主人公が女の子になるのは間違っているだろうか 作:エルフ好き
人混みが緩やかに進む。暖かい日差しに包まれながら、ラグナは妙な静けさを肌で感じ取った。
こんなに人がいるのに、まるで何かを恐れて声が出ないようだった。そのすぐ後、その理由をラグナは知る。
「怪物が、怪物が脱走したぞぉぉぉぉ!」
その大声に鼓膜が揺れる。ラグナは遠くを見て、目を剥いた。
「────なんで」
ラグナは原作知識として知っている。怪物祭で起きる事件は美神フレイヤが起こしたことを。その時に脱走する怪物は『シルバーバック』という大猿だったはずだ。
ベルが追いかけられた末に戦い勝利した上層の怪物。強さでいうと【ステイタス】の熟練度がそれなりにあるレベル1なら勝てる。
今回の戦いは今のラグナなら、問題ないはずだった。確かに【ステイタス】では劣っているだろう。でも技術では負けていない。
でも目の前の怪物は訳が違う。怪物の中でも最強種。『竜』がそこにはいた。
鎖が身体に巻き付き、どこか動きずらそうにしている。その表情は何かに取り憑かれたように、酷く興奮している。
『インファントドラゴン』と呼ばれる上層の怪物。希少種と呼ばれる怪物は、滅多にダンジョンに出現しない。
そして出会ってしまった場合。レベル1のパーティが全滅することも多々ある。
そしてラグナは一瞬で最悪の状況に気付く。このまま怪物がヘスティアに気付いたら、間違いなく人が多く逃げているメインストリートまで追いかけてくる。
一般人が怪物に敵うはずがない。間違いなく未曾有の被害を生み出してしまう。
「ごめんなさい!」
「え、え、えーーー!」
ヘスティアを横抱きにして、人通りが少ない場所を進む。怪物は逃げ出したラグナとヘスティアに気付いたように、瞳孔を細くする。
『ヴオオオオオオオオオオオオオオオオオ!!!』
見つけた。そう言いたそうな咆哮に、ラグナは必死に走る。後ろから大地を蹴り上げる音が、恐ろしく心臓の鼓動を早くする。
考える限り最悪の状況。ラグナは意図的にダイダロス通りと呼ばれる場所まで走る。ここからは人が少ないと判断する。怪物の咆哮を聞いて、人々は既に逃げ出していた。
「……くそっ。どこなら人がいない?どこなら戦える?」
「ラグナくん……」
「大丈夫です、絶対になんとかしますから!」
心配そうなヘスティアに気休めの言葉を吐く。今のラグナの装備は剣だけだ。防具を買っておけばよかったと今更後悔する。
ヘスティアの持っている剣があったとしても『インファントドラゴン』に勝つには全然足りない。
【ステイタス】も技術も何もかもが足りていない。ラグナは後ろから迫る竜を見て、更に加速する。
「……速い!」
『オオオオオオオオ!!』
ラグナの敏捷より高い。そのため直線距離では追いつかれる。そのため迷路のようなダイダロス通りを利用して、右左と動いていく。
焦りから汗が滲み出る。太陽の光が路地裏には差し込んでおらず、どこか暗い雰囲気に更に不安が加速する。
「ラグナくん、落ち着いて。ゆっくり呼吸するんだ!」
ヘスティアの言葉にラグナは目を剥く。その言葉の通りに深呼吸をして、心臓を落ち着かせる。ゆっくりと呼吸していくうちに頭が冷静になった。
「……ありがとうございます、大丈夫です」
ヘスティアに感謝しながら、ラグナは背後から迫り来る竜に目を向ける。涎を垂らして、ヘスティアを追い掛ける様は正に狂気。
なんとか距離を離そうと努力してはいるが。その竜の体躯に見合わない敏捷性にラグナは顔を歪める。
インファントドラゴンとの距離は10Mといったところか。そのデカい体躯のせいで、家が壁が削れて落ちていく。
「────あ」
ラグナは思わず呟いた。目の前に泣いている子供が蹲っていた。怪物に混乱した時にはぐれたのだろうか。
このまま進めば子供は巻き込まれる。今はヘスティアを狙っているとはいえ、竜は小石を蹴るように子供を殺すだろう。
横抱きにしていたヘスティアを、片手で抱きかかえる。子供をすぐに拾って、ダイダロス通りを抜けていく。
「……ぁ、ドラゴン?」
少女はか細い声を漏らす。無理もない話だ、怪物が後ろまで迫る恐怖はラグナでも怖い。言葉すら出せないような緊張に気を失う。
最悪の状況にラグナは笑いそうだった。おそらく道は一つだけだ。ラグナが足止めして2人を逃す。それが唯一の道。
本当は【ステイタス】更新をしてもらいたかったが。そんな時間も安全な場所もない。ダイダロス通りの奥に続く、下水道。そこから逃げてもらう。
「ヘスティア様は、少女を逃してください」
「ラグナくんは!?」
「俺は、足止めします。多分だけど、あれは強化種だ。エイナさんから聞いた容貌と少し違う」
オレンジ色ではなく、紫色。しかも脚が速い。間違いなく『強化種』と呼ばれる存在だ。
怪物が魔石を喰うことによって起きる突然異常。ただ今回のは意図的に行われた物だろう。
おそらく、あの性悪女神のせいだ。
「その子を逃がせる機会は一度だけです。お願いします、ヘスティア様!」
「……わかった」
ヘスティアは苦虫を噛み潰したような表情で頷いた。それを見てラグナは見えてきた下水道に、ヘスティアを降ろして子供を任せる。
「ラグナくん、これを使ってくれ」
ヘスティアは背負っていた剣をラグナに渡す。それを受け取ったラグナは、感謝を伝えようとする。だが、すでに目の前に竜は立っていた。
狙っているのは、相変わらずヘスティア。苛立っているのだろう。唸り声が低く響き渡る。
「ラグナくん、すぐに助けを呼ぶから。だから耐えておくれ!」
ヘスティアは子供を背負って、ラグナに向けて叫んだ。下水道の空洞に響き渡る、ヘスティアの声。その直後に竜の咆哮が、下水道にまで響いてきた。
⬛︎
『ヴオオオオオオオオオオオオオオオオオ!』
「っ」
唇の端から血が流れていく。口の中が鉄の味で支配されていく。そんな感覚を覚えながら、ラグナは包まれていた剣を露わにする。
金色と白色の鞘。そこから抜剣して、ラグナは目を剥いた。
浮き上がる
「……行くぞ」
戦闘は始まった。先制攻撃を仕掛けたのはインファントドラゴン。細長い尻尾を鞭のように使い、叩きつける。
凄まじい速度と威力に周りの壁は削れて、威力が下がっていく。それでも十分に脅威の攻撃。
ラグナは転がるように回避する。ラグナが居た場所が粉々にされる。威力が落ちていても、即死する可能性がある。それを知った時、ラグナは久しぶりの死の感覚に震える。
ミノタウロスの時みたいだ。相手はあの時のミノタウロスより遥かに強い。倒すには魔石を潰す必要がある。
「次は俺の番だ」
剣を構えて、発走する。今まで触った剣とは違う。本当に半身のように手に馴染む。ラグナは竜の弱点の胸を見る。鎖で阻まれているが、鱗がない。その胸を深く突き刺せば、間違いなく倒せる。
だが今のラグナの【ステイタス】では、間合いに入ることすら危険。一瞬で噛みつかれて喰われるか、爪で攻撃されて死ぬ。なら隙を作る必要がある。
ラグナは【ロキ・ファミリア】に貰った剣を、投擲する。不安定な軌道を描きながらも、顔に向かう。
『オオオオオオオオオオオオオオオオ!!』
咆哮で剣を吹き飛ばして、ラグナの動きに注視している。瞳孔が鋭く、ラグナを貫く。
様子を見ているラグナに痺れを切らした、竜は突進してくる。少し前のミノタウロスの時を思い出す。あの時も突進の攻撃をしてきた。
『グオオオオオオオオオオオ!!!』
ミノタウロスの突進よりも、速いスピードでラグナを轢き潰そうとしている。瓦礫が弾丸のように弾ける。それを剣で叩きながらラグナは必死に回避する。
「があああああああああ!!」
突進を回避することに集中して気付かなかった。竜が尻尾を振り回していることに。ラグナは回避することが出来ずに、地面に叩きつけられた。
口から吐き出る鮮血。鳴り止まない警鐘。腹から焼けるような痛みが襲う。咄嗟に剣を盾にしていなかったら、即死だった。
だが肋骨は折れて、今すぐに治療しないと不味いと分かる。身体中から危険信号が出ている。鼓動と脈がうるさいくらいに音を立てる。
『オオオオオオオオ!!』
「……まだ」
脳は諦めてしまった。心も戦いたくないと弱音を吐いている。それでも魂だけは負けてなかった。
「まだ……」
どれだけ骨が折れようと、どれだけ絶望的な差があろうと。立ち上がるしかない。
───それが己を賭すということだろう。
「まだだ────!」
ラグナは竜の噛みつきを、剣で防御する。激しい金属音が辺りに散る。力でも耐久でも敏捷でも敵わない。
そんな圧倒的な力の差。それを覆すのが技と駆け引きだ。
相手が見せた隙を、一撃で切り裂く技。それは過去にゼウスが使った技。本人は極東の神の真似だと言っていたが。ラグナの脳に焼きついている。
ラグナは剣を鞘に収める。極東に伝わる居合い。前世の記憶でも知っている技。下半身に力を込めて、地面と一体になる感覚。
『オオオオオオオオ!!!』
怪物は別の攻撃準備を始める。それを気にせずに、ラグナは構える。一撃、たった一撃でいい。
あの雷霆のような一撃を怪物にぶつける。狙うは上胸、魔石がある場所を破壊する。
ラグナが呼吸した瞬間。怪物は爪を振りかぶった。突進、尻尾、牙、爪。怪物の全ての攻撃を受けた中でも、殺傷能力が高い一撃。
回避はしない。防御もしない。やるのは神の模倣。
鞘から抜き放つ。関節、筋肉、骨すらも壊していい。目の前の怪物を倒すために全てを込める。
そんな一撃は間違いなく、ラグナの中では最高の速さだった。
『ヴオオオオオオオオオオオオオオオオオ!』
怪物の胸を切り裂いて、魔石に当たる。だが破壊するには至らない。怪物は怒り交じりの一撃をラグナに放つ。
「ガアアアアアアアアアアアア!!」
竜の爪は一撃でラグナの腕を奪った。即死ではない。それでも腕を失った痛みと恐怖で、脂汗が身体中から噴き出る。
血が水溜まりのように、噴き出る。すぐに止血しないと死ぬ。
痛い、痛い、痛い。どうすることも出来ない痛み、もうすぐ死ぬ恐怖。全て覚悟していたはずなのに。
実際に死に直面すると、身体は恐怖で動かない。怪物は厭らしい笑みを浮かべて、ラグナを喰おうと口を開く。
少しずつ近づいてくる怪物。ラグナは立ち上がって、剣を構える。痛み、恐怖、絶望。
それでも死にたくないと身体は動いた。まだ何も成していないと魂が叫んだ。
「はは、はははははは!!」
『オオオオオオオオオオオオオオオオ!!』
涎を垂らして怪物は近づいてくる。必死にラグナは剣を握る。右手の握力だけで握る剣は、とても不安定だ。情けない姿にラグナは自笑する。
「……来い!」
ボロボロの身体で、爛々と目を輝かせる狂人。その姿に竜は初めて恐怖を覚えた。