歌が聞こえる。『彼女』が好きだった歌だ。ヴァッシュはその歌声に耳を傾ける。それが夢であると分かってはいたがヴァッシュはこの夢を見るのが嬉しかった。そう、『彼女』に会えるのだから。
辺りは一面の花が広がっている小さな丘。そこでうたた寝していたヴァッシュを優しい笑顔を向けながら見つめる女性が1人。
「起きたの?ヴァッシュ。寝坊助の癖はまだ治らないのね」
見たところの年齢は自分と同じ、いや年少と取れなくもない長い黒髪が美しく、しかし雄々しさも感じさせるその女性はまるで母親のような口調でヴァッシュに語りかける。ヴァッシュはほんの少し恥ずかしい気持ちになりながらもそんな彼女の言葉一つがたまらなく嬉しかった。
「ねぇ、信じられるかい?俺は今、君といた世界とは全く別の世界にいるんだぜ?」
そう話すヴァッシュに女性は何も応えない。ただ優しく微笑むだけ。
「何で俺がこの世界に来たと思う?」
その質問にも女性は笑顔を向けるだけで応えてはくれなかった。その笑顔を見たヴァッシュは空へ見上げて呟く。
「笑っちゃうよな。もしかしたらこの世界でまた君に会えると思ってるんだよな、俺は。」
そこでようやく女性はくすくすと音を立てて笑い出した。茶化されたとむくれるヴァッシュに女性は応える。
「まーだお母さん離れできないんだ。ヴァッシュは甘えん坊さんね。」
「うるさいなぁ。」
そうしてヴァッシュは女性に背中を向ける。そのやり取りはまさしく親子のそれであった。背を向けたままのヴァッシュに柔らかい掌が背中に伝わる。
「あの子とも喧嘩別れしたままで、まったく仕様のない弟君だこと。」
「・・アイツとはまた会えるさ。きっとね。」
「そうね・・あら、貴方を呼んでるわよ、ヴァッシュ?」
「え?」
ゆっくりと背中の掌が離れる。ヴァッシュが背中を起こし振り返った時にはもう『彼女』の姿はなかった。
・・・・・・・・・・・・・・・
声が聞こえる。やたらと五月蠅い声が。ヴァッシュはその声に眉を顰める。それが現実であることは分かってはいたがヴァッシュは目を開きたくなかった。まだ夢の続きが見たかったのだから。
「ヴァッシュ!いい加減起きなさいよ!」
パッと目を開くと目の前には怒気が伝わる眼光で自分を睨み付ける1人の少女。
「いつまで寝てるのよ!?もう私学校行くからね!」
「んあ・・?ああ、学校ね。いってらっしゃい。」
詩乃の服がどことなく
「いい!?昨日も言ったけど、絶対に外出たら駄目だから!分かった!?」
「えぇ~!?ずっと部屋の中にいろっての!?そりゃないよ~!」
ごねるヴァッシュではあるが詩乃は決して外出を許さない。玄関先で靴を履き、家を出る前に再度念を押すとヴァッシュの言い分を一言も聞くことなく出ていった。残されたのは未だに柱に括りつけられた男一人。
「・・ところでこれどうやって解くの?」
・・・・・・・・・・・・・・・
その日、詩乃は不機嫌だった。通常より2時間も早く学校にいかなければならなかったからだ。理由は昨夜のうちに片づけられなかった課題。自宅ではヴァッシュのイビキが煩く集中できなかった為にこうして朝練がある部活動の生徒と同じ時間に登校する羽目になってしまった。眠気眼をこすりながらまだ薄暗い教室の中で1人ペンを走らせる。GGOというオンラインゲームに身を費やしているが詩乃の学業成績は極めて優秀である。元々地方の出身の彼女は高校進学の際に上京、都内の進学校に通いつつ単身で生計を立てている。周囲と、いや全国の同年代の学生と比較しても非常に優秀かつ品行方正である彼女だが、当人は決して学生生活を満喫しているという訳ではなかった。
クラスでは親しい友人を持たない、かといって浮いているわけでもない。だがその存在感はまるで当たり前のように存在する空気のようにクラスに溶け込み、朝田 詩乃は『生徒A』というキャラクターを演じる様に学生生活を送っていた。
いつものように放課後を迎え帰り支度を済ませているとその日も『いつものように』自分に声を掛ける女子生徒の姿があった。
「朝田さ~ん。ちょっといい?」
「遠藤さん・・。」
言葉は質問となっているが詩乃の返答などお構いなしとばかりに遠藤という名の女子生徒は教室の外へと出ていく。詩乃の背後には取り巻きの2名の女子がその背中を押すように教室の外へと追いやる。
3人の女子に従いやってきたのは学校から少し離れた路地裏。まず間違いなく人など来ないこの場所で交わされる会話など決まってロクでもない内容だった。
「朝田さ~ん、悪いんだけどぉ、お金貸してくれない?」
予想通りの遠藤の言葉に詩乃は呆れた様子で溜息を吐く。その態度に女子2名があからさまに不快感を示したがそんな事で動じるほど軟弱でもない。毅然とした態度で反抗の意を示す。
「遠藤さん、悪いんだけど私お金持ってないの、本当の本当にね。」
普段はその場しのぎの口実だが今度ばかりは本当に手持ちがなかった。昨夜思わぬ出費があった為に今月はこれ以上余裕がない。グループリーダーである彼女にそう告げた詩乃はその場を後にしようとする。だがそこに遠藤が割って入る。
「お金ないならさぁ、簡単に稼げるアルバイト紹介するよ?朝田さん可愛いからウケいいと思うんだけどなぁ?」
これ以上関わりたくないと間を抜けようとした時、左腕を鷲掴みにされる。その勢いで振り返ったその先には右人差し指を突き刺し親指を立て、子供が手遊びでやる拳銃の構えをした遠藤が目に付いた。
瞬間、詩乃は自分の動悸が激しくなるのを感じた。呼吸が荒くなり、汗が全身から噴き出す。自身に銃口を向ける遠藤の人差し指から目を離せない。そして脳裏に蘇るあの光景。先程までの威勢はどこに消え失せたのか、詩乃はその場で両足を崩し座り込んでしまう。そして額に右人差し指が突きつけらけられると遠藤はこれも子供の真似事と同じようにばーんと銃を撃つしぐさをしてみせた。
堪らず詩乃は両手で頭を覆いその場に蹲る。しかし遠藤は取り巻きの女子を交えて今度は両の手でばーんばーんと銃を撃つしぐさを詩乃に向けた。
「や・・やめて・・!もうやめてぇぇ・・ッ!!」
たまらず叫ぶ詩乃であったがその行為が止まる気配はない。それどころか益々エスカレートしていく。
(もう嫌・・!!誰か・・助けて・・!)
少女が声なき声を上げたその時、人通りのない路地裏で軽妙な声が響く。
「あー、シノンちゃん見っけ~!」
遠藤をはじめとする女生徒が声の方向を見ると180cmはゆうに超える体格と金髪を靡かせる外人男性がその場に立っていた。男はそのまま直進すると蹲る詩乃を抱きかかえる。
「大丈夫、シノンちゃん?」
「あ・・アンタ・・なんでここに・・?」
詩乃は全身を震わせ怯えた目を向けながら辛うじて疑問を声に出すことが叶った。その様子を感じ取ってか否かこの場に似合わぬほどの陽気さでヴァッシュはにこりと微笑んだ。突然現れた金髪の外人に困惑する遠藤ら女子たちを前にわざとらしくたどたどしい口調で話しかける。
「オー!ユー達シノンのお友達デスカ―!?」
「な、なんなのよ、コイツ・・!?」
「ワタシはシノンのお友達のヴァッシュとイイマース!」
一言毎にオーバーリアクションを取りながら近づいてくる男に後ずさりしながら遠藤たちはその場を足早に去っていった。しばらくすると落ち着きを取り戻したのか、詩乃が腕の中でぼそりと呟いた。
「もう大丈夫だから・・降ろして。」
「いやいや、何かあったら大変だ!このまま家まで・・あいたたたた!」
右腕をつねりあげながら「降ろせ」とサインを出す詩乃に渋々応じる。御礼の一言でも期待していたヴァッシュであったが返ってきた言葉は意外なものであった。
「なんでここにいるのよ!?家に居ろって言ったでしょ!?」
「え~!?でもお腹空いたし~!ドーナツ食べたかったんだもん!」
「ドーナツ屋がこんな所にあるわけないでしょ?・・いつから尾けてたのよ?」
流石に男が嘘を吐いているのは分かった。ここまで自宅アパートから歩いて数十分あり、偶然通りがかったという距離ではない。問い質したところ自分と同じ制服を着ていた女子生徒から学校の場所を教えてもらっていたとのこと。それにしても人通りの無い路地裏で何故自分を見つけることができたのか、男に尋ねる。
「ん~・・。僕を呼ぶ声がしたから・・なんつってね!」
「・・・・・・・。」
ヴァッシュはまたも軽口を叩いたことに拳の一つでも飛んでくると身構えたが詩乃は俯いたままだった。不覚にも男の言う通り、誰かに助けを求めた時に浮かんだのはこの男の顔だったのである。もちろんその事を知られたくなった少女は黙ったまま表の街道へと歩き出す。ヴァッシュは軽く頭を掻くとその後をゆっくりと追っていった。
二人が去った後に奥の通路より姿を現す影が一つ。それはこの場所には不似合のあどけなさが残る少年。虫も殺せぬような顔立ちで詩乃の背中を見送っていたが、鍔のある帽子を目深に被ると歯ぎしりをしながら恨み節を一つだけ呟いた。
「朝田さん・・誰なんだよ・・アイツは・・!?」
・・・・・・・・・・・・・・・
詩乃とヴァッシュは夕暮れが陰る街道をお互いの距離を少し開けたまま歩いていた。この辺りになるとご近所の顔も多くなる。女子高生と金髪の外人が肩を並べて歩いている所などいかにも不自然で誰かに見られるわけにはいかなかった。とヴァッシュがある方向を指さしながら詩乃を呼び止める。
「ねぇねぇシノンちゃん?あの建物ってなんなのかな?他と少し様子が違うようだけど。」
「詩乃って言ったでしょ?・・湯島天満宮ね。神社よ神社。」
「ジンジャ?」
「神様を祀ってるのよ。あそこは学問の神様を祀ってて、ほら参拝客も学生っぽい人が多いでしょ?」
「ふ~ん・・神様・・かぁ。」
そう言うとヴァッシュはいつか見せた遠い目で施設を見ていた。男が何を考えているか詩乃には見当も付かなかったがヴァッシュがこんな表情を浮かべているときは誰かの事を考えているのだろうという見解はできた。背を向けたまま「もう行く」と呼ぶとそのまま自宅アパートへと歩を進める。暫く目を寄越しながら歩いていた男はやがて少女の背中に目を戻すと何かを思い返したようにクスリと笑った。
「・・何笑ってんのよ?」
「いや・・何だか今のやり取り、母親と子供みたいだなって思ってさ。」
「馬鹿じゃないの?・・気持ち悪い。」
「それは酷いんじゃないかと思うよ、僕は!?」
他人のふりをしている筈なのに次々に言葉が立つ。どうにもこの男といると自分のペースが乱される。現実と仮想世界の分別が付かなくなる。まだ自分にとってこの世界は現実ではない。過去にとらわれたままの自分にはこの世界はずっと止まったまま。今の自分の居場所はここではない。少女は自宅へ着くなりアミュスフィアを手に取った。
GGOに戻ることを知ったヴァッシュも身支度を整える。真紅のコートに腕を通し特注だというロングブーツに履き替えそして帰宅の道中に詩乃になんとか購入をせびったヘアスプレーで髪を整える。そして最後に詩乃の指示によって厳重に保管していたリボルバーを腰に掛けた。
その間に詩乃は軽装に着替えると室内の温度を調整し、アミュスフィアを両耳に掛けた。互いの準備が整ったところで詩乃はヴァッシュに告げる。
「ログアウトする時に付いてきたんだから多分ログインする時も同じだと思う。私から離れないで。」
「よし、分かった!抱きしめればいいんだね!?」
「・・・・・・・。」
「・・・い、行こうか、シノンちゃん。」
「・・・リンク・スタート。」
客のいない寸劇を交わしたところで詩乃はアミュスフィアを起動させる。体と心が引っ張られる感覚。『元の居場所に帰れる』ことに安堵を覚えつつその意識が吸い込まれていく。ヴァッシュもまた自分の肉体がこことは別の世界に持っていかれるの感じていた。あの砂の惑星からGGOの世界にやってきた時の感覚を思い出す。次の瞬間、詩乃の意識は沈みヴァッシュもまたその姿をアパートの一室より消失させていた。
『ヴァッシュ・ザ・スタンピード 賞金首認定のアップデートまであと33時間』
NEXT bullet
次回、ヴァッシュがトラブルを巻き起こす。今更だけども。