【寄蝕蝶の記憶】
寄蝕蝶は目の前の人間に驚愕していた。
禪院の名には聞き覚えがあった。
かつて、わらわを封印した呪術師の家系。
その時は影を媒介にした式神を使ってきていた。
封印されたのは一重にわらわの油断からだった。
生物の精神に作用し体感時間を遅くする麟粉を使うわらわにとって呪術師との戦いは一方的な虐殺だった。
わらわに近付こうものなら麟粉を吸い込み動けなくなる。
そこをゆっくりと仕留めるだけ......この力で何百人の術師を殺めてきた。
だが、それを読んでいた当時の禪院家の当主は自らの身体に術式を書き込んだ。
当主の命が奪われた瞬間、術式が発動し天逆鉾を咥えた
その瞬間、わらわの術式が解除され呪具ごと祠に封印されてしまったのだ。
だからこそ、今回は油断などしない。
術式を展開する間も無く命を奪う。
そう意気込んでいたが目の前の
鋭く伸びた爪を使う攻撃をかわすと拳による反撃を加えてくる。
どう考えても体感時間が遅れている人間の動きではなかった。
更にこの人間は格闘の心得があるらしく空から攻めるわらわの動きに完璧に対応してきた。
自分の攻撃は当たらず相手の攻撃は当たる事にストレスを感じる。
致命傷は無いので呪力を消費して傷を回復させる。
(人間の分際でわらわにこれだけの手傷を負わせるとは....少々侮ったか。)
寄蝕蝶は直毘人を見つめる。
身体には少々の傷跡はあるがまだ、余裕があるように感じられた。
(このまま、ダラダラと戦っていては時間が食うだけで意味など無いか.....)
寄蝕蝶は自分の持つ最大級の術で直毘人を殺そうと決めた。
寄蝕蝶の背中から透明は蝶の羽が現れると自らの呪力で黒く光始める。
「"領域展開".....」
そして、一瞬の内に羽から呪力が放出されると直毘人の肉体は宙に浮いた。
彼だけでなく周囲の石や湖の水まで浮き始める。
「
さて、ここをこの術であまり壊したくないから場所を変えるとするかの。」
寄蝕蝶は、宙に浮き始めた石を一つ手に取ると直毘人に投げた。
直毘人はその石を回避することが出来ず身体に当たるとまるで支えを無くした宇宙空間に放り出された様に投げられた石の方向で吹き飛び始めた。
術式範囲から出ない様に寄蝕蝶も直毘人を追いかける。
死刻光姫の能力は寄蝕蝶の周囲を対象とする時間の流れを10万倍に増長させる。
それにより物体にかかる重さの概念も狂い一時的に重力から解放されることになった。
そして、指向性を持った物体は障害物が無い限りその方向に向かって加速を続けていく。
直毘人が停止したのは湖から何キロも離れた山の岩肌だった。
超高速で突っ込んだ直毘人の身体から血が流れるが本人はその痛みや理由を感じることは出来ない。
増大した時間の流れは直毘人の知覚できる感覚を優に置いていってしまったのだ。
全身から血を流しながらも此方に目を向けられない直毘人を寄蝕蝶は笑う。
「無様なものじゃのう。
このまま、お主が失血死するのを見るのも一興じゃがわらわの身体に傷をつけた罪は重い.....そうじゃ
そちの心臓を抉り取ってやろう。
何万倍にも伸びた時間の中で心臓を失う痛みを受け続けながら死ぬ....正にお主に相応しい死に方じゃ」
寄蝕蝶はそう言って笑うと右手を直毘人の心臓がある胸に突き立てる。
だが、この決断が彼女の運命を決定づけてしまった。
直毘人の胸に爪が触れた瞬間、彼女の見ていた景色が変わった。
「な...に...?」
寄蝕蝶は一瞬の内に全身をバラバラにされてしまった。
頭だけになった寄蝕蝶は自分の身体を見つめる。
自分の身体には獣が食い千切った様な穴が幾つも空いていた。
寄蝕蝶の術式が解けた影響か直毘人が口から血を吐き出しながらも話し出す。
「ぺっ!あぁ、クソこんなに遠くまで飛ばしおって本当に厄介な呪霊じゃな。」
「どう...して?貴方...は」
「このワシが領域展開を警戒してないとでも思ったか?
お主が百年寝てる間に我々、術師も進化したのじゃ」
直毘人が使った技は
術者の全身を呪力の薄い膜で覆い相手からの領域展開の攻撃を自動でカウンターする能力がありこれを使い寄蝕蝶の領域展開を破り直毘人は投射呪法による刹那の連撃を加えたのだ。
寄蝕蝶は自分の身体が崩壊している光景を見て自分の死期を悟った。
「あぁ....もう終わりなの...ね。
残念だわ...."あの子"と一緒にもっと暴れたかったのに」
「あの子?どういう事だ?」
「元々私は....."四級の呪霊"だった。
でも....あの子が私に力をくれたのよ。」
「四級じゃと!?
待て!ではあの湖には何が!?」
「さようなら...地獄から貴方の死に様を眺めるとするわ。」
そう言って笑うと寄蝕蝶は完全に消滅してしまった。
それが引き金になったのか湖の方角から尋常じゃない呪力が溢れ出す。
「あの呪力量は間違いなく特級....不味い!」
直毘人はあそこに一馬達がいるのを思い出し向かおうとする身体の痛みと呪力を使い過ぎた影響で膝を着いてしまう。
「くっ!?.....こんな時に」
直毘人は湖に巨大な"帳"が降りる姿を見る。
一馬達にあのクラスの帳を降ろせない以上、誰が発動したのかは考えるまでもない。
直毘人は携帯を使い禪院家に連絡をつけ応援を呼ぶのだった。
【碼鶴の記憶】
一馬の腹部に刺さった天逆鉾を抜こうと俺に背中を見せた甚爾に攻撃しようと指を向けた。
だが、このタイミンクで携帯にメールが入ったのだ。
何時もなら無視するが今回は嫌な予感がして携帯の画面を開く。
送り主は仕事の仲介人であり内容はシンプル。
【件名 緊急事態】
依頼内容に重大な違反行為を確認しました。
そこでの依頼は危険です。
直ぐに放棄してください。
(重大な違反行為?
あの
なら、ここにいるのは不味いな。
でも、だからと言ってあの二人を逃がす理由にはならない。)
碼鶴はプロの殺し屋だ。
自分の片腕を落とした相手を過小評価はできない。
もしまた、同じ様に会ったら今度は死ぬかもしれないと理解しているからだ。
碼鶴は身体に刺さっているナイフを抜くと目を向ける。
(こりゃ、市販品じゃない。
ってことはオーダーメイドか?
だとしたら相当良い腕を持ってる。)
碼鶴は今のリスクと今後のリスクを秤にかける。
そして、小さく舌打ちをすると空中に粘着性の液体を放った。
その液体が木に付着すると液体の形を戻す反動でその場から一気に離脱した。
逃げると決めたら全力で逃げる。
それが殺し屋として生きてきた碼鶴の経験測だった。
木や建物をスイングしながら移動すると脱出予定地点に車が止まっていた。
その前に降りると車の中から仲介人が現れる。
「あれ?珍しいじゃん。
術式じゃなくて本人が来るなんて」
「今回は此方の不手際で依頼を受けてしまいましたからね。
これぐらいは当然ですよ。
それより、"竹中"さんは?」
「あー、もうそろそろ来るよ。」
空中を指差すと碼鶴達の近くのゴミ捨て場に全身、ボロボロの男が落下した。
それを見て仲介人は頭を抱える。
「はぁ....碼鶴さん何度も言っていますが同業者には少しは優しくしてください。」
「えー....湖の近くで倒れている所を救ったんだよ?
十分優しいって思えるけどなぁ....」
「もう良いです。
それで天逆鉾は?」
「あー....ちょっと厄介な餓鬼二人がいてね。
死にたくないから使っちゃった。」
「使っちゃったって.....まぁ良いでしょう。
今回は依頼人に契約違反の疑いがありますから問題はありませ.....」プルルル!
そう話していると件の依頼人から連絡が入る。
電話に出ると開口一番に出た言葉は脅迫に近いものだった。
「契約を反故にするとはどういう了見だ?」
「反故?
そちらが提示した事前情報に誤りがあったのが原因では?
貴方との契約は天逆鉾の回収.....そして、当主である禪院 直毘人の足止めだけの筈です。」
「言い訳だけは達者だな。
禪院家を敵に回してタダで済むと思わぬことだ。」
「そうですね。
貴方がそう言った対応を取るなら私の友人に告げ口でもしましょうか。
幸いにも"御三家の方"と繋がりがありますので......」
「.....貴様ッ!」
「では、そう言うことで
....あぁ、成功報酬の振り込みは結構です。
前金のみで私達も落とし所とします....では」
そう言って仲介人は電話を切ると碼鶴が笑いながら聞く。
「良いのかぁ?依頼人だった奴にそんな口を聞いて?」
「普通ならダメでしょう。
ですが、今回不手際を起こしたのは彼方です。
依頼内容と違うトラブルがありそれ込みであの金額で貴方達を使おうとするのなら仲介人として文句の一つも言いますよ。
それより、その腕どうしたんですか?」
「あぁ、さっき話した2人の餓鬼に奪われちゃってね。
これ
「あの人の術式でも欠損した腕を治すのは不可能でしょう。
義手を作った方が良いと思います。」
「やっぱり?」
「義手の金額は払いませんからね。
それより、撤収です。
碼鶴さん竹中さんをゴミ箱から回収してください。
そのままお二人を闇医者に連れていきますから」
「えぇー!面倒くさいよ。
もう竹中置いてパパっと闇医者まで行かな.....」
「さっさとしなさい。」
「.....はーい。」
碼鶴は嫌々、返事をすると竹中をゴミ箱から掘り出して仲介人が持ってきた車に共に乗るとその場を後にする。
そのタイミングで湖近くで巨大な帳が降りようとしているが見えた。
碼鶴がそれを見て言う。
「あの大きさの帳.....やっぱり厄介ごとじゃん。」
「えぇ、どうやらあの湖には一級呪霊だけでなく特級呪霊も封印されていたらしいですよ。」
「特級かよ!?
あっぶなぁ!命拾いしたわぁ。」
「後の処理は禪院がやるでしょう。
それと、万が一を考えてアジトを変えます。」
「OKぇ!
陰湿な依頼人に何されるか分かんないもんね。」
碼鶴がそう言うのを聞きながら仲介人は先程、連絡していた携帯のバッテリーを抜くと窓を開けて森の中に携帯を投げ捨てた。
余計な恨みを依頼人に与えてしまったら連絡手段を断ち情報を消す。
長年、仲介人をやってきた彼女はそう言った対処も早いのだった。
【禪院 扇の記憶】
「....クソッ!!」
扇は持っていた携帯を地面に投げ捨てた。
仕事を頼んでいた仲介人から連絡が来て仕事を放棄すると言われた。
理由は契約内容の重大な違反。
あの湖には特級の呪霊がいるようだ。
電話をかけたが結論は変わらず脅しも通じない。
本当か嘘かは分からないがもし本当に御三家に知人がいるのなら扇の行動は一発アウトだった。
扇は焦る。
何故なら、当初の計画では直毘人が苦戦する一級呪霊を天逆鉾を使い自分が祓う筈だったからだ。
それで当主に誰が相応しいのか見せつける算段だった。
だが、現実は雇った呪祖師は裏切り更に湖には特級の呪霊までいると言う事実だけだ。
(こうなったら、当主どころの話ではない。
私一人では事態を収拾しようにも手が足りない。
即刻、兄を探し策を立てねば.....)
天若湖の近くの森まで来た扇は周囲の呪力から直毘人の存在を関知しようとするがそれよりも巨大な呪力の塊を感じて硬直してしまう。
「なん....だ...これ...は!?」
今まで祓ってきた呪霊が霞むレベルの呪力を放つ何かが湖にいる。
それを理解した扇は焦る。
(こ....こんな奴を相手に等、出来るかっ!
兄と二人がかりでも勝ち目など見えないと言うのに...)
扇の性格は冷静で打算的だと見えるだろうがその中身は全ての非を他人にあると責任転嫁する極度の自己愛と自己憐憫の持ち主だった。
だからこそ、彼の思考は自分の擁護に回る。
(これも全て、兄が呪祖師が呪具を抜く前に倒さなかったのが原因だ。
私は何も悪くない。
それに最初に裏切ったのは呪祖師だ。
こっちはちゃんと金を払ったのに失敗する役立たずがいなければ問題など無かった。
そうだ....ここで逃げるのは間違いではない。
敵の強さを感じて戦力の増強が必要だと考えた私は兄を探していた。
これだ、これしかない。
これは逃げではない....私は何も悪くない。)
扇は自己解決が終わると森に背を向けてその場から離れる。
兄を探すと言う名目を使いなるべく遠くへと逃げる。
その先に兄がいないこと等、理解していながら.....