手を触れられた時、数多ある未来の可能性が脳裏を駆け抜けた。
直接、頭脳に叩き込まれる情報の波に押し潰されそうになりながらも、辛うじて処理できた情報の中から最善の未来を掴み取る。反撃して無力化できるように回避は必要最低限、しかし情報を処理するだけで悲鳴を上げる頭脳に反撃を入れる余裕なんてなかった。避けて、躱す。そして往なした。隙を突いて、攻撃──ではなく、後方に大きく跳躍する。間合いを保ち、大きく息を吐いた。全身から汗が噴き出す。共鳴する負担が一気に押し寄せて来る。
ガンガンと痛む頭に、カチュアと名乗る少女が耳元で叫び続けている。
どうして、あんなものを視て、彼女は平然としていられるのか。これがよく分からない。
「……別に義理がある訳じゃない」
連邦軍に対しては恨みの方が大きかった。
死んでも良いと思っていた。でも理不尽に殺されるのは私の中では違っていた。
だから敵の襲撃から身を守る為にモビルスーツに乗り込んだ。そこまで良かった。敵の襲撃だと思っていた相手が、実は身内の裏切り者だと知った辺りで計算が狂った。共に逃げよう。そう言って差し伸べてくれた手を、受け取ろうか迷う間もなくムラサメ研究所の純正ニュータイプが相手を煽り始めたのだ。
成功するか、失敗するか。と、どちらでも良かった。生きたまま死んでいるような毎日に辟易していた。私は白馬の王子様に憧れていた。相手の色が白でも黒でも構わない。私は、この環境から抜け出せるなら何でもよかった。だから彼の手を受け取ってもよかったのだ。なのに、この私の隣に立つ少女は、勝手に彼の差し伸べた手を払いのけて、私の手を掴み取って自分側に引っ張ってのける。
そんな彼女の強引な手腕に苛立ちを覚えつつも、周りの勝手な選択に巻き込まれて死ぬのは御免だった。
「来るなら倒す、それだけのこと……!」
与えられる情報を全て処理する必要はない。
パッと見で検討に値するものだけを選び出し、厳選した未来の中から選び取る。背中に担いだ大型の射撃武器、えっと……試作型シェキナー*1と呼称された射撃武器は展開するまで時間がかかる為、今は使い道がない。左腕にグレネード・ランチャーが装備されている事を確認し、パージする。ただでさえ相手はヒート・ナイフの二刀持ち、手数で負けているのに機動力で負けていては話にならない。
接近してくる敵機に対処する為にヒートレイピアで牽制しながら後退した。
これでは駄目だ。撃破される事はないけど、膠着状態では分が悪い。叩き付けられる無数の可能性に押し潰されるのは時間の問題。かといって、この能力もなしではゼロ相手に勝つ事もできないのは分かっている。
やはり、倒すしかないのか。殺すしかないのか。
死を意識すると手が震え出す。口が渇いて、呼吸が荒くなる。生き残りたいの一心でモビルスーツに乗ったけど、見知った相手を殺す覚悟までは決められていなかった。相手も必死なのだろう。追撃の手を止めることなく、二本のヒート・ナイフで攻め込んでくるので満足に休む事もできなかった。その一振りに死が付き纏っている。私が振るう一振りには死が宿っている。
どうして自分が戦わなきゃいけないのか。
死ぬのは嫌だった、殺されるのは嫌だった。
理不尽に死ぬのが許せなかった。
レイピアの切っ先で右手のヒート・ナイフを絡め取り、大きく弾き飛ばした。
仰け反り、胸元を大きく開いた隙だらけの敵機。小さく構え直したヒート・レイピアを一息の踏み込みと同時にコックピットのある位置を目掛けて──突き出せなかった。
「何やってんのよ!?」とカチュアの嘆きがコックピット内に木霊する。
迷いが生んだ硬直が致命的な隙を生んだ。敵機はヒート・ナイフを手放し、中途半端に差し出した右腕を両手で絡め取った。武術の関節を取る動きで俯せに叩き伏せられる。
コックピットのハッチを地面に押し付けた姿勢、もう逃げる事も不可能だ。
シート脇の足元で少女の呻き声が聞こえる。頭から血が流れていた。身体を固定されていなかった彼女は地面に叩き付けられた衝撃で何かに頭をぶつけてしまったようだった。私のせいだ。サアッと血の気が引くのを感じ取り、迷いを持つべきでなかったのだと歯を食い縛る。
しかし、もう逃れることはできない。
『……公国軍はニュータイプの研究に熱心なようだ』
通信機からゼロの声が聞こえてくる。
『俺達のような紛い物なんかよりも余程、価値があるんだろうな』
その声には妬みがあり、嫌悪も混じっているように感じられた。
『ソイツを手土産に投降する。そうすれば、俺達の待遇も良くなるだろうし、強化人間の治療法についても少しは考えてくれるかもしれない』
彼の嫌悪は、自分自身に対してのものだった。
私を仲間だと思ってくれている。彼女を妬む気持ちは本物だ。その二つを総括した上で、それでも自分の選択に心を痛めてなお振り絞る本心に、私の心が揺れるのを感じた。彼は自分の正義感を踏みにじってでも今の環境から抜け出したいと考えている。その想いを私は悪く思う事はない。彼女は研究施設を破壊し、施設に残った研究員を虱潰しに殺す様を見て、楽しんでいると批判した。だけど、私は彼の行動を当たり前だと思った。実際、それだけの仕打ちは受けている。
戦う為に作られたお人形、それが私。そうして私は力を得た。代償は余りにも大き過ぎた。
床で蹲る彼女に対する義理はなく、私の機体を拘束する彼には縁がある。
「私は……白馬の王子様を求めていた……」
本心から死にたかった訳ではない。
この辛い現実から抜け出したかっただけであり、そのひとつの手段が死であっただけの事だ。
だから、この現実から抜け出せるのなら、私は、例え、悪魔に魂を売ったとしても、
今よりも、ほんの少しだけ、平穏に、暮らせるのであれば、
もう、それだけで、私は…………
「ふざ……けんなッ!!」
床に蹲るだけだった少女が、声を荒げた。息を切らし、ゆっくりと持ち上げる。地面に足を付いて、立ち上がった彼女の顔にはベッタリと赤い血が付いている。
「私の故郷は焼かれたんだよッ!? 家族も、思い出の場所も! 全てッ! 空が落ちて来た、あの日に全てを奪い取られたんだッ!! 自分の要求が通らないからって癇癪を起こした宇宙人に地球に住む人間の何が分かるってのッ!? 地震の恐ろしさ、火山の恐ろしさ、津波の恐ろしさ。何もかもが失われるあの恐怖をジオンの連中は何も分かっちゃいないんだッ! 海面が高々10メートル上昇するだけで、どれだけの人が故郷を失うことになるのかなんてわかりゃしないんだッ!! そんな事も分からないから簡単にコロニーを落とす! あいつらはコロニー単位でしか物事を見れないから、地球の地表さえ残っていれば良いと考えてる! その築き上げてきた歴史の意味が分からないから、簡単に破壊することができるんだっ!! そんなことも分からない人間に相互理解なんかできるもんかッ! 私達の怨嗟の声も聴き入れられないような浅い想像力でしか物事を考えられない癖に、ニュータイプ論なんて掲げてんじゃないッ!!」
『……俺は! 俺は……ただ、人として…………!』
「人が人である事に誰かの許可が必要なもんかっ! 生まれた時に自分は人だと主張するってのっ!? 誰かの許しが必要ってんなら私が定義してあげるッ!! 人が人であることに大した理由なんて必要ないっ!! 自分以外の誰かの為に苦しみ、嘆き、悲しみ、喜び、共感して、時には恨む事もあって、憎み、妬みッ! 自分以外の誰かの為に想うことができる、その共感性の高さが人である証拠っ!!」
歩み寄りの一歩、と彼女が私と手を重ねる。
「相手の心に寄り添う為の勇気の一歩が、人が人である証じゃないッ!!」
冷めた心。何時しか熱を失っていた魂に、彼女の慟哭にポッと小さな火が灯るのを感じた。
『俺には……俺には記憶がない、故郷も忘れた。自分の名前すら分からない! 俺は……だから俺は、公国軍に寝返ろうとする俺は、人じゃないのか!? ただ辛いだけの現状を変えたいってだけじゃ駄目なのか!? 頭が痛い、くそぉ……俺は、俺はッ!!』
「自分でやったことに今更、泣き言を言ってんじゃないの! この人でなしっ!」
『オオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオッ!!!!』
関節を極められていた右腕が捻り上げられた。
腕の関節が悲鳴を上げる中、レーダーに機影が映る。
敵か、味方か。それは連邦軍の信号を発していた。
『チィッ……クソォ!』
ゼロは右腕から手を離し、そのままスラスターを吹かして何処かに消えてしまった。
その少し後に深い青色に塗装された角突きのモビルスーツが私達の傍に降り立ち、ゼロが消えた方を眺めるのだった。
◆
救援要請に駆け付けてみれば、既にモビルスーツ同士の戦闘は始まっていた。
連邦軍に配備されているモビルスーツはまだザニーとガンタンクのはず、他はまだ実戦に出たという話を聞いていない。そうなると公国軍同士で争っているのか。もう少しだけ近付いて画像に補正を掛けると両機共、ガンダムに似ている事が分かった。戦っているのは二機とも連邦製なのか? いや、それならば、戦っている理由が分からない。
「出撃しますよ」とガンダムに乗り込んでいたアムロに促されて、出撃を許可する。
その後でアムロからの報告で信号を出していたと思しき施設は既に破壊し尽くされており、生存者の見込みは薄いとの事が伝えられた。そんな状況下で助ける事が出来たのは、仔細不明のモビルスーツに乗っていた二人の幼い少女である。そう、二人の幼い少女なのだ。
今は急遽として用意させた一室にて、二人揃って椅子に座らせている。
赤髪と茶髪の少女。赤髪の方は頭に包帯を巻いており、用意させた菓子類を元気よく頬張っている。カチュア・リィスというようだ。もう一人の茶髪の少女の名はシス・ミットヴェル、今は大人しく椅子に座っている。ちなみにカチュアの年齢が12歳であり、シスが11歳。ムラサメ研究所の被検体であり、二人とも戦闘シミュレーターは経験済み。シスの方は実際にモビルスーツを動かす訓練もしていたとの事だ。
ひと通りの話を聞いた俺、ブライト・ノアは頭を抱える。
連邦軍は何を考えているんだ。同席していたミライもまた言葉を失っていた。
「それで、私達は、どうなるの?」
シスが渡されたコップの表面を見つめながら小さく呟いた。
難しい質問だった。正直、自分の手に負える範疇を超えている。だが既に事情を聞いた今、二人を研究所に戻すような目には合わせられない。かといって自分の手元に置いておくには自分は余りにも無力であった。実績もなければ地位もない若造だからだ。匿うにしても見つかった時のリスクが高い。それに信頼できる連邦軍の誰かに預ける事ができれば、それが一番安全だ。
特に硬派な軍人で知られるレビル将軍であれば、どうにかしてくれるかも知れない。
「……ところで研究所にはスパイが居たんだけどさ~」
カチュアが牛乳にクッキーを浸しながらおもむろに口を開いた。
「狂信的な信奉者だったよ。たぶん、軍の偉い人」
「……軍も関わっているというのか?」
「それにドイツにも似た施設があるって話を聞いたこともあるよ」
彼女はクッキーの先を咥えて、パキッと小気味よい音を立てた。
自分とは目を合わせようとはせず、クッキーを咀嚼した後に素っ気なく続ける。
「あまり仲が良い感じがしなかったから対立関係にあったのかも知れないね」
「……どうしてそんなことまでわかるんだ?」
断定する物言いではなかったが、まるで確信してるかのような声振りだったのでつい問い掛けてしまった。
すると彼女はにんまりと笑みを浮かべて「エスパーですから」と答える。
「ニュータイプって知ってる?」
「にゅうたいぷ?」
「勉強不足なんだね。平たくいえば、超能力者よ。相手の感情とか分かっちゃう訳」
「そんな、まさか」
「やっぱり信じないよね。それじゃあ見せてあげる」
そういって彼女は小さく拳を振ってみせる。
「じゃんけん。勝負の前にひとつ質問させてくれれば、全勝してあげれるけど?」
ミライと見つめ合った後、その勝負に応じることにした。
そして数分後、ムラサメ研究所で行われていた研究内容を思い知ることになる。
十回やって全敗、ミライも同じく全敗していた。
信じられないものを見せられた気がする、今でも本能に根付いた常識が事実を拒絶する。
しかし信じざる得ないことだけは分かった。
カチュアは牛乳を飲み終えた後で、ゆっくりと口を開いた。
「このまま私達を匿ってくれるなら私達を実戦で使って欲しいの」
これからの話。しかし、俺は首を横に振る。
「……使える訳ないだろう」
「いいや、使ってくれないと困るのよ。だって、ほら」
彼女は、困ったようにはにかんでみせた。
「研究所の連中に引き渡しを要求された時、実戦での実績がないと反対する口実が作れないんでしょ?」
少尉さん。と最後に付け加えられた言葉には、重みが込められていた。
確かに俺には、上官からの命令に反対できるだけの実績もなければ、地位も権限もない。
実戦データでも送れば納得するでしょ。と提案する彼女に憐憫の眼差しを向ける
俺は、果たして何の為に戦っているのだ?
その問いの空虚感に天井を眺める。
「使ってくれないなら艦から降ろして欲しいな。勿論、モビルスーツは置いてくよ」
天井には染みができていた。
◆
極東方面の公国軍に対する敵愾心は想像以上に強かった。
特に東南アジアには、オーストラリアに落ちたコロニーの光景を目の当たりにした人間が多く、その津波の影響で海岸線にあった都市群は全て流されてしまった。その影響もあって公国軍に抱いた憎悪も人一倍、此処には連邦軍が所有する主要な軍事拠点がないにも関わらず抵抗は激しいものとなっている。
おかげで侵攻は遅々として進まず、他の戦線と比較して遅れを取ってしまっていた。
「宇宙ではゲリラ戦で名を馳せた儂が、地上では敵のゲリラ戦で苦しめられる事になるとはな」
此処は香港と呼ばれる都市に簡易的に築き上げた軍事施設、書類の積み重ねられた執務室の椅子に腰を下ろす。
この都市の宇宙港に届けられる資源を集積し、アジア方面軍の各部隊に物資が送られている。命綱とも呼べる重要拠点であるが故に、必然的に戦力が集められる事になる。そうして力が収束されていった結果、アジア方面軍の司令部の役割まで担うようになっていった。
情報の詰め込まれた書類の束を目に通し、決裁が必要な書類に関しては判子を押していった。
何処も彼処もゲリラの被害を受け続けている。しかし一歩ずつ、確実に歩みを進めた結果。漸くインドまで敵を押し込む事ができた。やはりオーストラリアで駐屯軍をやっていたヴィッシュ・ドナヒュー中尉を前線に引き抜いたのが正解だったな、と自画自賛する。敵将のコジマ中佐には散々、煮え湯を飲まされてきたがヴィッシュ中尉が来てからは安定して侵攻できている。
この調子ならクリスマスまでにはインド攻略を終えられそうだ。
「大佐、日本の北海道基地から通信が入っています」
地球まで付いて来てくれたハモンが淹れてくれた珈琲を啜っていると腹心のクランプ中尉から報告を受ける。
「通せ」と映像通信を起動すると北海道に赴任しているはずの男とは、まったく別の若者が映像に映った。その者が着用しているものがパイロットスーツであり、それが連邦製のものであることを見抜いて警戒心を高める。
「……誰だ?」
「もう繋がっているみたいだな」
アッシュグリーンの髪をした男は名乗りもせず「いきなりで悪いが頼みがある」と単刀直入に訴えてきた。
「俺が持っているムラサメ研究所のデータから強化人間の治療法を研究して欲しい」
ただとは言わない、と彼は告げる。
「そのムラサメ研究所から奪ったブラックライダーと引き換えだ。悪い話ではないはずだ!」
頼む、と頭を下げる彼に対して儂は顎を撫でる。
何かしらの事情がある事は分かる。
だが交渉を始める前に一言、言っておいてやらねばなるまい。
「……先ずは名乗れ」
「は?」
「相手の素性も知らずして、どうして話を聞き入れる事ができる」
厄介事に巻き込まれた予感がありつつも、何もなしに見放すのは後味が悪かった。
ゼロ・ムラサメ。と名乗る彼に先ず、問い掛ける。
「公国軍に手は出したか?」
「無力化はした。少なからずの被害は出してしまったが殺した者は一人もいないはずだ」
「そうか……ふむ……」
とりあえず話を聞き出す必要はあるだろう。
珈琲を啜り、会話を交える。
そして北海道基地の者に彼を早急に香港まで来させるように指示を出した。
厄介だと思った話は、とんだ厄ネタだった。