「や、先生。久しぶり」
ランチタイムも終わった昼下がり。あたしはシャーレに来ていた。
理由は単純で久しぶりに先生の顔が見たくなったから。萬年参の一件が先生の協力のおかげで解決して、それ以来あんまり顔を合わせていなかったから。
あの時はずっと一緒にいたからか、会えない日が続くとなんだか落ち着かなくて。こんな気持ちを抱くのは慣れていない……というか、初めての事だった。
「やぁ、ルミ。よく来たね」
なんだか無性に落ち着かなくて、モモトークで連絡を取った先生から「シャーレに遊びに来ない?」と誘われたのをいいことにこうしてやってきたのだった。
あたしの急な来訪にも笑顔で出迎えてくれる先生。彼の優しそうな笑みを見ると、何故だか胸の辺りがぎゅっと締め付けられる。
あたしはみんなの料理人で、厨房長で、商会長だけど……、先生はそんなあたしをひとりの生徒として扱ってくれた。それがすごくうれしい反面、周りにいるたくさんの生徒たちと同じように見られているのかと思うと、少し胸が痛い。
──あたしは、たった一人だけの……特別な何かになりたいって思ってるのに。
「えっと、先生は……さ。何してたの? 忙しくなかった?」
「ん、全然。ちょうど仕事がひと段落ついて、休憩でもしようかと思ってたとこ」
あたしの視線が先生の机の上に山積みにされた書類を捕らえる。「先生?」と軽く力を込めて彼の目を見ても、肩を竦めて首を横に振るだけ。
──まっ、先生だもの。そういう人だって事くらい分かってる。あたしの肩に重く伸し掛かっている責任。そんなものよりも遥かに巨大で、重たくて、手放したくなるくらいのものが先生にはあるんだから。
「そういえば先生。もうお昼は食べた?」
「あー…………」
気まずそうな顔をしながら視線をそっとズラす。思い出したかのように鳴る先生のお腹の音にため息が出そうになった。
やっぱりあたしが責任をもって先生を健康にしてあげないと、ダメなのかな。
「先生? ご飯は大事だってこの間も言ったよね?」
ジッと力を込めて先生を睨む。
生徒のためならどんな自己犠牲も厭わないくせに自分の事になるとこうやって途端に杜撰になる。先生が身体を壊したら、平常心を保てなくなる生徒がどれくらいいるのか、わかってないわけじゃないだろうに。
「はぁ……そんな事だろうと思った。ほら、材料持ってきてるから。あたしが特別にごちそうしてあげる」
シャーレの食堂には調理設備がちゃんと揃っている事は調査済み。どうせ先生の事だから、食事をせずに仕事をしてるか、適当に済ませてるかのどっちかだと思ってたから。こうして準備をしてきた。
ほら、昔から言うでしょ? 「男を掴むなら胃袋から」って。
「食事を抜かないこと、適当に済まさないこと。あたしと約束して。わかった?」
「う、うん……わかったよ。心配かけてごめんね」
あたし特製の炒飯を頬張る先生にきちんと念押しする。「次、先生がご飯を疎かにしたら……あたしが住み込みでご飯の世話をするよ?」なんて、ちょっと困った顔の先生には効果覿面だったみたい。
先生にきちんと食事を摂ってほしいのは本心だけど、言うことを聞かなかったのを理由に先生の家に押し掛けるのも悪くない──なんて、そんな事を考えてしまった。
「ほら、先生。レンゲが動いてないよ? ふふっ、あたしが食べさせてあげよっか。おかわりもた~くさん、あるからね」
「わっ、そんなに食べられないよ……」
そんな事を言いながらも先生は山盛りにした炒飯をぺろりと平らげてくれた。前はそんなにたくさん食べれなかった彼も、いつも間にか食べる量が増えていて。
それがあたしの料理のおかげだとしたら……うん、悪くないかな。
「ごちそうさま。せっかく来てくれたのにごめんね」
「先生? あたしが欲しいのはそんな言葉じゃないんだけどな~……?」
頭を下げようとする先生にジトーっとした視線を向ける。
「う……ありがとう、助かったよ」
「あははっ、お粗末様でした」
うん、やっぱり謝罪の言葉よりも感謝の言葉の方が聞きたいよね。
後片付けをしながら、心がウキウキと晴れていくのを感じた。先生に会うまでは、自分の慣れない気持ちに戸惑ってたのに。
ふふっ、先生に会いに来てよかった。
「何か私にできることはないかな? ほら、ルミが前に言ってたでしょ? 『取引にタダはない』って」
なあんだ、覚えてたんだね。
別にあたしは無償でもよかったんだけど、さ。だって、あたしにとっては先生自身がもう商品になってるんだから。それだけの価値を先生に感じてるんだよ?
こうやって先生の胃袋を掴んで、あたしの料理なしじゃ生きられなくなったら……そうやってちゃあんと下拵えしてあげてるんだから。
「んー……あっ、じゃあさ。肩、揉んでくれないかな? 最近すっごく凝っててさ。先生が揉んでくれると嬉しいんだけどなあ……」
ぎゅむ、と先生に見せつけるようにおっぱいを持ち上げる。一瞬、刺すような視線を感じたけど、すぐに逸らされてしまった。先生ってそういうところあるんだよね。今回はこっちから見せつけてるんだから、遠慮しなくてもいいのに。
料理をする時はいっつも邪魔だなって、そう思ってた。動くのに制限が掛かるし、今みたいに肩もすっごく凝る。うつぶせになると胸が苦しくなるし、下着の柄も種類が限定される。
でも、先生みたいな男の人はこういうのが好きだって知ってからは、悪くないかなとも思ってる。だから、こうしてちょっと見せつける。たゆん、と揺れるおっぱいを追っている先生の視線を感じたいから。
や、少し恥ずかしいんだけどさ。「あたしは全然気にしてないよ?」ってポーズを取ってしまう。先生の前では……余裕のある姿を見せたいから、ね。
「そ、それ以外でなんとかならない?」
先生がそっぽを向きながら少し顔を赤くする。ふふ、困ってる困ってる。あんまり困らせても悪いから、やりすぎないようにするけど……先生の困り顔はなんだか妙に可愛く見えた。
ふふっ、ちょっと肩を揉むだけなのにね。別にあたしはおっぱいでも構わないよ? それとも、先生が我慢できなくなっちゃったりして。
きっと今のあたしの顔はいたずらっ子みたいにニンマリとした笑みを浮かべてる。
「じゃあさ……また今度玄武商会に来てよ。『今週の料理』、今回は包子なんだ」
まぁ、これが本題なんだけどね。「ドアインザフェイス」。玄武商会の本質は商業だから、あたしも交渉術のひとつやふたつくらいはできないと。
もっとも、こんな事をしなくても先生はきっと受け入れてくれるだろうから、半分くらいは趣味だったんだけど。ま、先生の困り顔を見れたから収穫は十分。
「包子?」
「そ。いわゆる中華まんってやつ。中身もいろいろあってね……豚肉とか白菜とか。カスタードクリームが入ったのもあるんだ」
朝から大量に包子を蒸すことになると思う。結構大変だけど、これはこれでお祭りみたいで楽しいんだよね。
いつかの餃子の時と同じように厨房もサウナみたいになる。先生は、その事に頭が回ってないみたい。ふふ、それも予想通りだけどね。
「美味しそう……」
「せっかくだから来てよ。いつでも待ってるからさ」
そんなに食べたいなら、
さすがにそれは恥ずかしすぎて……
***
「えっと……る、ルミ、さん……?」
「いらっしゃい、先生。ちょうどよかった。ちょうど蒸しあがったところだよ」
お昼に差し掛かる頃。先生が玄武商会にやってきた。後輩たちに案内されて、厨房の手前まで足を運んだ先生を出迎える。
そこで戸惑いを隠せない顔の先生と対面した。あたしが見たかった顔。しっかりと顔を背けながらも、ちらちらとあたしに突き刺さるような視線を感じる。思っていた以上の反応に思わず笑みが零れてしまう。
先生の事をバックヤードに案内しながら。作戦が成功した事に満足したあたしは、蒸し器から噴き出た蒸気でたっぷりとかいた汗をタオルでグイっと拭った。
「る、ルミ……その、また透けちゃってるよ」
「ふふ。前にも言ったけど、気にしないでよ。減るもんじゃないしさ」
胃袋を掴むのも大事だけど、ちゃあんとあたしのことを意識してもらわないとね。ただでさえ、スタイルのいい子は多いんだから……あたしなりにもっとアピールしていかないと。
異性にするにはちょっと過激かもしれないけど……先生相手にはこれくらい性的なアプローチじゃないと通じないよね。
「それよりも、どう……かな? 今日はこうなって分かってたから、セクシーなのにしたんだけど。せっかくだし、先生に……見て、もらいたくて」
目論見通り、先生と二人きりになったあたしは、彼を壁際へと追い込んだ。ここの入り口は可愛い後輩たちが見てくれているおかげで、しばらくは誰も入ってこない。見せつけるように、胸元を先生へと思いっきり突き出した。
ぐっしょり濡れたあたしの服。白い布地から下着の輪郭がくっきりと曝け出されている。白地に映える黒いレースの下着。ひらひらとした装飾がついてて、裏地のない生地からはそのさらに下の肌が透けて見えている。
バスト全体を包むフルカップのブラからは、面積の半分くらいが透けて肌色を露出させていた。
前みたいにぎゅっと胸を持ち上げる。くっきりとした谷間が服越しに強調されて、先生の視線がそこに吸い込まれていくのを感じた。
──ふふっ、気に入ってくれたかな。
「どう? 先生。あたし特製の包子……好きなだけ食べて?」
精いっぱい甘ったるい声を出す。表で出している小豆餡いるの包子よりも甘い声。しっとりと汗で濡れた髪が頬に貼りついて、セクシーな感じを出していた。
ドキドキと心臓が大きく揺れる。それが先生にバレないように。余裕たっぷりな姿しか彼には見せたくないから。
あたしよりもずっと大人な先生の前で、まるで年上の
「ルミ」
先生があたしの肩に手を置く。心臓がドクン、と激しく跳ねた。少しでも動揺してくれればいいと思ってたけど、思った以上に効果があったのかも。本当は、ここまでする予定はなかった。でも、しちゃった以上はしょうがないよね。
顔が赤くなっているのは蒸気の所為だと、いつまで言い訳できるだろう。耳にまで熱が行ってしまったみたいで、足の先から頭の先まで沸騰したかのようだった。
ああ、これは美味しく頂かれちゃうのかな──なんて、蒸しあがった頭でうっすらそんな事を考える。先生の動きがゆったりとしているように見えた。まるで他人事のような意識で、スローモーションみたいに動く先生の姿をぼんやりと眺める。
そんな緩慢な動きで……先生が、着ていたジャケットを脱いで────、
「──ルミはもっと自分を大切にしないとダメだよ」
そのまま胸元を隠すように、あたしの身体にそれを掛けた。
顔を真っ赤にしながらも毅然とした態度。いつも見ているようなちょっと情けない可愛げのある顔ではなく、キリッとしたカッコいい表情を浮かべている。
そういうところ、気軽にみんなに見せちゃうから。みんなから好かれるんだって、分かってるのかな。
「美人なんだから特にね」
まるで子供に言い聞かせるような口調。
そのまま押し倒してくれたら、あたしは素直に受け入れるのに。
「──ルミが私を想ってくれているのは、素直に嬉しいんだけどね。こういう事は、そんな風に自分を犠牲にするものじゃないと思うよ」
そう言って、先生は優しく微笑んだ。それを見て、あたしは確信する。
あ……そっか。やっぱり……あたしは先生の事が好きなんだ。どうしようもなく、あたしが柄にもなくこんな事をしてしまうくらいに。
それと同時に。先生が先生である限り、あたしたちには靡きそうにないって事も、分かってしまった。
「先生ってさ」
「うん」
「意外と紳士なんだね」
「意外と……は余計だけど。うん、そうあろうとはしているよ」
先生は優しい。優しすぎるくらい。
だからこうやって生徒に足を掬われるんだってこと……あたしがちゃあんと教えてあげないとね。
油断した先生をその場で押し倒した。びっくりした表情を浮かべた先生には心の中で謝っておく。ごめんね、先生。でも、もう我慢できそうにないんだ。
今日はここまでするつもりなんてなかったんだ。本当だよ? でも、先生がそんな態度を取るから……止まれそうにないんだ。
「この間言いかけたけど……」
せっかく先生が掛けてくれたジャケットだけど、邪魔になっちゃうから先生の頭の下に引いておこうかな。暑いし上着も脱いじゃおう。先生に見せるために選んだ下着も、もっと見てほしいし。
「あたしにとっての先生は、何にでもなれる存在なんだ。お客様にも、仲間にも……それから、あたしにとっての特別な人にも」
先生の身体に馬乗りになったあたし。キヴォトスの神秘を持たない先生には、力で絶対に負けることはない。
お尻に感じる熱くて固い感触にこっそりとほくそ笑む。あぁ、先生も……あたしのことは魅力的に感じてくれてるんだね。よかった、ちゃあんとごちそうするから♡
「あたしも、先生にとっての……たった一人だけの、特別な存在になりたいって思うんだ」
あたしは料理が大好き。手間をかけた分だけ美味しくなるし、研究した分可能性が生まれるから。
だから、本当はじっくりと時間をかけて下拵えをしたかったけど。「腹が減っては戦はできぬ」って言うしね。今はペコペコなお腹を満たすのが優先かな。
「じゃ先生、始めよっか。あたしはさ、料理をするのが大好きだけど……食べるのも嫌いじゃないんだよね♡」
いただきます、と両手を合わせて。
先生の身体にあたしの胸を思いっきり押し付けた。