生まれながらにして生物には他者と競争、勝ち取ることを欲する闘争本能があることを以前に述べた。自己を他者を護るために己の身体を、武器を取り戦うこともまた闘争本能から来るものであり、衝動的に思うままに他者を蹂躙するのもまた闘争本能によるものである。
しかし、生物は闘争とは別の選択肢を作り出した。それは
『恐怖』である。
その恐怖は時に生物の価値観、行動を左右する。恐怖に駆られ武器を取るか、恐怖を持って闘いに臨むか、それは第三者には決して与り知らない。戦場で勇猛果敢に敵地に進軍する兵士の心境など誰にも分かるはずがないのだ。
砂漠のベースキャンプに辿り着いたシノンは弾薬や回復アイテムの補給に勤しんでいた。都市エリアと比較してその質、量ともに気休め程度でしかないがそれでも何もないよりはマシだと商品リストに目をやりながらふとその目を横に向けると、被弾した個所を自分で治療するヴァッシュの姿が見える。遠目であるがその鮮やかな縫合によって傷口を塞いでいるようだった。
2人が別行動を取っているのは先程の一件が理由であることは明白だった。ヴァッシュは実際に死せずとも背後から頭部を撃ち抜かれる感触を、恐怖をあの子供達は味わってしまったのだとシノンに説いた。だがシノンは何故窮地を救った自分に対してそのような事ばかりを口にするヴァッシュの心境が図れずにいた。結果として2人が取ったのは互いにつかず離れずの距離を取るといういかにも子供じみた行動であった。ヴァッシュとしてもこのままシノンと別行動をする訳にもいかず、かといって今の彼女に対して深く踏み入れられない歯がゆさも感じており、この男にしては珍しい行動を取っている次第である。
焼けるような熱帯砂漠と抜けるような青空を見上げながらヴァッシュはかつてここと同じような場所にて出会い、旅を共にしていた『ある男』を思い出していた。その男は自分が掲げる『不殺』の信念と違い、自分をそして護りたいものを護りたいが為に引き金を引いてきた。それ故にヴァッシュと相なす事も多々あったもののその引き金の重さは男なりに理解しており、ヴァッシュもまた男の引き金の重さを理解していた。
銃で撃てば人は死ぬ、それは宇宙の真理に等しい。銃がモノを言う世界で生きていくためには自身も銃を取らざるを得ない。その中でいかに相手を殺さずに済ませることができるのか、気が遠くなるほどの時間をかけてヴァッシュは模索しその為の方法を取ってきた。指の皮が捲れ、肉が鉄に食い込み血が滴り、右人差し指が歪な形状になるまで何度も何度も引き金を引いては己を磨いた。どのような局面にも対応出来るための肉体を精神を作り上げた。それでも及ばぬ場合には時に泥水を啜り、頭を垂れ、他者に罵られ蔑まれ、それでも人を殺さぬように、死なさぬようにそれこそ『何でも』やってきた、『何でも』である。
裸で踊れと言われればその通りにし、汚物を食らえと言われれば食らった。
ヴァッシュの銃の腕は彼が長年によって積み上げてきたものだがその型となる師がいたことを知る者は少ない。師といってもそれは退役した元軍警察の男から撃ち方を教わっただけ、それも只の1日だけ。ヴァッシュがその男に出会ったのは辺境の小さな村。遡ること70年前の話である。
……………
流浪の旅を続けては人の業を知り、醜さを知る。それでも彼女が愛した人類を見届けようとヴァッシュは一人孤独な旅を続ける、
生誕から50年以上の歳月を経たにも関わらずその肉体、容姿は20歳前後と若々しさを保っていたのは『プラント』故のものである。不変の外見ということもあってか加齢による精神的な変化はそれほど変わらずにいたものの、老いぬ肉体と違いその精神は日に日に衰弱していった。とある辺境の村にヴァッシュが流れ着いたのはそんな時である。
最後に口にしたものは何だったか、いつだったかも思い出せない。村の入り口に立つことも叶わずに倒れたヴァッシュが目を覚ますと何処かの宿であろうかベッドの上。旅の途中で傷を負っていた箇所に丁寧に包帯が巻かれているのを見てようやくそこで自分は拾われたのだと認識したヴァッシュは身体を起こそうとするも腕に力が入らない。やがて正面に見える扉が立てつけの悪さを感じさせる音を軋ませながら開かれるとそこには初老の男性が立っていた。入り口の前でヴァッシュが起きていることを確認するとそのまま何も言わずに扉を締めようとする。
「あ、あの!待って…!待ってください!」
思わず呼び止めたもののヴァッシュはこの男性に何を話せばいいのか瞬間迷った。素直に感謝を述べる、ただそれだけで良かったはずなの口ごもるのはこの時彼は『恐怖』していたからだ、人間に。もしかしたら自分を助けたのは身売りをするつもりなのかもしれない、そんな疑念が頭を過る。己の命を捨てて多くの人類の命を救ったレムの意志を継ぎ、この星に生きる全ての命を見守ることを誓っていたはずなのにいつしかヴァッシュの心は疲弊しきっていた。
声を掛けてから十数秒経っても未だに次の言葉が出てこないからか、扉を閉める手を止めていた男性はそのまま戸を閉める、扉を閉める音はやけに静かだった。再び訪れた沈黙の時間に溜息を一つ吐くと再びヴァッシュは眠りへと落ちていった。
次に目を覚ましたのは鼻に香る匂いにつられて。ベッド横の椅子には一切れのパンとコップ一杯分のスープと実に質素なものが置かれていた。それを目の当たりにした途端に枯れきったはずの口から唾液が溢れ、胃液すら乾いたと思っていた腹が盛大な音を響かせる。次の瞬間には右手を大きく伸ばし口の中に詰め込んでいた。毒が入っているのではという疑念は一切ない、たとえ盛られていたとしてもこの瞬間を味わうことが出来ればそれで良かった。
否、最初から毒など入っていないことは分かっていた。売り飛ばす気でいればわざわざ手当をして介抱する必要などない。昔ある男によって左腕を切断され、隻腕となったヴァッシュに労働力などあるはずもなく、文字通りの『身売り』として人買いに解体されていた筈である。にも関わらず感謝を唱える前に拒絶の意を示してしまった己を心より恥じた。それは一体いつぶりなのか、瞳から熱い滴が頬を濡らす、それでもパンを頬張りスープを啜る右手と口が休むことはなかった。
腹も満たされ幾らか体力を取り戻したヴァッシュはおぼつかない足取りで扉の外に出ると長椅子に腰掛けた男性がいつかと同じように無言のままヴァッシュに目をやる、がすぐに明後日の方向に向き直る。
「あ、あの…!助けて頂いてありがとうございました!」
今度は素直に頭を下げることができたヴァッシュだが男は無言のまま部屋から外へ出ていく。しばらく待っても戻る気配がなかったので外に出てみる。道中村の人々がヴァッシュの快気を祝ってくれた。久々に触れる人の優しさと温もりに心が和らいでいくのを感じながら世話になっていた男について尋ねると、村の出身である男は長年勤めていた軍警察を退役してひょっこりと帰ってきたらしい。村人とも交流を持たない男がヴァッシュの介抱を買って出た時には何の気まぐれかと思われていたが無事回復を遂げたヴァッシュの姿に皆胸を撫で下ろしてるようである。
「あの、それでその人がどこにいるか分かりますか?僕…まだちゃんとお礼が言えてなくて…!」
「ああ、あいつならいつもの場所だよ」
村人に教えてもらった場所でヴァッシュが見たのは長い歳月の中で絶えず傍にあったものだった。立ち込める火薬の匂い、散乱した薬莢、そして人の形をした立て看板にありありと残る弾痕。もはや確認するまでもない、ここは『銃』を撃つ射撃場だった。
そこで目に付いたあの男が腰掛けていたバッグを下ろし取り出したのは小さな
それまで1発銃声が鳴るたびに悲鳴が上がり1つの命が奪われる、そんな喧噪の中でしか銃を見たことがない。そもそも銃とはそのような荒事で使用される凶器でしかない。薬莢がカチリとシリンダーに音を立てながら収められていくのをさながら伝統工芸を扱う職人の作業を目の当たりにしたようにヴァッシュは見つめる、この時彼自身無意識の内に『銃』に魅せられていた。
やがて装填を終えた男がシリンダーを閉じ右手を沿えるようにグリップを握ると左手を銃床に固定する。両脇は軽く閉じ、両足をやや肩幅より大きく広げスタンスを取る。実に基本に忠実的な構えであった。そして銃身を目標に合わせると撃鉄が揺らぐ音の後にターンと短く長い音が響く。引き金を引く瞬間まで右手で右耳を、左肩に左耳を当て塞いでいたヴァッシュであったが思いのほか静かな銃声に恐る恐る耳を開く。その後も老人は等間隔で引き金を引いていき、6発の射撃を終えるとまた1発ずつ装填し射撃、そしてまた装填と繰り返していく。
何度目の装填を終えただろうか、ヴァッシュは男が目標としているであろう的に目をやった。両肩口に数十センチほどの間隔で弾痕が出来てはいるが急所であろう大きな点が描かれている箇所にはまるで命中していない。それを見たヴァッシュは思わず『下手くそ』だと思い、右手を口に当てる。その様子を勘付かれたのか老人はジロリとヴァッシュを見据える。顔に出ていたのかと慌ててみせたが首を斜めにあげる老人が自分を呼んでいることを悟るとゆっくりと射撃場の中へと立ち入っていく。
靴の底から感じる排莢の感触、益々鼻を突く硝煙の匂い。それは今まで何度も見てきた感じてきた光景、只一つだけ違うのはそこに死体が転がっていないことだけ。男の前に立ったヴァッシュの顔には汗が浮き出ており青ざめている。男はグリップをヴァッシュに突きつけると一言「撃ってみろ」と呟く。声を初めて聞いたヴァッシュだったがこの時の事は余り記憶に残っていない。突きつけられた銃を拒もうとしたが微動だにしないおとこの腕に意思の強さを感じたのか、震える右手を伸ばす。
銃を手にしたことは過去に1度だけあったが数十年ぶりに触れる鉄の感触に全身の産毛が逆立つのを感じた。男の手汗だろうか、しっとりと湿ったグリップを二度三度軽く握っては開くのを繰り返す。やがて手に張り付くように馴染んだことを確認すると右手を静かに目標である看板に向ける。腕の位置やスタンスは先程の老人の見様見真似であるが中々に様になっていることに老人もまた細めた目を一瞬大きくする。
後はこの引き金を引くだけ、ただそれだけなのに右手の人指し指が動かないのは引き金が硬い訳ではない。ただ怖かったのだ。目標は物言わぬ人形の看板だがその急所に当ててしまったら自分は人を銃で殺してしまう腕を持っている事を『確認』できてしまう、それが怖かった。銃身をカタカタと音を鳴らしながら構えていた右手を力なく下ろし両膝を突く。額には玉のような汗が浮かび肩で大きく息を吐き、やがて襲い掛かってきた吐き気に思わずえづく。
その様子に男が背中を擦るが、やがてその手をヴァッシュの頭に回し乱雑に掻き回す。それはレムのような繊細さの欠片も感じさせない撫で方だったが久しく忘れていた感触にヴァッシュは落ち着きを取り戻していった。
「…そうか、お前も『撃つ怖さ』を知ってる奴か』
顔を上げた先には先程とは別人のように歯を覗かせながら笑いかける男性の顔が映る、50年旅を続けてきたがこれほどまでに表情を変える人間をヴァッシュは見たことがなかった。
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