまがうことなき真の強者。果たして彼に肉体のスペックを言い訳に負けた戦いがあっただろうかと、ストライダムは振り返る。
夜叉猿。
巨漢ジャック・ハンマー。
体重百キロ以上の巨大カマキリ。
ミスターアンチェイン、ビスケット・オリバ。
圧倒的な肉体的ハンデを背負った中、範馬刃牙は真正面から彼らを打ち破ってきた。大の大人と子供と言っても差し支えない体重差がありながら、だ。デカい奴が勝つ、重い奴が勝つ、そんな格闘技に於いて当たり前の常識を、刃牙は捻じ伏せてきたのだ。
刃牙にできて、勇次郎にできないことなどない。
その圧倒的な信頼から、ストライダムはオーガの言葉を飲み込むことができた。
範馬勇次郎であるなら、例え少女の肉体になっても地上最強の称号が揺らぐことはない。
(……本当に?)
だが、それでも、やはりストライダムは心のどこかで疑問を残してしまう。オーガとて、所詮は小娘。自らに完勝できるとはいえ、地下闘技場の戦士達を相手にあの体で一筋縄でいくとは思えない。オーガが彼らを容易に屠る様は容易に想像できるが、同程度だけ苦戦を強いられる様も想像できる。そんな彼の心の内を見透かすのは、オーガの双眸だ。
「クックック……」
勇次郎は灰皿に煙草を押しつけて、不敵に笑った。
「ストライダム、お前は悪くねぇ。女の身になった範馬勇次郎……どれほど強いのか、どれほど弱くなったのか、実は俺も興味が尽きねぇところだ」
「オーガ……」
「久々だぜ、俺が俺の強さを疑う瞬間なんてよ」
範馬勇次郎は笑んだ。獰猛な肉食動物の様に。ゾっと、ストライダムに怖気が走る。この少女、見た目は麗しくても本質はやはり範馬勇次郎なのだ。
「ストライダム、近日中に徳川の爺に打診しとけ」
「……な、なにをだ」
「地下闘技場での仕合を、だ。範馬勇次郎に匹敵する強さの、匿名の女としてな」
範馬勇次郎は、口を三日月に裂いた。
ぎらりと光る犬歯は、どこまでも捕食者としてのイメージを想起させられる。
闘争が手段ではなく目的のその貌に、ストライダムは一切の雌を感じることはなかった。性別や容姿が変わってもやはり範馬勇次郎は雄の中の雄。超雄であるということを、ストライダムは本能で感じ取っていた。