干し芋は要らぬ、ダージリンティーを寄越せ 作:ヘッツァーマン
ㅤ全長7600m、最大幅1700mにもなる巨大な船影が鹿島灘の沖合より出ずる。波を越えゆっくりと陸に近付くそれは、定められた手順に則って大洗へ入港した。
ㅤ生徒や父母、教員や各種店舗関係者など合わせて約3万もの数の人々が生活を営むこの巨大な艦船こそが、『大洗学園』の学園艦である。
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ㅤ船首には、『大洗学園』を表す校章が記され、その左舷には3~40階建ての高層ビルに匹敵する艦橋が聳え立っている。
ㅤ遠目には航空母艦の艦橋のように見えるかもしれないが、操舵や航行に必要な機材を備えた部屋だけではなく、それ以外にも多数の部屋が存在しているため、ここは複合建造物といった方が正しいだろう。
ㅤ学園艦全体を一望できる最も見晴らしのいい場所に”生徒会室”は位置しているが、そこから少し階下に降りた場所には滅多に生徒が近寄らない部屋がある。
ㅤ”Break room”と銘打たれたそこは、とある人物専用のプライベートルームだ。
ㅤ大洗学園艦の艦橋にある部屋はそのほとんどが生徒会の管轄下に置かれているが、高層ビルとも言い替えてもいいその巨大な建築物の全てを管理している訳ではない。書類やその他の雑具を保管している倉庫として利用している場合が多い。
ㅤその”Break room”もかつては数ある雑具倉庫のひとつでしか無かったのだが、以前に生徒会入りを果たした男子生徒がその権限を用いて自分専用の部屋へと変えてしまった。
ㅤ当初は少なくない批判の声があったものの、それから月日の経った今では「まあいいか」と受け入れられている。
ㅤそんな大洗学園の学園艦艦橋の片隅に位置するその部屋に、今日は人影があった。
ㅤ黒い詰襟に身を包み、清潔感のあるツーブロックにマンバン、キリッとした鋭い目付きのその人物の名は──『栗林 誠』。
ㅤこの大洗学園を率いる生徒会において副会長を務める、生徒会の黒一点である。
ㅤこの部屋は十数年前の資料類が溜まりに溜まって、乱雑に押し込まれていた所を年末の大掃除の一環で彼が片付けたのち、そのまま自分専用のプライベートルームとして彼が占有したのが始まりだ。
ㅤ部屋は他にもいくらでも余っていたし、副会長として働きに働いた功績もあって生徒会長からの認可を受けた栗林は、さっそく小型の冷蔵庫や仮眠用のハンモック、漫画やファッション雑誌が綺麗に並べられた本棚、湯沸かし器などを設置。
ㅤ今日も今日とて、束の間の休息を優雅に堪能している次第であった。
「ん〜……うま」
ㅤ先日寄港した横浜で数十分並んでようやく手に入れた、最近話題の高級ケーキを、丁寧にフォークで口に運ぶ。その傍らには良い香りを漂わせるダージリンティーが置かれており、熱さの冷めぬうちにゆっくりと飲む。
ㅤ生徒会の仕事は大変の一言に尽きる。
ㅤ学園の長たる生徒会長を補佐し、役員のスケジュール管理や学園艦住民との交流、または会長不在の際にはその代理として学園艦をまとめなければならないその職はまさしく重任。
ㅤごく一般的な学校ならまだしも、大洗学園のように学園艦に居を構える学校の場合、生徒会に与えられている自治権はかなり強い。それに比例して相応の責任が伴うため、こうして定期的に身体と心を休ませなければすぐにストレスで潰れてしまうだろう。
ㅤオンオフの切り替えが柔軟に出来ない者には、生徒会の仕事は厳しい。その点、栗林誠というこの青年はオンオフの切り替えがハッキリしている。物事にケジメをつける事に長けている、と言ってもいいか。
ㅤやるべき事をきちんとやるそのスタンスは、こうしてまだ日の明るい時間帯から休んでいても文句を言わせないくらいには、副会長として役員からの信頼を集めていた。
ㅤ外見は厳ついし口は悪いが、基本的に交流のある者に対しては優しいその性格もあるだろう。同じ生徒会に属する役員の多くから彼は慕われている。
ㅤゆえに、彼がこの部屋に居る時は余程のことがない限り近寄らないのが生徒会役員たちの暗黙の了解だ。
ㅤ怒ると怖いというのもがあるが、普段骨身を惜しまず頑張っている副会長を労わってあげたいという、ささやかな感謝の表れである。
ㅤしかし、それは他の役員に限った時の話。
ㅤこの巨大な学園艦をまとめるために多数の役員を抱える生徒会の中でも、生徒会長だけは例外だ。
ㅤ広報と会計の二人は副会長である栗林に対して敬意を払い、彼が同級生であっても敬語で接するなど下手に出ている。普段も彼女たちは他の役員と同じように、栗林がこの部屋に居る時は近寄らないのだが、会長の命令がある時は話が変わる。
ㅤ”会長命令”という錦の御旗を堂々と掲げ、誰も近づかないはずの休憩中であってもやってくる。
ㅤ大洗において絶対な権力を誇る生徒会長に副会長である彼がどうこう指図できるはずもなく、泣く泣く休憩時間を繰り上げてそれに応対している。
ㅤ最初の頃は会長の嫌がらせではないかと疑っていたが、確かに自分が必要な場面も多々あったので、やはり口を噤むほかなかった。
「──副会長! 栗林副会長!!」
「(また来た…)」
ㅤ扉を蹴破る勢いで、今日も休憩室にやってきたのは一人の女子生徒。よほど慌てていたのか、汗を流しながら肩で息をしている。最近はまともに休憩時間を終えれたことはなく、途中で仕事に戻ることが増えた。
ㅤその際、いつも彼のもとにやって来るのは決まって彼女だ。
「廊下を走るな、河嶋」
ㅤ栗林はハンモックに腰掛けながら彼女に注意をした。
ㅤ彼女──”河嶋 桃”は大洗学園生徒会において広報を務める役員である。多数の役員のうち、広報を担当している役員たちのうちトップに立つ地位にあるため、正式には広報長といった方がいいだろうか。
ㅤ生徒会長に対して熱烈なリスペクトを向ける彼女であるが、その反面、副会長であるはずの栗林には割と厳しい態度をとることが多い。それでも同級生である彼に敬語を使っているあたり、 やはり礼儀正しいのだろう。
ㅤ栗林の注意を受けた河嶋は「失礼しました!」と一言謝り、トレードマークともいえるその片眼鏡をクイッと直した。
「なんの用だ」
「会長がお呼びです。”例の件”について相談したいことがあるため、早急に生徒会室に戻るように……と」
「相談? ……別に構わんけど、そのくらいの事で河嶋パシんなよ。ほんと人使い荒いよな、あいつ」
ㅤ確かに重要なことだろう。”例の件”は昨年度から生徒会の頭を悩ませる事柄であるだけに、その相談のために自分を呼び付けるというのは分かる。
ㅤだが、呼び付けるだけなら携帯で連絡してくれればいい。普段からマナーモードにすることはないし、通知音を大きめに設定してあるのを知らぬほど浅い仲でもないだろう──と、栗林は同情するように河嶋を見やった。
ㅤしかし、その言葉に彼女は否定の声を返した。
「いえ。それだけではなく、生徒会に風紀委員会からの緊急報告がつい先程あったのですが……副会長にも概要を伝えるようにと会長から仰せつかっています」
「あァ? 風紀委員から?」
ㅤ栗林は眉をひそめた。
ㅤ生徒の遅刻や校則違反を取り締まる風紀委員会は、反省文などの罰則を課すことの出来る権限を有している。問題があれば自分たちで解決出来るはずの彼女たちからの緊急報告とは、何とも嫌な予感がする不穏な言葉だ。
ㅤ河嶋は続けて、手元に抱えるバインダーに止められたプリントを読み上げる。
「一部生徒が飲酒を行っているという匿名の情報が風紀委員に寄せられまして。その対応を協議するため、午後4時から緊急で会議が行われる運びとなりました」
ㅤ栗林は瞠目する。
ㅤたしかに、あの風紀委員会が緊急というのも理解出来る。そして彼女たちだけでは対処できない類の問題ということもわかった。
ㅤ未成年飲酒とは重大な問題だ。この学園艦を預かる生徒会としても無関係ではないし、それを放置することがどれだけの悪影響を及ぼすか想像出来ないほど栗林は阿呆ではない。
ㅤ万が一メディアに取り上げられでもしたら、それこそ”例の件”で大洗学園が追い詰められるのは間違いないだろう。
ㅤ無意識に、栗林は拳を握りしめた。
ㅤ変な時期に余計なことをしてくれる、と顔も分からぬ誰かに悪態をついた。
「しかしご存知と思われますが、本日から会長は下船して東京へ行かれるので、副会長に出席をお願いしたいとのことで」
「この件に関してアイツはなんか言ってたか?」
「この情報が事実なのであれば由々しき事態です。ただでさえ我が校を取り巻く状況は芳しくありません。なので、徹底して該当生徒を炙り出し、外部に漏れる前に解決することを命じられました」
「まァ、そりゃそうだな。…ったく、ここ最近は面倒事ばっかりで嫌になるわ」
ㅤ頭をガシガシと掻きながら、栗林はハンモックを降りる。
ㅤ面倒事は入学以来から絶えなかった。
ㅤ共学化して間もない大洗において、男女間の軋轢を解消するために奔走したり、男子トイレ・更衣室の設置などに至るまで数多くの面倒を抱え込んでいた栗林であるが、特に近日は面倒事のスケールが大きくなってきていて辟易としている。
ㅤ仕方なくカップに残った紅茶を一気に飲み干して、食べかけのケーキを適当に冷蔵庫へ放り込む。そして開きっぱなしだった制服のボタンを閉じ直した彼は、「よし」と呟いて休憩室を後にする。
ㅤその背中に続いて後ろ手で扉を閉めた河嶋を引き連れ、彼は陽の光が差す廊下をコツコツと歩き始めた。
「……もう3年か」
ㅤ栗林は呟いた。
ㅤこの大洗に入学して早くも3年目に突入しようとしている。あと2ヶ月もすれば高校3年生だ。
ㅤけれど、無事卒業できるかどうかは現状怪しいところである。それは別に彼の成績が悪いからというわけではない。
ㅤ学校の運営自体に何かと問題があるからであるが──彼と生徒会長との付き合いはそれなりに長い。
ㅤきっと彼女ならばどうにかしてくれるはずだ、という漠然とした期待を彼は胸に秘めていた。
ㅤしかし素直にそれを言えない栗林の男心を理解しているのか居ないのか、傍を歩く河嶋は首を傾げつつも何も言わなかった。
◆
「おっすー、悪いね休憩中に」
ㅤ学園艦の環境の最上層に、生徒会室は位置している。丁寧にノックをして栗林と河嶋が中へと入ると、そこには革製の黒いチェアに体を沈めながら干し芋を咥える少女が居た。
ㅤヒラヒラと干し芋を揺らし、飄々とした態度で二人を迎えたこの彼女こそがこの大洗学園の頂点に立つ生徒会長『角谷 杏』である。
ㅤ栗林とは同じクラスの同級生でもあるが、立場上は彼女の方が上。河嶋とともに形式的に会釈をした栗林だが、面倒くさそうな雰囲気は隠せていない。
ㅤ角谷の対面にパイプ椅子を置くと、栗林は肘をついて彼女の目を見た。
「んで? 相談って何だよ」
「学園艦統廃合計画の件。うちが槍玉に挙げられてるのは目立った実績がないからってのはもちろん知ってるよね」
「あー…うん、まあ何もないもんな、この学校」
ㅤ現在、生徒会が抱えている問題。
ㅤそれは──この大洗学園の廃校危機であった。
ㅤ近年、文科省が推し進めている学園統廃合計画。
ㅤ礼節ある、しとやかで凛々しい婦女子を育成し、女子としての道を極める為の武道である「戦車道」において世界大会の誘致やプロリーグ設置を考えている日本政府は、『世界で勝てる戦車道』を目指して国際強化選手の育成に躍起になっている。
ㅤこの学園艦統廃合計画というのはそんな政策の一貫だ。
ㅤ戦車道をやっている高校は基本的に学園艦に居を構えていることもあって、老朽化や少子化を理由に日本各地に点在する学園艦を廃止または統合することで、戦車道の選手を集め強化するのが文科省の狙いである。
ㅤそんな中、大洗学園は真っ先に統廃合計画の候補として上がった。
ㅤ何十年か前に戦車道をやっていたものの、廃止されて久しい大洗はもはや歴史だけしか取り柄のない学校に成り下がっている。部活動なども目立った成績はなく、中学生に人気の進学先ランキングでは毎回下位にランクインするほどだ。
ㅤそもそも大洗はつい最近までは女子校であった。
ㅤ資金難や志願者数の激減もあって苦肉の策として共学化したものの、つい最近まで女子校だった所に入学してくる物好きな男子は少ない。
ㅤ栗林の働きもあって男子生徒が肩身の狭い思いをすることはなくなりつつあるが、大洗では依然として女子生徒が9割を占めている。入学者数はさほど変化ない。
ㅤ女子校という大洗唯一の伝統すらもかなぐり捨てた結果がこれならば、やはり共学化は失敗だった──という声も少なくなかった。
ㅤ生徒会長である角谷は、この話が上がってきた時からなんとか廃校を阻止・撤回しようと東京を奔走している。
ㅤ今回、大洗に寄港したのも彼女が東京の文科省の方に出向くために下船するからだ。
ㅤヘリコプターでもあれば話は別だが、資金難で喘ぐこの学校にそんな代物はない。
「で、それがどうした? 廃校撤回の目処でも立ったか?」
「……ううん、残念だけど」
ㅤ一縷の望みにすがるような、平然としつつも期待に染まった栗林の視線に角谷は心底申し訳なさそうに首を横に降った。傍に立つ河嶋も悔しそうに拳を握っている。
ㅤ栗林は「まあそうだろうな」と思ったが、重い空気を読んで口には出さなかった。
ㅤいかに学園艦内において強大な権力を誇る角谷といえど、ひと度陸に上がればただの女子高生である。
ㅤ数万人の生活を左右するであろう統廃合計画なんてものを推し進める文科省に、たかが一人の女子高生が声を上げたところで「じゃあ辞めます」と返すとは考えづらい。
ㅤ実績が無いのも、生徒数が右肩下がりなのも事実だからだ。
「でも、策が無いわけじゃないんだ」
──ただ、この角谷がはいそうですかと黙ってそれを受け入れることがないことは付き合いの長い栗林は分かっている。
ㅤ策がある。
ㅤそう言い放った角谷に河嶋は目を輝かせ、栗林は笑みを深めた。
ㅤこれだ。
ㅤ飄々とした態度を崩さない彼女が、確固たる決意を込めた強い眼差しをするときに言葉を違えた所を彼は一度も見たことがない。
「実績がないなら作ればいいんだよ。廃校の件にしたって元を辿れば”アレ”が原因なんだから」
ㅤ角谷は身を乗り出して、バッと愛用の扇子を栗林に向けた。
「まさか…」
ㅤなにか考えているだろうとは栗林も思っていたが、それはさすがに予想外であった。
ㅤ驚いたように目を見開く彼とは対照的に、河嶋は何が何だか分からないといった様子だ。
「あの……会長? 副会長?」
「……今ので分かれやあ、河嶋ァ」
ㅤ呆れたようにため息をついた栗林に、彼女はムッと睨みつける。自身が敬愛してやまない角谷と以心伝心の様子をまじまじと見せつけられてイラッとしていたところに、追い討ちをかけるように肩をすくめられて、気の短い河嶋が栗林に手を出さなかっただけ褒めるべきだろう。
ㅤ苛立ちをぶつけるように地団駄を踏む河嶋を、まあまあと角谷は宥めた。
ㅤさて、と息をついて彼女は姿勢を改める。
「かーしま、誠ちゃん」
ㅤ名前を呼ばれてほぼ反射的に背筋を伸ばした河嶋と、肘をついたまま角谷を見つめる栗林。そんな対照的な二人の様子に内心苦笑しつつ、彼女はあっけらかんと言い放った。
「戦車道、やろっか」
──それは奇しくも、遠き黒森峰女学園から戦車道名家の娘『西住みほ』が転校してくる二ヶ月前の出来事であった。
見切り発車で候
設定についてはアニメと劇場版のノベライズ版を参考にしています。