ミード湖での戦いを終えた夜、キャリフォルニア州ロサンゼルスにて。
公国軍が官邸代わりに接収したホテルとは、また別の高級ホテルで社交界のパーティーが開催されている。参加者の半数以上は北米大陸で有力な地位を築いていたアースノイド。残りの半分以下は地球に出向したサイド3の財界人、官僚が中心に集められている。そこに僕が足を踏み入れれば、飴を与えられた蟻のように宙地の有力者が群がり始めた。自分が生き残る為、もしくは既得権益の確保。商魂が逞しいとでも評するべきか、少しでも利益を得る為にザビ家の御曹司である僕に媚を売る。
その中でヨーゼフ・エッシェンバッハという男は、僕に擦り寄ろうとはしなかった。
一瞥する、彼もまた僕に会釈を返す。
今、北米大陸に残されている有力者は、大きく二つに分類する事ができる。
止むを得ない事情で残らざるを得なかった者達と自分の意志で残った者達だ。前者は地球降下作戦の際に逃げ遅れてしまった者、もしくは北米大陸に拠点を持つ為に移動できなかった者達になる。こういった輩には、適度に飴を与えて、適度に鞭で打ち据えてやれば良い。こういった連中は、公国軍の方が優勢の内は裏切らない。逆に戦況が悪くなった時、それを知った彼らは、それまでどれほどの厚遇を受けていたとしても容易く裏切ってみせる。そういうものだ。
重要なのは後者、彼らは残された民衆の為、あるいは故郷を守る為にあえて公国軍に降った者達であった。
裏切り者の汚名を被ってでも自分ではない何かの為に義憤を燃やす事ができる者達。
こういった人間を懐柔するには、厚遇するだけでは足りない。というよりも厚遇するのは権限を与える為のものだ。それで恩を売れるとは思っていない、思ってはいけない。我々は貴方の能力を認めています、というアピールに過ぎない事を肝に銘じておかなくてはならない。
炊き出しの許可は出している。その為に人手が必要というのであれば軍隊も派遣する。食料が足りないのであれば、融通もする。話し合いの場を設けた。農業プラントの再稼働もしており、現地で採れる食料も徐々にだが増えてきている。来年を目途に民衆の食糧事情を改善し、現地から食料の調達もできる見込みだ。臨時で建てさせたプレハブ小屋の数も少しずつ減らしていきたい。
出来る限り協力したい、と申し出た時に口走った彼の言葉。
「……まるでマッチポンプだな」
その一言が忘れられない。忘れてはいけない、とも思った。
ヨーゼフの娘であるイセリナと恋仲になったのは全くの偶然だ。
とあるパーティー会場で偶然出会って一目惚れした。それで何度か顔を合わせる内に惹かれ合うようになり、プライベートでもデートに誘うようになる。唇を交わした事もある。「部屋には、もう連れ込んだのか?」とシャアに問われた事もあるが、そんな事は問われるまでもない。
きちんと親御の許可を取り、婚姻届を出す前に出来るはずがないじゃないか!
その時のシャアは微妙な顔で「君のそういうところは本当に尊敬するよ」と言っていたことを覚えている。
パーティー会場の中、車椅子に座った親友の姿を見つけた僕はSPに頼んで周囲に群がっていた人達の人払いを頼んだ。
こういう場所でも仮面を被る親友に苦笑する。事情は知っている、士官学校に送った書類の顔写真の人物と彼では瞳の色が違う為だ。今となっては仮面を被った姿の方が民衆に慕われている事もあるし、彼の眼底色素に異常があるという情報は世間的にも知られている。まあ、嘘なのだが、そんな疾患は聞いた事もない。彼が瞳の色の隠す為の虚言であった。
さておき、彼は先の戦闘で肋骨と足の骨を折っている。
共に軽度なものであり、ひと月もすれば、戦線に復帰できる程度のものだ。トイレに行くのも自分でできる。その事を聞いたカナリアは少し残念な顔を見せた。尿瓶で取ってあげようと思ったのに、と呟く彼女にシャアは意地でも自分でトイレに行く事を選んだのだ。脂汗を滲ませながら松葉杖を突く彼に「無理をしない方が良い」と言い聞かせる僕に「弱みを見せてなるのものか。死ぬまでネタにされるに決まっている、一生の笑いものになってしまうのだぞ!」と真剣な顔で答えていた。
そんな彼の代わりに飲み物を調達し、手渡した。
「見事だな、ガルマ司令。ここまで懐柔するとは恐れ入ったよ」
親友は受け取ったシャンパングラスに口を付ける。
「軍人として一級になるだけでは飽き足らず、政治家としても一級になられたようだな」
「よせよシャア、照れるじゃないか」
勢力圏内に木馬が居るにも関わらず、悠長な事をしていると思われるかも知れない。しかし、これはひと月以上も前から予定されていた事だ。現地の有力者と縁を持つ事は、北米大陸を統治する上で重要であり、ジオン公国の有力者と顔繋ぎをする事もまた同様であった。更に付け加えると今、公国軍は木馬の姿を見失っている。木馬の動向を掴めているのであれば、それを理由にパーティーを欠席する事もできた。しかし、何時、見つかるかも分からない木馬の為にパーティーをボイコットするのはありえない。今日のパーティーには、それだけ重要な意味が込められていた。
「カナリアは参加していないようだな」
言いながらシャアがパーティー会場を見渡した。
「彼女はロサンゼルスの警備に志願したよ」
と僕は返す。北米方面軍のエース部隊が打撃を受けた今、角付きの相手が出来るのはカナリアだけであった。
「彼女が? 自分から?」
シャアが問い返し、僕は神妙に頷き返す。
「心の準備だけはしておいた方が良いのかも知れない」
表には、直ぐ動き出せるように車を用意させていた。
カナリアの動向には注意しておけ、と指示を出している。もし仮に出撃するような事があれば、直ぐに知らせるように伝えてあった。止めるのは、止めるだけ無駄だと思った為、好きにさせるように言い含めている。彼女は意味のない行動はしない、彼女が無理を押して動く時には何か理由がある。それが口で説明できるものであるかどうかは分からないが、彼女にしか感じ取れない何かがあることは理解しているつもりだ。
こういった根拠のない話を頼りにするのは軍を統率する司令官としては落第なのかも知れないが、彼女には理屈では説明できない実績がある。ならば、私は兄として妹の事を信じるだけだ。
「……イセリナ嬢のお見えだな」
シャアが階段の上を見る、段差を降りるイセリナの姿があった。
「シャア、ちょっと失礼する」
「戦場になるかも知れない場所でラブロマンスか?」
「そう言ってくれるなよ。もう二度と会えないかも知れないんだ」
僕は近場の兵にシャンパングラスを渡し、彼女の手を取ってパーティー会場を後にした。
ホテルのベランダに出た、冷たい夜風が肌を撫でる。
少なからず肌を晒した衣装を見て、もっと近寄るようにと手を差し伸べた。護衛の一人に羽織るものを持ってくるように告げる。誰も居なくなったのを確認して抱き寄せる。風上に立って、少しでも彼女が冷えないように配慮した。パーティー会場、私の顔を見た彼女は最初、喜色を露にし、すぐ表情を曇らせてしまった。
別れる前、彼女と話していた事がある。大事な話だった。
「……地球にコロニーを落とした公国軍の総帥たるザビ家の息子に娘はやれぬ、そう言われたんだね」
彼女は静かに頷いてみせる。
「君の父上ならそう言うだろう」
彼の父、ヨーゼフはニューヤークを愛している、北米を愛している。
地球にコロニーを落として、彼の愛すべき故郷を滅茶苦茶にしてしまったのが公国軍だ。
そのジオン公国の公王を父に持つ私に娘を譲れないというのは当然の反応であった。
「私には連邦も公国も関係ありません。ガルマ様は、ガルマ様……お慕い申しております」
そう縋りつく彼女を優しく抱き締める。
「好きです、御側にいたい。いつまでも……たとえ父や母やこの町やなにもかもを失う事になっても……」
「私だって同じだ、君の事が好きだ」
しかし、と強い意志を持って伝える。
「私はジオン軍を率いる軍人でザビ家の一員だ。家族や国民の期待を裏切る訳にはいかない」
彼女は悲しい瞳で僕の顔を見上げた。
その頬を撫でる。
なによりも、と笑みを浮かべて続く言葉を口にした。
「私は父を愛している。二人の兄は勿論、姉と妹だって愛している。そして同じように家族は僕の事を愛しているという自負を持っている」
世の父が何処の馬の骨とも知れない相手に娘をやれないのは当然の事だ。
それが仇敵ともなれば、なおの事。娘を愛する父が、簡単に手放す訳がなかった。
「次は僕も同行する。そして頭を下げて君を貰いに行く、すぐには難しいかも知れない。しかし、いずれ分かってくれるはずだ。僕がイセリナを幸せにできる。その気概と素質があるのだと知って貰うことができれば、きっと君の父上も僕との関係を認めてくれるはずだ」
それでももし、娘に対する愛以外の理由で僕を拒み続けるというのであれば。
「僕は君を攫ってみせよう」
イセリナは嬉しそうに口元を綻ばせた後、心配そうに目を伏せる。
「もし……もし仮にです。貴方の家族が私達の関係を御認めになられなかった時は、それでも貴方は私と共に居てくれるのでしょうか?」
「そのような仮定は、不要だな」
既に根回しは終えてある。父の説得は簡単だった、この話をするだけで国益になると判断してくれた。ギレンとキシリアには、エッシェンバッハ家と繋がりを持つ事による有用性を説けば、関係を続ける事を認めてくれた。次兄のドズルには、愛を説くだけで十分だった。カナリアからはレディの扱い方についてレクチャーをしてくれる程に協力的だ、話半分に聞き流したけど。僕の家族は皆、僕の恋路に協力してくれている。
「不要だけど……あえて、答えよう」
力強く彼女を抱きしめた。強く、より強く彼女を胸の内に引き寄せて囁きかける。
「この戦争を終えた後で、僕もザビ家を捨てよう。君にだけ捨てさせる訳にはいかないからな」
その言葉を告げた時、イセリナの瞳から涙が零れる。
ガルマ様、と彼女の方から僕に抱き着いた。それを優しく受け止める。
髪を撫でる。出来る事ならば、彼女の父にも僕達の関係を認めてほしいと思った。
それが難しい事は分かっている。
だからといって、逃げてしまっては彼女から家族と故郷を取り上げてしまう事になる。
それを、僕は、できるだけしたくなかった。
だって、それは、悲しいじゃないか。
「ガルマ、逢引の邪魔をしてすまないが報告がある」
ベランダの窓が開け放たれる。
その先に車椅子に乗る親友を見て、安堵に胸を撫で下ろす。
彼女の泣き顔を彼に見られないように自分の身で隠しながら問い返した。
「木馬か?」
「そのようだ、この都市に潜入を確認した」
「何を考えている? 少し前にミデアを発見した報告があったが」
「考えるのは後だ」
「そうだな」
イセリナを引き剥がす。私を心配する、その瞳を見つめ返す。
「この戦いが終わった後、貴方の父上に会いに行きます。貴方の娘をください、と言いに行くのです」
「ガルマ様!」
「後で父上の好物を教えてください。手土産もなしに会いに行く訳にはいかないので!」
イセリナは顔を伏せる。目元の涙を指先で拭い取り、そして背筋を伸ばした佇まいで口を開いた。
「歯医者の予約を入れておきましょう」
「それは、どうして?」
「父のパンチは痛いのですよ?」
「……そうならないように頑張るよ」
そんな彼女の言葉を傍で聞いていたシャアが高笑いを上げる。
僕は、前髪を絡めた指先をくるりと回し、引き攣った口元を誤魔化した。
私とてザビ家の男だ。
父の娘に対する愛を受け止める度量くらいは、ある。はずだ。
◆
初めて彼と出会った時、感じたのは。彼は私と同じだって事だ。
サイド7から逃げ出す木馬を見た時、真っ白な角付きの新型を見た時から予感はあった。コックピットの中、手慣れた動きでシステムを起動する。操縦桿を握り締める、その感触を何度か確かめた。引き金に人差し指を当てる。私が持っている特別な能力だけじゃない。あの少年と自分が似ているのは、誰かの為に引き金を引くことができる人間という一点だけだ。条件が揃えば、殺す。善悪の区別が付いている。その上で守るべきを守る為に、為すべき何かを為す為に引き金を引ける人間だ。
いずれ、誰にも止められなくなる。彼を止められるのは私だけ、私だけが彼を殺すことができる。
「だから、私が殺す」
彼を殺す理由なんてものは、彼は私の大切な人を殺す可能性がある。
それだけで十分だ。人を殺すのが当たり前の御時世なので、殺せる時に殺しておくのが良い。
どちらにせよ、既に彼は公国軍の強大な敵なのだ。
「グフ・フライトタイプ。ゼロ少佐、行くよ!」
発進準備を終えて、夜空に向けて飛び出した。眼下に広がるロサンゼルスの夜景、半ば廃墟となった光景を見渡して見知った気配を感じ取る。姿は見えない、でも見つけた。私が気配を感じ取ったから、彼も私の気配を感じ取ったはずだ。
ニュータイプ能力を持った者同士なら分かり合える? そんな事はあり得ない。人と人が分かり合うのは慈愛の精神であって、相手を許容する心だ。手段は、さほど重要ではないッ!
「相手を理解したからって、矛先を引っ込める理由にはならないんだよねえっ!」
見つけた先に突っ込もうとして、大きな爆発音が鳴り響いた。
思わず音がした方を見る。ロサンゼルスに聳え立つビルのひとつが、大きな音と共に崩れ落ちる。
けたたましい警報音が街中に鳴らされる。
……え、何が起きてるの?
予想外の攻撃に、暫し呆気に取られてしまった。
「……ッ!」
殺意、瞬時に操縦桿を動かした。
ビル群から放たれた閃光は、身を翻すことで躱す。
射線の先を見る。
見えなかった。でも、居るのは分かる。
「シーマッ!」
『あいよ! さっきの爆発はどうする!?』
「あっちは任せた! 私は、あの角付きをどうにかするっ!」
私が今、倒すべきは角付きの方だ。
「ここで全てを終わりにしてやるッ! 角付きィッ!!」
グフ・フライトタイプを直線軌道による最短距離で、倒すべき敵がいる場所へ突っ込ませた。