近場の岩影にモビルスーツを隠した私は、コックピットで小さく縮こまっていた。
自分の放ったキャノン砲の砲弾がコックピットを抉った光景が脳裏に焼き付いている。轟音と共に爆炎を上げたザクキャノンを間近に見た。今、自分が座っている小さな箱の中、目の前のスクリーンを突き破る180ミリの砲弾を想像する。果たして、人の形は残るのか? 螺旋を画いた砲弾が肉を抉り、大きな穴を撃ち穿つ。岩影の向こう側では、未だにザクが延々と燃え続けている。動かしたのは指先1センチ未満、たったそれだけで人一人を撃ち殺す事ができてしまった。
手が震える。胸の動悸が収まらない。
思考がまとまらない。罪悪感か、嫌悪感か。それとも純粋な恐怖故か。否、考えなくてはならない。私は敵を殺した、それもモビルスーツパイロットだ。彼か彼女か、顔も知らない誰かの仲間が今すぐに駆け付けてくる。時間は多くない。今は人が人である為の倫理に関する大凡全ての良心を削ぎ落し、獣以下の畜生に成り果ててでも考え続けなくてはならない。ここは戦場だ、生きているのが当たり前の日常ではないのだ。あと一瞬、判断が遅ければ私が死んでいた。考え続けなくてはならない。頭痛がする、ズキズキと痛んだ。
思考を拒絶する頭で現実を直視して、状況を整理する。
「殺した、殺した、殺した……」
口から零れる言葉は、そればかりだ。頬を伝う涙を拭い取り、精一杯の虚勢を張って懸命に顔を上げてやる。
「…………だから、どうした!」
叫んで、恐慌状態にあった精神を強制的に立ち直らせた。
歯を食い縛って、私達は殺し合いをしてるんだ! と声高らかに叫んで、今すべき事を改めて考え直す。所詮、戦いなんてものは騙し合いだ。実戦経験もない私がルウム戦役から戦い続けてきたジオンの精鋭相手に勝てたのは偶然、騙し討ちの形になったからに過ぎない。逆にいえば、騙せれば良いのだ。
そうすれば、勝機は向こう側からやってくる。それを逃さないようにすれば良かった。
「私は、生き残るッ!」
それが戦う活力になるのなら意地でも、なんでも良かった。
◆
墜落したミデア、その前にはザクキャノンの残骸がある
胴体のあるコックピット部分が抉られており、強力な火器で穿たれたのが分かった。
死体は、まともな形では残っていないだろうな。頭には冷静な部分がある。その裏で寝食を共にした仲間を殺された怒りがあり、まだ卵の殻が付いていた頃から育て上げた部下を死なせてしまった憤りも感じている。戦場では、感情的になった者から死ぬ事になる。
その事を理解していたから俺は、俺の抱える激情を理性で包み込んだ。
殺し合いをしている。戦場で仇討ちなんてナンセンスだ。
そんな事を言い出してしまっては、人類は世界中で殺し殺されを続けなくてはならない。戦場を免罪符に犯罪行為に走るような愚か者でもなければ、復讐なんて考えるものではない。第一、今日まで俺はどれだけの人間を殺してきた。どれだけの人間の死に関与してきた。そして、どれだけの味方の死を見てきた。因縁なんて多過ぎて、もう覚えることすら放棄してしまっているよ。だから、これは私怨だ。殺したらスッキリする、それだけで良い。戦争が終わった時、後腐れなしになってしまうのであれば、殺すべきは今、この瞬間しかない。
周囲を見渡す。見られている感覚はあった、殺意は感じられない。嫌な予感だけがあった。
僚機は一機、近場にある手頃な岩場まで二機で歩み寄る。
周囲を注視する。どうやら相手は素人のようだ、モビルスーツが通った後のようなものが点在している。
わざと残したようにも見えない。罠にしては、あまりにも杜撰過ぎる。
「誘い込まれている……というよりも、覚悟を決めたって感じだな」
意識を集中すると時折、人の意思のようなものを感じる事があった。
明確に何を考えているのか分かる訳ではない。武術の達人は気配と呼ぶべき何かを察する事があるように、思念とも呼べるなにかを感じ取れる事があった。それは殺意や恐怖といった強い感情であればある程に鋭くなる。
だから、岩影の向こう側で誰かが待ち構えている感覚があった。
確証はない。しかし、こういう時の勘はよく当たる。
かといって放っておく事もできない。ここでモビルスーツを一機、放置しては後々厄介になるのは目に見えていた。
「行くしかないか」
両手にはザクマシンガン、右肩部にはキャノン砲。
その両方で、何時でも対応できるように構えを取り、少しずつ前進していった。
相手の姿が見えない。相手の方から飛び出してくる可能性もある。
頬に伝う汗、一歩、また一歩。と歩みを進めた。
◆
祈るような想いだった。
モビルスーツの駆動音を耳にした時、息が詰まる想いだった。一歩、また一歩。と地響きを伴う足音に心臓が締め付けられる。両手で手を握る。どうにか上手く行ってください、と信じても居ない神に祈りを捧げた。こんな都合の良い時だけ祈る様な人間に救いを与える神なんて居ないと思うけど、それでも祈らずにはいられない。
命運が決まるまで、あと少し。あと一歩。
キャノン砲を両手に構えた状態で静止するザニー、物陰の向こう側から敵機を待ち続ける。
◆
時は来た、岩影の向こう側に居た連邦のモビルスーツを発見した。
両手に構えた重火器の砲口が自分に向けられているのを見て、その射線から逃れるように身を反らしつつも右肩のキャノン砲を水平に撃ち放った。違和感を感じ取る。だが放ったキャノン砲の弾は的確にコックピットを貫き、機体は爆発して完全に破壊されてしまった。
あれではもう、中に誰が乗っていたかなんて分かるはずもない。
……撃った後に感じた、僅かな違和感。
対峙してからコックピットを撃ち抜くまで、敵機は微動だにしていなかった。
人ではない、だから人と同じように機械が無意識に動く事はない。だから急に飛び出した自分にパイロットが反応できなかった可能性はある。熟練ではない事は、ミデアから此処に来るまでで分かっている。
だが、なにか見落としているような気がしてならなかった。
「……モビルスーツから降りて調べる訳にもいかないな」
僚機に撤収を指示する。
少なくともモビルスーツを破壊したし、中に入っていたパイロットは確実に死んだ。
原型は留めていない。ミデアの前で倒れた配下と同じ目に遭わせてやった。
だから、もう、これ以上はない。
ここに居ても何も得られるものはない。と自分に言い聞かせて、この場を後にする。
◆
祈りは通じてくれたのか。
ザニーの撃破を確認したザクキャノンは、そのまま何処かへと退いてくれた。ほっと胸を撫で下ろす、ドッと疲れが押し寄せた。
岩影から出て来たザクキャノンに備えた状態でザニーを待機させた後、自分は少し離れた物陰に隠れて事の成り行きを見守った。博打の要素は多かった。先ず最初に敵機がザニーを破壊する必要があり、コックピットの中を確認できない状態になるのが必要最低限だ。生死確認をするまでもなく、死亡と判断できる状態であれば見逃すかも知れない。
つい先程、自分がそう判断したように。誰だって、肉塊以下になった遺体を確認したいとは思わない。
死亡したと分かれば、ミデアから抜け出した私の捜索は出ない。
そこまで考えての行動だったのだが────
「──荒野にポツンと一人、捕虜になりたくないの一心だったけど」
見渡す限りの大自然。それも半ば砂漠化しており、近場に人の気配を感じられない。
とりあえず、墜落したミデアに戻ってみる? 何か物資があるかも知れないし……いや、それは悪手だ。ミデアを迎撃した部隊が、物資を回収しないはずがなかった。死にたくない、捕虜になりたくもない。そういう想いで突っ走ったのは良いけども、少し考えなしだったのかも知れない。このままだと結局、餓死や水分不足で死ぬ事になりかねない。
どうせ死ぬなら殺してやれって気持ちだったけど、生き延びたなら生きたかった。
「……トイレ行きたいなあ」
こんな絶望的な状況下でも身体は正直であり、弛緩した身体は尿意を訴える。
長時間の作戦だったので紙パンツを履いて来たけども、今後の事を考えれば紙パンツの中に尿を垂らすのは避けたかった。辺り一面の大自然、こんな所にトイレなんてあるはずもない。唾を飲み込み、覚悟を決める。岩陰に身を隠す、露出した下腹部を大自然の息吹が優しく撫でる感覚に身震いする。静かに用を足す羞恥心と開放感の間で心が揺すられるのを感じ取った。
ホッと一息吐いた後、改めて周囲を見渡す。
改めて絶望的な状況だ。兎に角、歩くしかない。宇宙世紀にもなって行く宛もなく遭難する事になるなんて思いもしなかった。先ずは、水の確保。丁度、水分を消費してしまったし、そういえば、遭難した人間が自分の尿を飲んで生き永らえた話とか聞いたことがある。いざとなれば覚悟の必要が……いや、でも、極限状態であっても飲んではいけないものの中に尿があったような気がする。
やばい、軍人になる予定がなかったから卒業に関わる学科以外の授業を真面目に聞いてなかった。
こんなことになるならば、流されなければ良かったし、なんなら自分にしては珍しくマチルダさんの部隊になりたいって行動を起こさなければ良かった。やることなすこと全てが裏目になってて嫌になる。
とりあえず、まだ体力が残っている内に人が居る場所まで歩かなきゃいけない。
とぼとぼと歩み出す事、幾許か。
四方に見える地平線、身を隠すところのない荒野を延々と歩き続ける。
太陽が傾いて来た頃合い、遠くから砂煙を上げて近付いてくる車輌があった。
あれは……実戦演習で何度か見た事がある。
ホバートラックが私のすぐ横で止められた。
横の鉄扉が開けられて、中からは自分と同じ連邦軍の制服を着た女性が姿を現す。
短い髪に煤汚れた顔、彼女は人懐こい笑顔で私に告げる。
「ねえ、君! 旧市街まで乗ってかない?」
まるでナンパするかのような声色に一瞬、なんて返せば良いのか分からなかった。
「……そのホバートラックは?」
「輸送コンテナの中に入っていたのを持ち出したんだよ。確認もせずに引き返してくれたしね、何故だかはよく分からないけど。まあこんな何もない荒野なのに無一文で放り出されずに良かったよ、あっはっはっ!」
つい先程まで私と同じように危機的立場にあったはずの彼女は快活に笑い飛ばす。
その姿に、なんだかとても安心しちゃって張り詰めていたものが全部プッツンと切れてしまった。ふっと足腰に力が入らなくなる。ペタンと地面に座り込んでしまった後、ポロポロと涙が溢れ出した。心の何処かでは、もう助からないと思っていた。一人で取り残される事が恐ろしくて、誰も知られないまま死んでしまうのは寂しかった。
堰を切ったかのように流れ出す涙に、ただただ嗚咽を零すことしかできない。
「えっ!? ちょっとどうしたの!? 安心するのは、まだ早いって! 中に入ろ? この場から離れなきゃほんと拙いから!」
彼女に支えられながらホバートラックの助手席に座る。
荷台には、乱雑に積み上げられた物資があった。ペットボトルに入った水を手渡される、それを一息に飲み干した。操縦席に座る彼女はハンドルを握り、ホバートラックが緩やかに動き出す。
もう少し後で教えて貰うことになるけども彼女の名前はクレア・ヒースロー、階級は一等兵。
決して歴史に残る事がない裏側で、私と彼女の長い逃避行生活が始まる事になる。
◆
「イアン中尉、見た感じだと中身は普通の補給物資ですね」
改めて撃墜した二機目のミデアの輸送コンテナの中身を検めていた時の事だ。
「……幾つか持ち出された跡があるな」
幾分かの物資の他、車輌がひとつ持ち去られた痕跡があった。
墜落時に生きていた搭乗員が居たと考えるのが妥当か。
中身を見る限り、特に重要そうな何かがあったという感じはない。
放置しても大事になる事はなさそうではある。
「しかし木馬の情報を知っている可能性が高いな」
撃墜した時から結構な時間が過ぎてしまっている。
なにか車輌を使っているのだとすれば、もうこの周辺には居ないはずだ。
兎にも角にもガルマ少将に報告だ。
二機のミデアを撃墜したにしては、失態が多くて嫌になる。
しかし隠し立てする訳にもいかない。
幸いにもガルマ少将は、理由のある失態には寛容な方だった。