マ・クベ大佐の一日は、軍用の不味いインスタント珈琲を啜る事から始まる。
珈琲を片手に電子機器をタップし、昨夜に提出された日報に目を通す。目新しさのない当たり障りのない内容に溜息を零した後、本日の予定を再確認した。本来、マ大佐が担っているのはオデッサ周辺にある鉱山の管理であり、採掘から精錬、輸送までもを一手に担っている。これだけでも一大プロジェクトなのだが、気付いた時には欧州方面軍の司令官にもなっていた為、軍隊の管理もしなくてはならなかった。
今、手元にある事業だけでも手一杯の身の上、そんなものは他のものに丸投げしてやりたかったのだが、彼の指揮下にある者は軍略を知らぬ馬鹿ばかりである。自らを地球攻撃軍の司令官であるガルマ指揮下と自称するロンメル中佐は、相手にするのが面倒なのでスエズ運河を防衛させる為にアフリカ大陸に送り込んだ。西暦時代から砂漠化の進んでいた土地である。宇宙世紀に入ってからは更に砂漠化は進んでおり、多少の油田があれども、多大な戦力を投じてまで欲しいとは思わない土地であった──というよりも、占領したところで維持コストが高すぎるのだ。連邦軍も同じ考えを持っていたようであり、一年戦争初期より、パナマ運河とスエズ運河の防衛を最優先としていた。スエズ運河を落とした今は、パナマ運河に戦力を集めている。
その事を口酸っぱく言っていたにも関わらず「相手の防備が薄かったから」という理由でロンメル中佐は勝手に攻め込んでしまった。勝利したのなら戦果は最大限まで広めるべし、と無作為に占領地を拡大した後で「物資が尽きたので補給を頂きたい」と厚顔無恥に言って来やがった。死ね、と思った。銃殺刑にしてやろうか、とマ大佐は本気で思った。占領したからには放っておく訳にもいかなかった為、現地民の為に十分な食料と攻勢に出られないように必要最低限の物資を送ってやった。「マ大佐には現場の事が分からないようだ!」と宣っているらしい。もし仮に公国軍が敗北した時、宇宙に帰る事になっても此奴だけは地上に置いて行ってやろうとマ大佐は密かに決意した。
負担だけが増大した結果。インド攻略の為の物資が尽きた為、ラル大佐に頭を下げる羽目となる。
ロンメル中佐の功績は独断専行と相殺し、昇降なしとした。ロンメル中佐は不満たっぷりのようだ。彼も陣頭指揮を執らせる分には優秀だったのだ。しかし叩き上げは知性に欠けている者が多い。ラル大佐も叩き上げの軍人だが一度、没落しただけで彼もエリートである。士官学校を出てもいない連中に知性を求めるのが間違いだったのかも知れない……いや、その卒業生も大概、使えない人間が多かった気がする。特にガルマ坊ちゃんの同期である暁の蜂起のメンバーは先ず、性根を叩き直すところから始まったと聞いている。士官学校で学ぶべきことを現場で学ばせるのは、流石に効率が悪い気がする。しかし、ないものはない。与えられたものを使っていくしかない。使えない者を使えるようにするのが教育者の務め、使えない者をどうにか使うのが上役の務めなのだ。
人材が豊富な北米方面軍が羨ましくて仕方ない。
閑話休題、
公国軍には優れた将兵は居ても軍を率いる帥に欠けている。
特にキシリア派閥は顕著であり、謙虚で控えめに五体投地で全体を見渡しても自分よりも組織を運営する能力に長けた者はいなかった。欧州戦線を支えるユーリ・ケラーネ少将は、見た目からして反りが合わないし、他に候補を探すとして、傭兵上がりのガイア大尉が最有力なのが酷いものである。居ないものは仕方ない。しかし、副官がウラガン中尉だけでは手が回らない。
ということでキシリア少将に頼んで、副官を送って貰う事にした。
「オーッホッホッホッ! 司令、アタ……このワタクシめが珈琲を持参致しましたわ」
そうして来たのが彼女である。
彼女の片手に乗せられた銀盆には、彼女が淹れた珈琲が乗せられていた。
それを一瞥し、私は自分で淹れた珈琲を掲げてみせる。
「もう自分の分は用意してある。それは君が飲み干し給え」
「あら? あらあら? これはワタクシとした事が……では、お言葉に甘えて……にっっっがッ!!」
「君のは少し、刺激が強すぎるからな」
気合で飲み干す部下を余所に、自前の不味い珈琲を啜る。
彼女の名はフローレンス・キリシマ。階級は准尉。ジオン公国にある貴族のひとつ、キリシマ家の御令嬢である彼女は半ば、勘当される形で軍に送り込まれた。理由は言わずもがな、その性格にある。政略結婚の駒にする為に花嫁修業を受けていた彼女は、家庭教師が匙を投げだす破天荒っぷりで御両親から彼女の嫁入りを諦められたのである。ただ性格が悪いだけであれば、まだ良かった。矯正するだけで済むからだ、しかし彼女は至って真面目に花嫁修行を受けた身でこれなのだ。救いがない。奇天烈な言葉遣いも、その時の影響が残っているせいだと推測できる。
口の端から零れる珈琲を上品に拭い取る彼女を見て「報告を」と伝える。
「ええ、それでは……欧州方面は特に目立った記録はありませんわ。アフリカからは相変わらず補給物資の要請がありましたが、ゴミ箱に捨てておきましたわ。これ以上、勝手をされては敵いませんとも♪ インドは停滞が続いていますわね……ああ、それと北米の方で動きがあったようですわ。連邦軍によるニューヤーク襲撃、占領されてしまったようですわね。今は防衛線の再構築に励んでいるところですわ」
「ふむ、北米に関しては逐一、報告を入れてくれ」
「アイアイサー! ……で、ございますわ♪」
彼女は、にっこりと微笑んでみせる。
こう見えて、意外と仕事が出来るのだ。キシリア少将が率いる突撃機動隊は基本、成果主義だ。これを実力主義と呼べば聞こえも良いが、成果を重要視する余り、功績を過大に持ち上げて、失態を隠す輩ばかり増えてしまうのは困りものだ。いや、それだけならまだ良いのだ。問題なのは、他者を貶める者まで増え続けている。
そんな中で彼女は珍しくも裏表のない性格をしているのだ。ちゃんと事実を事実通りに報告をしてくれるだけで、キシリア派閥においては逸材である。
マ大佐は頭を抱えたくなる想いを不味い珈琲で流し込んだ。
「それからエルランから報告がひとつ、入っています」
エルランというのは戦前からジオン公国と伝手を持っていた連邦軍将校のことだ。
階級は中将、まだ公国が建国すらしていなかった時期。若き頃の彼はジオン・ズム・ダイクンの提唱するコントリズムに批判的な意見を持っていた。しかし他のサイドが地球に依存する中でダイクンがサイド3にて経済的政治的な自立を果たし、コントリズムを達成した事を機に彼の意識は宇宙へと向けられるようになった。
これから先、人類の生存圏は地球から宇宙に移り変わっていく事になる。
彼の自意識は未だに連邦軍士官、しかし連邦政府の地球依存の姿勢には嫌気が差してもいた。遠くない未来、子供達の為にも宇宙移民計画は推し進める必要がある。その為には、今のままでは駄目なのだ。地球連邦は一度、痛い目を見る必要があった。
そもそもの話、地球連邦が国体を持っている事がおかしいのだ。
今の政治に任せていれば、遠くない未来。地球は枯渇する。コロニーの存続には、まだ地球の資源が必要なのだ。今なら、まだ間に合う。今の時代だからこそ、地球移民を完遂する為の機構としての役割に立ち返る必要がある。
故にエルランは公国軍の手を借りる事にしたのだ。
「ま、祖国の裏切り者には違いないがね」
「なにか?」
「いや、続けてくれ給え」
はっ! とキリシマが威勢よく声を発する。
「レビルが欧州に入ったとのことですわ」
「ほう、遂にモグラが顔を出したか」
それはオデッサで大規模な作戦が開始される事を予言していた。
今の内から防備を固めておかなくてはならない。手持ちのエース部隊はサザンクロス隊の他にブラウアー隊。そしてロンメル部隊だ。ロンメルは別に呼び戻さなくても良いな、と考え直す。手前の好嫌で部隊を選り好みをする趣味はないが、アレは別だ。戦争は規律あってするものだ、信念ではない。規律なくては戦争は戦争でなくなるのだ。
それにしても連邦軍の胡散臭い動き。マ大佐は少し考えた後、キシリア少将に救援を要請する事を決める。
ニューヤークが陥落したという話も聞いている。事の詳細はまだ分かっていないが、しかし、ガルマ少将が重要拠点のひとつを易々と渡してしまったことが気になっている。北米方面軍に支援の要請……は無理か、アジア方面軍もインドで手一杯のようだ。ほんっと、ロンメルのクソめ。挟撃でインドを手早く落とす手もあったものの……。
あれやこれやと色々考え込んでいると数度のノックの後、ウラガンが部屋に入って来た。
「どうした?」
「はっ! チベット基地でビームライフルの開発の目途が立ったとの事です」
「ふむ、それで?」
「第二期主力モビルスーツ開発計画の項目で新たに、ビーム兵器を携行可能なモビルスーツ。というのが組み込まれました」
「……開発途中にあるギャンが完成前に型落ちしてしまうな」
あれは良いモビルスーツだったのだがな、とマ大佐が独り言ちる。
「この調子ではぺズン計画も大きな見直しが必要になるだろうな」
「はッ! ……ペズン、計画?」
「いいや、忘れてくれ。地上にいる我々には関係のない事だ」
珈琲が空になったのを確認し、ウラガン、と空になったコップを見せる。
ワタクシが、とキリシマ准尉が立候補したので「ウラガン!」と今度は強めに彼の名を呼んだ。
コップを受け取ったウラガンをキリシマが不満げに頬を膨らませる。
「……それにしても、勿体ありませんわね」
「何がだ?」
「ギャンのことですわ。あんな良い機体が日の目も浴びないなんて……」
「ふむ」
地上で改修する為に試作型の一機が地上に送られている。
彼女が勿体ないという意味とは少し違うだろうが、確かにこのまま倉庫で埃を被らせるのも勿体ない。
キリシマ准尉は副官であると同時にマ大佐の身辺を守る親衛隊でもあった。その為、彼女には、いざという時の為に彼女用のモビルスーツが与えられている。ザクⅡである、連邦軍の新型機の情報を聞くに少々心許ない機体だ。
自分の隣に控える彼女に高性能なモビルスーツは必要ないと考えていたが、前に出しても整備に困るというのであれば……
「なら、貴様が乗ってみるか?」
「……はい?」
「私が自ら戦う日が来るとなればもう、その時は公国に未来がない時だ」
小難しい言い回しにキリシマ准尉は小首を傾げた後、自分に新型機が回されると気付いた。そして「おっしゃあ!」と野太い声と共に拳を前に突き出すガッツポーズを決めてみせる。どうせ使う機会はないのだ。これでやる気を出してくれるのであれば、安いものだ。とウラガンが珈琲を淹れるまでの間、手元にある壺を指先で弾いて気を紛らわせる。
これは天王山、もしくは関ヶ原になるな。と来たる対決に物憂げな溜息を零す。
どうせなら自分も彼女くらい単純に生きたいものだ。
尤も、状況がそれを許してはくれないが。
これでも軍人を目指した身の上、男らしく戦いたくもあるのだ。
周りが馬鹿ばかりなので、それができないだけである。