化け狐がキヴォトスで先生になるようです 作:ヘルゴーレム白雉
人気のない街を、一人の男が歩いていた。
この世の生き物としてはあまりに整いすぎている顔立ち。正面を見据える精悍な目つきから放たれるは、撃ち抜くような鋭い視線。すらりとした長身に落ち着いた色合いのコートを纏い悠々と足を進める彼の存在感は、そこらにいる一般人とは一線を画していた。大通りの左右に所狭しと並ぶ建物に掲げられた夥しい数のネオンサインや電飾も、今が真っ昼間だからというより、彼が持つ強大なオーラに圧倒されているが故に、その光を消しているように見える。
威風堂々、唯我独尊、豪華絢爛──それらの言葉を具現化してひとまとめにしたような、そんな男だった。
頭上から響く聞き慣れない人物の声で起きると、革張りのソファの上にいた。初めに視界に入ったのは、声の主と思しき眼鏡を掛けた長い黒髪の女性。
『連邦生徒会幹部』を名乗る彼女から色々と状況説明をしてもらったものの、結局それは新たな謎を呼ぶだけであった。
確実に理解できたことは一つだけ。
どうやらこの世界で、自分は『先生』という身分らしい。
何故かこの世界の人間は頭頂に光輪を浮かべた女性しか見当たらず、他の住人は皆動物やらロボットやら、少なくとも人間の容姿をしている者はいない。彼女たちは誰もが仮面ライダー並に頑丈な体を持っており、弾が当たったくらいでは大した傷を負わないようだ。
それゆえ悪口のような気軽さで弾丸が飛び交い、大人数での銃撃戦は日常茶飯事。自販機にはジュースの下に武器が並び、手榴弾の一つや二つは園児ですら持っている。都会の大通りを巨大な戦車が我が物顔で通り過ぎていくのも至極当たり前の光景のようで、誰一人として驚く様子はない。
(ぶっ飛んでんな、この世界は)
歴史に聡く、過去の様々な時代を知る英寿も、思わずそう呟くのだった。
さて、そんな彼は未だこの奇妙な世界のぶっ飛びように唖然としているかといえばそうではなく、早くも『先生』として行動を開始していた。ただでさえ人生をかけて大きな問いの答えを──己の存在の意味を求めている彼に、立ち止まっている暇はなかった。ここは謎で満ち溢れているが、それは大いなる新たな手掛かりを秘めているということでもある。
まず第一目標は、IDコア──と、できればドライバーとバックル──の捜索。
起きた時には、身につけていたはずのそれらは忽然と消えてしまっていたのだった。所持していたバックルも全部無くなっていた。手元にあったのは、幼少からの付き合いであるガイウス・ユリウス・カエサルの横顔が彫られたコインだけであった。
彼が真っ先に自身のIDを探したのには、明確な理由がある。
IDコアは持ち主のあらゆる経験を記録している。ならば触れることで、この世界に転移する間の出来事を思い出せるかもしれないのだ。元の世界に帰る、という目下の目標に大きく近づける。
というわけで。
手がかりの調査も兼ねて、初めての仕事先である『アビドス高等学校』の自治区に、彼は足を踏み入れてみたわけだが。
「……」
無い。
全く人の気配が無い。その割に周辺はコンクリート造りの高い建物がずらりと立ち並び、いかにもな都会の光景が広がっているのが、よりいっそう不気味さを醸し出していた。心なしか空は少し暗くなり、空気も濁っている。
──砂か。
靴越しに感じるザラザラとした感触の正体を、英寿はそう直感した。
アビドス自治区はキヴォトスの砂漠地帯にあり、近頃は激しい気候変動で砂嵐が頻発しているのだという。おそらく空気を汚し、歩道にうっすらと積もっているこの砂も、郊外の砂漠から飛んできたのだろう。
死にかけの街。
英寿は少しだけ険しい表情を浮かべた。
そんな印象を受けるこの景色に、彼は見覚えがある。
どころか、何度だって見てきた。嫌というほど見せられてきたのだ。
『
突如響いてきた銃声が、彼の思考を中断した。
すぐ目の前の交差点。そこを右に曲がった方。建物に阻まれて見えないが、音から戦況を推測することができた。それほど大規模な銃撃戦ではなく──というか、誰か一人が相手に向けて銃を乱射しているように聞こえる。
百聞は一見に如かず。英寿は交差点へ状況を確認しに行った。
目に飛び込んできたのは、
「──っ!」
後退しながらアサルトライフルを連射する銀髪の少女と、
「ジャー……」
「ジャ……」
彼女の前には明らかに人間ではない植物然とした外見の異形が──ざっと見ても10体以上はいる。
何であるかは考えなくてもわかった。
彼らもまた、英寿にとって嫌というほど慣れ親しんだ存在だったからだ。
ジャマトだ。ジャマトが街に現れている。
制服らしきものを着た少女は慣れた手つきでライフルを扱い、怪物たちを的確に撃ち抜いていくが、進撃は止まらない。そもそも多勢に無勢であることに加え、弾が命中しても相手は少々怯むだけで大した有効打にはなっていないのだ。ちらりと見えた少女の顔には焦燥が浮かんでいた。
何度も放たれる弾丸。しかしそれも空しく、ジャマトの軍団は少女との間合いを徐々に詰めていく。
そして、
「っ、もう弾が──」
トリガーを引いても何も出なくなってしまったライフルを見て、少女は焦りを募らせる。分が悪いと判断したのかさらに後退しようとするが、ジャマトの方が早い。相手が抵抗手段を無くしたと見るや否や、怪物たちは恐ろしい速さで一斉に走り出し、彼女に殴りかかろうとした。
絶体絶命。あわやと思われたその時、
「下がってろ」
一番前にいたジャマトの顔面に勢いよくカバンが直撃する。
瞬間、背の高いコートの男──浮世英寿が、少女の眼前に躍り出た。
1体目を提げていたカバンの投擲で撃墜するや、そのまま隣の個体を勢いよくノックアウト。3体目の攻撃を紙一重でかわし、4体目の拳を受け止めてカウンターで殴り倒す。跳ねる、蹴る、投げる。
圧倒的だった。塵を吹き飛ばす旋風の如く、襲い来る怪物を次々と薙ぎ倒していく彼を前に、少女は目を見開いていた。その様子は、まさしく無双と形容するに相応しく。あっという間に全員がひび割れたアスファルトの上に転がった。
しかし銃弾も弾くほど頑丈なジャマトのこと、いくら彼が強くとも成人男性の殴打や蹴り程度ではその場しのぎに過ぎない。既に何体かが、腹を押さえながらも起き上がろうとしている。
彼もそれを理解していたのか、
「逃げるぞ」
「ん……!」
素早く少女の手を取り、駆け出す。
投げつけたカバンを回収し、英寿は彼女を連れて交差点の向こうへ走った。
二人はビルの影で薄暗い中を駆けてゆく。もう大丈夫だろうというところまで来て、後方から何も追ってこないことを確認すると、細くなった道路の真ん中で足を止めた。
「大丈夫か」
「ん、ありがとう。助かった」
相当走ったにもかかわらず少女は息切れ一つしていない。彼女は英寿に礼を言った。
ふわりとしたミディアムの銀髪の下、透き通るような白い肌は汗でしっとり濡れている。火口湖のように美しい水色の瞳で見つめてくる彼女に対し、英寿は答えた。
「いや、その足」
少女は、彼の視線を辿って自身の左足首を見た。
白い靴下に赤い染みができていた。どこかで挫いたかぶつけたかしたのだろうか。無我夢中で戦っていたせいで気づかなかったのだ。
「大丈夫、痛くない。すぐ近くに学校もあるし……歩けるよ」
彼女は、そっと手を離しながら言った。
実際のところ、そこまでの痛みはなかった。ないわけではないが、歩行に支障をきたすほどではないし、さらに言えば走ることだって問題ない。それに体を張ってまで助けてもらった相手に、これ以上心配をかけるのは気が引けた。それから──口には出せないが、接触を避けたいのにはもう一つ理由があった。
しかしその相手は、
「無理すんなよ。仕事のついでだ、体貸せ」
目線を合わせるように屈んだかと思うと、
「あ、その……」
少女をすっと担ぎ上げた。
彼女より一回りも二回りも大きな彼の体は、特に重そうにする様子もなく、砂の散らばるアスファルトに悠然と立っていた。
「なんだ、おんぶの方がいいのか?」
顔のすぐ近くから、からかうような調子で投げかけられた問いに、少女は首を振った。
それから、口籠るような様子で答えた。
「えっと、そうじゃなくて……さっきはライディング中だったし、戦ったりもしたし……そこまで汗だくってわけじゃないけど、その……普段は学校でシャワーを浴びるの。予備の服もそこにあって……」
いまひとつ要領を得ない少女の言葉に英寿は笑みを浮かべ、
「気にすんなよ。今はキツネに化かされとけ」
ゆっくりと歩き出した。
キツネ……? 何の脈絡もなく突然出てきた動物の名に、少女は一瞬だけ戸惑った。しかしそれを考える間もなく、彼女の意識は包み込むような体温と規則的な揺れが生み出す心地良さの中に埋もれていった。銀髪が揺れ、汗は頬を撫でる空気に乗って消えていく。
いつしか少女のまぶたは下がっていき、細い肢体からは力が抜けていった。
「やっぱり、おんぶの方が良さそうだな」
少し歩いたところで、英寿は足を止めた。
「……ん」
少女が軽く頷くと、彼は彼女を一度下ろしてから、背負った。首には、少し汚れた上着に覆われた少女の細い腕が回される。
背後の吐息が落ち着いていくのを感じながら、英寿は再び歩き出した。
行く先に、砂で埋もれかけている校舎が見えてきた。
『アビドス』。少女が身につけていた校章と同じ紋様が、建物に描かれている。
「ところで……スター・オブ・ザ・スターズ、だよね」
背中から静かに問いかけられる。
自分が今キヴォトス屈指の人気スターの背中におぶさっているということが事実かどうか、少女は最終確認をした。
「スター・オブ・ザ・スターズ・オブ・ザ・スターズだ」
英寿はいっそう自信に満ちた笑みを浮かべながら、そう答えた。
背後から返答はなく、代わりにただ寝息が聞こえるだけであった。