炎の魔女と賢者の石   作:矢柄

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プロローグだけ投稿です。鋼の錬金術師とはほとんど関係ありません。


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<プロローグ 1792年>

 

 

 

マクシミリアン・ロベスピエールは遠く聞こえる声を振り払うように足早に回廊を通り抜けた。

 

 

「気楽なものだ」

 

「久方ぶりの良い知らせだからでしょう」

 

「だが、こんなものは私が望んだ勝利ではない」

 

 

1792年9月21日、フランス王国、王都パリ、ヴェルサイユ宮殿。

 

かつては60万もの人々が生活していたこの麗しきフランス王国の都は、市民革命の奔流に飲み込まれ往時の華やかさ、美しさを失い、それと代わる狂気にも似た熱気に覆われつつあった。

 

宮殿の外は喝采をあげる市民たちが取り囲む。このところ外国の軍隊に負け続けていたフランス軍がヴァルミーにおいてオーストリア軍を敗走させたという報がもたらされたからだ。

 

圧倒的な勝利の知らせは瞬く間に都を駆け巡り、市民の熱狂は伝染病の熱病の如く彼らを沸かせた。老若男女問わずフランスの勝利、革命の正義に喝采し、その熱は遠くこの宮廷にまで伝わってくるよう。

 

そんな市民たちの声を尻目に、私は足早に歩いていく。天井にフランソワ・ルモワンヌが描いたヘラクレスの栄光をテーマとする素晴らしいフラスコ画が描かれた部屋の美麗さも目には入らない。

 

ただ音だけが私を苛立たせる。何も知らない民衆たちの楽観的過ぎる声もそうだが、私に付きまとうこの男の声も、そして周囲から向けられる含み笑いも全てが私を苛立たせる。

 

高級な木材を使用した嵌め木細工によって作られた素晴らしい幾何学文様の床がカツカツと私の足音を反響させる小気味良い音も、魑魅魍魎共の嘲笑によって台無しになっていた。

 

周囲からのクスクスという女の含み笑い、しかしそれらの声の主の姿を自分は見ることなどできない。妖精や亡霊の類を見る事の出来る《目》など真っ当な人間である私は持ち合わせていないのだ。

 

 

「何をイラついているのです?」

 

「この今の現状にだよ。用を足す時ぐらいは離れて欲しいものだがね」

 

「冗談を。その時が最も無防備になる時でしょう?」

 

 

私のイラつきを伴う言葉に応える声は私の影から発せられる。

 

影の中に潜むなど人間の技であるはずがなく、姿を見たことなど数回程度。だが私にはこの人外の男が私を嘲る表情が手に取るようにわかった。

 

そうしていくつかの広間をぬける。ヴィーナスの間、ディアナの間を抜けると衛兵たちが待機するマルスの間があり、そこには魔術と錬金術によって生み出された甲冑を纏うゴーレムやガーゴイルが目を光らせる。

 

化け物どもの剣呑な視線に肝を冷やしながらも、マルスの間を抜け、メリクリウスの間を通り抜けると、ようやく私は目的とする部屋に辿りついた。

 

一段と豪華に装飾されたこの部屋の奥、壇上のペルシア絨毯の上の、豪奢なタペストリーを背にした巨大な王座に一人の女が腰かけて、物憂げな表情で私を見下ろす。

 

溜息が出るほどに美しい、魔的、あるいは神話的ともいえる。事実初めて彼女を見た瞬間、私は心を奪われ、理想と夢を投げ打ってでも彼女の騎士になりたいとさえ考えてしまった。

 

穢れない新雪の様な染み一つない純白の肌は繊細にして透きとおるよう。太陽の光を紡いだかのような麗しい金色の髪は流れる清流のように傷みすらない。

 

憂と影をたたえるその瞳は、アドリア海のどこまでも透きとおるような青色を閉じ込めており、その瞳に囚われればいかなる男も妻や恋人を捨てて永遠の愛を捧げるだろう。

 

女すら嫉妬を忘れて顔を赤らめるだろう魔的とも言える相貌の美しさは計算しつくされた黄金比でなりたつよう。

 

そして男の思考を停止させるほどに蠱惑的な体つきはしかし、その完成された美を前にして男は性欲すら忘れるに違いない。

 

胸の谷間と背中を大きく見せる艶やかなドレスは珊瑚礁の様な蒼と、若葉の碧、そして向日葵の黄色のグラデ―ジョンは目にも鮮やかで、いかなる素材や染付で作られたのか見当もつかない。

 

スリットから垣間見えるその白い大腿部は煽情的であるが、いかなる浮名を流す男でも童貞の少年のように罪を自覚して直視することすらできないはずだ。

 

金と宝石を散りばめたネックレスや腕輪の装飾品はあまりにも煌びやかで、それらは王侯貴族さえ保有していないだろう魔術による芸術品だったが、彼女の美の前では花を添える程度の力しかない。

 

彼女の姿を美の女神と喩えても、誰が笑うだろうか? まるで神話の世界から飛び出した美姫のよう。男たちの欲望、女たちの美への執着の総意から生み出された最適解が目の前にある。

 

陰険な目付きとあばただらけの醜い私は、ただそれだけで彼女の前に立つことすら許されないのではないかと思ってしまう。今では別の意味で彼女の前に立つだけで膝が震えるが。

 

私はいつものように気圧され畏れながらも、それを表に出さないように背筋を伸ばして女の前に立つ。そして左腕を胸に添え、右足を引いて首を垂れた。

 

 

「突然の訪問をお許しください、偉大なる魔女王グレイシア・フラメル様。本日も変わらず太陽や月すらも恥じて隠れるほどにお美しい」

 

「御機嫌よう、マクシミリアン・ロベスピエール。相変わらず不景気な顔をしていますわね」

 

「生来この顔と付き合っておりますので」

 

「顔を変えて差し上げても良かったのに。より美男子に、英雄にふさわしい精悍な顔立ちに」

 

「虚飾は好みません」

 

「政治家とは思えない言葉ですこと」

 

「いえ、我が主よ。民衆にはそれもまたこの者の魅力と映るのでしょう」

 

「そういうものかしら?」

 

 

王座に座る魔女とそのすぐ傍に立つ長身の痩せた美男子。本来ならばその壇上にはこの国を治めた王が座しているはずだが、今その男は家族ともどもタンプル塔に幽閉されている。

 

この部屋はアポロンの間と呼ばれる太陽王ルイ14世が作らせた豪華絢爛たる王が坐するべき場所であり、王が主に来客に対して謁見するために使用したヴェルサイユ宮殿の心臓部だ。

 

天上の楕円のヴォールトには太陽神アポロンが戦車に乗る構図を描いた『太陽の戦車』を中心に、金箔によって黄金に輝く彫刻された梁と柱によって区分けされた色彩豊かな天井画が描かれている。

 

その『太陽の戦車』の中央から輝くクリスタルガラスをふんだんに使用したシャンデリアが垂れ下がり、部屋を取り囲むように銀製の素晴らしい調度品が置かれている。

 

部屋を照らすのは魔法の燭台であり、赤ではなく太陽の黄金を白熱させたような輝きはしかし熱を持たない。その銀の燭台は金箔の貼られた女神らの像が手に掲げている。

 

壁紙は絹を金銀の糸によって帯状の刺繍がされた夏用のものであり、冬となれば深紅のビロードに刺繍がなされたものに張り替えられる。今はその刺繍は複雑な幾何学模様を組み合わせた魔法陣を描いているようだった。

 

目も眩む様な宝物に溢れたこの宮殿は、数年前までは王の所有物であり、今は我々の所有物であるのだが、しかし事実としてはこの女があたかも王としてこの宮殿に君臨している。

 

それを咎める者など誰もいない。市民たちや私の仲間たちはこの事実を知らないし、知ることも出来ない。知るのは私だけなのだ。

 

 

「今日のパリは一段と外が騒がしいですわね、マクシミリアン・ロベスピエール。数百年ぶりにこの街に帰って来ましたけれど、こんなに薄汚れて、臭くてみすぼらしい街だったかったかしら? あの頃はもっと……、いえ、これは個人的な感傷に過ぎませんわね」

 

「今日は特別な日ですので。勝利の報に市民たちも沸き立っているのでしょう。真実を知ればどうなるかは分かりかねますが」

 

「皮肉屋ですわね。でも、結果は同じ事。そうでしょう?」

 

「確かに。過程はどうであれ、革命は始まった。この命はただこの革命が完遂し、新しいフランスの礎になる為だけにある」

 

「ロマンティストですわね。しかしまあ、私は契約に従い動くのみですわ。ですから約束通り手柄は全て貴方のもの。そうでしょう《魔王》ロベスピエール様?」

 

「手柄ですか…」

 

「何か言いたいことがあるようですわね?」

 

「いえ、これも私共の不甲斐なさが招いた結果ですから」

 

 

私は目の前の魔女と契約を結んだのだ。革命の成否はどこまでも不確定であり、そして私は魂を売ってでもこの革命を遂行しなければならなかった。

 

多くの同志たちは立憲君主制の確立を見て革命が成ったと判断した。それは確かに正しいかも知れない。だが私はそうは思えなかった。

 

王と王妃は革命を潰そうとする外国の侵略軍に情報を流し、貴族階級の士官たちは軍の行動に協力するどころか裏切り行為まで行う始末。7月にはプロイセンの軍が国境を越えてヴェルダンを陥落させた。

 

このままでは勝てないかもしれない。多くの戦線では国軍が次々と敗退し、兵士たちは上官を信用できずに反逆し、殺してしまう始末。そんな折に彼女ら《薔薇十字団》は接触してきた。

 

その魔術結社の名は、革命家ならば誰もが知る伝説の存在。彼らの思想の一部は少なからず影響を及ぼしているからだ。

 

だからこそ詐欺師の類かと思った。こういう輩が私に接触を試みることは前々からあったのだ。しかし本物の魔術を見せられ、その考えは変わる。

 

少なくとも私は自分の手の中にあるカップに注がれた暖かなコーヒーを一瞬で凍結させる手段など思い付きはしない。そして彼女は条件を提示した。私はそれを呑み、そして彼女は力を供出する。

 

表面上私達の目的は似通っていたため、彼女の提示した条件を呑むことはやぶさかではなかった。契約は結ばれた。

 

おそらく私も彼らも互いを利用して、あとは切り捨てる気だったのだろうが。どちらにせよ、見誤ったのは私のほうだ。

 

 

「ヴァルミーでの大勝利、感謝に絶えません」

 

「国境まで押し返しただけに過ぎませんわ。でもまあ、最後まで付き合ってあげましょう。契約ですもの。細かなやり方は貴方に任せます」

 

「感謝いたします」

 

「しかし、貴方にも契約を守ってもらいませんと、契約違反になってしまいますわ」

 

「存じております。全て私に任せていただきたい」

 

 

私は頭を垂れて彼女の言葉に応じる。恐ろしかったからだ。彼女らのその力を知るにつれて、私は恐ろしいものと契約してしまったのではないかと後悔することになった。

 

だが、仕方がなかったのだ。これしかなかったと言えるかもしれない。王の権威は既に地に堕ちていたが、革命政府への信認もまた外国軍に対する敗退によって揺らぎつつあった。

 

我らの軍はあまりにも弱く、脆く、頼りなく、そして将官たちは信用に値しなかった。士官と兵士たちの間には不信感が渦巻いていた。故に外国の軍に何度も何度も敗退し、無様に敗走した。

 

このまま敗北を続けていれば、革命に積極的に関わった者は間違いなく処刑されるだろう。あるいは私の首級をもって敵に寝返れば褒賞すら得られるかもしれない。

 

疑心暗鬼がパリを覆いつつあり、不安が不安を呼ぶ悪循環が生まれていた。勝利が必要であったし、何よりも反乱分子を摘発する手段が必要だった。そうでなければ革命が空中分解するだろう。

 

そして魔術の力は絶大だったのだ。普通の人々には見えない妖精たちが市民や軍人、貴族や同志たちを見張った。これにより冤罪を限りなく抑えた形で秩序と統制の低下を防ぐことが出来るようになった。

 

何よりも勝利をもたらした事実こそが重要だった。それがフランス革命軍によるものではなく、怪物や不死者、悪霊や亡霊の類で構成された軍隊によるものだとしても。

 

トロルやゴブリン、ブラックドッグやレッドキャップのような醜悪な怪物たち。グールや骸骨の兵士、ワイトといった不死者たち。

 

これらの怪物たちの軍隊は、私が魔術によって召喚し操っているという筋書きで運用されている。故に彼ら《薔薇十字団》の名前は表にでることはなく、全ての元凶は私ということになる。

 

故にまことしやかに語られるようになった。《魔王ロベスピエール》の名が。

 

私は聖教から悪魔か魔王として破門され、人類の敵と名指しされるかもしれない。だが私はそれを甘んじて受ける覚悟を持っている。

 

あとは契約通り、魔女狩りを廃し、迷信を廃し、魔術の有用性とそれを利用することの正当性と合理性を国民に知らしめる。

 

契約だ。旧き迷信によって迫害される魔女と魔法使いの復権こそが彼らの、《薔薇十字団》の願いなのだから。

 

 

「ところで、タンプル塔の主についてなのだけれど。彼はどうしますの?」

 

「処刑いたします。あの男はフランスを裏切った。その罪は血で贖ってもらいます」

 

「そう、好きになさいな。でもそうですわね…、出来るだけ市民たちを熱狂させるように、あの男の悪徳を知らしめ、華やかに、残酷に処刑する事が後々のためになるのではなくて?」

 

「分かっております。」

 

 

かつてこの国を治めた男は塔の中に閉じ込められた。かつて身に纏っていた豪奢な衣服、王冠を剥ぎ取られたみすぼらしい姿で。演出上の関係で『見栄え』を良くするために健康には気を使っている。

 

思えばかつて、この絢爛なるヴェルサイユ宮も、歴史あるルーブル宮も、壮麗なるフォンテーヌブロー城も、そして国家すらもあの男の所有物だった。

 

宮殿に溢れる贅を尽くした財産、壁には飾られた素晴らしい巨匠たちの絵画や、金銀で流麗に装飾された燭台や時計、その他にも東方から海を越えて運ばれた絨毯やタペストリーに磁器もまたあの男の所有物だった。

 

庶民にはどれ一つとして手は届かないそれら全ては、アンシャン・レジームの下で国民と遠い土地の原住民たちを搾取して得られた富だった。

 

奪うだけ奪って、奪った分に相応しいものを民に与えられなかったあの男は、いずれ我々の手によって刑場の露と消えるだろう。

 

弁護するならば、あの男はそれなりに改革に理解を示していた。だが覚悟が足りなかったのだ。小手先の改革ではなく、より大きな構造の転換を必要としていた。あの男はそれに理解が及ばなかった。

 

 

「来られました」

 

 

唐突に女の右側に侍っていた男が彼女の耳元でそうささやく。次の瞬間、女の顔は冷徹なものからまるで年若い娘の様な喜色をたたえた。頬は紅潮し、大きな瞳を見開く。

 

私はそんな彼女の初めて見る表情に驚きと戸惑いを感じた。彼女が纏っていた、どこか物憂げな雰囲気が嘘のように晴れ、何の前触れもなく現れた瑞々しい彼女の姿に、私は恋に落ちたかのように胸を高鳴らせる。

 

しかし次の瞬間、アポロンの間に黒い影が飛び込んできた。それは石の塊、マルスの間にて衛兵を務めていたガーゴイルの頭部に間違いなかった。

 

そして次に現れたのは漆黒の騎士。7フィートはあるだろう巨躯を、悪魔が鍛造したかのような禍々しい暗黒のフルプレートメイルで覆う、その身の丈に匹敵する大剣を手にした男。

 

顔は頭全体を覆う鞍の様な曲線を持った円筒形の黒いグレートヘルムによって隠され、ただ横一線の視界を確保するための隙間が縁にあるのみ。

 

兜も鎧も金象嵌による幾何学的なラインによって装飾されており、その黒の金のコントラストが不思議なまでに高貴さすら相対する者に印象付ける。

 

悪魔的とも言えるその重厚かつ美しい鎧騎士の持つ剣もまた異様と言わざるを得ない。黒曜石のような深い黒一色の剣は、鍔の前後が大きく膨らみ、そこに悪魔の歯形のような不可思議な凹凸を持っている。

 

そして大剣の柄と刃の間には大粒のルビーが嵌め込まれており、これを中心に金象嵌の複雑な魔法陣にも似た文様が血管のように剣全体に走っている。

 

 

「ひっ…」

 

 

漆黒の騎士がこちら側を向いた瞬間、私は自分でも呆れてしまうほどに情けない声を上げて尻餅をついてしまう。いつの間にか影からは典型的とも言える姿の悪魔が這い出し、私を庇うように傍に立った。

 

 

「黒騎士殿ですか。初めまして、私、クリスチャン・ローゼンクロイツと申す一介の魔術師でございます」

 

 

魔女の傍に立っていた痩せ男が優雅な立ち居振る舞いで礼をとり、壇上から降りて騎士と正対する。一切の武器を携帯していないこの男は、《薔薇十字団》の創設者にして欧州最強の魔術師の一人。

 

鴉の羽根の様な不吉な黒一色の長身の痩せ男の瞳は血のように紅く、女かと思うほどの中世的な美貌には余裕の笑みを浮かべている。

 

太陽を司るアポロンの名を冠するこの部屋に対峙する漆黒。緊迫した空気は息が出来ない程で、私は少しの間呼吸をすることを忘却していた。

 

そんな緊張を足音が破る。私は急いで空気を肺に送り込む。そうしている間にも嵌め木細工の床を小気味よい音を立てて、足音の主がアポロンの間に現れた。女だった。

 

 

「ようこそお姉さまっ」

 

 

玉座の女が立ち上がり、まるで遠方より訪れた最愛の恋人の到来を知った乙女であるかのように声を上げる。そして来訪した女はゆっくりと、凛として、その女は黒騎士が通った後を歩いて来た。

 

女の姿を視界に捉えた時、私は思わず再び息をすることも忘れていた。初めて王座の女と出逢った時と同じ感情を引き出される。

 

玉座の女とは対照的なくすんだ灰色の髪、浅黒い肌、引き締まりながらも優美な曲線を描く肢体。しかし琥珀色の神秘的な瞳と、エキゾチックな相貌は間違いなく玉座の女と比肩しうる美貌だった。

 

異教徒の奉ずる美の女神。そんなありきたりな印象を抱く。インドか、あるいは古代のペルシアで奉じられる女神。もしもそれが事実であれば、多くの敬虔な聖教の信者が改宗を真面目に検討するだろう。

 

金糸の刺繍に飾られた白を基調としたドレスとカシミア織を思わせる紅いショールに身を包み、木や銀で作られた精巧な装飾品はいずれも一級の魔術工芸品。

 

黒の女は勇ましい騎士か女帝の如く堂々と白の女の前に立つ。黒のその表情は剣呑さを伴うが、白の女は恋に落ちた乙女のような表情を浮かべる。

 

 

「ヴァルミーでは随分と派手にやったみたいだなグレイシア」

 

「三百と八十年ぶりに再会したと言うのに、最初に交わす言葉としてそれはいささか無粋ですわ」

 

「ならば、会いたかったと言って欲しいか?」

 

「私はずっと、この日を夢見てきました」

 

「お前と私の道は分かたれた」

 

「ならば、何故ここに? いまさらこんな世界に興味を覚えられたのですか?」

 

「そんな些末事はどうでもいい。世界が欲しければ勝手に手に入れろ。だが、あれは何だ? なぜあのようなおぞましいものを世に解き放った!?」

 

「ふふ、それほど恐ろしいものではないでしょう? 邪悪な妖精たちですが、それもまた人間たちが想像したもの。そもあれらは選ばれた存在を、少なくとも自ら我ら青い血を継ぐ者を襲いはしませんわ」

 

「つまり、魔術師以外は襲うのだろう?」

 

「正しき信仰を取り戻すための一助です。人々が正しく生きるための礎ですわ」

 

「そのためにこのヨーロッパを屍山血河に変えるとでもいうのか?」

 

「被害は最小限に。効果は絶大に。我々が裁き、我々が守り、我々が救いの手を差し伸べる。ならば誰が我々を迫害しようと考えるでしょう?」

 

「そんな事を父上が望むはずがあるまい」

 

「父の偉業を理解できない無知蒙昧の者たちを目覚めさせるには、これぐらいの荒療治が必要なのです。効果的であるのは理解できますでしょう?」

 

「確かにな。銃と剣では殺せず、魔術でしか滅ぼせぬ魔物。魔術師にしか見えぬ悪霊、魔術師にしか浄化できぬ不死者たち。確かに人々は魔術師に頼らざるをえなくなる。だが、このような事態を生み出した者が魔術師であると人々が知れば、世界中の人間たちが我ら魔術師の敵になるぞ! そうなれば魔女狩りの比ではない!」

 

「我々がなしたのではない。そう言う事にすれば良いのです」

 

「何を言っている?」

 

「生贄の羊は既に用意いたしております。悪魔と契約した冷酷なる魔王が、自ら断頭台に続く道を血で飾り立てる事でしょう。ならば後は事が勝手に進むのみですわ。そうでしょう、ロベスピエール?」

 

 

魔女が私に視線を送る。全ては当初から計画されていたことだ。もちろん本当に死ぬわけではなく、演出として行う政治ショーだ。

 

放たれた魔物は同時に国々の侵略戦争を抑止することになるだろう。そうして得られた時間が革命の完遂に用いられる。

 

そして独裁者である魔王である私が全てを整え、人々に共和制を運営するだけの力と自信を与えた後、恐怖の具現者たる私は魔術師たちによって引きずり降ろされる。

 

私が拘束された後に正統なる手順で選挙を行い、そして私は市民による裁判と弾劾によって速やかに刑場にて処刑され、正しき政治に立ち返らせる。

 

これによって魔物たちは滅び、しかしその頃には魔術は民衆の生活に不可欠なものとして浸透する。これによって契約は完遂され、私の目的も彼女の目的も達成される。

 

 

「そうか。お前はそこまで…。もはや、これ以上の言葉は無意味か」

 

 

黒の女は悔しさと怒りの混じった感情をこめて目を伏せる。そして懐から石を、紅い、拳大の血のような紅い石を取り出した。

 

白い女は満面の笑みを浮かべてこれに応じるように、同じく懐から拳大の鮮血にも似た紅い石を取り出した。

 

それらは間違いなく、彼女らの父親ニコラ・フラメルが製造に成功したという、伝説の―

 

 

「グレイシア!!」

 

「ふふ、ではしばしの舞踏を。イグニスお姉さま!」

 

 

次の瞬間、黒い女の周りから漆黒の炎が、白い女の周りからは白銀の吹雪が巻き起こる。私の傍らにいた悪魔が私を庇い、そして私の意識は暗転した。

 

 

 

この時、ヴェルサイユ宮殿において何が起きたのか知る者は少ない。7日7晩の姉妹による戦争により、宮殿を含めた大部分が文字通り消滅した。

 

そもそも宮殿に生きている人間が少なかったこともあり、伝聞はごく一部で、ただ根拠のない噂が魔術師と錬金術師たちの間で語られるのみ。

 

全ては噂に過ぎず、伝聞、伝承の中である。この時彼女らによって何が語られたのか、何があったのか。それは後々に語る事としよう。

 

これは炎と氷の二人の魔女と賢者の石に関わる600年にも渡る人間たちの物語。まずはこの再会のおよそ180年前、アドリア海の女王、ヴェネツィアを舞台にした物語を語ろう。

 

演目はどこにでもある恋物語。本当にどこにでもある、使い古しのつまらない結末とつまらないプロット。それでも良ければ皆様、どうかご清聴を。

 

 




歴史の捏造です。この世界に魔法とか賢者の石が実在していて、それがルネサンスによって大きく世界規模の影響力を持つに至ったらという仮定で書いています。
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