少女は抗った、自分を縛り付ける呪いと。
少女は願った、穏やかな日々を。
少女の罪は誰が消せるのだろうか、誰が癒せるのだろうか。
……………
身を乗り出したヴァッシュは右手に持つ
勇んで前に出たものの気配を一切感じさせない
両トリガーに指をかけながら左手を前に右手を手前に構えるヴァッシュの姿は素人目にはなんとも勇ましい姿に見えたことであろう。
だがそのもっともらしいポーズがモニター越しにヴァッシュを見守るイクスを不安にさせる、先のゼクシード戦やキリト戦で見せていた『余裕』の欠片も見せないヴァッシュの姿は本来であれば油断を完全に捨て去ったことによる覚悟の表れとも取れる。だが言い知れぬ『何か』を抱えたイクスの表情は曇る。
その彼女を他所にダインを始めとした観戦者は各地で始まった激闘の開幕に胸躍らせ歓喜の声を響かせていった。
……………
両手に銃を構えつつもヴァッシュの視線は左右を忙しなく泳ぐ、同時に些細な物音も聞き逃すまいと耳を澄ませていた。たとえ死銃の姿が見えずとも、発砲音が聞こえずとも己を狙おうとする殺気までは完全に消すことなど出来はしない。あえてその身を晒すことで最大限に研ぎ澄ませたヴァッシュの聴覚は瓦礫を這いずる羽虫の足音までも聞き取るほどまでの集中を見せていた。
「……ズイブン、シンチョウ、ダナ」
死銃の声に左右の人差し指の力を込めつつもその声の発する先を探るヴァッシュであったがまるで別次元から、それこそ死者の世界より手招きをする死神の囁きに額に汗を滲ませる、死銃の挑発にも言葉を返す余裕などなかった。
「……ドウシタ、コナイナラコチラカライク……ゾ?」
死銃の語尾が上ずったのを聞いたヴァッシュは瞬間、その身を引いた――
指を打ち鳴らしたような乾いた音がひとつ響くとヴァッシュのコートの右胸のボタンが弾け飛ぶ、2,3回地面を跳ねカラカラと円を描くそのボタンはまるで着古したことによるほつれによって外れたかのように綺麗なままであった。
再び身を隠したヴァッシュは改めてボタンが繋がっていたコートに目をやると、微かに鼻を突く匂いとともに繋ぎ目の糸が黒ずんでいた。
一歩身を引いたからこその偶然とするにはあまりにも鮮やかであり、畏怖を覚えたヴァッシュは思わず息を飲む。
いつでも自分を殺せるとでもいうのだろうか、死銃は何も言葉は放っていない。それどころか発砲したことすらも定かではない。それでもこう思わされるには十分すぎる一幕であった。
――この男に勝てるのか?
シノンを救う為にも何としてもこの死銃なる者を退けなければならない、その為の覚悟を持って臨んではいたがただ一度の立会いでヴァッシュは死銃の恐ろしさをその身に覚えさせられていた。
この男には油断や慢心は微塵もない、挑発の言葉を浴びせ、対峙を望んでいながらも正面を切っての死合を演じるつもりは毛頭ない。確実に、ただ確実に息の根を止めるべく
先のベヒモス戦において好戦的な性格と捉えていたヴァッシュの予想とは裏腹に死銃は慎重だった、それは臆病と言える程に。
姿も見えず銃声も聞こえない闇の世界からへカートの砲身は常にヴァッシュへと向けられていた。壁越しに放てば岩盤ごとヴァッシュの背中を撃ち抜くことは容易い。だがゼクシード戦で見せたようにヴァッシュという男が刹那の瞬間で見せる反応速度からその選択肢はなかった。
万が一にでもその一撃を外せば射線軸から反撃を許すかもしれない。だからこそ正面に回ることもなくヴァッシュが動き出すのをひたすらに待ち続けていた。
ヴァッシュ・ザ・スタンピードという男を決して侮ってはいけない、そのことを死銃はGGOにおける全プレイヤーの誰よりも
……………
これまで幾度となく銃を向けられてきたヴァッシュにとってはアテにするべくもないだろうが
かつて死銃と同じく姿なき
だが死銃の放つへカートの銃弾はその発射音すら聞こえず、着弾角度を割り出す為の周囲の瓦礫は次々と破壊されていく、それも決して無駄弾ではない。身を隠した先でヴァッシュの誘いを躱し、自身の位置を悟られない範囲で徐々にヴァッシュの行動範囲を狭めていく。
追い詰められていく実感の中、ヴァッシュには一つの疑念があった。
一手、そう常に一手先を読まれる。戦い慣れているのか。否、そうではない。自慢することではないが数十年に渡り死線を潜り抜けてきた、魔技と呼ぶ他ない敵に幾度となく窮地に立たされてきた。それらを凌いできたのはヴァッシュ自身の研鑽によるところが大きかったがいずれも敵が『ヴァッシュ・ザ・スタンピード』という男を測り兼ねていたところが大きい、型にはまらないヴァッシュの戦い方に翻弄され幾人もの猛者が敗れ去ってきた。
だがこの死銃は自分を知っている、知り尽くしている。GGOの世界においても『
身を隠すものがほぼ無くなる頃には死銃からの声は一切聞こえなくなっていた、先程まで僅かに感じ取れていた殺意さえも。
このままでは殺される、何も出来ないままに。そう頭を過ぎったヴァッシュが起こした行動に観戦者を含む全てのプレイヤーが目を疑った。
「がぁぁ!!があああぁぁぁぁ!!!」
雄叫び、いや恐怖とも取れる絶叫と共に両手に持った銃を乱射し始めたのだ。目標が分からないなら手当たり次第に発砲すればよいと考えたのか。身体を大きく回転させながら360°に渡り発砲を繰り返すと、無数の排莢が石畳の地面を小気味良く打ち鳴らす。
その光景を見届けていた死銃を含めた多くのプレイヤーがこう思ったことであろう。
――なんという無様。
BoB決勝の舞台という状況を差し引いてもその言葉以外見つからない、喧しく醜いダンスを踊るように錯乱しながら銃を乱射する男に怒りは感じなかった。只々哀れに思えた。イクスが周囲を見渡すとなんとも冷めた視線でモニターを見つめるプレイヤー達が目立つ。先程まで罵声を浴びせかけていた連中が今、心底ヴァッシュ・ザ・スタンピードという男に失望していたのだ。
いくら態度で、言葉で蔑んでいても必ず自分達の期待を裏切り続けてきたヴァッシュであれば死銃との戦いにおいても自分達の想像もつかないような立ち回りを演じてみせるのだろうと密かな思いを秘めていた。
それがどうだ、目の前に映る男は死銃の計略に手も足も出ず、迫る死の恐怖に怯え惑っている。それは波のように穏やかに、しかし全てを包むようにGGOプレイヤー達の心を乾かしていく。
「ヴァッシュ……!これが、貴方がやるべきことだったの!?シノンを助けるんじゃないの!?」
モニターに向かって叫びかけるイクスの声も虚しく、ダインもまた羨望していた男の一面に無意識に帽子の唾で顔を隠した。
そうして誰もが失意の目をヴァッシュに向ける中で死銃が構えるへカートの銃口は小刻みに震えていた、狙撃を前にした緊張によるものではない。
(――ナンダ、ソレハ……!!!)
それは明確な怒りだった、ここにきて死銃が初めて感情を見せたのは他でもない。ここまで策という策を重ね追い詰めた男が何をしてくるのか、最大の警戒を持って臨んでいたにも関わらず眼前に映るのはあまりに滑稽な姿。
殺意を向けた男がこの程度だったというのか、こんな矮小な存在だったというのか。怒りに震えトリガーにかかった指を伝い銃口を鳴らした。
「モウイイ……!シネ…!!」
放たれたへカートの銃弾は真っ直ぐにヴァッシュの脳天へと向かう――はずだった。だがその銃弾はヴァッシュの左耳を震わせるに留まる、瞬間死銃は己の
誘い込まれた、そう気づいたときにはヴァッシュの眼光と銃口は真っ直ぐに死銃を捉えていた、その瞳には一切の曇りはない。
ヴァッシュ・ザ・スタンピードを決して侮ってはいけない、そう心に決めていていた。にも関わらずこの男の命も誇りも投げ打った迫真の演技にまんまと騙された。
「見えたぜ……!!死銃!!」
「……ッ!!!」
衝撃によって額をかち上げられると光学迷彩を使用していたのだろうか、その姿が表の世界に引きずり出されたかのように顕になっていく。
「ウァァァ……!!!」
直撃を受けた顔を覆いながら呻き声を上げる死銃、その前にブーツを鳴らしながら近づくヴァッシュは静かに銃口を向ける。
「俺の……勝ちだな」
トリガーに指は掛かったまま、だが決してそれを引くことはしない。それでもヴァッシュの勝利宣言は死銃に、そして会場から見届ける観戦者に衝撃を与えた。
先程までの道化からものの数十秒で能面師のように姿を変える、それこそがヴァッシュ・ザ・スタンピードという男。長らく連れ添ってきたイクスやダインですら微塵もその演技に気づくことはできはしなかった。
「約束だ、シノンを返してもらうぞ」
「……フ、フフ……!」
ヴァッシュの問いに薄ら笑いを浮かべながら死銃は静かに顔を上げる、銃弾によってひび割れた面の欠片が一つ、また一つと零れ落ちていく。
やがてヴァッシュが握る
「なぜ……、何故なんだ……!?」
ヴァッシュは答えを求めた、そうしなければならなかった。そうせざるを得なかった。そうでなければ耐えられなかった、その現実に。
剥がれ落ちた面、そこから覗かせたのはとても、そうとてもよく知っている顔。唯一つ、それまでの彼女と決定的に違うのは底の見えない闇に堕ちた瞳。
「ヴァッシュ……ワタシ……コワレチャッタ……」
「……何故お前がそこにいるんだっ……!!?――
久しく聞くはずの少女の声はとてもか細く、仄暗かった。
~NEXT bullet~
次回、Fight for Flight その続きにして最終章突入です。