蝉の声が閉め切った窓からも侵入しており、陽炎の様に歪む景色も相まって家の外の気温の高さが窺える。
庭の垣根の隙間から見える通行人の汗まみれな表情が、まるで別の世界の住人の様に思えた。
あぁ……エアコン、便利だわぁ。科学って素晴らしい。
あまり裕福では無いらしい我が家としては珍しいことに、今日はエアコンが解禁となっていた。
あまりの暑さにお母さんが音をあげて、エアコンの効いた涼しい寝室で昼寝を取っている。
自分だけ使うなんてずるい! という私達姉妹二人の駄々捏ねを受け、渋々と言った感じではあったが居間のエアコン使用の許可が降りた。
まぁ何が言いたいかと言うと、久しぶりに私達二人だけの時間がゆっくり取れるのである。
前世トーク---他人には聞かせられないような話を便宜上私達はこう読んでいる---には持ってこいだ。
折角なので、私達は昨日中断してしまった霊力講座の続きを行っていた。
「えぇー……何それ。全然分かんない」
「だからぁー、これを、こうして……こうよ」
床に両手を着いて項垂れる様な姿勢で顔だけこちらに向けるレミリアに向けて、極々弱い霊力弾を撃ってみせた。
しかしその霊力弾はレミリアの顔に当たる手前で力尽きた様に萎んでいき消えて無くなる。
極々弱い、というのは何も力を抑えたという訳ではない。流石に全力という事はないが、七割程の力を込めて撃ったのにコレである。妖怪退治には使い物にならないな。
「いや、だから! その霊力を手に収束させるのと、手から放つ方法が分からないって言ってるのよ!」
苛立ちを隠そうともせずに私の説明不足に文句を飛ばしてくる。ついでに唾も飛んでくる。汚いわねこいつ。
折角教えてやってるというのに何だその態度は。夢想封印してやろうかしら……出来ないけど。
「あんた前世で魔力弾とかバカスカ撃ちまくってたじゃない。あんな感じでいいのよ」
「魔力とは全然勝手が違うのよ。そもそも自分の中にある霊力の感覚も上手く掴めてないし」
思わず、はぁ? と声が漏れた。
私は自身の霊力を自覚すると同時に、前世と同じように殆ど違和感も無く扱うことが出来たので、てっきりレミリアもある程度は扱える物かと思っていた。
呆れた様な、驚いた様な複雑な表情を自覚しながらレミリアに細めた視線を飛ばす。
「何よ、まだそんな段階なの」
「……悪かったわね」
親に不出来を咎められた子供の様にそっぽを向いて不貞腐れるレミリア。
別に攻めてる訳ではないのだが、窘めるのも面倒臭い。
「ならどうすれば良いのよ」
「どうしようかしらね」
口をへの字に曲げたレミリアの視線から逃げる様に目を逸らす。
本当にどうしようか。
何度も言うが私は今まで全て何と無くでやってきたのだ。加えて人に物を教えた経験など無い。
どうしよう、適当な事言って誤魔化すしかないか。レミリアだって馬鹿じゃないし、自分で勝手に修得してくれるでしょう。
「んー、そうね。なら、意識して自然体で居られるように練習しましょうか。感覚掴むにはそれが一番手っ取り早いわ」
「意識して自然体……?」
「自然体である事が最も力の消費が少なく済むのよ。初心者が下手な事をすれば無駄に霊力を消費してすぐ枯渇するわ。
霊力が無くなると、流石に死ぬって事はないけど抵抗力が弱まって病気に罹りやすくなったりするし」
おぉ、口が回る回る。
面倒臭くなったので適当な事を言ってるだけなのだが、なんだかそれっぽい説得力がある気がする。うん。流石私。
「人間って不便ねぇ」
レミリアが哀れむように細めた目を此方に向けてきた。
格下の生物を蔑むかの様なその所作は、吸血鬼である前世の姿を彷彿とさせる。
「今はあんたもその人間なんだからね。よく自覚しときなさいよ。無茶するとあっさり死んじゃうのが人間なんだから」
「分かってるわよ。忠告、素直に受け止めておくわ。
……それより、"意識して自然体でいる"って具体的にどういうことなのよ」
「そうねぇ……どう説明すればいいのかしら」
人差し指を顎に当てて天井を見上げながら考え込む。
最近どうも癖になっているこの動作だが、考えてみればコレはお母さんがよくやる仕草だ。無意識に真似していたのだろうか。やっぱり幼児なんだなぁ。
「……じゃあ、まず深呼吸してみて」
「はぁ? 何でよ」
良いから、と言ってレミリアに深呼吸を促す。
前から思っていたのだが、こいつは理屈や理由なんかをキチンと説明しないと納得しないタイプだ。大抵の事は"何と無く"で済ませてきた私とは、あまり相性が良いとは言えない様である。
そんな事を考えていると、レミリアの深呼吸が三回目に入ったので私は掌を向けた。
「ん、もう良いわ。じゃあ次は"普段通りに"呼吸してみて」
これに一体何の意味があるんだ、とでも言いたげなレミリアだが、文句も言わずに素直に従ってくれた。
「普段通りね。……あ、あれ?」
普段通りに、と指示を出したにも関わらず、レミリアは小さく深呼吸を繰り返す。
しかしそれを咎めたりはしない。何しろそうなるのが狙いだったのだ。
「……あぁ、成る程そういうことね」
「理解が速くて助かるわ。意識し出しちゃうと、自然体って分からなくなるでしょ? 霊力も同じよ」
「私っていつもどうやって呼吸してたっけ?」等と考えてしまい、不自然な呼吸になる、というのは誰しも経験があると思う。
私の話を聞いているのかいないのか、レミリアは未だ「すぅーはぁーすぅーはぁー」と呼吸音を鳴らしている。
「いや、それはもう良いから。
じゃあ次は霊力の方に意識を向けてみましょうか」
やっと本番ね。とレミリアが顔を綻ばせたが、その嬉しそうな表情は眉根を寄せる事によってすぐさま消え去った。
「それがよく解らないのよねぇ……。前世では、勝手に魔力が溢れてきてたからそれを無造作に解き放ってただけだし」
「魔力に関しては私は専門外だからよく分からないけど。
……そうね、生命力の源みたいなのが全身を巡ってるのをイメージして頂戴。
その流れを掴むように、心の奥底を探るように……力の流れを感じ取ってみて」
私が言い終えるよりも前に、レミリアは目を瞑り胸に手を当てて意識を集中させていた。最後まで聞けよ。
まぁいいか。どうせ長くなるだろうしお茶でも淹れて来ようかな。
「ん……何か見えてきたわ」
えぇー……速過ぎよ。
内心文句を垂れながら浮かせ始めていた腰を下ろした。
お茶くらいゆっくり淹れさせてよ。優秀過ぎるのも考え物だわ。
「なんだか、血液……みたいね。全身を巡る、というよりも循環? してるみたいな。魔力とは随分と感触が違うのね」
前世で似たような力を使っていたという事もあってか、その成長は私が思っていたよりもかなり速い物だった。
直感で出来なければ修得にはかなり時間が掛かると思っていたのが正直な所である。
吸血鬼なんて生まれ持った力を無造作に振るうだけの存在かと思っていたが、こんな繊細な芸当もこなすことが出来たのか。
「よし、じゃあその感覚をよく覚えておいてね。
……そのまま動かずにじっとしてなさいよ」
右手に意識を集中させ、掌に霊力を纏わせる。光る手袋をしているかの様に右掌が青白く淡い光を発した。
それをそのままレミリアのお腹の辺りに近づけた。すると、レミリアの霊力が僅かに膨れ上がり、彼女の全身を包み込む様に透明な膜が出来た。
「おぉー……」
「これが、昨日言ってた霊力の膜ね。私の霊力に反応して体が勝手に自分の身を護ろうとしてるわ」
私は一旦右手を引っ込め、ふぅと息を吐いて額の汗を拭う。
まさか上手く行くとは思わなかった。完全にぶっつけ本番だったので、どうせ失敗するだろうくらいの軽い気持ちだったのだが。
レミリアは、腕を振ってみたり手を閉じたり開いたりしながら、へぇーとかほぉーとか間の抜けた声を出していた。
「うーん……これ、自分の意思で出したり引っ込めたりは出来ないのかしら。霊夢の手が遠のいたら弱くなってきたし、このままだと勝手に消えちゃいそうなんだけど」
あんなにあっさり霊力の波を捉えた癖にその程度のことが出来ないのか。
そのアンバランスさは元吸血鬼故なのだろうか。
「要は安定させれば良いのよね?
じゃ、ちょっと荒技だけど……絶対に動いちゃダメよ?」
もう一度掌を翳し、さっきよりも更にレミリアに近付けた。
霊力同士が触れ合い、独特の音を立てながら火花を散らせる。
二秒程そのままで居ると、私の手が押し返される様な感覚を覚えた。レミリアの霊力膜が少しばかり膨らんできている。
「ねぇ、コレ大丈夫なの……? なんかカリカリ言ってるけど」
「あんたも見たことあるでしょう? 所謂グレイズって奴よ。
……うん、もう良いかな」
霊力膜が安定して来たのを見て、私は手を引き戻した。
私は今まで適当に生きてきて、全てが何とかなってきたのだ。ならば人に物を教える際も適当にすれば何とかなる。という私の直感は当たったようだ。
「今度は勝手に消えたりもしないようね。順調順調」
「それは良いんだけど、今度は引っ込められないんだけれど……なんか疲れて来たし」
レミリアの顔には玉の様な汗がポツポツと滲み出ており、その疲労具合が窺える。かくいう私も涼しい顔をしているが、実は結構披露困憊だったりする。
幼い体で無理をするもんじゃないわね。
「体の外側に霊力を走らせてるのが今の状態ね。それを内側に引き込む様に……さっきの"自然体"を意識して頂戴」
またもや私の言葉が終わる前に意識を集中させ始めたレミリア。
人の話は最後までちゃんと聞くべきでしょうよ。他人をとやかく言えないのは自覚してるけど。
「うーん……膨れ上がった霊力を抑え込むのが難しいわね」
何て事を言いながらもしっかり霊力を自然な流れに持って行く事に成功させている辺り、流石である。
上手く行って何よりだ。私の指導の賜物ね。
ふぅーとレミリアは大きく息を吐くと、全身から力を抜いた。
「吸血鬼だった頃はこんな面倒な事したことなかったのに…煩わしいわね」
レミリアが足を投げ出して腕を後ろに持って行き、もたれ掛かるように上半身を反らせて体重を腕に預けた。
私もそれを見習ってダラけたポーズを取る。
「人間は元々弱い存在だからね。そうやって修行して力を付けて、漸く妖怪と渡り合える様になるのよ」
私は修行なんて殆どした事は無いが、それは敢えて黙っておく。
「意識して自然体で居ることの難しさが理解出来たわ……。見てよこの汗」
右腕を持ち上げてこちらに向けてきた。そんな物見たくもないからしまいなさい。
「でもまぁ、コツは掴めたから練習すれば何とかなるわね。
これは空を飛べる日も近いかもねぇ……」
言って、流す様な目でこちらを見やる。目は口程に物を言うなんて言葉もあるが、目よりもニヤニヤとした口元の方がレミリアの心情をぶつけて来る様だった。
"空を飛ぶ程度の能力"を持つ私よりも先に空を飛んでやろうとでも考えているのだろう。
確かにそんな事になれば私の面目は丸潰れである。私も少しは練習しようかしら。
「霊力が扱えるなら、少しは希望が見えてきたわね」
ついには床にゴロンと寝っ転がるレミリア。背中痛くないのだろうか。
「希望って何のよ」
「決まってるじゃない。幻想郷に帰ることが出来るかもしれないってことよ」
喜色満面といった表情で話すレミリアを見て、私は少しばかり胸が痛んだ。
---あぁ。そういえば、話していなかったな。
「この外の世界にもまだ妖(あやかし)や神霊なんかも残ってるかもしれない。そいつらが幻想入りする際に相乗りだって出来るかもしれないし、私達自身が幻想入りする事だって可能かもしれない。
幻想郷に帰りさえすれば、吸血鬼に、前世の姿に戻る方法だって見つかるかもしれないわ。
それにあなただってもう一度博麗の巫女として---」
「レミリア」
嬉しそうに話すレミリアの言葉を遮る為に、私は彼女の名前を呼んだ。
私の気持ちを正直に話せば、彼女を落胆させてしまうだろう。
それでも、話さないわけにはいかない。
今後の為にも立ち位置は明確にしておくべきだ。
怪訝そうに此方を見るレミリアに向けて、
「私は、幻想郷に帰るつもりはないわ」
はっきりと自分の意思を告げた。
レミリアは目を見開き、信じられないといった表情で起き上がった。
何かを言おうとして口を開き、しかし何も言葉は出てこない。
対して私もレミリアの言葉を待つように何も言わない。
数秒の沈黙の後、レミリアが言葉を選ぶようにゆっくりと口を開いた。
「……それはまた、どうして?」
その言葉の裏にこちらの意見を尊重しようという意思が見え、私は密かに感謝した。
感情のままに掴みかかってこられても文句は言えないと覚悟していたのだが、私が思っていたよりもレミリアは理性的だったようだ。
ありがたい。ならば私も変に取り繕おうとせず、素直な気持ちを話そう。
「なんだかんだで、今の生活を気に入っているからよ。
それに、今のお母さんにも少なからず感謝もしてるし愛情だってあるわ。
彼女を見捨てて私だけ幻想郷に行こうだなんて事は考えられないわよ」
私達二人が突如として行方不明にでもなったら、あの人はどんな気分になるだろうか。
私達を産んで、愛情を注いで貰い、ここまで育ててくれたあの人の、悲しむ姿など想像もしたくない。
それとも、幻想入りするに随って私達の記憶を失うのだろうか。
幻想郷は、忘れ去られた存在の楽園だ。そうなる可能性は高い。
知らぬ間に子供を喪い、原因の分からない喪失感に苛まれるのだろう。
それはきっと、何よりも残酷なことだ。
「博麗霊夢としての人生に、未練は無いの?」
「無いと言えば嘘になるけどね。理を捻じ曲げてまで前世である"博麗霊夢"に返り咲こうとは思わないわ」
魔理沙や他の皆に二度と会えないというのは、勿論寂しいものがある。
こっちの人生を気に入ってる様に、前世での博麗の巫女としての人生だって勿論気に入っていたのだ。
人妖入り乱れる幻想郷。懐かしいなぁ。
「今の事態が誰かの姦計だとしたら? 報復……いえ、この"異変"を起こした何物かを退治しようとは考えないのかしら?」
「そりゃあ確かに腹は立つけどね。不覚を取った私が悪いのよ」
淡々と、飽くまで淡々と。
感情を込めてしまうと決心が揺らぎそうになるから。
---いつから私はこんなにも弱くなってしまったのだろうか。
博麗霊夢だった頃は、こんな気持ちになったことなど無かったというのに。
「……それは博麗の巫女としての言葉か? 今の◼︎◼︎霊夢としての言葉か?」
立ち上がり、見下ろしながら睨みつける様に目を細めてくる。
言葉使いこそ鋭い物となっているが、その声は微かに震えていた。
「どっちも私よ。私の言葉よ。肩書きは関係ないわ」
努めて淡白に、感情に左右されないように平坦な言葉を放つ。
一拍置いて、もう一度ハッキリと告げる。
「もう一度言うわ。私は、幻想郷に帰るつもりはない」
「---っ」
そんな私の言葉を受け、レミリアは苦々しげに下唇を噛んだ。
首を捻って私から視線を逸らす。
レミリアの肩が震えているのに気が付き、彼女の顔を見ないように視線を下に落とした。
「……か弱い存在になったから、異変を起こした妖怪を放っておくのか。
力を失ったから諦めるのか。
博麗の巫女は、その程度の存在なのか」
私を責める為に紡がれたであろうその言葉は、吐き出す様な、ともすれば泣き出しそうな、レミリアの心情を如実に表していた。
「……博麗の巫女としての、誇りはないのか」
問い詰めるようでありながら、縋るような言葉。
「私は一度、死んだのよ。理を捻じ曲げてまで、博麗霊夢に返り咲くつもりはない。それこそが博麗の巫女としての私の最後の矜恃よ」
レミリアは脱力したように項垂れ、
「そうか」とだけ短く言うと私のすぐ傍に腰を下ろした。
「私は、帰るぞ。何としてもな」
「そう」
私達の言葉はそこで途切れた。
それっきり口を開くこともなく、お互いの体温を感じながら二人で座りこんでいた。