獣には強靭な牙や爪がある。環境や外敵から身を守るための体毛や甲殻、耐性を備えている。身体的能力の特徴が生物の優位性の位置づけとなるのであれば『ヒト』は全生物の中で、頂点には程遠い弱者と言えるだろう。
だが人間には知恵があった。過酷な環境に適応するために獣の皮を被り、雨風をしのぐ堅牢な住居を作り、そして獣の強靭な牙や爪に対抗するための『武器』を生み出した。
闘争本能が人間の絶対的な衝動であればその歩みには必ず争いが起こる。争いがなくなれば人は娯楽として新たな闘争を求めた。食に適さない獣を狩り、武器や己が肉体を駆使した格闘競技が次々と生まれ、それらを観戦する観客たちもまた、闘争に魅了された一人として、闘争の火種は常に人間の歴史と共にあった。
そして時は進み、人間の闘争本能は現実世界と隔離された仮想空間にてより深く浸透されていくこととなる。
ここ「
少女は石畳の通路を足早に進んでいた。一刻も早くこの場から『あの男』から離れなければと急いでいたからである。時折後ろを振り返るとその姿は見えない。どうやら撒いたようだとほっとして正面に向き直る。
「ねぇねぇ!そんなに急いでドコ行くのさぁ?」
「わあぁぁぁっ!?」
瞬間移動でもしたのだろうか、先程まで確かに後方に見えていた男が真正面に立っているのだ。しかもかなり顔の近くに。
「付いてこないでっていったでしょ!?なんなのよ、さっきからもう!」
「そんなこと言ったって僕もここが何処かも分かんないんだもん!だからシノンちゃんに案内をお願いしようと・・」
「気安く呼ばないで!」
「シノン」と呼ばれた少女は男を振り切り再び駆け足でその場を後にする。目的地などなかった。とにかくこの男を撒いてしまいたかった。『ログアウト』すれば事は簡単なのだが『クエスト受注中』の為、それは叶わなかった。
「なによクエストって・・!?そんなの受けた覚えないんだけど!?」
本来クエストは依頼人から直接受注し、キャンセルする場合は依頼人本人に直接申し出なければならない。しかしシノンのクエスト詳細欄には依頼主が『星の導き手』と不明瞭な名称に加えて所在地不明となっていた。故に彼女は今、身に覚えのないクエストから抜け出せない状況に陥ってしまっていたのだ。
「なんなのよこれもう・・!?強制イベントなの・・?運営に問い合わせても何も反応がないし・・!」
少女は焦っていた。もしこの状況が何らかの『バグ』によるものだとしたらクエストのキャンセルが出来ない限りログアウトが出来ない、つまり現実世界へ帰還することができなくなってしまうのだ。それだけは絶対に避けなくてはならない。この後は買い出しの予定もある。学校の宿題もある。やることは山積みであった。
「どうしよう・・!このままじゃ・・!」
今一度クエスト受注状況を確認する。依頼主は星の導き手。内容はこう記されていた。
異界からの来訪者を救済せよ
「・・ふざけないでよ!ALOじゃあるまいし!この世界でそんなファンタジーみたいなことあるわけないじゃないっ!?」
思わず声を大にして叫ぶ。通りすがりのプレイヤーが不思議そうにこちらを見る視線を感じたので咄嗟に近くの酒場に入り込む。まずは気分を落ち着けようとカウンターに腰掛けると、マスターに一杯つける。無論本物のアルコールではない。一種のプラセボ効果のようなものである。クエスト達成やレアモノを入手した自慢話を肴にそれぞれのプレイヤーが情報交換をするのに酒場という空間が適していた。グラスに注がれたエメラルド色に輝く酒をぐっと煽る。味やアルコール摂取による高揚感も再現しているが、今の少女にはとても酒に酔う気分になれなかった。
「よぉ、シノン!1人でヤケ酒かぁっ!?へっへっへ!」
「俺たちも混ぜてくれよぉ!」
背後から二人組の男が声をかけてくる。一方は大柄で筋肉質。もう一人は細身のなで肩。この酒場において顔が広いのか、男たちの取り巻きには多数のプレイヤーがいた。
面倒な相手に絡まれたものだと思いその場を後にしようとする少女であったが、その道を男たちがふさぐ。
「おいおい、無視すんなよ!」
「仲良く飲もうぜぇ!へへへ!」
全部あの男のせいだ。少女が思うことはそれだけであった。あいつさえいなければ自分の
・・・・・・・・・・・・・・・
「いやぁぁぁ!!撃たないでェェ!!?」
「・・・ッ!?」
今まで何人ものプレイヤーを屠ってきたがここまで往生際が悪いと言うか、潔いと言うほどの反応を示す者はいなかった。銃口の先にいる男はあからさまに恐怖し、足を震わせ命乞いをしている。何かの作戦なのだろうか・・しかしそうは見えない。その姿はあまりにも滑稽であり少女は呆れる様に溜息をひとつ吐くと銃口を静かに下す。
「・・もう分かったわよ、撃たないから。」
「う、嘘だ!そういって僕を油断させてから撃ち殺す気なんだ!そうだぁ!そうに決まっているゥゥ!!」
相当混乱しているのか、こちらの声に耳を傾けない男は疑心暗鬼になっている。だが武器を収める気はない。一瞬の油断が命取りになることを少女はこの戦場で嫌と言うほど身に染みていた。とは言えこのままでは埒が明かない。安心させてやろうと声をかける。
「撃たないって言ってるでしょ?そんなに疑うんならアンタが見えなくなるまでトリガーに指はかけないから。」
「ほ、ホントにホント・・?」
「・・・本当に本当。」
まるで子供相手のようなやり取りに呆れつつも言葉を返す。そして男はいそいそとその場から走り去っていった。
「・・なんだったのよ、あれ・・。」
男の姿が豆粒ほどになったところでようやく銃を収めた少女であったが、次第にその豆粒ほどの姿が再び大きくなっていく。
「はぁっ!?なにアイツ!?戻ってきたの!?」
やはり作戦だったのか。今度は騙されない、必ず撃ち抜く。そう思い少女は銃を構える。そして照準器を覗き込むと男の背後にサンドワームの姿が見えた。どうやら追われているようだ。男は必死の形相で少女の方へと向かってきている。
「・・何でこっちに向かってくんのよぉッ!?・・ったく!」
照準器を男から後方にいるサンドワームに移す。決して男を助ける為ではない。このままでは懐に飛び込まれる。そうなれば重火器を携行している少女にとって最大の不利となってしまう。幸いにして男を追っているためか、サンドワームの進行はほぼ直進。チャンスは今しかなかった。
「・・仕留める・・!」
放たれた弾丸はサンドワームの背部を貫くと縦に伸びていた腹部をも貫通した。体躯の大きさから致命傷とはいかないが退けるには十分。進行方向を変えたサンドワームは明後日の方へ逃げ去って行った。
それに安堵し首を下ろした少女は驚愕する。いつの間にここまで接近していたのか。先程の男が自分の右足にしがみついていたのだ。
「きゃああぁぁぁっ!!?」
「おべっ!!?」
女性らしい叫び声を上げながら少女は左足で男の頭を力強く踏みつけた。何度も何度も。
「変態!この変態!死ね!死ね!」
「ちょ!待っ!べっ!?」
ようやく男の手が離れた瞬間、銃口を後頭部に突きつける。既に顔を地面にめり込まれた男はもがもがと弁明するも少女の耳には入らなかった。
「・・死ね・・!」
そしてトリガーが引かれようとしたその時、クエスト受注を報せるインフォメーションが突然届く。なぜ荒野のフィールド上でこのような連絡が来たのか、インフォメーションが投影されたパネルに目をやったのはその一瞬だけ。再び視線を男の方に移すと、そこには何もなかった。
あのたった一瞬で男はどこに?周囲を振り返ろうとした少女の右肩後方から男がにょきっと顔を出す。
「へぇ~!キミ、シノンちゃんって言うんだ!?ヨロシクね~!」
「ひッ!?」
いつの間に背後に回ったのか、投影されているパネルに興味を示す男。その姿に少女は諦めの溜息を大きく吐いた。
「・・でいつの間にかこの荒野に来ていた・・ってわけ?」
「うん、そう!もぉ~ちんぷんかんぷん!」
男の言い分ではこことは違う荒野を歩いていたところ、突然この場所へやってきたとのことであった。単純にフィールドを移動しただけではないのか?少女はそう思ったがその考えはすぐに除外される。なぜならばこの男には狩猟フィールドの入場証はおろか、身分を証明するプロフィール、いやそもそも全てのパーソナルデータが非表示となっていたのだ。
「なによ、これ・・?アンタNPCなの?」
「NPC?なにそれ?」
会話が噛み合わないことに苛立つ少女。しかしNPCであるならば自律的な行動を取るこはない。かといって
「とにかく私は都市に戻るから、それじゃあ。」
そう言い残して少女は席を立つ。面倒事は厄介であった。夕日もそろそろ落ちる。夜戦仕様の装備は携帯してこなかったのでこれ以上この場にいることは得策ではないと都市エリアへと向かうがその背後から男がそろそろと付いてくる。
「・・ちょっとどうゆうつもり?」
「だ~ってぇ!僕ここドコか分かんないんだもん!案内してよ!」
これがつい先程まで荒野を踊りながら歩いていた男の台詞だろうか。怒りも呆れも通り越して無言のまま歩を進める。その後も男はつかず離れずで付いてきたのだが、今度は都市内の案内まで要望してきたので流石に我慢の限界と先の顛末に至る。
・・・・・・・・・・・・・・・
今日は本当に日が悪い。訳の分からない男に絡まれたと思えば、普段立ち寄ることもない酒場でチンピラに絡まれる。GGOにおいて「冥界の女神」などと異名をつけられ顔が広かったことがこのような形で裏目に出るとは思いもよらなかった。
「悪いけど雑魚に構ってる時間はないの。退いて。」
いつもの自分であれば事を荒立てないよう上手くやり過ごしてきたものであったが、現在の自分を取り巻く環境に余裕などなかった少女は辛辣な言葉をチンピラ二人に投げつけながらその場を後にしようとする。
「ふざけてんじゃねぇぞ!てめぇ!!」
酒場に響くほどの声で叫んだのは細身の男。今の言葉が相当癪に障ったのか、腰に掛けた銃を抜くと少女に突きつける。
「・・自分が何をやっているか分かっているの?アカウント凍結処分を食らうわよ?」
仮想世界であるGGOでは市街地などのエリアによる他プレイヤーの迷惑・暴力行為は処分の対象となる。特に銃火器の使用は例外なくアカウント停止という厳重処分が課せられている。
「知ったことじゃねぇ!・・前からテメェは気に食わなかったんだよ・・!」
「・・ッ・・!!」
少女は悟る。この男は本気だ。本気でこの場で引き金を引こうとしていると。銃火器の使用によるペナルティは当然加害者に課せられるがその被害者への救済措置はない。言葉による暴力を加え続け、その結果に銃撃を受けるという事態が相次いだため「撃たれる方にも問題がある」という結論がつけられてしまっていたのだ。
少女の顔に焦りが浮かぶ。仮想世界で死亡したとしても現実の自分の身に何かが起こるわけではない。しかし本日培った経験値や踏破の記録などがすべてリセットされてしまう。それだけは避けたかった。いや、そもそも戦場でもないこんな場末の酒場で命を落とすなどトッププレイヤーとして名を馳せる『シノン』にとって最大の屈辱の他ならない。
しかし状況はあまりに少女に不利であった。対策を立てられぬように普段から武器の携行は戦場のみにしている。今ここでヘカートⅡを装備したとしても立地的に不利。サブウエポンであるグロックを装備してもその間のタイムラグは避けられない。かといって男が銃を収める気配はない。少女の額に汗がにじむ。
「やってやる・・!やってやらぁぁ!!」
「・・・ッ!!」
積年の恨みと疑似とはいえアルコールによる高揚感もあったのだろう。男はそれほど言葉を交わさないままにトリガーに力を込める。ここまでかと少女はぐっと目をつぶった・・その時であった。
酒場に響いたのは銃声ではなく、けたたましい音を立てるガラス音。その音に少女を除く店内の全員が振り返る。どうやら酒に酔った客のようだ。テーブル上の食器類や空いた酒瓶を全て床にぶちまけていた。
「うぃ~・・!親父ぃ!酒がたりないぞぉ!もっと持ってこ~い!!」
威勢のいい声に少女は聞き覚えがあった。閉じていた目をゆっくりと開け、音のする方を見るとそこには金髪の箒頭に赤のロングコートを身に纏うあの男の姿があった。
その姿を見た時、不覚にも一瞬ほっとしている自分がいることに少女は首を振る。なぜあの男がここにいるのか?そんな考えよりも先に安堵している自分の心が理解できなかった。
「なんだてめぇ・・!?この飲んだくれがぁ!」
銃を持った細身の男はその銃口を少女から男に向ける。少女のことはもう目に入っていないようだった。それを見た少女は金髪の男に客の注目が向かっていることを好機と捉え、その場を後にしようとする。しかし出口まであと一歩というところで踏みとどまる。結果的に自分を救った男が今撃たれようとしているのに自分はここで逃げ出すのか?それがトッププレイヤーとしてこの世界で生きる『シノン』がすることなのか?ましてやこんな自分にあの『トラウマ』を克服することなどできるわけがない。意を決した少女は再び踵を返す。
その胸中は一つ。
(あの男を・・
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ガンアクション多めの予定なのに・・・。
抜かないときは抜かないのがヴァッシュです。