ギニアス・サハリン技術大佐。
ジオン公国内における規格統一を果たした偉大な技術者となった彼は、モビルスーツの開発と研究の設備が整えられたダーク・コロニーに転属となった。そこで水陸両用モビルスーツの開発案を片っ端から撤廃していた彼の手元に届いたのは、モビルスーツパイロットの要望書をまとめた一枚の資料である。
これはルウム戦役で発覚した問題であり、重要かつ緊急で解消すべきだと資料には書かれていた。
その問題というのが、コックピット内でのトイレ事情である。
当初、モビルスーツが耐え得る作戦可能時間は最長でも1時間が限度とされていた。
核反応炉燃料のみで活動する場合の活動時間は数週間以上となっているが、戦闘などで推進剤をフル活用する場合は30分と持たない事が度重なる試験の結果で分かっている。戦場に辿り着くまでの移動時間を含めても1時間以上の継続した作戦行動は推奨されておらず、それがそのまま母艦から出撃したモビルスーツを補給に戻すまでの時間の目安となっている。
実際には弾切れの方が先に来てしまう為、初期装備では1時間以上の作戦行動は想定されていなかった。
モビルスーツの補給も直ぐ終わる訳ではない。
応急処置や燃料の補充なども含めれば、それなりの時間は掛かるものであり、母艦で待機している内にトイレを済ませてしまうのが一番だ。その為、すぐ排泄を済ませられるように格納庫内のトイレ配置には、かなり気が配られている。新米のパイロットが恐怖で漏らす事はあっても特別、排泄に気を遣う必要はないというのが技術本部が出した結論であった。
しかし、事はそこまで単純ではなかった。
ブリティッシュ作戦のような大規模作戦。もしくはルウム戦役のような艦隊戦において、長時間の戦闘待機が問題として浮き彫りになってしまったのだ。両戦闘に参加したパイロットの内、七割以上のパイロットが漏らすという事態が発生する。
そこで技術本部の麒麟児ことギニアス技術大佐に話が回って来たのだ。
尤も、これは、ギニアスが余りにも仕事をし過ぎて評価段階にあるモビルスーツの開発案を却下しまくる為、各企業から訴えを受けたアルベルト・シャハト技術本部長が適当な仕事を押し付けた事情もある。「こんな事を研究している暇があるのであれば、アプサラス計画を推し進めている!」というギニアスの訴えは本部長が自ら退けており「この問題を解決しない限りは他の研究も評価もさせん!」と言い切った。
正直、ギニアスにとってはパイロットのトイレ事情なんてどうでも良かった。
コックピット内で漏らしたところで機体の性能に影響を与える訳でもない。そもそもだ、第二次世界大戦での戦闘機パイロットは普通に漏らしていたではないか。仮にコックピット内にトイレを作ったとしても戦闘時に使える訳でもない。
どうしてもトイレが欲しければ、携帯トイレでも持たせれば良い。
それで、どうして、駄目なのだ。とギニアスは頭を抱える。
同じダーク・コロニーに研究所を構えるフラナガン博士と食事をする機会があった。最初はサイコミュ兵器の実用化に関する話だったのだが、ギニアスは自分が抱える案件について、ポロリと弱音を吐くように彼に零したのだ。見た目だけは親身に取り繕って話を聞いたフラナガン博士は「私には専門外の分野だがね」と前置きをした上で言葉を返す。
「先ずは漏らしてみなさい。その状態で普段通りに仕事をしてみれば、お漏らしが戦闘に及ぼす悪影響も計り知れるはずだよ」
私ならそうする。とフラナガンは力強くギニアスを見つめた。
言葉の意味はさておいて、とにかくすごい説得力だ。
フラナガンには、やると言ったらやる。そのスゴ味があった。
その日、ギニアスは部屋で一人、排尿する。気恥ずかしさから漏らす事ができなかった為、利尿薬を使っての全力排尿であった。その状態で停滞していたアプサラス計画の企画案をまとめようとした。だが、まとまらなかった。先ず下半身が濡れた状態であり続けるということが不快であり、鼻先を擽るアンモニア臭が集中力を削ぎ落す。肌に張り付く下着が気持ち悪く、少し時間をおけばかゆみを生じる。苛立ちに思考がまとまらない。確かに、これは機体の性能に影響を与える。信頼性の問題だ、パイロットを快適に過ごさせる事は、モビルスーツの性能を最大限発揮する上での必須事項であると認識を改めた。
となれば、話は早い。ギニアスはトイレ事情の改善はモビルスーツの信頼性向上に直結する問題として、取り組む事にした。
同日、ギニアスはノーマルスーツを着た上で排尿する。
足先に溜まる尿の感覚が頗る不愉快であった。ヘルメットも被った密閉された空間、籠る湿度。逃げ場のない臭気がスーツ内に籠り、より一層の地獄が生成されていた。精神的に鍛えられた強靭なパイロットまでもが音を上げてしまう理由がよくわかる。
トイレ事情の改善は、そのままモビルスーツの性能に直結すると認識を引き上げる。
ギニアスは技術本部の人間を集めて、MS排泄対策本部を立ち上げた。
何をバカな、とせせら笑う研究者一同に先ず、体験して貰う事から始まった本研究。この場に集まった全員が事の深刻さを理解し、誰もが本気の目をして事に当たった。
数週間後には、歴戦の古兵のように死んだ目をしていたという。
重力影響下での改善案は直ぐに見つかった。
ノーマルスーツの中にパックを作り、そこに陰茎をセットする事で自動的に尿が溜まるという仕組みだ。パックの底には、液体を固体化する粉を敷き締めておくことでアンモニア臭を軽減する。これは実に良い案のように思われた。しかし無重力下では、パックの中に注ぎ込んだ尿が外に漏れ出す問題が発生してしまった。
挿入部は、しっかりと固定する必要がある。
そこで提案されたのがゴムリングだ。ゴムリングを陰茎の根本で固定する事により、外に漏れだす問題を防ぐというものだ。これは一見すると良い案のように思えた。しかし、テストパイロット達からは不満の声が多かった。陰茎のサイズは人それぞれなのだ。太い陰茎の持ち主は、陰茎がうっ血した状態になる。細い陰茎であれば、まだ問題ないのだが、所謂、短小と呼ばれる人間には問題があった。外れるのだ。ならば、と陰茎のサイズに合わせたゴムリングを作る事で対応する事となった。
しかし、これも失敗に終わる。
ゴムリングが外れる事故が多発してしまったのだ。あえて、理由は書き記さない。男子の面子、人の尊厳を守る為に。モビルスーツパイロットは、健康診断の際に陰茎のサイズを測る項目を新しく増やすべきか議題に上げられたが、それは道徳と倫理に反するという人権派の理解ある研究者によって却下される。また着脱時に陰毛が巻き込まれる事もテストパイロットからの報告により、問題点として取り上げられる事になった。研究者の一人が「剃れば良いのでは?」と身も蓋もない事を口にした。パイロットの必須項目のひとつに加えられそうになったところを人道的な側面から却下される。
そこでトイレパック案は一先ず、打ち切られる。
この頃になると研究者の全員が、漏らす事に抵抗をなくしていた。
勿論、実験の上での話だ。何処彼処で漏らしている訳ではない。濁った眼をした研究者の一人が「もう訓練で漏らしても影響がないように慣れて貰えば良いのではないか?」と零す。だが、その提案は、単純に不衛生でパイロットの健康を損なうと却下された。漏らしに漏らし続けた結果、研究者は皆、清潔なトイレで排泄する喜びを噛み締めていた。良い排尿は、パイロットのメンタルケアにも強い影響を与えるという研究結果も出ている。
この研究は最早、モビルスーツ云々ではない。ジオン公国を救う一大事業だと皆が認識していた。
次案が提出される、バキューム案だ。
ノーマルスーツを着る時に陰茎を吸引機にセットしておき、必要に応じて吸引のオンオフを切り替える方法だ。悪くはない案ではあった。しかし、ここでも問題になるのが短小である。吸引機に正しくセットしても、モビルスーツで激しい戦闘をした際にセットした陰茎が外れてしまう事故が発生してしまうのだ。また、慣れない感触に思わず、大きくしてしまって吸引機から陰茎が外れる事態も起きてしまっていた。
ギニアスは頭を抱えた。ジオン国民を守る英雄達に素晴らしき排尿を届ける事はできないのか、と絶望に明け暮れる。
そんな彼を支えたのがアイナ・サハリン。彼の妹であった。テストパイロットである。
そう、テストパイロットなのだ。
ジオン公国には少なくない女性パイロットが居る事をギニアスは頭から抜けていたのだ。
今まで提案されてきたアイデアの数々は全て、陰茎に依存したものであったことを思い知らされたギニアスは更なる絶望の淵へと叩き落される。急に青褪めた兄の姿にアイナは寄り添った。「何の研究をしているのかは知りません。でも私に協力できることがあれば、なんでも言ってください」と涙ながらに語る妹に「そうか」とギニアスは気持ちを切り替える。挫ける事もある、膝を折る事もある。しかしギニアスは如何なる逆境にも立ち向かうだけの気概を持つ男でもあった。
この程度の事で諦めてしまうような男であれば、規格統一デモなんて起こさなかった!
「研究に付き合ってくれ、アイナ」
ギニアス・サハリン。正しく英雄であった。
そしてアイナにとっての地獄の始まりだ。
女性用に改良された吸引機、黄色い液体の溜まるタンクを前にアイナは一人、部屋で泣いた。
さておき、バキューム案は廃案となった。
尿を漏らす状況下では、オンオフの切り替えをしている余裕がない事が多々ある為だ。
漏らす時は戦闘時が多い。と統計学的にも判明している。
次に提案されたのはカテーテル案だ。
予め尿道にカテーテルを差し込む事で尿が漏れるのを防ぐという案である。無重力下である為、少なからず尿が流れ出しにくくなる影響を考慮し、手動ポンプの設置も検討された。この案の良い所は陰茎に依存せず、男女共に利用できる事にある。試作の軍用カテーテルを片手に持ったギニアスはウッキウキでアイナに手渡した。「これでジオンのパイロットを救う事ができる!」と握り拳で語り聞かせた。ギニアスの自信作だった。
アイナの目は死んだ。
このMS排泄対策本部に参加する研究者の多くは三十路を超えた男性だ。彼らは人道的な研究者であり、使用感を確かめる為にも先ず自分で試す良識派の人間であった。正史における非人道的なニュータイプ関連の研究所とは違うのだ。先ずは自分の身体で安全を確かめる。自分の尿道にカテーテルを差し込む事を義務付けられた彼らは、各々自室で課題に取り組んだ。そして過半数の人間が尿道を傷付ける結果となる。
それもそのはずだ。何故ならば、
尿道カテーテル(バルーンカテーテル)の挿入は医療行為なのだ! 素人が無暗にやってはいけないのだ!!*1
モビルスーツパイロットの必須項目に尿道カテーテル挿入訓練を取り入れるかどうかで会議が行われる。安全性の他にも課題は残っている。スクランブル出撃の際、速やかに尿道カテーテルの挿入ができるのか、是非を問わなくてはならない。
ギニアスの心の師、フラナガン博士は言った。
「先ずは試してみる事が大事なんだ」
そうだ、試さなくては分からない。
ギニアスは医療関係者を呼び出し、尿道カテーテルの早期挿入について検討する。スムーズに挿入する為に素材や先端にも拘った。実際に試して、良い歳をしたおっさん達が使用感を語り合った。
改善案が出る度にアイナは兄から新作カテーテルを受け取る。
女性代表としてレポートの提出が求められており、それを提出する度にアイナの心は荒んでいった。アイナの詳細なレポートを参考に研究者達はアレやコレやと議論を交える。アイナのレポートは好評だった。MS排泄対策本部の研究者はジオン公国の未来を担うという高い意識を持った真摯な男達であった。
そこにやましい気持ちはなく、より良いものを作ろうと本気の人間達である。
男には女の気持ちは分からない。
だから疑問は素直に問い掛ける、それが最も効率の良い手段と知っている為だ。
分からない事はなんでも聞いた。
アイナはもう泣かなかった。
代わりに部屋の隅で、壁の染みを眺めて過ごす時間が増えた。
そうして完成した医療用カテーテルは、サイド3を中心に広く市販される事になる。
それまでの医療用カテーテルは医療従事者の腕によって、痛みを伴う事も多かったのだが、技術本部が全力を賭して作り上げた医療用カテーテルはスムーズに尿道に差し込むことができた。医療従事者は勿論、治療を受ける患者からも好評であった。軍事によって発展した技術が民間の暮らしを良くするという一つの事例である。
なお軍事用カテーテルの完成には至らなかった。
どれだけ改善をしても、慎重にカテーテルを差し込まなくては尿道を痛めてしまうのだ。そしてスクランブル出撃の際、的確にカテーテルを尿道に差し込めるのかといえば、それは不可能であると断じざる得なかった。準備時間を十分に取れる作戦であればまだしも、スクランブル出撃に対応できないのであれば意味がない。それでは常備したと言い切る事はできないのだ。
結局、尿道カテーテルでは、実戦レベルまで尿道リスクを抑える事ができなかった。
アイナは部屋で泣いていた。もう涙は枯れたと思っていた。
兄のギニアスに軍事用カテーテルの研究が打ち切られた事を知らされた後、独りさめざめと泣いていた。ベッドの上には最新型のカテーテルの他、排便用チューブが置かれている。排便用は結局、テスト段階にすら届かなかった。
もう、お嫁に行けない。とアイナは涙を流し続ける。
そんな一人の悲哀はさておき、研究は行き詰ってしまった。
ギニアスは難しい顔をする。案はある、しかし今まで考えて来た案を超えるものはなかった。
独り、ダーク・コロニーの酒場で飲み耽るギニアス。
そんな彼の隣に座るのは、彼の心の師であるフラナガン博士であった。
「研究が上手く行っていないようだね」
そう告げるフラナガンにギニアスは力なく笑うだけだった。
フラナガンはカナリアの言葉を思い出す。旅は道連れ世は情けだよ、という言葉だ。
彼が今、取り組んでいる研究は門外漢なので手伝えないが、
ちょっとした気晴らしくらいであれば、付き合ってやろうと世間話を興じる。
「何もかも上手く行くものではない。私もオムツの取り換えには苦労したものだ。どう頑張っても横漏れをしてしまってね」
「ん、今、なんといった!?」
「…………オムツの取り換えの話だが?」
「そう、それだッ!!」
酔いは消し飛んだ。ギニアスは身嗜みを整えるとマスターに水を要求する。
「なにもノーマルスーツだけで完結する必要はない! ノーマルスーツに備える必要もない! もっと明快で簡潔な方法があったではないかッ!!」
ギニアスは出された水をがぶ飲みした後、フラナガンに感謝して意気揚々と酒場を後にした。
取り残されたフラナガン。マスターからサッと差し出されたのは、彼が飲み食いした分の金額が掛かれた紙だ。
フラナガンは溜息を零し、きつめの酒を一杯だけ注文した。
そうして完成した軍用のオムツと紙パンツ、更に尿取りパッド。
これならば無駄にコストを掛ける必要もなく、問題を解決することが出来るとギニアスは多いに喜んだ。
早速、試作品を妹に手渡しに行こうと、何時も以上にウキウキで彼女の私室に赴いた。
兄から渡された紙パンツを受け取ったアイナは、女神のように優しく笑みを浮かべた。
何も言わず、ただ微笑んで頷き、そしてグーで兄の頬を殴り抜いた。
腰の入った良いパンチだった。
右拳を天井に突き上げて、床に転がる兄を見つめるアイナの瞳は、
まるでゴミを見るかのように荒んでいたという。
この軍用おむつ類は、その後も改良に改良が重ねられる。
公国軍が持ちうる最新技術を用いた高性能。漏れず、蒸れず、臭わず、を三要素を兼ね備えており、その使用感は真綿に包まれるが如し、排尿に涙を流す赤子もにっこりだ。歩兵用には取り外しができる吸水パッドを支給、洗って乾かせば何度でも使える優れものである。パイロット用は使い捨てが基本だ。低コストで量産可能なのが、軍部の上層部に対してウケが良かった。
これもまた市販される事になり、ギニアス・サハリンの名は民間にも広く知られる事になる。
サハリン家よ、永遠なれっ!!
余談だが排泄用の吸引機と軍用カテーテルは、
改良が加えられた結果、数日に渡って作戦行動を行う時の装備として重用されていたりする。また地上では、トイレパックを採用する部隊も多かった。
ノーマルスーツを着たまま排便できるように、スーツは股下を開く事ができる仕組みになる。
幸せの形が人それぞれで形を変えるように、排泄の形も人それぞれなのだ。