昔々のバレンタイン
――――それは、少し昔の話。
彼女達が、今よりも無垢でいられた頃の話。
「ぅう・・・・・ぐすっ・・・・」
なんでこんなことになったんだろうと。
小日向未来は、涙を抑えられなかった。
この前もその前も、今日だって。
彼らには何もしていなかった、しなかったはずだ。
なのに、なんで。
給食当番を、こなしただけで。
――――小日向菌がついてんぞ!
――――みんな!今日のデザート食うなよ!呪われるぞ!
また、涙が溢れてくる。
彼らはいつも、未来を汚いもののように扱った。
『ばい菌』『くさい』『呪われる』と、顔を合わせるたびに罵ってきた。
わざとぶつかってきては、『呪われた!』と騒いで。
『呪い』とやらを鬼ごっこのように擦り付け合っていた。
もちろん、未来自身は何もしなかったわけじゃない。
悪口を言われるようになったあたりから、お風呂では念入りに洗うようになったし。
臭いを気にして、お母さんの香水をほんの少しだけつけてみたりもした。
だけど、何をしても変わらなかった。
変わって、終わってくれなかった。
・・・・なんで、なんで、なんで。
そればかりが頭をぐるぐる回る。
心臓が忙しなく動いているのに、冷たくて仕方が無い。
怖い、怖い、怖い。
飛び出したことを後悔する。
誰もが教室で食べている時間。
人の気配が無い雰囲気は、より孤独を感じさせた。
「っぁぁぁぁああああ・・・・・!」
我慢が出来なくなって、もっと大きな声で泣きかける。
そんなときだった。
「――――みーく」
足音と、声。
顔を上げると、付き合いが長くなる親友が。
立花響が立っていた。
肩には何故か、家庭科で作ったナップザックが下がっている。
「大丈夫?ほら、顔濡れてるよ」
そういいながらハンカチを取り出して、優しく涙を拭ってくれる。
気遣いは嬉しいのだが、どうしてここにいるのだろう?
「隣のクラスが騒がしかったからさ。覗いてみたら、走ってるのが見えた」
疑問が顔に出ていたのか、自分から理由を教えてくれた。
そっか、と短く返しながら、また俯く。
・・・・本当によく分からない。
何故、こんなに嫌なことを言われるのか。
考えても考えても分からなくて、未来はまた涙が溢れそうになった。
堪えようと、目元を拭ったとき。
「未来」
隣から、優しい声。
「つらいならつらいって、言っちゃいなよ。わたしはちゃんと聞いてあげるから」
「・・・・いいの?」
「いーの、あったりまえじゃん」
隣に座る、響の笑顔。
見守ってくれるような、包み込むような。
静かな横顔に、絆されて。
「・・・・ぃ」
「んー?」
声が漏れる。
響は急かすことなく待ってくれる。
「・・・・にげたい」
だから、抱えた思いを溢れさせる。
「もぉ、もう、やだ・・・・ここ、やだぁ・・・・!」
耐え切れなくなって、また涙が溢れた。
幾つもの雫がぽろぽろ落ちて、コンクリートを濡らす。
何が悪いのか、誰が悪いのか。
不安と恐怖と悲しみがない交ぜになって、頭がぐちゃぐちゃになる。
熱った頬が冷えた空気に晒されて、更に温かくなった。
「――――それじゃあさ」
しゃくりあげて嗚咽を漏らす未来を目の当たりにして、何を思ったのか。
目の前、そっと手が差し出されて。
「攫われてみない?」
まるで王子様のように跪いた響は、明るい声でそう言った。
「―――――わーはははははは!ぶんぶんぶぶぶーん!」
「ひ、響、これ、大丈夫なの!?」
「へーきへっちゃらー!!あははははははっ!!」
全然へっちゃらじゃないと思いながら、未来は流れる景色の中を振り返る。
学校はすっかり遠くなり、建物の影からちらちらと見えるくらいだ。
白昼堂々、自転車に二人乗りしてのエスケープ。
心配になって聞いてみれば、どこかハイテンションな返事に不安を煽られる結果になった。
しかし、だ。
今はすっかり怖い場所になってしまった学校から、少しでも離れられることに。
安堵を覚えているのも事実だった。
一方で、それにしても、と考える。
今乗っている、手を引っ張られて連れて行かれた先にあった自転車。
そこに至るまでのルートも、人に見つかりにくいような物陰が多かったし、もしかしたら兼ねてより計画していたのかもしれない。
家族と同じくらいに信頼している親友なら、やりかねない。
「いやぁ、ほんとーは掃除時間あたりに連れ出したかったけどねー!」
とか思っていたら、本当にそうだったようだ。
互いの家族に見つかりはしないかとひやひやしながら、二人で風を切る。
途中、コンビニに立ち寄って、給食代わりのおにぎりを購入。
店員にいぶかしまれることもあったが、『創立記念日で休みなので、校区外から来た』と響が言い張ったことで切り抜けた。
コンビニを出てから、また自転車を漕ぎ出す。
坂道ではとても辛そうだったが、何とか昇りきった。
少しの休憩の後、未来は手を引かれて、雑木林の中を抜けて。
「――――わ」
そこに、広がっていたのは。
まるでパノラマのような景色。
空が晴れ渡っていることも合間って、青空の下の街を一望できる。
至るまでの道が、よく知っているものだっただけに。
驚きも喜びもひとしおだった。
響が取り出したレジャーシートを敷くのを手伝い、並んで座る。
買ったジュースを『かんぱーい』とぶつけ合って、コンビニのおにぎりを食べ始めた。
やはり、何事においてもシチュエーションは重要らしく。
絶景を楽しみながらの食事は、いつもよりおいしく感じた。
「ここ、よく見つけたね」
「お父さんに教えてもらったんだ」
食べ終えて、一息つく中での会話。
まだ肌寒い季節にしては、心地よい風が吹いていて。
気分だけ春になったような雰囲気で、ゆったり言葉を紡ぐ。
主な内容は昔の話、出会った頃から今までのこと。
現在のことは、何となく触れるのは憚られた。
しかし、まだ小学生である彼女達に、そこまで語れるような話は無い。
やがて口数が少なくなって、束の間の沈黙が降りかけて。
「そういえば響、結局何で連れて来てくれたの?」
「おっと!」
そんな中、冒険心にかまけて忘れそうになっていた疑問を口にする。
響も響で、危うく忘れそうになっていたらしい。
慌てたようにナップザックをあさると、小さな封筒を取り出して。
「はい未来!チョコじゃないけど、ハッピーバレンタイン!」
未来の手を取って、握らせた。
突然のプレゼントにきょとんとした未来だったが、続いた『バレンタイン』という言葉に納得して。
何度も封筒と響を見比べる。
「・・・・このために?」
「やっぱりやりたいじゃん?ドッキリ!」
おずおず問いかけてみれば、そんな快活な返事が。
嬉しさと感慨がこみ上げて来て、胸が熱くなる。
今未来の顔には、自覚できるくらいの笑顔が浮かんでいた。
「開けてもいい?」
「どーぞどーぞ!」
一言聞いてから封筒を開けてみる。
中に入っていたのは、一枚の栞。
四つ葉のクローバーが、押し花になっていた。
「すごい、見つけるの大変だったんじゃない?」
「コツさえ掴めば簡単だよー」
それにしたって、四つ葉のクローバーと言えば幸福の象徴。
その謂れに相応しく、見つけることは難しいとされているし。
探した覚えしかない未来も、今まで見つけることが出来なかった代物だ。
笑顔の裏にあるであろう苦労を思えば、嬉しい以外の感想が見当たらなかった。
「ありがとう・・・・すっごい嬉しい」
「こっちも頑張った甲斐があったよ」
素直にお礼を言えば、響はどこか照れくさそうにはにかんだ。
「さって、そろそろ帰ろっか」
「今更だけど、怒られないかなぁ」
「最初からいましたよって顔すればワンチャン・・・・」
「無理だと思う」
笑いあいながら手早く片付けて、帰途に就く。
坂道の二人乗りは流石に危ないと判断したので、自転車を押す響と並んでゆっくり下っていく。
「・・・・今度逃げるときは、もっと遠くに行ってみようか」
途中、響がぽつりと呟いた。
「遠くって、どこに?」
「んー・・・・」
束の間唸りながら考えた響。
やがて、呟くように零す。
「・・・・・外国、とか?いじめっ子達がおっつけ無いような、うんと遠い場所」
「それは遠すぎるんじゃ・・・・?」
「あはは、まあ、例えだよ、例え」
言った本人も無理な話であることを自覚していたようで。
苦く乾いた笑みを浮かべた。
「けれど」
気を取り直して、前を向く響。
歩調で何となくリズムを刻みながら、歩いていく。
「わたしはいつだって、未来の味方だよ」
『独りじゃない』。
暗にそう告げられて、未来は思わず足を止めた。
嬉しいのもある、だが、同じくらいにズルいとも思う。
助けが欲しいのは事実だし、味方でいてくれることはとってもありがたい。
だけど、響は?
辛いことをよく黙り込む響は、助けて欲しくもないんだろうか。
親友である自分すら、頼ってくれないんだろうか。
「――――わ、わたしも!」
そんな対抗心が、声を張り上げる。
驚いた響が、未来に振り返った。
「わたしだって、響の味方だよ!もし響がいじめられてたら、一緒にいるよ!だから・・・・!」
言い切ったはいいものの、言葉が続かない。
だから、響の空いた手を握って、驚いている顔をじいっと見つめた。
響は束の間、ぽかんとしていたが。
やがて、吹き出すように笑みを浮かべる。
「うん、そんときは任せた!」
バカにするでもなく、受け流すでもなく。
ただただ申し出が嬉しいといわんばかりに、笑ってくれた。
響の反応に達成感を感じて、未来もまた、笑みを浮かべようとして。
「こら!そこの二人!」
「見たところ小学生だね、こんな時間に何をしているんだい?」
「「あっ」」
◆ ◆ ◆
(――――あの後、ものすごく怒られたんだっけ)
特に下手人である響が、響の担任と、母親と、警察の三竦みで。
未来の方は、むしろ自身の担任から謝られた。
当時の彼女はまだまだ新米で、クラスで起こっていたいじめに真剣に取り組んでくれていたものの。
いじめっ子達の方が上手だったばっかりに、大変苦労をかけてしまっていたのだ。
だけども、あの日の連れ出しが切欠で、未来のクラスで起こっていたいじめが公になり。
それまで見ているだけだったクラスメイト達も、段々と味方してくれるようになった。
そうなるといじめっ子達も日に日に大人しくなっていって、気がつけばもうからかわれることはなくなったのだった。
直接的では無いものの、一連の切欠を作ってくれたのは響だ。
そう考えると、やっぱり昔から助けられていたのだなと。
未来は手元のチョコに目を降ろす。
温度を確認して、お湯からボウルを外した。
スプーンの先に少量つけて、白いスジや光沢などをチェック。
上手くいったテンパリングに、思わず息を吐いた。
(後は、っと)
溶かしたチョコに、予め砕いておいたフルーツシリアルをさっくり混ぜ込んで。
用意したクローバーの型に流し込む。
ちなみに、ちゃんと四つ葉だ。
――――あの日もらった、四つ葉のクローバーの栞。
二年前に出て行った際、置いていってしまったのだが。
宝物だと知っていた両親が、大切に保管してくれていた。
そして今は、再び未来の手元にある。
(わたしも、何かあげられているかな)
型を冷蔵庫にしまって、ふと思う。
よく自分を削る響が、命以外で、これだけは捨てられないと言えるものを。
一生持ち続けたいと思える、大切なものを。
自室に行き、引き出しから栞を取り出す。
貰ってから出て行くまでの数年間、読書のお供に使っていたお陰で、少し年季が入っているものの。
これからも持ち続けるであろう、大切な品。
(・・・・あげられていたら、いいなぁ)
祈るように抱き込んで、未来はそっと目を伏せた。
作ったチョコは、大好評だったそうな。
おまけ『黒幕?』
「入りなさい」
連れ出しがあった夜、立花家。
父の自室に呼び出された響は、硬い面持ちで部屋に入った。
静かな中に、扉が閉まる音が響く。
「今日の騒動については、母さんからある程度聞いてる」
厳かに口を開いて、束の間沈黙を保つ。
「――――こんなに騒ぎになっているということは」
目を細めた洸は、響を真っ直ぐ凝視して。
「――――上手くいったんだな?」
そして次の瞬間には、そんなことを口走っていた。
「うん、抜け出しから渡すのまで完璧に」
「言い訳も通用したろ?」
「魔法の言葉だね校区外って」
こっくり頷いた響と、打てば響くような会話が繰り広げられる。
二人の顔は、段々と明るくなっていった。
「未来ちゃん元気になってよかったな」
「おとーさんのお陰だよ!」
「「「いえーい!!」」
昂ったテンションのまま、お互いに両手を上げて。
スパァン!と、キレの良い音。
ただし鳴ったのは二人の手ではなく、部屋の入り口の方。
親子そろって、錆び付いたブリキのように振り向けば。
不動明王を背負った母が、にっこり笑っていて。
――――この後無茶苦茶怒られた。