正当防衛(刑法第36条より)
第1項 急迫不正の侵害に対して、自己又は他人の権利を防衛するため、やむを得ずにした行為は、罰しない。
第2項 防衛の程度を超えた行為は、情状により、その刑を減軽し、又は免除することができる。
朝田詩乃 当時11歳の少女が犯した過ちに対して該当・適用となった刑法である。
法の名の下に彼女が犯した過ちへの裁きは実質としてはなかった。しかし強盗に入った男に勇敢に立ち向かった少女として英雄視される一方で奪い取った拳銃で何発も撃ち込み死に至らしめたとしてゴシップ誌も取り沙汰されることも少なくなかった。
どこから得ているのか、幼少時に父親が事故死、ならびに夫の事故死が原因で精神逆行を患った母という不運の境遇から歪んだ少女の凶悪性が顕現したと根も葉もない情報が飛交うと瞬く間に少女は世間から異常者として畏怖の目を向けられた。その後の経緯は依然述べた通りである。
これらの体験を経て朝田 詩乃という少女が何の精神的な疾患を伴わず、普通の少女として生活を続けることは難しいことであると予見できる。ましてや望まなかった家族の不幸に望まなかった殺人を犯した少女に一体何の非があるというのか、それが常識的であり一般的な見解だと言えよう。
なれば彼女が取った行動は当然正しかったのだろう、責めるべきは少女に消せない罪を与えたあの男なのだ、彼女自身そう考えることができれば朝田詩乃は朝田詩乃のままでいられただろうし、新川 恭二少年と出会うことも無く、GGOというゲームの存在すらも知らず、シノンというプレイヤーも生まれなかったはずだ。
だが実際に彼女はGGOという仮想世界で銃を手に取り、消せない傷を隠す為に、乗り越える為に、『強く』なるために今日もプレイヤーを殺し続ける。少女の選択、
……………
意識が立ち上るのを感じると共に気だるさが身体全体を覆う。万人向けに開発されたファンタジーの要素を多分に含んでいるSAO、ALOと異なり、いつ背後から撃たれるか一時も気を許せない世界に身を投じていれば生身の肉体にも相当なストレスがかかる。事実、GGOのプレイが遠因となって胃潰瘍を患うなど身体的に異変が生じていることが確認されているがこの事実は運営側によって伏せられている。
目を開けた先にはログアウト早々に手を焼かせてきた男の姿は…ない。先において受注クエストがキャンセルされた為か、自身のログアウトに巻き込まれ現実世界に召喚されていたヴァッシュの姿はどこにもなかった。一際静かな空気を感じた少女は何かを受け容れたかのように小さく頷きながら身体を起こす。
時刻は夕方5時前、夕食の買い出しに行くのはベストな時間。10分ほど休んで身体のだるさを感じなくなると身支度を整えて玄関先に向かった詩乃はふと1Rの部屋がこんなにも広かったのかと思いながら玄関の戸を開く、年季の入った戸が立てる鉄音がやけに煩かった。
……………
ヴァッシュと出会い奇妙な同棲生活を迎え、そして終わりを告げてから早2ヶ月、紅葉の季節は過ぎ肌寒くなった路地を静かに歩く、日が落ちるのも早く11月の空は夕方5時を回った頃にはすっかり暗くなっていた。街灯の暗さを紛らわせるように携帯を取り出しGGOの公式サイトを閲覧していると、トップニュースに取り上げられていたのは『今や』見慣れた記事。
『ヴァッシュ・ザ・スタンピード 今度は緊急クエストに乱入!』
ヴァッシュ・ザ・スタンピードの名はGGO全プレイヤーに轟いていた。ありとあらゆる場所に現れては銃撃戦を交えるプレイヤー達を挑発して一目散に逃げ出したと思えば討伐クエストの大型モンスターをあと一撃で撃破というところでプレイヤーの妨害を働くなどその名は悪名として轟き、賞金首として認知されているのはキラーオブキラーのみであるにも関わらず、その首を狙わんとする輩は数知れず、当然シノンもそのうちの一人であった。
しかしシノンは焦らない、あの男の技量が異次元のそれであることは何度も近くで目の当たりにしてきた。最高のコンディションで迎え撃つために日夜プレイヤー狩りに勤しみ、気づけばキラーオブキラー第3位にまでその数は昇っていた。
そして遂にヴァッシュと相対するに相応しい舞台が用意される、先日運営から通達された『第3回
この2ヵ月、朝田詩乃はまともな学生生活を送っていない。学校から帰っては深夜までGGOにログインし、結果始業時間に遅刻することが多くなった、担任には不眠症であると告げたが「少女A」を演じていた彼女の素行不良が目立つと再び同級生の遠藤らがちょっかいをかけるようになる。この2ヵ月で金髪の外人と詩乃の接触がないことに気付いたのか、再び詩乃に金銭をせびり始めたのだ。その日も同じように脅し文句に右手で銃を形作りいつものように詩乃が怯えるのを楽しげに見つめる。
ただ一つ詩乃がこれまでと違う反応を見せた。それまで両手で頭を押さえて震えながら蹲るだけだった詩乃が何かに憑りつかれたように暴れはじめたのだ。それは恐怖に駆られての奇行なのか、または恐怖を克服するための鼓舞なのかは分からない、しかし詩乃の瞳を見た遠藤は理屈無く理解する。それは本能的に彼女の口から洩れた。
「ひ…人殺し…!人殺しィィ!!」
そうして遠藤らは恐怖のままその場を後にする。一人静かとなった現場で一息ついた詩乃は遠藤らが無様な姿で逃げ出す様を見て幾らか『強く』なったことの現れだと喜ぶが無論これが錯覚であることを彼女自身気づいてはいない。彼女にとってそんな『些末』な事があった為に空が暗くなっても未だに自宅へと着けずにいた。
「…朝田さん!!」
半ば駆け足で歩いていると自分の名を呼ぶ声に足を止め振り返るとそこには新川少年の姿があった。
「新川君…久しぶり」
「本当に久しぶりだよね、もう一ヶ月ぶりかな?良ければ少し話でもどうかな?いつもの喫茶店で」
「…少しだけなら」
正直そんな時間が詩乃には勿体なかった。来るBoBに向けて少しの時間でも長く己を磨いておきたかった、しかし新川少年にはGGOを紹介してもらった恩義も感じていたので誘いに応じた詩乃は2人でよく利用する喫茶店に入るとホットコーヒーを2つ注文する。
「最近はずっと?」
「ええ、BoBも近いから少しでも腕を磨いておきたくて」
「そっか…でも無理してない?目の下の隅とか、疲れてるんじゃないの?」
「ありがとう…私は大丈夫よ」
新川少年が詩乃の体調を心配するのも無理はない、顔色は良いとは言えず疲労感が見て取れ、身体もやつれている。医者の息子である新川少年だからこそ余計に彼女の変化が痛々しく見えてしまったのだろう。それでも新川少年には詩乃に聞かなければならないことがあった。あの日、路地裏で見かけたあの男と今GGOを賑わせているあの男の関係を。
「朝田さん…聞いてもいいかな?遠藤さんから君を助けた男って…あのヴァッシュ・ザ・スタンピード…だよね?」
その質問に目を丸くする詩乃、その反応は図星を突かれたためのものか、それとも…
「新川君本気で言ってるの?ゲームの人間が現実世界にいるって?」
返ってきた言葉はなんともあっけらかんとしたものだった。まるで質問者である新川少年が恥ずべきだというようなその返しに慌てて反応する。
「あ、いや…!あの男とヴァッシュって似てるな~って思ってさ!もしかしてあの人がヴァッシュのプレイヤーなのかなって思っ」
「ヴァッシュにプレイヤーなんていないわよ」
己の恥を隠すために心にもないことを口にした新川少年だったがその言葉を詩乃が鋭く遮る。先程のあどけなさは微塵も感じさせない。
「え…ヴァッシュにプレイヤーがいないって…?」
「ヴァッシュはヴァッシュ、プレイヤーなんていないの。アイツはGGOの中で生きてるの」
「あ、朝田…さん?」
先の自分の問いが素っ頓狂なものであれば今の詩乃の発言はそれ以上のものであったがそう語る彼女の顔からは冗談の欠片さえ感じさせない迫力があった。
注文していたホットコーヒーがこのタイミングで届いたのは新川少年にはありがたかった。砂糖を一杯、ミルクを一滴垂らしスプーンで混ぜる間がお互いのざわついた心を落ち着かせる。話題を変えようとコーヒーを一口啜りながら新川少年が模索していると詩乃の方から話を切り出してくれた。
「新川君こそ最近は全然ログインしてないよね?勉強、忙しいの?」
「ま、まぁね。色々やることがあってさ…」
「シュピーゲルもGGOに出ればいいのに」
「…今更無理だよ、アジリティ特化でスキル振りミスってるし」
「関係ないよ、そんなの」
話題を切り出してくれたのは助かったが詩乃の質問に心が曇る。敏捷性こそが最強というデマに踊らされた結果、満足な武器も装備できずに半端なスキルしか持たない無個性のキャラが出来上がってしまった、それは現実世界の自分のような。しかも自分が指南していたシノンが瞬く間に成長を遂げトッププレイヤーへとのし上がった事に劣等感も覚えていた。
だからつい、ほんのつい口にした。それは思春期の少年故の浅薄な見栄。
「じ、じゃあさ!僕がヴァッシュ・ザ・スタンピードを倒せたら…朝田さんも僕の事を認めてくれるかな?」
「それは無理」
「…え?」
「だって…ヴァッシュは私が『殺す』もの」
新川少年の目の前の少女はそう言うとニコリとほほ笑む。普段寡黙な少女が見せることの無い笑顔を見ることができた新川少年はさぞや嬉しいものだろう、だが少女が見せた笑顔は実に禍々しく歯を覗かせながら口角を左右に吊り上げ悪魔の笑みとも取れるその表情に新川少年は恐怖する、朝田詩乃が覗かせるその瞳に。
……
テーブル席には新川少年一人が腰掛ける、用があると退席した詩乃はいつぞやと同じく新川少年の分を含むコーヒー代をテーブル席に置くと足早に帰っていった。
先程の表情を見せた彼女は自分の知る朝田 詩乃だったのだろうかと新川少年は考える。自分が尊敬した、焦がれた少女がたった数ヶ月の間に別人のような変化を遂げていたことに絶望する。自分の知っている朝田詩乃はあんな顔で笑わない、それを変えてしまったあの男が憎い。いつしか少年の心には懇意にしていた女性の心を奪った男への嫉妬心が芽生え劇場へと変化させてゆく。そして店内ということもあってか強く握りしめた拳を震わせながらテーブル席に向かって非常に小さな声で呟いた。
「…ヴァッシュ・ザ…スタンピィィドォォ…!」
……
夕闇の荒野に銃声が良く響く、それは同時に1人のプレイヤーの頭部がはじけ飛ぶことを意味していた。
ヘカートをゆっくりと起こすと今夜のノルマを確認する。既に30人は屠ってはいるが残り2週間を切った大会に向けて狩場を変えようとシノンは街のドームへと赴いた。お尋ね者であるヴァッシュとはこの数ヵ月一度たりとも接触していない。引かれ合っていた磁石が磁極を変えたように2人が出会うことはなかった。シノンも、そして恐らくヴァッシュも今両者が出会うことは望んでいない。2人が相対する場所は既に用意されている、ただその時が訪れるのを待つだけでよい。
その為にも自己の研鑽に余念がなかったシノンが次の狩場をどこにしようかとドーム内に設置された大型パネルを閲覧してるいるとふいに後ろから声をかけられた。
「あのぅ…すいません…シノンさん…ですよね?」
「え…?」
振り返るとそこにはシノンと同じくらいの年齢の少女が立っていた。
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