――土埃の粉塵が周囲に舞う
そこにいる黒い影は微動だにせず炭治郎たちを見ていた。その場に膝を着くそれが風と共に姿を現す。現れたのは男だった、薄紅色の目立つ短髪、細身ながらも腹筋が割れて筋肉質な体形が似合う。その肌に直接袖のない羽織を羽織り、下には肌色の道着。足首には大きな球の数珠が連なっていた。さながらそれは武僧のようだった。されどその肌には罪人の入れ墨が走り、その罪を現わすようにその全身が刺青に塗れていた。眼球はひび割れたように血走り、瞳は金色に輝く。その瞳には通常考えられぬ文字が刻まれていた。
――上弦の参……!?
その双眸に浮かぶ文字を見て、炭治郎は息を呑む。上弦の月、それは鬼舞辻無惨の直属の部下だ。その中における参という数字の意味を、鬼殺隊が知らぬ筈はなかった。つまり、この鬼はかつてない程の強敵だということだ。
――どうして、今ここに……?
深手を負う炭治郎はその脅威を目の当たりにして、ただ息を呑む。ひりつくような殺気はビリビリと皮膚を焦がすようだった。鬼は炭治郎の姿を認めるとすうっと冷めた目をしていた、一瞬で姿は消える。その拳を煉獄に繰り出すことはなく、炭治郎目掛けて拳を振り下ろした。炭治郎はその攻撃の速さを捉えきれず、その拳が振り上げられようとする瞬間まで対応が出来なかった。ゆっくりと振り落とされるその直前の光景は、まさに炭治郎が見る走馬灯である。死ぬ、そう思った瞬間に煉獄は刀を振り上げた。
――炎の呼吸弐ノ型、【昇り炎天】
下から上へと弧を描き、猛炎の如く斬り上げるその斬撃は男の拳を切り裂く。肘先まで裂けた腕をぶらりと垂れ下がるも鬼の再生は凄まじく、その傷さえもあっさりと戻った。
「……いい刀だ、」
男は眼を細めながら、その傷口のあった部分の血を舐め上げる。煉獄はその鬼の再生力の速さを観察していた。今まで見たこともないその再生力を、その圧迫感をその身に受けて上弦の鬼を静かに見据える。
「何故手負いの者から狙うのか、理解できない」
「話の邪魔になるかと思った」
俺とお前の、そう続ける鬼に殺意はなかった。どうやら、鬼は煉獄と話したいようだ。
「俺と君が何の話をする?初対面だが、俺は既に君のことが嫌いだ」
「そうか、俺も弱い人間が大嫌いだ」
弱者を見ると虫唾が走る。高慢な態度で鬼は静かに笑む。
「俺と君とでは、物事の価値観の基準が違うようだ」
「では素晴らしい提案をしよう」
お前も鬼にならないか?余裕のある、そのゆったりとした動きで鬼は煉獄に人間をやめることを勧めた。
「……ならない!」
「見れば分かる、お前の強さ柱だな」
その闘気、練り上げられている。至高の領域に近い。鬼はまるで恋焦がれる相手を見るように煉獄を見る。鬼の視界に映る煉獄の闘気は洗練されていた、その噴き上がるようなものはその鬼が求める領域のようだった。
「俺は炎柱、煉獄杏寿郎だ」
「俺は猗窩座」
猗窩座は煉獄に饒舌に話す。いかにそれが惜しいのかと言わんばかりの口ぶりで。
「杏寿郎、何故お前が至高の領域に踏み入れないのか教えてやろう」
人間だからだ、そう続けた猗窩座は人間の悪い所ばかりを口にした。老いるからだ、死ぬからだ。心底それが憎い、そんな含みを持った声色だった。
「鬼になろう、杏寿郎」
そして優しい声で煉獄に手を差し伸べて微笑む。猗窩座は煉獄を武人として正しく評価していた。だからこそ、猗窩座は鬼に勧誘する。
「そうすれば百年でも二百年でも鍛錬し続けられる、強くなれる」
まるでそれ以外は考えられないだろうと言外に告げていた。それ以外に道はない、と煉獄に教え込むのだが、煉獄はただ真っ直ぐに相手を見据えた。
「老いることも死ぬことも、人間という儚い生き物の美しさだ」
「老いるからこそ死ぬからこそ、堪らなく愛おしく尊いのだ」
静かに反論する煉獄が更に言葉を畳みかける。閃光のような儚い命、それでもその死を悼む。煉獄は人間を否定出来る筈がなかった。
「強さというのものは肉体に対して使う言葉ではない」
この少年は弱くない、侮辱するな。煉獄は猗窩座が炭治郎に言った弱者という言葉に静かに怒りを覚えていた。
「何度でも言おう、君と俺とでは価値基準が違う」
俺は如何なる理由があろうとも、鬼にならない。強い断言で煉獄は猗窩座の提案を否定する。そうか、猗窩座は失望したような言い方でその足を地面に突き刺した。猗窩座を中心に足元に氷の結晶が模様となって広がっていく。
――術式展開、【破壊殺・羅針】
構える猗窩座に対し、煉獄も刀を構えた。既に対話をするつもりもない様子で猗窩座は殺気を煉獄に向ける。
「鬼にならないなら、殺す」
猗窩座は、煉獄へ向かって走り出した。
――――――――――――
――人の呻く声がした
線路から飛び出して、脱線した列車は横向けに倒れている。それは水の入った器がその中身をぶちまけるようだった。ぶちまけた先には人が辺りに散らばる。呻くその声はそこから出ていて、それがその事故の凄惨さを知らしめた。だが、それでも奇跡にも死んでいる人間は居ないようだ。
「津軽の奴、時間通りにしろと言ったのに……!」
乗客の持つ鳥籠から恨めしげな声が響く。正確には、その鳥籠の中に居る輪堂鴉夜の声だった。これでは進まぬし立ち往生だ。静句はこの状況で頭を打ち付けたようだし、このままではままならぬ。さて、どうしたものかと思うと誰かが近付く気配がした、足音から察するにその人物は大雑把な性格のようだ。同時にそれに覚えがある鴉夜はその人物の名を呼んだ。
「津軽ぅ……」
「へへへ、師匠、脱線しちまいましたね」
それは言いつけを守らなかった不機嫌さが鴉夜の声色から出ていた。それに対し、津軽の間の抜けた言葉がその場を包む。
「いやね、あたくしだって必死にやったんですよ」
ですがね、そいつときたら列車と融合するのなんのって。つらつらと津軽の口八丁がつらつらと出て、今度は一人芝居を始める。落語の席ではないのだから、ただただ煩わしい。聞かされる鴉夜にとっては頭が痛くなった。もういい、という言葉を引き出すことが出来た津軽はにんまりと笑う。
「しかしまぁ、酷くやったもんです」
おや、静句さん?周囲を見渡した津軽がある一点を見つけてその人物を呼んだが返答はない。どうやら気絶しているようだと気付き、津軽は笑みを深めた。
「寝坊助さんですね。夢八のようにまた夢でも見てますかね?」
これではあたくしばかり働くことになりませんかね、とほほといわんばかりに津軽は僅かに肩を落とした。
「では、もう一働きしてもらおうか」
なぁ、津軽。愉快そうに鴉夜はそんなことを言う。
「えぇっ!?」
「それでお前の失態はチャラさ、安いモノだろう?」
「師匠ったら、人使いが荒い」
それで、何をすれば良いので、津軽に鴉夜はいつもの調子で命令を繰り返した。
「私を、音のする方に連れて行ってくれ」
「音って言っても沢山するんですがね……」
あちこちから人間の声ばかりしているから、津軽も見当が付けられない。だが、鴉夜はいつもの調子でそれに返答する。
「なに、一番大きい音がする方さ」
どうせ聞こえているのだろう、鴉夜は津軽に問いかければ素直に「はい、」と返した。分かっている癖に、聞かねば応えぬこの男はやはり胡散臭いことこの上ない。だが、津軽にはこの無数ある音の中でその大きな音が聞こえているのだ。鴉夜には聞こえないが、恐らくはこんな音だろう。何かがぶつかるような、音と刀で人を斬る。そんな音が周囲に響いているに違いなかった。鬼殺隊の救援がないということは、つまり戦闘をしている。鴉夜は明確な推理はそんな結論に至っていた。
「ですが、良いんですかい?」
だが、津軽は未だに出し渋るように、鴉夜に再度確認を繰り返す。
「津軽、何がだ?」
「師匠をそんなところに連れて行って」
相手は鬼ですし厄介そうですよ。そう危惧して鴉夜を案じていた。津軽の考える鬼とは同族のことであるのだろうが、鴉夜には取るに足らない相手だ。不死を殺せぬ鬼など、ただ退屈な相手でしかなかった。
「お前は【鬼殺し】だろう?」
鴉夜はくすりと笑う。
「怪物を殺すのが持ち芸じゃないか?」
「……こりゃ、一本取られました」
津軽はいつもの軽口で返しながら静かに笑い、鳥籠も笑った。
鬼は鬼でも鬼違いだよ!
正直、この作品無限列車編で終わらせようと思ってたのですが、ちょっと惜しいような気もしてアンケートします。
続きは?
-
見たい!
-
満足!