「キャスバルじゃん、なんでここに居るの?」
時は遡ってルウム戦役後、戦後処理を終えた後の話だ。
奇抜な仮面を被った少女の呟きに場の空気が固まった。先の授賞式で二階級の昇進を言い渡されたシャア少佐はヒクヒクと笑みを引き攣らせており、ドズル中将があんぐりと口を開けた。同戦役で失態を犯して一階級の降格を受けたシーマ大尉は二人の様子を見て、無意識に頭を回転させる。今後、自分の上司であると同時に恩人でもある少女の呟いた言葉、キャスバルという語感から脳内検索を始めた。ああ、と思い当たる名があった。
ジオン・ズム・ダイクン。ジオン公国の国民的英雄はメディアの手により、その私生活もつまびらかに晒されている。子供が生まれた時も大々的に報道されており、ジオン公国の祭典に顔を出した時は何度も名前が呼ばれていた。その子供の名がキャスバル・レム・ダイクンだ。
シーマは目敏い、そうでなくては生きられない幼少期を過ごして来た為だ。
常に思考を巡らせる。思考の放棄の愚かさを知っている為だ。彼女は知識に貪欲だった、知識は武器だと幼少期から分かっていた。だから彼女はマハル*1の英雄足り得たし、彼女の子分として付き従っていた人間は、徴兵された後も彼女の事を強く慕っている。
しかし今回は、それが仇となった。
傑物とも呼べる思考の早さにより、知らなくても良い真実に彼女は辿り着いてしまった。
シャア・アズナブル=キャスバル・レム・ダイクン。まさか、そんなはずは、祈る思いで冷や汗を流すシャアと唖然とするドズルを見比べた。その二人の余りにも迫真な顔に真実味が帯びてくる。シーマは静かに目を閉じる。気付かなければ良かった、と天を仰いだ。どうせなら、両手で耳も塞いでしまいたかった。
もう何も聞きたくない、何も見たくない。私は何も聞いてないし、何も見なかったのだ。
その温い願望を小悪魔のような少女が粉砕する。
「あれ、死んでなかったっけ?」
コテンと首を傾げる少女。ま、いっか。と彼女は気軽に話しかける。
「私の事を忘れちゃった? ああ見た目が変わったから分からないのかな? 私だよ、カナリアだよ。久しぶりだね~、良い男になったね~。でも久しぶりだからって私の事が分からないのは、ちょっと男が足りてないんじゃないの? まあ私、見違えるほど可愛くなったし? 美少女だし? 元々可愛かったけど、可愛さに磨きが掛かり過ぎちゃったかな~? あと、なんで生きてるの? アルテイシアから死んだって聞いたんだけど? アルテイシアはキャスバルが生きてること知ってるの?」
アルテイシアは、ジオン・ズム・ダイクンの次子の名である。ツーアウトである。
何故、キャスバルが名を偽っているのか。聡いシーマは結論を導くのも早かった。カナリアの言葉が真実であれば、キャスバルはザビ家の人間に暗殺されていた可能性が高い。運良く生き延びて、今日までザビ家の御膝元である公国軍に潜入していた。彼が暗殺されるのは、ザビ家にとって都合が悪い為だ。暗殺したはずの彼が生きている事はザビ家にとって非常に拙い事だ。その事を知る人間が居る事も、同様にザビ家にとって非常に都合が悪い。
スリーアウトだ、シーマは自分の死を予感した。生き残る為に思考を巡らせる。
「ねえドズル、キャスバル喋んなくなっちゃった。どうしよう? 叩いたら直るかな?」
カナリアが鳩尾を狙って拳を振り上げた時、その脳天にシャアの拳が突き刺さった。
あだぁっ! という悲鳴が上がった時、ハッとドズルが我を取り戻す。
「い、今、なんか良からぬ事が聞こえたような……」
「シャア・アズナブル少佐です! ドズル中将の命により、只今入室いたしました!」
「……うむ、そうだな! まあ座れ、貴様には任せたい仕事があるんだ」
最初から話を再開しようとする二人に「いやいやいやいや」と思わず口出ししてしまったのはシーマだった。
露骨に舌打ちを零すシャア。頭を抱えるドズル、その彼に「キャスバルがぶった!」と半泣きで訴えるカナリア。重苦しくも混沌なる空気の中でシーマはやはり、天井を仰ぎ見る。
転属届け、出そうかな。
色々と知ってしまった今、そんな事が許されない事なんてシーマにも分かっていた。
「ドズル、どうしてカナリアが軍服を着て此処に居る!?」
遂に観念し、我慢の限界を超えたシャアが怒鳴り散らした。
「プロト・ゼロ少佐と云えば、ブリティッシュ作戦のコロニーに毒ガスを注入した事でも有名だな!? まさか、本当に毒ガスを扱わせたのではあるまいな!? いや、戦場に出したりしてないだろうな!? ランバ・ラルはどうした!? あの男なら許さなかったはずだ! という事はドズル、貴様の仕業かッ!! 聞いているのか、ドズルッ!? 私はッ! お前達二人であれば、と思えばこそカナリアの事を任せたのだッ!! カナリアは奇天烈でお転婆ではあったが、気遣いのできる優しい心の持ち主でもあった! 何故、カナリアを巻き込んだんだッ!?」
「カナリアは戦いをする人ではなかった!」と熱弁を振るうシャア。
「えー?」とカナリアが眉間に皺を寄せる。
ドズルは渋い顔をした。
カナリアを戦争に参加させてしまったことに責任を感じていない訳ではない。しかし、これまでのカナリアを知るドズルからすれば「此奴、長年離れていたせいでカナリアを美化してないか?」と思わずにはいられなかった。自分の方からダーク・コロニーに侵入して、勝手にモビルスーツに乗り込んだかと思えば、自分から望んでツイマット社のテストパイロットになった。更には、勝手に自分の艦艇に乗り込んでくるし、勝手にモビルスーツに乗って他部隊の任務を奪い取った。自分に責任がないとは言わない、遠ざける努力はした。しかし、その大半は自分のせいというよりも、本人のせいなのでは? 仮に自分のせいだとしても1対9の割合でカナリアが悪いのではないか? いや、まだ子供のカナリアと大人である自分なら、俺の方に責任があるとわかる。しかし、それでも釈然としなかった。素直に飲み込む事ができなかった。
ちなみにカナリアは全部、自分の意思でやって来た自負がある。その為、シャアの言うカナリアの人物像を聞いた時、その思念を含めて「え、それって誰?」という呆れ果てた反応が先のカナリアであった。
「……生きていたんだな、キャスバル」
ドズルは色々と飲み込んだ後、神妙に問いかける。
黙して目を逸らすシャアの事を、ドズルはじっと見据える。
数秒の沈黙、
カナリアがボケるべきか逡巡する中、ドズルは、重い口を開いた。
「色々と聞かなきゃならない事も多い、お前も言いたいことがあるはずだ。今後の事も話し合わないといかんしな」
だが、とドズルはシャアの頭をくしゃりと撫でる。
「先ずは良かった。と言わせてくれ」
シャアは気恥ずかしげに目を伏せて、その隣では後方姉面で神妙に何度も頷くカナリアが居た。
そんな唐突で感動的な三人の再会をシーマは遠い目で眺める。
早く帰りたい。と切に、切に願うのであった。
ある程度の事情を聞かされたシャアは、カナリアに戦場から手を引くように訴えた。
しかし、たんこぶをひとつ増やしたカナリアは首を横に振る。もう他人事じゃないんだよ、と彼女は自分がザビ家の一員になった事を明かす。
ブリティッシュ作戦の後の話だ。
毒ガス注入の実行者になったカナリアには、その身を守る為に明確な後ろ盾が必要になった。ドズルが頭を悩ませる中で「ザビ家の一員にすれば良い。それが一番、手っ取り早い」と伝えたのはギレンだった。
そしてザビ家の内紛が勃発する。
発案者のギレンは「自分で言ったのだ、自分で責任を取る」とカナリアを自分の養子として扱おうとした。そこに反論をしたのがデギンであり「まだ妻もおらぬ奴に養子を取らせられるか」と彼もまた自分の養子にしようとした。そこに待ったを掛けたのがドズルであり「そういう話であれば、俺が適任のはずだ」と2メートルを超える巨躯が胸を張り、大きく見せることで断言する。最後にキシリアが「ガルマの妻、ないし婚約者として扱っても良いのでは?」と火に油を注いだ。ちなみ、この会議にガルマはおらず、別室にいるカナリアと一緒にチェスを嗜んでいた。
キシリアを除いた三名が激論を繰り広げる。
「ドズルは国防の要、ギレンは政務。二人では忙しくて面倒を見切れないはずだ。隠居して、暇な私が最適だと考えるが?」
「父上、歳を取ってから子を作るものではありません。カナリアは私の第二秘書として鍛え上げるつもりです、あれでなかなか使える奴でしてな。それに子よりも孫の方が素直に可愛がれると思うのだが?」
「待てギレン兄、カナリアの父親はランバ・ラルだ。ラル家の頭領であり、ダイクン派の筆頭である彼と連携を取れるのは俺だ。なによりも本人の気持ちを考えれば、親と会わせる機会を多く作ってやりたいってのが情ってもんだ」
「では官邸で定期的にパーティーを開くとしようか」
「ランバは前線だぞ。そのような催しに出られるものか」
「ギレン、ドズル。私には、お前達を育てた実績がある」
「親父、俺は幼い頃からカナリアを見てきた。第二の父親といっても過言じゃない」
「だが、その強面では子も心が落ち着くまい」
「ギレン兄、カナリアがそんなタマだと本気で言っているのか?」
「では、切り口を変えよう。お前には妻がいる、それも妊婦だ。そんな状況で余所から拾って来た子が養子になるだと? お前に妻を説得できるのか?」
「ゼナは俺が選んだ女だ、そんなタマだと本気で言っているのか?」
「……カナリアが余計な事をしないように事前に手回しができるのは私だけだ。ドズル、お前にカナリアの手綱を握れるのか?」
「ぐぬぬ。それは……」
「では、やはり私だな。ダイクンの右腕として政界を手玉に取り続けた手腕を見せてくれる」
「親父じゃ駄目だろ」
「父上、貴方はカナリアを甘やかし過ぎるので論外です」
「そ、そんなことは……!」
「既にガルマを甘やかし過ぎではありませんか」
「ぐぬぬ……」
これでは結論が出ん、とギレンが告げる。
デギンとドズルも頷き、本人に決めて貰う事で三者同意を得た。さりげなくガルマとの婚約案も混ぜて、呼び出したカナリアに四つの案が提示される。三者が行う全力のプレゼンに耳を傾けた後、「ジオン公国もお先真っ暗だなあ」とカナリアは乾いた笑い声と共に思った。とりあえず、一緒にプレゼンされたキシリアのガルマとの婚約案はなしとして、ザビ家の誰かと親子関係になるのは既定路線のようだ。
……ランバじゃいけないの? とギレンに問い掛けてみる。
「ラル家はダイクン派をまとめる一大勢力ではあるが、派閥が軍事一辺倒だからな。政界に対する力を持っていない」
「ドズルが後ろ盾になってくれれば良いんじゃない?」
「ドズルの派閥も軍事一辺倒だぞ。ラル家より顔は広いが、それも兵器開発や軍事研究に関する事だからな」
「……それってドズルの養子になっても変わらなくない?」
「ザビ家の一門であれば、必然的に私や父上の影響下に入る事になる」
だがラル家は駄目だ。とギレンが付け加える。
「私と父上はダイクン派が毛嫌うザビ派の筆頭格、サスロ機関を取り込んだキシリアは反ダイクン派の筆頭みたいなものだからな。ラル家と仲良くできるのは、昔からパイプを繋げていたドズルだけだ」
「はえ~、政治って面倒だね~。ギレンもランバの取り巻きの事は嫌ってないのに」
「政治の肝はパワーバランスだ、組織や派閥の間にあるパワーバランスを取り持つのが政治だと言っても過言ではない」
そのギレンの言葉に、ドズルが僅かに目を見開いた後で緩く笑みを浮かべた。
「全ての色を混ぜる訳でも、ひとつの色に染める訳でもない。黒と白だけで表現する時代は疾うの昔に終わったのだよ。多彩な色使いで繊細な絵を描くのが今時のやり方だ。まあ無論、どう扱っても反発するしかない色は排除するしかないがな*2」
「んじゃあ、アニメ塗りは?」
「あれは簡略化だ。私は今、派閥という言葉を使ったが同じダイクン派でも左翼や右翼とかあるだろう。中道寄りの右翼とか、親ザビ派ダイクン派閥とか。本来、色は混ざるものだ。こんな問答を続けるのであれば、こっちで決めるぞ」
「え~? 決まらなかったから私を呼んだのに?」
「お前の将来をジャンケンで決めてやるぞ」
こちらとしてはどう転んでも良いのでな。とギレンがキシリアに視線を送る。
キシリアがジャンケンの素振りを始めたのを見て、カナリアは慌てて言葉を発した。
「ドズル! ドズルが良い!」
デギンは予測していたのか吐息を零し、ドズルは安堵に胸を撫で下ろす。
「……私では、ないのか?」
そしてギレンは驚きに問い返した。
「本気で言ってる?」
カナリアの呆れ混じりの言葉に、ギレンは首を傾げるばかりだ。
そういうとこだよ。と少女は溜息交じりに呟いた。